安らぎ文庫・公開

  • (一)このコーナーでは、『恐るべき労基法違反・2010年版』(2016年微修正)を無料で、PDF閲覧及びダウンロード可能とします。
  • (1)ご希望の方は、写真の下側の該当欄のPDFをクリックしてください。無料配布理由は下記(二)4などからである。
  • (2)本の概要→発売中の書籍・『恐るべき労基法違反』をご覧ください。(アンダーラインをクリックでリンク)


  • (二)今回配布するに当たっての注意事項
  • 1・今回は、インタネット経由でPDF版を配布する上で、人名の一部や住所などの一部を略号に変えている。政府機関などへの送付時は、関連機関が調査できるように、全て原則実名で記述していた。しかし、今回は不特定多数の人への配布のため、重要な職に就(つ)いていない人などは略号に置き換えている。
  • 2・誤字脱字類の修正→原則として、よほどひどくない場合は修正・訂正はしていない。当時送付した内容そのものを公開するのが目的だからである。
  • 3・今回の一連の文書は作品ではなく、「救済依頼文書」に該当する。
  • 4・上記のため、誤字・脱字、文の乱れなどの本格修正をしていないことなどから、今回は当面は無料配布を予定している。(後には不明)。
  • 5・肩書きは2011年当時のものである。
  • 6・『恐るべき労基法違反・1999年版』の(小渕恵三首相等への)呼びかけ文は拙著『閉じた窓にも日は昇る・下』に、『同上・2004年版』の(小泉純一郎首相等への)呼びかけ文は拙著『親方日の丸・第一部』に収録している。いずれも、Kindleで発売中、2015年からはKoboでも発売予定でいる。価格は当面はすべて百円である。
  • 7・こうした文書を全政党に送付している以上、またHPや重要文書で「党派中立・宗派中立」と記している以上、一種の公約となっている以上、党派中立・宗派中立を貫く努力をしている。ただし、選挙で誰にいれるかは、党派中立・宗派中立とは無関係である。また親友類の人間としてのつきあいも無関係である。
  • 8・配布に当たって。『恐るべき労基法違反』は、該当機関、政府関係機関、全主要政党、弁護士などの司法関係者、マスコミに既に送付している。しかし、公開してはならないとか、文書に問題があるなどのクレームがついていないため、公開に当たって問題はないと考えている

 

 


 

 

  • ミス記述の修正
  • 第1章第二節【参考―7】 (15ページ)通常試験1本分を5本で約50万円→100万円くらい
    第1章第二節【参考―11】(21ページ)96/2/27貯蓄額1,115,4000→1,115,400
  • 呼びかけ文、第2章第五節。所得税法266条違反よりも、主として所得税法231条違反、同242条抵触:ただし97年は実質的に同法266条違反も



【目次】二〇一〇年版のページ番号。二〇一六年微修正版は終了後にページなど変更し再配布予定

目次:……………… 2
序章:概況(全体の流れ)……………… 3

第1章:ポリテクカレッジ岡山一本化迄 ………………7
 一節:短大一本化迄の健康概況(1982~87年末迄) ………………7
 二節:専任詐欺被害の件 ………………13

第2章:完全病的無気力期(1989末吐血への経過~1993年大吐血迄) ………………28
 一節:1989年吐血迄の経過 ………………28
 二節:何故、私の頭脳が停止し生きる屍となったか ………………39
 三節:何故このような問題が生じたか
    ――学校責任の問題:学生を駄目にした権益主義と親方日の丸体質について………………47
 四節:労基法2条2項違反による大吐血の苦しみ ………………51
 五節:岡短の労基法違反構造分析 ………………59
    ――親方日の丸型労基法違反の事例分析(岡短労基法違反実証作業)

第3章:精神疲弊期(1995年3月以降) ………………67
 一節:1995年3月6日――再度の労基法2条2項違反の一撃 ………………68
 二節:94年から辞職迄の労基法違反と不法行為 ………………76
 三節:精神の疲弊から死の危険への遭遇 ………………78
 四節:97年度諸事件と岡短辞職への医師の勧告 ………………82
 五節:労基法違犯被害後遺症症候群(PTSD) ………………96
 六節:病気に関する岡短外要因の検討 ………………114

