第6章・「機構」と双子(ふたご)の社保庁問題
第1節・日本の未来を見た男からの警告
私が、長い精神疲弊から、奇跡的に蘇(よみがえ)ったとき、日本は私が活躍していた二十数年前の姿ではなく、私が岡短に閉じこめられたときに見た様相(ようそう)を徐々に示していた。即(すなわ)ち、私を苦しめた(1)貢ぎ労働への道、(2)教育機能不全問題、(3)親方日の丸の行き着く果ての見本として、「機構」と双(ふた)子(ご)の社会保険庁問題が大問題となっていた。
(1)貢ぎ労働への道――ワーキングプア
パート・ニート・フリータを中心とするワーキングプア、私を悪夢に陥(おとしい)れた裁量労働制、サービス労働という名の賃金不払労働を是認するホワイトカラー・エグゼンプション導入問題、労働強化が深刻化していた。
この労働強化は悲惨な交通事故問題(*1)とも直結していた。労基法違反を含む労働問題に起因する死者数は1万人以上と推測され、もはや日清戦争の死者数を毎年上回っている(*2)。労働者の悲惨さは戦争状態といっても過言ではない。また、労災の中でも鬱(うつ)病などが増大してきていた。2003年度公立学校教員の精神疾患(しっかん)による休職者3194人であるという(「朝日新聞」2004年12月11日)。2006年に鬱(うつ)などの精神障害で労災認定を受けた人は、前年度の1・6倍、205人に急増し過去最多となっていた(「朝日新聞」2007年5月17日)。さらに、自殺者は1998年から2006年現在まで毎年3万人を超え、特に経済危機、過労などによる労働者の自殺は深刻な問題となっている。……
(*1)「兵庫県警がトラックの『過労運転』事故を防ぐため、運送業者の摘発に力を注(そそ)ぎ始めた。昨年8月以降、運送会社の幹部8人を道交法違反(過労運転の命令など)容疑で逮捕し、法人として11社を書類送検。……調べでは、岡山市の運送会社は昨年4月、運転手に福島~福岡間(約1320キロ)を13時間以内で走るよう命令したとされる。時速100キロで走り続けても到着できない。
千葉県佐倉市の運送会社は昨年3月、26日間休みなしの運転手に岡山~埼玉間(約780キロ)を17時間で走るよう指示。猛スピードで走行中に居眠りしていた運転手は、パトカーのサイレンで目を覚ました。「命の恩人だ」と摘発した警察官に感謝したという。……
(2)教育の機能不全問題
教育分野でも、2003年「早大レイプサークル」の共犯者たち(東大・早大・慶大生など)による被害届は約30件を超え、2004年2月コンビニ強盗で室工大生を逮捕、札幌の私大生現金ひったくり、4月日本女子大生が放火、9月慶應義塾大学大学院生大麻所持(*3)で逮捕、岡山市の大学院生が連結部分のはしごにしがみつき特急電車を緊急停車事件、10月日本大学コピー機カードを変造、12月国士舘大学サッカー部学生15人による集団わいせつ事件、2005年宮崎大学医学部の学生6人が死んだウサギを自宅で解剖しその様子を撮影した写真をブログで公開、同志社大生宇治市小6刺殺事件、2006年1月京都大学アメリカンフットボール部学生3人が集団強姦(ごうかん)容疑で逮捕、2月京大生大学図書館でアダルトDVD観賞、同月杏林大学学生がネットに『小学校襲う』と殺害予告し脅迫容疑で逮捕、同月ホストクラブ代表の大阪大4年男子学生300万円強要罪で有罪判決、6月東大阪大学、大阪商大、大阪府大の男子学生らによる集団暴行により2人が遺体で発見された事件、7月自宅で母親を殺害した大阪大4年男子学生逮捕、同月関大生違法ドラッグで転落死、同月大阪大生女子更衣室進入と窃盗容疑で逮捕、同月神戸大4年生少6売春で逮捕……と。……
(3)「親方日の丸」による機能不全問題
