今月の歌・安らぎ文庫「悲しき天使」英国版―昔は良かった型と、昔を思うと今は幸せ型について。

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今月の歌・安らぎ文庫HPトップの歌「悲しき天使」英国版―昔は良かった型と、昔を思うと今は幸せ型について。

今月の歌・安らぎ文庫HP版(2016年7月17日掲載。約1週間掲載)では、今月の歌・安らぎ文庫版(7月4日掲載済み)と今月の歌掲載済みを収録しています。
①が前者で、②が後者です。
これは横着をしたのではありません。

悲しき天使(ロシア版=「Дорогой длинною」、英語版=「Those Were the Days」:日本語では別名「長い道を」、「遠い道を」、「花の季節」)は、既に述べたように、英語バージョンは哀愁型、ロシアバージョンは拍手・踊り・国旗等等と大変快活なイメージとなっています。

しかし、今回の英国バージョンでも、歌手・YouTubeの作成者により、二つのタイプからなっています。この二つの比較が面白いので、今月の歌・安らぎ文庫HP版(7月17日から約1週間掲載[7月24日頃別のコンテンツと変更予定])では、重複しても、①のMary Hopkin関連と、② E. Humperdinck関連を比較掲載しました。

この二つのYouTube作成者の違いは、次のことにあります。
過ぎし日の懐かしい日々、若い頃を思い出すに当たって二つの考え方があります。

私の作品・『日本のフィクサーME』に登場してくる「お嬢」ならば、昔は良かった。楽しかった。私も友達も若く、すばらしい青春の思い出があるわ。でも今は……。これが①の基本型です。

他方、同作品に登場する〝ボン〟(私のこと)ならば、大学時代は苦学生で大変でした。
暑い夏に堺などの、煤煙だらけの道路で、草取り作業や、鉄パイプ運び、それに寿司屋のバイトと。
さらに彼女もおらず、恋人などを見ると、さみしい思いをした。これが②の基本型です。私も三十代中頃までは②型でした。三十代は「自由に空を飛ぶ鷹」の如(ごと)くでした。女性の教え子も含め、多数の教え子などを連れて飲みに行き、……と。
それに比べ、十代から二十代は彼女もおらず、何とも味けなく、バイト三昧でした。昔は懐かしいとはいえ、昔は大変だった、と。
彼女がいないのは当然でした。私好みの女性から、合コンか何かのときに電話番号を紙に書いてもらい、「もしよろしければ、面白い飲み屋(孔雀)に誘って」と言われても電話する度胸などはなかったのですから(大学院時代)。大学時代は、「日本のフィクサーME」に記したお嬢などに痛めつけられていました。安全パイ、荷物運び男としてのみ、対応されました。……。
本来ならば一般の②型の人と同様となるはずでした。
昔は彼女もおらず、女優のポスターなどを貼った部屋で一人さみしくたばこをふかし(私はたばこは生まれて以来すったことはありませんが)、一人酒を飲んでいた。あるいは、恋人などをみるとうらやましかった孤独の日々であった。しかし、今は、すばらしい伴侶にも恵まれ、子供もよく育ち、更に大勢の孫に囲まれて、何と幸福であろうか、これが②型です。

一代で会社を興した社長などもこれに該当(②型に該当)しているはずです。他方、大社長の子供は一般に①型となるようです。

もっとも、私は「恐るべき労基法違反」『閉じた窓にも日は昇る』などに記した理由で、今は昔以上に大変な状態にあるため、①や②に該当しない③「わたしゃ、それでも生きていた」型とでも言うのでしょうか。


ともかく、過去を回顧するに当たって二つの考え方があることになります。

しかし、私は次のように思うのです。
一番重要なのは、常に、〝今〟である、と。マザーテレサの言葉から引用します。

Yesterday is gone, tomorrow has not yet come and we have only today to be  busy, to take care, to love and to be loved. Let us not spend time in worrying about tomorrow but let us love God, love one another and respect and love every possible life today.

【浜田訳例】昨日はもう過ぎ去り、明日はまだきていません。私たちには、忙しく、(人の)世話をし、(人を)愛し、(人に)愛されている今日という日だけがあるのです。明日のことについて、思い悩みいたずらに時を過ごすのはやめ、神を愛し、お互いを愛し、あらゆる生きとし・生きんとする今日の命を尊(とうと)び、愛しましょう

同時に、「隣の芝生は青く見える」型発想も意味がないと思うのです。
自分の人生を振り返るときに、過去と比較して「隣の芝生は青く見える」型も止めた方が良いと思うのです。

私の作品群の中に「Dorothy(ドラシー)と十人の出会い」なるものがあります。この作品は「オズの魔法使い」を土台に、私がアニメのシナリオ型(英文)で書き下ろしたものです。この作品のテーマは「人間は自分が持っているものは当たり前と考え、常に自分のもっていない、他人の物ばかりほしがる」愚かさを強調したものです。

本当に優しいブリキの木こりは自分には心がないと嘆き、他人の持っている似非(えせ)優しさをうらやましがる。潜在的に勇敢さを持っている、臆病なライオンは他人の空元気を勇気と勘違いし、それに憧れ続ける。本当は賢い案山子(かかし)は自分は脳がないと嘆き、単なる知識詰め込み人間を優秀と考え、それを求める。こうした側面を強調してシナリオを英語で書いてみました。原作も土台は同一です。

要するに、他人と自分を比較するとせよ、自分の過去と現在の自分を比べるときにせよ、今自分が持っている才能をおろそかにし、今自分が持っている幸福を軽視し、常にないものに憧れるという人間の性(さが)・愚かさをテーマにしてみました。

私の作品群で世に問わねばならぬ物が山積しているため、このアニメ用シナリオ英語を世に問うのはかなり先になりそうです。

最後に、②のコンテンツについて、今月の歌に次のことを記しました。再度、写真にも注目してみてください。
「しかし、映像にも注目してください。全部、本格的写真芸術、美の世界です。私も写真をやっていますが場面構成、アイデア、絞り(ボケの活用)、シャッタースピード(故意に一部被写体ぶれ)、光と影の使い方……素晴らしいです。再度書きます。映像美も素晴らしいです。もう一度、今度は映像中心に見てください。
同時に、色気類を子供と動物を入れ、真の愛・永遠の愛とで、うまく相殺(そうさい)しています。メリー・ホプキンが愛、恋人への愛(あるいは青春時代への懐古)を主題にしたのに対して、こちらは恋人への愛、夫婦の愛、子供への愛、祖父母と孫の愛、Familyの愛、そしてそれらの懐かしき思い出……を主題としているように思えました。」(拙著『今月の歌・七月の歌より』)


ともかく、今月の歌のみならず、今月の歌・公式HP編(原則7日~10日で変更)、今月の歌・安らぎ文庫編(原則7日~10日で変更)も、通常、このようにいろいろなことを考えながら編集・掲載しています。


①YouTube作成者はどちらかと言えば、「過去は良かった」型で作成。
Mary Hopkin – Those were the days


②YouTube作成者はどちらかと言えば、「過去は良かった」かもしれないが「過去はさみしかった、今は子・孫に囲まれと、今の方が良い」型で作成。
E. Humperdinck/”Those Were the Days”-“Дорогой длинною” cover version