(公式で正式公開🔚)・駿台真相編7B-7・映画説と駿台CM融合論、そこに政治家が参加

(正式公開とその後の修正は公式Blog🔚安らぎは完成直後まで)・駿台真相編7B-7・映画説と駿台CM融合論、そこに政治家が参加


【更新履歴】

2025/03/27 11:58から下書き掲載開始。18:35 継続記述中。

清書版は下記(公式Blog)で公開予定でいる。

2025/03/29《◇-3》を突如記述。《◇―3》は下書きにない内容となっている。催眠記述の可能性もあり、当初の下書《メモ2》も念のため公開検討中

2025/03/30 《◇―4》を下書き記載。《◇―5》《◇―6》も本日第二次下書きをするかもしれない掃除の方がよほど意味がある。なお、もう2万文字超過。やっておれない。催眠での視聴率稼ぎを強制でやらされている。

2025/03/30 15:57 本日こそは掃除、同時に駿台真相編は今回は1万文字を目指すが昨日から…📰記事にに穴があいたあら困るとばかりに催眠三昧で予定を潰され、今(2025/03/30 15:58)28439文字。最終的に3万文字でいつのの如くか。催眠で無料でこき使われている。駿台事件と本質は正に同一である。

2025/03/30 16:33から貼り付け作業。順次清書化次第はりツケ予定。

2025/04/01 1:06 《◇5》に重要な追記。《◇6》の途中まで清書終了。残りは2025/04/01 起床後に作業。

12:18 《◇5》に重要な追記中

2025/04/01 昼から夕方の間に正式公開予定。13:32正式公開(ただし、公開後の修正は原則として公式Blogの方でしかしない)

 

(公式Blog)https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=50208


【表紙写真】

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【注意書き】(原則実名記載やむなしの理由:クリックで拡大:まだ見ていない人は必ずご覧を)

駿台真相編目次


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【本題】・駿台真相編7B-7・映画説と駿台CM融合論、そこに政治家が参加

 

【駿台信組編・7関連】

【公開済み】

7-A1・駿台と村を取り巻く謎の利権集団
7-A2・駿台刑事犯罪被害の開始シグナル―謎の女性三人登場
7-A3・姪登場、催眠と睡眠薬、ホテル群破壊と証拠隠滅工作
7-A4・山城の女、映画説強調、そして真逆攻撃
7-A5・駿台での業務妨害と刑事犯罪の激化
7-A6・犯人の仮説

【公開予定】

7-B1・差別文書問題-2025年見解
7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
7-B3・差別文書問題2007-10年見解-2
7-B4・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編
7-B5・差別文書-2019-24年分析・人間違い編
7-B6・差別文書-女性、部落問題の謎と不審死連続の謎:人間違い
7-B7・差別文書-2019-24年分析・映画説と駿台CM説融合論(今回公開箇所)

7-C1・玉子事件―外部と駿台の共謀示唆/演出
7-C2・エアコン事件-徹底した小細工動員の事例
7-C3・マイク攻撃―証拠隠滅例
7-D1・駿台交渉資料編1
7-D2・駿台交渉資料編2

【今回の構想】(今回は一万文字を目処に掲載)
《◇―1・映画説》
《◇―2・部落問題と映画説》
《◇―3・駿台講師と映画説(駿台講師と私)》
《◇―4・映画説駿台物語に政治家が後に絡む》
《◇―5・駿台の自主調査を願う》
《◇―6・今尚、疑う共産党首謀テレビ・映画説》


 

《◇―1・映画説》

 2018年11月のことである。11月10日に注文した自転車がくるのを待ちながら、芝生にゴザを敷いて、その上でMr.オバマの『夢』{バラク・オバマ (著), 木内 裕也 (翻訳), 白倉 三紀子 (翻訳) 、『マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝』、2007/12/14}という本を読んでいた。もし、私が約束通りにポリテクカレッジ岡山(後の能開大中国)で専任講師となり、定年退職をして、厚生年金があれば今頃は毎日、芝生・畑の手入れ、そして読書や映画鑑賞…まさに夢の世界であった。

私の従来の価値観は牧歌的に生きていくことであった。だが無理であろう。奇妙な映画説にとりつかれている。斯様(かよう)な生活ならば読者・視聴者は飽きる。そこで映画説かテレビ説か不明であるが、彼らの商売・生き甲斐は御陀仏となるからである。だが、それは奴隷制度と同様な構造である。


斯様(かよう)なことを考えていると、日中の暖かさから、芝生の上で居眠りをしていた。気持ちの良いというものではない。
「こんにちは」という声で目が覚めた。自転車が到着した。


今、思えば、駿台事件のみならず、兵庫県西宮市教育委員会時代、真備高校講師時代も話題提供至上主義であった。いや、それどころか関学、早大大学院時代もそうであろう。

当然、全仕事を奪われ、自宅監禁されている今も同様である。映画グループはマリーアントワネットの言葉を極度に恐れる。彼女の名言は「私は退屈が怖い」であった。

西宮市教育委員会時代、真備高校講師時代の舞台裏の話は既に、駿台真相編-4(or 駿台真相編-04)で記した。トラブルの本質は私ではなく、他の教師により作られていた。

駿台事件真相編―04・駿台CM作戦と映画女性活用脚本編
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=44257 公式Blog 2024年6月15日公開この中のⅢの箇所を参照してもらいたい。

  駿台講師時代も同様である。順風満帆に行くこと、それは視聴率減少を意味する。順調な恋愛、それは「三浦友和化」(三浦君の名言「(浮気をしないことは簡単なのです)浮気をしないと決めればよいだけのことなのです」)を意味し、視聴率は大きく低下する。お嬢群が笑っているであろう。

※※※(参考)※※※
(解説)学校の授業で同じ教師が同じ授業を10回すればリピートであるが、クラスごとに生徒が違うため生徒には新鮮である。だがテレビや映画類ではどうなるか。それが10年続けば、多少の授業の手直しでは担当する生徒は毎年違うため問題はないが、視聴者は飽きる。いや、1~2年が限界であろう。
それが授業以外に話題を作られる本質である。駿台ならば無理矢理の女性ドタバタ劇と。

また、授業は難しい。もし、授業が面白く・有益ならば、テレビやSNS以上に、人は熱中し、高校・大学は志願者が殺到するであろう。卒業した後も何とか授業を受けようとするであろう。

結婚も同様であり、幸せな家庭、波風のない家庭、親戚全部が円満であり、私が朝起きて運動、昼から学校で授業、夕方はクラブの部員と一緒に運動をして、帰宅後に教材研究のみの生活を45年続けたならばどうなるか。

テレビ映画・映画類の視聴者からマリーアントワネットの心理が続発するであろう。退職後は畑と芝生、木々の手入れ、それに先の幸せな家庭、更に、奇跡的に幸せな・平凡な村の住人との語らいのみとなっていたならば、どうなるであろうか。マリーアントワネットは発狂するかもしれない。
ただ、それだけの話である。これが駿台真相編の本質の一つである。
※※※※※


この法則が駿台講師時代も貫かれる。女性ドタバタ劇に私を無理矢理参加させた(最後は究極の手段・催眠類の多数投入であった)。各種トリックと契約違反を混合して、超多忙時代も創設した。
それでも、それらが長く続けば視聴者は飽きる。そこで、今度は業務妨害と刑事犯罪被害のオンパレードとする。

だが、それも長期続けば、この世では駿台の命取りとなる。その前に、私の放逐は1988年初頭(1987年度)と決まっていたようである。
というのは、1989年度から駿台は関西地区でも大阪南校、京都南校ができ、その後も神戸校、上本町校が開校することになっていた。そうなると、私は政経一本と当然なる。
これでは面白くないし、専任問題も浮上する。とりわけ、ポリテクカレッジ岡山に誘導した意味もなくなる。ポリテクカレッジ岡山の教壇は駿台が絡んでいることを数年前から疑っている。


 ちなみに、ポリテクカレッジ岡山も、このグループ28校が1999年に四年制移行ラッシュとなるが、その前の1998年(1997年度)で退職に追い込まれている。駿台に10年を足せば、ほぼ同じ形で事件が起こっている。


駿台事件で一番大きな中心がここである。というのも、映画説とは舞台となる地域・学校は自分のCMのため大協力をする。ときには、お金を積んでの誘致合戦まで起こる。 当然、元は回収しなければならない。企業の道徳は「利潤追求」にある私のために幾つもの投資をしている以上、営業利益が大きくでなければならない。他の学校・地域も同様である。


 当然、大犯罪である。人身売買に該当する。奴隷労働でもある。更に、駿台などでは業務妨害という刑事犯罪まで行(おこな)っている。それも学校で勤務時間中でもおこなっている。学校内での各種業務妨害等が明白になればこの世では刑事犯罪となる。その捜査が始まれば、奴隷労働・人身売買問題にまでいきつく。

それらの刑事犯罪類の証拠を一部我が家へ保存していたが、突如盗まれ…どんどんなくなっている。最近では、昨年か・一昨年、駿台講師時代に授業でマイク妨害された箇所をテープ録音していた(1987年)が、その該当箇所だけが消されていた。

駿台講師時代に拉致被害にあいかけたが、私が映画説を知らぬ頃は、大変であった。今考えれば、周りの人は知っていたようで平然としていたが、こちらはびっくりした。これが駿台に首をかけての大きな抗議(内容証明送付)のきっかけの一つとなった。

その後、訴訟を中断したのは弁護士の不可思議な対応のみか、大滝満夫部長との最後の会談で「先生、その気があれば三年後に戻ってきてください。駿台は両手をあげてまっています」で訴訟などは止(や)めた経緯がある三年ほどほとぼりを冷ましてから駿台に戻る予定でいた。実際に三年後に打診に行った。だが、平然と門前払いされた。

刑事犯罪被害の箇所は別に単元を改めて記そう。これだけは、きっちりと記録に残しておきたい。刑事犯罪を甘くみてはならない。駿台真相編7-C群やD群に一部記す。ともかく、視聴率・駿台大CM至上主義であった。


それでは今、平凡か。
近所類を使い様々な挑発を連続で起こされ続けている。

余りに小さい話でも、小さい話であるが故(ゆえ)に、これで騒ぎを起こせば、馬鹿馬鹿しいとなり、逆に視聴率は稼げるとばかりに。
例えとすれば、自動販売機の小銭問題である。ときにはJAでの五円玉一枚で数週間も潰(つぶ)された。通常ならば無視をすると考えれば、催眠動員で行われる。

極端に汚れた五円玉一枚問題などは、近くのお地蔵さんの前におけば住むだけの話であるが、それを催眠で一年近く潰された。馬鹿馬鹿しい次元のため、視聴率は上がるであろう。同時に、汚れた貨幣や紙幣問題で弱っている読者もいるため、視聴率は更にあがると判断したのであろう。


 私は激しい催眠類(爆発的催眠類)は統計上分析出来る場合もあると記した。何の統計か。視聴率にならぬことが一定期間続いた頃に、これらの催眠が起こるのである。
彼らにとって視聴率は死活問題である。駿台にとって営業利益は死活問題と同様である。同時に、駿台は(駿台を舞台の映画説類に)各種投資をした以上、駿台大CMは死活問題に近い次元の話であった。

逆に、大きなことにも絡められ続けている。それが拙著『日本のフィクサーME』の世界であるまた、かなりの長期に亘り、部落問題を絡める計画があったことを最近疑っている。

《◇―2・部落問題と映画説》

 

 私を取り巻く映画説で「部落問題」を絡(から)めようとした疑惑は相当昔に遡(さかのぼ)る。目的は話題提供のためとしか分析できない。

 なお、私が大学4年のとき(1974年)に八鹿高校事件が起こる。この事件の際には実態を見に行きたかったが、長姉が大病(後に死亡)で、姉の夫が自営業のため仕事上、電話番がいなかったならば仕事は不可能(倒産だ…)といわれて、昼間は大阪の姉の家に缶詰状態で行けなかった。夜は宿直のアルバイトがあった。

今、考えれば、長姉の死亡が嘘ならば、部落解放運動の対立部門には一切関わらないような工作が映画説類のグループでなされていた可能性が高い。恐らく、私を部落解放運動などの民主主義活動に巻き込むが、部落解放運動の対立部門には一切係わりを持たせないというシナリオがあったと、ここ何年もの間、そのように思わされている。私にはその理由が分かる訳がない。

根拠は映画説ならでの語呂合わせである。
八鹿高校事件は「1974年11月22日」に起こるという例の1122という数値と一致していた。このときに機動隊の最高責任者が、私と後に表でも裏でも腐れ縁ができた、佐々淳行氏であった。
また「橋」が随所で強調されるため「橋のない川」関係を調べると、映画監督の今井正氏が死去したのが11月22日であった。
※今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 – 1991年11月22日)。

 更に、「部落解放の父」と言われた松本 治一郎(まつもと じいちろう、1887年〈明治20年〉6月18日 – 1966年〈昭和41年〉11月22日)が死去したのも11月22日であった。


私が生まれた日付(1952年11月22日)については、私の責任ではない。ちなみに、早大大学院の最終合格発表も11月22日であり、駿台の最終合格発表も11月22日であり、2015年訪米も1122(二人併せていいふうふ=1122=(2人合計11.22万円)、2016年の長崎行きの(我が友からと思われた)シグナルが1122で11月22日であった。

もっとも、オバマ大統領は2016年11月22日にはキューバーに行っていたようであった。それは後に知った。私は本当は8月9日に長崎に行くことになっていたが、11月22日に行くと、当時の安倍政権高官の機嫌が一気に悪くなった謎もある
2017年11月22日はZ3が策動をしていなければ、井の頭公園で天皇(今の上皇)と鉢合わせになる可能性もあった。それでは、Z3の行動は正当化できるか。もし、偶然出会っても、「お体にご自愛されて、いつまでもお元気でおられることを念じています」程度しか言う予定はなかった。勿論、合法である。
超神経質な誰か、若(も)しくは、嫉妬深い誰かにZ3は依頼されたのであろう。だが、そのため2万円以上の損失を被ったが、誰がその損失を補填してくれるのか、と言いたい。

ともかく、1122は意味のある重要番号である。そこで、部落問題とも関わりをもつように映画説類ではセットされていた可能性がある。そこで、柔道部から部落問題研究部に所属するように誘導されたのであろう。そこまでは良い。だが、駿台事件となると…これは無茶苦茶である。第一、私はどの方面からも他人に恨まれる心当たりは皆無である。すると、人間違い経由しかない。さて、もう少し1122に駿台事件との関係で触れる。


私と同一年同一日に母系の女性いとこが誕生していた。名字は山崎である。駿台理事長と同性である。なお、この従兄弟の母(即ち、私の叔母)が随所で山崎を強調していた。叔母の友人のお子さんは私と同級生であったが、その友人と姫新線で一緒すると妹さんが好きな振りごっこをして、友人は漏れ笑いしていた。この友人の出身大学が駿台講師室係女性西山と同じ、京都女子大であった。即ち、「山﨑」と「京都女子大」が強く暗示されていた。

ちなみに、駿台の教職員の出身大学を記載することが多いが、そこにも謎がある。私は、原則として、私の方から相手の出身大学や学歴を聞くことはない。駿台については、私の方から学歴・出身大学名を聞いた人は一人もいない。それでは何故、知っているのであろうか。一部は、私を接待する事務員が私に言っていたこともある。だが、本人が自分で私に言ったケースも多い。


1983年度入社講師室係女性の一人などは父親の職業まで突如、私に言った謎がある。
「あのね、私のお父さん百十四銀行に勤めているの」と二度も私に言ったことがある。私は相手の父親の職業など聞くことはない。第一、この女性は既婚者である。何故、言ったのか。意味があるのであろう。金融機関を強調したかったのだと、催眠が後に解説をしてきた。Z家横のミナギさんが金融機関の宿直をしていたのでそれを暗示したのだと、後に就寝中に催眠での解説を受けた。


2009年、岡山県民局の職員と土地で揉(も)めた。そのときの担当者がミナギとタケウチあり、その頃から人名・大学校名には映画説関係者が意味を持たせていたので、私に伝えたのであろう。
例えば、横家は同志社卒であり、私に対しては本当は「横の家(Z家)」の住人で同志社卒(Z3)がターゲットという洒落が入っていたと思われる。駿台職員の人選・採用は当然、駿台経営人が行っている。


 話を元に戻そう。西山事件前に、「山﨑」「京都女子大」の二つが強調されていた。そして、横家をいれれば、横の家・同志社との関連でもめ事を起こすという洒落が暗示されていたとなる。


私は斯様(かよう)な馬鹿馬鹿しい、筋書きのないドタバタ劇を連想して、途中から駿台事件は無視した。人生のロスである、と。ところが、2019年に世界の友人10人以上から「住所二軒問題をやれ」という指示があり、同一住所番地二軒問題を解明することになる。人間違い候補としてZ3にターゲットを当てて謎を追っていると、いつの間にか駿台事件に転送され、こうした訳の分からないというか、社会的に意味があるか・ないか不明の文書書き(駿台真相編の記述)を強制されることになる。


なお、松本治一郎氏と言えば、彼の孫・松本龍氏菅直人内閣で少しかかわり合いをもたらされる。それまで、彼の名前も、顔も何も全く知らなかった。
もっとも、彼が高校時代から真面目に部落解放運動をやっていれば1968年の部落問題高校生全国集会で同じ会場にいたであろう。この頃は部落解放運動は分裂をしていなかったため確定事項である。

※※※(注)※※※
上記の如く記述を以前していたが、正(まさ)かと思うが、彼は部落解放運動が分裂する前には部落解放運動を本格的にしていなかった可能性がある。彼の母校は福岡高校であり、大阪で言えば北野高校に該当する。毎年、九州大学(偏差値で言えば大阪大学と同一)に百人程度合格者を出す高校である。別に東大・京大進学者もいる。ノーベル賞受賞者もだしている超有名な進学高校である。

後に、調べると、彼は高校時代は新聞部の部長をしていたと書かれた文章を見たことがある。すると、受験勉強の関係で、新聞部部長と部落問題研究部(まだ分裂前で部落解放研究部ができる以前の時代)と掛け持ちはしていなかったかもしれない。
彼は後に名門・中央大学法学部に進学しているから、尚更、その可能性がある。別に高校時代に部落問題研究部に入っていなくても問題はない。ただ、以前書いたように、高校時代に全国部落問題研究集会で顔を合わせたと思っていたが、合わせていなかったかもしれないと思い出しただけである。
ひょっとすると、高校時代に部落研活動をしていたのは松本龍氏ではなく、私の方であったという、「真逆」を想像しただけである。分裂前に一緒にやっていれば、どの道を進もうと感情の土台に一体感が残るのであるが。もし、私の想像が当たっていれば残念な限りである。
※※※注:解説終了※※※


高校時代の部落研究集会で出会っていたと思っていた問題以外では彼とは無関係である。後に、私は考えるところがあり、完全党派中立・宗派中立となり、40年以上となっている。当然、部落解放運動でも、党派中立・宗派中立の立場を貫いてもいる。


なお、🚓パトカーに乗っていた👮お巡りさんが2018年2月に「松本(松本のぶあき)と(我が家同一住所番地使用の)Z家の小母12」を強調した。勿論、松本のぶあきという人名などはこの界隈にはいない。少なくとも私は知らない。そこで、知らないと返答している。

そして、2018年7月21日Z家小母の三回忌に招待されたが、もはやこの家と関わりを持ちたくないので、欠席して星野仙一記念館(岡山県倉敷市)に行くや、当日松本龍氏が肺癌で死亡した。山崎親子と同一病気であった。

さらに、同年(2018年)、10月11日、松本龍氏の解説をテレビから私にしていた、仙谷由人氏が肺癌で死亡する。その前日には先に名を出した佐々淳行氏が死亡していた。10月10日で110を連想する日に死亡した。こうして語呂合わせが随所でなされていくが、私にその意味が分かる訳がない。


なお、差別に対して無菌状態の私に、部落問題を絡めようがない。そこで、人間違い説を取ったのであろう。だが、どうしてZ3と間違われると、そうなるのかは未だ全く不明である。もっとも、《◇4の政治家が絡む》の箇所の関係で部落問題は絡んでいないかもしれない。絡んだように見せかけただけかもしれない。それらは該当政治家とZ3のみが知ることであり、私には「ちんぷんかんぷん」で分析は困難である。


2025/03/28追記。
「橋」が随所で強調される。旧Twitterに「はしだのりひこ」追悼文を書くや、即座に8000近いインプレッションがでた。店でも「橋」や「箸」が強調される。だが、本年3月12日に(狭山事件の)「石川一雄」氏の追悼を書いても、インプレッション数はほとんどない。部落解放運動関連法案の紹介をしても同様である。解放同盟中央本部のコメントを引用しても同様である。解放同盟から除名され正常化連を結成された「岡映」氏のことを書いても同様である。

