6-3・『日本のフィクサーME・下』見本

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第4章・犯人X
 
  一・奇怪な人生

 二〇一一年三月七日、我が家を寒さの中、午前十時二十五分に立つ。この頃は寒波が戻ってきており、まさに三寒(さんかん)四温(しおん)の日々であった。本日、大阪の徒然草(つれづれぐさ)で、布袋(ほてい)さん、明神(みょうじん)君、ハカセと午後三時に会う約束をしていた。近くのバス停からJRに接続しているバスは十時三八分の一本しかない。後は全て、一時間以上、時には三時間以上、駅で汽車を待たなければならない。
……

二・李登輝(りとうき)総統と言語学習の精神
 ……
 「では、次に政治経済に影響を与えた時期の検討に入ろうか」
 「切(き)っ掛(か)けは二〇〇〇年四月三日に小渕総理大臣に手紙を出したときからだ。あからさまに、政治経済に影響を与えだしたのは二〇〇四年に小泉首相に書留(かきとめ)で手紙を出した頃からだ。但(ただ)し、テレビ自体を通じて双方向けでやりとりをしていると感じ始めたのは一九九五年頃からだ。ただその頃は政治経済に影響を与えていなかったと思う。でも李登輝(りとうき)氏の戦後初来日時には多少影響があったかもしれないけど、不確かだ」 
 ……
「じゃあサー、政治家とのコンタクトは二〇〇〇年四月からかもしれないけど、ボンちゃんがそれに気づいて映画・TVでの双方向けで対話が可能となったのは二〇〇四年だ。要するに、ボンちゃんがサー、拒否を一定緩和した二〇〇四年以降から本格化したってことになる。ところでサー、李登輝氏のことって何なの」
 そこで、私は李登輝の件の解説をする羽目となった。この件について解説するには、少し回りくどくなるが、大学での授業の話からしなければならない。
 中倉大学で授業をしていたときに、英語コンプレックスを抱いていた学生が結構いた。あるとき零(れい)点を取った学生がふてくされた顔をしていたことがあった。そこで、私はその場で学生に言った。
 「英語の試験で零点を取ったからといって、君らの人格や能力が評価されることはない。人格の評価とは全く無関係な問題だ。世の中には学ばなければならないことは山ほどある。数学、理科(物理・化学・地学・生物)、社会(政経・倫社・日本史・世界史・地理)、語学、芸術、健康、……それに自分が職業とする分野の勉強……と。更(さら)にはマザーテレサの言うが如(ごと)く、この世に如何(いか)なる苦しみがあるかを学ぶことも重要な勉強だ。
 米作りの勉学と英語の勉学において上下はない。野球の勉強も車の構造の勉強も同様である。ただ、どのくらい熱心に対象に向かい勉強するかであり、消費者等に真摯(しんし)であるかということであり、その熱意と注(つ)ぎ込む時間によってのみ優劣は決まる。
 第一、お前らが、タイでタイ語やフィリピンでタガログ語で会話をしていて、ミスをしたり間違ったりしても笑っているのだろ。ならば英語でも同じだ。英語でミスしたら劣等生、タガログ語やタイ語やその他の言語でミスしても和気(わき)藹々(あいあい)の笑い、これは何だ。だから、英語で零点を取っても堂々としておけ!第一、堂々としていれば、他人はこの人は英語で良い点を取ったと誤解するだけだ。
 但(ただ)し、英語を担当している以上、私は採点基準と要件を満たしたかどうかのみで点数はつける。しかし、君らが零点を取っても単に試験要件を満たしていないというだけであり、君らの人格や性格の判断は一切していない。それとこれとは別である。だから試験は試験、人格は人格、依(よ)って零点をとっても堂々としておけ」、と学生に説教をした。
 ただ、不味(まず)いことをしてしまった。感情的になったので、つい零点を取った学生の方を向いて訓示(くんじ)した。だから、全員にその学生が零点を取ったのがバレる結果となった。もっとも、零点を取った学生は、私が言ってから笑顔でクスクス笑っていた。こうした愚(おろ)かなミスをしたために、この際に英語学習の神髄を叩(たた)き込んでおこうと思い、『言語帝国主義と真の語学学習の精神』という学習の手引をプリント配付することにした。当時のプリントの一部を今回分(わ)かり易(やす)いように微修正した上で抜粋する。
……
 「もう、いいよ。もう十分(じゅうぶん)分かった。それから後のことは前回聞いた。小泉氏、盧武鉉(のむひょん)氏、温家宝氏……と繋(つな)がるんだろ。
 要するに、ボンの奇怪な人生は、駿合塾予備校時代の女性の件から始まった可能性が高い。もし番狂わせがあれば大学時代のお嬢との出会いにある。次に、TVなどがボンを見ているのを意識したのは中倉大学講師時代、特に一九九五年以降となる。そして政治・経済関係者との対話はどうも二〇〇〇年小渕総理に手紙を出してから徐々にとなるが、本格的に影響力を持ち始めたのは、二〇〇四年小泉総理に手紙を出したときからとなる。まとめればこうなるね。……」
……