第4章:交渉について ………………119
 一節:賠償交渉に対する私の再度の提案(★重要)………………119
 二節:岡短との交渉に至るいきさつ………………124
 三節:短大不当交渉の問題点………………127
 四節:あるべき交渉の姿………………141
 五節:日本の人権救済の限界について………………146

第5章:闇の中の労働契約――大労基法違反か計画的詐欺か………………153
 一節:労働条件明示違反――闇の労働条件………………153
 二節:交通費問題……………156
 三節:テキスト問題………………160
 四節:計画的詐欺か計画的強制貢ぎ労働か………………165
 五節:現代労働哀史………………176
 補節:追記事項……………178
 

☆附属資料目次 ………………185
 資料-1: 写真で見る健康状態の推移(24歳~55歳迄の写真で見る健康状態) →今回省略
 資料-2: 病気全体の流れの概略図………………付録資料―2に収録
 資料-3: 実際の日記及び覚書のコピー………………186
       A:1995年3月6日労基法違反後の頭の痺れ(頭の痺れ開始日の日記)
       B:文章書き抑制不可能現象の一例(労基法違反症候群の実例)
 資料-4: 97年11月暴力学生事件………………190
       学生配布プリント「岡山短大の名誉を守るために」 →PDF以外にも次ページで公開(アンダーラインをクリック)
 資料-5: 岡短労基法違反・専任確約被害・強制貢ぎ被害額(推計値)………………194


※(2016年6月27日追記)ページは全ページのPDF作成後に変化するかもしれない。その場合には再度、この箇所をPDFで再配布する。また、附属資料は今回一部は省き公開しない。

 

 

雇用促進事業団 岡山職業訓練短期大学校 開設準備室 室長・森本茂樹。初代副校長→この人が主として私を専任確約で招聘した人物である。


(原則として人名を略号から実名に戻す。当面の例外は学生である。また無関係で、実名が困ると思われる人も当面は実名にしない。ただし、雇用能力開発機構、政府・議員宛に既に送付した文書は全て実名である。)

一柳研一課長(1983年度から?年度)後日調査も87年度かもしれない。律儀な人で職場を変わった後も挨拶の年賀状を頂いている。その年賀状を探せばいつ異動かは分かるであろう。当然、私の専任確約は知っている。

教務課長(1988~90年度):前田昇:

教務課長(1991~93年度)世取山清(小さい労基法違反から大きな労基法違反まで被害を被った)。後に能開大四国の副学長・学長、雇用能力開発聞く本部勤め、高齢者・障害者雇用支援機構に異動、更に後にJICAに天下りか

学務課長:浜崎徳男(94~96年度)この学校の管理職にすれば珍しく情のあった人で、善人に見えた。所が、浜崎が課長のときは、教員担当を藤井氏が行い、課長が前面にでてくることがなかった。後に、機構との賠償交渉立会人新免昌和氏は何か事情を知っているが如く「そうでしょうね」と返答した。

学務課長:森脇一雄(97~)労基法を含む法律ゲームを仕掛けてくるような感じであった。ただし、過去の労基法違反ほどではないが、労基法違反を含む違反はあった。歌舞伎役者の如く、(猿芝居強調型)演技とみせていた。当方は忙しいため、拘わりたくなく、重要な要件以外は学内で顔を合わせないようにしていた。現在は、天下りで、NGOか何かの理事長をしているようである。私に危害を加えた人間は、雇用促進事業団や雇用能力開発機構本部に告発した後でも、全員出世する謎も残っている。恰も報酬(代価)と言わんばかりに。
 彼は私の専任確約について1987年度に明白に返答した。「専任、そんなものなれる訳ないだろう。第一、君を首にするのも簡単なんだ」と。前者の返答は雇用促進事業団本部に問いあわせずの即答返答であった。私が専任確約で同校に来た経緯を話したことへの返答であった。

松尾貞志副校長(1997年度頃からか)賠償交渉に我が家へ来た人物。

教務係長(1983~90年度)小幡俊逸係長:91年度からは嘱託として勤務

学生課:藤井光生(多分1983~間違い無く97年度)。故意か偶然か不明もミスが多くしりに食いをさせられた。

庶務課:中川利弘(丁寧な真面目な人) 


一般教科専任:宮本公之先生(数学などを担当)当時の校長(初代副校長)などから、「専任は一人は宮本先生、もう一人は浜田先生にお願いしたい」と何度も明言されていた。

横山豊さん(自動車科の専任講師。後には嘱託として勤務。色々と世話になった可能性がある。)

嶋坂敬郎先生」私の相棒の如く人物で、私をこの学校に話だけ聞きに行ってくれとたのまれた人。私は非常勤講師ときいていたため、嶋坂先生の顔をたて話だけ聞いて、断って帰る予定で同校に行く。すると、当時の学校責任者から「半年後くらいから是非専任で…」と、今考えると詐欺に遭ったようである。嶋坂先生は京大で博士号取得、湯川秀樹博士にも習ったといっていた。甲南大、奈良女子大、京都外大などで教壇にたち、私よりも20才ほど年上の人である。
 私の同校での専任確約はテープにとって金庫に保存してあるので心配せんでいい」が彼の私への最後の言葉であった。その後、神戸女子大かどこかの教授に復活したようであり、同校にはこなくなった。1980年~90年頃の間の返答と思われるが先生が同校で私と授業で会わなくなる前の一言であった。

非常勤講師 では、蒲田謙三先生なども私の専任確約の件は知っていた。それどころか1983年度の管理職などは全員知っていた周知事項であった。早大大学院先輩A先生(幾つかの大学講師)も知っているかもしれない。

同校には関学の先輩に当たる人などがおられ(大学時代には面識はない人で、確か横溝文夫さんではないかと思う)、1983~87年度までは牧歌的であった。特に前半は。所が、駿台予備学校を辞職するや、学校が豹変した。学生より前に職員が豹変した。労基法違反も悪質なものに転化していった。なお、その頃から、良い・悪いは別として、卒業式などで国旗を掲げること(掲揚)がなくなった。これも何か、私の事件に関係しているかもしれないため参考記述である。正に1988年2月初頭(私が駿台を辞職した時)から一変した。

 なお、ポリテクカレッジ岡山の危害は駿台での危害+10年で起こった謎もある。例えば、刑事犯罪がひどくなる=駿台1987年夏頃、ポリテクカレッジ岡山1997年夏頃、駿台内容証明送付1987年12月、ポリテクカレッジ岡山へ辞職伺い送付(記載は1997年12月、送付は1998年1月)、最終授業→駿台1988年1月末か2月初頭、ポリテクカレッジ岡山1998年1月末か2月初頭、辞職時の体重は共に55㎏。

 同時に雇用促進事業団に賠償・交渉文書を作製していると、しばしば10年改竄された謎もある。1988年1月ならば1998年1月に、1987年11月ならば1997年11月に…。恰も、駿台事件の主たる危害者とポリテクカレッジ岡山の主たる危害者が同一であるというが如くに。手口は一緒であった。「雨だれ石をも穿つ」方式と言いたいが、実際には大きな危害も受けている。加害者は「雨だれ石をも穿つ」方式を戦略としていたようである。
 一つ一つの事項はたいしたことがなかろう。だから、浜田隆政君の神経過敏だと思わせるやり方である。その換わりに、しつこく、長く、もの凄い回数の繰り返しで行うという方式である。そうすれば雨だれでも意思を壊す。私の体を壊すである。

 駿台と異なり、�女性問題が登場しないではないか。同一である。駿台でも女性問題は一切存在していない。女性の問題、女性が問題でしかない丁度、我が村のZ小母や近所の何人かの🚺同様である。これらは🚺問題ではない。🚺が誰かに依頼され、何かと引換に工作(待ち伏せ、罠、つきまとい、催眠を事前に知った上での各種工作)をしているのであり、女性職員の女性を除けば、同一である。職員による工作である。

 駿台では、客観的に分析すれば、女性問題などは最初から存在しておらず、重要なことは業務妨害と各種刑事犯罪被害であった(問題のすり替えがなされていた)。各種工作と、(私の意思が全く存在していない、1997年1月の交通事故同様に)催眠利用でのドタバタ騒ぎのみと言いたいが、1986年からは授業妨害、1987年からは各種刑事犯罪被害であった。ポリテクカレッジ岡山も同様であり、各種妨害と、部外者乱入などと労基法を含む各種契約違反の刑事判事被害であった。全く同一である。