(民間に対する)〝公(こう)〟でも、平成の大合併に際して、駆け込み建物造りなどによる赤字の深刻化という地域利権・エゴ丸出し行政が展開された。更(さら)には親方日の丸の民間への浸透状況――特に私立高等学校などで――すら起こっていた。勿論、談合(だんごう)の世界、都道府県市町村の一部業者の過保護問題も同様である。そして、最たるものが、「機構」の親戚に当たる社会保険庁(以下社保庁と略す)の空白年金等5千万件以上の大詐欺(さぎ)発覚問題(2007年6月)である。この後始末に1千億円以上はかかるだろうという大不祥事であった。
こうして、私の意識が戻るにつれ、私の見た猿の惑星に、日本と地球はかなり近づいていた。そこで、未来を見た男が早急に社会に警告を発しなければならなくなった次第である。では、どうして、私が20年前に見た未来に、現代の社会がなろうとしているのか。それは既(すで)に第4章などで述べた岡短という組織にあった因子が揃(そろ)いかけたからである。全て揃(そろ)ったならば、日本社会は沈没するであろう。世界で全てそろったならば、世界は原爆戦争前に沈没するであろう。
私が岡短で見た世界は、今や官と民(みん)(=民間の民)の両方で、出現しつつある。まず、この章では官の世界で岡短類似現象を起こした社保庁問題を取り上げる。次に第7章で日本型〝民〟は岡短同様の機能不全を起こす論理構造と、これを日本型供給サイドの経済学・小泉改革が助長したことを指摘する。
第2節・社会保険庁問題の機能分析
――「雇用・能力開発機構」の双子の兄弟・社会保険庁問題
科学の手法に「構造分析」と「機能分析」がある。医学で例えれば、前者は胃などの組織を採取・分析して癌(がん)などを見つける手法であり、後者は一定の要因を加えたとき一定の反応が起こる因果関係から問題をつきとめる手法である(アレルギーのパッチテストや鬱(うつ)病などの際に主として採用される分析方法である)。社会科学も同様の分析方法がある。
この機能分析によれば、私は社保庁には岡短・「機構」同様に癌(がん)が蔓延(まんえん)していると分析していた。構造分析ができないのは岡短と異なり、私が実際に社保庁に在職し、その組織を見ていないためである。ともかく、社会科学専門家である私にとって、社保庁の機能不全が岡短の機能不全と余りに類似しており、相当前から社会に警告を発していた。例えば、1983年~85年頃は駿台などの授業で、国民年金は似非(えせ)年金と、2000年頃はTV(NEWS23等)に向かい詐欺(さぎ)年金であると――無意味でも――興奮して叫んでいた。
そして、ついに2007年5月頃から誰のものか分からない「宙に浮いた年金」が5千万件以上ある問題が日本を激震(げきしん)させた。5千万件は当面の公表値であり、実数はこれ以上であり、この原稿を記しているさなかに、この数は今後更に増え続けるであろう。……
第7章・民営化万能論批判
第1節・日本型〝民(みん)〟の構造
――日本型〝民〟では〝官(かん)〟の弊害除去は不可能
21世紀に入り、大きな政府から小さな政府、〝官(かん)〟から〝民(みん)〟への転換のため、もはや問題はないと考えるのは大きな間違いである。日本型の〝官〟から〝民〟は全く問題を解決していないことをまず理論面から解説する。
〝官〟の弊害は、親方日の丸体質にあり、労働者が時代の変化の中で、時代が求めているものを真剣に思考し、自主的に創意工夫する意欲を喪失したことにあった。だが、日本型の〝民〟では以下述(の)べる如(ごと)く、全く問題解決になっておらず、論理が逆にも拘(かか)わらず、同一症状を生み出している。その結果、私が20年前に見た猿の惑星へと近づいていった。21世紀初頭の日本型〝民〟の構造は以下の通りである。図示すれば【図表4の2】(この節の最後に掲載。万一出ていない場合には、この本の最後参照)となる。
α・企業間の競争でコストを下げるため、品質の低下及びリストラという名の下で(限度を超えた)人員削減により生産のみならず、販売の段階でその負(ふ)のツケを消費者へ転化するなど外部不経済が事実上まかり通っている。
