序章

『求め続けて・第一部』―第二回連載「序章」

序章

(一)・各作品のテーマとの出会い(概略)

 1994年度教材は、タイトルを『人間であるために』と題して、第一部から第三部までの統一テーマごとに章を構成し、統一テーマを追究するという形態としていた。しかし、1995年度からは、各章の個別テーマと〝どのような状況の中で・どのような思いで・どのようにして出会ったのか〟に力点をおき教材を作成している。そこで、教材のタイトルも『求め続けて』に変更した。同時に全体の構成も、私が教えてきた教壇の順に編成し直した。
 教師として授業を求めていたときの苦悩などは、第一部~三部の最初の箇所・主として各章の(1)の出会いの箇所及び補章(ほしょう)に詳しく述べているので、それらを読んでいただきたい。だが、序章でも第一~三部の統一テーマを簡単に説明する。


第一部:HUMAN BEING(人間)
 ――授業「人間への道」(大学時代の家庭教師~女子校の教壇迄)

 第一部は、教えることの意味も知らず、悔いも残したこともある大学時代の家庭教師生活から、荒れ狂う中学校での学習指導助手という名の、中途半端な飼い殺し的〝先生〟生活を経(へ)てすべてに行き詰まり、大学院浪人をしたときに出会ったRUSSELL(ラッセル)から始まる。仕事を辞め、四方(しほう)を病人に囲まれ、大学院への合格の見通しもたたぬためノイローゼ状態の中で1章に書いたRUSSELLと出会う。RUSSELLとの出会いのみが授業を求めての中での出会いとは異なるが、前年の中途半端な教師生活とその後の教師生活を述べる上で欠(か)かせないため、また第一部のテーマにも必要なため収録した。

 その後、大学院に進むが、生活の糧(かて)を得るための塾講師等としての授業と、大学院での研究生活の狭間(はざま)での葛藤(かっとう)が長期に亘(わた)り続く。教えるということが、ここでも全くわからず、求める意味すら知らず、教えるということに対しては闇(やみ)の中の時期であった。ここまでが闇の時期である。

 求めるということの意味を知ったのは、1981年に岡山に戻り、女子高校の教壇に立ってからである。その学校は受験という視点からはかなり評価が低かった。勿論、それ自体は問題ではない。問題は、クラスによれば、かなり元気がよく、あるいは元気がよすぎ、授業が思うようにいかない状態が続いたことにある。しかし、私は暴力で生徒を抑えるタイプではないので、授業で生徒をつかみたいと考えた。そこで、何を教えたらよいのかを考え続けた。

 授業は「面白い授業」から「わかる授業」へ、そして「わかりたい授業」へと変わっていった。この間の経過は2章マザーテレサ参照していただきたい。では、わかりたい授業とは何なのか。ありとあらゆる本を読み考え続けた。そのときに一つのヒントになったのが、4章の林竹二の『人間』という授業であった。特に狼(おおかみ)に育てられた子が人間社会に復帰するに当たってどのような努力をしたのか、ということに興味を持った。結論は、人間はそのままでは人間になれず、人間となる学習をし、同時にその学習をし続けなければならない。何故(なぜ)なら、いつ人間から転落するかわからないからである。 
 こうして、授業においての光の存在を知り、光を・授業を求める生活が始まる。そして、この時期に求め続けた課題の内容が、この第一部である。授業において「人間への道」を目指すようになったのである

 第一部の内容を要約すれば次のようになる。
 ①人間が人間であるための(内的)条件として、人間は人間の文化(文字・言葉・その他)を学習しなければならない。(4章参照。また、第三部11章のヘレンケラーも参照のこと)。
 ②人間は自らのテーマを持ち続けること(自分を選ぶこと)により、いかなる状況の下でも人間となり得るということ。(3章の「ジョニーは戦場へ行った」と1章のRUSSELLの「いかに老いる」かがこれに該当する)。
 ③そして、もう一つの必要条件として――特に最近思うのであるが――人間愛の問題である。(2章のマザーテレサ参照)。主として、女子校講師時代にこれらのテーマに出会ったのであるが、教材化にはその後しばらくの期間を必要とした。

 

◎この間の作品との出会いとテーマ
【年代順でのテーマとの出会い】
1971年~75年・大学時代(関学)
1975年~76年・教育委員会時代
1976年~77年・大学院浪人時代(実家での自宅浪人)→ラッセル(1章)
1977年~81年・東京時代(主として早大大学院時代)
1981年~82年・女子高校教師時代→テレサ(2章)、ジョニー(3章)、林竹二(4章)

【出会いとテーマ】
①人間の文化を修得→4章林竹二「人間」(関連→第三部11章ヘレン)
②自分を選ぶこと→1章ラッセル、3章ジョニー
③人間愛→2章テレサ


第二部:STRUGGLE FOR HUMAN RIGHTS(権利のための闘争)
 ――人間が生きる条件を求めて、我が闘争(駿台での教壇)

 その後、女子高校の講師を辞めた後、駿台(すんだい)予備学校に舞台を移し政経を教えることになった。ここも、かなり厳しい舞台であった。一定の自信があって臨(のぞ)み、来る日も来る日も教材づくりに打ち込んだ。この予備校では、東大に約1500人合格しているように、生徒は当然勉強する気はあるものの、聴(き)きたければ来るし、聞きたくなければ出てこないか、別の講師の授業を聴きに行くというシビアなものであった。だから、多くの優秀な講師が好待遇の下(もと)で死にもの狂いで教材研究に取り組んでいた。しかし、生徒達が――潜在的若(も)しくは顕在的に――求めていたものは、単なる受験勉強ではなかった。

 いろいろ試行錯誤(さくご)を重ね、半年後に出た結論は、「社会の中で人間が人間として生きてゆくことのできる条件」、これを追求していくことであった。先の第一部が人間として生きる内的条件とすれば、第二部の課題は人間が人間として生きていくための外的条件である。人間が人間として生きるための条件を外部から、戦争や差別などで奪われては人間として生きていくことはできない。これが第二部の課題・「THE STRUGGLE FOR HUMAN RIGHTS」(権利のための闘争)である

 とりわけ、人権(あるいは人権論)とは知識の羅列(られつ)でなく、人間が人間として生きるための条件を思考し続けることであるとわかったのは、5章で述べるイェーリングのおかげである。

 そして、具体的な生きるための外的条件を巡る人間模様を7章のEUGENE SMITH(ユージン・スミス)の「MINAMATA」(水俣)で、また貧困のど真ん中で人々の解放を追求したMARX(マルクス)を6章で取り上げた。これらの教材との具体的な出会い、そのときの私の苦悩等を該当の章の中で紹介している。なお、7章のSMITHの「MINAMATA」は後期会話教材『旅に心を求めて』の中でも違う角度より取り上げている。

 駿台の教壇で初めて、プロの授業というものを知り、明確に授業を求め続けることになる。ここでの教壇・舞台がなければ本当の授業というものが分からずに終わったかもしれない。私にとっての第二の誕生であった。だから、先に述べたように、また第二部で述べるように、やはり激しい陣痛(じんつう)を伴っていた。尤(もっと)も、駿台では心・技・体が備わって授業ができたのは1984年度前半の半年のみで、後はトラブルから、とても授業できる状態ではなくなってしまった。故(ゆえ)に、駿台の後半時代に出会ったテーマの教材化は、この短大において行うことになった。後期教材・『旅に心を求めて』の日野富子、鑑真(がんじん)、天武天皇等である。


 ◎この間の作品との出会いとテーマ
【年代順でのテーマとの出会い】
1982年~86年・駿台前半→イェーリング(5章)・マルクス(6章)・MINAMATA(7章)
1986年~88年・駿台後半→鑑真、日野富子、弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)、天武天皇
(後半時代の出会いは、短大後期教材「旅に心を求めて」で教材・作品化)

【出会いとテーマ】
①HUMAN RIGHTS(人権)とは何か→5章・イェーリング
②HUMAN RIGHTS(人権)を求めて→6章・マルクス
③HUMAN RIGHTS(人権)、その後→7章・MINAMATA(W. E. スミス)

第三部HEART(心)
  ――授業に心を求めて(短大講師時代)

 第三部はこの短大で取り組んだ1994年度までの集大成である。短大では英語の授業ということで、今まで自分が得たものを捨(す)て去りスタートした。しかし、短大に来た当初は8章で述べるシュバイツァー、11章のヘレンケラーをテキストにし、後に駿台を辞めて短大一本にしてからは、9章のキング等の自伝・伝記をテキストとしたように、無意識の内に、やはり「人間」というテーマを持ち続けていた。しかし、短大では強烈なインパクトがなく、今回の『求め続けて』三部の文章も二部などに比べれば迫力のないものとなってしまった。後に述べるように〝場(ば)〟がなかったため、こうならざるを得なかったのである。

 しかし、1994年度より〝気(き)〟を取り戻し、後期教材に述べるように「心」という授業の導きの糸に出会う。それは主として後期教材『旅に心を求めて』の中で展開するが、この教材・『求め続けて・第三部』でも、そのいきさつについて簡単に述べることにする。なお、最近「心」と同時に「美しき世界」という視点からも教材集めを開始し始めているが、その切(き)っ掛(か)けとなったのが10章のチャップリンである。さらに、チャップリンは、この短大で最初に編集した視聴覚教材としても印象に残っている。


 ◎この間の作品との出会いとテーマ
【年代順でのテーマとの出会い】
1982年~88年・駿台・短大→シュバイツァー(8章)
1988年~97年・短大時代→チャップリン(9章)、キング(10章)、ヘレン(11章)

【出会いとテーマ】
①美しきもの→8章・シュバイツァー、10章・チャップリン
②人間の尊厳→9章・キング
③心への道→11章・ヘレンケラー

(二)・各章の構成:{補章を除く}

各章の構成は次の(1)~(4)の項目よりなる。

  • (1)(My) first meeting persons impressed me (in a book or something).  
      →[私に印象を与えた人物との最初の出会い]
  • (2)Important dates.
     →[テーマとした人物に関する情報]
  • (3)My favorite words and sentence. 
     →[心に残った言葉と文章]
  • (4)A supplementary explanation. (or) Further information.
      →[補足説明・関連情報]

 (1)どのように私が授業を求めてきたか。また授業を求める中で、私が各章の人物及び作品とどのようにして出合ったのか。そしてどのようにして、どのような思いでそれらを教材にしてきたか。それらのいきさつを書いたのがこの(1)である。より理解してもらうため、場合によってはどのようにして教材を入手したかについても触れた章もある。→日本語で記述

 (2)各章の人物及びテーマを理解してもらうための基礎知識に関する項目である。→できる限り易しい英文で記述することを予定している。だが、必ずしもそうなっていない場合や一部日本語の箇所もある。外国語については、2007年にほぼすべてに翻訳例を掲載している。

  (3)各章の人物・作品の中で、私を一番引き付けた言葉や文章の最小限の箇所である。その文章及び意味の味わいを壊(こわ)さないため、難易(なんい)にこだわらず一番私が引きつけられた味わい深い文章を載(の)せた。本質を壊さないことが第一と考えたからである。→難易にこだわらず私を引きつけた箇所の英文。(授業の中心箇所・すべて翻訳例をつけている。)

 (4)補足説明に関する部分であり、内容の形態は統一していない。→英文(すべて翻訳例をつけている)、日本語の文章、ケース・バイ・ケースである。


■授業で使用するのは主として(3)で、1回の授業で(3)の中の2~3題を予定している。また、場合によっては(2)も使用することもある。(1)と(4)は授業で使用しない予定なので、家で読めるように、主として日本語の文章で書いている。
 {2016年追記。電子書籍では、各章ごとに、(1)を第一節、(2)を第二節、(3)を第三節、(4)を第四節としている。}


(5)表記について。
 数字の表記は以下を原則としている。
 ①年月日は、年号は西暦とし、縦書きは一九八〇年、横書きは1980年を基本としている。
 ②商品価格などの値は、わかりやすさを基本とし、①型で記述する場合と、簡潔にするため「百」や「億」などを使用した場合もある。
 ③漢字で数字を記した方が良い場合には漢字を使用している。例→五十肩等。
 ④引用箇所は元の引用先原稿のままで記している。
 ⑤難解な漢字も敢(あ)えて平仮名にせずに、可能な限りルビをつけて使用している。{例・うつ病→鬱(うつ)病。水また病→水俣(みなまた)病。範ちゅう→範疇(はんちゅう)などなど。}
 ⑥誤字・脱字類の訂正は行ったが、文書自体の美文化作業などは今回はしていない。理由は、世に問わねばならない作品が膨大にあるため、内容が十分理解されると思われる段階で、次の作品作成に没頭するためである。



 



日時 内容 場所
*月*日 ○○○○○○○○○ ○○○○○公園
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