人間は良いもの、厄介なもの

人間は良いもの、厄介(やっかい)なもの


2020/09/16 14:22下書開始

2020/09/16 21:18《◇―4》を下書記述。

2020/09/16 21:51 《◇―7》下書記述。また《◇―4》を《◇―6》の後へ移動。

2020/09/16 23:07 一番上の見だし

 


今回は #駿台 女性陣は登場しないが、いずれ結合するであろう。駿台時代の犯人Xが、駿台で刑事犯罪 次にポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)、そして、ここ二十年我が村で暗躍した疑惑がある。今回は我が村の話である。いずれ全て結合する可能性が大である。原因は、駿台講師時代に 犯人Xが私とZとを人間違いした。Zと思い、意地になり、1983年頃から(駿台を含む)女性などに何かを依頼して…そして人間違いのまま引継ミスで…ここ20年間は我が村で…暗躍。その暗躍との絡みで写真残酷物語が…。

出発点での人間違い

 

《◇―1》花と写真の話。
この二十年余り、花と写真に関する挑発が多かった。
花は綺麗(きれい)である。
いや、花も綺麗である。
だが、私は花の名前はほとんど知らない。
そこで、死亡した長姉がいつも、私に花の名前を聞いて、私が花の名前をあまりどころか全く知らないので面白がっていた。笑いまくっていたことを覚えている。

しかし、花がどうしたのだろうか。
何のことか分からないが、二十年余り花の挑発が気になっていた。
一、二年前にやっと気づいた。
特に、今回掲載した村の記録(村アルバムに挿入文書)の一部をHPに掲載してようやく分かった。


《◇―2・村アルバムと花》
既に、「村の記録」に掲載した理由で、1994年頃から1999年にかけて、村アルバムを作成していた。
そのとき、ID村の中でもNT組合の家をどう記録に残すか思案した。
その結果、次のような結論をだした。

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また、各家・花・花と家でNT組合は構成したが、花などを□□家がこちらがよいと言わんばかりに植え替える度(たび)に、私も何度も撮り直すと、私が花撮影が趣味と勘違いされ…で🤷、ということもあった。ただし、□□家は1999年以降は撮影していない。1998年以前の話である。勿論(もちろん)、予算問題もある。
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ふるさとの記録―2・拙著『フォットエッセイ・ふるさと』(村のアルバム記載文書から)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=21887

ふるさとの記録―2・拙著『フォットエッセイ・ふるさと』(村のアルバム記載文書から)から

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要するに、各「家」、次に「各家を代表する花」、そして「花とその家」という三枚写真を考えた。
そこで、凝り性の私は、その三つにこだわった。
ただ、それだけである。
そして、このアルバムは1999年頃にビデオ公開をしている(場所は我が家の作業場)。アルバム自体も公開した可能性もある。

公開に当たって、解説を記し、もしミスがあれば指摘してほしいと記していると、その解説文に幾つか訂正の文字が加えられていた。だから、何人かが見たと思う。
ビデオの方は何人からは見たと直に聞いた。

村アルバムの関係で、花の写真を撮ったのである。
斯様(かよう)な話はどうでもよい。本来は話題にもならない話である。
だが、長期に亘(わた)り、誰かがデマを飛ばし続けたのであろう。
そのデマは、一つは駿台講師時代から尾を引いていると思わされている不可思議な人物群Xであり、もう一つは私の身内であろう。後者は、私に将来良かれと思い、故意に嘘(うそ)をついた可能性が高い(正しい意味での確信犯という)。
だが、そのデマに騙(だま)された人がさらにデマを飛ばしたのであろう。

岡山短大講師辞任の経緯から、まさかと思うが官僚諸君が加わった可能性も否定できない。
だが、こうしたつまらぬ話よりも、今回は思い出を記そう。


《◇―3『賢者の贈物』が狂ったのが我が村の話》

オーヘンリー( O. Henry、1862年9月11日 – 1910年6月5日 )の作品に『賢者の贈り物』 (  The Gift of the Magi.  )がある。
短いストリーなので内容は読んでほしい。9月下旬から10月上旬に私のHPで特集している時事更新で日本語版と英語版を掲載しよう。

「写真残酷物語№15」で書いた小母(おば)さんは、私が幼小の頃から随分かわいがってくれた。

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そういえば、岡山短大を辞めた頃、村で冷たくあしらわれそうになったときがある。この小母さんがかけつけ「あんたらは…」と怒っていた。


大変、子ども好きな小母さんであった。
私が小学校の頃、学校の帰路、自転車でであうと、私を呼びとめ、イカの菓子か何かを貰(もら)ったことも何度かあった。

また、この家には盆柿があり、熟れたときには、「タカちゃん、食べにおいで」とほぼ毎年声をかけてもらった。
そのほか、この家は蚕(かいこ)を飼っており、蚕が食べる実(桑イチゴの実)をたべさせて貰ったりしていた。
おばさんと私は約35才ほど離れていた。
私の小学校後半頃に、おばさんは40代後半だったであろうか。
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徒然(つれづれ)なるままに№15・写真残酷物語・第一話裏(ウシロ)のオバチャン(1)
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http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21357

徒然(つれづれ)なるままに№15・写真残酷物語・第一話裏(後ろ)のオバチャン(1)

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さて、村アルバムの話に戻そう。
凝り性の私は、家のみか、各家にある花撮影にも随分こだわった。
今、HPで掲載中の「世界の歌シリーズ」をみてもこだわり方が分かろう。だが、世界の歌シリーズと異なり、写真は私の作品であり、著作権も私にある。
そう書けば更に分かろう。

村の衆というよりも人には二つの考えがある。
相手への思いとしても二つの逆の考えがある。


各家の花撮影で一応決まった写真が撮れる。すると、一人はこう考える。

「写真代金も馬鹿にならない。それに隆政ちゃんの労力も大変だ。だから、もう花はしばらく植えまい。そうでないと隆(たか)ちゃんがかわいそうだ」という思いやりである。
(*^-^*)ありがとうございます。
これを善意という


だが、もう一つの善意もある。
先の小母さんはこう考えたと思う。


隆政ちゃんに良い写真を撮らせてあげよう。
では花を植えよう

だが、これで十分だろうか。
もし不満足な物や、今一つならば、世間に隆政ちゃんが笑われる。
若しくはタカちゃんの才能はそんなものかと思われる。

それでは、今度は違う花を植えよう。

それでも、タカちゃんの顔が今一つである。
それではもう一度植えよう。

今度は決まったと思う。
それでも、念には念をいれよう。
もう一度植えよう。

これも善意。
(*^-^*)ありがとうございます。


他方、私はこう考えた。
小母さんが一生懸命花を植えられている。
確かに一回目は光線具合で失敗だったかもしれない。
それでは撮り直そう。
今度は、もうよかろう。

だが、小母さんが、また花を植えられた。
かわいがって貰(もら)った小母さんが頑張って植えられたのだから、一つ気合をいれてもう一度撮るか。
ハーハーハーハーハー、と。

もう良かろう。
……
見ると、また別の花が…

ここは、私も根性…とか。少しオーバーか。


要するに、善意と善意が誤解から…である。
私の本職は著述業・教育産業関連であり、カメラや写真は本やプリントなどに掲載する物を撮る商売道具でしかないのであり、趣味では一切なかったのであるが、村アルバムで誤解をされたのであろう。

勿論(もちろん)、催眠類も合った疑惑もある。
母がよく言っていた。
「お前は■■家(隣の家)の花を撮るのが好きだな。我が家にも同じ花があるのに。我が家のを撮らずによその花を撮るとは」と隣家の小母と仲の良かった母はいつも笑っていた。


今は懐かしい思い出のため催眠部分は除こう。
要するに、善意と善意だったのである。

簡単に言えば、花とは、それだけの話である。
なお、『日本のフィクサーME』で登場するユリの話を書けばさらに分かろう。


なお、もし、小母さんが生きていて、例のお年玉でもめていたならば言うであろう。
「私のお年玉、誰も口だしするな。タカちゃんと私の話でしょう。もうお前らはいい加減にせい。タカちゃんはそんな人ではない。もういい加減にして」と、ときには怒るであろう。特に事情が分かれば。事情が分からなくても、懸命に私をかばうであろう。

私の方も言うであろう。
「小母ちゃん、お金足りた。足りた足りた。アイスクリームを食い過ぎて弱った」、と。
本来、他人が入る話ではない。
オバさんと私の人間関係が全てである。

《◇―4:狸婆(私の母)の謀略》(2020/09/16 21:50 場所を最後の方へ移動)

母を狸婆(たぬきばばあ)と書いたのは狸婆(人をだました婆)だからである。
狸婆の話は都合で《◇―6》の後に回した。後で位置を考える。理由は《◇―7》で我が愛すべき狐(きつね)達が登場するため、狸と狐は同じ場所がよかろうというだけのことである。



《◇―5:人間は良いもの、厄介なもの》

ところが、人間関係は相続が難しい。
だから、「兄弟は他人の始まり」という諺(ことわざ)すらある。
厄介とは、▽▽が厄介という意味ではない。
人間関係そのものが厄介な仕組みとなっているのである。
そして、それが蔓延(まんえん)するのは、学校教育などで「人間学」なる授業がないからである。その弊害は、貧困者のみならず、権力者・大金持ちを問わずに、社会に蔓延する。
ここだけは平等に蔓延する。

《◇―6:デマが舞い散る》
この家には、1998年撮影後は三度しか行っていない。
22年間中三度である。
ただし、村やお寺関連の配り物を郵便受けに入れる作業を除く。

その三度とはいずれも、葬儀である。
お子さんが大阪で、お孫さんが広島ならば、…。
行かねば、小母さんなどの遺体を庭に置くのかとなる。
お子さんも、お孫さんも近くにいないのだから。
仕方有るまい。
これ以外は、庭も含めて入ったことは全くないのですよ。
要するに、感謝されても、その逆は通常ない。
お礼を言われる所を誰かがデマを飛ばしたのであろう。

村アルバム撮影期間以外は上記である。それ以前も同様である。
村アルバムは当然、小母さん(当時、家にいた唯一の人、かつ管理権者かつ、所有者)の許可は当然とっている。


この写真は小母さんにしか渡していない。
だから、この写真を●●さんがもっているようなことを誰かが言っても数年間意味が分からなかった。
小母さんに渡すきっかけは、先の如く形で撮影をした。そして、我が家の台所や、作業場で母とその写真みているときに、おばさんが突如何度か入ってこられたので、それをお見せした関係だろうと思う。{「オバチャン」ちょっとハイルで…と突如入ってこられたことがよくあった。我が家や台所に入ってこられてから「入るで」なので、写真をしまう暇もない。それだけ親しかったということである。●●小母さんは私の母・狸婆と「オバチャン」と呼んでいた}。
全家には渡す金が当時はなかった。されど、一軒のみはやはり問題が大きい。だが、当時、見ている現場にほいとこられると、条件反射で…となったのかもしれない。詳細は後日。


もう小母さんも亡くなられたので書けるが、可能ならば、●●さんから1万円で、買い取れれば本当に私もうれしい。誰にとってもよい。私も😊。近所の人も気持ちよい。所有している人も捨てるくらいならば売った方がよかろう(いとこの話では捨てている…と…)。すると、私が購入すれば誰にとってもよい。
私も駆け引き抜きで本当にうれしい。\(^O^)/である。
本当に助かる。(捨てる…抜きでも助かる。勿論、プライバシー権確保上、私個人は一切使用することはない。だが気持ちがよい。この家のお寺割り…は無関係で、もうどうでも良いので、別に一万円で売って頂きたいと心底思う)
これを何度言ったであろうか。
小母さんではなく、●●さんにお金を返すことはできない。
何故ならば●●さんからは一円ももらっていない。
写真も●●さんには一枚も渡していないのだから当たり前である。
●●さんが写真を所有していることすら長期知らなかった。
勿論、小母さんに渡したものを小母さんがどうするかは自由である。

小母さんが生きている内に小母さんにお年玉1万円を返したら。
小母さんが泣く、で。
少なくとも長期、色々考えたり、気にしたりするで。


いいですか。
私は私の母のことをお母さんと書かずに、狸婆(たぬきばばあ)と表記していることにも注意していただきたい。いずれ分かろう。しかし、狸婆以外に、デマを何人かが飛ばしたとしか分析できない。

●●さんは、私をかわいがってくれた小母さんのお子さんである。それが即座に、先のことを言えなかった理由である。小母さんが泣くで。
ちなみに、この話は今から22年前の1998年の話である。何でそんな古い話が未だに飛び交うのであろうか。Xか、別の人間のデマか、誰の策動であろうか。

 

《◇―4:狸婆(私の母)の謀略》(2020/09/16 21:16 記述 21:48 構成上、最後にまわした)

母を狸婆(たぬきばばあ)と書いたのは狸婆(人をだました婆)だからである。
写真は、私の本職を支える諸道具の中の一つでしかない。
ところがトラブルが絶えない。
写真に関して、私の方針と言動は以下の二つのみである。

一つは、カメラ・写真は商売道具なので、プライベートでは使用したくない。
もう一つは、やむを得ず、撮ったり、贈呈したりした場合でも決して、親戚・近所・知人類からは御礼(おんれい)は受け取らない。例外は母と姉のみである。その他は出版関係で原稿料とか、賃金とか、印税とかそうした類のみである。

二番目の項目(御礼不必要)は、この▼▼小母(おば)さんにも、きっちりと小母さんの庭で話していた。
やむを得ず、撮ったり、渡したりした他家でも、くどいくらいに、謝礼は絶対に不必要を言っている。

ところが、トラブルが絶えない。
しかし、そのトラブル類は、まず母と仲の良い人である。例えば、母の姉妹、それも一番仲の良い姉妹類である。

例えば、母の姉の一人が峰山峠越え原稿の関係で、一緒に親戚まで同乗された。帰りに奇妙なことを言われる。
「タカちゃん目を覚ませ。…」と。
私はちんぷんかんぷんといよりも、右の耳から左の耳であった。ちんぷんかんぷんを超えて、意味不明であった。この伯母は母とは大層仲が良かった。
簡単に言えば狸婆が嘘(うそ)をこの伯母に言ったのであろう。
それは、もう一人の伯母が死亡したときに漸(ようや)くわかりかけた。

後に、従兄弟(いとこ)も、母の姉(私の伯母)が死亡のときに同様のことを言った。
「タカマサ目を覚ませ…」と。
私「はぁ~」。

伯母の49日のときに昼ご飯前に帰ると、従兄弟がお膳代なるものを用意しかけたので、堅く遠慮した。
するともう一人の従兄弟が、「では何故、昔、…を貰(もら)ったのだろうか」。
私「はぁ~」。
……
後に、ある程度意味が分かった。
狸婆が何か出鱈目(でたらめ)の嘘(うそ)を、伯母に言ったのであろう。
母にすれば自分の姉妹である。
調子に乗り、嘘を言ったのであろう。
嘘の目的は後に分かろう。現時点ではまだ完全に目的が分からない。
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徒然なるままに№22・写真残酷物語第六話・「私は頭が良い人はすかん」、では言おう「私は美人はすかん」(完成・公開版)
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徒然なるままに№22・写真残酷物語第六話・「私は頭が良い人はすかん」、では言おう「私は美人はすかん」(完成・公開版)


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この狸婆は、実の娘(私の次姉)にも、嘘を言った疑いがある。
狸婆とはいえ、長年一緒に生活した。
それでは多少トラブルを覚悟で、狸婆の孫の結婚式を一人だけ撮ろうかと言ったことがある。まだ、狸婆の意識があるときである。
当然、狸婆への、人生最後の贈物であり、姉にも姪(めい)にも関係がない。
勿論(もちろん)、狸婆は、その作品を姪に渡す可能性が高いが、それは婆(ばあ)さんの勝手であり、私とは無関係である。

当然、婆さん宛への人生最後の贈物であるから、姉や姪が私にお礼をする必要はない。
ところが、姉が妙に、その代価を意識しかけて…不思議に思ったことがある。

狸婆さんが、意識があるときに、姉まで騙(だま)したのであろうか。
狸とは人を騙す動物である。英語ではRaccoon dogと言う。

もっとも、次姉は私とも小さい頃から知っているため、私が母を狸婆と書けば、この文字のみで全貌が分かろう。


そして、母ことこの狸婆と、ここで登場する小母さん▼▼は仲が良かった。そこで、この狸婆は、何かを企(たくら)んだのであろう。


私は凝り性である。
村アルバム関連でも凝る。しかも、カメラ・写真は商売道具として、これから本格的に活用しようと考えていたため、更に凝る。
こうして、隣の家も撮影していた。
ところで、この家に写真贈呈の経緯は《◇―6》に書いた通りである。
なお、作品としての写真サイズは、撮られた写真が決定する。大きい方が良い写真、中くらいが良い写真、小さい方がよい写真。それらは撮られた写真が物を言う。
「私(作品)のサイズをこのくらいにしてくれ」、と。
棟方志功ならば分かるであろう。

そして、この家の写真サイズで贈呈ときには4Wが良いのがあった。その費用問題で母と言い合いになる。今思うと催眠であろう。
母は私を挑発し、私が激怒すると、にっこりと笑った。
やった、と。
そして、裏に私を誘導した。
裏からは▽▽の小母の家が見える。
ここで予算問題を言わされた。

狸婆は、恐らく腹の中で笑いまくっていたであろう。
やがて、▽▽小母さんが、お年玉と言われて、一万円を持参された。
詳細は下記参照。
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徒然なるままに№16・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(2)

徒然なるままに№16・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(2)


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狸婆は、ケラケラと笑っていたであろう。
それだけ、母と▽▽小母さんが仲がよかったということでもある。
母の姉を騙(だま)して何かをしたように。
当然、後に、息子(私)が苦境に陥るのも計算し尽くしていたのであろう。
理由は現時点ではまだ完全解明していない。

ちなみに、その頃は完全経済破綻前のみか、精神が疲弊して、躁鬱(そううつ)病の躁(そう)状態が大変激しい時期でもあった。だが、まず後の催眠類を疑う。


ちなみに、躁鬱(そううつ)病になる前には、福武書店(ベネッセ)創始者・福武哲彦氏に飲みに連れて行かれたり、駿台予備学校でも接待ずくめであったり、…。また、ベネッセ・駿台模試の仲人役が私の可能性がある。駿台時代にベネッセ模試の監修をしていた関係で1980年代に何度か、駿台文庫の人から接待され、ベネッセ模試の件でいろいろ聞かれたりしていたからである。大学院時代ですら、市川房枝氏と一対一で長時間話をしたり…であった。
家に監禁され、正に、「男はつらいよ」の寅次郎の世界に陥れられる。

その私が何でこうした小さな世界に閉じ込められるのであろうか。
さらに、2000年頃からは、一方では世界の要人の相手をし、他方では貧弱なタカちゃん像がつくられる。
表と裏では、正にスーパーマンの世界であった。クラークケント(Clark Kent)とスーパーマン(Superman)の違いである。私はそれをもじって、「コッペパンマン」と時々書いている。コッペパンマンが日本のフィクサーMEである。その話は後にしよう。
ともかく、写真トラブルの一部は狸婆の仕業である。狸婆という語一つで、何人かは、もはや意味が分かったであろう。
内容を詳細に説明するよりは、狸婆の語一つで、次姉などは全貌が分かろう。それも即座に。


もし冥土で、母と私と次姉が再会すれば母こと狸婆は次姉に言うであろう。
「お前、弟のことを知らないのか。知っているだろう。お前の頭はその程度か」と。
次姉は言うだろう。
「途中で気がついたけれども、私もお母ちゃんにあわせてあげたの」、と。
そばで聞いている長姉はわらいこげるであろう。
だから、映画説ならば、筋書きのないどたばた劇と考えて、数十年間のトラブルが、話題提供のトラブルと考えていた。
ところが、最近は、映画説でも筋書きがあろうとなり、母以外のトラブルは、(犯人)Xが恨みのあるZと私との人間違いが原因なるものを想起させられている。
駿台の箇所、日本のフィクサーMEの箇所、私的ブログ「近所・親戚」のトラブルの箇所、トラブルブログで今後該当項目を書いていけば一定の結論はでるであろう。


結論として、▽▽小母さんと母は仲が良かった。そこで母の姉(私の伯母)に何かデマを言ったのと類似のことをした、である。
母を狸婆と書いた理由が分かろう。
目的はまだ完全解明していない。
そして、この小母さんと私も仲が良かったことだけを強調しておく。


なお、この▽▽小母さんが仕事をしていた旅館(若しくはその近くの類似旅館)に、安倍昭恵氏が2014年に行き、記念撮影をしている。こうして、この物語の一部は日本のフィクサーMEへと繋(つな)がる。ただし、この写真トラブルは第二次安倍政権前からである。安倍昭恵氏の話は事実である。この話との関係は不明、若しくは無関係と現時点では思っている。
また、安倍晋三氏の辞任が体調問題のため、安倍晋三氏の名前は暫(しばら)くださない方針でもいる。ただ言えることは全体を貫く犯人Xは安倍氏ではない。何故(なぜ)ならば、犯罪被害の始まりは1986年頃であり、策略が開始されたのが遅くても1983年夏頃のため、安倍氏がまだ議員にすらなる前のことだからである。
原因は、現時点では犯人XがZと私を人間違いした確率が高い。そして、その後で犯人Xの後継者への引継ぎミスでずっと被害が続いている可能性が高い。
ただし、▽▽小母の件は狸婆が何かを企(たくら)み…であろう。もしXが絡んでいれば、我が母・狸婆に騙(だま)されたとなる。それが母の狙いだったかもしれない。

《◇―7・結論への道》



(2020/09/16 21:43追記)
後日記す、写真残酷物語「アナログからデジタルへ」も、狸婆(たぬきばばあ)が絡んでいる。この一言で、全てが分からねば話にならない。
また、本格的な写真作品を作るとは、大変な所ではない。家を一軒つくるのと同様である。
それは解説ではなく、作品を作るときの日記を掲載するため、それを読めば分かろう。作品一つ家一軒である。
篠山紀信氏や三好和義氏に聞けば分かろう。
なぜそこまでかは、…私はMEである。世界のハマダであり、世界中が注目をしている。他方、親戚・近所は田舎のタカちゃんしかしらない。そのギャップが生んだ悲劇である。だが、御礼(おんれい)一切不必要を常に口頭及び文書で明記しているのだが、その謎は狸婆と、その仲間である、我が愛すべき親戚の一部の狐(きつね)たちが知っている。キツネの一人は分かりかけた。
簡単に言えば狐である。しかし、その狐と私も仲がよい。狐も狸同様に何か考えがあるのであろう。狐の猿芝居か大根芝居も…何か、深い意味がある確信犯であろう。
もう一度記す。一人の狐の猿芝居と、もう一人の狐の大根芝居、幼い時からの付き合い9があるならば、これで分からねば話にならないのだが。結果として、私によかれ…の大芝居である。これを正式な国語では確信犯という。

次回から、作品関連の日記を紹介する。
その後で写真残酷物語結論編を書いた方が分かり易(やす)い。
もっと分かり易(やす)いのは、私が写真をつかってつくった作品を紹介した方がわかりやすい。解説抜きで全貌(ぜんぼう)が分かろう。



今回の件に関連文書

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第11回私文書公開:営農関連―村アルバム等での誤解や📷誤解防止兼用(2019年8月26日記述/同日投函:大幅追記解説して公開10月6日)
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お寺割りの話。(まだ公開していない場合には、犯人Xをあぶり出すため公開する。簡単な公開は以下にあった)
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不可思議な出来事(2009年頃)―№001・お寺割り等15000円事件

不可思議な出来事(2009年頃)―№001・お寺割り等15000円事件

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拙著覚書では2019年5月20日、8月19日など。まだどのブログや日々日程表で公開していない場合には早急に掲載。
その方が誰にとっても良いと判断した。犯人Xの正体と、彼らの人間違いをとくためにも。