β・ただし、ライバル企業としのぎを削っている大量販売店及び大企業では、消費者から苦情がでると困ると考えると、今度はコストを下げかつ悪質でない商品をつくるための恐るべき方策を編(あ)み出(だ)した。即(すなわ)ち、パート労働者、次に契約社員、最後に正社員にそのツケを転化し、ワーキングプア及び労働力の二重構造を生み出している。αとβの混合が身震いする状況、新型公害を生み出している。
私が第4章で分析した〈A〉親方日の丸構造は、新しい時代を意識し、それに責任を持ち、チャレンジし創意工夫する労働者を生み出す上での障害となっていた問題である。ところが、日本型の〝民〟への動きではこれがβワーキングプアのため企業への忠誠心の欠如や、自主的なやる気を喪失させ〈D〉仕事への愛情への欠如と情熱の欠如を再生産しており、労働者の労働意欲を減少させ、問題解決になっていない。次に、〈A〉親方日の丸主義では、〈C〉・〈イ〉ルーズ型形式主義や職場の機能不全の問題があったが、やはり、日本型民ではα新外部不経済(企業の負(ふ)のツケを社会に転化する)の如く、〈F〉機能不全を起こす体質を生み出している。機能不全、即(すなわ)ち、ミスのオンパレードである。物作り大国日本製品はピーク時は頑(がん)丈(じょう)で信頼が高かったが、今どのくらいリコールが新聞を賑(にぎ)わせているであろうか。そしてαとβが〈E〉人権感覚の麻痺(まひ)を生み出していることは記述する必要もない。
γ・しかも、私大・私立高校の一部に見られるように〈B〉権益確保固執、〈C〉形式主義がはびこり、官の論理が民にそのまま浸透している問題もある。こうして、民の中にも恐るべき〈A〉親方日の丸主義も直(じか)に浸透してもいる。
当然、日本型〝民〟にこれらの要因が存在している以上、私が見た未来「猿の惑星」が現れてきつつあるのは当然である。しかも、〝官〟の生き残りが、相変わらず親方日の丸因子〈A〉~〈F〉に侵(おか)されているため尚(なお)更(さら)である。
α・新外部不経済についていえば、2007年6月頃から北海道食品加工卸会社ミートホープのミンチ偽装事件が社会を賑(にぎ)わせている。牛肉ミンチに豚肉を混入し、ブラジル産を国産鶏肉として売り、「腐臭がするほど古い肉を仕入れ、殺菌処理した上で、家畜の血液で赤く色をつけて牛肉にみせかけ」(朝日新聞2007年6月25日社説)、「廃棄した牛の頭部などを、社長の指示で拾った。洗浄し、消毒して使わざるをえなかった」と社員が言い、「同社はミンチに豚の肉や心臓、家畜の血、パン、化学調味料などを混入していた」(アサヒコム2007年7月3日)という。更(さら)には牛肉コロッケに賞味期限の切れたパンクズで容量を誤魔化(ごまか)し、……と社会を呆(あき)れさせた。牛肉と偽(いつわ)り、豚、鶏肉、羊、兎(うさぎ)の肉の混入はまだ軽度の方であった。しかも、「ミート社のやり方を見かねた元役員らが昨年2月、農林水産省の北海道農政事務所に会社の不正を告発し、偽のミンチを証拠として持ち込んだ。ところが、まともに調査しないまま、事実上放置していた」(朝日新聞2007年6月25日社説)という問題もあった。
{この箇所の詳細は→★【政経主張―7・官と民の論理】に抜粋して、紹介している。★【 】をクリックすれば、政経主張―7にリンクする。}
……
第2節・日本型供給サイド経済学の論理
では何故、私が見た20年前の猿の世界が急速に出現しかかったのか、3節のα~γを何が促進させたのかを簡単に解説する。
日本の20世紀末の不況原因は、バブル崩壊(→本質でなく現象)・在庫循環説・不良債権問題・アジア通貨危機など幾(いく)つも指摘できるであろう。だが、これらがなくても日本経済は平成不況を迎えていた、と私は分析している。ちなみに、ソ連崩壊要因を何にみるか。膨大な原因があろうが、私は本質として「責任を持ち、社会のため懸命(けんめい)に自ら創意・工夫する労働者・国民」と逆の現象を生み出した、「ソ連型親方日の丸」にあると考えている。
