6-4・『日本のフィクサーME』登場人物紹介

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  • 《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》

 

 

 

私=ボンとかボンちゃん、ボンさんと呼ばれる。坊さんではない。ボンさんである。

布袋(ほてい)さん→私よりも二才年上、右派・保守本流、黒い色を好む

  •  目は相撲取りの小錦に似ており、そして策士の如(ごと)く目をギョロギョロと動かせていた。
     なお、彼は東大法学部卒で当時は司法試験浪人中であり、今は弁護士である。ママさんによれば、明治大学を卒業し、今は地方郵便局局長であるという。勿論、明治大学でも東大でもどちらでもよいし、同一でしかない。 ただ謎(なぞ)の人物であることを強調しただけである。
  •  彼は、権謀(けんぼう)術数家であるが、一人っ子のせいか人懐(ひとなつ)こい性格をしていた。そして、時々、意味ありげにニヤリと笑うことがあった。年は私より二つほど上であった。
  •  良妻賢母(りょうさいけんぼ)志向で、思考は保守であったが、対人関係を重んじ、それを表面にはめったに出さなかった。因(ちな)みに、黒い色を好んだ。

 イラストは布袋さんのみ→イラスト屋さん(使用許可あり)、明神・はかせ・オジョウ・お嬢はジャストシステム各種ソフト内のもの。なお、服の色は、可能ならば、上から黒、赤、灰色に変更予定。

 

明神(みょうじん)君→私より一つ下、革新・左派闘士、赤い色を好む。

  • 私が早大大学院時代(政治学研究科在籍時)に、彼の父が居酒屋・孔雀に時折(ときおり)きていたため、まず父親と親しくなり、明神君の家に招待され、そのときに彼と知り合った。当時早大法学部を卒業し、司法試験浪人中であった。だが、翌年に早大大学院法学研究科に在籍していた。今は弁護士をしている
  • 性格はアッケラカン型人間である。 但(ただ)し、繊細(せんさい)な部分も持ち合わせている。兎(と)も角、失敗が多く、何かあれば「また明神か」と言われていた人物である。
  • 彼の家族は全員左翼であり、お父さんは闘士と呼ばれていた。彼は赤い色を好んでいた。

 

 

はかせ→約二十才上、右派・左派超越仙人型人間

  • 本当の名は真(まこと)。私よりも二十才くらい年上、知り合った当時は四十代。
  • 大変博学(はくがく)なため、みんなは真ちゃんをハカセと呼んでいた。大学の教壇の口もあったそうである。但(ただ)し、ハカセこと真ちゃんは大学は出ていない。
  • 独身で、定職を持たず統計学に凝(こ)り、数年働いて、その後数年図書館で勉強するという生活をしていた。浦和(埼玉県)の塾講師を週二~三回し、それで生計を立てていたが、当然金はなく四畳半一間(ま)の部屋を借り、食事はすいとん中心の自炊(じすい)をしていた。浦和へも電車ではなく自転車で通(かよ)っていた。私に自転車に乗る習慣をつけたのは彼である。
  • 思想は左翼・右翼を超越した仙人(せんにん)型隠遁(いんとん)者であった。そして、灰色のものを好んでいた

 

 

 

オジョウ→『源氏物語』ゆかりの源融を何故か意識させる。年齢??才

  • お嬢とオジョウについて、例えでかけば次の如(ごと)くとなる。私が前川清としよう。お嬢は藤圭子である。そしてオジョウは宇多田ヒカルではないかという疑惑である。そして背後には『源氏物語』(紫式部)、更にはモデルとなった源融(みなもとのとおる)がついて回る。
  • オジョウ
  • 曽根崎(そねざき)心中で有名なお初天神(はつてんじん)でぶつかり、それから知り合いとなる。しかし、彼女は昔から私を知っていた節(ふし)がある。
  • 年齢は一九九九年に十九才と言っていた。二〇一一年に年齢を聞くと二十五才と言う。二〇一七年現在も二十五才である。なお、出会ったとき(一九九九年)も十九才には見えず,三十才前後の雰囲気をしていた。
  • 身長は一六九センチに見えるときと、一六三センチに見えるときがあり、後者のときにはお嬢そっくりの顔をしていた。そこでお嬢をもじってオジョウと記している。 もし、今からでも、私が結婚するならばこの女性となるのであろうと思わされている
  • ちなみに、絵の手の上の羊が私である。私は彼女の手の上で動いているだけである。
  • お嬢
  •  彼女は私のことを「お兄(にい)ちゃん」と呼ぶ。
     一つ学年下であるが一浪しているため、同(おな)い年(どし)である。ただし、篠山(ささやま)氏に言わせれば、宝塚音楽学校に二年在籍した後で、一浪し、関学にきているため、私よりも三歳年上だそうである。
  •  「お兄ちゃんは変わっているから、私以外でお兄ちゃんのことを理解できる人はいないわよ」という、彼女の言葉を繰り返し聞かされ、そうなのかと長期信じる。だが、彼女は私に近づいては去り、去っては近づきの繰(く)り返(かえ)しで、被害甚大(じんだい)であった。 後に、私の先輩と結婚し、その後、私の恋の指南役(しなんやく)となった。その結果、私は未だに独身の憂(う)き目(め)となる。彼女の名前は都合(つごう)で伏(ふ)せるが、「お嬢」と呼ばれていた
  •  家はお寺さんである。学校はキリスト教系大学、趣味は神社巡(めぐ)り、儒教(じゅきょう)に凝(こ)っていた。

 

 


以下、拙著『日本のフィクサーME・下巻』(Kindle版)から抜粋。

 主たる登場人物は、私、布袋(ほてい)さん、明神(みょうじん)君、ハカセ、それに謎の女性・オジョウの五人である。そこで、この五人を覚えていただければ物語は簡単に分かるであろう。

 物語は大阪の居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)で、布袋さん・明神君・ハカセと私の会話がほぼすべてである。同時に、その後でオジョウなる女性とデートをすることが多い。
 会話の中心である公的人物は実名のため解説の必要性はないであろう。

 なお、オジョウについては源氏物語の謎がついて回っている女性である。

 しかし、念のために、主な登場人物をまとめておく。

 

(1)家族。

 ①私=中川隆政。
 通称、ボンとかボンちゃんと呼ばれる。本名の浜田隆政にしたかったのであるが諸事情で一部偽名(ぎめい)とした。

 ②三人姉弟(きょうだい)であり、長姉(ちょうし)、次姉(じし)、それに末っ子の私である。その他、従兄弟(いとこ)なども数人登場する。

 

(2)高校時代の知人

 ①高倉(たかくら)君→漢字が大の苦手であるが、柔道・剣道・空手の有段者である。ただし、いずれも初段である。
 ②井滝(いたき)君→柔道高段者。二十年ほど前に三段と言っていたので、今は四段か五段と思われる。某(ぼう)県警の柔道師範代(しはんだい)もつとめていた。

 

(3)大学時代の友人。大学は実名の関西(かんせい)学院大学としている。

 ①松山→親友であり、知能は優秀であるが、大変そそっかしい。小さなミスはしないが大きなミスを平気でする。 彼には新左翼の友達がいた。学内での学生同士の衝突(簡単に言えば傷害事件)や学内に武闘用器財持込みに大反対を唱(とな)えていた私は、これらの学生に敵視されることになった。
 俗語で言う新左翼という学生に、私の居場所がばれ、これらの学生に付(つ)け狙(ねら)われる羽目(はめ)となる。というのは、私が松山をお気に入りの某店につれていく。松山が新左翼のシンパの友人をそこへつれていく。後者が新左翼の学生をその店に連れていく……なども私の個人情報を握(にぎ)られた原因の一つであろう。

 ②お嬢→彼女は私のことを「お兄(にい)ちゃん」と呼ぶ。
 一つ学年下であるが一浪しているため、同(おな)い年(どし)である。ただし、篠山(ささやま)氏に言わせれば、宝塚音楽学校に二年在籍した後で、一浪し、関学にきているため、私よりも三歳年上だそうである。
 「お兄ちゃんは変わっているから、私以外でお兄ちゃんのことを理解できる人はいないわよ」という、彼女の言葉を繰り返し聞かされ、そうなのかと長期信じる。
 だが、彼女は私に近づいては去り、去っては近づきの繰(く)り返(かえ)しで、被害甚大(じんだい)であった。
 後に、私の先輩と結婚し、その後、私の恋の指南役(しなんやく)となった。その結果、私は未だに独身の憂(う)き目(め)となる。彼女の名前は都合(つごう)で伏(ふ)せるが、「お嬢」と呼ばれていた。
 家はお寺さんである。学校はキリスト教系大学、趣味は神社巡(めぐ)り、儒教(じゅきょう)に凝(こ)っていた。

 ③お花さん→お嬢が去った後で、私と相思(そうし)相愛(そうあい)かと思っていたが法念(ホウネン)により潰(つぶ)された女性。

 ④法念(ホウネン)→私よりも三年後輩(こうはい)である。重要な局面にでてきて、私の人生を台無しにした男である。家は真言宗のお寺であるが、法然(ほうねん)・親鸞(しんらん)に傾倒(けいとう)していたため、「法念」というあだ名がついていた。

 ⑤大松(だいまつ)→私よりも一年後輩で、法念の見張り役。

 ⑥篠山(ささやま)さん→私の二年先輩で、お嬢の秘密を知っている人間である。

 ⑦大学時代の恩師(指導教授)→名前は正義(まさよし)であったが善悪に関して機敏(きびん)な性格をしていたせいか、ドクター・正義(せいぎ)と呼ばれていた。
 しかし、私は後に登場してくる大学院時代の仲間と話をするときは、ある理由からハクシと呼ぶことがあった。大学院時代に登場する友人のハカセと勘違(かんちが)いしないようにして貰(もら)いたい。両者とも漢字で書けば博士であるが、恩師はハクシであり、孔雀(くじゃく)青年部で登場する真(まこと)ちゃんはハカセである。
 シカゴ大学大学院修了、同大学フェロー、関学教授を経てハーバード大学教授となる。


(4)大学院時代

 ①居酒屋・孔雀(くじゃく)のママさん→中田さん
 当時、八二才程度であった。ただ、血の気が多いため、年は八二歳余り、頭は二八歳に思えた。また、江戸っ子独特の世話焼き婆(ばあ)さんであった。
 このママさんこと、狸(たぬき)婆さんは好き嫌いが激しかったが、私のことを心配してくれ、何かと世話をしてくれていた。後の中倉大学講師時代に東京の大病院に通院したときには、無料でこの家の一室に泊(と)めていただいたくらいである。

 ◎この店には孔雀青年部という飲み屋仲間がいた。以下②~⑨はそのメンバー。

 

 ②布袋(ほてい)さん→布袋(ほてい)さんは謎が多い。
 第一、彼の本名を誰も知らない。そこで、博学であったハカセが、彼の体形が七福神の一人である布袋(ほてい)に似ていたため布袋と名付けた。布袋とは、唐末に実在した、大きな袋を背負った太鼓(たいこ)腹の僧侶{本名は釈契此(しゃくかいし)}である。

 但(ただ)し、布袋さんは目以外は布袋そっくりであるが、目は相撲取りの小錦に似ており、そして策士の如(ごと)く目をギョロギョロと動かせていた。なお、彼は東大法学部卒で当時は司法試験浪人中であり、今は弁護士である。ママさんによれば、明治大学を卒業し、今は地方郵便局局長であるという。
 勿論、明治大学でも東大でもどちらでもよいし、同一でしかない。

 ただ謎(なぞ)の人物であることを強調しただけである。彼は、権謀(けんぼう)術数家であるが、一人っ子のせいか人懐(ひとなつ)こい性格をしていた。そして、時々、意味ありげにニヤリと笑うことがあった。
 年は私より二つほど上であった。良妻賢母(りょうさいけんぼ)志向で、思考は保守であったが、対人関係を重んじ、それを表面にはめったに出さなかった。因(ちな)みに、黒い色を好んだ。

 

 ③明神君→明神(みょうじん)君は当時は早大法学部を卒業して司法試験浪人中であった。彼の父が居酒屋・孔雀に時折(ときおり)きていたため、まず父親と親しくなり、明神君の家に招待され、そのときに彼と知り合った。

 だが翌年に早大大学院法学研究科に在籍していた。今は弁護士をしている。性格はアッケラカン型人間である。
 但(ただ)し、繊細(せんさい)な部分も持ち合わせている。兎(と)も角(かく)、失敗が多く、何かあれば「また明神か」と言われていた人物である。年齢も学年も私より一つ下であった。
 彼の家族は全員左翼であり、お父さんは闘士と呼ばれていた。彼は赤い色を好んでいた。

 

 ④ハカセ→本当の名は真(まこと)であった。名字(みょうじ)の方は不明である。
 一九七七年当時四十七歳くらいであったが、定職を持たず独身の身であった。統計学に凝(こ)り、数年働いて、その後数年図書館で勉強するという生活をしていた。大変博学(はくがく)なため、みんなは真ちゃんをハカセと呼んでいた。大学の教壇の口もあったそうである。但(ただ)し、ハカセこと真ちゃんは大学は出ていない。早大高等学院か早大実業のどちらかを卒業していた。

 浦和(埼玉県)の塾講師を週二~三回し、それで生計を立てていたが、当然金はなく四畳半一間(ま)の部屋を借り、食事はすいとん中心の自炊(じすい)をしていた。浦和へも電車ではなく自転車で通(かよ)っていた。私に自転車に乗る習慣をつけたのも彼である。

 思想は左翼・右翼を超越した仙人(せんにん)型隠遁(いんとん)者であった。そして、灰色のものを好んでいた。

 

 ⑤組合さん→組合活動の専従をしていた。労働貴族と揶揄(やゆ)する人もいたが、私には大変親切な人であった。

 ⑥堅(けん)さんは、その名の通り堅物(かたぶつ)であり、日大理学部を卒業し、都立高校の理科の教師をしていた関係で〝先(せん)ちゃん〟と呼ばれていた。

 ⑦竹ちゃん→孔雀のマドンナであったが、顔は美人にはほど遠かった。高校には行っていなかったが、頭の切れもよく、肝要力(かんようりょく)もあり、人格者に近い人物であった。年齢は不明であるが、多分、当時四十歳台と思われた。布袋さんに対しては警戒心を持っていたが、私を大変かわいがってくれていた。

 ⑧お姉(ねえ)さん→孔雀では女性が二人しかおらず、竹ちゃんより年上のため、人はお姉さんと呼んでいた。年齢は不明であるが、六十代か七十代のどちらかと思われた。

 ⑨栄(えい)ちゃん→左官屋(さかんや)さんで、非常に気さくな人である。

 ⑩大学院時代の指導教授などは実名に近い形で記している。ちなみに大学院時代の指導教授は早大政経学部三羽ガラスの一人と言われていた。当時、自民党の顧問であったが、後に民主党に鞍替(くらが)えしたという噂(うわさ)をきいたこともある。数年前に他界された。

 


(6)駿合(すんごう)塾予備校講師時代(一九八二~一九八八年)

 主として政経の講師をしていた。この時期に訳(わけ)の分(わ)からぬ女性などが登場してくるが、彼女らも含めて、登場人物はすべてアルファベットの一字かイニシャルで掲載(けいさい)している。
 この時期に刑事犯罪被害に遭遇(そうぐう)し、一九八四年後半から不可思議な社会に入る。特に激しくなったのは一九八七年後半からである。それらの経緯(いきさつ)は『日本のフィクサーME・下巻』(この本)に掲載(けいさい)している。
 この予備校の実名及び起こった出来事の一部はノンフィクション・『閉じた窓にも日は昇る』に記している。また、授業を巡る状況は拙著『求め続けて・第二部』に掲載している。
 いこの予備校は一九八五年頃は東大合格者数千五百名以上を誇っていた予備校とだけ記しておく。

(7)中倉(なかくら)大学講師時代(一九八三年から一九九八年)
 法律学と経済学の講師として招聘(しょうへい)されたが、是非(ぜひ)専任にとの甘言(かんげん)で英語も担当する羽目(はめ)となった。ところが諸事情から英語だけの担当となり、日本で英語のできない、唯一の大学英語講師となる。もし、この種のオリンピックがあれば間違いなく金メダルをとっていた。
 中倉大学は文部科学省系ではなく労働省系大学校(現・厚生労働省系大学校)であり、失業保険機構(特殊法人、後の独立行政法人)により運営されていた。ここで登場する人物もイニシャルで記している(例・MK課長)
 なお、中倉大学も失業保険機構も実存しない。本当の名称を知りたければ、拙著『親方日の丸』か拙著『恐るべき労基法違反』を読んでいただきたい。いずれもノンフィクションのため実名で記している。


(8)完全に家に監禁(かんきん)時代(一九九八年~)

 

(A)公的人物、巨大組織の幹部、有名スポーツ選手は実名である。
 ただし、嘘(うそ)を五~十%入れているため、どこが事実かを分からなくしている。良心的な人が困らないようにするための配慮(はいりょ)である

 

(B)架空の人物

 ①居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)のママさん→岡山の私立高校講師時代の教え子のお母さん。諸事情のため岡山市から大阪へ移転され、居酒屋を経営している。

 

 ②オジョウ→曽根崎(そねざき)心中で有名なお初天神(はつてんじん)でぶつかり、それから知り合いとなる。しかし、彼女は昔から私を知っていた節(ふし)がある。
 年齢は一九九九年に十九才と言っていた。二〇一一年に年齢を聞くと二十五才だそうである。ちなみに、二〇一五年現在も二十五才である。なお、出会ったとき(一九九九年)も十九才には見えず,二十代後半(例えば二十九才)の雰囲気をしていた。

 大変変わった女性で、私とのデート時間は五十五分しかしないと決めている。
 身長は一六九センチに見えるときと、一六三センチに見えるときがあり、後者のときにはお嬢そっくりの顔をしていた。そこでお嬢をもじってオジョウと記している。

 もし、今からでも、私が結婚するならばこの女性となるのであろうと思わされている。

 

 ちなみに、駿合塾予備校講師時代にも、見合いを契機につきあいだし、このまま結婚するのかと思った女性がいたが、その女性もいっときお嬢そっくりの声をしたときがあった。この女性は「おじょう」と記している。

 なお、お嬢に関しては、何故か『源氏物語』のモデルの一人・源融(みなもと・とおる)ゆかりの地が多数登場してくる。

 



  • 拙著『日本のフィクサーME・下巻』より抜粋