第5章・徒然(つれづれ)なるままに――我がニュースキャスター達


一・傘尽(づ)くし
……
 この日は十五時に、居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)で例の三人組と待ち合わせをしていた。……

 居酒屋・徒然草は入口から例の暗闇を通り地下に降りた所にある。途中でママさんがにやにやと笑っていた。何の笑いかは最初は分からなかった。地下の竹林(ちくりん)を潜(くぐ)ると、フロアがあり、このフロアの横に小さな個室がある。この個室の中で例の三人組が待っていた。
 布袋(ほてい)さんがニタニタ笑って出迎えてきた。そして、「ボン、元気だった。兎(と)も角(かく)、何か飲物を頼みなさいよ」と、何故か笑いながら言った。
 そこで、私はメニューを見た。それを見て明神(じん)君も、ハカセも笑った。メニューを見るといつもと違っていた。飲物のメニューに記載があったのは、「もうかりまっかのハイボール」、「ボチボチデンナのハイボール」、「さっぱりですわのハイボール」とある。カクテルのメニューとくれば、「田舎(いなか)っぺの求婚」、「お嬢とボンの禁断の愛」、「お嬢の高笑いとボンの涙」、「媼(おうな)と翁(おきな)の真心(まごころ)」、「婆(ばばあ)の願い」等々であった。いつものメニューは姿を消していた。私が苦(にが)笑(わら)いをしていると、ママさんが注文を取りに来た。
 「先生、今日のメニューはお気に召(め)された。兎(と)に角(かく)、先生何か飲まれ。何にされる」
 「じゃあ、もかりまっかのハイボール頂戴」と、私は答えた。布袋さんは〝お嬢と盆の禁断の愛〟を、明神君は〝お嬢の高笑いとボンの涙〟を、ハカセは〝田舎っぺの求婚〟を頼んだ。ママさんが竹と竹の間の暖簾(のれん)を潜(くぐ)って出ていくと、明神君が私に尋ねてきた。
 「ボンちゃんサー、〝ぼちぼちでんな〟ってどういう意味」
 「英語に直せば分かるでしょ」
 「〝もうかりまっか〟はmaking any money(儲かる)で、〝ぼちぼちでんな〟はwalk slowly(ゆっくり歩く)ってとこかな」
 「明神君は英語が全然できないね。いいかい、〝もうかりまっか〟は『How are you doing?』、〝ぼちぼちでんな〟は『Very well, thank you』だ。〝さっぱりでんな〟は『Not well』だ。中学校のときに英語の授業で習わなかったの。要するに、英語を日本語に直したり、日本語を英語に直したりするなんてできないんだ。
 お歳暮を貰ったら『すみません』っていう人がいるよね。それを英語に直すと『I'm terribly sorry』となる。外国人だったらびっくりするよ。これは英作をすれば『Thank you very much』だ。でもすみませんには『I'm sorry』という意味もある。
 英語だってそうだ。『I love you』はI love youで日本語にはできないんだ。『私はあなたを愛している』という意味もあるけど、挨拶(あいさつ)に近い形で親子や兄弟などで使うこともあるからね。同時通訳のプロが、相当英語に自信があり大統領の演説をスラスラ日本語になおしていたときにつまったことがあったんだって。それが〝I love you〟なんだ。大統領が演説の最後の方で自分の奥さんに対して『I love ○○』って言ったときに、通訳の人が頭が白紙になり、どう訳そうか分からなくなったという有名な逸(いつ)話(わ)があるんだ。大事な演説の最後の方で、私は妻を愛していますなんて言わないからね。例えば菅直人総理大臣が、大事な演説の終わりに『伸子愛しているよ』なんて言ったら、これは奥さんが大病か、菅直人氏自身が大病と人は思うからね。でもアメリカの真似をして一度国会で言ってみたら面白いけどね。
 ……
十・徒然(つれづれ)なるままに――買春と永久買春について