同様の視点から、21世紀前後の日本の不況原因を、本質若(も)しくは今回のテーマとの関連から四点指摘する。A・ジュグラー型設備投資循環(約10年周期の設備投資循環)で谷にあったこと、B・コンドラチェフ型技術革新による技術一新への入口のための変化(大体50年周期で起こりその結果、日本は1973~1999年経済沈滞が予想されていた)、C・1985年のプラザ合意を契機に海外への生産拠点移動のツケ(国内産業の空洞化)、D・親方日の丸主義の蔓(まん)延(えん)(官のみではなく、政府の護送船団方式により民間企業の一部(従来の土建業優遇策は言うまでもなく、銀行、大学などの学校群……)を過保護にしたため、これらの分野で親方日の丸主義の充満したツケである。21世紀初頭から好転する運命にあったAは十年周期のため無視すれば、日本経済の沈滞要因はB、C、Dにあったと考えられる。ところが、小泉・竹中改革はこれらへの対応に問題があったため、これから論述するように、α新外部不経済~βワーキングプアを促進することになった。
……
ケインズが唱(とな)えた理論を小学校の子でも理解できるように記せばこうである。膨大な金塊(きんかい)を山に埋め山から掘り出せ、そしてそれを繰り返せ、そうすれば景気は回復する。即(すなわ)ち、金塊を山に埋めて山から掘り出すには膨大な人を雇わねばならない。膨大な人を雇えば、雇用拡大となり、雇われた人の収入が増大する。すると、彼らは様々な商品を購入し出す。その結果、様々な商品を生産している多数の企業が儲(もう)かりだす。企業が儲(もう)かれば、企業は雇用を拡大する。すると、ますます失業は減り労働者の賃金が増大する。これにより、彼らが更にものを購入し出す、である。
図示すれば、①金塊を埋めて金塊を掘り出す→②そのための人を雇う→③雇われた人は賃金が入るので商品を購入→④様々な商品を生産している企業が儲(もう)かる→⑤様々な企業で雇用が拡大する→以下②~⑤の循環で景気は回復する。そして、この①に該当するのが、ルーズベルトのニューディール政策ではTVA(ダム建設など)である。これは必ずしもうまく行かなかったが、その後、第二次世界大戦に参戦し、戦争のための物作りが①に該当し、景気がある程度回復した。これは戦後、日本で何度も実施された経済理論であり、戦前では高橋是清などが実施した理論に類似する。
だが、このカンフル剤の前提には、不況時には物価が下落していなければならない。このカンフル剤を行えば、副作用としてインフレか国の借金が増大するためである。1985年のプラザ合意後もこのカンフル剤が頻繁に打たれたが、1985年から1990年にかけて実体のないバブル時代を迎え、しかもそれが1990年後半に崩壊したことにより日本経済の奇形構造が現(あらわ)れていた。
私に言わせれば当時の不況はデフレ状況ではなくスタグフレーションの奇形状態が本質であった。一般にスタグフレーションとはインフレと不況の結合であるが、今日(こんにち)はインフレ状態を膨大な国家・地方自治体の赤字に置き換えたのである。2003年3月には国の借金703兆円、地方の長期債務約200兆円、特殊法人が発行する債券を国が保証し、隠れ借金と言われる政府保証債務が58兆円(「朝日新聞2004年6月26日)で合計約1000兆円である{2007年3月末では国の借金のみで834兆円である(「朝日新聞」2007年6月26日)}。ただし、日本の資産問題を忘却し、政府などの過剰な消費税導入CMに騙(だま)されぬこと(*4)。
第4節・今後の〝官(かん)〟と〝民(みん)〟の論理
――猿の惑星からの脱却を
本来、C・産業空洞化対策は、日本がIMFを舞台として40年以上続いている変動相場制に対して新機軸を打ち出したり、内需主導型経済や高度付加価値産業主導型経済への転換を軸としたりすべきであったが無策に近かった。
