気が向けば一言【変恋】№119・日本のフィクサーME・パート2付録編⑨・「お嬢から、女性C、そしてオジョウと映画説」

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気が向けば一言【変恋】№119・日本のフィクサーME・パート2付録編⑨・「お嬢から、女性C、そしてオジョウと映画説」


【登場語句】#


【更新】下書き公開 2019/01/04 23:00 作成2019/01/05:4:37公開。 12:39微修正

2019/04/28 11:38 一番下のTwitter がポップアップしないため、コピー添付。




《はじめに》
この原稿は、やむを得ない理由で、大急ぎで書いたため、一部ミス記述があるかもしれない。取りあえず公開して、しばらく寝かせた後で、修正版を「公式ブログ」に掲載予定でいる。

《全箇所共通注意事項》

(1)著作は、原則として、十二回の見直しをして作成している。
(ブログは、通常、一回程度の見直ししかしていない。)
今回の原稿は、この十二回の見直し以前の単なるメモである。
そこで、作品時点では大きく様変わりするであろう。
それを頭に入れて読んでいただきたい。

(2)この文書は、故意に嘘(うそ)を数パーセント程度いれている(私から見れば多分一パーセント程度)。どこが嘘かは公開できない。善良な第三者に迷惑をかけないための措置である。
総論として、この文書はフィクションとして書いている。

(3)『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html
◎風景描写→字数の関係で、メモではごく一部を除き風景描写は原則として大きく省略する。



2013年訪韓問題については①韓国政府説、②北朝鮮説は既に記した。次は③ニコンのライバル社説(企業説)と政府説であるが、催眠誘導で、④政府説は飛ばし、かつ先に⑤映画説や、⑥カムイ伝型謀略集団説を書けと暗示があった。流れが失われるため、余り乗り気はしなかった。だが、幾つもの脅し的な物もあり、やむを得ず、下記⑤及び⑥を今回と次回掲載する。

なお、当初は③企業説は問題なかろうと思っていたが、企業説に絡み、私の住んでいる市…も、多少関わったばあいに備えて先に⑤映画説、⑥謀略集団説を書いておいてくれとの指示もあった。

読者獲得上は③企業説が先であるが、妨害及び各種威嚇上やむを得ず、⑤映画説を先に掲載する。今回はテーマも訪韓の経緯―4ではなく、「お嬢から、女性C、そしてオジョウと映画説」となり、順番が狂うが先の威嚇のため、どうしようもない。まず、最初に訪韓での諸妨害の犯人に関する仮説を【資料】として掲載する。



【資料】
☆☆☆☆☆☆
六つの仮説
☆☆☆☆☆☆

①(韓国謀略説)訪中の後で、従軍慰安婦肯定論を私に結びつけられ、その誤解から器財をやられた。韓国国民の反感をかった。
……
②(北朝鮮説)訪中の際に、#張成沢 #金正男に絡められ誤解をされ、北朝鮮政府ににらまれた
……
③(ニコンのライバル社説)カメラメーカーの争いは熾烈(しれつ)であり、まさに企業戦争であった。
……
④訪韓の最大目的は安重根記念碑撮影であった。さらに、当初は韓国から竹島(独島)に行くか、それとも板門店に行くかを検討していた。そこで、日本政府関連の一部か何かが、その妨害工作をした。
……
⑤映画説で話題提供を図り続けている人間による仕業。
……
⑥さらに、その中で、私の周辺で、白土三平の『カムイ伝』型で、私と近隣の親戚をいがみ合わす工作(近隣・親戚間との分断・対立策謀や謀略)が2002年頃、遅くとも、2005年頃から徐々に進行していた。その関係者達による一貫した攻撃の一部かもしれない。
その工作は、該当者のアキレス腱(けん)若しくは琴線(きんせん)を狙い、徹底的に、ときにはこじつけてでも無理矢理、私と該当者と対立をするようしむけてきた。
……
徒然(つれづれ)なるままに№23・写真残酷物語第七話・政経編(残酷物語最終回)
●http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=22085

徒然なるままに№23・写真残酷物語第七話・政経編(残酷物語最終回)




S予備校辞職の原因と不可思議な女性C及びオジョウの物語

 




S予備校辞職原因は、刑事犯罪被害のオンパレードによるものであった。学外での刑事犯罪被害とS予備学校との因果関係は不明である。
当時の課長は無関係と断言をしている。
ただし、学内でも被害に遭っていたがそれについてはそのままとなっている。

この原因と思わされたのが女性問題である。
ただし、どの女性とも一度もS予備学校以外では会っていない。学内のみである。事実上指一本ふれてもいない。(事実上とは大勢の人がいる場所での握手が一回あるだけである。)


詳細には、拙著『閉じた窓にも日は昇る・付録編』で2016年販売予定でいた。メモ類は2016年までに終了していたが、諸妨害で2019年1月4日現在でも発売できていない。
その中の箇所が今回の女性問題と次回の職業選択の自由剥奪への道である。
☆☆☆☆☆

閉じた窓-付録編

☆☆☆☆☆

女性の問題を今回はメモ代わりに記す。


1982年超大手予備校S予備学校の教壇に立つ。
このとき講師室係の女性が四人おり、一人は既婚、もう一人もやがて結婚のため、二人の独身女性がいた。
背が高い、俗に言う良妻賢母型(三従の教え型)女性A(美形女性A)、もう一人はお茶くみ担当よりも他の仕事をしたいという雰囲気の女性Bである。後者はほんの少し、大昔に、家庭教師をした子に似ていたかもしれない。

前者は、私とは生き方が違うため、全く関心がなかった。後者は、少し興味がてらにみていた。翌年度は両者とも辞職をした。当時の課長の話では後者は「お茶くみ…だけでは」が辞める原因と言っていたが真偽は不明である。理由は両者ともに一度も口をきいたことがないのに等しいからである。一回分の見合いよりも会話時間は短い。


問題は翌年度(1983年度)である。
私もこの頃30才となり、そろそろ結婚をと考え出していた年であった。
この年に、先の二人が辞めたので講師室係の女性が二人入ってきた。一人は既婚であり、もう一人が独身であった。仮にCとしよう。このCは前年のAと似た雰囲気であった。1983年4月~6月頃、仕事を依頼する以外にほんの少し話をした。一回当たり2分程度であろうか。
結論は、私の生き方とは合わない、生きる道が違うと感じ、失礼ながら私の方で遠慮をした。勿論(もちろん)、相手は本来更なる門前払いと思う。それでよい。それで世の中上手(うま)くいく。この女性Cはここで終了であったはずである。(ところがこのCという女性が引き金の如く形で…S予備校辞職となる)
なお、この年度に二号館にも二人の女性が入ってきたようである。女性D女性Eとしよう。Dは一号館で見て、若い人はよいものだ程度の印象である。会話はしていないに等しい。ちょうど電車の中で女性を見るが如(ごと)しである。Eは全く記憶にもない。ところがところが…

【水俣で会った女性F:1983年】
1983年夏、熊本の教員研究集会に授業のヒントを求めていく。拙著『求め続けて』や『旅に心を求めて―不条理編(下)』参照。
そのときに、学生風(多分四年生)らしき女性がいた(仮に女性Fとしよう)。美人ではないが、雰囲気的に、こういうタイプが良いと、俗に言う一目惚(ぼ)れである。

しかし、年が違う。相手は22才前後である。
同時に、私は本格的デートでは過保護であった。きっちりとしたデートは数人としたことがあるが、全部、相手から誘われ、コースも相手が決めていた。ただし、どの女性とも潔癖な付き合いである。と言うよりも、いつも相手の手の平の上である。
その中の一人が拙著『日本のフィクサーME』登場モデルのお嬢である。ただし、この女性は数人の女性を合成している。そうでないと相手に迷惑がかかるからである。だから、『日本のフィクサーME』(上下ともKindle、Kobo各百円)には嘘(うそ)を5%~10%入れていると記している。
お嬢なる女性については『同上書』参照。

