(💁公式Blog版)🆕駿台真相編―具体的展開解説05-3・駿台登場と京都校一号館女性㊦(A後半)

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(💁正式公開:🆕版)駿台真相編―具体的展開解説05-3・駿台登場と京都校一号館女性㊦(A後半)

妨害が多いため、公式Blogと同一内容を安らぎBlogでも公開

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=45741

【更新履歴】2024/08/25 15:01から徐々に下書き掲載。2024/08/26 11:31 (4)までほぼ終了。(5)と(6)はこの後で。

2024/08/27 午前7:00からどんどん掲載中。21:22 ほぼ終了も最後の詰めはまだ

2024/08/28 10:50頃追記。 11:28 正式公開 (一部ハッカー的妨害があったため、念のため、安らぎBlogでも同一内容で公開予定)


【駿台事件全体構想】
駿台事件真相編―1・催眠
駿台事件真相編―2・ゼノンの詭弁と駿台事件の手口・女性編
駿台事件真相編―3・企業と私―駿台大CM編
駿台事件真相編―4・駿台CM作戦と映画女性活用編
駿台事件真相編―5・駿台CM作戦―女性刺客四人組活用編(その1・黒幕編、その2具体的展開、その3と4展開解説付き。その5・その6・その⑦=世界からの情報)
駿台事件真相編―6・駿台CM作戦―超多忙時代のあえぎ(岡山予備校。能開大との因果)
駿台事件真相編―7・駿台CM作戦―業務妨害から刑事犯罪被害へ
駿台事件真相編―8・駿台CMと🎬協同で☠映画説グループを絡め作戦と能開大・村への移行


【注意箇所】個人情報を掲載理由(毎回掲載)
下記理由(この事件に絡んで何人かが死亡…や私自身も命を落とす危険が何度もあったことなど)で、実名での公開を原則とする。
下記はZ家(浜田稔・正典)家であるが、どうも、我が家(浜田耕治・隆政)との家間違いが駿台事件の原因の一つのようであるため、駿台事件も実名とする。同時に、駿台講師時代も拉致未遂被害や学内外での業務妨害や刑事犯罪被害に遭(あ)ったため尚更である。

※疑惑も含めれば死亡者は10名以上、MEの世界を含めれば20名以上かもしれない。ただし、私は完全に無関係である。


個人情報公開理由(📢浜田稔・正典家の登記簿上の住所648-5の場所には2024年5月頃から浜田正典氏以外の人がお住まいなので注意ください。)

 

各種個人情報が出てくるが、
(A)我が家の住所(戸籍=現住所=登記簿:祖先は1600年代後半から系図あり:本家)を使用され、各種被害(2017年のみでも2万円損失させられたことをはじめとして多数)、その他の膨大な被害(灯油のみでも無断で5回いれられかけ、実際に2度いれられた)があること、
更に、
(B)我が家住所番地無断使用者・浜田正典氏(司法書士)に是正を求めても改善されず、
(C)該当者自身の職業が司法書士という法の専門家であること、
(D)上記の行為により、生活に支障を何度もきたしたこと(例:死亡は嘘の疑いが高いが、浜田正典氏が死亡した際には葬儀屋が我が家へ来て私が対応、霊柩車も最初我が家へきたようであるなど)…その他膨大な被害があること、
(E)私が意味不明の40年近い被害を受けている原因が家間違いの疑惑があること、
(F)多くの情報網を持っている世界の我が友=世界の指導者が10人以上、暗に原因は家間違いであることを示唆したこと
(G)深い事情を知っていると思われた、亡き友人(司法試験にも合格したと言っていた)が「トラブル被害の原因は人間違い」を明言したこと、
(H)岡山県美作市役場などに相談しても適切な対応はとられなかったこと、
等等から、個人情報であっても、私の生命を含む人権を守るための、超法規的措置もかねて公開に踏み切った。個人情報を含む人権は濫用してはならない。公共の福祉との整合性より公開可能と判断

 超法規的措置と言っても、浜田正典氏は司法書士事務所の関係で使用住所の一つ位田648-5は各種ホームページで公開されていること、…で、彼ら(司法書士)の住所はCM扱いとなっているため、(私への人権蹂躙を阻止するという)正当な理由抜きでも、今回の情報公開は合法とも考えている。

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上記は下記を一部修正して抜粋
私の人権編:⚔⑧―40年の人権侵害全貌解明:8月16日編(8月24掲載)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=40006
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表紙の写真は問題の🔐を握っている姫路

【駿台真相編-05-3と4の構成】
(序)
(1)駿台講師への道
(2)私の生き甲斐と駿台CMの矛盾―契約詐欺
(3)私の女性像と西山🙅NO決定
(4)西山好きな振り詐欺第一弾と催眠女性熱動員の暴挙(人権侵害)
(5)人生の終わり―西山への手紙催眠強制
(6)駿台ドタバタ劇強制・契約外労働と🛵おじょう
以上まで。駿台真相編05-3予定:長くなったので上記(3)迄を05-3A(㊤)と(4)~(6)05-3B(㊦)と二分割する。

以下(駿台真相編05-4予定)

(7)横家・後藤本格登場
(8)西山好きな振り詐欺第三段とドタバタ劇強制参加(労働)・契約外労働
(9)横家の使命と催眠悪用言動―2号館ドタバタ劇
(10)西山別人と入れ替わり疑惑と恐怖(パワハラ類似)
(11)駿台経営陣の1983年講師室係組🚺四人組限定政策


【表紙の写真】

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(4)西山好きな振り詐欺第一弾と催眠女性熱動員の暴挙(人権侵害)

(2024/08/25 新検討事項)
駿台事件は、従来は、駿台経営陣と映画説グループが共謀して視聴率を狙い、仕掛けられた犯罪被害と解釈していた。当然、契約外労働、強制労働、駿台ドタバタ劇参加に関する報酬の支払いがない問題…などを被害として考えていた。

そうした犯罪に加担するには、通常の人間ならば抵抗がある。そこで、人間違いを悪用して、「浜田隆政は昔、●●をしたので当然の報い」型の申し合わせがあった疑惑が高い。
ただし、●●をしたのは私・浜田隆政ではなく、別陣であり、人間違いが絡んだという解釈である。(我が家の住所番地を70年使用していた家の問題などがある。)


後半の部分は今でもそう解釈しているが、前半の部分に更なる犯罪問題が浮上してきた。
本日(2024/08/25)、「【🎵】第60回世界音楽祭🇪🇸Spain第一部(Part 1)№4」の中の④番で、次のような記載をした。

「好きな振り詐欺のみならず、私は明白に西山美千代から、業務妨害を始めとする各種挑発・嫌がらせ行為を長期に亘り受けていました。更に、大阪校での刑事犯罪被害への口実を無理矢理つくられていました」、こうした刑事犯罪被害を実証することに中心点を移動させることにした。
例えば、逃げまくる仕草などの攻撃が随所に見られた。これは駿台京都校二号館の箇所で記すが、いやがらせ以上の業務妨害である。

1985年初頭に一号館から二号館に移動した🚺(仮にNazoと女性名をしておく)が、私が授業に遅れそうなため、一号館から二号館に必死で走っていると、恐らく待ち伏せしていたのであろう。私を見るや360度回転をして走って逃げた。知らぬ人が見ると、私がこの🚺(女性)を追いかけたと錯覚されるその後も私を見るや逃げ回った。西山美千代と同じ手口であった。ただし、この女性(Nazo)とは会話も何もしたことがないし、近づいたことすら一切ない女性である。こんな無茶をされると仕事にならない。西山美千代は、私が彼女に手紙をださされた後で、計画的にこれ以上のことをなし続けた。
恐らく、駿台経営陣から依頼されたのであろう。

それ以外も含めて、様々な手口での攻撃を受け、#駿台 講師時代には二ユー京都ホテルから直に授業に行かざるを得ない羽目に追い込まれたときがかなりあった。駿台経営陣からの委託ならば、パワハラ加害者となり、これらを今回の記述では検証していくことになる。

更に、駿台教壇に立って間もなく、国語の金森先生を紹介された。後に聞くと金森光昭先生は十二指腸潰瘍で一年休講されたことがあったという噂を聞いた。私も十二指腸潰瘍にさせられる。また大阪校での授業中及び駿台大阪校が斡旋したホテル(中津にあった東洋ホテル)での温度の異常な変化の連続は自律神経失調の引き金となった疑惑もある。
人間違いからか、そうした健康面での危害も目的として行っていた場合には、傷害罪となる。この視点からも駿台女性による攻撃を分析し直すことにした。勿論、催眠類への加担は傷害罪への共犯となる。

それ以外にも、駿台真相編07では各種プライバシー権侵害、脅迫類などの実証も検討する。
本日(2024年8月25日)、世界の歌に掲載した「駿台の先の(女性)は、私の法感覚では刑事犯罪に該当します。完全実証できれば、懲役も含める犯罪者と認識をしています」の可能性がかなり出てきている。ここまで来ると動機は、駿台CMのみではなく、何等かの「相手を破滅させるという目的などを持った」怨念(おんねん)が絡んだ刑事犯罪事件となる。ただし、その怨念の対象は、人間違いであり、私ではなかったようである。要するに、🚺(女性)陣による(「計画的」・誰かに指揮された形での)攻撃性が随所に見られた。

もう一つの問題は、私と揉(も)めさす女性は、何が何でも西山美千代でなければならず、それを強行した謎である。現時点で分析されるシナリオは「何が何でも西山美千代に絡ませる。それ以外は絶対に駄目である。ただし、一人では揉める状態を作るには不十分であり、後一人は横家幸子とする。それ以外は駄目である」と先に決定されていたようである。また、何故、西山美千代に💌(手紙)を手渡し、「お騒がせしました」と詫びると40年以上揉(も)めることが可能となるのかは、未だにさっぱり分からない。

こうした新たな視角を入れて、過去書いた記述を中心にしながら、駿台事件を再検証する。以下、過去書いた文書の一部に戻る。




年表9: 1983年9月:(1983年夏に)水俣から戻るや西山の接近開始と中谷先生から食事に誘われる。
水俣から戻るや中谷臣・世界史教師に食事に誘われる(2022年頃歴教協に関係していると知る。私は、当時でも、もはや党派中立・宗派中立であった。何故、熊本と水俣に行ったのを知っていたのであろうか。)
2年ほど前に中谷氏の歴教協…の記事を見る。念のために調べると水俣…は歴教協の主催であった。私はこの団体は名称も知らず、笹山の先輩にだまし討ちで行かされたものである。(📺テレビ・映画説)。食事へのお誘い自体はありがたいことであるが、どうして、私の水俣行きを知っていたのだろうか、という疑問である。


同時に不可思議なことが起こる。水俣からもどると、何故か(駿台京都校講師室係の)西山の策動(好きな振り詐欺の軽度段階)が開始する。
🚺西山が👶(赤ちゃん)をあやしたり…私の関心を引こうとしたりしているように思えたが、既に書いた理由(生き方は違うとしか思えない・容姿は私好みではない・性格は全く知らぬが会話の手段がない上に、会話をする必要性もない)で無視をした。

この頃、中井義明先生(世界史担当:後の同志社大学教授)がしきりに二号館の格闘技女性の話を私にしていた。これが横家と思うが興味なく、横家は西山事件(1984年秋)まで顔も名前も存在も知らなかった人である。ともかく、私が横家の顔や名前を知る前から横家登場は暗示されていた。

年表10: 1983年末お嬢(🎎)が岡山市へ引っ越してくる。
彼女の岡山市へ登場で、駿台のドタバタ劇は暗示されていた。同時に、既に書いたように、高校同級生の妹の好きな振り詐欺が汽車で一緒したときになされてもいた。(西山に💌手紙を渡す前か後かは現時点では覚えていない。)同級生の出身母校は京都女子大であり、西山美千代と同一大学である。更に、この同級生の母親は私の叔母(神戸の山﨑叔母さん)と同窓会を毎年ひらいていた。こうして、駿台外でも山﨑(多分理事長を指す)と西山が強調されていた。

年表11: 1984年1月🥴催眠熱開始(水俣で出会った女性から突如西山へ熱が移動の謎)


🥴催眠契機:かわいがっていた高校3年医学部コースの子と西山の視線が合い火花が散ったように思えた瞬間から即催眠状態となる。(催眠解除は1986年3月の深見正明係長からの電話が終わった後で受話器を置いた瞬間であった。それまで断続的に西山熱催眠は続く。)


ともかく、1984年1月の突如の西山熱以降の流れを生々しく書いているBlogがあるため、少し長いが抜粋する。西山に絡めて、真備高校の木下先生に手紙を出す羽目となる箇所もわかろう。なお、下記の駿台美人講師が平野真理氏(英語担当)である。

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ところが運命の転機が来る。地獄の扉が開く一瞬である。「ババババー」、正に運命「Destiny」が扉を叩いた。(後の37年の人生を棒に振るノックであった。)
1983年12月か1984年冬か多分1月のことと思う。

私が大変かわいらしく思っていた、(容姿で言えば理想中の理想に近い榊原郁恵型の)高校生コースの子がいつものように、私に質問に来て、私の横にピタッとすわっていた。そのときに限り、かなり近距離、ひっつくように座っていたかもしれない。すると、駿台講師室係🚺NMが講師室に入ってきた。この高校生コースの子と駿台🚺NMの視線が合い、火花か散ったような感じを受けた。高校生コースの子は「勝った」といわんばかりに、🚺NMを見て、ニコッと笑い、🚺NMはにがりを潰したような顔を一瞬した。

私はびっくりした。どうして、京都界隈(かいわい)在住の高校生の子と駿台講師室係🚺NM(噂では福岡県出身)が知り合いなのか、と。サッパリ分からなかった。
後に考えると、高校生コースの子とNMの(どちらに私が関心をもつかという)競争があったようにも思えた。

運命を変える事件とは、その頃から突如、🚺NM熱が起こるのである。当時は催眠などの存在は全く知らない。ときどき、私の心理や行動でおかしいということが数年に一度程度はあったかもしれないが、特に気になることはなかった。
ところが、このときはびっくりした。どうして、半年前まで、私が「ノー」と決めた🚺NMに突如熱をあげるのか。「何で」「何で」「何で」…となった。「おかしい」「おかしい」「おかしい」と。

だが、催眠は強行であり、熱は止(と)まらない。いずれ川の鯉登り撮影の話をしよう。私は撮りたくない、「撮れ」、「撮らない」…強引に催眠で、撮影中にぼやいた。「何で撮らなければならないのか」、「撮らない理由も言っただろう」、と。怒りながらシャッターを押していた。更に、撮影後に怒りまくっていた。全て費用と労力は私持ちである。しかも撮りたくないものを。ここで撮影費を使用すると、本当に撮らなければならない写真を撮る予算がなくなる、と更に怒った。2000年以降の話であり、もう催眠の存在を知っており、それに抗議をしても、もう行動は止まらないのである。これが催眠である。抗議で止まる種類の催眠もあるし、催眠とは月日が経(た)つまで分からぬ催眠もあるが、催眠と分かり即座に抗議を数日しても、「抵抗むなしい」という事例も多数ある。

ともかく、🚺NM熱は収まらなかった。参った。
第一、1983年夏頃から🚺NMとは会話もしていないため、余計に不思議であった


《◇―5・1984年春~1984年夏。催眠熱開始。
当時、催眠という存在を知らなかった。何故、私がNM(西山美千代)に熱か不思議でかなわなかった。この期の西山の行動は全く覚えていない。

そのときに、一生の問題だから、どうせどうなるか不明ならば、真備高校時代(1981年度に教壇に立った女子高校)の同僚の音楽講師(後に中学校教師)に手紙を出した方が良い。🚺西山では、自分の生き方が貫けぬ恐れがあるし、生き方が全く違う。非常勤講師であり、共稼ぎも不可欠であるが、それとて良妻賢母型ならば無理である。

こうして、かなり長期会っていなかった🚺木下さんに手紙を送付することにした。ところが二年ほど会っていないため手紙を出す度胸もなく、手紙を出すのをやめることにした。電話番号も知っているが電話は更にする度胸がない。
もうやめようと思うと、突然🚺木下さんにJR山陽本線の中で出会う。そこで、やはり出すことにした。出会ったのは後にも先にもこの一度である。

🚺木下さんは情操面で良い感じを受けたし、共稼ぎも可能であるし、両方とも実家は岡山県でもある。しかし、真備高校時代の感触では全く脈がなかったので、会話はしてもデートなど誘う訳がなかった人である。私の方は当時からOKではあったが、脈がなかった。


だが、駿台🚺西山美千代にアタックするならば(ちなみに、次回述べる用に駿台🚺西山にアタックする方法は後で考えるとないのであるが)、一か八(ばち)かで真備高校同僚講師🚺木下に神風特攻隊となった。
手紙を出したが返事がない(手紙は今でも持っているかもしれないが、捨てていても本人は覚えているであろう。年齢は、私よりも6才くらい下の女性である)。そこで、我に返り、格好悪くて、参った。万一、電車で再度出会ったならばどうしようか、と。そこで、暫(しばら)くはタクシーで岡山駅から庭瀬に帰ったり、電車でも遅い時間にしたり、車両も一番端を狙ったり、…で逃げ回っていた。

その話を、駿台校舎内ですると、🚺NM《西山美千代》と同一県・福岡県出身と聞いた英語美人🚺講師が尋ねてきた。
「それは(手紙をもらった)女性が逃げ回ったではなく、(手紙を出した)浜田先生の方が逃げ回ったの…」と。
私は恥ずかしながら「然(しか)り」と。
すると、英語美人講師NM《ここはNMではなくHNに訂正=平野真理》先生は笑ったか、呆(あき)れたか、どちらかの反応をしたが、どちらだったか覚えていない。

私はどちらかというと女性恐怖症の気があるのではないかと思うときがある。
それを察知してか拙著『日本のフィクサーME』登場のオジョウは時々言うことがある。「私は怖(こわ)くないからね。こわくないのよ」、と。

ともかく、一つだけ助かった。駿台女性🚺NM熱が収まった。当時は催眠などは知らないが、「やった」と思った。だが、後に考えると、どうして水俣で出会った子にしなかったのであろうか、と。脈もありそうにみえたし、連絡先は当時は住所と思ったが、今は電話番号に代わっているが、住所録で分かるのに、と。
そうした謎を残しながら、ひとまず、「ヤレヤレ」であった。
ところが収まった🚺NM熱は、再度催眠で、半年後に突如起きる。ここでもいろいろ対策を練った。その話は次回にしよう。

同時に、高校生コースの子がなついていた上に、容姿も私にとって理想中の理想ならば何故、こちらにしないのか。それは、私は当時32才くらいで、相手は18才くらいであり、しかも幼い顔をしており、中学生と間違えてもおかしくない子である。女性として見ていなかったのである。

更に、後にも書くように、生徒が私の授業に憧(あこ)れてきたならば、その憧れを壊すことはできないという思いもあった。その前に、相手が私を男性でなく、教師と位置づけ喜んで質問に来ている以上、恋愛的な発想は思いつかなかった。なお、この頃からこの子は突如姿を消した。容姿だけで言えば、こうした子が当時は好みであった。一番の好みの顔であった。🚺NMとは容姿のタイプが全く違う。だから、当時でも🚺NM熱は手紙を出すまで何故なのかサッパリ分からなかったのである。催眠の存在など夢にも思わなかった頃である。

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安らぎBlog 2021/06/27正式公開
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4・駿台🚺、更に謎の差別文書の謎―①
http://h-takamasa.com/Blog/?p=25850
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問題を整理する。
1984年1月~4月、登場した女性は私の理想型が多かった。


Ⓐ水俣でであった女性。
生き方(教育・社会科・人権・水俣病への関心・教員志望で共稼ぎか・容姿は美人ではないが、私好みであった)等から、水俣で出会った女性で、一切迷いなし。脈も何故かあるとしか思えなかった。大学先輩はあれは🧜お嬢(Miki)だと言っていた。事実ならば理解できる。

Ⓑ高校生コース(1983年度)生徒。
榊原郁恵型タイプ。私に懐いているように思えた。懐く子は三倍可愛い。もし、斯様(かよう)な子と一緒になれたならば、私は三浦友和となる。楽しくて仕方ないであろう。

Ⓒ真備高校同僚:木下さん。現役教員。音楽…で情操は良いように思えた。性格はきつくない。余り喧嘩の心配はない。見合いならば当然🆗(OK)も、脈がなかった。私は押しは絶対に無理なタイプである。同時に、真備高校を辞職して二年目であり、脳裏にはなかった。突然の催眠で…である。

Ⓓ西山美千代:容姿は好みに非ず。生き方は違うとしか思えない。性格は全く不明。興味は全くない。接触手段もないが、接触する予定もないので、どうでもよいであった。

Ⓔ1984年4月入社女性「Nazo」。遠方で見る分には一番理想型容姿と思わされた。正確には、同年3月に東京で一番理想型容姿・観賞型に出会い、催眠でその女性とオーバーラップさせられただけである。遠方から観賞型であり、私から近づくことはない。


要するにⒶで(結婚は)決まりの可能性はあった。ところが、Ⓑ(高校生コース)とⒹ(西山美千代)の目があった瞬間にⒹ(西山)熱が起こり、Ⓐ(水俣で出会った女性)を忘却する。同時にⒷも卒業していなくなる。問題はⒹ(西山)による激しい攻撃と被害である。
その前に、人名ごとに個別に解説をする。


Ⓐ水俣で出会った女性(🐬)。
1984年1月前後は水俣で出会った女性とコンタクトをとることを考えていた。
水俣参加者の電話番号一覧はもっていた。名簿で該当者が一人ならば決死で連絡を取ったであろう。所が、該当するかもしれない人物が二名いたので手こずった。両者ともに関東在住であった。
しかし、歴史協議会の主催者に事情を話して、間接的に連絡をとる方法や、水俣で写真を撮っていたので(この女性も写っていたので)、該当者両方に連絡を取り、写真を渡したいか何かを言う方法もあったかもしれない。事務所経由での打診も可能だったかもしれない。

しかも、1984年春には上京しているため、決死の覚悟で写真を渡すことを口実に電話という手段もあった。おまけに、不思議なことにどうみても脈があるとしか思えなかった女性である。一生の問題である。
ところが、先手を打たれて1984年1月に、高校生の子と西山の目が合うや(火花が散るや)西山熱が起こると同時に、水俣の子は脳裏から完全に消された。

先手を打たれて、東京に行く数ヶ月前に、催眠で完全に脳裏から水俣女性は消去されると同時に、何故か、真備高校の木下先生に催眠誘導される。私の意思などはどこにも一切ない。


Ⓒ木下さん登場は年表12で記すが、これまた不自然であった。彼女はまず、🎬映画説グループからの依頼で登場したとしか分析できない。


Ⓑ高校生コースの生徒。
この高校生コースの子が、私が一番好む容姿と雰囲気であった。生き方は不明であるが、医師志望ならば共稼ぎ志向でもあろう。
ただし、教師から生徒へ告白類では、相手は「気が重かろう」と可哀想な気がしたため、誘うことなどは考えたこともなかった。誘うとすればどこに誘うか。動物園。

アタック類などは、考えるのも不純というか、そうした感情は門前払いをしていた。思ったことなかった。しかし、ソファの横に私にくっつくようにべたっと座ってきて、可愛らしいというものではなかった。1983年度であるから、私が31歳になる年であり、彼女が18歳になる年だと思う。当時は随分年が離れているという意識が強かった。

なお、西山で玉砕するならば、清水の舞台から飛び降りるつもりで高校生コースの子を誘うという手もあった。しかし「心の重荷になったならば可哀想な」という思いが土台にあったのか、思いもつかなかった。これを思いつかないならば、西山への手紙手渡しはもっと思いつかないであろう。

演技としても、ああいうなつき方は気分が良い。だが演技以外でも、やはり、心底のなつき感情がないと難しいと思う。なお、大阪校でも、東大志望の高校生コースの美形の女子生徒が何度もきたが、こちらは誰かに依頼されて来ただけであろう(1986年度)。先の子の如(ごと)くはしゃぐ形でのなつき類は微塵(みじん)もなかった。
大阪校の女子生徒の方は超多忙のため質問を受けるのに外で食事をしながら受けたような気もするし、外であったことはないような気もする。本当に覚えていない。それがまともな話である。

もっとも、数字でみれば、Ⓑ高校生生徒とⒶ水俣女性は約4歳違い、西山などとは6歳違いでしかなかった。どうせ、催眠熱ならば、こちらにしてくれれば良かったのであるが。いや、やはり、可哀想という思いがあるのでよい。ただし、もし、彼女の方から誘ってくれば、楽しくて仕方なかったであろう。

なお、西山とこの高校生コースの子の目があい、《高校生コースの子は「勝った」》という雰囲気であった。はっきり言えばその通りである。私以外でも、高校生コースの子も西山自身も分かったというシグナルであった。
ともかく、西山美千代とこの女の子は明白に顔見知りであった。当時も今も不思議である。西山美千代は福岡県出身であり、この子は京都界隈の高校生である。


Ⓓ西山美千代。
上記の状態では、西山にもプライドがあるため、私に近づくことはあるまい。ところが、それでも西山が私に固執したのは何故だろうか。プライドを上回るものが使命か仕事か…であろう。

他にも幾つもの疑問がある。駿台経営陣は何故「西山に固執したのか」。私への固執、私への攻撃と非常識な振る舞い、好きな振り詐欺を三度もしたこと、高校生の子と何故知り合いだったのか、礼儀に反する行為等々をするのに抵抗はなかったのか等々である。
それらは使命感の関係であろうが、何の使命だったのかが重要なポイントとなる。後に記すことを全部読めば、彼女は刑事犯罪に抵触していた可能性が高い。

最初は、事務室で私に見えるように赤ちゃんをあやしたり、自然を装って、私の関心を引こうとしたりしていたようである。しかし、私は西山の容姿類に憧れは全くない。更に生き方も違うということで門前払いであった。そこで思うような効果はでなかった。
私抜きで、シナリオが10年近く、場合によれば50年程度決まっていた可能性が高い。そのスケジュール上、催眠という強硬手段が使われることになる。そして、その直前に🎎お嬢が岡山市に引っ越しをしてきていた。

あのままではスケジュールが狂う上に、Ⓑ高校生コースの生徒やⒶ水俣で出会った女性…などがいつ起こるか不明でもある。また、Ⓔ「Nazo」のような女性も入社してくる。
なお、横家はこの頃はもういたはずであるが、顔も名前も知らない。西山・横家両者ともに、私がこうした状況ならば女性のプライドから、私には寄ってこないはずであるが、その逆にでる。よほど、重要な使命を帯びていたのであろう。それ以上に、学校・映画人が、この二人(西山・横家)抜きでは後のシナリオが狂うということで強引な形で工作のみならず、催眠で誘導までした。何故、この二人なのかは全く不明である
ともかく、1983年度から、☠(謎のXグループ)が職員NM🚺(西山美千代)やYI🚺(横家幸子)…何人かに何かを依頼し、策動開始していた疑惑。(いずれ実証されるであろう)。ただし、最近は☠(謎のXグループ)ではなく、駿台経営陣の業務命令を疑っている。


このような状況の中で強行手段が決行される。催眠である。現世では完全な犯罪である。

1984年1月上記NM(西山美千代)🚺に熱が突如あがる(私の好みの女性ではないため、催眠なるものを知らぬ当時は不思議そのものであった。)。催眠熱の契機は1984年1月の高校生コースの👧(女の子)と西山美千代の眼が合い火花が散ったが如(ごと)くに思えて、驚いたのを契機に西山熱は起こされた。

この種の一瞬(数秒での女性熱)の前例は過去主なものだけでも三度以上あり、女性熱以外ならば更に多い。そして、どんどん多くなりつつある。
女性熱の主な催眠例とすれば以下がある。
高校時代=部落研後輩・水島熱が正に数秒で船田熱に変化。
岡山の予備校では駿台真相編06に記すが、職員・滝沢熱がやはり数秒か正に1秒で吉田熱に変化。これが催眠というものである。駿台真相編01を参照願いたい。

出会った瞬間ではなく、ずっと数年見ていて、それまで何ともないのが突如の熱…明白な催眠熱である。
こうして、催眠なるものに揺り動かされ、私の存在はどこにもなかった。
もっとも、私の存在があれば「我思う故に我あり」ならば、西山美千代に手紙を手渡すことは絶対になかった。

これらもあり、駿台辞職後の1989年末に川崎医大附属病院心療内科で、「私は催眠類で揺り動かされているとしか思えないので、私に催眠をかけて調べてほしい」と医師にストレートに依頼したが、断られた話は既に書いた通りである。

だが、催眠を放置しての生存は不可能である。第一貢ぎ労働の温床となる。(ポリテクカレッジ岡山の如くに、君がやりたいといったのでやらした。だから授業のためでも1円もださないがまかり通りだすし、実際にまかり通っている。強制労働よりも始末の悪い、貢ぎ労働・催眠強制労働である)。
少なくとも、その動いている人間は、私に見えても私ではない。これが西山事件のもう一つの本質である。もう一つは西山自身の三度に亘る、催眠誘導も絡めた好きな振り詐欺である。


後に、西山美千代なる女性には1996年か97年にホテル関西付近で実際に出会った可能性がある。駿台の誰かが仕組んだのであろう。私は言った。「あなたの顔も見たくないので出てこないで」と。
本日(2024/08/25)も、世界の歌掲載時に、🎃オジョウと西山が一人二役と思わされて書いた。もし、そうならば🎃オジョウと25年の付き合いといっても、もう無理だろう、と。好きの逆でそのくらい、頭にきている女性である。後に証明するが犯罪者として認識してもいる。(もっとも、🛵おじょう・田中と西山の一人二役だったかもしれない。だが、私には🛵おじょう=🎃オジョウと思えて仕方がないので、先の書き方をした。)
相手の女性もプライドがあろうに。それでは何故…なのか。
ちなみに、1983年からノーの女性である。女性のプライドはどこにいったのであろうか。

「相手に失礼な」と言われても、こうした物はどうしようもない。例えば、私が木下さんに関心をよせても、彼女はそれを嫌がる雰囲気であった。だが、それは人格であり、それを恨むのではなく、その人の好みの問題として尊重すべきである。そうしたときには、同僚としての綺麗な付き合いのみとして、後は近づかないのがエチケットである。
駿台の何人かを見て、後に記すように頭が狂っていると思うことが多い。

というのも、催眠熱から、催眠で💌手紙を手渡す形で、思うから手紙(=証明書)を手にすると、後に述べる激しい危害の連続となるからである。
どこの世界に、異性から「好意のある手紙」をもらって、その相手に攻撃を加え続ける人間がいようか。後に述べるように、私への激しい攻撃は手紙を手渡した直後からであり、横家や後藤が登場する前からである。勿論、🛵おじょう登場前である。
「お会いしてください」に対して「お断りします」という返答と共に激しい攻撃を加える女性などは見たことがない。その話は(5)で解説する。


彼女らの目的は、何の意図か、同時に横家と西山が何等かの使命をおびており、どうしても、私に近づく必要があったことの証明である。もし、使命がなければ、女性のプライド上、西山などは私に近づくことは一切ないはずであったからである。同時に(横家・後藤登場前から)攻撃や危害を加えることはなかったはずである。


なお、Ⓔの「Nazo」という女性であるが、外で偶然出会ったことがあるが声もかけていない。ところが、西山の真似をして逃げ回られた不自然さがある。第一、西山の怯え演技と逃げ型をどうして講師室係でもないこの女性が知っていたのであろうか。
駿台経営陣のなせる業である

ただし、Ⓓ(西山美千代)ノーを1983年度に思ったのを覚えており、当時は催眠は知らずに西山熱に抵抗して、催眠でⒸ(木下)に誘導される。理由は、最近ふと、映画説であり、「矢田事件」「木下先生」の語呂合わせによる催眠と思わされることがある。洒落からと…。駿台真相編の続きを読めば分かる。
何等かの使命があったとしか分析できない。


年表12: 1984年2月頃(真備高校同僚)木下さんへ手紙
当時は自然と思ったが、今考えると、🥴自然型を装う催眠であった。

西山熱に抵抗し、真備高校時代の同僚・木下先生に手紙を決意させられる。
だが、やめて2年経っておりためらう。すると即、木下さんと電車で鉢合わせ。そこで手紙を出す。返事はない。想像通り。教師・音楽・温和で良いは事実も真備高校時代に全く脈がなかったので近づけなかった通りであった。不思議なのは、当時は水俣で出会った女性との接触を模索していたはずである。しかも、こちらは確実に脈があった上に、生き方がまず合致の可能性が高かった。容姿も好みのタイプであった。

更に不思議なことは木下さんとは何度も同じ🚂電車のはずであるが、先にも後にも会ったことがない。私=京都駅=岡山駅=庭瀬駅。木下さん岡山駅―(庭瀬駅)―倉敷駅である。
偶然にすれば奇異であった。
過剰書きすれば以下となる。

①今更手紙など出せないと思えば、即、岡山駅から庭瀬駅に帰る途中の電車で木下さんと鉢合わせ。
②当時は、水俣で出会った女性にコンタクトをどうやってとるかの試行錯誤中(住所録は渡されたが、該当者らしき女性が2名いたため、どちらに連絡をするかで迷っていた)
③木下さんは確かに、私の方は🆗(学校教師、共稼ぎ、温和、音楽に造詣があり、情操教育はあると思った)OKであるが、真備高校時代に全く脈がなく、近づいても無駄と思わされていた人である。
④矢田事件を臭わすために、🎬(映画)説グループが私に木下さん宛て手紙をだすように誘導した疑惑を2024年から思い出してきた。だが、部落問題などは1998年まで臭わされたことがないため、意味不明である。1987年晩秋の意味不明の差別文書事件を除く。この話は駿台真相編07で記す。
⑤これで暫く西山熱緩和された

☆☆☆☆☆☆

2019年1月5日公開:木下さんと正に偶然出会う
気が向けば一言【変恋】№119・日本のフィクサーME・パート2付録編⑨・「お嬢から、女性C、そしてオジョウと映画説」
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1036/

☆☆☆☆☆☆

年表13: 1984年3月、早大大学院時代の教え子・カマタさんがテレビ登場(中村メイコ番組)
→ここで🎬映画説・📺テレビ説のゴングがなり、ドタバタ劇が開始する。後半は大阪校に移動して、危険すぎるドタバタ劇となる。ちなみに、カマタさんが📺(テレビ)にでたときに🎎お嬢に「教え子がテレビに出ているので見てくれ…」と電話をした。ところで、この🎎お嬢も「カマタ」と言う。

年表14:1984年春頃上京。孔雀の田中さんの紹介で見合い。

この見合いとは別に、東京で容姿と雰囲気のみでは理念型では理想中の理想の女性に出会う。【🥴催眠刷り込み】で、1984年駿台入社🚺(仮称・🚺Nazoとする)と人物がダブらされる。

駿台の女性には幾つもの謎がある。この女性が幾つかの謎をとく🔐(鍵)を握っているため「Nazo🚺」と記す。名前は当時も今も全く知らない。ただし、この🚺(Nazo)が私に関心を示さない限り、私は一切近づくことはないし、実際に一切近づいたことはない。偶然出会っても一秒たりとも会話もしていない。相手には相手の人格がある。この「Nazo🚺」は駿台京都校二号館編の(7)で記す。
要するに、関心をもてそうな🚺女性は駿台では全員無関係となっていた。
駿台🚺(女性)四人組の活用工作の証明でもある。

84年夏前に再度の西山熱が起こる。抵抗すべく見合い。

年表15: 1984年夏前:池田動物園で見合い女性とデート(大阪大英文科卒を自称)
東京居酒屋「孔雀」の(大学時代にESSに専念していた)お孫さんを連想。このお孫さんの名字は🛵おじょうと同姓(田中)である。

なお2015年訪米の際の添乗員が池田さん(池田動物園…で田中連想の女性)という。訪米の際には池田動物園に一緒に行った女性を思い出した。なお、訪米費用は二人合わせて11万2200円、即ち1122(いいふうふ)となっていた。2015年この女性・池田さんと二人のときにレイクパウエルで🌈虹を見る。 🛵おじょう(田中)と会う直前とデート中にも2回🌈虹を見たことがある。

池田動物園経営者は池田隆政、ここから私の名前・隆政が来ている。同時に、池田動物園と私の父(教員辞職後養鶏家)浜田耕治は商売取り引きをしていた。池田隆政名義年賀状を何度も見たことがある。

仲人さんから上手くいくと聞いていた見合いが突如の破綻、そして再再度の西山熱がおこる。
私はそれでもノー、第一、名前も・住所も・電話番号も知らぬ女性にどうやって対応するのか。更に職場内では講師と職員は二人では会えぬシステムとなっている。事務員の電話番号も聞いても正当な理由がない限り、(教員には)教えない決まりともなってもいた。宴会も別々である。
【🥴催眠と工作】
住所・電話番号どころか名前も知らぬ女性に手紙を渡せるかと、自己問答すると、即座に物差しが…私の座る机の上においてあった。そこに「西山美千代」とはってあった。通常は✎(鉛筆)や物差しには「駿台予備学校」と記載されるはずである。


主な催眠危害について―現行では生きる意味なし(ただし自殺はしない)。


①1997年1月徐行(原則時速15㎞)する予定でうしろの車に全て抜かせてカーブに入る予定でいた。所がセンターラインオーバーのトラックを見て、催眠がかかりアクセルを踏み、逆の行動を取らされる(事故)=真逆。

②2024年4~6月パソコンのファイルや家が煩雑で整理作業が不可欠となり、ブログ類は掲載は原則としてせずに、整理に没頭と読者に連絡をする。ところが、催眠誘導でBlogを月に13本前後毎月書かされる羽目となる。(真逆)

③駿台の件に戻せば、西山美千代は生き方などが違うとしか思えないし、容姿も興味がないのでノーと決定。1984年1月催眠熱:(真逆)
西山熱とほぼ類似が、1986年度の岡山の予備校での吉田さん。(真逆)
相違は、吉田さんは催眠熱解消後もめない、西山はその逆。比較分析上理解できない謎がある。

④長期に亘る問題。
私は苦手は言語類、次が芸術で、まず絵画類、並んで音楽。
長期カメラに誘導、更に「世界の歌」などで世界で活躍、また著述業を生業としている。(真逆)

⑤短期では村の川の鯉のぼり:絶対に撮らない宣言を催眠強制で撮らされる。(撮る前も、撮影中も、撮影後も怒り心頭):真逆

その他の催眠危害。当初予定のないことを誰かが意図的に別目的で催眠でさせる。下記参照。
なお、催眠類は当初は父・長姉など(後には近隣の親戚類)が犯人の可能性が高いが、駿台時代から☠(謎のXグループ)、第二次安倍政権から👺(政治関係者グループ)が絡んだ疑惑が高い。

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多数の催眠被害について。
上記の催眠型危害を駿台予備学校講師時代に受けた。その上、大阪校に移動してからは、授業妨害、学外での刑事犯罪被害まで受けている。ところが、30年以上経(た)っても原因がサッパリ分からない。誤解か勘違いと思っていたが、松江の友(昨年2019年4月死亡)は「人間違い」と言い切っていた。ちんぷんかんぷんなことの箇条書が以下である。

日本のフィクサーME・P6メモ②拉致問題とミサイル問題等(正式公開)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=28365
※このBlogのときも西山事件同様に催眠で、話が全く違うことを書かされている。
これが催眠である
(当時のメモ)に次の記載がある。
【私的メモ=駿台時代催眠女性熱被害:2020/07/25 13:30~16:17 に記述】
2020年7月25日の催眠誘導で、駿台時代の催眠問題を更に記す。某ブログで傘を見た翌日は香港問題を催眠で書かされ、某ブログで40円を見た翌日は突如、北朝鮮問題でまだ公式見解前のことを書かされ…で、…やがて「催眠」から駿台女性催眠熱被害(私が被害者、加害者は催眠かけた人物)の件に入る。また(催眠術を知っていた)医者の話も気になり…。

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催眠に支配されている限り、私は存在せず、生きる意味はない。

なお、西山催眠熱は、誰が仕掛けたか不明である。しかし、それに呼応して、次に述べるように西山などによる攻撃(危害)が準備されていた動機は不明であるが、一つは駿台大CMのためと、女性の良心類を麻痺させるために、人間違いが悪用され、怨念(おんねん)が入っていた疑いが高い。簡単に言えば、西山本人を含めて私への攻撃を開始するための西山熱であった。


亡き友人は笑いながら「人間違い」と糖尿病(Z3の父を連想)を明白に強調した(2012年)。また駿台辞職直後・1988年3月の彼の結婚式では彼の叔父が別人に入れ替わり(駿台)偽者を強調していた。同時に、その頃、川端三郎先生(駿台生物担当)そっくりの声の偽者に何度も出会う。

(5)人生の終わり―西山への手紙催眠強制狂っている


年表16: 1984年9月頃昼食のときに西山へ手紙を講師室(の奥の部屋)で手渡す
講師室からは丸見えであり、同時にいつもはこの部屋にも別の先生がいた。このときだけ誰もおらず、講師室からも見ていないような不思議な状況にあった。またモニターもある可能性のある部屋でもあった。
もし、今の如く、催眠の存在を知っていたならば、私は西山に📨(手紙)を手渡した後で、「あれは催眠ですので、無視してください。本当にご迷惑をおかけしてすみません」と言っていた。

この💌手紙(文書)を持って、攻撃が開始される。

西山美千代への手紙内容と返答内容

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2020/6/20:気がむけば一言
【変愛:駿台】№193・相変わらず、駿台講師時代の女性の件が分からず―手紙内容公開等
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1317/
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手紙の内容は神戸にいる🚺従兄弟に電話で全て読み、問題がないのを確認している。従兄弟が💌(手紙)はやめとけと言ったが他に手段がない。同時に、💌(手紙)を出すように催眠誘導されていた。何故ならば、キューピットの話を書いたが、「思う」だけでは騒動は起こせない。また口頭でも言った・言わない論争にもなる危険もある。証拠として💌(手紙)をださせたのであろう。
私はそれまで、女性への熱をあげての交際申し込みで💌(手紙)でしたことは一度もない。大学(#関学)一年の先輩女性は電話で、同級生は電話で(上手くいったと思ったならば催眠で余分な言動で潰れる。そのときに長姉がケラケラ笑っていた。長姉などによる催眠であろう)。次に後輩女性も電話で呼び出し直にである。私自身も結婚前提交際を💌(手紙)でしたのは木下さんと西山のみである。催眠誘導としか分析できない。

同時に、西山一人では揉(も)めるは不可能であり、もう一人を絡めるということで横家の出番が準備されていた。この時点どころか、彼女らが入社前から決まっていたとしか分析できない。
駿台は一言で言えば「狂っていた」。そして脚本Firstであり、私などどこにもいない。法的に言えば、私は授業・プレゼンテーションをしたい、駿台側はそれをやってほしいということで契約をしていた。駿台🚺ドタバタ劇への強制参加は事実上の契約違反・無料労働となっていた。

即、速達で「私には好きな人がおり…先生の好意にはお応えできません…」と返答がきた。ただし、手紙には西山の住所や電話番号は一切書いていなかった。そこでお詫びの返答もできなかった。

そこで、学校に行き、廊下で出会ったときに(それでもガラス張り構造のため事務所からは丸見えである)、他人には意味不明の形で、大きく一礼をして、「お騒がせしました」と詫(わ)びた。
これで終わった\(~o~)/(数時間後からほっとした〈ヤレヤレ〉が当時の心境であった。)
なお、詫びを言った瞬間に、何故か西山が悔しそうなというか・怒ったような顔をしたのを覚えている。意味不明であった。

ちなみに、一年半に亘り、顔を見て・毎回挨拶をしている職場の人間に対して、こうした失礼な対応(返答の手紙の裏に住所も書かない)を取られたのは生まれて初めてであった。催眠がなければ、これのみで、もはや永久に近づくことも、何等かの感情を抱くこともない。
知らぬ人ならばともかく、同一の職場で一年半見ており…この対応は「返答内容」よりも「マナー」面で信じられなかった。催眠がなければ、ここで完璧な結論はでていると完全に判断し、後は完全無視となっていた。プライド以上に礼儀の問題でもある。そうした毅然(きぜん)たる対応は催眠類で完全に遮断されていた。


なお、1984年度当時の、駿台京都校1号館講師室係🚺四名は以下となっていた。
私が駿台の教壇に立っていた頃からいた「カミ」(既婚女性)、1983年度入社組西山、「タケウチ」(既婚女性)、そして1984年度入社「コンドウ」である。(2号館が横家と後藤である。)
近藤さんが1号館にいたときの帰宅時にファッションモデルのような姿で一度でてきたのを覚えている。誰かに依頼されていたのであろう。現時点(2024/08/27)では駿台経営陣と🎬映画説グループの共同での演出を疑っている。

コンドウさんは1985年度は二号館に異動する。二号館で、彼女がジョーク的なことをした(⚾野球での監督の暗号指示の如く、1ならばコーヒー、2ならばお茶、3ならば蝮ドリンク…のSIGNを送ってきた)ので一度だけ笑ったことがある。時間にすれば1~2分程度である。すると、側にいた北山一(化学担当)が「お前らできてんのか」と冗談を言った。ちなみに、彼女との会話は駿台講師時代6年中でこれのみと言ってよい。後は挨拶類のみである。

ところが、何か意味ありげな形で、翌・1986年度彼女は北海道の医師と結婚という話で、1985年度退職となる(同じパターンが関学時代の友人👩回想№11[噂では結婚・北海道・医師へ…]である。当時の名字は金川と言った。今は結婚して両者ともに名字は違うであろう)。正にドタバタ劇であった。ただし、このドタバタ劇が大阪校に異動すると、戦前の日本の謀略部隊、あるいは731部隊か、戦後のオウム真理教型被害に変化してくる(駿台真相編06参照)。

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👩回想:先の№11の女性について{今回、2024/08/27 人名は全て《 》をつけて実名にする}。

《…№11🌝の女性KG(1981~83年頃の間)である。…。住所や現在などの情報が全く不明は駿台女性のみと言っても過言ではない。他の女性人はきっちりしており、住所も☎番号も全て、私が聞かなくても教えてくれており、未だにほぼ全て情報は残っている。駿台女性だけが例外である。

……
真備高校講師時代(1981年後半)か駿台講師時代の前半(1982年後半か、場合によれば1983年後半)に、関学時代の友達・KG《金川》が遊びに来る。…。彼女が、私の催眠利用での行動を解く鍵を持っている。

今考えれば、後に揉(も)めたときのために、わざわざ岡山市まで遊びに何度か来てくれた可能性が高い。彼女が全ての🔒鍵である。実際に、私の父・浜田耕治は彼女を連想する地(岡山市KG《金川》)で死亡した。彼女関連のリンクは一部№8~№9に掲載も、重要な方(下記α)が抜けており、それも追加して下記にまとめておく。

③=「安らぎブログ」
④⑤⑥=
(これが🔒)α)関学時代№8~9の箇所にはミスして非掲載(これで催眠悪用問題は全て分かるはず)
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―5・催眠と女性―満月の女・KG《金川》さんの謎:
2020/10/04正式公開
http://h-takamasa.com/Blog/?p=26871

β)関学時代№8~9の箇所にも掲載。気がむけば一言。
👧回想―6・(大学5)[№回想―6・(大学5)[№227]:関学時代5・🔏を握る👧登場
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1465/
掲載日2021/02/07

関連:1981~82年頃参照(下記は再度該当箇所で掲載)αβを理解するためにはγを読めばさらに分かる。
●(γ)気が向けば一言【SNS妨害】№255・Facebookで規約違反と判定され、非表示とされた箇所の検証(4):橋本聖子氏
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1616/
2021/07/30

δ)また以下にも、🌝の女性KG《金川》さんは登場してくる。
(気がむけば一言)【駿台】№207 女性問題でっちあげ被害、引き続くトラブル、更に人間違い被害疑惑(4)・駿台女性の謎と人間違い説。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1386/

……

なお、この中に№11女性・🌝のKGさんも一部登場。下記の箇所である。
《◇―4・医学部志望女学生の謎》(2020/10/03 1:00頃記述:16:21修正と追記)
●🌝の女性KGさんから言えることは催眠問題、同時に🤡は長期それが分からないが、相手はその当時から知っているということである。KGさんは大変信用できる女性のため、映画説ならば、催眠行動の種明かしをするため、ここで下記の長姉などに頼まれて…であろう。
次に№6の例の如く、🤡の長姉が絡んでいるということである。
駿台の件も🚺NM《西山美千代》も、🚺GT《ここは🚺YI・横家幸子の間違い》も私が催眠状態であることを事前に知っていて行動したとなる。ただし、催眠をかけた人間が同一かどうかは不明である。


私の父が1993年死亡した場所は金川であるが、今は、岡山市北区御津金川という。ちなみに、金川という名字発祥の地の候補の一つが岡山県の金川である。なお🧜お嬢(Miki)の嫁ぎ先は神奈川である。西田ひかる(現在は西宮市美作町の近くに住居を構える)の出身地でもある。
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ともかく、駿台講師室係🚺で私に接近してきた女性の行動は異常であった。常識的には駿台大CMのドタバタ劇である。結果として、そのCMはあたり予備校文化、更に駿台大発展(全国制覇、小学校から大学院、国際進出)へと繋がる。

なお、この北山氏とは、駿台京都校時代に吉田課長経由で「酒の席」を誘われ、飲みに行ったことがある。当時、この酒の席以外では会話も何もしておらず、化学担当で大阪校中心の講師のため何か不自然さを感じたことがある。西山熱や西山への手紙の前のような記憶があるが定かではない。

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(この項目全体の関連)2020/10/4 気がむけば一言(4)出発点の不可思議さ―人間違い説

【駿台】№207 女性問題でっちあげ被害、引き続くトラブル、更に人間違い被害疑惑(4)・駿台女性の謎と人間違い説。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1386/
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年表17: 1984年秋=西山の(派手に)怯えまくる演技を開始→他人がどう思うかで不安となる。


これには、今、考えると四つの目的があったように思われる。
①私への心理的(場合によれば、深化させ肉体的ダメージ)攻撃である。
②横家・後藤登場の出番を作る心理学工作。(西山一人では大もめ口実は難しいためである。)
③心理的に「うぶ」と見せかけ、私の気を引く、好きな振り詐欺の第二段である。
④駿台の大CMのため…である

①を解説するためには1985年度前半の2号館へ異動した受付女性Nazoを思い出せば良い。
私は二号館の授業に遅れそうなので、一号館から二号館へ必死で走っていた。それを事前に察知して待ち伏せしていたと思われる🚺Nazoが二号館から一号館に向かって歩いてきていた。
当然、私とすれ違いとなり、それだけである。ところが、先手を打って、私を見るや360度回転して二号館に向かって走って逃げた。すると、周りで人が見ていた場合には、私がこの女性を走って追いかけていると錯覚される。こうした噂は立つのは早い。

その後、🚺Nazoは二号館内でも私を見るや逃げ回った。これでは、私は仕事にならない。この🚺Nazoは1984年度入社組であるが、部署の関係で会話もしたことは皆無であり、偶然出会ったことすらほとんどない。1984年度は西山熱で参っているときである。1985年は🛵おじょう、…横家・後藤…でそれどころではない。この件は駿台真相編05-4(京都校二号館編)で記すが、横家を通して「普通にして…」で簡単に解決した。気のせいでは一切なかった。

ちなみに、🚺Nazoの逃げ型は西山とそっくりであった。どこで、西山の猿芝居を知ったのであろうか。もっとも、西山の場合は逃げる以外に、故意にオーバーにビクビクと怯える演技をしていた。当然、これでは仕事にならない。故意にやっていた。ちなみに、1985年春に深見係長にその話をすると、「西山さんが、浜田先生の手紙くらいで怯えるとは、私には信じられません」と何度か言われ、私の鞄を指さした(車寅次郎の持つ鞄と類似の鞄を当時は使用していた。)深見氏の話はこの後でまた登場してくる。
この怯えに大義名分を与えるのが💌手紙であった。だから、(催眠類で)手紙を書かす必要性があったのであろう。だが、手紙の内容は怯えるような内容ではなかった。西山が捨てていても、事前に従兄弟の🚺(女性)に全文を読み問題がないのを確認してから手渡している。

悪質というものではなかった。完璧な健康への攻撃と、私の業務妨害・営業妨害行為であった。代価(若しくは何等かの利権)が少しでも絡んでいれば明白な刑事犯罪である。もっとも催眠を知っての行動ならば、それのみでも催眠被害という刑事犯罪への共犯である。「男はつらいよ」と異なり、犯罪事件の確率が高いのが駿台事件である。大阪校ではそれが更に明確となる。その上、強制労働・契約外労働被害への共犯者でもある。

年表18:この怯え演技のため、案の定駿台京都校2号館でも何があったか…と後藤・横家が歌舞伎役者型で何度も私の顔を遠方から見続けて、二人で首をかしげるオーバーな演技を開始した。本当に芝居という物ではなかった。オーバーなジェスチャーの歌舞伎芝居に見えた。
※歌舞伎芝居型は1997年ポリテクカレッジ岡山(現・能開大)の森脇一雄(1997年度の学務課長)と横山豊さんのにらみあいでも見られた。正に猿芝居であった。これと同様であった。)

そこで 2号館で1984年10月頃か=不審人物でないことを証明するために→(やむなく)後藤・横家と会話をせざるを得なくなる。
【心理学工作と推測】この種の心理学的手法は駿台教壇以前でも、幾つかあった工作類である。こうして、無理矢理駿台ドタバタ劇に無料で参加を強いられることになる(契約外・強制労働)。

【行動心理学の応用疑惑】当然、(セクハラ・パワハラ・強姦…と無関係…の)誤解をとくため、彼女らに私を知ってもらう目的で初めて口をきかざるをえない心理に追い込まれた。それまでは京都校2号館女性とは1983年4月~1984年秋まで口をきいたことがなかったか、少し会話をしていても内容は全く覚えていない。それどころか誰が講師室係だったのかも全く覚えていない。(私は授業を求めて駿台の教壇に立ったのである。契約も同様である。)

だが、その前にこうした怯え演技は🚺Nazoの件の如く、それ自体が、私への危害である。金銭が絡んでいたり、催眠を承知でやっていたりした場合にはこれのみでも刑事犯罪となる。嫌がらせ以上のものである。手紙を渡した私にも問題がある…とはいい加減な。私は手紙どころか、西山に近づく気は本来一切なかった。催眠という犯罪で手紙をださせておいて何を言うかである。
その前に、そのドタバタ劇による、駿台CM効果と駿台の売り上げがどのくらい増えたかの方が重要なポイントとなる。

西山美千代に熱を上げ催眠の契機事項:後藤・横家登場の心理学的工作

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2019/5/23公開:駿台:岡短:人間違い
№142【徒然・私事】長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(8)―付録
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1125/
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年表19: 1984年11月頃か岡山中学・高校から専任でスカウト=駿台から引き留め。
松茸(お嬢🧜Miki連想の言葉)三昧の店で接待され引き留めされる。引き留め条件は政経のみで3年間は駿台で生活保障の確約(三年確約は大滝部長・駿台関西地区最高責任者、政経のみの付け加えは大滝部長の前で川端三郎京都校校長)。立会人=深見係長と先の川端三郎先生(生物担当・駿台京都校校長)。その後、何故か大滝部長から藤山寛美の劇の券を渡される。


恐らく、この引き留め理由の一つは、今やめられるとせっかく準備をした「横家幸子」「後藤」の出番がなくなるので困るだったと推測される。実際に、彼女らがドタバタ劇に登場した後は手の平を返した如く、私の駿台追放が開始されていく。少なくとも東京を含む駿台経営陣は、既に1984年頃かそれ以前に「1988年頃に私を駿台から放逐する」と決定していたと思われる。その根拠は駿台真相編06で記す。

ともかく、先にシナリオありき、謀略、挑発のみか最後は催眠動員のオンパレードであった。

ただし、西山美千代に手紙を出し、断られて、「お騒がせしました」と詫びると、何故40年間もめさすことが可能なのか・また各種人権被害(特に経済の自由・営業の自由・人身の自由の剥奪)を連続して受けるのかは全く今でも不明である。

私が駿台を辞めても、西山が結婚すると聞いても、その後西山も駿台を辞めたであろうが、まだ被害は続いている。
もはや映画説でも理解不可能である。
そこに、人間違いによる「怨念(おんねん)」なるものを感じるのである。


次に、西山怯え解説の③番の解説をする
私に催眠を使用してでも無理矢理、西山美千代に熱を上げさせ、その後で西山におびえた振りをさせる。すると、誰でも不思議に思うと同時に、同じ職場の女性がこういう態度をあからさまにするとは初心(うぶ)で私のやり方が奇異だったかと私に思わせ、そういう形で脈があるように思わせる。

横家幸子はただ単に楽しそうに私と話をさせる。(更に二度催眠動員の被害を受けている。最初は1985年前半で小泉今日子の一人二役の映画を契機に横家幸子=小泉今日子、次に移行して横家=私の高校時代部落研究部後輩船田さんで、会話をしやすい幻想をもたされる。あと一度の方は駿台真相編05-4京都校二号館の箇所で記載する。)

横家と後藤の写真はいまでもあるが、笑みは本物に見える。
しかし、Z家の小母・千代子さんも、我が家へくるときは2013年でも、2014年でも頭のてっぺんから足の先まで全身笑みであった。同じことである。映画か何かでスポットライトを浴びていると有頂天になったときに見られる笑みかもしれない。自分も準主役になった、と。同時に使命を果たしたと。
また、横家幸子には当時は彼氏がおり、1985年夏には婚約をしたことも参考までに付け加えておく。

下記中の「(6)詐欺なるものについて」江利チエミが詐欺被害に遭った話を参考にしてもらいたい。

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【💁2024/07/19正式公開】
駿台事件真相編―05-6・駿台CM作戦―世界からの女性刺客情報(中)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=45030
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後藤さんは、ただ単に私に憧れたという振りをして、純粋に慕い続ける役をする。
私は生まれてこのかた彼女以外でそうした経験はないのであるが。簡単に言えば、そんなものあるわけがない。正確には容姿・雰囲気などから、見た目から、そうした状況になった経験はない。こうして三者三様で好きな振り詐欺を開始する。
相当、プロ的心理学が応用されていた。

西山・横家・後藤については、後に各論で述べるが、心理学が随所に応用され、同時に話題になりやすいように変化をつけていた。


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好きなフリ詐欺第二波の解説=1984年秋頃~1985年3月頃→🚺(女性陣)みんなで参加序曲。おじょうとの対比

2021/7/6正式公開: 安らぎブログ
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4②・駿台🚺、更に謎の差別文書の謎―②(=その2):好きな振り詐欺2波など
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(6)駿台ドタバタ劇強制・契約外労働:カミなる🚺、そして🛵おじょう

 


年表20: 1984年11月頃に、🛵おじょう(田中さん)と見合い。仲人さんは一番人気のある子と言っていた。

見合いのときか初デートの頃に京都にいきがけに、新幹線の中から🌈虹をみた。
見合いで🛵おじょうと出会う。意気投合というよりも、見事に私をリードした。(と言っても、私は単純なもので…)
後に、🛵おじょうと、鳥取でデートをしたときにも🌈(虹)がでた。

他方で、京都校1号館では西山の怯え(演技)がやまずに弱る。おじょうは「ほっとけ」と。
だが、極端なため、駿台講師室係🚺「カミ」に事情を伝えて、「西山に普通にするように頼んでくれ」と依頼した。
ところが、今度は「カミ」が舞い上がり、「カミ」が西山をだしたり、引っ込めたりで喜びまくる。

そこで、「カミ」に、「カミさんも普通にして…」というと、「カミ」が怒るというか不機嫌となり「先生はまだウジウジ…」と捨て台詞(喧嘩言葉)を言う。私は呆気にとられた。「何で、彼女が不機嫌に(若しくは怒るのか)…」、と。怒るのは私の方だろう、と。ホテルに戻ってから思ったという奇妙な話である。
当時は意味不明も、友人諸君は喜び回った謎もある。

1984年末頃のカミのからかいについては、後に記述の必要性がないと考えていたが、しつこい挑発が2019年か2020年頃から何度もあった。
勿論、カミの件について催眠で何度も言わされた。
歯科でも…その種の気配を感じたこともある。
何故、カミの件で斯様(かよう)に拘(こだわ)るのか、未だに不明である。
カミの件で何かを記すのは時間の無駄と考えていたが、2024年度ですら、余りにしつこいため、カミの件での一応の仮説を記しておく。(下記には新仮説もある。)
①(1990年代~2010年代前半)女子高校生がスポットライトを浴びて有頂天になったのと同様な現象と考えた。
②(2019年説)映画謀略説
③(2021年催眠による解説:映画茶化し説)カミも(映画説グループ藤村氏などに煽られて)女性ドタバタ劇に参加しようとしたときに私の発言(「普通にしてくれ」)に女性のプライドから怒った。
④(1982年頃思わされた)私に関心を持っていた(一貫してあり得ないであるが、その演技はしていた)
⑤(今回の新説)駿台経営陣による駿台大CMのために、視聴率稼ぎでドタバタ劇をより激しくした。場合に依れば、🎬映画説グループ(藤村尚美氏か誰かが)アドリブを付け加えた。

📢だが(理論)本質(駿台大CM計画と人間違い利用)から分析すれば上記の記述抜きで、分析可能なはずである。

今は、⑤が有力な仮説であるが、流れの関係で①~⑤の順番で解説をしていく。
その前にカミの話で既に書いたBlogを紹介しておく。

年表21: 1984年11月~12月頃:「カミ」に手を焼く。

①(1990年~2010年代全前半の解釈)スポットライトを浴びたい・気をひきたいという女子高校生型有頂天説。
小岩の塾の小学生とか、女子高校で新任や新卒の男性教師に対する女子生徒に見られる現象と解釈していた
当初の項目ではここはコメントなしとした。というのも(人間違い発覚:駿台事件の本質も人間違い危害と分析された)2019年より前は、公開及びそれに該当する原稿での女性についての記述はほとんどないからである。
拙著『閉じた窓にも日は昇る』(Kindle、上下各百円)を調べたが「カミ」の件は何も記述はない。それどころか、駿台京都校、西山、横家、後藤などについても、全部で1ページ程度しか書いていない。駿台大阪校での刑事犯罪被害と授業妨害、更に駿台による契約違反問題がほとんどであった。これらの公開原稿では名前は全てイニシャルとしていた。

2019年の人間違い問題発覚から、駿台関連は何故か女性問題に誘導されている。単純に解釈すると、女性に関する怨念(おんねん)も駿台事件の本質の一つのようである。だが、それは私ではなかった。人間違いである。

なお、丁寧に精査すると『閉じた窓にも日は昇る』(2010年半)省略部分があった。
岡山短大(ポリテクカレッジ岡山)を辞職する頃、突如、駿台の女性問題を催眠で書かされた記憶とほぼ同じである。(多忙なのに…と怒りながら)。そのときの解釈は記憶では下記とほぼ同一であった。

【資料―二〇一〇年版参考箇所】(省略検討していたが、念のため掲載){今回記号箇所に《 》をつけて具体的人命を付け加える}
【参考―1】駿台女性KM《カミ》の件(二〇一〇年一〇月二〇日追記)省略検討
α・駿台講師室係NMの先輩KM《カミ》の箇所について挑発型記述強要があったため、馬鹿馬鹿(ばかばか)しいが当時の巧妙(こうみょう)な手口を記す。読めば、どこにでもある自然の流れに思えるであろう。全体的手口は、このような形で、通常の社会の出来事として開始し、次に不自然さが……後には「現代社会では理解不可能な出来事」へと深化(しんか)していった。

NM《西山》の怯えに手を焼いたため、一九八四年下旬にNM《西山》の先輩講師室係・KM《カミ》{既婚(きこん)女性}に次のことをお願いした。
私「NM《西山》さんに、お騒がせしてすみませんとお詫(わ)びしたのですが、まだ怯(おび)えておられるようなので(仕事上困るので)普通にしていただけるようにお願いできないでしょうか」(このときに、NM《西山》に手紙を出し断られたことも言ったと思うが。)

KM「先生は、まだウジウジ思っていらっしゃるのですか」、といきなり挑発型で言い去る。余り親しくない(しかも私より年下)女性のこうした言葉は喧嘩(けんか)売り言葉であり、恐らく後に行う予定のからかい・挑発への私のオクターブを高める目的があったのであろう。少なくとも結果としてはそうなっている。

その数日後くらいから、KM《カミ》はNM《西山》が私の方を歩くやケラケラ笑うのみか、時にはKMに私の方を通らせるように・時にはKMを出したり引っ込めたりと(私に見える形で)指示して、同じく笑いまくる等々。他にも参ったこと・問題行動をされたが、詳細には覚えていない。一言で言えば一九八一年に教壇に立った女子高校の生徒が集団で有頂天になったときの如(ごと)く行動に見えた。異性に振られた後は、授業直前――時には教室に行きかけたときに――からかわれると相当気(き)が散るものである。これらをKM《カミ》の〝からかい〟と当時は解釈していた。動機は、女子高生などが若い男性教師の気を引くために、からかい始め上手(うま)くいくと有頂天(うちょうてん)になったときの心理、若(も)しくは自分が主人公になったかの如(ごと)く有頂天(うちょうてん)になったときの行動様式類似状況と当時は思っていた。当然、彼女らの上司YD《吉田》課長などは、この頃は事情を知らないため、何のことか分からなかったであろう。
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2019/05/16 0:47から公開
気が向けば一言【徒然・私事】№141:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(7)―2010年分析《を収録》
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1135/

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(2024/08/27 17:11)上記の引用は2010年記述したものである。読者が興味をもたないと考え、本には掲載しなかった部分である。今、読むと事実誤認があるかもしれない。カミには「西山さんに普通にしてくれ」とその後でカミにからかわれたので「カミさんも普通にしてくれ」と言い、後者でカミが怒ったと思っていた。
しかし、上記の記述が正確ならば、西山の怯えの解説をカミにして不信をとこうとしたときに、主語抜きで「普通にしてくれ」、するとカミが「まだ先生はウジウジ思っているのですか」と喧嘩言葉を言った(怒った)となっている。ただ、私はカミの「ウジウジ」の言葉に唖然(あぜん)としたのは覚えている。
どちらが正確かは今は不明である。些細な問題であるが、参考追記である。

同時に、誰かが都合の良いようにするため、文書改竄被害が続出していることを記述しておく。重要なことは本質論と、裁判などでの具体的な証人尋問である。また、カミとタケウチは既婚女性と聞いてもいる。すると本質(駿台大CM計画、その上で人間違いからの怨念)に直結すると思う。


②映画謀略説:2019年人間違い問題が発覚後に、催眠で解釈を迫られたときに書いた文章。
【2024/08/27 引用部分の略号に実名をつける】
「α・「前者(α)の場合が、NM(西山)の先輩・KM(カミ)に『NM(西山)さんに通常にしてもらうよう』にと伝言を依頼した件である。その後で、KM(カミ)に授業直前等にお前を少しからかわせる。するとお前は怒る。だが周りはお前がNM(西山)に振られたことも知らぬため、KM(カミ)のからかいなどには気づかない。KM(カミ)にもう少しからかわせる。お前はKM(カミ)に怒る。するとKM(カミ)の上司の管理職・YD(吉田)課長などが逆にお前に怒る。こうして対人関係をややこしくする。つまり周(まわ)りを絡(から)めさすのである。でないと、お前が失恋しただけでは、後の刺客―2~4などが自然に出現できないであろう。ただ、お前がKM(カミ)に怒らないので苦労したが、何とか別の方法で、一度だけとはいえ、YD(吉田)課長を怒らせることができたが」、と。

KM(カミ)が、恰(あたか)も女子高校生が教師の気を引くのが度が過ぎたような形で図に乗り、有頂天(うちょうてん)になったような形で私をからかった理由はこれで明白になる。おまけに、KM(カミ)は二十代後半でかつ既婚(きこん)者である。そんなことをするはずは通常はない。まして職場で。上司のYD(吉田)課長も当然そう思う。私もそう思う。それがからかわせた理由なのである。

「{映画説故(ゆえ)に、}NM(西山)の先輩女性KM(カミ)は、無関係の教職員を巻き込みややこしくする目的で、故意に授業前に(他人に分からないように、お前、否(いな)、人間の心理を突き)挑発してたのだよ。その件で頭にきたり・気が散り困り、お前がKM(カミ)に怒り、その意味が不明の上司YD(吉田)課長がお前に怒り、喧嘩(けんか)となるように。若(も)しくはお前に更(さら)に誰かに相談させるのが目的だったのだよ。そして、ややこしくできたと感じるや、役割が終了したことになり、それで大人しくなった」、そうである。
……
「だけど、お前がS(駿台)予備校女性に指一本触れておらず、デート所かS予備校外でもあっていない以上、本当は、誰も女性の件ではお前のことは何とも思っておらず、暇(ひま)つぶしに喜んでいただけなのだよ。定年退職後にS(駿台)予備校に来ていたKW(川端三郎)先生なんか楽しくて仕方なかったのだよ。だから、お前を見てゲラゲラ笑っていただろう。途中、計画通りに行かなかったが、ただ、次のステージ、登場人物の関係で、もうごり押しをしたのだよ。ともかく、刺客―2~4をスムーズに登場させることがすべてだったのだよ。」


気が向けば一言【徒然・私事】№141:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(7)―2010年分析
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③2021年催眠による解説:映画茶化し説(辻褄合わせ型形式主義目的のアドリブ加担疑惑が高い)。

ところが、真偽不明であるが、2021年頃に、催眠が奇妙な解説をしてくる。
そうではない。当時の「カミ」さんのヘアスタイルと藤村尚美先生の言葉を思い出せ、と。
当時、藤村先生は私に何度か次のことを言っていた。
「浜田先生、目をさましなさい。先生はおかしい。先生の目はおかしい。よーく、ご覧なさい。先生、「カミ」さんみたいな女性を美人というのですよ。もしくは魅惑的というのですよ。先生、よーくみてごらんなさい…」
これを数度言われたことを思い出した。私は「カミ」さんは既婚者であり、女性としては一切見ていなかった。同時に容姿も好みではないし、生き方も全く違う女性である。

藤村先生が私にその言葉を言った頃、確かに「カミ」がヘアスタイルなどを何度か変えていたような記憶がある。当時はなんだろうか…でしかなかった。

就寝中に催眠が言うには、「カミ」さんも映画説…に加わりたくて、ヘアスタイル…をかえて、浜田先生(私)が「カミ」さんにどういう反応をするか見ていたそうである。そして、そのときに「カミさんも普通にしてほしい」といったため、女性としての自分を馬鹿にされたように誤解したというのである。あるいは藤村先生か誰かが「カミ」にも何か(浜田先生の本当の好みは「カミ」さん型か何か)を言ってたぶらかした疑惑もあった。
要するに女性のプライドを傷つけたというのである。嘘か本当かは知らない。催眠解説である。

この頃、何故か、映画狂藤村先生と会話が多くなっていたのが気になる。
まさか、「カミ」さんにも何かを言って煽ったのでは。恐らく🎬面白半分に。
再度書けば、怒った(若しくは気分を害して捨て台詞を言った)のは私ではなく、信じられないことに「カミ」の方である。真逆である。モニターをまだ保存していれば画像確認しても簡単に分かろう。

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藤村先生が「カミさんこそ美人、浜田先生よくみなさい」と「カミ」が…の種明かし。
「普通にして」が女性のプライドを傷つけたそう。
(寝ている間の催眠解説では)その頃に、私がKM《カミ》さんに「普通にしてくれ」と言ったので、女性のプライドを傷づけられたと怒ったそうである。

とっさに適当な言葉がでないので、「ウジウジ」なる失礼語を言ったのであろう。

二日目(2021/01/25)の種明かし。
実は、その頃、NM《西山》さん、YK《横家》さん、多分GT《後藤》さんなどが、私に対して「好きな振りごっこ」をして、誰の所に行くかゲーム感覚の遊びをしていたそうである。
その中に、KM《カミ》さんも加わったそうである。
女性にすれば、彼女らのPrideがあり、競技大会で誰が一番になるかという心理にGT《ここはGTではなくYK・横家》さんなどはなった疑いがある。そこにKM《カミ》さんも加わったそうである。

そうした最中に、私が「普通にしてくれ」と言ったのででカチンときたようである。ましてや、ヘヤスタイルなどを変えて、私の気を引こうとしていたときに、「普通にしてくれ」と言えば勘違いをして激怒することもあろう。

女性のプライドという琴線にふれる言葉を言ったようである。
要するに、このときに怒ったのは私ではなく、KM《カミ》さんの方である

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2021/1/26
気がむけば一言:2021/01/26 1:10公開
【駿台】№223・駿台講師時代ウジウジの話―怒ったのは私ではなく逆では?
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下記も関連文書である。
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教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4③・駿台🚺、更に謎の差別文書の謎―③(=その3):💁2021/07/13 14:53 正式公開
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(2024/08/27 18:21)藤村氏は必ずしも悪人ではないが、映画視聴率率先主義者である。同時に、私とは相容れない冗談型タイプであり、煙にまく・茶化し説の疑惑がある。視聴率以上に、一からコツコツ型ではない。真逆に見えるが、前田先生(政経担当)とある意味で類似の箇所がある。


④本当に私に関心があった(or犯罪隠蔽型予備作業)。馬鹿馬鹿しいので当初の駿台経営陣計画説とする。
1982年に駿台教壇にたったときに、(先の高校生コース以外でも)女子生徒が何故か、べったりとソファで私のすぐ横に座ることが多かった。極論すれば太ももが接する程度に。それを見て「カミ」がかなり反応を示しており、何故、この女性は既婚にも拘(かか)わらずに、私に関心を持つのだろうかと不思議に思ったことがある。

相当前から、映画説で、故意に女子生徒(それも美形が多いが)異性として関心を持った振りをしたか、映画・テレビ説の余興で「面白半分」にしたのであろう。これ自体は珍しいことではない。
駿台以前の女子高校でも美人の女子生徒が、故意に、私の椅子の前と机の間か何かを通り、太ももをあてられたことがある。どこで、か。教師が50人程度いる、職員室のど真ん中で。誰も知らぬ顔をしていた。
ちなみに、真備高校では社会科教師控え室などの個室では必ず複数で女子生徒に対応している。ポリテクカレッジ岡山では先に「質問は歓迎しますし、日常点にプラスとしますが、女子学生は一人では質問に来ないようにしてください。必ず複数できてください」と念を事前におしている。特に1995年度頃以降は徹底しているはずである。

私は通常の女性に関心を持たれるタイプではない。二枚目で颯爽(さっそう)とした、知的な(駿台英語講師の)福﨑伍郎君(今は代々木ゼミにいるそうな)とは違う。それでは何故、女子生徒が私に…。映画説だからであろう。

真備高校(女子高校)、駿台以外でも、こうしたことが不思議と多い。顔も知らぬ若い女性が、脚が痛いか何かで動けなくなっており、おんぶして運ばされたり(1970年代の宝塚市か)、迷子になっている若い女性を車でおくらさせられたり(1980年代前半岡山市)、…である。「義を見て捨てざる勇なきなり」でやらされた上に、私の理想タイプと違う以上に「義を見て捨てざる勇なきなり」に反す(弱みにつけ込むべからず)で、住所も電話番号も聞いていないし、相手が聞かなかったので私の名前も・住所も・電話番号も教えていないと思う。

そこで通常は、真備高校の如(ごと)く、他の教師は知らぬ顔か、面倒で見ていないかのどちらかである。駿台予備学校でも同様であるはずが、「カミ」だけが「ワァ」という顔で見ていたのを覚えている。映画説の場合には、複雑なシナリオがあり、それに沿っての関心のある振りの予備作業としての準備と今は解釈をしている。なお「カミ」は既婚女性である。また、既婚ならば、通常ならば女性が憧れる福﨑伍郎君(英語講師)がいたはずである。また、私は彼女のようなタイプに好意を抱かれた経験はない。

⑤駿台経営陣CM説と駿台説の複合でのハプニング(アドリブ)説。
現在の解釈は用意周到な③で予備作業を1982年にし、いよいよ予定の1984年度に(催眠まで使用して)西山に計画通りに熱をあげさせた。その後で、1982年からカミを少し絡める計画があった疑惑が高いが、面白くする(視聴率を上げる)ために🎬映画説グループがその絡め型をアドリブ型(煙に巻く型)にして、私への業務妨害を滑稽話にするという辻褄合わせを図ったただし、私に契約外労働・強制労働を強いた事実は変わらない。

ところが当初の絡め型に対して、映画狂の藤村尚美先生か誰かが、その脚本を茶化して、アドリブでカミに余分なことを言って、カミの髪型やカミも参加的なマインドコントロールをしたと解釈をすると意味が通るような気がする(アドリブ加味説か、カミの性格分析上からの行動心理学応用説)。ただし、分析しても意味は全くない。時間の無駄である。


カミの1984年末のからかいは事実かどうか。面倒であるが、事実である。上記を読めば想像はつこう。また必要時には聞き取り調査が重要である。同時にモニターでの確認である。
カミの件については以下の人物全員に聞けばよい。駿台映画説による私の人権侵害被害・強制労働被害などの賠償問題に絡む場合には裁判所での証人喚問が一番良いことは常識でも分かる話である。私に催眠をかけて何かを書かすは更なる、私への強制労働でしかない。

(5)で書いた西山怯え問題(猿芝居)と絡めれば、⑤で決まりであろう。更に、本質論=駿台大CM計画を忘却してはならない。本質が重要である。


証人(聞き取り調査人物一覧)。
①西山美千代本人。
②仕組んだ犯人の疑惑が高い藤村尚美氏(国語担当)。2024/07/05の日程表に藤村尚美氏の住所と電話番号をメモして、One Driveに保存しておいた。
③場合によれば1号館講師室係近藤さんも多少しっているかもしれない。
カミ本人
⑤駿台経営陣が大筋で絡んでいて、私と和解する場合には駿台経営陣(ただし、信憑性を持たせるため、故意に何人かの幹部には教えていないと分析している。)

間接的証言とすれば以下の人物群である。
⑥私の女性従姉妹に相談したならば、「女性…は調子に乗っているので、私が引っ叩(た)たいてやろう」かと電話で言っていた記憶がある。
⑦、🛵おじょう(田中さん)にも何度か相談していた。おじょうがおぼえていよう。第一、その対策で、おじょうにつきあってもらい、駿台から贈られてきた歌舞伎座の顔見せ興行に一緒にいってもらったのだから。
カミなどの女性陣のからかいがなければ、おじょうに顔見せ興行へのお供は願っていない。当時は芸術は苦手で、歌舞伎には全く興味がなく、顔見せ興行の途中で退席したはずである。
カミなどの講師室係🚺対策のために、🛵おじょう(田中さん)に同伴を依頼した。

なお、1985年前半にタケウチにカミの件を言わされたのは催眠である。私はカミの件どころか、会談申し込みすらしないと方針を出していた(これらは、駿台二号館編を参照)
この件がどうしても気になるのならば、実名公開に踏み切りつつあるため、📰新聞・📺テレビ局のスタッフが、関係者に直に聞き取り調査を何故しないのか、となる。

東京…の教え子…の件でも、新聞などで茶化すが本人に何も聞きに行っていないと思われる。ましてやその子の友達(こちらも教えていた子)が中村メイコ番組に登場していたのに。
福原愛が、それをもじってか、(離婚の方ではなく)最初にいろいろ書かれたときに「不思議だな。誰も私に直に聞きに来ない」と揶揄(やゆ)していた。


その頃、何故か、映画狂藤村先生と会話が多くなっていた。同時に駿台中に潜入していた映画説グループの候補として、駿台の藤村尚美先生、前田先生(政経担当)、(駿台ではないが、駿台に関連してか駿台から依頼されて、私をポリテクカレッジ岡山に行くように仕向けた疑惑がある)岡山の嶋坂先生を想像している。

駿台真相編07で登場する #部落問題 は全く意味不明であるが、これも駿台経営陣と映画説グループが何かのハプニングを利用した疑惑が高いちなみに、私が知っている部落解放運動をやっている人は「人間違い」とか「糖尿病」(我が家の住所番地を70年使用していたZ家の浜田稔さんを示唆することが多い。)部落解放同盟のHPのトップは長期「藤村(=島崎藤村)」、「映画(破壊)」、差別裁判(地域連などは冤罪)の「石川一雄」氏を強調している。なお、駿台内で、昔、化学の石川正明先生が「藤村」を「とうそん」と故意に呼んだ謎もある
部落問題については、1982年駿台教壇に立ったときから1998年ポリテクカレッジ岡山を辞めるまで、意味不明の差別文書(1987年下旬)の一回以外には、一切登場してこなかった。1981年の真備高校では部落問題研究部の子の文化祭の応援をして幾つかの原稿を書いていた。なお、1982~98年に部落問題が本当に絡んでいるのかどうかは全く不明である。私は嘘(無関係)と思っているが、人間違いを臭わされると判断に迷うだけである。これ以上のことは駿台真相編07で検討しよう。

食道で偶然ご一緒した岡映氏には駿台の「ス」の字もいっておらず、駿台内やアパート内で岡映氏の「オ」の字も言ったことはない。ただし、1998年度にポリテクカレッジ岡山・雇用促進事業団との交渉立ち会いをお願いすると、「糖尿で脚が悪い」(Z家の稔小父さんと同様)を示唆され断られた。亡き友人は「人間違いが原因」と言い切り、(西山美千代社長カード詐欺と同様の)2019年カード詐欺に遭った日に糖尿病で亡くなった。これだけが唯一のヒントである。

Z家と部落問題があるのかないのか不明であるが、私はZ家の人間ではないので何も分からない


私の方からの重要なことは以下である。
α)講師室係🚺に対して、私の方はパワハラ、セクハラ、ストーカー行為は一切していない。同時に、この件で吉田課長にもやむを得ず、事情を解説したが、「カミ」が解職や左遷がないように配慮したり、職場におりづらくならないように配慮したりして言っている。その結果、当初はカミは吉田課長共々楽しんでいたようにすら見えた。彼女が大人しくなったのは、1985年度に入り、平野真理氏なども絡んできたようにみえてきたときからだと思う。これが全てである。

β)他方、私の方は人生の生き甲斐であった授業などの激しい妨害を受けている。教材研究にも相当な悪影響を与えられている。更には私の健康悪化に関係していたならば大人権侵害である


なお、これらで揉(も)めたのではない。駿台大CMと視聴率稼ぎのために、「揉(も)める」という脚本があったので、何があっても揉めるという結論に物語がしたがったのである。同時に、人間違い絡みから、誰かの怨念(おんねん)による計画があったのかもしれない。その計画は「揉める」という結論ありきの計画であった。

後半の駿台京都校二号館編で登場する、謎の🚺(Nazoさん)の際には横家経由で「普通にして」依頼で簡単に物事は収まっている。
後半で登場する一号館から二号館に異動した、名前も知らない某女性(仮に🚺Nazo)が、その他の問題も含めて、謎の幾つかをとく鍵をもっている。正に映画説のなせる業である。


(2024/08/28 10:49追記)
カミの仕事は講師室係としての給料、私へ行為は業務妨害であることは百も承知、既婚女性、私と浮気等…は全くないし・双方望んでもいない、職場・講師の何人かに気づかれる、人も見ている、一つ間違えば厳重注意とか上司に睨まれる、私よりも年下…通常は不可能な行為である。また動機も不明である。
可能な場合は駿台経営陣からの依頼、若しくは大枠での許可のお墨付き、これなくしては通常は不可能な行為と分析される
彼女の行為解釈第⑤説では、自然に見せるために1982年度から私に関心という演技、…そして、自然に●●介入予定だったものを、🎬映画説グループの藤村氏がアドリブで何かを言ったようであり、それに乗じて▲▼(上記の形で)介入となったと想像している。

次のことが判明すれば、この件は二行書けばすむ話である。
α)私が願っていた裁判で、この件も出されたときに、世論の応援もあれば誰か(カミ以外にも裏の真実を知っている何人かいる…人達が)が真実を語るときに、「◎◎から依頼か大筋の許可があった」若しくは一種の業務命令があったと彼女や真相を知っている人が言うか
β)お金などの利権か(お褒めの言葉を含む)利権供与があったことが証明された場合には解説はいらない。
社会科学者でもある、私はαかβ、あるいは両方に該当する(意図的)行為と分析している



年表22: 1984年11月~1985年2月🛵おじょうとデート三昧。駿台で催眠がないときはこの世の春とも言えた。
休み中は、催眠も休止か、西山の件などを考えたこともまずないし、脳裏から消えていた。それが催眠である。駿台に行っても、西山の顔を見て楽しいと思ったことは催眠下でも一度もない。他方、🛵おじょうの思い出などはかなり長期あり、📺テレビから西田ひかるが打ち砕くまで続いていた。催眠西田ひかる熱は、🎃オジョウが打ち砕いた。

🛵おじょう《田中さん》の父との会話も収録

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2020/9/4 気がむけば一言
【謀略】№204・愛宕山、🌈おじょう(🛵)から安倍昭恵まで。#駿台:🧜・🎎→🌊(🐬)→🛵(🌈)→🌞(📺)→🎃
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あれだけ派手に西山の怯え…に、彼女の上司・吉田課長が気づかないはずがない。ところが、後に吉田課長に経緯を言ったときに彼は知らなかったと言う。吉田課長も駿台・映画説からの事前のシナリオを大半は聞いていたと現在は分析している。信憑性を見せるため、吉田課長などは一部は知らない部分もあったであろうが。

駿台事件は、駿台全国展開、世界への進出、駿台の縦のライン(小学校から大学院まで)創設に向けての大CM計画が脚本の土台にあった。それとペアで人間違い被害が悪用されたようである。なお、企業戦争は、国同士の戦争よりも激しいときがある。当時は、予備校全国制覇争いの真っ最中でもあった。

2024年8月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA