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資料-4:97年11月暴力学生事件→学生配付プリント
《2004年5月9日追記→この資料4は、同上事件後の1997年の終わりに私の受け持ちの生徒に配付したものである。資料のため、誤字・脱字のたぐいは今回は修正していない。
ただし、2016年には行などの空間と、一部誤字脱字を 誤り 〈訂正 〉などで修正。》
岡山短大と在校生・卒業生の名誉を守るために
-1997年11月14日、無理難題の押しつけ及び暴力的行為に及んだ学生に関連して、
岡山短大及び大学生に値する行為・言動・礼儀への学生への呼びかけ
1997年11月14日(金曜日)に、私に対して、以下の如く無理難題の押しつけかつ失礼極まる言葉及び暴力的行為に及んだ学生に関連して、岡山短大の名誉を守るために以下のことを呼びかける。まず概況より記す。
《◇-1:概況》
11月14日(金曜日)に大学祭準備のために、視聴覚教室に机などを借りに来た学生がいた。当日、私もできる限り大学祭を応援するため、どうしても大学祭準備のために準備しなければならない学生などには必要あれば(無償で)補講を組むなどして学習権を保証することを約束し応援するしていた。
そして早めに切り上げた授業の後で、二年生以上の学生が何人か机を借りに来た。一番目のグループは、常識的なマナーで入室してきて、私も事情を聞いて視聴覚教室の予備の机を出すのを許可した。さらには、どのグループか忘れたが、彼らが机を出すのを私自身手助けし、私も机を出すのを手伝いもした。ところが、最後に来たグループのある一人の人物Sは以下のような無理難題を、しかも無礼極まる言い方でしてきた。
彼らが椅子をもって行くというので、
私が「椅子をどの位もって行くの」。
学生S「もって行けるだけもって行くんじゃ」。
私「月曜の昼1時から授業があるので、それまでにはもって帰れる?」
学生S「わからん。持っていけるだけもって行くんじゃ」。
このようなことをされると〈、〉私自身月曜の授業に支障をきたす訳である。しかも、20歳前後の学生が、44歳の同じ学校の教師に自分の方から物を頼むのに〈、〉上のような言動が許されるであろうか。とりわけ月曜の学生への授業支障をきたすことが大きい。
そこで、それは困るということと、その学生にそうした失礼な言葉が半暴力的意味{《◇-4》参照}をもつことを教えるために、きつい口調で「それは困る。学生分の椅子を残して持って行け。それに誰に物を言っているのか。私は44歳で君らの父親位の年であろう。言葉遣いに気をつけろ」。
頭に来ていたため言葉遣いは激しいがこの学生の問題点は明確に本人にその場で指摘した。その意味が分からないということは本来ありえない。また、こうした状況下で頭に来ない教師はいないし、もしそうした教師がいたらそれは《◇-4》に記した如く教師の責任放棄かもしくはその学校が事実上機能しなくなり、学校でなくなるということである。
それから、学生が「うるせぇ。……」
その後若干の口論の後で、この学生の方が私に強くないとはいえ〈、〉体当たりという暴力に及ぶ。幸い、私の方に理性が働き、私の方は暴力をふるわずに済んだものの、こうした暴力学生を放置することはできないため、事務室に行くように求めた。
すると学生の方は「うるせぇ。何でいかにゃいけんのじゃ……」である。この学生Sの言い分など成り立つ訳がないが、この学生Sに少しでも共感をもつ学生は以下の《◇-2》を読んでもらいたい。
《◇-2:学生のあるべき対応》
上記の出発点には、問題が二点ある。
一つは、
①無理難題を言わぬこと、
②20歳の学生が父親の年代の教師に物を頼む時には、それにふさわしい言葉遣いをすること。上記の言葉などは準暴力に値する言葉でもある。当然、常識ある学生なら、私が「月曜の昼までに椅子を返してくれるか」と尋ねた時に、「わからん。持っていけるだけ持って行くんじゃ」等でなく〈、〉次のように言うのが世間一般の常識である。
「必ず責任を持って返しに来ますので〈、〉持っていけるだけ持っていかせて下さい」。
あるいは、「私には分かりませんので、責任者に聞いてきます」。
もしくは「授業までに返せるかどうか分かりませんので、先生の困らない分だけ持って行かせてもらいます」。
せいぜい、「すみません。分かりませんが、持っていけるだけ持っていくよう指示されています。先生〈に〉迷惑〈をお〉かけることになるかも知れませんが、助けて下さい。お願いします!」であろう。
最後は、普通の教師なら許可しないが、私初め〈を始め〉幾分大学際〈祭〉に協力型の教師なら、怒らずにどうしようかと、工夫することを考えたかもしれない(椅子なしで授業することができるかなどを!ただ実際には無理であろうが)。
尚、これらは書くまでもなく、常識であろう。
例えば、私が事務室に行って、視聴覚教室で使うから事務室の椅子を持っていくとい〈言〉う。
事務室の方が、「いつ返してくれますか」。
私「わからん」。
事務員「月曜の事務の仕事に支障が来るので、いくつもっていくか教えて下さい」。
「わからん。持っていけるだけ持って行くんじゃ」。
そして、この事務の方が私(44歳)よりはるかに年輩の60歳位の方であったら〈、〉当然これで怒らないということがあるであろうか。まして、これが学生であったなら〈ば〉。
そして、事務の方が「言葉遣いに注意して。私はあたな〈た〉のお父さん位の年です」。とい〈言った〉たら、私が「うるせぇ」と言って事務の人に体当たりしても、これは問題にならないのであろうか。まして、これが、教師でなく、18歳か20歳の学生であった〈な〉ら。このようなこと〈は〉本来解説するに及ばない〈、〉社会常識である。
《◇-3:暴力行為への問題》
この短大創設以来勤務して、初めて、学生に軽いとは言え〈、〉体当たり的な形で身体に触れられる。これについて学生に警告しておく。
同時にそれは短大とは無関係なれど、中高の一部にも該当する。基本的に学生が暴力を振るえば、これは学則に準じて処分されるべきであり、一定の限界を超えている場合には、警察及び裁判にて処分されるべきである。ただ、問題は次の点に注意してもらいたいことである。
これは、喧嘩をした経験のあるものなら分かると思うが、喧嘩というものは双方の頭を真っ白くし、死にものぐるいで戦うものであり、空白の状態にあり〈、〉極めて危険なものであるということである。近くに凶器があれば、無意識にそうしたものに手を出すことさえあるということである。レスリングや柔道の試合等のように、次にどの手を打とう等と計算のできるものではないということである。双方、頭に血が登っている状態が喧嘩である。
私自身、小中学生の時に殴りあいの喧嘩をした経験は有り余る程あるが、その時自分が何をしたか皆目覚えていない。どのように相手を殴ったかなど一切覚えていない。こうした危険な状態にあるということである。同様に経験した柔道・剣道の試合では、多少緊張してもしてはいけないことは決してしないし、また大半の時間は計算に基づき格闘をしている訳である。
ここで注意してもらいたいことは、学生も教師も人間であり、一方が暴力を振るえば〈、〉時には、他方も理性が働かなくなることは極めて多く、あるいは無意識に条件反射で対応し、そしてエスカレートして先の喧嘩んの状態になるということである。教師とて人間であり、暴力を振るわれれば、プライドというより、無意識に自分を守るために、あるいは時には動物的習性から不可抗力で理性を失ってしまう危険があるということである。さらに条件反射ですら対応してしまうことさえある。
よって、安易に〈、〉軽くても先の学生の如く暴力的行為に訴えるべきでなく、同時にそれは極めて双方にとって危険であるということである。一部の格闘技のプロや柔道や空手の高段者は慣れとゆとりのため計算で対応できても、それ以外の人間にとっては暴力は極めて危険な性質のものであるということである。
私自身、高校の時に柔道をかじったとは言え、攻撃技はほとんど修得する前の本格的な体力作りの段階で止めており、また現在体を本格的授業に備えて鍛えている(1日腕立て250回等)とはいえ、人を攻撃する訓練は一切しておらず、学生に暴力を振るわれ、万一私の意に反し〈、〉理性を失うような事態に陥れば、危険を感じれば身をまもるため必死にならざるを得ず、計算をして喧嘩などできる状態にはない。
暴力は先に述べた如く〈、〉頭の空白状態のため、教師であるから理性を持て言っても、こうした喧嘩のプロでない以上、瞬間的に理性を失い〈、〉先の状態になることは大いにありえ〈る。〉、双方にとって極めて危険な状態となることを再度認識してもらいたい。これは、中高の一部の暴力教師にも言えることである。暴力というものを余り軽くみてはいけないということである。
{追記:勿論、小中学〈校を〉始め〈、〉私の方から〈先に〉手を出した覚えはない}
《◇-4:岡山短大の名誉のために》
先の《◇-2》に記した、無理難題の言動で、しかも、失礼な表現の言動{「月曜の授業に椅子がなかったら困る」という私の言葉に対しての「わからん。できるで〈だ〉け持って行くんじゃ」}を放置したらどうなるであろうか。
それは、私は学校が実際に機能しなくなり、学校にとっての自殺行為であると考える。即ち、20歳位の学生が相当年輩の教師に物を頼む時に、あのような言動を黙認するならば、学校の秩序は消え失せ、また教師の学習指導上の力もなくなり、学生は好き勝手なことを言うと同時に振る舞い始め、教師は学生のご機嫌伺いの存在となるであろう。
即ち、ああした言動にきつい注意及びきつい言動で臨むということは、あの学生に対する叱責のみならず、教壇を守る、もっと広い意味では学校を守るということである。ああした言動を放置する学校の行き着く果ては、世間一般の白い眼〈目〉のみである。
「ああ、A校、じゃこの学生はろくでもない学生だわ」ということになるであろう。
現在、実際にこうした形で学校が乱れたため、世間一般で白い眼〈目〉で見られている学校は日本に千校はくだらないであろう。よって、こうした無理難題かつ失礼な表現に関する言動に対する厳しい注意は、岡山短大のかって〈嘗(かつ)て〉の卒業生及び現在の多くの学生の名誉、強いては岡山短大の名誉を守るため、避けて通れない道であると考える。
そして、今後、岡山短大においては、学生は年長者に対しては、学内では教師、事務の職員、守衛の小父さん、掃除の小母さんなどに対しても礼儀をもち振る舞うことを切に望む。また、学外においても、同様に年長者に対しては礼儀を持って臨むことを切に望む。
年長者に対する失礼な言葉は、時には暴力ともなることを頭にたたき込んでもらいたい。
例えば、私が60歳の事務の方が非常勤講師室の窓を閉め忘れた時に、その事務の方に「2階の窓くらいきっち〈っ〉としめとけ。何をしとんなぁ。」等といえば、これは言葉の暴力である。
同様に、学生諸君が下級生に命じるような言動で、年上の教師に物を頼む〈こと〉は一種の暴力に近い行為である。そして、これを放置すれば、先に述べた如く〈、〉学校全体は機能しなくなり、世間の白い眼〈目〉が学校に向けられ、卒業生及び学校の威信は地に落ちるであろう。これは小さなことではないということである。
尚、現在の私の担当している学年では、英会話で失礼にならない表現、丁寧な表現をテーマに学習しているため、こうした言動は授業の一貫として減点とする。また、これ以外の学生も原則として失礼な表現に対しては私自身全て何か頼まれても応じないし、ひどい場合には学則にも違反すると思われる。これらは小さなことでなくて大きなことである。
そして、短大創設時より今日まで、こうした失礼な言葉遣いをする学生は存在していなかったのであるが、本年度何故か目に余り過ぎるとことも事実である。(但し、このS君の問題は言葉遣い以上に無理難題を言ったことにもある}
《◇-5:先のS君についての疑問》
S君は年次は伏せるも1995年度以前の学生である。
彼のいた学年はかなり授業態度の乱れ〈が〉見られるも、しかし面とむかって教師に無理難題を失礼な言動でいってくる学生は皆無であったはずである。
しかも、このS君は調べてみると私の教え子であった。この年には、S君以外の学生も含め、一人一人の教材を〈、〉膨大な枚数〈を、〉私が自分で朝5時頃〈に〉家を出て、早朝7時頃短大に着き、7時より教材を印刷し、また昼食抜きで印刷するなどし、全員に無料で教材を配布〈付〉した年でもある。
{そしてこの教材も短大の学生と職員の要望から作り始めたものである}。さらに休んだ学生には、閉じる作業を1人分約40分かけて私がし、直に手渡していた年でもあり、彼もそれをみていたはずである。英語での自己紹介の時には手とり足と〈りと、〉援助も全員にした。こうした状況の中でのこうした行為は信じがたいものがある。
尚、私自身創設時よりこの短大におり、知り合いの講師は10人以上おり、こうした仲の良い講師と〈、〉今後〈は〉こうした問題で〈が起こった場合には〉具体的〈に〉学生名をだし〈、〉を具体的に話あい〈、〉短大の名誉のため毅然たる対応等で臨むつもりである。
短大の卒業生と在校生の名誉のために。
【2016年9月1日追記】
このS学生(本文ではSY学生)が、偽学生どころか、どこかの教員か教員志望学生の疑惑があることは、本文第3章四節に記載した通りである。当初は偽学生を疑っていた。しかし、辞職後の諸情報から、無契約で教育実験という強制労働に、無理矢理かりだされ、実験材料として教員か教員志望者がS(SY)になりすましたと分析している。