こうして女性を私の方から誘う訓練はしなかったため、誘うことはできなくなっていた。
だが、こうした出会いで、私好みの女性と会う機会は滅多(めった)にない。そこで勇気をと思うがなかなか難しい。
そこでこう考えた。
熊本の教員研究集会で最後の日に現地視察旅行がある。私は水俣行きを選んだ。
もし、この女性が同様のコースを選べばアタックしよう、と。
確率は数千人参加の研究集会で、水俣行きはバス一台分の参加者である。極めて低い。

ところが、この女性が来た
一泊二日である。
そこで何が何でも…と考えたが、駄目であった。
この1983年はこの女性の件で終わりである。
後に水俣参加者の全員の住所録が送付されてきたため、年末頃まで、一か八かで手紙でも出そうかなどを考えていた。

1983年末までFに熱をあげていたはずであった。(講師室係)Cの件は1983年夏前に私の脳裏からは異性としても対象外となっていた。

【S予備学校講師室係C:1984年】
(運命の1984年)
1984年を迎える。S予備学校2年目の最後である。
1984年冬、理由もなく、突如Cに熱を上げる。
何で。
(今考えれば、明白に催眠である)
当然、私の理性は拒否をした。
理由は、最初の如(ごと)く、私の生き方とは合わないと結論をだしていたからである。
私の生き方として、私のエッセイ「万国の女性よ自立せよ」参照。全くこの逆のタイプだからである。

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エッセイ・写真―1回・万国の女性よ自立せよ。
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/p-essay/custom7.html
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【SB高校音楽講師Gへの手紙:1984年】

しかし、熱をあげさせられる。弱ったというものではない。当時は催眠型意識変化など知らないから焦った。何とかこの熱をなくしたい、と。
そこで、冷静に考えると、S予備校の教壇に立つ前に、岡山県のSB高校教壇に立っていたことがある。
そのときの音楽講師G(出会った翌年からは中学校音楽教諭)を思い出した。
どうせ、勇気を振り絞りアタックするならば、私の考えに基づいてやりたい。ならば、Gに一度手紙をだしてみよう。
もう、1982年3月から合っていないが、一か八かでと。何故(なぜ)、SB高校時代にアタックしなかったか。何度か会話をしたが、脈がなかったからである。
脈があればデートにでも誘い結婚をしていた。
しかし、私とは合わない、私の生き方とは合わないと思った女性にアタックするよりは、駄目で元々路線を考えた。理論で考えても、私が冷静なときに合わないと結論をだした女性と上手(うま)くデートをしても後に合わないとなる結論が高い。
合わないと考えたから、1983年夏前からほとんど口もきかないし、様子をみてもいない。もっとも、会話量がしれているため、勘違いもあろうが。

ともかく、SB高校講師時代に、この女性も良いと考えたGに手紙を出した。(確認すれば分かる。)
返事は一切なかった。当然であろう。SB高校講師時代に、何度も話をしたが、相手は私に関心を示さなかったのだから。
しかし焦っていた。
私がノーと言った女性Cに熱があがったのだから。(当時は催眠なる状況を知らないため、何が何か分からなかった)。
ともかく、早く、自分好みの範疇(はんちゅう)内の女性と会わねば、と。

ここで、思い切って(水俣で出会った)Fという手もあったが、何しろ、熊本の研究会で数回、水俣までのバス中で二日しかみていない。会話はゼロである。他方、(音楽講師)Gは一年間非常勤講師で一緒していた。会話量は少ないがある程度している。
ただし、脈はなかった。
それは相手の自由である。その意思は恨まずに尊重しなければならない。当然である。

拙著『日本のフィクサーME』登場モデルのお嬢が良く、私に言っていた。「お兄ちゃんは変わっているから普通の女性は理解できないわよ。私しかお兄ちゃんのこと理解できないわよ」。
一度で良いのに、それを何度もきかされた。(これは実話である。)
これを何度もきくと、次第に真(ま)に受ける。

ところで、手紙を出す前におかしなことがあった。正確には突拍子もないので手紙をだすのを断念しようと思うや突如、(S予備校から新幹線で岡山駅、そして)岡山駅から在来線で(アパートのある)庭瀬駅に帰る途中でこのGに偶然出会った。
過去、一度も出会ったことがなかったのに。
一か八かで良いと思った女性にアタックをと迷い始めるや同時に偶然であった。
思い出した。もし、このときに出会っていなければ、幾ら何でも不自然なため、Gには手紙をだしていなかったかもしれない。同時に、手紙を水俣で出会った女性Fに出していたかもしれなかった。

手紙を出したが返事はない。どうも気まずい。
万一、再度、この女性Gに偶然汽車で出会ったならばどうしようかと、この女性Gと偶然出会うのを避けるため、逃げ回った覚えがある。
私はストーカーの逆なのです。
女性に関しては大変臆病なのです。
勿論、良い返事を貰(もら)っていれば、逃げるの逆で大喜びで会っていた。
だがそうではなかった。

おかしなことは、このときに逃げ回ったのを後にCにされるのである。同じことを。

【S予備校Cと生徒H―両者が…:1984年】

この頃、もう一つおかしなことがあった。
S予備校の女性に、突然熱をあげる直前の話である。
この頃S予備校の現役高校三年の生徒で大変可愛(かわい)い子がいた。Hとしよう。医学部進学云々(うんぬん)希望と言っていたが、榊原郁恵を連想するような大変可愛い子であった。私によくなつき、質問によくきていた。まだ顔があどけないので、女性と意識せずに、私も目にいれても痛くないような感じでかわいらしいと思い、質問に答えていた。
ある日、この生徒が質問にきて、長椅子で私の横に座り、嬉(うれ)しそうに質問をしていた。ところが、このときにS予備学校女性Cがお茶をもって入ってきた。
そのときにHとCの視線があった。
すると、Hは私が勝ったというような顔をした。それを見てCがにがりを潰したように顔をゆがめた。
私は何のことか分からなかった。第一、高校生Hと講師室係のCがどうして知り合いなのか、と。S予備学校は京都だけで五千人の生徒がいる。
高校生コースの子と講師室係Cが知り合いのはずがない。
何のことか分からないが、何だろうかと驚いたことだけを覚えている。
(確実に、この二人が知り合いか何かであり、更に火花が散ったような雰囲気があったことは事実である。)

そして、この直後に、私が突如Cに熱をあげるのである。
なおHさんは、当時17才か18才であり、私は30才であった。恋愛感情類は全く思いつかなかった。とにかく、小学生相手の如(ごと)く、本当にかわいらしいという感じでいつも接していただけである。
お~い、覚えているかい。Hちゃん。
ちなみに、好きな容姿は、このHちゃんタイプ。ただし、当時は全く女性としては見ず、かわいい子供として見ていた。相手から誘われれば喜んでいったであろうが、万一どこかに連れて行くとしても動物園か遊園地かという感じであった。私の方はS予備校外で会おうとも思ったことは一度もなかった。
もう、彼女も、50才を超えているであろう。


こうして1984年冬は音楽講師Gに手紙をだし、返事がなかったため、音楽講師Gに再度電車の中で出会うと格好が悪いと感じ、S予備校からの帰路は逃げ回り形で帰宅し続けた。ともかく講師室係Cへの熱は完全に冷め(否、覚め)、やれやれであった。熱は完璧に冷めた。

【運命の1984年夏:見合いのIさん、だがついに講師室係Cへの手紙】
1984年度が始まる。1984年4月からである。
1984年4月から夏は授業も軌道にのりかけ、楽しい最中であった。
人生で一番充実していた時期である。
再度Cの存在は忘れていた。
なついてくる生徒は多数いるし、質問攻めで、別に質問日を一日設けねば対応できなかった。今、考えても一番楽しかった。
そこでCの出番はなかった。
ところが、再度、この年の夏前に何を契機か(催眠でいう信号を契機か)不明であるが、突如、Cに熱をあげかける。

またも焦った。早く、見合いして結婚でもせねば、と。
Cという女性は容姿はよいし、性格もそんなに悪くないかもしれないが、当時はアタックはノーという方針であった。もっとも性格は、この頃は1年半合計時間で十分間か多くても二十分未満のため不明である(一回ではなく、1年半の合計である)。
そして、1983年夏前に出した結論が頭にあった。同時に職場内で付き合うとなれば結婚前提のみではなく、万一潰れても、S校に拡散するため、慎重にも慎重を期するであろう。
ともかく、理由抜きに突然熱があがった。(今考えれば催眠であろう。)


大慌てで見合い三昧をして、この女性と結婚前提に付き合おうかと考える女性に出会った。
1984年夏前後だっただろうか。
彼女が言うのが事実ならば大阪大学英文科卒と言っていた女性Iである。
学歴はどうでもよいが、覚えている語句が先の学校名である。私ももう年で、ではこの女性と結婚前提で付き合おうと考えた。
姉がこの女性を知り合いか何かと言ったような記憶もある。そして姉からか、間に入った人からか忘れたが、相手も乗り気と聞いた。
これでようやく、結婚のコースに入れたかと安堵(あんど)しかけたが、相手は「安定した生活を望むので、S予備校非常勤講師では…」と本人から直(じか)に断られた。
(本当は、私も安定した生活を望んでいたので、詐欺と契約違反がなければ、1983年度か84年度から旧労働省系大学校の専任教師となっていたはずであった。その詐欺等は次回記そう。これが結婚・女性問題以上に更にややこしい。)
ちなみに、この女性とのデートは一回のみで、場所は池田動物園であった。池田…は『日本のフィクサーME・パート3』の訪米の箇所で登場するため、覚えていただきたい。パート3の話をすればミスター・オバマも(≧Д≦)するであろう。


こうして、1984年夏に入り、再度不可思議な形で熱があがる。
簡単に言えば催眠である。しかし、今考えれば、最初から計画され、何度も熱を上げさせられ、私がノー・ノー・ノーと言い続けたことが、相手のCに伝わっていれば、相手は怒り心頭であったであろう。ではどうなるか…。もはや流れを書かなくても、読者は簡単に後の展開を想像できるであろう。


熱は下がらずに、ついに、1984年9月であったであろうか、「結婚前提にお付き合いを考えてもらえないでしょうか。ともかく、一度だけS予備校以外で会っていただけないでしょうか」という手紙を相手に手渡す。
ここでも、不思議なことがある。
私はこのCという女性のフルネームを知らなかった。
名字しか知らない。ところが、手紙を出そうと迷い始めた頃、私がいつも使う控室の机の上にこの女性のフルネームが入っていた物差しがおいてあった。確か、この物差しで彼女のフルネームは知ったと思う。

S予備校は講師が千人ほどおり、講師名簿などはなかったと思う。もしあっても、職員の氏名や住所は掲載されていないと思う。掲載されていれば、手渡しではなく、郵送していたはずだからである。勿論、S予備校講師室係の女性名でフルネームを知っているのはこのCのみである。
結論から言えば、最初から最後まで、私の意思は不在の物語である。
私は操り人形の如く、操作され、後始末のみ押しつけられたにすぎない。
「我思わぬのに我あり」の典型がこのS校時代の女性問題である。


流れから、待ちに待たされ、プライドを傷つけられたCがどうでるか。
すごかった。
私が、音楽講師Gに手紙をだした後、出した私が怯(おび)え回った姿を激しく強調したことを毎回やられ、びっくりをした。

ともかく、きっちりとした「お断り」の返答を貰(もら)ったため、私は紳士的に対応をした。きっちりとした形と書いたが返答には相手の住所などは一切掲載されていなかった。そこでやむを得ず、学内で、廊下ですれ違ったときに「御迷惑をおかけして申し訳ありません」と言って、お辞儀をした。
これで済んだと思ったが、逆であった。
さらに、学内で出会うと人がいようといまいと怯(おび)えまくる演技をされた。
事情を知らぬ人は、何だろうか…となる。

なお、このときに振り回され、相談に乗ってくれていた従兄弟(いとこ)などが「目をさませ」と言うと同時に、私の話に付き合うのも長すぎると呆(あき)れかえられ、見放された。
しかし、私も、今ならば言いたい。
私に目を覚ませではなく、「かけた催眠を止めてくれ」である。
ちなみに、この女性への熱は1986年3月にS校の教務から京都校から大阪校への移動の話がでた後で突如、体からス~と消えていった。熱が消えるシグナルが電話だったのであろうか。催眠とはそういうものである。

詳細な流れは『閉じた窓にも日は昇る』(付録編)に記そう。こちらは百パーセントの実話であり、フィクションは一切いれていない。

【見合いで「おじょう」と出会う:お嬢、おじょう、オジョウについて】
しかし、今回は少し『日本のフィクサーME』波長で続きを書こう。ただし、上記までは百パーセントの実話である。

そこで、大慌てで見合いの連続に入った。
結婚してしまえば、相手も怯(おび)えはやむであろう。それ以上に、私も年齢からいって、結婚への焦りもあった。

そのときに見合いして、ややこしい女性と出会う。
これが『日本のフィクサーME』で登場する「おじょう」である。
{日本のフィクサーMEでは一番よく登場するのがオジョウ🎃、次がお嬢であるが、ごくわずかに「おじょう」が登場する}
三者のイメージは以下である。ただし、関連性は不明である。

☆☆☆☆☆
6-4・『日本のフィクサーME』登場人物紹介
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

☆☆☆☆☆

お嬢のイメージ(大学時代1972年~:私をおにいちゃんと呼ぶ:人物は二人を合成した架空の人物も一部は事実。悪い所のみ)

お嬢

 

おじょうのイメージ(1984年見合いで知り合う:似た絵がないため取りあえず招き猫で:何故か後に西田ひかるとダブらされる)

 

オジョウのイメージ(1999年登場した、『日本のフィクサーME』の常連女性:一度お嬢そっくりの顔になる)

オジョウ

 

何故、この女性を「おじょう」と名付けたか。
この女性とデートのある日、この女性の住所を聞いた。すると相手は躊躇(ためら)ったが、割り箸の袋か何かに書いてくれた。そのときの文字がお嬢の文字と似ていたからである。
さらに、ややこしいのであるが、先の大阪大学英文科卒と言っていたときの女性が、拙著『日本のフィクサーME』で登場する居酒屋・徒然草(つれづれぐさ)のモデルとなった居酒屋・「?」の家の娘さんと雰囲気が似ていた。この娘さんも英語を専攻とし、英語サークルで活躍していた。そして、この(居酒屋?の)女性の名字が、「おじょう」と同じ名字であった。

更に、不思議な話である。名前以外は実話に近い。
この頃、(大学時代の友人・本家)お嬢が私の住まいの近くに移動してくる。
お嬢は結婚しており、旦那さんと子供さんをつれて、私の当時の住まい・岡山市に引っ越しをしてくる。
私は、この頃よからぬことを考えた。
従兄弟(いとこ)に、恋愛相談を拒否されたため、ではこのお嬢を「恋の指南役」としようと考えた。そして実行した。
その話をオジョウにした。
するとオジョウは言った。

オジョウ「そう、それでどうなったの」
ボン(私)「全部つぶれた」
オジョウ「ハハハハ。そうだろうと思った」

ちなみに、先の英文科卒の女性Iとのデート場所をもじった女性が、訪米の際の添乗員の名となる。そして、このときの話を是非、ミスター・オバマにしたいと思っている。
彼に聞きたいことがある。そのとき彼はうろたえるかもしれない。(*^▽^*)


オジョウなる女性は『日本のフィクサーME』で登場するが、彼女との出会いは1999年であった。ところが、この女性を何故オジョウとネーミングしたかと言えば、この女性がある日、突然、一日だけお嬢そっくりの顔になったからである。
そこで、この女性をオジョウと記している。
お嬢との出会いは1972年頃である。そこで、オジョウを見ると、何故か1972年頃からの知り合いの感じがし、実際にその頃からの知り合い的な感覚で話をしてきた。オジョウと最初出会った頃(1999年)でも、大昔からの知人という雰囲気であった。
すると、本年(2019年)で半世紀近い知り合いという感じとなる。
オジョウと私がどうなるのかは知らないが、半世紀…で。
長い話となる。


【1984~85年:再度S予備校】
再び『閉じた窓には日は昇る』(実話)に戻る。
話も再び1984年~1985年に戻そう。
このときに、Cのおびえ方が激しく、二号館などの講師室係D同係Eなどが、何があったのだろうかと怪訝(けげん)な目で見るため、やむを得ず、二号館の講師室係とも口をきくようになった。それまでは後に記すように会話はほとんどしていなかった。
私が真面目な人物であることを分かって貰(もら)うため、やむを得ずの会話が二号館女性との接近の経緯である。
もし、Cの人前での怯(おび)えがなければ二号館女性とは後にもほとんど口を利かずじまいの可能性が高かった。
ところが、上記の事情で会話をし、…催眠もあり…、DやE…だ、云々(うんぬん)で騒ぎは広がったというだけの話である。DやEともS校以外では会ったことはない。

詳細は『閉じた窓にも日は昇る・付録編』で記すことにして、気にある点のみを記しておく。
二号館講師室係Eである。
私は彼女の存在は1983年度は全く知らなかった。興味どころか顔も名前も全く覚えていなかった。
ところが奇妙なことが幾つもあった。
第一が、現在、同志社大学教授であるN先生も、S校に、当時、バイトでこられていた。N先生が「浜田先生、二号館に面白い人がいますよ。格闘技の一種◎◎をやっていた女性が…」と、まだCの件でもめる前に、言われていたことがある。私は全く興味がないので聞き流していた。
N先生でなければ別の先生だったかもしれない。

もう一つ奇妙なことは、Eと会話をしかけた前後頃、Eとよく似た若しくはEを連想させる女性と岡山駅を含む岡山市で何回も出会う。後にEと雑話をしていたときに、実際に妹さんが当時岡大に在籍していたと言う。
これまた良くできた話である。
こうして、DやEも各種方法で絡められる。
詳細は今回は省くが、重要なことは以下の点である。
一つ目は、C、D、Eとはデートどころか、一度もS校以外では会ったことがない。
二つ目は、会話量は一度Eと長電話をしたことを除けば、各人とも、S校在籍時代に、一人当たり合計三十分か、多くても一時間もないはずである。
三つ目は、CDEの性格は今も全く不明である。称賛も批判も含めてできず、何も全く分からないことが全てである。
四つ目は、S校辞職後どころか、京都校から大阪校への移動電話と同時に、各種感情は大半が消え失(う)せる。
五つ目が、余りにできた仕組みが随所にみられたことである。
六つ目に、本質は「我思わぬのに我あり」、私の感情類を操作され、私が全く不在という、ことである。

こんなドタバタ劇に付き合わされ、生存に値するのであろうか。と、日々思う。そしてそれがはや数十年となる。


S校辞職の経緯は既に紹介したし、いつか再度紹介するかもしれない。
簡単に言えば、刑事犯罪被害である。
ただし、S校の関与は全く不明である。(S校以外では無関係の可能性が高いかもしれない。だがS校内はどうなるか…)
なお、大もめする直前に、京都駅でYH理事長(当時のS学園理事長)に出会う。
恰(あたか)も、YH氏に直訴しろとばかりに。
だが、当時は、学内で話せば分かるだろう、即ち時期尚早(しょうそう)と思い、直訴はしなかった。今考えれば偶然とは思えない。
さらに、老後を考え、2010年に当時のYH理事長にS校復帰を一か八かで相談しようかと思った。
所在を調べると、思った頃に、亡くなられていた。病名は肺癌であった。
そう筑紫哲也氏(早大政経卒)救済依頼文書をだしたときに筑紫氏が肺癌を発表したように。(2008年死亡)
ただし、小渕恵三総理(早大政研先輩)に救済依頼を2000年4月3日出したときには、その夜小渕総理緊急入院のニュースが流れたが、小渕氏の病名は肺癌ではなく脳梗塞であった。

ともかく、S校を1988年に辞職を余儀なくされた。
ここで、完璧に、経済の自由・職業選択の自由・人身の自由を剥奪されていた。それは徐々に分かってきた。
大きな収入口をうしなったのではなく、経済の自由・職業選択の自由・人身の自由剥奪を公然と宣言されたに等しい状態になっていた。後に、明白に分かる。貧困ではなく、上記の人権剥奪を事実上公然とされていた。

【S予備校辞職後:西田ひかるからオジョウまで】
再び、陽気な『日本のフィクサーME』(嘘を故意に一パーセントから十パーセントいれた物語)に移動する。
S校辞職するや、突如、西田ひかる、なるアイドルが登場する。
1988年デビュー。
私はミーハーとは異なり、アイドル型の女性には興味がない。
ところが、今考えると、催眠型か精神疲弊型で熱をあげていく。
この女性も不明な点が多い。
生まれは神奈川である。水俣で出会った女性Dも住所録は神奈川だった気がする。これは確かではない(埼玉県だったかもしれない)。
次に、早見優の英語番組を見ていると、早見優と同様な形で上智大卒として登場する。
更に、最近は母校の一つ関学がある市に住んでいるそうな。

ともかく、TV双方対話など思いもせぬ頃に、何故か熱をあげさせられ、私は病気のせいかと思った。そこで、雇用能力開発機構への交渉文書にはそのことを明記しているが、今考えると違うかもしれない。催眠型での熱の可能性が高い。
勿論「機構」による被害ではない部分は「機構」に損害賠償・慰謝料請求はできない。公正に行いたいが、裁判という手段を封じられたため、前に進めぬ状態にある。
丁度、西田ひかる熱はS校の講師室係への熱と同様であった。
なお、西田ひかるなる女性はときどき、途中で登場した「おじょう」(1984年末見合いであった女性)を連想させるときがあった。

この訳のわからぬ西田ひかる熱が冷めるきっかけが、「オジョウ」との出会い(1999年)であった。
こうした訳の分からぬことが続く。


なお、暗示では、途中何度が出会った女性は「お嬢」か「オジョウ」の化身で同一人物と思わされる始末である。実際にそうかもしれない。
ただし、私は、もう「お嬢」にも、「おじょう」にも何も思っていない。お嬢は今でも親友に近い友達でしかない。恋の指南役は降りて貰(もら)うことにした点だけが昔との相違である。西田ひかる云々(うんぬん)は、記述するのも時間の無駄である。
意味がないことが全てである。


人生の大きな柱の一つが結婚であり、もう一つが生業である。まず、結婚を含む女性問題は、こうして、私不在の中で私が動かされてゆく。
女性の件は一貫して、私自身が不在であった。
こんな馬鹿な人生をいつまですごすのであろうか。


当初予定は、訪韓でのトラブル問題で、①北朝鮮説、②韓国説、③企業説、④日本政府説などを記し、読者に興味を持って貰う予定でいた。同時に、そこに読者が知らぬ、日本・世界の謎が隠されていた。その後で、全く違う角度から真相に近づく。今回の⑤女性の件(催眠)と、⑥職業剥奪への道・仕組まれた罠(X集団説)を掲載予定でいた。
ところが、④では現在の日本政府のダメージが強くなっては困るため、先に⑤と⑥を書けとしつこい催眠誘導があった。
次に、③は問題なかろうと思うと、その後ろに政府や地方自治体(地元)…が登場する危険があるため、やはり後回しにしろと誘導があった。③でバーチャルの世界と現実の世界が交差し始めたので、●●を恐れたのかもしれない。更に③を書けば、県北で…も私絡みである…可能性があるものが浮き彫りになるため、⑤催眠・映画説と⑥X集団説を書けとなったようである。
読者が興味を持つのは③や④だったのであるが。
今回の物語で、読者が関心を持つようにするには、『日本のフィクサーME』に散りばめることが望ましかったが、せっかちな▼▼や■■が絡んだようで…。金をだして購入もせずに、盗人猛々しいといつも思っている。

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1083235971657719808

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1083235971657719808

【上記Twitterがポップアップしないため、上記の内容を下記にコピー添付(2019/04/28 11:37)】

19-010-3【私事】⑤1986~87年B社系岡山予備校職員女性の件を突如思い出さされ…。 隠したのではない。全く忘却していた。 当時の職員が「まさか」…? これが催眠。 同予備校もS予備校相似形。外で会ったことも指一本触れたこともない。 数年後に、何で熱を、生き方相違!😵不思議。共通点=私が不在

 

 

 

 

 

 

2019年1月5日