前書き

前書き

前書き―表紙と求め続けてについて
2007年前書き
2016年前書き


(一)・1997年前書き

(1)『求め続けて』について

 家庭教師時代も含めると、塾・中学校・高校・予備校・大学の教壇と教え続けてきて、今年(1997年現在)で二十六年になる。それは、荒れ狂う中学での疎外(そがい)され・隔離(かくり)された孤独な〝先生〟から、東大合格者数で日本一を誇る駿台予備学校の教壇での超過激な教師間の競争という洗礼を受けるまで、本教材に記したように苦悶(くもん)と苦闘の連続であった。何もできない教師から、授業というものを問い始め、求め始め、そして求め続けるようになってきた年月である。

 最近、授業とは一つ一つの作品であり、芸術であり、そして自分の創ろうとする作品への想(おも)いであると思うようになってきた。そして作品の作成では、人の出会いと同様に素材との劇的な出会いを待たねばならなかった。この前期テキスト『求め続けて』は、私にとっては凄(すさ)まじい教師生活の中で、その素材との出会いを記したものである。

 それと同時に、その素材との出会いから、更(さら)に年月をかけ教材化したものを振り返り、それを英語化したものである。かつての授業を生み出す全過程はお産に例えられるような産(う)みの苦しみを伴ったものがほとんどであった。また、テキストを本文のような書き方にしたのは、そうした教材化への経緯を述べる中で、私が各章の英文を何故(なぜ)読んでもらいたいかを学生諸君に伝えられるのではないかとも考えたからである。教材の中に自分が存在しておらねばならず、同時に私のできうること、それは、ただ一つ、自分のすべてを投げ打つことしかないからでもある。詳しくは序章を読んでいただきたい。


2)表紙の写真について
 私の二本柱である、英語と並ぶ政治経済の1994年度夏期講習は、すべての単元を一枚の写真か挿絵(さしえ)から始めることにしていた。ただし、それは単なる写真などではない。そのすべてに、私の強い想(おも)いが存在するものでなければならない。そして、政経テキスト第4章・「戦争と平和と人間に想う」の最初の挿絵を何にするかで迷った。

 それは、第4章と更(さら)にそのテキスト全体の表紙のタイトル「Reverence for Life (生命への畏敬(いけい))」を一貫して追究でき、しかもその想いを最も伝えられる写真でなければならなかったからである。そうしたとき、朝日新聞1994年6月24日の声の欄で「原爆の子の像」の話を読んだ。
 そして、これしかないと考え、ただ写真だけを撮るために・あるいは一枚の写真だけを求めるために広島に行った。時間的・金銭的関係から、夜明けとともに家を出て、バスで岡山に行き、普通列車で広島に行くが、原爆の子の像については十分に書けなかった。だが、もう一つの像に出会う。この像は「教師と子どもの碑(ひ)」と名付けられていた。この像を見て何かを感じた。そして帰りのバスの中で、そのとき感じたことをメモした。このメモを下記に載(の)せることで、表紙の写真の解説と本年度の授業全体の指針を示すことにする。

 なお、この短大テキストの表紙作成のために、よりましな「教師と子どもの碑」の写真だけを求め、その後も何度か広島平和公園に行った。だが、再撮影した写真は私の心に全く響かなかった。そこで、1994年7月撮影のものを本年度も使用している。条件が揃(そろ)い次第(しだい)、もう一度表紙の写真を撮りに広島へ行きたいと考えている。


「九四年度夏、原爆の子の像を求め、鈍行で広島・平和公園に行く。
そして、教師と子の像の前で立ち尽くし、次のようなことを思った。

特にすぐれてもおらず、
子供にも好かれているわけでもない教師がいる。
そして、優秀でもなく、
特に教師に好かれてもいない生徒がいる。
それが、原爆の瞬間には自然と
その子供を抱いている教師の姿である。

この像の意図は私の想いとは無関係であろう
だが、ふとそう考えたのである。

どの教師も、(すべての教師が無意識に持つ)
何かへの思いを持って教師にならんとする。
どの生徒も本質的には
何かを学ばんとして学校に来る。
それが、今日(こんにち)のように不協和音をたてるのは何故だろうか。

