- 2017年8月9日全面リニューアル
- 序文・授業を求めて―水俣から長崎平和公園まで(1996年11月の旅)
- (写真「島原・斜光」:浜田隆政撮影:№96-128-27^300kb)
- 一九九六年一一月、姉より教材への協力として一定の金を長期借りることが可能となったため、水俣再訪を決定する。八三年水俣への旅と、スミスの写真集、この二つがどう結びつくか。その回答を求めて、九六年一一月一七日水俣を再訪する。旅の概況は以下の通りである。旅で得たものは(β)などである。
- 【α・旅の概況】
- 旅一日目、15日:①美作・我が家~②倉敷・岡山短大~③松江
- 旅二日目、16日:①松江~②山陰海岸~③大分
- 旅三日目、17日:①大分~②竹田~③阿蘇~④足北界隈~⑤水俣。
- 旅四日目、18日:①水俣~②天草船中~③天草~④キリシタン館~⑤富岡~⑥五和町
- 旅五日目、19日:①鬼池(天草)~②口之津~③島原~④雲仙~⑤長崎。
- 旅六日目、20日:①長崎~②熊本~③美作・我が家
- 【β・旅で得たもの―『旅に心を求めて・不条理編』第3章より】
- 科学がどのように進化しようと、社会がどのように進歩しようと、どのような天才的な授業をなす人間が現れようと、絶対にできぬ唯一のことがある。 何も持たない老婆がいて、孫が懸命にその老婆に尽くし、否(いな)、それ以上に心を祖母に与え、そして何もない老婆が何もできないが故(ゆえ)、その孫のために懸命に何日もかけ、手作りの人形を作ったとしよう。 幾ら、科学が進歩し、大量生産で、この人形の何倍ものきれいな人形を作れたとしても、老婆の人形が人に与える印象を上回ることはできない。 授業も全く同一であること。これはプロ意識と矛盾するものではなく、プロ意識の土台となるものである。……以上【『第3章・水俣再訪――生けとし生きるもの】
- ●旅一日目、15日:①美作・我が家~②倉敷・岡山短大~③松江
- (1)一九九六年一一月一五日(金曜日)。
- 短大の授業が終わった後で、松江に旅立つ。というのもお金を倹約し、高速道路を使用せず水俣へ行くために、山陰路経由を考えたからである。松江泊(一五日)。松江にて。一五日夜、宍道湖(しんじこ)の夜景を撮りに行くも風が強く早めに切り上げる。
- ※この頃はまだカメラを開始していなかったため、今回添付の写真はフィルム式コンパクトカメラで撮影したものである。後年、フィルムスキャナーで処理した。
- (写真№94-119-05A)