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5-3・『日本のフィクサーME・上』見本

※【 】内は今回分かり易くするために付け加えた解説箇所。


◎2015年電子書籍版前書き
…………
 (2)この世がどういう世か不明である。しかし、いつからか私の言動が国内外の政治経済に影響を与えたとしか思えぬ状態になった。某政治家の「裏で物事が決まってよいのか」という言動から、私が政経に与えた影響を念のために公表した。ただし、一部の人に迷惑がかからぬように5~10%嘘(うそ)を入れている。これにより、どこが嘘(うそ)でどこが事実か分からなくするためである。
 なお、どうしてこうした羽目になったかの仮説は『日本のフィクサーME―下巻』4章で記している。
 水島新司氏の野球漫画で『あぶさん』という名作があった。この作品内で登場するのは王貞治さん、野村さん……という実存の人物と景浦安武(あぶさん)という架空の人物が入り交じっていた。内容も同様である。私の書物もそうした視点で読んでいただいて結構である。
 また、政経関連の提言類は、政治学専門の私が書いたものであり、政治学者・政治家にとっても意味がある。生徒・学生諸君には社会・社会科学の勉強となる。『ソフィーの世界』よりは、勉学に直結していると思う。……

…………

第1章・お初(はつ)天神様

一・故郷(ふるさと)の冬は寒い

 サク、サク、サク、サク……。サク、サク、サク、サク……。

 故郷・美作(みまさか)の冬は寒い。小川の表面が凍り、朝は畑の表面も凍る。牛乳配達を頼んでいた頃は、冬は大急ぎで、牛乳瓶(びん)を外から家の中へ、更に冷蔵庫に入れたものである。外に牛乳瓶を置くと凍って瓶が割れるからである。冷蔵庫の中ならばその心配はない。冷蔵庫は田舎では実に便利な物である。その点、夏は楽であった。ゆっくりと冷蔵庫に入れればよい。そこで早起きをしなくてすむからである。高校時代の通学では、冬は自転車に乗ると、耳が冷たくなり、やがて痛くなり、学校に着く頃は感覚がなくなる。故郷(ふるさと)の地は寒い。
 サク、サク、サク、サク……。サク、サク、サク、サク……。
…………
 帰りの道中、見慣れた風景のため、様々な事が脳裏を過(よ)ぎった。プレゼンテーション屋(授業屋)の私の脳裏に浮かんだのは王貞治氏との対話である。確か、二〇〇九年三月開催のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第二回大会の半年余り前のことである。WBCの監督にもなってもらいたいし、ソフトバンクの監督も辞めて貰(もら)いたくないので、私は王貞治氏(一九四〇年五月二〇日~。通算本塁打数868本は世界最高本塁打数記録)
に言った。
 「王さん、グランドで死んでくれないか。人間いつかは死ぬ。ならばグランドで死んでほしい。だから監督を続けてほしいし、WBCの監督にもなって貰いたい」
というのは、王さんは二〇〇六年夏に胃癌の手術を受けており、体調が余りよくなかったからである。二〇一一年に知ったのであるが、二〇〇九年九月にも、東京都内の病院で腸閉塞(へいそく)、胆嚢(たんのう)摘出手術を受けており、今考えれば本当に無責任なことを言ってしまったものである。ところで、私の言動に対して、暫(しばら)くして二〇〇六年初秋頃に、王さんから返答があった。
 「僕も、本当はグランドで死にたいんだ。……でも、それでは、選手が可愛(かわい)そうなんだ」 王さんの目には涙というよりも、野球への想いが溢(あふ)れ、その溢れた熱意が水に形を変え、涙に見える形でほんの少しばかり零(こぼ)れているように思えた。恐らく、選手が監督の病状を心配したり、監督を変に気遣(きづか)ったり、何が何でも監督のために勝ちたいと闘志が空回りしたりしていることを言われたのであろう。この時の王さんの野球への熱意、更にその後、テレビ(TV)で野球について語ったときの情熱、これがプレゼンテーション屋の私がプレゼンテーションの本質と考えているものである。
 何故(なぜ)、二〇一一年雪の中で王さんのことを思い出したのか。それは、クルム伊達公子(だてきみこ)氏(一九七〇年九月二八日~ 。日本の女子プロテニス選手)がカンバックし、ここ数年大活躍をし、世の注目を浴びていた。その伊達さんが、本来ドクターストップとなるような怪我(けが)を隠してプレーをしたときがあった。私は伊達さんに、「無茶をしてはいけない」と言った。伊達さんはクスクスと笑って聞いていた。王さんに言ったのとは逆に思えることを言ったのは、一線の選手として活躍するためには、彼女の場合には休養の方が必要と判断したからである。両者には、高齢化社会の中で、形式的な年齢に対する偏見を破って貰いたいという思いもあった。但(ただ)し、そのためには両者に対しての言動は逆となった。

 ……昔、巨人のエースに堀内恒夫(つねお)という投手がいた。彼には悪太郎という渾名(あだな)がついていた。その渾名通りに、彼は門限破りの常習者であった。あるとき、見かねた若き王選手が門限を破って戻ってきた堀内に鉄拳(てっけん)制裁を加えたことがあった。その時、堀内が頭に来て殴り返そうとすると、王選手の目から大粒の涙が零(こぼ)れているのを見て思いとどまった、という話を聞いたことがある。この話の解説はしない。親愛なる王さんのユニホーム姿を未だに待ち続けていることだけを記しておこう。野村克也(かつや)(二〇一一年一月現在七十五歳)元楽天監督の場合には、何も書かなくても、雑草の如くいずれ何らかの形で復活するであろう。高齢化社会に向けて、年齢の壁に挑戦してほしいのではない。年齢というものを忘却し、活躍できる条件を持っている人は、その間中は活躍することが〝神の見えざる手〟の摂理(せつり)である、というだけのことである。……

……店で、フィルムに糊(のり)状の物をつけられたため、アポイントメントを取り、副店長と会うことになっていた。ところが、店員は、田舎者の、汚い服装をした私が副店長に会いたいとは生意気だと言う態度を示した。私はそれに釣(つ)られて言った。
 「ここの副店長は忙しいかもしれないが、私の方はもっと忙しいんだ。第一、こちらは菅直人(かんなおと)首相、米倉弘昌(ひろまさ)日本経団連会長、御手洗(みたらい)氏(日本経団連前会長)などを相手としている人間であり、私の時間はここの副店長とは比較にならぬくらいに重要なのだ」と、その会談後にホテルでぼやいた。余りにも謙虚に言い過ぎた。より正確に言えば良かった、と。
 「私は、海外では盧武鉉(ノムヒョン)前大統領、温家宝(オンカホウ)首相、欧米の大統領クラス、日本では天皇などを相手としている人間であり、その関係文書や提言類を書かねばならない。ヨドバシ梅田店副店長とは、社会が要求している課題のレベルが違う。それを延々とヨドバシ宛(あて)に手紙を書かされる羽目となり、どのくらい社会的損失を被(こうむ)っているか。第一、今問われている領土問題に対する提言どころか、見解を記すのもヨドバシの件で妨害されたではないか」
 誤解のないように言うが、私は威張っているのではない。私の時間が社会にとって余りにも貴重だということを言っているだけである。奪われた時間のため、社会がどうなるかという次元の問題である。
……
 ある政府幹部が、恰(あたか)もそれでは日本の民主主義に反するのではないか、と言ったように思えた。それは私の言う台詞(せりふ)である。私を日本のフィクサーに勝手にしたのは誰なのか。更に、いつまでも、私を日本のフィクサーにさせ続けているのは誰なのか。しかも、全て無報酬で。勿論、日本の民主主義にとっても良い訳(わけ)がない。だが、犯人Xなのか、Xと敵対するZなのかは不明であるが、彼らにより日本のフィクサーにされてしまったのである。どのようにしてそうなったかは徐々に述べる。その前に、私が日本や世界の政治・経済を動かした事項をまず公表しなければならない。私が関与した出来事を公表すれば、日本や世界の政治経済の動きの一部が見えてくるであろう。その内容を読めば、政策決定過程の一部が分かるであろう。同時に、私の書いていることが事実であることも。その後(あと)で、私がどうして日本のフィクサーにさせられたかを記した方が分かり易(やす)いからである。

 私は小説は絶対に書かないと公言している。今も、その意思は変わっていない。だが、今回は小説である。大半が事実であるが、良心的な人に迷惑がかかっては困るため、小説とし、同時にごく一部のみ事実ではないことを盛り込んでおいた。目眩(めくら)ましのためである。善良な人が困らないように、と。……

 私は一九八八年から、事実上、訳が分からない形で、故郷・美作に監禁された生活を余儀なくされていた。特に一九九八年頃からは誰とも口をきかない日々を過ごしていた。二つの例外を除いては。一つが、TV(テレビ)の世界、即ち、TVの中の仲間達である。もう一つが、大阪に年数回出向いたときに、東京時代の仲間達が私に会いに大阪に来(き)てくれ、彼らと再会するときであった。
 彼らとの集(つど)いは大抵、大阪の居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)であった。……


第2章・盧武鉉(ノムヒョン)大統領への伝言――日本の領土問題


一・ボンちゃん

 オジョウと分かれた後で、本日二〇一一年一月十六日に居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)で会うことになっているのはハカセ布袋(ほてい)さん、明神(みょうじん)君の三人である。彼らとは東京時代に飲み屋・「孔雀(くじゃく)」にて出会った。彼らの紹介の前に、私の自己紹介をしておく。……

 自宅監禁されていた私を励ましに、この布袋さん、明神君、ハカセの三人が、一九九九年頃から年に六回くらい、私を励ましに大阪に来てくれていた。彼らと会う場所は大抵徒然草(つれづれぐさ)という居酒屋であった。

 私が、日本の政財界などから、求められた問題に対してどのような提言をするかを、彼らと時折相談したのもこの居酒屋・徒然草であった。同時に、誰が、何故、私を日本のフィクサーにしたのか。即ち、提言を出さざるを得ない立場に私を追い込んだ犯人を見つけるための相談をしたのもこの居酒屋であった。詳細は徐々に語っていくが、→【★詳細は第4章など】

 ……ここで、好奇心の塊(かたまり)であった布(ほ)袋(てい)さんが、身を乗り出し、「ボン、ちょっと問題を整理してみよう。まず、領土問題について何を提言したのか言ってみてよ。その後で、後日、ボンを監禁した犯人Xの正体は誰かをみんなで推理しよう。尖閣列島、北方領土問題の前に、まず竹島問題への提言を教えてよ」と尋ねたので、私は簡単に経緯を語ることにした。

【竹島問題提言内容→公式HP>主張>政経提言:アンダーラインをクリック。赤は閲覧可能
【尖閣問題提言内容→公式HP>主張>政経提言:アンダーラインをクリック。】
【北方領土問題提言内容→公式HP>主張>政経提言:アンダーラインをクリック。青は準備中】
【◎語るにいたった経緯は本文参照】



第3章・小泉純一郎登場

一・光る海

 晴天の日の瀬戸の海は光る。しかも銀色に光る。
 私が一九九六年に見た天草(あまくさ)から口之津(くちのつ)への海は金色に輝いていた。だが、瀬戸の海はいつも銀色に輝く。輝くというよりも、海が鏡の如(ごと)く、光を反射し、光を放っているが如くに光る。私は、宇野から高松に行く道中の海を〝光る海〟と名付けている。
 写真家・故緑川洋一氏はこの海に魅せられ、瀬戸の海を撮り続けた。彼は光の魔術師と呼ばれていた。晩年、地元のテレビで、彼の技法を公開したことがある。私は釘(くぎ)付(づ)けでその番組を見ていた。彼の海の撮影技法は機密事項に等しい。だが、この時には、撮影技法、更には絞り、シャッタースピードの全てを公開した。私は目を凝(こ)らして見た。恰(あたか)も、彼はテレビを通じて、自分の技法を私に伝えようとしているが如くに思えた。というのも、私は彼の写真美術館には九六年と九七年のみで五回以上行っていた。最初のときには、写真集を購入すると、緑川氏自身が出てきてサインをし、本を渡してくれたこともある。因(ちな)みに、彼がテレビを通じてこの技法を私に伝授し、暫(しばら)くして、彼は死んだ。
 他方、私は九七年から、車も奪われ、収入もなく、彼の技法で写真をまだ一枚も撮っていない。瀬戸の光る海を、いつか必ず、彼の技法を更に改良して撮らなければならない、と考えている。……

二・小泉純一郎登場

 前回は、領土問題という堅苦しい話題に退屈していた明(みょう)神(じん)君が、今日は面(おも)白(しろ)い話を聞こうと切り出してきた。
 「ところでサー、小泉元総理との出会いはいつなの」……「確か二〇〇四年頃だと思うよ。…………

「ボンちゃんサー、ではどうして取り込まれたと人は誤解したの」 そこで、私は明神君に私の三点の基本姿勢を解説することにした。
 第一は、私は完全党派中立をしており、党派中立宣言をしている以上、まして全政党に私の救済依頼文書を送付している以上、どの政党に対しても諮問をされれば原則としてアドバイスをする。私はどの政党にも所属していないから尚更である。しかも、それは国民全体の利益に叶(かな)うことや何よりも枠という視点からのアドバイスである。
 第二は、私は政治経済学専門家として、日本の政治システムの枠の構築を常に力説している。私が常に強調している枠の一例としては、日本の総理大臣の任期問題がある。総理は八年間務めることを目処(めど)に最低でも四年間はその職を全(まっと)うすることが、民主主義国家ましてや先進国であれば必要不可欠、と私は考えている。例外は、内閣不信任決議権が可決された時、総理が大病や死亡した時、任期満了の総選挙時のみである。万一、東京都知事が半年置きか一年置きに交代したならば行政はどうなるか、である。
…… 第三は、政経的知識のアドバイスを求められれば、条件反射的に助言してしまうことがある。政経専門家の性(さが)のためどうしようもない。……
……
 もう一回言うけど、今は憲法九条を絶対に守らなければならないと考え、同時に憲法そのものも守らなければならないと考えている以上、憲法一条も尊重するという一貫した方針なんだ」
 「ではサー、自民党に巻き込まれて、変節したんではなかったんだね」
 「さっきも言っただろ。僕は思想問題よりも枠(民主主義の土俵)を重視するんだ。だから小泉氏への諮問(しもん)に対しても、枠で回答したんだ。
 因(ちな)みに、僕の枠の論理では、保守どころか右翼でも暴力を使わない限り、存在している方がいいとすら思っているんだ。つまり昔の美濃部氏とか蜷川(にながわ)氏などの勢力が日本を席巻(せっけん)するようになったときでも、右翼は必要とすら考えていたんだ。民主主義のためにはね。これが枠という考えなんだ。右翼がいるから左翼は襟元(えりもと)を正そうとするんだ。もし左翼だらけとなったら奢(おご)りから腐敗していくと思う。少なくとも歴史はそれを証明している。当然、その逆も然(しか)りだけどね。
 同時に、ジョン・スチュワート・ミルの『自由論』という本を読めば分かるけど、自分と反対の意見の人がいるから自分の意見・見解・理論が鍛えられるんだ。それに、右翼だらけとか左翼だらけとなると、馴(な)れ合(あ)いとなり緊張感もなくなり、国民にとっては良くないというのが僕の考えている枠なんだ。


【劇場型選挙 →公式HP>主張>政経提言:アンダーラインをクリック。青は準備中】
【皇室典範に関する提言→公式HP>主張>政経提言:アンダーラインをクリック。青は準備中】
【総理の靖国参拝に関する提言→公式HP>主張>政経提言:アンダーラインをクリック。青は準備中】

十一・『徹子の部屋』――ボンとトットちゃんの横綱争い

 だんだん、関心を持ってきた布袋(ほてい)さんが、興味津々(しんしん)という顔で尋ねてきた。
 「では、最近はどうなの」
 「二〇〇四年頃からは、もう明白となったけど、何しろ、日本人ですら膨大なスポーツ選手の数(すう)、芸能人の数、学者の数、政治家の数、芸術家の数……との御対面だ。その上、外国人もそうなんだ。だから、一人一人や一つ一つに丁寧には不可能なんだ。第一TVをつけ転(うた)た寝をしていて、誰か偉い人が出た途端に正座はできないからね。またそんなことをしていたら、僕は何もできないよ。
 TVはニュースと政経関連教養番組以外はBGM代わりにつけているだけだからね。それでも国家の要職に就いている人との御対面は気を遣うよ。尤も、一定の時期から相手の方(外国の要人)がさりげなくとか、見ていない振りをしてくれるから助かるけどね。だから、その後は外国の要人がこちらを注(ちゅう)視(し)していても気づかないときもある。それと普段のままで対応せねば三百六十五日×十年以上だから身が持たないよ」
 「じゃあ、夏はまたパンツ一枚で」
 「原則はそう。徹子の部屋なんて酷(ひど)いもんだよ」
 「どんな風に」
 「スタニスラフ・ブーニンがゲストで登場したときの話をするよ。……【マハティール首相クリントン大統領夫妻当時18才の娘さんのことは十節で】……


 「野球の古葉(こば)監督が『徹子の部屋』に出たときの話を聞いたことがあるんだ。そのときの件で黒柳徹子を揶(や)揄(ゆ)した訳ではないけど、面白がったことがあったんだ。人伝(ひとづて)に聞いた話では『徹子の部屋』の中で、野球音痴の徹子が彼に尋ねたそうだ」

  ――☆☆☆人(ひと)伝(づて)に聞いた話☆☆☆――
 「バンドのサインはどうするのですか」
 古葉(こば)監督が、ケースバイケースであるが、昔こういう形で出したことがある、と数例を示した。徹子は続けて尋ねる。
 「では、敬遠のサインは」
 古葉監督は次にまた数例を示した。更に徹子は尋ねた。
 「それでは、ホームランのサインは」
 古葉監督は呆気(あっけ)にとられた。というのも、ホームランのサインを出して、ホームランを打てるのならば監督も選手も苦労はないからである。
  ――☆☆☆人伝に聞いた話終了☆☆☆――

 また、プロ野球四百勝投手・金田正一氏との対談では、「国鉄(当時スワローズ)の金田です」の自己紹介に対して「ところで、どちらの駅にお勤めですか?」と尋ねたという。こうしたことを思い出し、二〇一〇年頃我が家で独(ひと)り言(ごと)を言ったことがある。すると、〝てっつぁん〟はふてくされ、二〇一〇年秋の番組で投げやり型で私に反論をしてきた。

 「私は、昔、ある宿に泊まったことがあるの。すると、もの凄く綺麗(きれい)な山が見える部屋だったの。そこで女将(おかみ)に尋ねたのね。あの山、随分綺麗ね。何という山なの」
 女将は半ば怒ったような雰囲気で言ったそうである。 
 「あれは富士山です」、と。

 黒柳徹子が富士山を見に来たと考え、彼女のために心遣いしたのに、富士山も知らないの、という雰囲気で。その後彼女は当てつけがましく、私に「私はどうせ世間知らずですよ」という雰囲気で投げやり風に言った。そこで私は馬鹿馬鹿しくなり、投げやり型で応(こた)えた。
 「応えるって何を言ったの。慰めでもしたの」
 「いや、九五年頃、僕が隣の家の畑で綺麗(きれい)な花を撮っていたときの話をしただけさ。当時、花の撮影をしていると、隣の小(お)母(ば)さんが出てきたんだ。そこで僕が小母さんに、『この綺麗な花は何という名前なの』と尋ねたんだ。だけど、小母さんは答えず、気まず悪そうに逃げるようにその場を去っていったんだ。
 その花をいろいろな地で撮っていたため、その花の名前が気になり、花事典やインタネットで花の名前を調べたよ。もの凄(すご)い時間がかかったね。花の名前自体が分からないのだから、調べようがないもんね。花の写真はあっても名前が分からないのだから。根気強く、花の写真を片(かた)っ端(ぱし)から見ていった。するとそっくりな写真があったんだ。その写真の下には百合(ゆり)と書いてあった。ああ、これが百合なのか。初めて知ったよ。当然僕だって百合の名前は知っている。何(な)故(ぜ)ならば英単語を覚えるときにLily=百合とあったんだから。名前も聞いたこともあるよ。花も見たことがある。だけど、花に名札がなければ花と花の名前が一致しないだろ。
 『隣の小母さんも知っているならば教えてくれればよいのに。名前が分かればすぐに事典で調べられるのに』と言うと、五つ上の従姉(いとこ)が、『それは多分、言えないと思うわ。その小母さんの心理がよく分かるわ』と言っていたけどね。
 ……、花は田舎のため多数見ているし、花の名前も、英語やドイツ語の本を原文で読んでいると多数出てきた関係で、辞書を引き覚えているんだ。だけど辞典には写真が掲載されていないものがほとんどなんだ。せいぜいイラストまでだ。そこで、花と花の名前が一致しないものが大半なんだ。大学時代には花と名前が一致するのが十程度しかなかったよ。亡(な)き姉が、いつも僕が花の名前を知らないので面(おも)白(しろ)がっていたんだ。因(ちな)みに、僕が写していた花は、百合、具体的にはテッポウユリという花だった」
 私の話を聞き、黒柳徹子は啞然(あぜん)とし、私は世間知らずの横綱ではなく大関だったのか、という顔をした。

 因(ちな)みに、日本の俳優はこの類(たぐい)の人間が多い。日本の大女優岩下志麻氏は近眼だそうである。だが女優のため眼鏡をかけない。そこで、急いでいたある日、タクシーに乗ろうと思い、手をあげ「ヘィ、タクシー」と車を止めた。だが出てきたのは警察官であった。彼女はパトカーの上にあるランプを見て、タクシーと勘違いしパトカーを止めたそうである。…………