同様に、幼い子は本能的に善なるものを求め、親も子にそれを求める。
だが、一人の親は原爆をつくり、一人の親はそれを使用し、
一人の親はそれを使用するように指示すらした。
そして、原爆に苦しんだ人達、今も苦しんでいる人達がいる。
 その像が、想いが、ここ広島平和公園にはいくつも存在する。


 (1994年7月19日、浜田記す)

 本年度の授業はこうした不条理なことから始まることになる



(二)・2007年前書き

 私は、長い間、社会科(政経・倫社・現代社会及び歴史)の講師であった。そのときの授業の歩みと私が長い年月をかけて集めた授業の素材と、授業論の一部を英語でまとめたのが、この『求め続けて』である。その作業は1994年から97年初頭にかけて、ポリテックカレッジ・岡山用の英語授業教材として行った。
 2007年に以下二つの目的で微修正を行った。一つは、大学教壇に復帰するための公募用原稿として、二つ目は後継者(英語・社会科教師)への授業の手引きになるように財産として残しておくためである。後者に関しては(B)で再度述べる。

 

(A)・2007年修正点は以下の通りである。
 ①英文和訳例を掲載した。シュバイツァー、マルクス、イェーリングの箇所では参考用にドイツ語原文も一部追加した。ただし、英文を日本文にすることは不可能であり、英文は可能な限り英語で理解していただきたい。悪魔(あくま)で、英文和訳例に関しては参考用に添付(てんぷ)しただけである。
 ②誤字・脱字の微修正をした。
 ③『求め続けて』で私が教壇にたった、主要な4つの学校の簡単な解説を【付録―3】に収録した。第一部・第二部・第三部ごとに記しているため、第一部から第三部の各補章(ほしょう)の続きに該当する。


(B)・中学・高等学校・予備校・大学などの教師を目指す人へ。
 ①この作品・『求め続けて』は、社会科教師が主対象であるが、他の分野の人でも⑥の如(ごと)く、有用である。
 ②社会科教育法として、具体的な生きた技法の手引きである。本文第一部が倫社、第二部が政経、第三部が社会科全体のみならず全教科の土台である。なお、地歴分野は拙著『旅に心を求めて』と『生命への畏敬』で展開し、機会があればいつか出版したいと考えている。
 ③21世紀の教員に相応(ふさわ)しくバイリンガルで授業をできる用にバイリンガル教材の見本とした。
 ④上記のため、英語教師の英文解釈用教材として、大学・予備校・社会人教室・一部高校でも使用できるであろう。
 ⑤「教師の本質は何か」、「授業とは何か」を問い続けているため、全教科の教師の参考となるであろう。
 ⑥この文献は上記用専門書に該当する。しかし、一般の人――特に医学関係者、科学者、官僚、弁護士、ジャーナリスト、政治家……――においても、〝人間〟を根源的に題材とした書物のため有益であると確信している。要するに、全学問の土台、民主主義社会の土台に該当するテーマから成り立っているからである。同時に私の「人間論」に関する著作でもある。

 (C)・2007年版用コメント。
 この書物は各章で展開した人物の自伝・伝記本では全くないし、この本でそれをしてはならないとすら考えている。各人物に興味のある方は自分で研究して頂きたい。『求め続けて』は伝記の集大成ではなく、この書物全体が一つとなり、私の哲学書(授業哲学、人間哲学……)であり、私のオリジナルの書物である。各人物の伝記の解説では全くないことを再度強調しておく。マルクスの書物がヘーゲル、スミスやリカードの解説書ではないのと同様である。幾(いく)ら、彼らを引用しようとも、マルクスの本はマルクスの本である。

 要するに、全体を貫く私自身の授業哲学、作品集でしかない。例えば、ラッセルならばラッセルをテーマにしている訳(わけ)ではなく、生きる上での「老(お)い」をテーマとし、そのテーマの下(もと)でラッセルとの出会いを語り、生きた教材を強調しただけである。
 ヘレンケラーも然(しか)りである。ヘレンの自伝類ではない。人間になるために何が必要かをテーマとしており、彼女が何か国語もマスターしたことなどではなく、彼女の一枚のセーターの話を題材としながら、人間となることの意味を追究しただけである。全体を貫くテーマは一つの流れとして、しっかりと存在しているため、それらはこの書物より読み取っていただきたい。
林竹二とて、「田中正造」、「オオカミ少女」などの授業を展開したが、彼が「田中正造」や「オオカミ少女」研究の権威(けんい)ではない。授業の伝道者でしかない。そして、この『求め続けて』は授業論、授業哲学、授業のサンプル集である。

