【駿台】№207 女性問題でっちあげ被害、引き続くトラブル、更に人間違い被害疑惑(4)・駿台女性の謎と人間違い説。

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気がむけば一言【駿台】№207 女性問題でっちあげ被害の謎と、引き続くトラブルの謎、更に人間違い被害疑惑(4)・駿台女性の謎と人間違い説。


掲載履歴

2020/10/01 14:30 今回の 下書及び修正追加前で次回の下書状態で公開開始

2020/10/02 20:57 記述再開 21:15掲載中 :21:42《◇―2》を記述。(これから食事予定)

2020/10/03 0:42 《◇―3》追記:2:10 《◇―4》と《◇―5》の一部を追記。15:47清書化作業進行中。 《◇―4》を清書化: 2020/10/03 19:08

2020/10/04 0:19 正式公開 (ただし、誤字・脱字は今後も修正することがある。):12:49微修正。13:11追記。

 



【構成:不可思議なこと】(順次清書中:数回に分けて掲載)

(1)女性問題としての実態のない不可思議なトラブル。
女性に指一本触れず、デートもせず、学外でも会わず、学内でも人前でしか会話せず、会話時間も一人当たり6年合計で10分程度である。勿論、ストーカーや、パワハラなどもしていない。さらに、(4)で述べる如(ごと)く、私の方が駿台NMさんに手紙を渡し断られたのである

2)刑事犯罪被害に結びつけられた謎。

(3)駿台辞職後も30年尾を引いている疑惑

(4)出発点の不可思議さ―人間違い説

(5)同和問題を臭わされる謎

(6)人間違い説疑惑を解説しようとするや各種危害のオンパレードとなる謎。


(3)と(4)の順を入れ替えて先に(4)を掲載。

2020/10/02 20:56 記述(クリックで拡大可能)


 

 


 

《◇―1・催眠で書かされた結論(🚺の工作論)とその直後の威嚇的雰囲気》


★から★の箇所は、2020/09/22寝ている間に、「記述せよ」と催眠でたたき込まれ、午前5時半に無理矢理起こされ、記述させられた箇所である。


幾つかの疑問を記す。

①(1)で書いたような次元で、刑事犯罪被害までに発展するであろうか。

②斯様(かよう)な話で、私も、駿台女性も職場を辞めた後まで、犯罪被害が継続することはありえない。

③しかも、その犯罪が30年以上継続する前例はない。何故ならば刑事犯罪加害者も費用がいるからである。
→②③から言えることは女性問題では全くないことの証明である。また、①では女性問題自体が存在していない。

④駿台女性どころか、駿台の件を全く忘却し、全く触れていない時期ですら刑事犯罪被害が続く。

⑤出発点と思わされていること自体がありえないことである。二点ある。

(A)一点は、私は加山雄三さんや、長嶋茂雄さんの若い頃ではないのである。当時の私の写真や今の私の写真を掲載すれば即座に分かろう。私がデートもせず、指一本ふれず、駿台女性のAさんが良いとか、Bさんが良いとか口頭で言ったとしても(実際には催眠で内心で思わされただけであるが)、通常は誰も相手にしない。相手の女性自体が相手にしないはずである。幼小の頃(故郷に写真を掲載)よりは多少容姿がましになったとはいえ、写真を掲載すれば誰でも即座に分かる。

(B)もう一点は、これから証明するが、私が1984年に駿台女性🚺NMさんに💌手紙をだしてもめたのではない。逆である。1983年夏頃からNMさんが私から関心を呼び起こそうと努力し、不十分だったので催眠で1984年1月に熱をあげさせられているのである。だが、1984年秋に💌手紙をNMさんに手渡し、断られている。それでは、何故、NMさんがそうした策動をしたのであろうか。社会通念上考えられることは、NMさんが、誰かに何かを頼まれて工作をしたとなる


①~⑤より、私は筋書きのないドタバタ劇か、永久の世の入り口としてヨブ記の世界が連続していると諦(あきら)めていた。それも30年以上。だが、十円の飴(あめ)を買うたびに、一万円取られるという被害が続くのは出鱈目(でたらめ)でもありえないと随所に抗議のメッセージはだした。しかし無駄であった。
そうしたときに、言われたのが「人間違い・ひと間違い説」である。

要するに、犯人X(多分Xグループ)がZに恨(うら)みを持ち、Zと私とを間違えた、である。(世界のリーダーの一部は「偽者(にせもの)」という表現をつかっていた。)

だが、私はZではないため、Zが何をしたかはさっぱり分からない。誤解ならば解説して解くこともできようが、人間違(ひとまちが)い類ならば何を弁解してよいのかさっぱり分からず、被害は長期続くとなる。実際に続いている。

人間違い説が事実ならば、Zが誰かが明白に分かれば多少対策がとれるかもしれない。だが現時点でZを完全特定はできていない。残る手段は、理論上は、私のプロフィール充実、回想録、自伝類を書き、私の紹介のみである。そこで、2015年から、掲載を開始しようとするともの凄(すご)い妨害に遭(あ)ったという謎がある。
⑥即ち、私のプロフィールを記そうとしたときに起こった異常な妨害である

第一話が女性問題は存在していないことの実態であり、第二話が上記の①であり、第三話が上記の②であり、第四話が上記の⑤(特にB)であり、第六話が上記の⑥である。飛ばした第五話は、何のことかさっぱりわからないが随所で強調される同和問題の謎である。さっぱり分からないとは、私は差別反対派であり、その種の活動を長年してきた人物だからである。その上、ここ30年以上、40年近くは党派中立・宗派中立でもあるため、どの団体・組織からも恨みを買うことは絶対にないからでもある。

裁判も阻止され、議員・政府に救済依頼をしても無視された以上、インタネットをする金がなくなる前に、世界に向けて被害を訴え、「人間違い」説が事実ならばそれを明白にするしか生存する方法はない。

なお、第三話と第四話の順番を変えて、先に第四話から入る。即ち、私が女性NMに熱をあげてもめ事が起こったのでなく、もめ事を起こすために、女性NMが工作をしたことの実証である。各種証拠などを提示してゆく。同時に当時の関係者が生きている間に聞き取りを願う。また可能ときには調査を願う。

私に人権があれば、この世では各種刑事犯罪被害などは裁判で決着をつけ、その過程で「ひとまちがい」などは実証されるのが本道である。だが、その種の人権をも奪われているのが現状である。

追記。
⑦先の①のような次元で、X抜きの駿台説ならば、斯様(かよう)な次元で、誰かが私の身辺調査などをしたり、身辺調査をしたと脅したりするであろうか。馬鹿馬鹿しすぎる。