すると、部落問題と関係しているようにみせかけて、実は部落問題は一切関係していない可能性も最近は疑っている。Z3や彼の家族が部落差別と一切関係していないと言えば、部落差別に関わる形で部落問題は一切無関係であったことが判明する。しかし、Z3が何も言わなかったので、私の方は「ちんぷんかんぷん」のままである。


要するに、私の方は、このままでは「部落問題」を強調されても、死ぬまで意味は分からないであろう。少なくとも、この40年は全く意味不明であった。人間違い(ひとまちがい)だけが、意味をもっていた。何故ならば、私は該当者ではないため、何があったか不明だからである。

《◇―3・駿台講師と映画説(駿台講師と私)》

2025/03/30 10:44 追記。

 《◇-3》を2025/03/29突如記述。《◇―3》は下書きにない内容が大半となっている。催眠記述の可能性もあり、当初の下書《メモ2》も念のため公開検討中である。

 なお、上記《◇―3》は{岡山の予備校でも、真備高校の教員間でも…}どこにでもある風景であり、特に記述の意味があるとは思えない。催眠誘導で書かされた疑惑があるため、念のためこの追記解説をしておいた。私の方針は「今回は1万字以内にする」ため余分なことは書かないであった。
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駿台真相編7B-7・映画説と駿台CM融合論、そこに政治家が参加(メモ2)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=35746
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(2025/03/29 に以下は催眠型で長い追記を含めての記述をさせられた箇所)

 1983年から1984年頃の駿台京都校の講師模様を記す。
駿台京都校校長の川端三郎先生の思い出から記す。
川端先生はどこかの学校の校長をした後で駿台予備学校にこられたという噂をきいたこともある。担当は生物であったが、生徒の受けは良いように思われた。それ以上に温厚な先生で、駿台の講師からかなり慕われているようであった。

私とは、当初は特に付き合いはなかったが、私が岡山中学・高校で専任としての招聘を受けたことを深見係長に話すと、大滝満夫部長(関西地区最高責任者)などから引き留めを受けたことがある。そのときに京都校校長をされていた関係か何かで、私の引き留め役をされたのが川端先生であった。

私が1983年前後に、岡山中学・高校(NHKの井上あさひ等の母校)などから専任条件でスカウトされたときに、私に駿台に残るように説得されたメンバーの一人である。その翌年頃から西山事件が起こる。事件といっても下記の通りである。

駿台女性まとめ



1985年度からは、平野真理先生なども絡んできたような演技をされていた。そのときに川端先生は楽しくて仕方がないという表情であった。「これほどおもしろいことはない」という表情で、ときには、講師室で新聞を見る振りをしながら、私の方をのぞき見て、何ともいえない笑顔で笑っておられた。

また、西山だ、横家だ、ゴトウだ…で参ったときに、川端先生に相談を申し込み、先生の行きつけの食堂で、ご馳走になった縁がある。その店のママさん(かなり年輩の店主さん)は、「川端先生がこんなに喜ぶのは見たことがない」というほどお喜びであった。

私はサラダが好きなので、サラダを何皿か食べると、川端先生が「お前はサラダをよく食うわ」といって、何ともいえない顔を笑っておられた。敵意などは微塵ももたれていなかった。

川端先生に対しては、駿台講師の中で私の敵の役を演じた北山一先生などは「お父さん」のような形で呼んでいた。1985年度おには私と対立をしているようにもみせていた、平野真理先生もかなりこの先生を慕っていたように思えた。少なくとも、川端先生は平野氏のことを何かと陰ながら心配をされていたように見受けられた。


ただし、私との会話で言えば、順番は逆で、平野真理氏が一番先で、次が北山氏であり、最後が川端先生である。私は川端先生を見ていると、何故か、早大大学院時代の事実上の副担任に該当する清水望先生を思い浮かべることがあった。

川端先生が亡くなられるまで年賀状のやりとりをさせていただいた。最後の葉書は、家族の方からの「…川端三郎がなくなり…喪中につき失礼します」の挨拶文であった。

ただ、気になるのは、駿台を1988年2月に辞めるや川端三郎先生そっくりの声の偽物に何度も出会ったことである。1988年の春から夏にかけてである。
次にポリテクカレッジ岡山を1998年2月にやめると、今度は誰かが川端三郎先生と似た名の人を勘違いをさせようとしていた節があった。前者は偽者であり、後者は誰かが川端先生を連想させる人を勘違いへと誘導させようとしていた。ただし、最後まで、この方(川端先生を連想させる人)は私に対しては親しみを持っていただいていたと思う。

 要するに、駿台を辞めるや川端三郎先生を連想、ポリテクカレッジ岡山をやめるや川端三郎先生を連想させるという何か奇妙な策略があった


当時の駿台関西地区では京都校と大阪校はライバル関係にあり、何かと競争をしていたようである。特に、事務員は。更に管理職はそうであった。それに釣られて、京都校中心の講師と大阪校中心の講師もライバル関係にあった部分がある。勿論、両方に顔の利く人物もいた。

京都校中心と言えば平野真理氏(英語担当)、石川正明氏(化学担当){🆚(大阪校)北山一氏}、そして私が政経・現社で京都校中心{🆚大阪校で前田晃精先生(別名杜先生)}であった。京都校はどちらかと言うと牧歌的であった。


京都校でよくお会いした講師は、表三郎氏(英語担当)、青塚剛志氏(数学担当)、金森光昭氏(国語担当)がどっしりと構えておられた。

後は教科別に言えば、英語では平野真理氏、(一緒に泳ぎに行ったが)名前は忘れたが塚原か塚田君ではなかったかと思う。京大卒の二枚目な教師である。
双方友好的であった福崎伍郎君、私より少し若かった大田博司氏等である。貫禄十分であった木戸先生(主として英作文)もおられた。フルネームは木戸一男先生だったと思うが定かではない。

私が京都校を去る直前頃に桜井博之という教師もいたようである。何か、私を随分意識していたように見受けられたが興味がないため(1984年頃のピーク時は格が違うと、馬鹿な私もうぬぼれており)無視していた。今回も名前を出す必要はないのであるが、ポリテクカレッジ岡山をやめ、ベネッセ模試関連のみとなった頃に、ベネッセで事実上の労基法違犯に遭(あ)う直前に、ベネッセ・駿台提携模試の解説か何かで彼の名前を見たので参考までに記載しただけである。


化学では先の石川氏とは和やかに対応していただいた。物理では、新田克己氏の顔を見ることが多かった。ただし、中田俊司という教師と会話することがあり、後に岡山の予備校の教壇に招聘したことがある。その後、途中から訳が分からなくなり、会話はしていない。ただし、世界の読者の興味を外れるため、特にコメントをすることはない。


世界史では中谷臣氏、(1982年頃よく会話した)中井義明氏(後の同志社大学名誉教授)、(年輩で温和な)辻本先生、日本史では、(何かと世話になった)杣田善雄氏(後に大手前大学教授)、政経・倫社では(なかなか人物ができていた)吉田仁志氏などがいた。大阪校に行く直前には川西勝美氏(世界史)もおられたかもしれない。

全体として、どの教師とも仲良く付き合わせていただいた。西山事件後でも、一応、対立役を演じていたのは平野真理氏程度であった。ただし、物理の中田君は途中から意味不明、また、桜井という人物は後にベネッセ・駿台提携模試で名がでてきたが、何か私を意識しているようであったが記述に価しない。ベネッセの件がなければ彼の名前も出さない。意味がないし、興味もない。


さて、京都校時代では講師陣で敵役を演じた(というよりも、何か妙な役を演じていたように見受けられた)のは平野真理氏程度ではなかろうか。勿論、直接に危害を受けたり、嫌みなことを言われたりしたことは一度もない。そういう雰囲気を醸し出していたというだけである。客観的には何もないとも言える。

 しかし、彼女についても不思議なことがある。私が駿台の講師になって二年目の1983年度に例の駿台講師室係女性四人組が登場するが、その年に福﨑君や平野氏も登場してくる。もっとも、平野氏はその前から駿台にいたようであるが、1982年度は産休であったと後に聞いたことがある。

1983年度から84年初頭にかけて、どちらかと言えば彼女とは仲良くしていたのである。私は当時、騙されてポリテクカレッジ岡山で英語を担当させられていた。英語など分かるはずがない。そこで、倒置について、彼女に教えを請うたことがある。丁寧に教えてくださった。さらに、私が椅子でのけぞり、のけぞりすぎて後ろに倒れると彼女は大笑いをしていた。

「どちらかと言えば」ではなく、簡単に言えば、通常の常識では仲は良い方に入る。また、1984年1月に催眠で西山熱を起こされ参り、抵抗して真備高校の同僚出会った木下先生にお付き合いをしてもらえるか・どうかの手紙をだし、返事がなく(通常は断られたと判断され)、再度出会うのが格好悪くて、出会わないように必死で努力をしていたことがある。その話をすると、平野氏が、「(浜田)先生が断ってではなく、断られて逃げ回っているのですか」と面白がっていた。

また、当時、駿台の授業が終わりパチンコをして、岡山に戻る旅費がなくなったことがある。そこで、サラ金に借金に行った。担当者が聞いた。お仕事は何を。「大学校の教壇、岡山の予備校、福武書店の模試監修、それにこの近くの駿台で週に4日教壇にたっています」。

相手が更に聞いた。「年収はいかほど」。私は「大学校講師ですが、駿台…でも教えていて、多分700万円くらいではないでしょうか」(1983年か84年頃の話である)

更に相手は聞いた。「幾らお入りで」。
私は返答した。「一万円程度でもよろしいし、もっと少なくとも構いません。どちらにせよ、来週には必ず返済します。これは絶対に間違いありません」。

すると相手は即答した。「お断りします」と完璧に即座に断れた。
この後、弱って、質屋にいった。そこで安物の大昔の時計で金を貸してほしいといった。相手は「これではお金になりませんよ」。そこで、先のサラ金で行ったのと同様な解説をした。同時に、これでは家(岡山)に帰られずに参っている趣旨のことを言った。すると、一万円ほど貸してくれた。