 さらに、塾であろうと大学であろうと、とにかく教師を志している人に訴える。専門は重要であるが、重箱(じゅうばこ)の隅(すみ)つつき型授業や講義をしてはならない。教壇で重要なのは、教師、「あなた」そのものであり、教壇で「あなた」を売り、生徒も実は「あなた」に関心がある、ということである。「あなた」、「私」を媒介として、生き物として講義、授業はなされなければならない。多少の誤りよりも、「人間」に関する疑問と情熱が重要である。その逆は官僚の答弁の如(ごと)しでしかない。

 なお、各章の引用箇所はノートの如く状態で留(とど)めている。ちょうど、マルクスなどのノートに該当する。当然、これらを「私」というものを通じて、私自身で加工し、多くの主張をなし、オリジナルの哲学書・社会科学書の原稿を記すことはできた。だが、それは二重の意味でしていない。
 一つは、今回それをするとこの文献は今回の数倍の分量となるので、それを避けるためである。
 第二に、この本を購入したあなたが、あなたの感性で、あなた自身のオリジナルとして加工できるようにするためである。要するに、今回各章――特に(三)の「My Favorite Words」(私のお気に入りの言葉)箇所――を基(もと)に、私自身が私の言葉で主張すれば、分量は今回の数倍となるのみか、購入した教師にとっても、その人自身の授業活用とか授業論を展開することが実は難しくなるからである。それをすれば、一見、手取り・足取り型となり、楽に見えるであろうが、私の主張に引っ張られ、あなた自身の存在が薄れる。スミスの〝神の見えざる手〟のごとき、社会科学も授業も全て社会的分業であり、今回の私のパートは後継者育成である。

 最後に、「教職と無関係の人がこの『求め続けて』を読むのは意味がないのか」と問われれば、「授業というものが本来の姿であるならば、生きる上で不可欠なものである以上意味はある」と回答する。
 親が「私の子供は勉強しない」とか、「勉強が楽しくなることを願っている」とよく言う。では、私はあなた方に次のように問う。「親のあなた方が読んだり、授業を受けて楽しくも面白くないものを、どうして子供だけに楽しいとか面白いと感じよ、と言うのか」、と。その逆も然(しか)りである。「授業とは、子供ではなく、親のあなた方自身が受けたり・読んだり・学んだりして惹(ひ)きつけられるものでなければならない」、と。そして、この『求め続けて』は、それを主張して作製した

 ただし、『求め続けて』は大学生用授業教材として作製したため、原則として青年以上ならば味わえるが、小学生などには少し無理かもしれないし、無理でないかもしれない。
 また、授業の教材として作製したため、この『求め続けて』の本と授業中の私の講義とを合わせて一つとなるように計画していた。すべて、この本に盛り込むと私の講義の部分がなくなるからである。だから、単独でこの『求め続けて』を出版する機会には、講義部分も盛り込むべきかどうかで迷った。ただし、今回は上記の理由(分量問題と後継者育成という理由)で、講義部分を盛り込むのは中止とした。

 なお、『求め続けて』は1997年前期教材用として作製し、97年後期教材用に『旅に心を求めて』と『Dorothyと十人の出会い』を作製した。後期教材用の方は歴史の授業と英会話授業を混合し、かつ小学校から大人まで楽しめる形で作製した。同時に深い思考もできるように行った。また種々の芸術(私自身が撮影した写真、絵画、イラスト……私作製のビデオ教材)の補助教材も作製し、立体的なものとしている。こちらの方が一般の人には近づきやすいであろう。ただし、『旅に心を求めて―教材編』に未完成部分が少しあるため、更(さら)に作製費用問題もあり、世に出したり、大学公募用に再編集したりするのは、暫(しばら)く後(あと)になりそうである。

 2007年10月5日記述

(三)・2016年前書き


  •  今回、電子書籍を作成するため、清書二歩前の原稿を順次掲載することにした。なお、表紙の写真は1995年撮影のものから、2013年と2015年撮影のものに置き換えている。
     2016年前書きの後の部分は割愛する。

     2016年1月10日
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