『親方日の丸―第一部』:同サイト内リンク

3-3・『親方日の丸・一部』見本

序章・「猿の惑星」
 ――二十年前に日本の未来を見た男

 1988年頃、TVで『猿の惑星』(PLANET OF THE APES)という映画を見た。ストーリーは、主人公が宇宙旅行中に遭難(そうなん)して、ある惑星に着く。そこは猿が人間を支配していた。主人公は、奇妙な星に来たと嘆(なげ)き、何とか地球に戻るための道を手(た)繰(ぐ)っていた。だが、猿に捕らわれ、奴隷にされ、逃げることもできなくなった。言葉も失っていた。そして、ある日、運良く逃れ、彼は自分が乗ってきた宇宙船を探し求めていた。その途中で彼が見たものは、砂浜に埋もれている自由の女神の像であった。彼は驚いた。
 私は宇宙の星に行ったのではなく、実は、何かの拍子(ひょうし)に地球の未来に流されたのだ、と。だが、何故、地球の未来では猿が人間を支配しているのか。また嘗(かつ)ての地球の文明はどうなったのか。彼はついに分かった。原爆戦争で人類の大半が滅亡し、その後、猿が支配するようになったのだ、と。

 この映画を見たとき、面白いシナリオだと感心した。だが、2006年頃に気づいた。まさに、この映画を見た1988年に、私は映画・『猿の惑星』同様に、何かの弾(はず)みで未来へ監禁されたのだ、と。そして、後に見るように、私の〝自由の女神〟も破壊されていた。映画の主人公同様に鎖(くさり)に繋(つな)がれ、奴隷として1988年から監禁・貢ぎ・強制・奴隷労働を強いられた。そして、私も過去、否(いな)、現代に戻るための方策を模索している最中である。
 そして、現代に戻る手段の一つが、私に起こったことを原稿に記し、世に知らせることである。ただし、映画・『猿の惑星』と異なるのは、私は囲われ、その囲われた中は未来であったが、TVなどで見る囲いの外は現代のように見えた。しかし、その現代が私が見続けてきた未来に余りにも近づこうとしている。逆に言えば、これらの情勢から、実は私は未来に閉じこめられたのだと分かった次第(しだい)である。私が現代に戻ったとき、現代が私が見た未来――猿の惑星――になっていたならば、現代に戻る意味はない。そこで、この書物で、現代の人々に警告しなければならない。なお、これから記すことはすべて事実であることを断っておく。……
 こんな所に十年以上監禁された人間はどうなるか。第5章に記している。簡単に記せば、1988~1993年は生きる屍(しかばね)への道であった。1995年からは廃人への道であった。
 1989年に力尽き大吐血を経験し40日入院となる。そして、思考力・記憶・知力・腕力は1990年から突如なくなり、1400日余り新聞も文献も一切読めなくなる。頭が商売道具の人間の頭を破壊された。食事量も減量してすら体重は62キロから80キロへと増大する。
 だが、不法行為がひどすぎると、時には、それが薬となる皮肉もある。1992年の大労基法違反から健康は更に悪化の一途(いっと)をたどり、1993年の24時間連続大吐血へと繋(つな)がり、このショックで頭が蘇(よみがえ)った。言わば電気ショックの代用をした。このときの大吐血は絞首刑のような窒息状態であり、切腹時の介錯(かいしゃく)を願う苦痛であった。入院した病院が匙(さじ)を投げ救急車を要請し、より大きな病院に移送され60日入院を余儀なくされた。こうして1989年以降三度大吐血五度入院の憂(う)き目に遭(あ)う。
 頭が回復しても、労基法違反・不法行為の嵐はやまず、1995年度の契約年収を理由もなく半額にするという暴挙(労基法2条2項違反)の通告と、その撤回を求める激論を契機に頭が麻(ま)痺(ひ)してゆき、今度は精神疲(ひ)弊(へい)が進行してゆく。体重は通常に食事をしても55キロまで痩(や)せてゆき、交通事故死の危険が6度あり、一度は本当に交通事故に遭遇する。車運転中に記憶喪失や頭が白紙になる状態に何度も見舞われる。1996年6月7日にはまず正面衝突して死んだと思ったのが奇跡的に正面衝突しなかったという事件もあった。
……
 送付した文章及び送付先。
 ①文書―1・本文『恐るべき労基法違反――労働省所管の岡山短大で私が受けた労基法違反の大被害』。
 ②文書―2・『特殊法人への疑問と教育聖域論への問題提起――岡山短大の事例』。
 ③『文書―1の概要』。
 ④「呼び掛け文」。
 1999年完成・送付後も梨(なし)の礫(つぶて)のため、これらの改訂版を2004年に作成し再度送付した。

 1999年版の送付先は、①内閣総理大臣・小渕恵三、②不破哲三、③土井たか子、④労働大臣、⑤労働省職業能力開発局長、⑥労働基準局長、⑦労働省職業能力開発局長、⑧雇用・能力開発機構理事長、⑨東京法律事務所・神田高弁護士、⑩美作町議会議員・(立会人)新免昌和、⑪朝日新聞、⑫日本共産党中央委員会、⑬その他として、岡短、関学恩師後藤先生、主治医、友人、親戚関連などである。

 2004年版の送付先は、①総理大臣小泉純一郎、②尾辻厚生労働大臣、③厚生労働省労働基準局、④独立行政法人雇用・能力開発機構、⑤武部自由民主党幹事長、⑥民主党菅直人{民主党代表でなく菅直人氏にした理由は奇妙な縁(市川房枝氏や理想選挙推進会など)の関係}、⑦神崎武法公明党代表、⑧日本共産党志位委員長、⑨朝日新聞大阪本社(最高責任者)、⑩著名人として筑紫哲也、⑪後藤峯雄先生、⑫立会人・新免昌和議員、⑬親戚関係のMOさんである。

【2015年3月追記】
 『恐るべき労基法違反・2010年版』送付先は以下の通りである。また、2000年に小渕総理に送付した手紙もどこかで全面公開する予定でいる。
 Ⅰ・民主党:①総理大臣菅直人・同夫人伸子、②岡田幹事長、Ⅱ・自民党、④谷垣総裁、⑤石原幹事長。Ⅲ・公明党、⑥山口代表。Ⅳ・共産党、⑦志位委員長、⑧市田書記局長。Ⅴ・みんなの党、⑨渡辺代表。Ⅵ・社民党、⑩福島瑞穂。Ⅷ・政府関係、⑪厚生労働大臣、⑫雇用能力開発局長、Ⅸ・関係者、⑬新免議員、⑭神田高弁護士、⑮後藤峯雄先生、⑯我が家親戚関係一名。Ⅹ・マスコミ関係、⑰読売新聞・渡辺氏宛、⑱朝日新聞代表者、⑲毎日新聞代表者、⑳山陽新聞。{このうち、⑫、⑲、⑳はさだかではない。現在調査中である。}


第1章・「拝啓小泉純一郎様」(小泉純一郎総理大臣への書留送付文書を掲載)
 ――首相への救済依頼文 (誤字等も修正していない。)

                          2004年 9月 28日
(総理大臣) 小泉純一郎 様


第2章・親方日の丸大学校の実態

 独立行政法人雇用・能力開発機構の財政赤字などの詳細な研究は諸政党や他の研究者に委ねる。私は「機構」の機能問題、とりわけ教育機能に焦点をあてる。それは、既に記したように、将来の日本の新型教育崩壊現象を暗示しているからである。このままでは、日本の大学の大半がこの岡短の如(ごと)く状態になるであろう。否(いな)、一部の大学院ですらこうなるかもしれない。高校等ではもはや既(すで)にこうした症状が蔓(まん)延(えん)している。

 何故(なぜ)こうした現象が生じるのかを具体的にとりあげ、理論分析した書物は現在まで皆無のため、急いで分析結果を公表しなければならない。日本の重要な資源、それはシンガポール同様に、人間にあるため、(旧)特殊法人の学校運営問題のみならず、日本の高等教育問題への警告を兼ねて記すことが私の責務である。同時に、問題の本質は、官僚の行動様式・水(みな)俣(また)病を引き起こしたチッソのエリート・悪質な経営者の一部・世界があきれる選挙の実態と議員の本質・談合と贈賄の世界・利権に群がる人々・国民の政治への無関心問題の本質と同一であるためなおさらである。そこで、岡短の事例は、20世紀から21世紀にかけての歴史、日本の教育史として記録に残しておかなければならない。

 第1節・雇用・能力開発機構

 まず、雇用・能力開発機構(以下「機構」と略す)……機構の前身は特殊法人雇用促進事業団(以下「事業団」と略す)であった。事業団は炭坑離職者援護会の事業を引き継いで1961年に設立され、職業能力開発大学校も炭坑離職者の再就職を促すことを目的で設立されたものであった{「朝日新聞」1997年3月19日、『IMIDAS 98』315頁(ぺーじ)などを参照}。その柱は、これらの転職者のための職業訓練と、転居を伴う転職者が自分で家を探すまでの間の一時的に住む住宅の建設などであった。
 当然、その役割はとっくの昔に終わっており、「事業団」は解体されていなければならなかった。例(たと)えで言えば、国鉄清算事業団が、国鉄の後始末が完全に終わった後でも、業務を存続どころか拡大し続け、かつ赤字を出し続けるようなものである。
 炭坑労働者問題が片付いても、住宅問題が片付いても、彼らは自己の生存のため、「雇用保険」(*1)を分捕るために仕事をし続けなければならない。仕事がなければ作らねばならない。組織の職員の生活を維持するためにも、「事業団」の理事に天下る旧労働省幹部のためにも、ひょっとすると土建業との絡(から)みもあったかもしれない。そして、様々な口実の下(もと)で仕事を作り続けてきた。労働者の研修、保養施設の名の下で、「勤労者のため」という名の下(もと)で、全国約2000箇所の「いこいの村」、リゾートホテル、レジャーランド、結婚式場、コンサートホール、……と。そして教育関連の事業も同様である。
 1997年には、「事業団」は赤字にも拘(かか)わらず、大きく拡大し約4809人の職員と、職員1万人の国連以上の予算規模を誇っていた。この癌(がん)に対する手術が1997年頃から開始し、幾つかの事業からの撤退を強いられることになった。だが、隙(すき)あらば増殖し、その後始末で2004年には既に述べた施設の投売り問題が日本中の話題となった。そして、彼らが今主軸を置こうとしているのが、教育聖域論の傘の下で、教育と名付ければ批判はなくなるという安易な考え方から出た教育関連の仕事である。だが、この教育関連も社会のニードからではなく、組織の自己保存を主要な目的として、しかも親方日の丸主義丸出しで教育に参入してきたことから、後の諸問題が生じてゆく
……中略……

 第4節・職業訓練学校は特別では?――職業訓練学校間格差の現状

 岡短などは職業訓練学校だから、文部科学省とは無関係なため問題ないのではないか、と勘(かん)違いしている読者にその誤解を解いておく。誤解の根源は「機構」が、(膨大な高等教育機関が存在する以上、議員などの反対で参入不可能となるため)政府・議員向けには職業訓練学校のイメージを与え、(雇用保険支払義務がある膨大な民間職業訓練専門学校群と都道府県立職業訓練機関との軋轢(あつれき)を避けるためか・差別的心情からか・学生獲得上有利と考えたか)受験生向けには文部科学省系一般大学のイメージで高等教育に参入した、という二枚舌戦術にある。では、どちらなのか実態と実体を紹介しよう。

 まず職業訓練学校関係の四タイプを記す。第一が職業能力開発総合大学校、第二が職業能力開発大学校(別名ポリテックカレッジ)、第三が公立の職業訓練校、第四が民間の職業訓練関連専門学校などである。因(ちな)みに、公共の職業訓練は第三グループであり、これらのグループの指導員養成目的の学校が第一グループである(実態が目的と乖離(かいり)しつつあるため2008年には廃止が検討され始めた)。第二グループはこれから紹介するように、このグループに15年間閉じこめられた私の目からみると、一体何なのかさっぱり分からなかった。なお、(公立部門の)三者は完全に序列化政策が貫かれていた。実際、第一グループからは「機構」に就職するものはいるが、第二グループの岡短ではそうした事例を知らない。
……中略……

第5節・雇用・能力開発機構(厚生労働省系)学校群の問題点

  問題点として、(1)権益維持のための学校、(2)苦学生のため職業教育への機会の嘘(うそ)、(3)民を圧迫のジレンマ、(4)「機構」収入・学校維持費の問題点、(5)膨大な国家赤字への道、以上五点について述べる。

(1)権益維持のための学校
 社会の必要性からではなく、「機構」の権益から学校を維持・拡大した場合に何が起こったか。

 「機構」運営の第一・第二グループ学校群が文部科学省系との垣(かき)根(ね)が事実上なくなった以上、不必要であった。その上に、膨大な国家赤字の原因となるのみか教育機能不全現象を起こした。しかも、職業訓練校群に序列構造を構築するのみか、文部科学省との垣根を取り払ったことで、文部科学省の学歴差別・学歴社会の序列構造にリンクさせたことである。
 しかし「機構」の職員のために、厚生労働省幹部の天(あま)下(くだ)りのために、必要性がなくなり、更に存在価値がなくなった学校を国民の目から覆(おお)い隠(かく)し存続させなければならない。そこで文部科学省系大学からパイを奪うために、奨学金と授業料を差し引きすればお釣(つ)りが来ていたなどの厚(こう)遇(ぐう)で学生を釣り、「金の餌(えさ)・学生様」を第3章で述べる自動入学・自動卒業に近い教育放棄で祭り上げることになる。ここに教育問題本質の一端があった。


……中略……

……以下、本文参照。

3章:学生無法の論理と実態

第2章で述(の)べた如(ごと)く、社会のためではなく、自らの権益確保のために運営された学校はどうなったか。この章でその実態を紹介し、そのメカニズムを分析する。
 過去、小学校・中学校・高校・予備校・大学迄(まで)で小学校3年生以外は全学年を教え、分数の足し算のできない中学3年生から東大進学者まで教えたという経験を持ち、荒れた学校から進学校までの現場を、また家庭教師・塾・予備校・教育委員会・中学校・高校・短期大学校・同和地域での子供会など……と教育の貴重な現場を十二分に見てきた上に、自らもエリートと落ちこぼれの両方の世界を経験し、更に政治学を専攻し、大学(関学)と大学院(早大)で分析能力の訓練を受けてきた人間が記したものであり、教育政策への視点からも、必ず一考に値すると考えている。……以下、本文参照。

第4章・親方日の丸主義の論理と実態

 岡短の機能不全と構造的欠陥の因子は第3章で大半登場していた。まとめれば以下〈A〉~〈F〉の6つである。第1節で各因子の解説を行った後で、第2節でこの因子の構造メカニズム全体を解説する。なお、図示すれば【図表―2】(第4章第1節の最後に掲載)となる。第3節と第4節では、このメカニズムから機能不全となった「機構」自体の事例を紹介する。
 本質は、〈A〉親方日の丸型体質にあり、その親方日の丸型体質から次の因子が生じていた。〈B〉権益確保への固執、〈C〉形式主義{〈ア〉辻(つじ)褄(つま)合わせ型形式主義(=自分の出世等に響く形式には機敏に反応)と〈イ〉ルーズ型形式主義(=出世無関係事には超ルーズ、ミス続出)の両形式主義からなる}、〈D〉仕事への愛情と情熱の欠如{〈ウ〉自らの職務・本質的使命への責任感の欠如(=教育、学生、学校への責任感欠如)と〈エ〉社会的使命感の欠如(=教育機関としての社会的使命感は完全欠如。教育の「キ」の字も知らないか事実上無関心)}、そして最終的に犯罪である〈E〉人権感覚の麻(ま)痺(ひ)、最後に「教育聖域論」に名を借りた税金の無駄遣い等、即(すなわ)ち、〈F〉職場(学校)の機能不全(への無関心)である

 第1節・学校機能不全の基本因子の検討

 〈A〉親方日の丸主義的本質問題
 一生懸命働いても一切報(むく)われない、しかし手抜きをしても首などにはならない。これが基本理論の土台にある。そこから生み出されるものは、(社会のために)自ら創意・工夫し、責任を持ち社会的使命を自覚し、目的に向かい邁進(まいしん)することとは正反対の行動様式である。こうした類(たぐい)の機関は、岡短以外でも、公務員、あるいは政策的に過保護の学校機関もこれに属する。勿論(もちろん)、旧ソ連等の組織構造や、資本主義社会が行財政改革に取り組まざるを得なくなった本質原因もここにあった。そこで、この事例を中心に構造分析をして、因子ごとに〝あるべき処方〟を検討する必要がある。
 以上を前置きして教育崩壊を招いた岡短の分析に入る。私が岡短で見た範囲では親方日の丸主義の基礎理論は大きく言えば三部構造からなっていた。〈第一グループ〉・頭(学校長)と 〈第二グループ〉・胴体(管理職)と〈第三グループ〉・脚(万年平組)である。

  第一グループ の「頭」・学校長の検討から入る。学校長は京大名誉教授が天下り(後には岡大名誉教授の天下り)が赴(ふ)任(にん)して約3年在籍しては交替していった。これは1997年度のMK課長の言葉を借りればお飾(かざ)りだそうである。私が専任確約の再確認の件で、1990~1993年の間に学校長との面談を求めたときには、一切の理由抜きで、当時のYK課長が「それはまずい」の一言(ひとこと)で、私の一生の問題であるにも拘(かか)わらず会談の場を設けてもらえなかった。

★【2015年解説重要箇所】機能不全を起こした各因子とその因子の結合の仕方の記述は「公式HP>主張・エッセイ>政経主張第6回」(学術的箇所)に掲載。重複のため見本には掲載せず。

右をクリック→★政経主張第6回

 


 第3節・権益確保の行き着く果て
  ――事例・「機構」の施設投売り問題

 この節では施設の投売り問題を掲載する。これは、親方日の丸主義的本質問題と権益確保への固執から生じた典型例である。
 施設投売り問題に関して、「雇用促進事業団は……2000年度までに約4500億円をかけて2070カ所を整備」(朝日2003年11月5日)し、そのうち「……1507の施設の設計には約1750億円かけていたが、売却総額はその0・4%にすぎない7億2600万円にとどまった」という。さらに詳細は【図表ー3】(次頁)参照。
 第5章では、こうした末期癌(がん)の組織に15年間監禁された私がどうなったかを記そう。もし日本がこのまま行けば、日本の労働者の将来の姿がそこにある。 

5章・親方日の丸型労基法違反と生きる屍(しかばね)

 さて、私を蝕(むしば)み、一番良い年代を20年以上浪費させた病の本質に入る。

 今度は1998年辞職までに、体重は痩(や)せに転じ、退職ときには55キロまで痩せ、内蔵はむかつき・軽い吐き気・胸焼け・不快感が始終起こり、精神面は頭の麻痺、自己意思分裂(対立)現象、自己意思急転現象、頭の痺(しび)れや白紙化状態が車運転中にも起こり約6度交通事故の危険に遭遇(そうぐう)し、ついに一度は本当に事故に遭(あ)う。
 この事故は私の実家500メートルの所で起きたにも拘(かか)わらず、事故前より記憶喪失(そうしつ)状態になっており、事故現場が分からないというような始末であった。また訳の分からぬ文章書き抑制不可能現象も起こる。〝おしん〟の如く長年の不満と怒りが蓄積していれば尚(なお)更(さら)である。因(ちな)みに、1993年12月から1995年3月5日迄は体調悪化の記述は毎日の日程表に一切ない。以下、あと一歩で廃人(はいじん)への道の流れを拙著『閉じた窓にも日は昇る』より、人間の精神が疲弊してくる様子の参考資料も兼ねて、抜粋する。

【★抜粋開始】
 三月六日、事務員Fから電話があった。九五年度から前年度の担当時間の倍増・週二日と口頭で労働契約を交(か)わし、その後に学校長印のある労働契約書(三月一日付)も送付されてきた。ところが、三月六日にFから変更理由も告げずに週一日に減らすと、一方的に電話での通告があった。私が生活問題を理由に労働契約遵(じゅん)守(しゅ)を要求したにも拘(かか)わらず、「今まで週一日二齣(こま)=二〇〇分(年収約四〇万円該当)で生活できたのだから、週二日四齣=四〇〇分(年収約八〇万円強該当)と労働契約を結んでも、一日(年収四〇万円)に減らしても生活できない訳はないでしょう」の一点張りであった。
 これに対して、私が「生活できない」と何度も繰り返して契約遵守を訴えた。だが、F氏も変更理由を全く言わずに、先の言動を強硬に何度も繰り返すだけであった。私も長年の怒りで、俗に言う「キレル」という形になり、必死で「約束を守ってくれ」と激怒し猛抗議した。このときのF氏の言い方が強硬・横柄なことも怒りに拍車をかけた。結論として、事実上の労働契約破棄通告のまま電話は切られた。兎(と)も角(かく)、これは打診ではなく労働契約違反とこの時点でもはやなっている。九八年「機構」との交渉準備のために、過去の日程表(日記兼用)を丹念に後日調べると、三月六日の日程表に「頭が約七時間も痺れ何も手につかない」との記述があった。怒りから頭が痺(しび)れたのは生まれて初めての症状であった。

 生活ができないのは常識であり、その内容の一部も相手に伝えた。当時四〇歳の人間が年収四〇万円台では生活できる訳がない。八〇歳代の老いた母親の年金と内職に寄生し、(教師を中途退職した)故父のわずかな貯金や姉への借金等で食い繋(つな)いでいただけである。年収四〇万円台とは生活保護の半額以下である。否(いな)、違う。生活保護と異なり年金や医療費を支払わねばならぬ。国民年金の掛金十数万円、通院費等医療費年約一〇万円、(いつ入院か分からぬため止められぬ)生命保険掛金八万円強、(遠方の岡短には膨大な教材運搬のため車が不可欠であり)車の維持費・車税・車の任意保険料・車検積立金二〇万円以上、これら合計で(授業に関する)事実上の義務的経費のみで五〇万円を超え、それ以外に教材関連の元手もいる。しかも、八三年以降の投資(貢ぎ)の上に、この労働契約違反(労基法二条二項違反)で九二年三月にも約四〇万円該当の大被害を受けている。その他の労基法違反や不法行為だらけ、そして専任確約で招(しょう)聘(へい)され(働き盛りの時期に)、一〇年に及ぶこうした生活の中で、またもの労働契約違反である。また、他のまともな仕事をできなくされたのは、八九年三月の岡短の不法行為により商売道具の頭を使い物にならなくされたからである。九二年三月の労働契約違反で河合塾などを棒にふり、十二指腸潰(かい)瘍(よう)再発させ・大吐血をさせ・再入院をさせ、生活できなくさせたのは誰かということである。

 今までも、短大の犯罪(労基法違反等)のおかげで、老いた親に寄生して生きており、今まで生活できたのではなく、できていなかったということである。それら抜きでも労働契約を結んだならば、私の方が労働契約を遵(じゅん)守(しゅ)している以上、それを労基法上撤回できるのは私の心からの同意が不可欠である。岡短には労働契約遵守の義務があった。倒産寸前の零細企業ではなく、雇用保険を資金とし、雇用を促進するのを本業とする「事業団」の職場である。しかも、岡短は労働省所管の学校で、運営者・「事業団」の理事長は元労働省事務次官である。こんな世の中が本当に存在するのか。怒り心頭とならない人間はいない。
 ……
★(2015年5月;見本掲載に当たってのコメント)
 この間に「実質年俸1万円通告」、賃金支払遅延、賃金不払い、労働契約違反はじめ膨大な違法行為があったが、それらの大半を記述した拙著『恐るべき労基法違反』が400字詰め原稿用紙2500枚相当あるため、今回は省略をしている。

第6節・解放後――NOT「FREE AT LAST」(未(いま)だ、自由ならず)

 このような職場に監禁されたならばどうなるか。1990~1993年は知力・気力・腕力が喪(そう)失(しつ)して生きる屍(しかばね)と化し、95~1998年は精神疲(ひ)弊(へい)で廃(はい)人(じん)への道をたどることとなる。そして司令塔・脳をやられると、自律神経系統の関係か何かで内臓などの中で、一番自分の弱点部分も併(へい)行(こう)してやられる。私の場合は十二指腸潰瘍の初期症状があったため、そこを狙(ねら)い撃(う)ちされ三度の大吐血となった。このままいけば未来の労働者の姿である。私は、生(せい)来(らい)頑(がん)健(けん)であり、精神は天(てん)真(しん)爛(らん)漫(まん)かつ幾(いく)つもの修(しゅ)羅(ら)場(ば)をくぐっており免疫があった。だから、ここ迄で済んだのである。通常の人ならば、事故死か自殺かどちらかの運命であった。勿(もち)論(ろん)、癌(がん)その他のリスクも悪玉ストレスのためかなり高くなっていたであろう。
……
 15年勤務の岡短を最後に離れた日、1998年3月23日。「ああ野麦峠」のミネが最後に職場に合掌をしたような気には当然なれなかった。実際危害を加えた職員の一部にも、過去の岡短被害をMK課長の如く芝居じみた行動で矮(わい)小(しょう)化し・煙に巻こうとした職員にも、私の老母が作った冷や飯よりも良い弁当を食い、私よりも生活費が上で、しかも私に故(こ)意(い)に挑発をし私から延々と(正規労働の)講義以外に高校等学校規則関係類の裁定・見解を無料で作成させようとした打算的学生にも、私は最後の日でも一礼もする気もないし、懐(なつ)かしさも持てない。
 私は卑(ひ)劣(れつ)なこと、駆(か)け引(ひ)きの類(たぐい)は嫌いである。同時に、そうした類のことは、教壇では一時は上(う)手(ま)くいっても命とりとなり、授業の自殺でしかない。だが、何の罪もない、15年間使用し続けた視聴覚教室は別であり、この日に掃除を一人でしに行き、そしてセルフタイマーで、この部屋と私とを写して岡短時代を締(し)めくくった。15年間使用し続けた視聴覚教室だけが唯一の思い出であった。それと大昔の学生の一部も。