この話は政経の講師としての立場から授業でもした。後に調べたが「サラ金では借金をして、即座に全額返す人間には頭にくる担当者がいる…」と。確かに、事務手数料や人件費を考えればそうかもしれない。今のサラ金ではない。当時のサラ金である。

この話を講師室でもした。すると何人かの教師が「駿台に戻ってきて、言えば私が貸してあげたのに」と言ってくれた。それを言った中に平野氏もいたのではないかと思うが確かではない。

要するに、駿台京都校時代の中頃83年4月から84年終わり頃まではほぼ全部の講師と仲が良かった。もっとも、駿台京都校講師達がそうした演技をしていたのかもしれない。


だが、女性問題で他の講師が嫉妬をした。それはおかしい。平野氏は女性である。更に、平野氏が1984年度以前に駿台講師室係女性と仲良くしているのを見たことがない。

結局、大阪校に行くまで、対立的な演技をした講師は平野氏程度である(ただし、雰囲気であり、客観的には言い合い・嫌がらせ・嫌み言動などは一切存在していない)。後は中田君が意味不明程度である。川端先生は、トラブルの渦中でも、ときにはバレないように笑いまくっていた。恐らく、事前に、山﨑理事長か誰かに事情を聞いていたのかもしれない。

不思議なことと言えば、駿台教壇にたって二年目くらいに金森先生と食事を一緒する機会があった。私が駿台幹部の接待で食事につれられていっていたときに、偶然、金森先生もその食堂にいたということで食事をご一緒させていただいた。
ところが、何か、金森先生が恥ずかしがっている雰囲気を感じたのである。私は当時三十歳になりたての頃である。他方、金森先生は駿台関西地区では表氏、青塚氏と並び三羽ガラスの位置にあり、駿台では超大物である。

その講師が私を見て恥ずかしがるとは奇妙な話である。まるで、私が石原裕次郎ならぬ銀幕スターであるかのような感じであった。

なお、金森先生の紹介で駿台に来たと言っていたのが、国語の藤村先生であり、既に紹介した映画狂の先生であった。


ちなみに、駿台京都校時代に二人の教師に食事に突如誘われたことがある。一人は世界史の中谷臣先生からである。1983年に水俣から帰った直後と思う。この水俣行きは歴教協主催であったことを後に知ったが、2から3年前に中谷先生も同協議会のメンバーだったことを知った。

しかし、私は当時は歴教協という名を知らぬこともあり、駿台講師室の中では喋っていないはずである。ちなみに、歴教協の会員となったことも一度もない。


もう一人、突如、私を食事に誘ってきたのが北山一氏(化学担当)である。彼は石川先生のライバルで、大阪校中心の講師であったが、駿台経営陣の競争政策で、謂わば殴り込み型で京都校にも玉に来ていた講師であった。同様なのが、政経の前田氏である。

北山氏とは面識も会話もないため、吉田課長を通じて誘いがあった。吉田課長が「浜田先生、化学の北山先生が一緒に食事に行きたいと言われているのですが、ご一緒されますか」という形で招待を受けた。これは西山に手紙を出す前ではないかと思うが定かではない。少なくとも1985年以降ではない。まず、西山に手紙を出す前と思う。

私と彼とは教科は違う。担当している校舎も原則として違う。食事に行くまでは講師室での会話もしたことがない。第一、石川氏の手前、駿台京都校で歩き回ることすら珍しい教師である。一体、これは何だろうか。

更に、彼は大阪校中心であり、京都校の女性職員と親しくはない。彼が駿台京都校講師室係女性と仲良く会話をしているのを見た記憶はほとんどない。


上記の教師陣は京都校トリオである。大阪校ではガラッと変わるが、軽い嫌みを言ったのは数学の上田氏くらいである。それも、私が質問用に某教室としてた場所に来て、「この部屋、僕が使うのでちょっと遠慮してくれる」の一度のみである。
後は大阪校でも講師陣による嫌がらせはなかったと思う。ただし、駿台大阪校での業務妨害は誰がしていたのかは不明であるが激しかった。犯人不明の奇妙な話である。

ともかく、ドタバタ劇以前の京都校講師の牧歌的な風景はなかった。

大阪校では業務妨害はかなりされたが、講師陣による、面と向かっての嫌がらせはないに等しかった。そこが、今の我が村とは全く違っている。ただ、北山氏が一人で意味ありげに振る舞っていただけである。意味ありげであり、本当に何かをしていたか・どうかは不明である。

 京都駅で、真っ白装束の山﨑春之氏(当時の理事長)にであったことは既に記した。その際に、歓声がどこからともなく起こったことも、だが、山﨑氏はお供もなく一人である。
そこから出てくる結論も、山﨑氏が駿台大CMのために、色々と講師に依頼をしていたのではないか、ということである。うがって考えれば、化学ならば、石川先生は浜田先生の擁護役、北山先生は浜田先生の敵役という役割分担があったのではないかということである。


 そこから出てくる結論は、この項のテーマである「差別文書」について言えば、「部落問題」を絡めれば視聴率があがり、駿台大CMに繋がるということである。40年考えて、これが一番論理整合性のある結論である。

だが、どのようにして絡めるか。差別に対しては私は無菌状態であり、差別反対論者でしかない。当初は岡映氏を絡めてと思ったが、岡さんが亡くなっても・岡さんグループが解散しても被害が続くとなればおかしいとなる。第一、岡さんと食事を数度しただけで40年に亘る被害を受けるなどはありえない。


 そこに降って沸いたのが、人間違い説である。人間違いとなれば、「何でもあり」である。
誰との人間違いかは完璧に言い切ることはできないが、Z3が有力である。少なくとも、駿台以外で、私とZ3を間違えた人はいる。住所となれば大昔から混乱だらけであった。参るというようなものではない。Z家が我が家の住所だけを使用していても、困るが我が家の住所「も」使用しているとなると更に困る。


シルバーの人が、我が村の勝間組合の某家を指して何か意味ありげにいった。後に、その家も同一住所番地が一定期間あったようである。だが、言いたい。その家の一方は同一の場所で住所を二つはつかっても三つは使っていないであろう。Z家は三つ(位田646、648-5、646-2)を使用していた。こんな話は聞いたことがない。

更に、勝間組合の家は江戸時代頃に別れた家ではあるまい。さらにZ家は我が家の分家ではなく、我が家から江戸時代か遅くても明治の初めに誰かが嫁いだとZ3は言う。当然、我が家の戸籍からZ家の戸籍に移動しているはずである。
おまけに勝間の方は双方で合意をしていたのであろう。だが、我が家とZ家では合意はない。何度使用禁止を言ったか分からない。

もっとも、人間違いがZ家で正しくて、そしてZ家が部落差別とは何の係わりもないと言えば、そして、それが本当ならば、実は部落問題は一切絡んでおらず、映画説上での単なる印象操作であろうそれとも、次に述べる、安部晋三氏か誰かが部落問題関連の某グループを潰すために、私とそのグループの対立画策をしたかのどちらかとなる。

 「部落差別が絡んでいる」は、2000年5月以降に、我が村・位田を含む岡山県美作市で流された印象操作にすぎない。他の場所では誰もそうした印象操作はしていない。例外があれば、美作市で…なので本当だろうかと他の市町村では思っているだけである。

 

《◇―4・映画説駿台物語に政治家が後に絡む》

 駿台真相編は、書いていて、とにかく面白くない。人生が残り少なくなり、書きたい訳がないし、書く気も全くなかった。ところが、(我が家の住所番地を70年使用していた)Z3が私の駿台時代の真似をし続け、同時に催眠誘導で駿台の件を長々書かされる羽目となる。恐らく、🎬映画説グループにすれば、視聴率稼ぎ・話題提供で使用した駿台事件を最大限に有効活用したかったのであろう。俗に言うコストパフォーマンスの問題である。

 だが、当時も今も面白くない話である。更に、大義は駿台事件よりは(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山{現厚労省所管・能開大中国}の大労基法違犯事件にある。おまけに、今や、世界のMr.ハマダが人生の最後に取り上げる問題としてはレベルが低い。

 映画説グループもそう考えたのかどうかは不明であるが、そこで大物政治家を絡めてきだした。2007年頃から小物政治家が絡んだ疑惑はあったが、2013年から大物政治家を絡めたようである。大物政治家とは言わずとしれた、日本の将軍様・安倍晋三様である。

 何故、彼が絡んだのか。Mr.Trumpとの関係とか、第一次安倍政権崩壊原因の大きな一つを私の存在と考えたか、それとも安倍氏が言ったようにも思えた「僕も映画類にでたかった」だけなのかは不明である。これらの考察は拙著『日本のフィクサーME』シリーズで行う。

 ここでは安倍晋三氏が駿台事件に絡んだ構造をふと思いついたときの有様を順番に掲載するに留める。

 Mr.バイデンは大統領になってから二つのTwitter(現X.com)を持っていた。主として下側の方にコメントを掲載し続けいた。

Joe Biden@JoeBiden
President Joe Biden@POTUS

そこで、2025年にも下側をクリックした。

 するとびっくりした。Trump大統領が登場した。そこから、一種の謎が解けた。その有様を時系列で記す。Twitterから抜粋した

「日々日程表2025年2月12日」から引用していく。

 Mr.バイデンのX.comをクリックしたときのことである。

Memo-1・官直人-仙谷由人@官邸←Z家

浜田隆政@Takamasa_Hamada

25-043-1【#駿台】事件後→1
🤡(公式HP)お勧め情報③世界首脳」
T→https://x.com/POTUS (Twitter)
F→President Joe Biden@POTUS

上か下をクリックしてみて(Facebook)

画像

両方ともにTrump大統領が出る
POTUS→President of the United States
X@POTUS
Xは誰であれPOTUSが全てとなる


https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1889599714170933407

 これを日本に当てはめてみた。

Memo-2・安倍晋三@官邸←Z家

浜田隆政@Takamasa_Hamada

25-043-2【#駿台】事件後→2
…@官邸
⬇
#官直人@官邸
官邸→🤡調査でZ家を拠点
Z👵→官邸=#仙谷由人→官直人
他方仙谷由人→🐲松本龍?
⬇
#安倍晋三@官邸
官邸→🤡の調査→Z家拠点
Z家(特にZ3)⇔安倍晋三
併行でZ👵🐲
👺―Z―🐲
こうして潜在的に対🤡での共闘
🐲🤝👵
👺召し使いZ3
👺🐲?

 要するに、官邸が多分税金で私のスパイ活動を行っていた。それもウオーターゲート型盗聴や盗撮なども含めての大犯罪を犯した。もし、これが世にでればニクソンの二の舞となろう。いつの時期から開始されたかは不明である。そのスパイ工作をZ家に依頼していた疑惑である。

だが、個人の金ならばともかく、税金で行っていたとなれば、国家犯罪である。そして、その犯罪は官房機密費などが永久に非公開なことを悪用して引き継ぎをされていたとなる。

Z家@A内閣

 Z家@菅直人内閣

 Z家@第二次安倍晋三内閣

 ところが、Z家小母(👵)が何が原因か不明も何等かの事件に巻き込まれ、Z3を守るために🤡(私)のことで嘘を言ったと仮定しよう。

それを真に受けた安倍氏が世界の首脳にその事項を語ったとする。すると、森友事件構造と同一となる。即ち、下記である。


Memo-3・🤡家と森友事件の論理

浜田隆政@Takamasa_Hamada

25-043-3【#駿台】事件後→3
Z👵=Z3守るため嘘

👺#安倍晋三→🃏か誰か世界首脳等に🤡の件でZ家👵等に聞いたことを言う
⬇
👺「もし僕が嘘を言っていたならば総理を辞める」と言ってたら
⬇
👺は嘘を本当にしようとして工作をする。#森友事件
⬇
同時に工作者を☠と見せる
すると🤡🆚☠で一石二鳥

https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1889602068953866620


Memo-4・

浜田隆政@Takamasa_Hamada

25-043-4【#駿台】
🤡の実家:岡山県 #美作市
主な勤務先例:#京都(Z3出身大学所在地でもある)→#豊中市→#倉敷

#安倍昭恵→2013年美作市来訪、14年湯郷へ、後に美作市から表彰
#森友事件
#赤木俊夫→倉敷市生まれ :🤡の勤務先 能開大中国所在地
#森友事件→大阪府豊中市=駿台大阪校所在地

https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1889608500868730970

全体は下記参照。

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日々日程表2025年2月12日 編集

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=49391

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 第二次安倍政権以降の話としては、今回は、2016年丸山和也発言だけを記しておく。その他は『日本のフィクサーME』シリーズで随所で取り上げることにする。この事件は駿台真相編7-Cで取り上げる玉子事件として、駿台と関係を持っていた

 丸山発言の発端は私が当時記載中であった「徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)」の下書きを改竄(かいざん)した形での言動である。最初は、私とは無縁のため、無視していたならば、NHKが私の原稿との因果関係を指摘した(若しくは、その印象操作をした)。正(まさ)かと思ったが念のために丸山発言を吟味し丸山和也氏の言動を批判したのが以下である。

 この事件を契機に、私の原稿は全て下書き段階から何らかの形で一目につくようにしている。一部は下書きをOneDriveに保存、一部はBlog類で非公開状態で保存、一部は今回の如く、公式Blog内容を安らぎBlogの方で下書き公開である。更に催眠を経過して今回の原稿の下書きの下書き、更に、その下書きも非公開で保存している。今回の下書きは(メモ1)であるが、その前の下書き(メモ2)も保存している。間もなく、公開に変更しておこう。

 この事件が、駿台とどのように関係しているかだけを今回記しておく。

 2016年2月17日に、丸山和也氏の参議院の憲法審査会での不適切発言があった。同日、私は長崎市長に手紙を送付している。

 長崎に行くと、2016年11月22日に、長崎チャンポンで生卵入りではない方を注文すると、生卵をいれられていた。その夜、知らぬ人間に絡まれる。後に、催眠がその人物は目がねのミキで昔の担当者・サトウ氏であるという。真偽不明であるが、そう言えばにていた。

 そして翌朝、起きると、目がねのフレームが大きく歪んでいた。目がねはベットからかなり外れた場所に保管していたのに。誰かが忍び込み、悪戯をしたとしか分析できなかった。なお、この日に、フロントで「長崎の名所はどこか」と尋ねると「眼鏡橋」といわれて、眼鏡橋に行っている。

 ここで、🛵おじょうと似た女性に出会う。これらは拙著『日本のフィクサーME・Part3』の第4章で記す。

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 本題に戻ろう。

 駿台大阪校時代に駿台真相編7-C群で記すが、大阪校で天麩羅うどんを頼むと生卵をいれられる事件があった。私は生卵は嫌いで食べない。それを知っていてやったのであろう。証拠確定のために、次回も天麩羅うどんを頼むと今度は生卵は入っていなかった。いつも入っていない。

 併行して、即座に、私のアパートの郵便受けを未明にドンドンとたたかれる事件があった。外に出て郵便受けを見ると、玉子のパックが入れられていた。

 図式化すれば、駿台大阪構内で生卵をいれられる(駿台大阪校内部)→即、アパートの郵便受けをバンバンと未明にたたかれ、見ると玉子のパックをいれられていた(駿台大阪校以外の地)→そして、長崎での生卵事件と眼鏡への悪戯と続く

 前者の解釈は駿台真相編7C群で、長崎の解釈は『日本のフィクサーME・Part3』第4章で行う。ここでは安倍晋三氏が潰したがっていた団体の一つに、部落解放同盟内の某グループがあったと分析されることだけを強調しておく。

 私の長崎訪問は催眠誘導であった。結論だけをしるしておく。利権である

 2016年長崎訪問→2017年長崎の軍艦島が世界遺産→2018年長崎の大浦天主堂などが世界遺産である。

 長崎の世界遺産を確定するために、私を長崎に生かす計画があったようである。だが、そうした悪用を世界は知っていた。そこで、アメリカと日本で私の長崎行きを巡って⚔である。当初は長崎訪問は8月9日の予定であったが、🗽の関係で11月に行くと、麻生氏か誰かがが大変機嫌が悪くなっていた。それらの経緯は駿台真相編の世界ではなく、『日本のフィクサーME』の世界であり、『日本のフィクサーME・Part3』第4章で記すことにする。

 催眠が解説するには、駿台内でZ3と私の人間違いがあり、☠(謎のXグループ)がZ3と間違え、私に危害を加えた。正確には視聴率稼ぎと駿台CMのために、駿台経営陣がそのように誘導した。駿台辞職後も被害は続く。それどころかポリテクカレッジ岡山辞職後も被害は続く。

小渕恵三氏に手紙を出した頃から、私は『日本のフィクサーME』への道をたどる。それに理由をつけて、スパイ網が張り巡らされる。

 だが、その情報源をZ家に目をつけた。Z家は☠からZ3を守るため、幾つかの嘘を、官邸かどこかに流したようである。

こうして官邸が騙されていく。

 官邸が民主党政権のときには官邸―☠(謎のXグループ)という線があったかどうかは不明であるが、可能性はある。☠ではないが、Z家―仙谷由人(官邸)―松本龍氏のラインの可能性はある。

 こうして松本龍氏などはZ家に騙された可能性はある。だが、菅直人氏と私はどちらかと言えば親しい関係にある。これ以上は『日本のフィクサーME』で解説をする。

  他方、第二次安倍政権でもZ家経由で情報が官邸に流れたようである。

 そして、安倍様も騙され、騙された内容を世界の首脳にしゃべり、その面子問題から、改竄やデマ…と森友事件同様の悪あがきをしたと、催眠は語っている。それらの真偽やコメントも『日本のフィクサーME・Part3』第4章で行うことにする。

 下記の丸山発言も同箇所で扱う。

 ただし、丸山和也氏の母校は竜野高校と早大である竜野高校は駿台の横家の母校である。何故知っているか、私が聞きもしないのに横家が自分で言っていた。横家の出身大学は同志社である。同志社は我が家の横の家のZ3の出身大学である私の母校は関学と早大であり、後者は丸山和也氏と同一である。なお、私とZ3は高校は同一である。映画説故の遊びであろう。

 駿台真相編は実に面白くない。書いていても全く面白くない。そこで、面白おかしくするために、政治家や部落問題を絡めたのであろう。だが、今でも、面白くない。無理矢理催眠で書かされているだけである。面白く見せるために語呂合わせやクイズ型の謎とき型として、延々と書かされている。人生のロスでしかない。駿台講師時代の映画狂の先生を思い出すが、彼と私は生き方が全く違う。同時に趣味も違う。自分で書いたシナリオは自分でやり、私に押しつけるなと怒っているのが事実である。

 下記の解説は『日本のフィクサーME・Part 3』第4章で行う。

 🎬映画説で言えば、結論は、大の政治家が一介の老婆等に騙された馬鹿馬鹿しいドラマでしかない。タイトルは「老婆のデマで揺り動かされた世界」であろうか。そして、「日本のお犬様将軍のご機嫌取り官僚が日本を滅ぼす」であろうか。出世の第一の道は切磋琢磨ではなく、お犬様将軍を喜ばすことが最短の道が事実の時代が長く続く。

 クイズ型(私知らぬが麻雀型)で面白おかしくみせようとしている、下品な低劣な映画のシナリオでしかない。書くだけ人生のロスである。だが、歴史の証言として『日本のフィクサーME』には一部記さざるを得ない。

丸山和也氏言動と私の岡映氏関連の比較とすれば以下が分かりやすい。

「日本のフィクサーME・パート3」第2章世界連邦と起業を目指して
・第5節―2・オバマ広島訪問と私
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=39259 公式Blog 2023年5月25日正式公開)

関連の全体資料は以下である。

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政経の世界№2―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・1
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5364

政経の世界№5―丸山〝奴隷〟発言と国会の責務・付録編(上)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5858
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徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5666

徒然なるままに№3・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5702
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丸山発言関連のその他の原稿

政経の世界№3―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・2
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5440
政経の世界№4―丸山和也・〝奴隷〟発言から議会制民主主義まで・3
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5629
政経の世界№6・丸山〝奴隷〟発言と国会の責務・付録編(下)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5896
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 と言うことで上記の解説は『日本のフィクサーME・Part3』第4章に回す。2013年からは安倍氏個人の政治的目的への🤡(私)の悪用説や、各種利権が絡んだ疑惑も同様である。

 

◇―5・駿台の自主調査を願う》

 項目は、一・ガラス張りで真相解明を、二・裁判所、国会での決着を望む、三・駿台は自主調査を、四・企業・会社の命運、五・現況である。

一、ガラス張りで真相解明を

 正々堂々とガラス張りでの決着が望ましい。
同時に、事情は論理や、私への実験ではなく、具体的な事情徴収を該当者などに直(じか)にすることが望ましい。プライバシー権問題があるため、裁判所や国会が本道であるが、各種方法で長期それを封じられている。だが、偽証罪が使用できる場での全貌解明が望ましいと常に思っている。

物事を前に進めたり、世界の指導者類の注目や、彼らに調査を依頼したりするため、可能な範囲で関係者の実名表記を検討している

 そこで、駿台、ポリテクカレッジ岡山の管理者類は徐々に実名表記に変更している。また犯罪に該当が明白になれば、平の教師・職員類でも実名化を検討する。同時に、犯罪と無関係であり、既に、各種メディアやインタネットの世界で知られている人の場合は実名でも問題はないことは周知事項である。また、人間違いが犯罪に絡められているため、実名化は避けて通れない課題ともなっている。

 ▽
駿台の件は女性問題では全くなく、駿台などの営業上のCMと映画説関係者の視聴率目的での強制労働でしかなかった。当然、刑事犯罪である。可能な限り実名にした方が問題は早く解決することもある。ましてや、裁判などを長期封じられれば、実名化は避けて通れない道でもある。

二、裁判所、国会での決着を望む


駿台の刑事犯罪、営業妨害は裁判所でのケリが正道であったが妨害だらけで不可能とされた。ただし、駿台事件に政治家が絡んだ以上、駿台は民営であっても、国会での調査が不可欠となっている。

 駿台の後で、駿台に尾を引く形で(労働省所管・現厚生労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)でも労基法違反を含む刑事犯罪、その他の被害を受け続けた。裁判所か、厚生労働省所管のため国会での審議が正当な方法である。国会議員類には延べ百通その依頼文書を送付している。労働省・厚生労働省にも送付している。

 再度、救済依頼を検討している。同時に、海外のメディアや国連にも救済依頼を検討している。

三、駿台は自主調査を

 駿台時代の刑事犯罪連続(ほぼ毎日)の期間は合計二年であり、その内、辞職前の数か月は生活不可能な状態に追い込まれた。日常生活すら困難をきたし、大阪校堀江部長、京都校大滝部長に(原状回復を願い)内容証明をだしたが効果がなく、結局辞職を余儀なくされた。
駿台内の犯罪については、今からでも当時の職員に聞き取り調査を願う。特に駿台予備学校大阪校である(元職員への聞き取り調査も願う)。当時(1986年4月~88年1月)の駿台大阪校職員への聞き取り調査を願う。

 後に、駿台事件の真相を記述する中で、駿台事件は駿台の大CM目的で、駿台が加担した疑惑が高くなっている。更に、催眠という犯罪が使用され、それを承知で駿台も加担していた疑惑が高くなっている。これは、刑事犯罪である。その上、契約外の各種ドタバタ劇に強制参加させた以上、戦前の強制連行や、歴史的な奴隷制度と同様な被害を受けたことが明白となりつつある。その観点から、駿台京都校(1982年4月~1986年3月)の教職員への聞き取り調査も実施してもらいたい。

 CM目的で駿台ドタバタ劇に参加させたことが明白となるにつれ、今後は駿台の逆CMとなると分析される。いな、もはや相当なっている可能性が高い。道義や正義のみならず、駿台の健全な発展のためには、今からでも私の問題の完全解決は不可避である。

 経営陣の世代交代がなされたと想像されるため、退職者も含めて、実態調査を実施し、適切な賠償を私に支払うことは、道義のみならず、駿台の今後の発展を左右する事項である。また、意味不明な差別文書を話題提供(駿台CM)に使用した疑惑が高く、その調査も自主的にする義務がある。

  駿台大阪校当時、大阪校には若手の石原という職員がいたが、後に朝日新聞で石原賢一氏(駿台教育研究所 進学情報事業部 部長)が掲載というか紹介された。そこで石原氏に「軽く考えずに、まず、駿台学園理事長と連絡をとることを推奨する」と記載したり、軽いメッセージ通信を発信したりしていたが、彼は昨年度・2024年度で駿台を辞職したようである。

 だが、退職している職員も人間の良心に基づき、現在の駿台の経営陣に、今からでも当時の調査をするように呼びかけてもらいたい。

また、当時の駿台事件を知らない管理職も駿台事件を今から調査し、問題解決を図らないと、貴君らの営業努力や経営戦略は消費者の正義感を逆なでし、経営上の障害にぶつかることになることを警告しておく。

 また、世界的への挑戦を考えるならば、世界的な不買運動に直面することもあろう。

四、企業・会社の命運


私の裏での影響力は私の想像を超える領域のようである。一企業の命運のみか、該当産業自体の命運を左右する力(CM力)があることが徐々に分かってきた。

 私の影響力はすぐに出ないこともあろうが、数年後には駿台の命運がかかるかもしれない。超巨大企業(MSのビルゲイツ氏、FacebookのCEO…日本でもソニーの元トップの一人、ニコンの一部、第二代~四代頃の経団連会長)ならばよく知っているであろうが、駿台レベルの経営規模となるとまだ知らぬことが大半かもしれなかった。

 朝日新聞ですら、2014年以降を振り返れば漸(ようや)く、分かりかけたかもしれない。ベネッセも一定分かりかけたところであろう。経営規模が大きくないと事情は分かり難(にく)いかもしれなかったが、今や、表の世界でも私の名は浸透しつつあり、駿台も、私が受けた駿台事件を放置することは駿台の命運に関わることが分かってきた可能性もある。。

政治圧力ではない。私の意向に拘(かか)わらず、経済面で消費者が動くことが多い。世界遺産と私の訪問地の因果関係をみれば一目瞭然のはずである。

 道義と良心に基づき、問題を解決すれば、駿台のCMに繋がることもありうる民間では、法律と道義に違反しない限り、利益の拡大がが善である。そこで私の問題を解決することは民間の「善」(利益拡大)に繋がることになる。放置することはその逆の結果を生み出すであろう。

 また、私の問題解決なくしては、「愛情教育」というスローガンは朽ちるであろう。

五、現況

 駿台の件はやむを得ず記述を開始した。というのは、駿台の件などは読者が興味を持たないからである。さらに、正直に言えば、駿台予備学校、駿台学園と私(浜田隆政)では、天地の差で、私の方が世界では有名である。駿台は世界では誰も知らないが、世界の指導者で私の名を知らない人はほとんどいない。世界百か国以上でもう私の名は知れ渡っている。多分、世界190か国程度であろう。確認済みは150か国弱である。

私にとって、他にしなければならないことが山ほどあるが、催眠強制や各種挑発でやむを得ずに駿台事件を記述してきた。

 しかし、(早大大学院政治学研究科先輩の)小渕総理の突然死のみであり、他は動きがない。小渕恵三氏には2000年4月3日に書留で救済依頼文書を送付したが、正にその夜緊急入院のテロップがテレビでながれた。こうして他力本願の道に置かれているが、各種天誅というものが存在しているようである。

 また、山﨑春之氏は、生前に、一定の時期には駿台事件の抜本的な解決を考えていたのではないかと想像している。(※注)もはや遅すぎるが、今から急速に問題解決がなされるように感ずることが多い。当時の理事長は最初から、一定の時期に自発的に問題解決を意図していたように思えて仕方がない。

(2025/04/01 0:40追記)※注:山﨑春之理事長も抜本的解決を考えていたと思われる根拠は以下である。

 私の駿台在職中に、京都校の生徒が突如、数人の駿台講師の所得一覧を私に手渡してきたからである。

 彼は「先生、これあげるから、持っていた方が良い。」と言ってノートの一枚を手渡してきた。(確か、「(将来)何かの役に立つかもしれない」とも言ったと思う)。

 1983年度確定申告の際の(駿台京都校講師数人の)82年度所得申告を、役場で閲覧可能なため、彼が自分で自筆でメモをしてきた用紙であった。

  しかも、彼はコピーではなく、彼のノートの原本の方を私に渡してきた。1984年か85年ではないかと思う。勿論、私の方からそのような依頼をしたことは一切ない。

 ある日、電車かどこかで偶然出会ったときに渡された記憶がある。多分、偶然ではなく、私を待ち伏せしていたのかもしれない。そのときの用紙は下記Blogで公開している。一人の教師は私よりも年下の教師であった。ただし、いずれも専任講師であったと思う。実名で渡してきたが、今回は人名をアルファベットに置き換えている。役場で公開していたそうであり、必要時には実名に戻すことも検討する。

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私の逸失利益計算について(駿台講師の事例):同志社法学研究科・早大政治学研究科・関学法学部卒業資料
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=35955 公式Blog 2022年4月19日公開)

この中の「A【逸失利益計算】【資料】駿台京都校専任講師 1982年度 B講師(当時20代後半か)は私より若い講師」の箇所を参照

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《◇―6・今尚、疑う共産党首謀テレビ・映画説》


部落問題を絡(から)ますことを誰かが思いついた可能性が高い。と言うのも、駿台問題はきっちり裁判所で決着をつけようと思い、1987年に岡山市の合同法律事務所で豊田弁護士に相談した。そのときに誰かが盗聴か、誰かが豊田弁護士自身から何かを聞き勘違いした疑惑があるからである。

私が合同法律事務所に相談に行くと、豊田弁護士が私を不審人物扱いした。そこで、赤旗日曜版で見たか・平和書房できいた弁護士のため、岡映氏(分裂前の部落解放同盟副委員長、後の正常化連議長)と食事をしたことがあるので、私のことは岡氏にきけば不審人物ではないことは分かると言ったことがある。若(も)しくは、言わされたことがある。
簡単に書けば以下である。


①駿台大阪構内で業務妨害+併行して外部で激しい刑事犯罪被害

②合同法律事務所で相談:対応された豊田弁護士は(私に対して)この人物は…から…と聞いた。いや、岡映氏の名を出さそうとした計画か。真相は不明。
ジーと私を見つめる。フム…と。再度…フム。…ジー…。

(1984年二学期後半の横家・後藤の演技、1997年のポリテクカレッジ岡山の森脇課長と横山さんの睨み合いに巻き込まれたときとそっくりの歌舞伎役者型演技であった。)

やむを得ず、「私のことは岡氏にきけば不審人物ではないことは分かる」と。

③(待っていましたとばかりに)駿台大阪校で差別文書を手渡される。

余りにできすぎた話である。
そこで、私の立会人・新免元美作市議会議員に単刀直入に「私には映画説に見えて仕方がない。その首謀者は日本共産党ではないのか」と直に聞いたことがある。
新免氏は「それはない」と返答した。

だが、この件以外に部落問題に絡められる事項は一切ない

④やがて、2012年に(友人の)タカハシ氏が「誤解や勘違いではなく、人間違いが原因」と言い、Z家を暗示した。だがZ家絡みと言われても、私はZ家の人間ではないため、「ちんぷんかんぷん」となる。もはや手がでないというよりも、訳がわからない。


人間違い(ひとまちがい)が原因ならば、豊田弁護士経由ではない可能性もある。だが、それでも共産党を疑うときがある。
駿台事件のときは赤旗日曜版で合同法律事務所の広告がでており、誘導されて行っている。1987年秋である。
ポリテクカレッジ岡山のときは、同じく赤旗日曜版に東京法律事務所の神田高君が登場した記事があった。それもあり、東京で神田君に相談している。彼は親友とも親友に近い友人とも言える。彼のお父さんと孔雀という店で出会ったのが付き合いのきっかけとなっている。

彼は単刀直入な人間である。ポリテクカレッジ岡山の件について東京法律事務所 で一時間ほど法律相談をした。
一時間ほど経って彼は言った。
「浜田さん。その話はそこまで。後は自分でやんなさい。弁護士に頼むと言ったって、どんな弁護士がいるか分からないからさ~。自分でやんなさい。ともかく、飲みに行こうよ。お金は僕が払うから…」


その後に二言言った。
「兎も角さから、(ポリテクカレッジ岡山)を辞められただけ良いと思わなきゃ駄目だよ」と。
これはポリテクカレッジ岡山での同僚講師・(早大大学院先輩)A講師も言っていた。
「浜田、ここは学校ではない。捕虜収容所だ」と。


次に、神田君は言った。
「浜田さんさ~。何が何やらさっぱりわからないでしょう。ワハハハハ」であった。


なお、東京法律事務所に行ったときには、受付はポリテクカレッジ岡山の講師対応事務員・藤井氏そっくりな人物であった。ちなみに、駿台辞職後に川崎医大附属病院心療内科に行かされ、「私は催眠をかけられて動かされているとしか思えないので、催眠をかけて調べてほしい」と依頼したときの医師は駿台のイワサ部長そっくりな人物であった。


まだまだ多数ある。そこで私は今でもときどき「共産党首謀映画説」でないのならば、「共産党首謀テレビ説」かと疑うこともある。
 ともかく、時系列で言えば、何のことか意味不明な差別文書は豊田弁護士に相談した後であったことだけが事実である。


 なお、母の遺産が少し入った頃(2012から13年)、今度は本格的に神田君に相談しようかと思っていると、「若年性認知証になりました」と葉書が来た。それでも念のために、2017年上京した際に訪問することを検討していたが、後に述べる諸妨害で三鷹までは行ったが、事務所(後に彼は東京法律事務所から独立して三鷹法律事務所を構えていた)に行けなかった。その後で調べると奥さんが、「主人の介護に追われています」というSNSをだされていた。


 (2025/04/01 1:27上記の文章を次のように訂正)

 本日、葉書の整理をしに、母の部屋に入ると、神田君からの葉書が置いてあった。「若年性認知証」と「事務所をただんだ」という記載があった。ただし、その日付は2017年の年賀状であった。(葉書には2017年1月12日の郵便印がある)
今、考えれば、2013年からは賠償交渉よりも、インタネットを中心とする起業(当初は「安らぎ文庫有限会社」創設)を目標に不休不眠の日々であった。訪韓・訪中もその関係であった。本来は起業と将来の国民年金も合わせれば生活できると分析していたが、予想外に起業妨害が多く、再度、法律相談を考えていた矢先に、神田君からの先の年賀状であった。{なお、この年賀状の筆跡は神田君の文字ではないとしか思えない謎もある。}


※※※(重要な追記と解説)※※※
(2025/04/01 12:13追記)神田高君の資料収集(ビックリニュース飛び込む)

【神田君からの年賀履歴】


①2013年の神田君からの年賀は私の母の喪中で来ていない。

②~2012年迄と2014年は来ていた。

2015年の年賀から年賀状が来なくなった。私の方は出し続けていたと思う。:(参考)🤡2015年2月末訪米

2017年年賀で久々に返答があった。神田高君が若年認知証と記載があり、筆跡が違うため、恐らく奥さんが書かれたと思う。(参考)🤡2017年11月上京。

⑤2017年年賀状には、戸籍名は「嘉味田」とあった。2025/03/31読み直して始めて知った。

⑥2025/04/01未明→インタネット調査。奥様のSNS(2025年2月2日)では嘉味田高君は、2025年1月27日に誤嚥性肺炎で亡くなったとあった。


拙著『日本のフィクサーME』シリーズ登場モデルが「布袋」さん、「明神」君「はかせ」「ボン」である。それとお嬢群🧜🎎・(🐬水俣で出会った女性)・🛵🎃である。🌞西田ひかるは?である。

 そのモデルの一人「明神君」が神田君であった。左翼の闘士として登場している。


保守本流の布袋さんのモデルは「タカハシ」氏(彼は総理には石破茂氏か江田憲司氏がよいと2012年頃言っていた)であった。彼は私がカード詐欺に遭った、正に、その日{2019年4月17日(水曜日)}に、娘さんが「父が死亡しました」との電話を我が家にしていただいた。2012年に再会したときに、彼は糖尿病でインシュリンの注射を強調していた。(Z家の稔小父さんと同一である)。
「はかせ」ことサトウさんはかなり前に亡くなられたと聞いた。なお、彼が我が家へ来たときに何故か奈良を強調した。それとお姉さん(孔雀のメンバーの一人)を。

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『日本のフィクサーME』登場人物のキャラクターなどは以下を参照願いたい。
安らぎ文庫>>6-1・『日本のフィクサーME・下』《『日本のフィクサーME』登場人物の紹介》
http://h-takamasa.com/book-01/custom57.html

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残りは🤡ボン(私)だけである。ちなみに、私の父は1993年に白内障の手術をした。退院日に、私が迎えに行き、退院祝いにビフテキ屋に行った。そこで、肉を喉につまらせた。救急車で移送された病院はJR金川駅近くの病院であった。この病院で死亡した。当時は岡山県御津郡金川町(現在の岡山市北区御津金川)である。この一か月後に私も大吐血をして窒息状態となった(二ヶ月の長期入院となる)。

父の死亡のキーワードは「白内障」と窒息であるが「誤嚥(ごえん)」とも言える私も昨年頃から誤嚥の危険が多い。そして、今、白内障を患っている可能性が高い。それらもあり、私も本年辺りで終わりかと思うことが多い

少なくとも、私が生きている限り、最高裁での安倍晋三銃撃事件のまともな裁判は不可能である。まともにやれば「死刑」か「無期懲役」である。我が家近くの男性従兄弟の死亡が嘘ならば→Z3死亡は嘘→Z3と相似形であった安倍晋三死亡は嘘だからである。

 「私も老いてきた。その上国民年金のみの上に、事実上家族もいない。知人の出現は止み、催眠で揺り動かされる日々が多い。だが、催眠がなくてもいずれ安倍晋三もそうなるのだ」と独り言をいった。その直後に安倍襲撃事件が 起こった。

なお、父の死亡のキーワードは「白内障」「誤嚥」と、「金川」である。「金川」は意味がある言葉である。

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📢下記が一番分かりやすい。
教育・女性をめぐる各種デマへの反論―5・催眠と女性―満月の女・KGさんの謎:💁正式公開
http://h-takamasa.com/Blog/?p=26871 安らぎBlog 2021年9月14日公開)

KGが金川さん(今は名字は相違と思う)である。

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(参考までに関連箇所のアドレスも掲載しておく)

β)関学時代№8~9の箇所にも掲載。気がむけば一言。
👧回想―6・(大学5)[№回想―6・(大学5)[№227]:関学時代5・🔏を握る👧登場
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1465/
掲載日2021/02/07

関連:1981~82年頃参照(下記は再度該当箇所で掲載)αβを理解するためにはγを読めばさらに分かる。
●(γ)気が向けば一言【SNS妨害】№255・Facebookで規約違反と判定され、非表示とされた箇所の検証(4):橋本聖子氏
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1616/
新一言Blog 2021/07/30公開

δ)また以下にも、🌝の女性KGさんは登場してくる。
(気がむけば一言)【駿台】№207 女性問題でっちあげ被害、引き続くトラブル、更に人間違い被害疑惑(4)・駿台女性の謎と人間違い説。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1386/
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  ところで、神田高君の奥さんは彼のことをHPで「背の君」と書かれていた。これに対応する語句は「妹(いも)」である。同時に、奥さんの筆跡は、私の岡山の教え子の中に「西田ひかる」と似た名前の教え子がいた。彼女は私のアパートの掃除も夜遅くまで手伝ってくれたこともある。

「それでは何かあったか?」
当時の岡山の予備校職員に聞いてみるがよい。私は何も言っていないが、誰もが同じ回答をするであろう。
彼女は👧女性回想には登場しない。何故ならば、「教え子」である。もはや、私も本年か来年頃に死ぬのであろうか。それとも、不吉なことが起こるのであろうか。

 少なくとも、映画説は間違いないとなる。そして、駿台は、それを最大限に利用・悪用して、駿台大CMの場とした。効果覿面(てきめん)であった。念願の大学も設置でき、北海道から九州まで予備校網も拡大できたのであるから。

だが、駿台事件は私が死亡するか、駿台の側から自主的調査と示談を申し出るか、それとも駿台が破滅への道をたどるかしかない。

神田君の思い出はどこかに記そう。
 拙著『日本のフィクサーME』毎回登場の主要メンバーの箇所を参照願いたい。(常連のお嬢群🧜🎎🛵🎃については、徐々に真相が分かりつつある所である。)

※※※(重要な追記と解説終了)※※※


 母が死亡したときに、津山界隈にいた女性従兄弟が言った。「なるようになると思うしかない」と。


同じ頃、テレビからビート猛氏が私に向かっていっているように思えた。
「好きなことだけをしておけば良いのだ」と
それは絶対に無理である催眠でしたくないことばかりさせられている。本日(2025/03/30)も家の掃除をしたく、この原稿は書きたくもなかった。するとこうして長々と原稿を書かされている。


 第一、好きなことができるくらいならば、容姿は私好みではない・生き方は違うとしか思えない・性格は全く不明であり、興味も全くなかった西山なる女性に手紙を出すことは絶対になかった。1997年交通事故同様に催眠と工作者のなせる技である。

もし、催眠がなければ駿台の講師室係女性と会話することすら、ほとんどなかったであろう。

 実際に駿台大阪校では口はきいていない。相手が無理矢理話しかけてくるので、適当に返答しただけである。また、京都校でも西山に手紙を出し、ドタバタ劇に見舞われるまではまともな会話はしていない。二号館に至っては、西山に手紙を出し、怯えられるまでの1983年4月~1984年の晩秋までは、誰が講師室係なのか、未だに顔も名前も知らない。横家・後藤だったのかどうかすら全く知らない。あるいは、例の横家と後藤の歌舞伎役者型演技がなければ口をきくことはなかったかもしれない。


 私抜きで、シナリオにそって工作がなされ、更にそれでも無理ならば催眠が多数投入されているだけであるそこで、ビート猛氏が言った「好きなことだけをしておけば良い」は絶対に不可能となっている。誰を好きになるかの自由さえ剥奪されているのであるから。


岡山の予備校職員の吉田さんに熱をあげるはずがないのと同様に西山に熱をあげるとは、無茶苦茶であった。誤解のないように記すが、吉田さんの方は写真を添付したが本田美奈子似のアイドル型である。
西山も藤村先生は「美形」といったかもしれない。いや、深見係長が言ったのだった。「西山さんが浜田先生の手紙で怯えた。西山さんが…。私には信じられません。西山さんは美形ですので、断ることは慣れていると思いますので、浜田先生の手紙くらいで怯えられるとは、私には信じられません」と。その後で、私が持っていた車寅次郎と同じような鞄を指指して、「先生は良い鞄をもっておられますね」と言っていた。

 (映画狂の)藤村先生が美形と言ったのはカミの方であった。

 「浜田先生はおかしい。目をさましなさい。カミさんの方こそ美形というのですよ。よ~く、見てごらんなさい」と繰り返し言っていた。その直後に、私がカミさんに「普通にしてくれ」と言うと、カミさんが「先生はまだウジウジしているのですか」と捨て台詞を吐いた。

 後に催眠が「その頃、カミさんが髪型を変えて先生の前に何度か登場したでしょう。そのときに『カミ(髪との洒落)さんこそ普通にしてくれ』と言ったので、カミさんが女性のプライドを傷つけられて怒った」と寝ているときに解説があった。

 (私はカミさんが「西山を出したり・引っ込めたりするたびに、私の表情を見て笑いまくっているので、「カミさんも普通にしてくれ」と言ったのであるが、催眠が言うには上記だったというのである。そういえば、カミさん自身が髪型を変えて…私の目の前に何度か登場はあったが、既婚女性のため、催眠解説の如く内容は当時は思いもしなかった。勿論、催眠での一方的な解説のため、真偽は不明である。)

 こうして催眠以外でも各種工作があり、勝手に筋書き型解釈をなされるという被害にも遭っていた。

藤村先生は映画狂である。そこで、山田洋次型ドタバタ劇の世界におかれ、無理矢理、催眠で馬鹿馬鹿しい役を演じさせられているのにすぎない。山田洋次「男はつらいよ」型映画ならば、駿台は必死で協力をし、共産党関係もその他の団体も協力するであろうと解釈することが多い。だが、「男はつらいよ」ではない。「催眠はひどいよ」でしかない。やり方が汚い。そして、催眠を使われれば幾らでも無料・貢ぎ労働・奴隷労働は可能となる。そして実際に契約外労働・強制労働を強いられた。

 こうした発想が共産党首謀映画・テレビ説の土台となっている。

 ★人生あとわずか、以下、本音を記す。

好感は持っていたが川端三郎先生へ。
川端三郎先生「職場の恋愛は鬼門…と言われる意味が分かったか」
🆚
🤡「いい加減にして、私は駿台講師室係女性には本来関心はなかったため、会話も近づく予定もなかった。真逆であろう。催眠を悪用して白々しい」と。
(なお1992年頃催眠が「では、どんな女性が好みか」。私「苦労した人が良い。同じ村の中島Greenさんのような人。そう言えば可愛い顔をしていた」すると、即、当時通院先の原田医院(湯郷)に看護士として登場し、私を「M君だったね」と別人の名を呼び、そして去る。)


表三郎氏「火のない所に煙りはたたない」
🆚
🤡「放火だろう。駿台の大CMのために、理事長に頼まれて、あなたもお膳たてに加わっていなかったのか。盗人猛々しい」


平野真理氏を連想させる催眠「私は🛵おじょう(タナカ)のことを知っている」。

🤡「あたり前だ。それが本命だったのだから」


催眠の中で🛵おじょうが「本当…」と。
🆚
🤡あなた自身が、自分でぶれるように持っていったのだろう。それでは全く私に感心がなかったか。違う。どうせ、また自分の所に舞い戻るという自信があったのであろう」と。{私を見て、単純(simple-minded-person)と思ったでろう。特に、男女の話は…。}

(実際に1988年~1995年頃は🛵おじょうのことしか思い出していなかった。すると、駿台事件は成り立たない。そこで🛵おじょうのイメージを打ち壊すため、西田ひかるが登場する。そして破壊に成功する。そうしないと2000年(2000年5月姫路40の車)以降の物語が成立しないからだそうである。

 その後始末として🎃オジョウが登場して西田ひかるのイメージを打ち砕く。ちなみに、西田ひかるは今、兵庫県西宮市美作町の近くに住んでいるそうな。私の生まれが、岡山県美作町である。
関学時代のササヤマにいる先輩が言っていた。「水俣で出会った子、それに🛵おじょう…はあれは🧜お嬢(ミキ)だ」と。馬鹿馬鹿しいが、恐らく事実であろう。)



北山一氏「たたけば埃(ほこり)がでる」と
🆚
🤡「お前、高校時代に何を勉強していたのか。それを幸福追求権侵害とかプライバシー権侵害という。いやその前に、駿台事件のシチュエーションでは恐喝言語(刑事犯罪)となっている。人権とか法律の内容を知らないのか」と。駿台真相編7-Cを読めば誰でも分かる。


最後に🎃オジョウが言った一言「幾ら書いても、小渕恵三総理のときと同じよ。小渕恵三総理に手紙をだしてどうなった」
🆚
🤡「小渕さん死んだ」。
🎃オジョウ「おなじことよ」と。

 私も理論上、そう思う。駿台事件はともかく、書いていて面白くない。無理矢理催眠強制である。それでは…と駄洒落とクイズ型で無理矢理面白く見せようとする下品なシナリオである。駿台真相編の本質は「私の人生はなかったのに等しい」でしかない。

 映画のために、好きでもない女性に無理矢理熱を上げさすという暴挙でしかない何度も、川の鯉のぼりを撮りたくないと言っても無理矢理撮らされたのと同一であったもし、催眠使用がなければ「西山、横家、後藤」の出番はなかったのが事実である
 例外は女性による男性の強姦でもあれば別であるが。そういえば催眠術は伊藤詩織が言ったハニードラッグ以上の犯罪である西山がやった(加担した。共犯者である)。そういえば、「待っていてほしい」なる催眠言動に横家も加担していた。

 (しかも催眠の手口は高校時代などに見せられ、駿台ドタバタ劇翌年には岡山の予備校でも公開されている。岡山の予備校では数秒でタキザワ熱が吉田熱に変化した謎として実証されている。)

 誰かが言っていた「何もないから揉(も)めた」と。
🆚
 これは真っ赤な嘘である。催眠という危険な武器の被害に遭っている。催眠が如何に危険なかは1997年の岡山県美作巨勢下倉敷の交通事故が証明をしている。


  要するに、駿台大CMのために「揉(も)めるというシナリオ」があったから揉めたのであり何もなかったのではなく、駿台の営業戦略があり、Z家が我が家の住所を無断使用していたのであり、催眠があったりしたので揉めたのである
何もなければ、映画説で言えば、読者がマリーアントワネット(私は退屈が怖い)化していた。

 ただし、駿台事件がおこっていなくても、Z家が我が家の住所番地を使用するのは迷惑かつ危険きわまりなく、使用するのを何度もやめる ように頼んでくれと母に高校時代(1960年代)から言い続けていた。駿台事件抜きでも物騒というような物ではないし、何度も迷惑を受けていたことは事実である。

 


(その他のメモ)

☠👺による私の人身売買説:例・Chaplinキッド型等も駿台、(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山事件の本質でもあった。ともかく、駿台事件は往生際が悪い。

部落差別介入導火線(人間違い)
Z家との家間違い、Z3との人間違いがほぼ確定したと思われる現在の感想。

☠(謎のXグループ)が゚Z家…が部落問題…で、Z3と私と人間違いをして、差別文書を手渡した
②Z家内にあった皆木家…問題から、Z3に報復するため、差別文書を手渡し、部落問題に絡めようとした。しかし、Z3と私との人間違いをしていた。
いずれにせよ、駿台経営陣にはCM効果、🎬(映画説)groupには視聴率稼ぎの効果があった。

ただし、後に記すように、私は全く無関係のため、何が何やら分からない状態が40年ほど続くことになる。
また、第二次安倍政権以降は
私と部落問題関連か何かのgroupを対立させて、後者の弱体化を👺が狙っていた疑惑がある。Z3は一定の時期からその手先となったか?老婆の方は二股三股か?

浜田隆政@Takamasa_Hamada
23-039-11【🦷】右上六番
2019/4
①カード詐欺 #西山ファーム事件 #西山美千代 →#駿台
🤡同月カード詐欺被害
③全被害は人間違い明言友死亡
④#能開大 契約違反者 #世取山清 歯強調写真飛び込む
⑤レッドパージ🃏遊び連想
👺#G20 🇩🇪🇨🇦🇫🇷🇨🇳🇰🇷🇷🇺🇺🇸会う🙅脅し
⑦世界首脳→住所二軒注意相次ぐ
午後5:08 · 2023年2月8日

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1623232182985826305?s=20

(2025/04/01 13:26)再度、結論の一言。

駿台真相編は書いていて面白くない。

誰かが無理矢理、面白くさせようと、各所でクイズ型工作をしている。

オジョウの方が信憑性がある。「書いても無駄よ。小渕総理のときと同じよ」

私も家の整理・掃除、パソコンのファイル整理、HP改訂作業をしたいが、催眠で強制労働をさせられ続けている。汚いの一言。

2025年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA