- ●11月19日(火曜日)民宿・住吉発:午前6時
- ●6時30分鬼池フェリー乗り場
- ●7時~7時40分鬼池~口之津船中(徐々に太陽が見えてくる)。
- 口之津にて。
「一九日朝五時に起き、六時前に宿を出る。前日迄、雨と曇り続きであったが、早朝フェリーに乗ると思いもせず、もの凄い雲の中から太陽が顔を出し始める。厚い雲から、太陽が顔を出す時には、太陽の光が雲の隙(すき)間(ま)を狙い、上にも下にも光の筋を作る。鋭い光の筋・〝斜光〟の神秘をかいま見た。船中で斜光を写し続けた。色はオレンジで一定満足のいく写真が撮れた。鬼池から口之津への途中である……。」(道中記)。 - 下記アンダーライン(若しくは赤字)クリックでリンク
- ※島原の大型拡大写真→写真物語ブログ=「島原:1996/11/19:直近の写真(2017年再編集):島原斜光」参照。
2016年撮影の島原は「写真物語ブログ・旅に心を求めて」2017年中(たぶん、8月~9月)に掲載予定→ - ■写真番号→写真は上から=
①写真№96-127-08b→7:00~7:40:フィルムはISO800のため粒状性割悪し
②写真№96-127-09-ami→7:00~7:40:フィルムはISO800、
③写真№96-127-11-ami-big→7:00~7:40:フィルムはISO800、
④写真№96-127-21-suna-b→7:00~7:40:フィルムはISO800、
⑤写真№96-127-14a→7:00~7:40:フィルムはISO800
⑥写真№96-127-25-fm→7:00~7:40:フィルムはISO800
⑦写真№96-128-01→7:00~7:40:フィルムはISO100ポジ
⑧写真№96-128-07-fm→7:00~7:40:フィルムはISO100ポジ
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⑦
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- ●7時半~(途中、原城跡)~午前9時島原城へ
- 「……口之津湾(長崎県)に着いても斜光は続いていた。赤い濃いオレンジ色は消え去ったが、それでも斜光には神秘がある。そして口之津から島原への道中で灯台と船と斜光を撮り続けていると、一羽の鳥が飛んできた。その瞬間を撮った写真を『島原・斜光』と名付けた。……」(道中記)
- ⑨写真№96-128-08) →7:00~7:40:フィルムはISO100ポジ
⑩写真№96-128-13-fm)→7:00~7:40:フィルムはISO100ポジ
⑪写真№96-128-23-fm)→7:00~7:40:フィルムはISO100ポジ - 下記アンダーライン(若しくは赤字)クリックでリンク
- ※島原の大型拡大写真→写真物語ブログ=「島原:1996/11/19:直近の写真(2017年再編集):島原斜光」参照。
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- ★【写真タイトル→『島原・斜光』
- 私の代表作の一つである。「島原斜光」の解説は拙著『旅に心を求めて・不条理編(下)』か浜田隆政公式HPに掲載している。後者ならば下のボタンをクリックすればリンクしている。
- ●写真番号→⑫写真№96-128-27-300kb→7:00~7:40:フィルムはISO100ポジ
- ●午前9時~10時20分→島原城と北村西望記念館
- 島原にて。
「島原城に着いた時は天気が今一つであった。
城を簡単に見学した後、城周辺の彫刻の写真を撮る。後で北村西望の作品と知ると同時に、西望記念館がこの城の横にあると聞き、鑑賞に出かける。
これが、この旅の大きな予期せぬ収穫となる……。
『館内で(作品の)写真を撮っても良い』という(北村西望氏の御子息らしい方の)御厚意に甘え撮影をする。
とはいっても三脚使用は自主的に遠慮した。
(ストロボ使用許可をとった後で)ストロボを使用する。ストロボ撮影には慣れていないため、一定枚数は撮ったが、後で思いきり撮っておけばよかったと悔やむ……。
写真は『将軍の孫』、『笑う少女』、『平和祈念像』(長崎平和祈念像の下絵型彫刻)、それにあと一つの像を撮る。『将軍の孫』、『喜ぶ少女』、『母親の像』、『加藤清政』、『原爆祈念像』を確実に全部撮りたかったのであるが、……」(道中記)。 - ■写真番号→写真は上から=
⑬写真№96-129-22A:島原城からの眺め→斜光はまだ続く。
⑭写真№96-129-27A:北村西望作「平和の女神像」
⑮写真№96-129-36A:北村西望作「日蓮上人像」
⑯写真№96-128-29:北村西望作「将軍の孫」、
⑰写真№96-129-30A:北村西望作「喜ぶ少女」
⑱写真№96-129-35A:「北村西望」
⑲写真№96-129-32A:長崎平和祈念像作成過程
⑳写真№96-129-34A:長崎平和祈念像作成過程
㉑写真№96-130-03:島原城 - 2016年撮影の島原は「写真物語ブログ・旅に心を求めて」2017年中に掲載予定→。
特に島原城・北村西望記念館は2016年版参照(2017年8月か9月頃掲載上記予定)。 - ※北村西望作「世界連邦平和像」→「写真物語ブログ・特別編」参照=http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?page_id=159
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- ●10時30分、雲仙を目指す。
- 雲仙にて。
「島原への道中、災害跡地を見る。雲仙普賢岳の被災の跡がまだかなり残っており、写真を撮ろうと思い、車を止めた。
しかし、既に地元の人が帰っておられる家が数軒眼に入り、シャッターは切れなかった。
どんなに撮影したくても、被災された方がいるときに、人の不幸を撮ることを、私の本能が拒否した。カメラを二台所有していたが、ただの一回もシャッターは切れなかった。人気(ひとけ)が全くなかったり、地元の人がいなかったりした時は、交通の邪魔にならない限り撮る。しかし地元の人が付近にいれば、撮ることは被災者感情を考えると生理的にできなかった。
この後、雲仙を味わう……」(道中記) - ■写真番号→写真は上から=
㉒写真№96-130-05:雲仙道中 - ●仁田峠11時~12時30分(ロープウェイにも乗る)
- ■写真番号→写真は上から=
㉓写真№96-131-13A:仁田峠
㉔写真№96-131-14A
㉕写真№96-131-16A-ami
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- ●12時半 仁田峠を出発し、長崎を目指す。