《◇―2・分析用出来事表》(2020/10/02 21:38記述:2020/10/03 15:07修正)

1)遅くとも1983年夏前後、犯人Xが🚺NMさんなどに何かを依頼と推定(根拠と証拠類も掲載検討中。)

2)1983年夏前私とNMさんと簡単な会話(お茶の話程度)
私の🚺伴侶としては対象外が感想。以降特に会話も面倒でせず。

3)水俣病の現地視察で水俣で出会った子に憧れる。(彼女は関東在住のため💌手紙しか手がなく年賀兼用で💌を出そうかどうか迷う)。

4)1983年秋頃から、NMさんが何か私の気を引こうとしている動作(私の目に入るように駿台内で赤ちゃんをあやす…)

5)1984年1月水俣で出会った子に年賀状出しそびれたため寒中見舞い等を出すことを迷う。ところが1984年1月○○日Y時まではそう思っていたのが、Y時数分から突如NMさん催眠熱。水俣で出会った子を完全忘却。
催眠契機は(私によくなついていた)高校生コースの女の子とNMさんが目が合った瞬間。(両者が何故知り合いなのか、当時驚く)

6)NM熱に理性が反発。(当時は催眠など知らぬが、「何で」と不思議に思い、どうせならばと真備高校講師時代の同僚の音楽講師KNさんに💌を出す)。結果は無反応もNM熱が解除されて喜ぶ。

7)1984年夏前に再度NM熱で参る。大慌てで見合いをし、大阪大学英文科卒と言っていた女性と池田動物園へ。これで結婚までいけると思うや断られる。

8)再再度NM熱で参る。

9)1984年秋頃NMさんに「結婚前提で…一度お会い…」(簡単に言えば一度見合いをしてほしいということ)の💌を手渡し、速達で断られる。NMさんの住所などは一切書いていなかった

というだけの大した話ではない。ところが、それが最初に記載した如く、刑事犯罪被害へ、それも40年に及ばんとする刑事犯罪、営業妨害被害となるのである。
「何のことか未(いま)だに意味がさっぱり分からない」
友達は「人間違いが原因」ときっぱりと断言した。
もし、そうならば、Xの恨みであるZでないことが分かれば、(Xさんか誰かに何かを頼まれた)NMさん自身が真相を語ってくれるであろう。若(も)しくは事情を知っている可能性がある高校生コースの子が。

なお、催眠下で動かされていた時期を(あたかももう一人の私が見ていた)内容は下記を参照。

気が向けば一言【徒然・私事】№136:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(2)

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1112/
【徒然・私事】№137:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(3):駿台等
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1115/
気が向けば一言【徒然・私事】№141:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(7)―2010年分析
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1135/

私がNMさんに熱をあげたのが催眠か否かなどは、本来どうでもよい。何故ならば、指一本触れず、デートもせず、学内でも人前でしか会話をせず、パワハラ・セクハラ…暴力、詐欺類…、が一切ない以上、私の名誉問題にはならず、どうでもよいことである。
振られた云々(うんぬん)は大した問題ではないため、さらにどうでもよい。馬鹿馬鹿しい。小学校の頃に誰が好きかを告白せよ型問答でしかなく、相手にできな。万一、(パワハラ・セクハラ・ストーカー行為、頻繁な☎を含む社会通念上の各種迷惑行為…がない限り、公共の福祉に反しない限り)女性に連続門前払い・無視されたとしてすら(実際にはそうした行動はしていないが)、「恥ずかしい」程度のことであっても、問題は何一つ存在していない。小学生でも分かる話である(小学生が誰々さんがよいとか、いや▲▲さんが良いと心の中で思っても、万一知人に喋ったとしてすら、40年近く尾を引いたり、各種危害に遭ったりする話ではない)。斯様(かよう)なことを書いたり、喋(しゃべ)らされたりする人生ならば生きる意味はない。人生に値しない。

それでは、何故いつまでもこの件を書くのか。催眠問答やその他各種挑発を受け、返答に値しない問題でも、返答するまで各種拷問被害に遭(あ)うからである。まさにヒトラーの世界である。それでも抵抗すれば最後は催眠で書かされ・喋らされる。それも40年近くも。まさに人身の自由剥奪の典型である

また、人間違いを放置するのは良くないだろうと説得をされ、面倒でもやむなく、対処しているのである。同時に各種工作疑惑があったため、やむを得ず催眠類も書いているのである。下記Twitterを読めば分かろう。
https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

刑事犯罪被害や営業妨害は本来弁護士を通じて、刑事告発をして、裁判所等でケリをつけるものである。




《◇―3・聞き取り調査のポイント》(2020/10/03 0:38)

A) X類から依頼された疑惑のある人


高校生コースの子(駿台京都校・高校生コース・「高校生コース」通年政経受講者、医学部志望と言っていた)
駿台京都校にはまだ資料があると思うので、聞けば誰に何を頼まれていたかを教えてくれる可能性もある。また、駿台職員🚺NMさんを何故(なぜ)知っていたかも教えてくれよう。

○NMさん自身。
もし、(犯人)XがNMさんに何かを依頼する際に、Zとの人間違いで、(私への工作を)大義面で引き受けたならば、私はZではないことが分かれば証言してくれる可能性がある。まずは聞き取り調査を。ただし、先に(私はZではないという)人間違い…を丁寧(ていねい)にNMさん自身に解説をすることは不可欠である。
NMさんの工作は、映画説類ならば監督該当者の映画協力説、XならばXが恨みを持つZを懲(こ)らしめることへの大義面からの工作と思われる。勿論、私はZではない。依頼された時期は1983年頃と推定している。更に、(4)で書いている疑問が事実(前半のNMさんと後半のNMさんが別人)ならば女性工作説はもはや完全証明されたことになる。

○水俣で出会った子
「前掲の気が向けば一言№141」参照。
当時の住所などは現在も保存(ただし年数が経(た)ち該当者らしい人物が二人いるため、どちらかである。写真は下記《◇―5》に掲載)
→相手も私が好感を持っていたことは分かっていたはずであり、本人に聞けばわかろう。

駿台京都校二号館🚺YKさんも、同上(NMさん同様)の疑惑(Xに何かを依頼され、大義から何かを企てた疑惑)がある。そこでYKさんにも、人間違い説を丁寧に解説をして聞けば何かを教えてくれる可能性がある。
YKさん記述箇所は以下である。
気が向けば一言【徒然・私事】№139:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(5)。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1122/

ちなみに、YKさんの高等学校先輩に当たる人物が丸山和也氏(丸山和也事件については政経ブログ参照)である。

なお、丸山発言は、2016年2月27日に私が長崎市長宛に手紙送付したが、正に同一日の2016年2月27日に丸山和也氏が参議院の憲法審査会で「奴隷の子」発言をした。そして、2016年11月22日に長崎に行くと、幾つかの妨害があった。ただし、長崎市及び長崎市民は親切であった。妨害は部外者でXとの関与を臭わせていた。

また、あくまで可能性とすれば、丸山和也発言の真意は「オバマ前大統領と私との対立」工作疑惑もある。さらに、その題材につかったのが、岡映氏(分裂前の部落解放同盟副委員長、分裂後全国部落解放同盟連合会会長、私とは単なる同一食堂のママさんから、教育問題で紹介を受けたに過ぎない)に絡めての私の文書であった。
政経の世界№5・丸山〝奴隷〟発言と国会の責務・付録編(上)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5858

政経の世界№5―丸山〝奴隷〟発言と国会の責務・付録編(上)

(丸山和也氏との類推で、現在下書中の日本のフィクサーME・パート6・その3は関係してくるかもしれない)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=28790

日本のフィクサーME・パート6(その3)尖閣、香港雨傘、電話、偽者、同一住所二軒存在と4なる数字強調の謎(メモ段階)



参考:NMさんへの催眠熱の証明。

(1)感情の催眠型意思コントロールの膨大な事例→過去のブログなどを読めば分かる。「我(われ)思わぬのに、我あり。」

(2)女性熱の催眠誘導や変化の実例→下記の事例として、高校時代の後輩女性の件を記述。未(いま)だに双方、広い意味で好感を持っていると思うので、彼女らに聞くことが望ましい。

(3)《◇―4》で記述するように、人物が途中で入れ替わったこと(岡山での医学部学生の入れ替わり疑惑、駿台京都校女性NMさん自身が前半と後半で別人疑惑)が証明された場合には、女性工作説はもはや疑いの余地はなく、全て実証されたとなる。


随所に書いているが(多分1990年代の後半から書いているが)、この女性NMさんに私が熱をあげて揉(も)めて駿台を辞職したのではなく、私を駿台から放逐(ほうちく)し、さらに、私が長期に亘(わた)り(ときには一生涯に亘り)仕事をできなくするために、このNMさんが誰かに頼まれて、私の関心を引こうとしたという仮説である。それがうまくいかないので最後は催眠であった。

なお、この種の催眠は過去にも、その後にも経験している。高校時代に部落問題研究部の後輩女性MTさんに熱をあげていたら、ある日、午後からは同じ後輩のHTさんに熱が移動したことがある。それも僅(わず)か1分程度で。

彼女らは結婚した後も私の仲間であり、友達である。一人の方は彼氏ができてからも連絡をくれ、もう一人の方は結婚式に招待されたが多忙で参加できなかった。

彼女らの両方かどちらかは1970年(私が高校三年時)に起こった、私のMTさん熱が突如HTさん熱に(催眠)変化などの裏事情を知っている可能性がある。
これが事実ならば、駿台時の、1983年水俣で出会った子への熱が、1984年1月に突如、駿台職員NMさん熱へ変化した謎なども理解可能となろう。(裁判が可能となれば、私もこの両者に直(じか)にお願いします🙏。正々堂々と全面ガラス張りで)。名前と実家の住所は今でも分かる。

さらに、駿台大阪校に移動した後で、1986年頃であろうか、岡山の予備校でも、女性TYさんに突如熱をあげさせられるが、それがある日、突如YJさんの方に熱が変わるという不思議な体験もある。この両者も当時の氏名と当時の実家の住所は今でも分かると思う。
ちなみに岡山の先の二人も駿台同様にデートもせず、指一本触れずである。高校部落研究後輩も同様である。

しかし、高校時代のそれと異なり、他のは、特に駿台NMさんの件は、私を駿台から放逐(ほうちく)するためとしか分析できない。
だが、私は他人から恨(うら)みを買う心当たりは一切ない。そこで、高校時代の件なども思い出しながら、山田洋次型ドタバタ劇でこうした筋書なしの無茶苦茶なシナリオを考えたのだろうと、駿台辞職後(1988年1月)以降で半年後くらいからは、そう考えていた。

駿台女性関連は、1986年春の深見係長からの(京都校から大阪校異動への打診)電話を合図に全て感情が消え去った。催眠とはそういうものである。
なお、異動打診の内容は、「政経ME先生(幾つもの名を持つ先生)のお子さんが障害をかかえられており、その関係でME先生が大阪校から京都校へ異動したい…」であった。私のプロフィールを安らぎ文庫に掲載しているが、私も祖父が約10年寝たきり・腕も動かす・物も言えず…となっていたため、ノーとは言えず、大阪校への異動をOKしたのである。
(下記「ふるさとの記録―6」の下に私の一家の写真や祖父の写真などを掲載。私の幼小の頃の写真も掲載している。私が女性…馬鹿馬鹿しいことも写真をみれば分かろう。😂😂😂、猫も😸)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=22284

ふるさとの記録―6・拙著『フォットエッセイ・ふるさと』(1952~68年の村の子供達⑤)から(正式公開)

なお、上記の深見係長には、1986年春に駿台女性🚺NMさんの件を話をすると、「NMさんが、浜田先生の手紙で怯(おび)えた…」「私には信じられません。NMさんは美形なので、男性の方からそうしたことをされることは慣(な)れていると思いますので、浜田先生からの手紙くらいで怯えるとは、私には思えません」とクスクス笑いながら言われていたことは既に紹介した通りである。





《◇―4・医学部志望女学生の謎》(2020/10/03 1:00頃記述:16:21修正と追記)

駿台予備学校の女性の件を書くことは、大変馬鹿馬鹿しく、書く気も起こらず、書いている私本人が面白くない。当然、読者は激減する。写真残酷物語と同一である。
何か、書いて楽しいことでも…と思っていると、当時の駿台英語美人教師のHPを読んでいて、突如、医学部志望女学生の件を三っつほど思い出した。二番目は寝ている間に思い出さされた🙇。
そこで、一部楽しい話題を。そうでもなければ書いておられない。

医学部志望学生と言えば、1983年の京都校高校生コースの子がいた。大変、無邪気(純真無垢)な感じがして、かわいらしい子であった。また私に広い意味で好意というよりもなついていたようにも見えた。当時は、女性として意識していなかったが、こんな子を動物園でも連れて行き、帰りに🍨アイスクリームでも一緒に食べれば楽しいでしょうね。しかし、当時は全く、そうしたことは一切思いつかなかった。
先の駿台女性NMさんが1983年から工作…の頃は、女性熱は水俣で出会った子であり、見ていて心が和むのがこの子を含む教え子の一部であった。

医学部志望学生と言えば、全く忘れていた子を思い出さされた。大阪校に異動した後の話である。かなり美形で、よく私に話に来ていた子がいた。確か、この子も高校生コースで医学部を志望していると言っていた。いや、東大志望と言っていたのだったか、やはりまだ忘れている。忘れていて御免なさい。
少し思い出してきたが、まだ思い出せない。名前も全く覚えていない。クラスも、私は大阪校では高校生コースは担当していなかった気もするが定かではない。よく質問か会話にきたが、どのクラスなのか、教えていたのかどうかも覚えていない。

さらに、先の美人教師がHPで食事をだされるのであるが、この子をつれて食事に行ったようなことを寝ている間に思わされたが、行ったか・どうか全く思い出せないのである。もし、行っていれば、楽しい思い出を忘却するとは甚(はなは)だ残念である。同時にゴメンナサイ(この子に対して🙇である)。

先の英語の美人教師がバーの写真をHPによく掲載しているため、私が駿台のあっ旋で宿泊していた東洋ホテルの軽食堂兼用バーなのかと思ったが、東洋ホテルは中津、駿台は緑地公園のため違う。バーと言えば、2016年に麻生氏(現副総理)か何かが駿台から誤情報を得たのかおかしなことがあった。下記を読めば分かる。
政治経済を語るNo.17・プーチン大統領来日のときの私の発言公開(付録編)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=11790

政治経済を語るNo.17・プーチン大統領来日のときの私の発言公開(付録編)

※(注)駿台予備学校講師時代(政経担当)に駿台大阪校に石原という若い職員がいた。京大卒と聞いたことがある。真面目そうな人間であった。この石原氏が石原賢一氏であれば、今回のブログ(特に前回の刑事犯罪の謎)の箇所を読み、再度の調査を願う。その趣旨を、石原氏が登場していたAeraに書き込んだ。該当Aera→https://dot.asahi.com/aera/2020073100013.html この箇所の下のコメント欄参照。

話を元に戻して、もし、食事に行っていれば忘却してゴメンナサイ。
ただし、二点記しておく。高校生コースのため、酒類は絶対に飲ませない。もう一点は、短大・女子高校などでは女生徒・女子学生は一対一では対応していない。それは予備校と異なり単位認定権という権力を持っているからである。だからポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)の教壇時には1990年以降(特に1994年以降)は「質問は歓迎するが、女子学生は絶対に複数以上でくるように。一人では来ないように」と何度も念を押している。1995~97年度のポリテクカレッジ岡山の学生に聞けば覚えている学生もいよう。

予備校や塾・家庭教師などは教師よりも生徒が強いが、大学・大学院、あるいは高校では、教師は単位認定権を持っている。その違いがある。家庭教師・塾などでは、生徒や父兄が「あの先生は嫌い」と言えば教師が首になる。しかし、教師の方が「あの生徒嫌い」と言っても、言った教師が首になる。だが、高校・大学・大学院では逆になるケースがある。そこで、高校・大学の教壇ときには慎重に対応したが、予備校類ではガードは多少甘くなるかもしれない。教師と生徒の恋愛は自由である。ましてや、私は当時も今も独身である。だが、単位認定権などを持っているときにはパワハラなどの温床となり、対等恋愛ではない危険性があるため、かなり慎重に対応している。

すると、英語の美人教師が書いていたバーや医学部云々(うんぬん)は上記とは違う。違うが、思い出せてよかった。なお、思い出せないのが薄情ではない。質問などを受ける際に、私自身が食事時間がないため、時間倹約上、軽食を一緒に食べたか否(いな)かとういうだけの話である。学校で、一年前に昼食時に、講師室にどの先生がいて、どの先生がいなかったかを思い出せないという次元に近い。デートでは一切ないのだから。

ちなみに、駿台女性の名前も顔ももう覚えていないはずであった。
大学時代の婦人問題研究部にいた可愛(かわい)い下級生すら名前を思い出せなかったくらいである。駿台大阪校の講師室係の女性(1986~87年の🚺)も全員名前どころか名字も覚えていない。顔もうっすら一人覚えているかいないかである。京都校二号館も1983年は全く覚えていない。1984年夏までも誰がいたのか、顔も名前も覚えていない。

そこで、本来女性問題など存在していない、駿台女性の件は完全忘却か大半忘却していたはずであった。ところが、忘却防止用か何かで数年おきに駿台の件を(催眠で)書かされたり、独り言を言わされたりしたため、覚えていたにすぎない。

医学部と言えば、岡山でも思い出がある。ただし、予備校生ではなく大学生である。しかも、駿台には一切行っていない。だが、この女子学生が駿台政経講師ME師の名を出し不思議に思ったことがある。同時に、何かよそよそしくなり、潰(つぶ)れた。1987年5月頃であろうか。誰か(Xかどうか不明)が嘘(うそ)をこの学生に言ったことを後に疑った。参ったね。当然、結婚に焦っていた時期であり、こうした付き合いは全て結婚前提の付き合いである。妨害がなかったならば結婚までこぎつけられた可能性もあったはずである。

真偽(しんぎ)を追求して問題としなかったのは当時、授業妨害・刑事犯罪被害で身動きが取れなかったこと、それ以上に、この女子学生がいつもの女性と顔が違っているように後に思え、偽者をつかまされたかと後に思わされたことである。当時は目がねの有無(いつもは目がねをかけていたが、彼女が大学時代には目がねをかけていなかったので違う人物に見えるのかと考え)て同一人物と思ったが、何週間後にはまさか別人かと思わされたことである。真偽は未(いま)だに不明である。もし偽者が事実ならば、その時点で、スパイ型の🚺女性工作を誰かがしていたことの完全な証明となる。

本人ならば、いずれ友達でもつれて我が家に遊びに来れば、そのときに真偽が分かろう。ちなみに、先の駿台京都校職員NMさんも、前半と後半では別人と後に分析している。1995~98年頃にも頻繁に書いている。前半はおとなしそう(容姿はさほど美人とは思えない)、後半は勝ち気そのものでやや凶暴な雰囲気の女性に思え(私好みの容姿ではないが容姿が突如美人に見える)、別人と(駿台辞職後の)90年代後半の手記には記載している。
もし、この両者のどちらかが偽者入替えならば、女性工作は即座に実証されよう。
後に言う人物連動説以外に、途中から偽者と入れ替えられる被害に何度か遭(あ)っている疑惑がある。

斯様(かよう)なことを書いている限り、人生はないも同一である。原稿のタイトルは「恋愛」などとは無縁の「現代版徒然草」と「Japanese 007」の結合となる。それに、「男はつらいよ」を付け加えれば正に駿台時代の本質となる。


(2020/10/03:追記)
再び、駿台英語美人教師のHPを見ていると、医師の次に、今度は北海道(医師に嫁ぐ)が登場。これは二つの思い出がある。とは言っても、私は北海道には行ったことがないが。
一つは、駿台時代に女性の件で大きなミスをした(😂)。一号館の女性が二号館に行った。KNさんである。
なお、二号館には先のYKさんなどがいた。YKさんとは時間短縮のため、休憩時間中の飲物を決める際に、指一本ならば「お茶」、二本ならば「まむしドリンク」類の飲物というサインを決めていた。

ところが、KNさんも、この真似(まね)をして、指でサインを送ってきた。ちょうど野球のキャッチャーのように。例えば指二本、それに対して私が指一本で返答とか、二本(まむしドリンク)でよければOKのサインを出すという具合である。
このときに迂闊(うかつ)にも、私が笑顔か笑ったのである。すると、周りの一部が、KNさんも…か捏造(ねつぞう)の気配を感じただけである。

駿台予備学校では、多少面白くても、笑ってはならないようである。ちなみに、KNさんとは2年間合計で5分程度の会話だと思う。ミスは、このサインで笑ったこと。馬鹿馬鹿しい。このサインで笑わねば文字通りNothing(「何もない」)であった。勿論、笑ったのは事務室の横でみんなが見ているときである。

ただ、それだけの話である。しかし、十人教師がいたら女性講師も含めて十人近くが、こうしたサインを出されると😸(笑う)か(*^▽^*)(ほほえむ)かするのである。
これ以上は何にもない。女性が人前で冗談を言ったり、面白いことをしたりしたのを見て、笑うと大変な目に遭(あ)うのが駿台だったのです。ただ、それだけを書くなどは馬鹿馬鹿しいことこの上ない話のため、今まで何も書かなかっただけである。第一、何もない。

なお、KNさんんとは人前で2年合計5分程度の会話にすぎないが、一度でも笑うと何だかんだと脅しをかけるのは暴力団だけではないでしょうか。いや、暴力団でもそこまではすまい。
お終(しま)い。それだけ。このレベルの話を書いていたならば人生は終わりである。

ただし、不可思議な形で3年合計で若い女性が次から次へと15人登場し(約3か月に一人登場)、それも山の頂上で人がいない場所で…など不可解な形で)、上記の如(ごと)く連続とは、誰かの女性工作としか思えないこともある。下記を参照。
気が向けば一言【徒然・私事】№138:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(4)多数女性登場の謎
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1118/

(2020/10/03 19:05記述)
もう一人は駿台には関係のない話である。多分1981年か82年頃の話である。
大学時代の友人女性・KGさん(学校教師:後に北海道の医師に嫁いだという噂(うわさ))である。この女性とかお嬢のモデル女性については、相手も超多忙であり、メディアなどの興味本位報道には不快さを感じるタイプである。KGさんは「しっかり者」であり、お嬢は「ちゃっかりもの」である。

この二人については、次のようにしたいと何度も独り言で言っている。
両者に、聞きたいことがあれば、メディアが上記女性にインタビューの金を十分払い、交渉することが望ましい。例えば、「インタビュー料金として50万円(若しくは百万円)支払いますが、インタビューにおうじてもらえませんか。なお、このお金はミスターハマダ(浜田隆政)とは無縁のお金です」と言って交渉するのが筋である。
そして彼女らがOKすれば、正々堂々とインタビューをすればよいだけの話である。メディアは営利で動いているのであり、他人のプライバシーを無断・無料で書いて、儲(もう)けようとする根性が間違えている。

それだけの話である。筋を通せということである。もし、女性がノーと言えば、インタビュー料金をあげて交渉するのがよい。勿論、この原則は誰にも適用はしない。嘘(うそ)を言われると被害が大きい。だが、私はこの二人を信用・信頼しているため、この二人が自由に物を言えばよいというだけである。しかし、筋を通して、事前の交渉と有料が常識である。(もっとも大した話ではなく営利にならぬと途中で分かっても、それはメディアの投資問題であり、投資はリスクを伴うのが資本主義社会である。)

KGさんも北海道の医師に嫁いだ…の噂(うわさ)もきいたことがある。
私は沈黙をし、彼女に全部任せるの(ただしメディアから彼女が金をとることを条件)がよかろうというだけの話である。
もっとも、KGさん自身が(?による私の🥴…)を知らねば、さらに聞きたければ、そのときは私がKGさん自身に解説をしよう。しかし、私が無料で、KGさんを含むプライバシー類を他人に語ることは権利意識からもない。

また、KGさんも、お嬢も友達であり、間もなく金欠で我が家を手放すかもしれないため、昔の友達全員で我が家で合宿をしてもよい。そのときにKGさん等(ら)が万一知らぬことがあれば、必要ならば教えよう。

KGさんは大変しっかりしており、大変信用のできる人である。もし、彼女が全貌(ぜんぼう)を知っていれば、私の如(ごと)く独身ではない、彼女自身が彼女の思うように話せばよい。彼女が全貌を知らぬときのみ、マスコミではなく彼女が私に聞けばよい。当時したしくしていたときの、みんなで集まり、席を外して…すると当時のろくでもない諸君は隠れて、こっそりと聞こうとするであろう。
懐かしき良き思い出時代である。

なお、KGさんについては、後の《◇―5》を読めば分かるように、もしこの世で私が結婚するならば、私は誰と結婚するか、生まれて間もなく決められていたようである。関学進学も同様にきめられていたみたいである。
寝ているときには、叔父(私の父の弟)がどこかで探してきた女性だそうである。彼女が関学に進学したので、…であろう。
大学時代に出会った女性の大半は信頼できる、それが全てである。
よって、私が書くことは何もない。

そして《◇―5》を読めば分かるように、駿台時代の女性は生き方とか伴侶という点で範疇誤謬(はんちゅうごびゅう:Category fallacy)であった。少なくとも当時は。それらは《◇―5》を読めば分かろう。結果として、本来の路線を催眠類でDisturb(混乱)させられ、Interruption(中断)させられたのが事実である。ジョンスチュアート・ミル( J.S. Mill )はマリリン・モンロー( Marilyn Monroe )には関心を持たないかもしれない。少なくとも当時の私も。
人間の善し悪(あ)しではなく、カテゴリーが違っていた…。

今は年で、皿洗いを手伝ってくれれば…( ̄∇ ̄)型になっているが当時はそうではなかった。
それを催眠で…。


▲今回は以上まで

都合でここ以降は単元を単元を変えて次回へ




《◇―5・「水俣」で出会った女性の小さな♥の思い出と、人物連動説の脅威》

こうした中で、昔を思い出していると、奇妙なことを思い出した。
駿台事件の開始は1984年夏ではなく、1983年夏なのである。
1983年夏前に、1983年度駿台の職員になった🚺NMさんと、お茶をついでいただいた際に数度会話をした。その結果は、私とは生き方が違うので、しゃべっても無駄という思いをしたことを覚えている。

そして、相手も、それを察してか、私の方を無視近い状態となった。それで良い。それで世の中はうまくいく。
当時の家族・伴侶理想像は以下の写真にある。

 

ミスター・オバマのSNSなどはよく見ている。彼の掲載する写真に時々うなる物がある。この日は、「セルマの行進」の写真掲載があった。

どこが良いのかと言えば二点ある。
一点は、家族、愛、社会正義…絆(きずな)が凝縮されている点である。
写真に向かってMr.obamaの隣が、ジョンルイス氏(キング牧師などと公民権運動を行っていた下院議員)、その隣がミシェル夫人、その隣がナターシャさん(オバマ夫妻の次女)、その隣が、ロビンソンさん(ミシェル夫人の母)、その隣がマリアさん(オバマ夫妻の長女)である。

万国の女性よ自立せよ。

エッセイ・写真―1回・万国の女性よ自立せよ。

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/p-essay/custom7.html

 

 

 



今回は《◇―5》まで。《◇―5》はまだ続きます。

1983年8月:水俣にて

 


 

 


(4)も聞き取り調査を願う。1984年1月の高校生コースの子とNMさんの視線が合うや火花の謎。

高校生コースの子に聞き取り調査を。NMさんも場合によれば証言するかもしれない。調査内容の重要なポイントは、誰かに私の件で誰にいつ何かを依頼されたかである。

余り意味は持たないが、水俣で出会った女性にも聞き取り調査は可能なはずである。当時の名簿は今でも持っている。写真物語館・水俣に掲載の写真にも大勢の中に小さく写っている(個人情報問題からどの女性かは書けない)。私が関心を寄せていたのはうっすら気づいているはず。

とにかく、一番重要なことは人間違いの確認をすべきである

 

(4)出発点の不可思議さ―人間違い説


【ここのみ2020/09/10 15:12】確認方法

(1)感情の催眠型意思コントロール→過去のブログなどを読めば分かる。

(2)女性熱の催眠誘導や変化→下記の事例として、高校時代の後輩女性の件を記述。未だに双方、広い意味で好感を持っていると思うので、彼女らに聞くことが望ましい。

私より学年が一つ下のHTさん、MTさん。両者ともに高校部落研究会の後輩。1970年(私が高校三年時)に起こったMTさん熱が突如HTさん熱に(催眠変化)などの裏事情を知っている可能性あり。これが事実ならば、駿台時の、1983年水俣で出会った子への熱が突如、駿台職員NMさん熱への1984年1月変化なども理解可能となろう。(裁判が可能となれば、私もこの両者に直にお願いします🙏。正々堂々と全面ガラス張りで)

(3)駿台職員NMさんが、誰かに頼まれ刺客型で1983年夏頃から…の証明は、当時の高校生コース(政経受講者)に聞けば教えてくる可能性がある。NMさん自身も場合によれば教えてくれる可能性すらゼロではない。まず、聞き取り調査を。なお、この高校生コースの女性に似せた形で、前回(2020年8月)の「朝から生テレビ」に女性{岩本京子(テレビ朝日報道局厚生労働省担当)}がでていたため、もうマスコミなどは調べて知っている可能性すらある。岩本京子氏をもっと幼くして、榊原郁恵型で、天真爛漫型で少し色が黒い子。今調べると岩本京子さんは福岡県双葉高校出身のよう。何故か福岡が強調される謎もある。高校生コースの子(1983年度政経受講者)は今からでも駿台で名前は特定できるはずである。

(2020/09/23 11:43追記:余談ではあるが、岩本京子さんは上記の高校生コースの子ではなく、大昔の家庭教師先の妹さんを意味していたのであろうか。そう言えば顔が高校生コースと妹さんの顔が似ていたかもしれない。)

 


 

しかし、強いて解釈すれば、何らかの映画説(実話型映画の主人公にでもされた説)のみが考えられた。
 というのも、後にテレビと対話とか、世界の指導者と各種交流という不可思議な状況が起こったからである。

そして、上記の女性トラブルというよりも女性事件の件はチンプンカンプンであり、「ドタバタ劇であり、何のストーリーもない、三流監督が指揮する映画」と思わざるを得なかった。それでも長い。間もなく40年になろうとしている。

それでも、何故(なぜ)、こうした出たらめ危害が長期続くのかと(松江の)友人に疑問をなげかけた。すると、友人の方が逆に「なぜかと思う」と聞いたので、私は「私は人に恨まれる覚えがないので、勘違いか誤解を誰かがしているのではないか」と返答すると、友人は、「いや、それは人間違い」と言い切った。その後、友人は「僕は糖尿病になったので、インシュリンの注射をする」と言いながら注射を自分でうっていた。2012年4月のことである。

その後、人間違いが該当するような状況を何度か経験したため、私のHPのプロフィール充実や、場合によれば回想録などを書きかけるや、ものすごい妨害が起こる。誰の妨害かは今は書かない。
泣くこと地頭には勝てぬ、それ以上に起業を目指し、超多忙なため、起業準備に専念することとし、プロフィール充実などは諦めた。2015年夏のことである。
その後2019年に偽者強調から駿台事件を詳細にブログに掲載するようになった。
ただし、下記の関係(下記Twitter参照)で駿台の件は余り書く意味はないが、しつこい挑発と意味不明の件などからやむを得ずである。すると間もなく、松江の友人が死亡した。「人間違いの件」は更に謎となった。

○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20



こうした中で、昔を思い出していると、奇妙なことを思い出した。
駿台事件の開始は1984年夏ではなく、1983年夏なのである。
1983年夏前に、1983年度駿台の職員になった🚺NMさんと、お茶をついでいただいた際に数度会話をした。その結果は、私とは生き方が違うので、しゃべっても無駄という思いをしたことを覚えている。

そして、相手も、それを察してか、私の方を無視近い状態となった。それで良い。それで世の中はうまくいく。
ところが、同年1983年夏に、先輩であるが親友のIT氏に、熊本でおこなわれた教員の研究集会に誘われた。会の名前は歴史教育協議会であっただろうか。ところが直前に彼は参加できないと言い出した。その結果私一人で参加した。
当然、こうした会議に知り合いがいる訳がない。弱ったというものではなかった。しかし、何日かたてば、社会科とか教師に感心がある人の集団のため、会話をする人が何人か登場した。
大きな研究会のため、各種分科会があった。ある分科会で、私好みの女性にであった。美人ではないかもしれないが、私好みのタイプであり、容姿もこの種の容姿は私のお気に入りの一つである。ただし、現職教師ではなく、教員志望の学生のようにも見受けられた。

男性教員には簡単に話しかけられたが、この女性には何回か同一分科会で会ったが、声をかけたり、会話をしたりする度胸がなかった。しかし、この頃は私は31才の頃で結婚に焦りを感じていた。伴侶ならばこうしたタイプがよい。当時の好みのタイプは後日記述。
もはや分科会も最後となり諦めた。だが、現地見学(フィールドワーク)がオプションであるという。私は水俣コースを選んだ。彼女がくれば、今度こそ、決死の覚悟で話しかけると決定した。
だが来るわけがない。何故(なぜ)ならば、当時は約数千人が参加しており、そして水俣行きのオプションツァーはバス一台か二台である。確率論から言って、50分の一以下である。
しかし、来れば、逆に言えば絶対に会話をすると決めていた。

そして、水俣行きのツァーに参加した日に彼女は来ていた。オプショナルの水俣ツァーは一泊二日である。部屋は違うが同じ宿で寝ることになる(水天荘という国民宿舎である)。このときのコースや思い出は拙著『旅に心を求めて―不条理編(下)』(生けとし生ける者は生き続けなければならない){Kindle、KOBO各百円}参照に書いている。もっとも、女性のことは書いていない。

だが、結局、声をかけることはできなかった。会話のチャンスが幾つもあったのに。食事とき、バスをおりて歩いているとき、…と。実際に、この世は半徹夜で、様々な教師と語り合っている。

なお、この女性には客観的に考えて脈があったとしか思えなかった。というのも、私がバスの中でマイクを持ち「授業論などを語ると」、この女性はにっこりわらい、くいつくように私を熟視し、うれしくてたまらないという顔で私の話を聞いていた。一瞬は、ふりむき、私の顔を真っ先にみたのを覚えている。

双方が関心をもつ女性にはめったにであわない。そこであの顔をみたならば、最後の別れ際とも考えたが無理であった。

こうしてツァーは終わった。だが、運良く、参加者名簿を渡された。そこで、今度は絶対に手紙を出そうと決心した。しかし、口実があった方がよい。そこで、年賀状を兼ねてだそうと冬を待った。
だが、年賀状でも出す度胸はなかった。ちなみに、こうした手紙をだしたことはないため尚更(なおさら)であった。

しかし、未練はあった。そこで、1984年1月の駿台講習時も、まだ遅れた年賀状か寒中見舞いかで出そうと思い続けていた。

★当時の写真掲載を検討(この写真の中のどこかにこの女性がいるかも。名前は当時の参加者名簿で特定は可能である。当時の住所も同様である。具体的聞き取り調査だけが意味を持つ)。


ところが、不思議なことが起こる。
思い続けて悩んでいた時間を1984年1月●日YY時とすれば、ある一瞬を契機に、突如その手紙の件は忘却し、駿台の先のNMという女性に熱があがったのである。当時は催眠というものを知らぬが、不思議で仕方がなかった。そこで、催眠とは知らないが抵抗をし、昔、真備高校(女子高校)で同僚であった先生に手紙…となる。だが抵抗もむなしく、催眠攻撃でやむなくNMに手紙を出す羽目となった。
この手紙という発想は水俣で出会った子にコンタクトを取るために思いついた手段であった。何故ならば、他に手段がなかったからである。


なお、駿台女性NMさんは、1983年夏に私が水俣で出会った子に熱をあげたのを確認してから、1983年秋頃から私の関心をさりげなく引く素振りを開始した疑惑がある(駿台にいるはずがない赤ちゃんと登場とそれをあやす、それも私が必ず見るように…)。だが、このNMさんが私に関心をもっていれば、1984年夏に手紙を渡した際に、良い返事をするはずであるが全く逆であった。

随所に書いているが(多分1990年代の後半から書いているが)、この女性NMさんに私が熱をあげて揉(も)めて駿台を辞職したのではなく、私を駿台から放逐し、さらに、私が長期に亘り(ときには一生涯に亘り)仕事をできなくするために、このNMさんが誰かに頼まれて、私の関心を引こうとしたという仮説である。それがうまくいかないので最後は催眠であった。
なお、この種の催眠は過去にも、その後にも経験している。高校時代に部落研究会の後輩女性MTさんに熱をあげていたら、ある日、午後からは同じ後輩のHTさんに熱が移動したことがある。それも僅か1分程度で。さらに、駿台大阪校にいってからは、岡山の予備校でも、女性TYさんに突如熱をあげさせられるが、それがある日、突如YJさんの方に熱が変わるという不思議な体験もある。
前例はある。ちなみに岡山の先の二人も駿台同様にデートもせず、指一本触れずである。高校時代の方が、彼女らが結婚した後も仲間であり、友達である。一人の方は彼氏ができてからも連絡をくれ、もう一人の方が結婚式に招待されたが多忙で参加できず。

しかし、高校時代のそれと異なり、他のは、特に駿台NMさんの件は、私を駿台から放逐するためとしか分析できない。
だが、私は他人から恨みを買う心当たりは一切ない。そこで、高校時代の件なども思い出しながら、山田洋次型ドタバタ劇でこうしたシナリオを考えたのだろうと、駿台辞職後(1988年1月)以降で半年後くらいからは、そう考えていた。
駿台女性関連は、1986年春の深見係長からの(京都校から大阪校移動への打診)電話を合図に全て感情が消え去った。催眠とはそういうものである。なお、移動打診の内容は、「政経ME先生(幾つもの名を持つ先生)のお子さんが障害をかかえられており、その関係でME先生が大阪校から京都校へ異動したい…」であった。私のプロフィールを安らぎ文庫に掲載しているが、私も祖父が約10年寝たきり・腕も動かす・物も言えず…となっていたため、ノーとは言えず、大阪校への異動をOKしたのである。(下記「ふるさとの記録―6」の下に私の一家の写真や祖父の写真などを掲載。私の幼小の頃の写真も掲載している。私が女性…馬鹿馬鹿しいことも写真をみれば分かろう。😂😂😂、猫も😸)

○http://h-takamasa.com/Blog/?p=22284

多分、(1986年1月頃の)駿台京都校の高校生コースの女の子と職員NMの目があい、火花か散ったように思えたのを契機に催眠がかかり、(1986年春の)深見係長からの電話を契機に催眠がとけたのであろう。

その後に、NMさんへの好意的な形で思い出したことはただの一度もない。さらに、先の熱を催眠で上げさせられる前も、同様に好意的な形で思ったことは一度もない。
ようするに、私は意味不明の(多分、永久の世の)映画説の主人公であろう。そしてNMさんの件はどたばた劇の導火線と解釈を長期していた。

ところが、2012年の友人の言動や、就寝中に、映画説でも何かストーリーがあろう。脚本があろう、…と思わされた。さらに、人間違い被害を連想させる事件が相次ぎ、ひょっとすると、どたばた劇でも最初からのどたばた劇ではなく、どたばた劇を開始するためのシナリオがあったのではないかと思うようになった。

簡単に言えば、XがZに恨みか何かを抱き、Zに女性を絡めて失脚させ、人生を台無しにするきっかけとなるようにするため、駿台NMさんなどにXが依頼をしたという仮説である。
だが、私は人に恨まれる性格では本来はない。誰かが故意にデマを飛ばさぬ限り。そして友人の一言「人間違いが原因」とか、世界の指導者が臭わせた「偽者」なる語を疑いだした。要するに、XがZ(若しくはZの母か父)に恨みをもったかもしれないが、私はZではなく私は浜田隆政である。
ここ十年余りは人間違いを裏付けるような形で物語は進行している。Zは誰かは、私はXやZではないため特定できる訳がない。
ただ、人間違いが起こりそうな箇所を、プライバシー権に配慮しながら、臭わすしかないであろう。


もっとも、単なるどたばた劇の可能性もまだ捨てきれない。何故ならば、先の🌊水俣(🐬)でであった女性は、1987夏にも岡山の社会科教員研修会で出会った可能性が高いからである。当時会った子とよく似た子がお嬢の一人(🎎)と同様の仕草をしながら、私の前を歩いたからである。
駿台事件若しくは駿台トラブルの開始は1984年秋の手紙ではなく、1983年夏が終わった直後の秋からである。先の赤ん坊…から策動が開始されている。そして、刑事犯罪がピークなる直前の嵐の前の静けさが1987年夏である。両方に水俣で出会った女性🌊は登場している。
さらに、私を熊本の社会科教員研究会に誘ったITさんは、あの女性🌊は、お嬢のもう一人🧜と同一だ。さらに、駿台時代に慌てて見合いをした🛵女性(私は🌈と表現したい)「おじょう」とも同一だ、と言う始末である。
要するに、未(いま)だに駿台女性トラブル開始のNMさんの件は催眠であることは間違いないが、どたばた劇の導火線なのか、訳の分からぬドラマのシナリオ(人間違いを起点)なのかは判明しづらい状態が続いている。催眠類熱であることだけが事実である。

だが、何故、未だに駿台NMの件を書かされたり、駿台の件を書かされたりするのかさっぱり分からぬと同時に貴重な人生の無駄であると、人生終活に入り、参っている。馬鹿馬鹿しいことこの上ないである。
https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

 


※K先生からが事実ならば、K先生の名前も実名で記載するが、手渡した人が勝手にK先生の名を使用した疑惑もあるため、しばらく保留。とにかく、一番重要なことは人間違いの確認をすべきである

(3)駿台辞職後も30年尾を引いている疑惑
 京都校時代は、女子中学校か小学校の「恋愛ごっこ祭り」騒ぎであろう。これも大の大人がとなると奇妙ではあるが、そうしたことは全くないとも言えない。
だが、大阪校時代の刑事犯罪被害とは明白な犯罪であり、通常は上記のケースではありえない。駿台女性とは何の付き合い云々(うんぬん)の実態もないのにである。

だが、通常ならば、私が駿台予備学校を辞職すればお終(しま)いのはずである。ましてや、相手の女性も途中で結婚したと聞いていた。私も女性も両方が駿台を辞めてまで尾を引く話ではない。
 ところが、この件が次の職場・ポリテクカレッジ岡山(労働省所管、現厚生労働省所管)でも、駿台辞職するや職場が一変し、各種被害を受け、後に駿台予備学校との因果を臭わされる。
 さらに、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)を辞職するや、今度はベネッセで、更には村で各種トラブルに遭遇し、駿台辞職してからですら32年、女性に手紙を渡しててから36年以上となる。

このようなことが現実にあるのだろうか?
意味がさっぱり分からない。チンプンカンプンである。

(2020/09/10 16:13追記:2020/09/12清書進行中)


駿台辞職後は、さらに、刑事犯罪被害が増大した。(3)で述べるように、駿台との因果を臭わせてである。駿台時代の件は上記(1)のため、当方は「ちんぷんかんぷん」が続いている。辞職後から既に32年経(た)つが被害は悪質な状態で継続しているとしか思えない。
回答の一つは、下記に記す、人間違いから開始したとしか思えない。



(5)同和問題を臭わされる謎
これは、駿台時代に化学のK先生からと言って、何人かの生徒が意味不明な差別文書(中に法務局とか人権擁護局のマークがあり)を手渡してきたり、その後もそうした挑発らしきものがあっりした。ただし、何のことか意味不明である。
なお、駿台で差別文書を1987年11月頃に渡されたが、その30年目の11月にやはり法務局、人権協議会の封筒が我が家の郵便受けに入っていた。
ただし、住所は我が家であるが、宛先は私ではなく、隣人の名前であった。(隣家も何故か不明であるが、我が家の住所を50年ほど使用され続けられていた謎もある)。

ただ言えることは、私は部落研活動を長期していたことがあり、差別反対主義者である。勿論、伴侶候補の出自などはきにしない。だから一切調べない。学歴・人種・出自…はどうでもよい。強いて言えば「若い内の苦労は買ってでもしろ」…より、その苦労が昇華されていれば魅力でしかない。

苦労がいかされていれば、伴侶候補としてはプラス評価はあっても、その逆はない。

機会があれば、1968年高校一年のとき(分裂前の部落研修会)、1969年分裂が起こったがまだ同一の集会に参加したとき、1970年分裂後の集会の感想などもどこかで記載しよう。▽
岡映氏の件は既に記述した通りで、岡さんがよく行っていた食堂のママさんからの、女子高校生指導で悩んでいたときに、対応の仕方などの参考でということで紹介されたにすぎない。

ようするに、何故、同和問題が駿台の件ででてくるのか「サッパリ分からない」。同時に、私は差別反対主義者にも拘(かか)わらず、出鱈目(でたらめ)の挑発の気配も気になっている。

なお、私は差別反対主義者であるが、もう40年ほど前から党派中立・宗派中立を貫いていることも強調しておく。