 「予備校時代の女性というのは、いつのこと」と、布袋(ほてい)さんが尋ねた。
 「一九八三年から八四年夏にかけてと、八五年頃から八六年頃と二回やられたよ。おまけに他(ほか)の女性も真似をしてね。ほとんどクレージーだ。
 いいかい、僕は大学時代は婦人問題研究部に所属しており、『万国の女性よ自立せよ』と叫んでいた人間だ。そうでない限り女性は男性に隷属し続ける、とね。そこに真の愛はないという主義なんだ。男性ではなく、男性の職業や学歴と結婚しようとする女性などと合(あ)う訳(わけ)がないんだ」
 「それでは、どうして揉(も)めたの」
 「最初の女性Aに関しては、僕は『万国の女性よ自立せよ』とは違うタイプということで、拒否していたんだ。あの種のタイプは男性と結婚するのではなく、職業とか相手の年収と結婚するという感じもあったんで、双方無理ということで門前払いしていたんだ。この女性に限らず、大半の女性は永久売春を望んでいるからね。相手の人間性に憧(あこが)れて結婚するのではなくて、永久に養って貰(もら)うために結婚する人が多いからね。これを永久売春というんだ。勿論、そういうタイプを批判も非難もしてはいないよ。永久売春が良いか悪いかは、人身売買でない限り、法や他人の立ち入る領域ではないからね」
 「それは、ボンが結婚できないので、その僻(ひが)みだろ」
 「まあ、好きなように言いなよ。
 ところでね、売春だってそうだ。道徳から禁じたんではないんだ。人身売買・強制労働などの視点から禁じたんだ。古代は売春に該当することは宗教儀式だった。性は五穀(ごこく)豊穣(ほうじょう)と結びつけられることが多く、未(いま)だにその名残(なごり)は祭りや彫刻等に残っている。だから、僕の想像では、大昔、五穀豊穣を祈る儀式として性行為を人前でし、その儀式への貢ぎとして、踊(おど)り手達に貢ぎ物や奉納物が贈呈されたと思うんだ。依(よ)って性行為と代価の貢ぎものだから買春だ」
 「面白(おもしろ)い話だね。それにボンが婦人問題研究部に入っていたなんて、ボンが東京にいるときは知らなかったよ。その永久買春とか買春禁止法についての見解も諮問(しもん)したの」
 「したよ。それだけではなくて、アグネスチャンなんかが児童ポルノ反対を唱(とな)えていたときに、杓子定規(しゃくしじょうぎ)に子供の裸を禁止するのは余りにお役所仕事的と問題提起までしたよ。だけど、これについては全然影響力はなかったね」
 「興味があるから、その話をしてみてよ」と布袋さんが、興味津々(しんしん)の目つきをして尋ねてきたので、私は今までの持論を展開した。

  ――★★★ボンの風俗論★★★――
《省略》
【提言内容は後日公式HPへ一部掲載予定】
……

第6章・日本と世界の安寧(あんねい)を願う男
――The Messenger Of Great Peace Of Mind(安らぎと平和の伝令者)
…… 二・世界の安寧(あんねい)を願う男――Grand Theory(『夢』)

  ――★★★グランドセオリー★★★――
 観光立国、観光立県、観光立市町村と言うならば福祉を充実させろ、である。チボリ公園を見るがよい。大赤字で潰(つぶ)れた。観光と馬鹿の一つ覚えで村興(おこ)しを図り、ほぼ全ての施設が逆に大赤字を出した。小さい日本で、どこの村も町も市も県もが観光で村興しと言えば、当然供給過剰で赤字の道のみである。
 ……。我が町で観光名物を作ろう。テーマパークではない。福祉である。バリアフリーの見本の町を作ろう。歩行者専用道路を歩く障害者と高齢者の比率が日本一多い町を作ろう。車椅子(いす)が至(いた)る所を走り回っている町を作ろう、と。そうすれば、日本に数え切れないほどあるテーマパークと異なり、競争相手はいないため、もの凄(すご)い観光資源となるであろう。多くの県や、それどころか海外からも視察のみか、観光目的で人は来る。

 【提言内容は後日公式HPへ一部掲載予定】

…… 光化学スモッグ、花粉症を地球から根絶しなければならない。同時に化石燃料と〝おさらば〟を世界一早くしなければならない。それらは全て有効需要を生み出す。高速道路をつくるのも公共事業ならば、これらの事業も立派な公共事業である。当然、有効需要に結びつく。そしてこれらの実現は人間が人間として生きる条件を満たすのみならず、新型産業革命を引き起こす導火線となる。
 日本経済の立ち直り、あるいは世界経済の全体的な飛躍的前進への引き金となるものである。新型産業革命は、イギリスで起こった産業革命が人間疎外(そがい)を生み出したのとは逆に、人間が人間として生きる条件と密接に結び付き起こさなければならない。
 今が、そのときである。
 車は早急に自動操縦としよう。宇宙予算が十分ない、日本の「はやぶさ」が遙(はる)か彼方(かなた)の宇宙を自動操縦で運転されている現在、狭い日本を走る車が何故(なぜ)自動操縦でないのか不思議で仕方がない。これからの社会は、高齢者ほど車を運転する社会でなければならない。若者などは、健康のため、自転車や徒歩中心となるべきである。
 官公庁の交通費などは、バスや電車等の公共の乗り物で来れば実費の一万円、自家用車で来れば五千円、自転車で来れば一万三千円、歩いてくれば一万五千円とする等々(などなど)と。二十一世紀は、人の欲望に併せて車社会を築き、それに併せて道路を作りまくるのではなく、既存(きそん)の道路に合わせて交通量を減らすべきである。それが世界の潮流である。では車会社はどうなるか。少なくとも車会社は、高齢者や重度障害者が乗れる車を作るべきである。車が本当に必要なのは足腰が弱った人などである。依(よ)って早急に完全自動操縦の車をつくれと言いたい。勿論、レジャーで車を乗るのは自由である。当然である。それでも収益がでなければ、健康に良い自転車型乗り物などを車会社も含めてつくればよい。
 土建業者は道をつくれず困るも嘘(うそ)となる。日本は自転車専用道路及び歩行者専用道路が余りにも不足している。依(よ)ってそうした道をつくればよい。また、建設国債で、道路にセンサーや誘導無線等々を取り付け、そのセンサーなどを頼りに自動操縦型にすれば尚更(なおさら)自動操縦は簡単である。更(さら)に、五十年以降には道がなくても動く乗り物が開発されていなければならない。車という乗り物時代に終止符を打たねばならない。万能細胞を完璧(かんぺき)に完成させるよりは早くできるはずである。少なくとも自動操縦の車は。
 夢ではなく、数十年以内に実現しなければならない。

 電力などは、日本は三十年以内に自然エネルギー百パーセントを目指すべきである。日本の家庭で太陽パネル発電数の普及率がTV台数以上になるように手を打たなければならない。当然、石油よりもコストが安く電力が起こせるように、太陽パネル発電は早急に技術開発をしなければならない。必要は発明の母である。理論上は可能である。石油は再び、飲めない上に、時には燃えて危険な厄介(やっかい)な液体へと後戻りしなければならない。
 万能細胞が可能ならば万能資源も可能なはずでもある。万能資源が鉄等に取って代わる道を開かねばならない。但(ただ)し、これは自然エネルギーよりは遙(はる)か先のこととなるであろう。
 農業も同一である。アメリカ等が資本集約型農業を目指し、タイなどが安価な労働集約型農業であるとき、日本は知識集約型農業を目指すべきである。例えば、医食同源(どうげん)どころか医食同一志向型農業を目指すべきである。日本の穀物を食べれば外国のそれ以上に骨粗鬆(そしょう)症になる確率が大きく減るとか、癌(がん)になる確率が何パーセント減るとか、簡単にできるのは同一分量を食べてもダイエット効果が五十パーセント高いとか。これしか日本農業の生き残る道はない。そのためには、生物学、農学、化学、医学などが共同で研究開発をしなければならない。

 漁業とて同様である。いつまで捕(と)る漁業をしているのかとなる。古代人が笑うであろう。もはや沿岸などで育てる・作る漁業へと転身をする時代にとっくの昔に突入している。
 理系諸君は大学時代に就職活動だけに没頭するのではなく、これらを実用化するための、研究の土台を大学時代に身につけなければならない。文系諸君は全体として人間が人間として生きられる社会の見取図を作り、そうした社会をつくるための研究の土台を大学時代に身につけねばならない。その能力は企業に就職しても、分析能力として活(い)かされるであろう。

 インタネット、双方向けTVなどの情報通信網を活(い)かし、大都市への人口集中を逆転しなければならない。言うまでもなく、地代は田舎の方が安い。ならば商売の大半が今後通販中心になることを考えれば、田舎の方が在庫を置く場所にしても、店を構(かま)えるにしても地代は安いだけに好都合となる。車とて近い将来は通販で組み立て方式で販売される日も来るであろう。……
 同時に情報通信網を生かし、医療などは、双方向けTV(TVに血圧計などは通常ついている)方式となり、軽度の患者の場合にはTVで医師の問診や視診を受け、薬などは宅配業者経由で配達されなければならない。この場合、遠方の島でも、医師による問診・視診などは常時簡単に対応可能となる。やや重い患者の場合には病気の本人が自家用車で病院に行けばよい。何故ならば、車は自動操縦のため、車の後(うし)ろに寝ていれば勝手に病院へ行けるからである。同時にこのとき、新幹線と同様に交通事故死者はゼロ人となる。それどころか交通事故すらゼロとなる。医療費などは大きく減少することとなる。
 これらは遠い未来ではなく、大半を三十年以内に、遅くとも五十年以内に実現すべきと考えている。社会の発展は、創意・工夫する労働者がどのくらいいるか、どのくらいの熱意でそれをするか、に掛(か)かっている。
 後は、過剰生産を防ぐための努力のみである。もはやそれらは神の見えざる手によってでもなく、政府の計画経済によってでもなく、ただ情報技術を駆使(くし)し、現時点での各分野での生産量や今後参入予定者量の情報を提供し、それを道標(みちしるべ)とし、各人が行動することで交通整理がなされなければならない。
 ITをフル活用し、各種信号を作(つく)らねばならない。仕事のミスマッチもこの信号(情報収集と公開)によりほとんど姿を消すであろう。更に、機械化の進展により家事・介護などから人間を解放し、女性の社会進出を促し、男女平等社会を実現しなければならない。労働が人間をつくることを考えれば尚更(なおさら)そうである。こうして、障害者・女性・高齢者の社会進出により、国家により養われる人は減少し、逆に養う側に回る人は高齢化社会においてすら、今よりは増加するであろう。分子が分母に回るからである。同時に、このときに初めて真の男女平等とその上部に位置する真の恋愛と真の結婚などが実現できるであろう。そのとき初めて職業としての風俗は死滅への道へと突き進むであろう。

 今求められている産業革命は、過去のそれが人間疎外(そがい)をもたらしたのとは逆に、人間が人間として生きる条件と密接に結びつくとしてすら、各企業及び各人は死闘である。死闘という形で切磋琢磨(せっさたくま)することが、現代という時代では――遠い将来は別であるが――求められている。死闘をするためにはルールが不可欠である。しかも国際的なルールがいる。
 変動相場制はもはや桎梏(しっこく)となっている。……今の変動相場制は、ヘッジファンドなどが絡(から)んだため、実体経済などを表さない、(公営所か国際)ギャンブル状態になっている。ここから脱却するためにはIMFとIBRDを舞台とした第二次ブレトンウッズ協定が求められている。
 ……。
 これらの土俵=ルールの世界的基準を条約で完備した上で、企業及び個人は死闘を演じなければならない。企業などが死闘を演(えん)じるときは、その戦いが熾烈(しれつ)ならば熾烈なほど、ルールの完備が不可欠である。
 これらを実現させたとき、日本の産業空洞化(くうどうか)は阻止できるであろう。紛争も大きく減るであろう。但(ただ)し、企業及び各労働者は自転車と同様で漕(こ)ぐのを止めれば倒れるため、懸命(けんめい)にペタルを漕ぎ続けねばならない。生きるということはしんどいことである。されど、プロ野球やプロサッカーの選手は、常に死闘であり、漕ぎ続けている。彼らはしんどいであろうが、そこには楽しみもあろう。夢もあろう。企業や労働者も同様である。そして、彼らが漕ぐのを止(や)めようと思ったときが定年である。依(よ)って定年制は廃止し、各人が老いや病やその他の理由から漕ぐのを止めようと思うまで、働き続けることが望ましい。但(ただ)し、労働力商品としての価値がなければ、企業は労働者が何歳であろうとも解雇することは当然である。その代わりに、採用に際しての年齢制限を罰則付きで廃止し、履歴書にも年齢を書かすことは法律で禁じ、年齢が文字通り一切(いっさい)不利にならない条件で敗者復活戦ができるよう法整備されなければならない。……

【提言内容は後日公式HPへ一部掲載予定】