その結果、国内の空洞化の改善は大きく進まず、同時に海外へ求めていた安価な労働力を国内で補充するため、派遣労働、パート労働、裁量労働……の促進を後押しし、最後はサービス労働無料化を合法化(ホワイトカラー・エグゼプション)の検討までし出す始末である。そこから生まれるものは、企業への忠誠心の欠如、社会への使命感の欠如、創意・工夫する労働者とは逆の労働者像である。
これでは、途上国、新興工業国グループと労働力の安価さでの競争でしかない。労働力の安価さではどうしても勝てないとなるとα・新外部不経済が火を噴き始めた。海外の安価な労働力と安価さを競いあうならば、中国の都市部の後には、中国の内陸部が、……ベトナムが、その後には……カンボジアやアフリカと続き、勝ち目はない。よって本来、日本が商品を安くするには、労働力の安価さとは逆に、飴(あめ)(労働条件の大幅改善)と鞭(むち)(ミスに対して解雇を含む責任追及)により、絶えず切(せっ)磋(さ)琢(たく)磨(ま)し創意・工夫する労働者を生みだし、その労働者達の技術革新により商品を安価にしたり、他の商品とのデザインをも含む差別化を図ったりする以外に方法はない。
……
要約すれば、日本経済はBの(新エネルギー革命と)IT革命により回復は一定すると結論はでていた。よりよく回復するためには、Dの親方日の丸体質の除去とCの産業空洞化対策が不可欠であった。そのためには、セーフティネットと経済民主主義に関する諸ルールの確立が必要条件であった。しかし、小泉・竹中改革はこれらを行わずに、民営化推進一本やりを行った。その結果、親方日の丸から生じる因子〈A〉~〈F〉を、民の弊害α新外部不経済~βワーキングプアから生ずる因子に置き換え、親方日の丸とほぼ同一現象を生じさせた。
同時に、このことはC・産業空洞化の根本的対策を放棄したことを意味する。日本の場合に、世界で競争するには労働力の安価さではなく、労働力の良質さで勝負しなければならないが、既に述べたようにそれを安価な労働力絶対志向により放棄しつつある。その結果、商品競争も、日本の場合は安価さで競争するのではなく良質さで競争しなければならない。しかし、徐々に「安かろう・やや悪かろう」時代へ逆戻りしつつある。CとD対策がこれでは、風が良い方に吹くときは良いが、極端な円高などの逆風になると輸出面で問題が起こる。
本来、人口1億人の国では当然内需主導が歴史の教訓であったにも拘(かか)わらず、供給サイドの経済学で内需をおろそかにしたため、その被害は大きくなるであろう。さらに、2007年時点では大企業の国内回帰傾向がやや見られ始めているが、それにも水を差すことになるであろう。日本の円は米国のドル(事実上の世界紙幣)とは違うことを無視し、米国型供給サイド経済学に突っ走ったことはまさに運任せの側面があった(*9)。
(*9)この原稿を2007年10月に書き上げたが、今回(2008年11月)、微修正をしている現在、私が危惧したことが現実のものとなったことは既に述べた通りである。
以上の状況が皮肉にも第4章で見た、親方日の丸と同一の現象〈A〉~〈F〉の因子を民の(α)新外部不経済~(γ)ワーキングプアから生ずる因子に置き換えて、結果として同一の現象を促進することになった。
実力主義社会を標榜(ひょうぼう)するならば、供給サイドの経済学を続けるならば、需要サイドの経済学以上に年齢差別撤廃・学歴差別撤廃・男女雇用差別撤廃・障害者差別撤廃・パートも含めて同一労働同一賃金を罰則付きで保障しなければならない。同時に、消費者主権、独禁法・労基法・道交法(利潤追求過労強制労働禁止)などの経済民主主義の完備、競争のための土俵・ルールも強力な罰則付きで完備しなければならない。そうでないと、日本の未来は、この論文の第2章~第5章の世界となるであろう。
要するに、〝民〟ではルールの強化、〝官〟では飴(あめ)(労働内容に応じて報奨(ほうしょう)金(きん)等支給)と鞭(むち)(過失・犯罪行為に対しては退職後も時効抜きで責任追及システム)が不可欠となっている。
……
第5節・日本の原点への回帰を!
日本経済が大きく改善する可能性として産業革命に匹敵するB・(新エネルギー革命と)IT革命を最初に取り上げた。だが、この一大変革への対応でも政府はミスを行った。民に任せる分野は民に任した方がよい。だが、公でなければならない分野、公でなければならない時期は公で対応する必要があった。民営化絶対万能論により、政府は余りにも無策でありすぎた。もし、このIT革命にうまく対応していれば、日本経済における都市と農村の格差は縮小していた。だが、これから述べるように対応ミスから逆に格差を拡大させ、名古屋を例外とすれば東京一極集中を加速することになった。……
次に今後の大技術革新の柱となるべき新エネルギー政策も日本は余りにも無策であった。即(すなわ)ち、「化石燃料は20世紀においてゆき、21世紀は自然エネルギー」という路線の推進でも、日本は余りにも無策でありすぎる。地球温暖化対策のみか、本来日本の得意分野であり大ビジネスチャンスにも拘(かか)わらず、ドイツ・アイスランドなどに比較し、余りにも国家は政策的に無策すぎた。
他にも公でやるべき分野を放置した事項は相当あるが、今回はこの2例のみを指摘しておく。民でできることは民に任すがよい。だが民でできぬことは公がしなければならない。現在はこれが多方面で逆になってもいる。ただし、親方日の丸主義の弊害を防ぐために、官僚機構の監査は、裁判員制度と同様にくじ引で民間から選んだ人にさせたり、情報公開とそのチェックは市民オンブズマンなどに委托(いたく)したりする方法などの検討が不可欠であることは言うまでもない。
公・官においても憲法15条の精神の下で懸命に切磋琢磨(せっさたくま)し、国民のために創意・工夫する公務員ならば〝公〟が拡大し、大きな国家となっても悪いことはない。
同時に経済民主主義――労基法の徹底化・男女雇用平等・障害者社会参加保障などを罰則付きで義務化し、消費者立法強化・公害対策立法強化・環境関連法規強化・道路交通法強化――のルールを遵守を条件に、民(みん)が死にもの狂いで努力することも悪いことではない。これらのルールは国内のみではなく、国連などを舞台として、世界的なルールづくりも不可欠となっている。但(ただ)し、二点注意が必要である。一つは、各国の発達段階を考慮し、形式的ではなく実質的平等な形でのルールが不可欠である。もう一つは、このルールの中には、私が何度も指摘している現在の変動相場制度を見直し、新たな国際通貨制度による新為替ルールの構築も含まれる。特に、ヘッジファンドが為替相場を操作している以上、この問題への対応は不可欠となっている。内需主導経済樹立のためにも不可欠である。
……
日本の原点。それは、日本の風土の特徴から歴史的に規定された、勤勉な、責任を持ち創意・工夫する国民性である。同時に、シンガポール同様、日本の貴重な資源は、この国民性にあった。しかし、この国民性を二つの方向から破壊されているのが現代である。一つは親方日の丸主義の構造〈A〉~〈F〉であり、もう一つは民で類似現象が生ずるメカニズム(α)~(γ)であり、その分析をこの論文で行った。これらへの抜本的対策抜きには、19世紀の英国で興った産業革命に匹敵する大型新産業革命の到来は、本来到来・実現する時期よりも遅れるであろう。
……
【付録・私案】―教育改革私案
第1節・教育聖域論から真の教育政策への転換を
特殊法人雇用促進事業団(現独立行政法人雇用・能力開発機構)の親方日の丸的体質が労基法違反を生み出し、国家財政がこれでは赤字で当たり前という、その体質を指摘し、しかも金を投入して教育を破壊した事例を記したが、〝教育聖域論〟への問題点も財政論も踏まえて指摘しておく。
ポリテクカレッジ岡山(以下岡短と略す)にクーラーも、暖房もほとんどなかった頃、近代的校舎もなかった頃、授業は――他の大学に比べれば問題だらけであるが――快適とまではいかずともやりやすかった。クーラー、暖房が入り、近代的校舎が不必要なまでにできた頃、授業は極端にやりづらく、無法学生が続出した。岡短学生を2クラス合併の50人前後で教えていたとき以上に、後(のち)のクラスごとに20名前後で教えた頃の方が、無法学生は更にその比率を増した。岡短学生の英語力が相当低かった頃より、やはり低いのではあるが多少上向いたとき、無法学生は逆に増加していた。更(さら)に徹底的な一言。岡短の職員室を廃止し、膨大な金をかけ各専任講師の部屋を個室にしたことは学校崩壊のためにお金を投入したと言っても過言ではなかった。これらのネックは岡短及び「事業団」が自らの権益確保のため、学生の一定数のみを確保し、学生の一定数を卒業させることのみを形式的に考え、そして予算分捕りのための箱物・器(校舎)のみを不必要なまでに増加させたものの、学生の学問への真(しん)摯(し)な姿勢を養うことや教育などは誰一人として考えなかった親方日の丸主義から生じたものである。
建物などの箱物・器よりも、学生への教育に本当に何が必要かを誰も真剣には考えないのが、今日の教育界の実状であり、その意味での典型例が岡短であった。さらには「クラス人数が少ない方が良い」は形式論議であることを、この文書を通じて事例から紹介した。当然、多いよりは少ない方がよい。しかし、1995~1997年度の岡短学生1クラス20人よりは、まだ英語の出(で)来(き)が悪かったときの1983年度1クラス50人のときの方が授業の効率が上がっていた。確かに、岡短学生は1クラス3人にすれば初めて効率が上がる。しかし、駿台などでは同じ効率を50~100人で実現できるし、岡短学生50人よりは駿台などで一度に250人でも1000人でも教える方が効率はあがる。よってクラスの人数を減らせば教育の問題が解決することは、時には事実であっても、問題の本質ではないことを岡短が示していた。
【2015年追記】
雇用・能力開発機構は、「独立行政法人雇用・能力開発機構法を廃止する法律」(平成23年法律第26号)の施行(2011年10月1日)により廃止された。しかし、以下の点に注意していただきたい。以下、拙著『親方日の丸―第一部・親方日の丸の組織構造』から引用する。
甘利氏と桝添氏の会談のことは、昨日の如く、私は今でも覚えている。ただし、注意してもらいたいのは、雇用能力開発機構は解体ではなく、衣替えの可能性があることである。雇用促進事業団が肥大化したため、一部の分野を1971年に障害者雇用促進協会として独立させた。この障害者雇用促進協会が、2003年に独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構となり、2011年には独立行政法人雇用・能力開発機構から職業能力開発等の業務の移管に伴い、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構に名称が変更された。簡単に言えば、田舎の本家がバッシングされたので、別れ家の名前を借りて存続している危険性である。実際に、2013年9月、委託職員が職業訓練の委託先NPO法人に抜き打ち検査日を事前に漏洩(ろうえい)し、見返りに金銭を受け取っていたことが発覚した(官製談合)。
現在、高齢・障害・求職者雇用支援機構の分析を行っていないが、雇用能力開発機構の癌が蔓(まん)延(えん)する予感がしている。私の杞憂(きゆう)であればよいが、先の官製談合などが既(すで)に起こっている。また、これから述べる厚生労働省系大学校問題が未(いま)だに存続している問題もある。《引用終了》
{教育改革私案は→★【政経主張―8・教育改革私案】に抜粋して、紹介して★【 】をクリックすれば、政経主張―8にリンクする。ただし、公開は2015年6月の第二週頃からである。}
……★以下省略★……