《削除予定部分紹介》(駿台真相編から削除予定の部分)駿台真相編7D-2・駿台との交渉・2の《◇―4》党派中立への道
【駿台信組編・7関連】
【更新履歴】
5/7頃一部添付
2025/05/11 延々と書かされる。途中で催眠誘導と気づく。削除か別原稿へ移動することにしたが、念のためにその部分を公開
2025/05/12夜か2025/05/13正式公開予定
2025/05/15 安倍晋三氏が志位和夫氏と私とのテレビセッティングをした箇所と、安倍氏によるプーチン大統領と私の対面セッティングした箇所は最後に本日追記した。
ともかく、党派中立・宗派中立問題が駿台事件と何の関係があるのか不明のため、大半を切り離してこの箇所で、催眠誘導で書かされた原稿を紹介しておく。
2025/05/15 18:39 正式公開 (村での挑発や催眠妨害で5/13正式公開予定が遅延)
【公開済み】
7-A1・駿台と村を取り巻く謎の利権集団
7-A2・駿台刑事犯罪被害の開始シグナル―謎の女性三人登場
7-A3・姪登場、催眠と睡眠薬、ホテル群破壊と証拠隠滅工作
7-A4・山城の女、映画説強調、そして真逆攻撃
7-A5・駿台での業務妨害と刑事犯罪の激化
7-A6・犯人の仮説
【公開予定】
7-B1・差別文書問題-2025年見解
7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
7-B3・差別文書問題2007-10年見解-2
7-B4・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編
7-B5・差別文書-2019-24年分析・人間違い編
7-B6・差別文書-女性、部落問題の謎と不審死連続の謎:人間違い
7-B7・差別文書-2019-24年分析・映画説と駿台CM説融合論
7-C1・玉子事件―外部と駿台内部と外部の共謀・共犯と2016年政治家が介入(今回の箇所)
7-C2・エアコン事件-徹底した小細工動員の事例
7-C3・マイク攻撃―証拠隠滅例
7-D1・駿台交渉資料編1
7-D2・駿台交渉資料編2(今回はこの箇所の◇―4党派中立・宗派中立のみ)◇-1~◇3と◇5は次回
7-E1 (or 8)・その後(永久の映画説と現世の矛盾、だが解けぬ謎)
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【今回の構成】(今回も一万文字を目処も今のままでは三万字を超え→分割しここは13200文字)
《◇―1》駿台辞職直前の状況―1・日本共産党への救済依頼
《◇―2》駿台辞職直前の状況―2・再度、駿台幹部への救済依頼
《◇―3》駿台辞職と故郷への監禁・戦前の軍国主義の手口
《◇―4》党派中立への道・催眠強要文書―駿台事件に何の関係があるのか→一部別原稿へ(今回はここのみ)
《◇―5》【資料】堀江部長への手紙・96年駿台復帰願い送付
駿台真相編公開時には《◇―4》と《◇―5》は逆にし、党派中立・宗派中立の箇所も資料として、下記のごく一部のみ掲載しておく。(駿台事件と何の関係もなかろう)
また、この党派中立・宗派中立を丁寧にまとめ直した原稿は浜田隆政回想録か日本のフィクサーMEシリーズで紹介する。
《◇―4》下書き削除or移動理由
催眠と挑発誘導で《◇―4》党派中立・宗派中立を書かされたが、駿台事件とは無関係としか思えぬため、削除か別原稿に回す。現時点では『日本のフィクサーME』シリーズのどこかか、浜田隆政回想録―2を検討している。
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無関係事項を書かされ、そちらに話題を変更されると駿台真相編全体が台無しとなるからである。
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なお、私が少し関係した当時、日本共産党員は50万人と公表されており、しかも入れ替わりも激しい。そして、数年関係して、その後無関係となった人(例:渡邉恒雄読売新聞元社長、あるいはアメリカ共産党にいっとき関係していた都留重人一橋大学元学長…)が、無関係となった後も44年も被害をうけた前例はない。
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それどころか、現役の共産党の人でも、私が受けたような被害を受けた事例を知らない。駿台講師時代には私は既に党派中立・宗派中立であったが、駿台京都校・大阪校にはかなりの共産党員やそのシンパがいたはずであるが、誰も私のような被害を受けていないのであろう。勿論、誰が共産党員やシンパかは当時も今も知らない。
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よって、駿台真相編に無関係なことを記すと、話題を変更をされる危険があるため、削除か別箇所に移動することにした。
ただし、後でデマが飛ばないように、1月余り、削除か移動する部分を下記に掲載しておく。
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勿論、下記に登場する自治会…などは別箇所移動か削除となる。自治会・消防団論争に置き換えられると駿台真相編は御陀仏となるからである。私は斯様な挑発や催眠…危害を受ける度に安倍晋三は生きているとしか思えない。とにかく、言い出したならばしつこい。だが、官僚諸君は(徳川綱吉)型お犬様将軍の機嫌をとれば出世できると、これまたしつこい気がしている。その前途は日本沈没である。真面目に、正道としての仕事をヤレと言いたい。その代償として出世を狙えと言いたい。
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政治学者でもある私は言いたい。昔の官僚論は通用しない。安倍政権時代の官僚論は「安倍様の機嫌をとること」が出世、天下りの一番有効な方法となっていたため、従来の官僚論は通用しないとなる。メリットシステムならぬデメリットシステムが日本の官僚論の本質である。受験では、アメリカ=スポイルズシステム(猟官制)、イギリス=情実主義(patronage)、日本=メリットシステム(Merit system)であったが、今はデメリットシステムに変更されている。そこから忖度(そんたく)なる現象が登場してくる。
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あるいは、官僚は「天皇の官吏」「官尊民卑」から「国民全体の奉仕者」(憲法15条)に変更したと建前上なっていたが、安倍政権では「胡麻擂り集団」「辻褄合わせ至上主義」となった。そこから公文書改竄という保守・革新ともに信じられない事態が生じてくる。そして、👺日本の将軍様は中国の江青的な変質人間となりつつあったか、なっていた可能性が高い。
これらは別原稿で書くべきであろう。駿台真相編の頃は安倍氏はまだ国会議員前である。よって(催眠による)甚だしい話題変更をさせられていた。
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下記箇所の一番最後の部分が正論である。
■(昨日・2025/05/11までに書かされた部分)
《◇―4》(駿台真相編と無関係も催眠で許容された箇所)党派中立への道
駿台事件とポリテクカレッジ岡山事件を通して、心情的にも党派中立・宗派中立となるが、実際に党派中立・宗派中立となったのは、もっと早い1981年頃であり、1985年には完全党派中立・宗派中立宣言をしている。図示すれば以下となる。
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【第一段階・萌芽的党派中立】(1971年末頃の乱闘未遂事件の問題点を、多くの友と別れた後に、1981年頃から授業を通じて学問的に振り返ったことから。1985年に明確な中立宣言)
→【第二段階・心情的党派中立】(1987年から93年夏頃:救済依頼に対して無視より逆に被害に遭ったことから)
→【第三段階・理論的党派中立】(赤旗日刊紙等を44年以上一切見ていないため独自理論が生まれたことによる党派中立)
→【第四段階・契約的党派中立】(2000年の小渕恵三総理への救済依頼以降:私の救済依頼とバーターで社会に有益なことはどの政党・団体の相談にものるし、協力もする。前提は私の人権救済に動くこと)、なお第三段階と第四段階は逆にしてもよい。
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明確に言えば、私は大物政治家などと知りあいになり喜ぶという名誉欲はない。そのような欲があれば服装も綺麗にしている。何故ならば同じ飾りだからである。あくまでGive and Takeの付き合いしか求めていない。その代わり、私の完全人権救済をするのならばどの政党・議員でも応援をする。これが契約である。
☟(参照)
浜田隆政回想録―1・1982~2020年:党派中立への道
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=29431 参照公式Blog 2020年11月4日)
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心情的・心理的党派中立・宗派中立は駿台事件のときの豊田弁護士の件などから分かろう。更に、ポリテクカレッジ岡山事件のときの問題がそれを加速させた。詳細は上記を参照。
ここでは参考までに、萌芽的党派中立の契機の事件と私の心情を紹介しておく。これが党派中立・宗派中立の土台になった。以下、拙著『旅に心を求めて―不条理編・下』(Kindle、KOBO各百円)第2章・「広島への旅―『原爆の子の像』と『教師と子どもの碑』を前に命に想う」の中の「2・戦争と平和と人間に想う」からごく一部を抜粋をする。
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……
拙著『生命への畏敬(いけい)』(未公刊)第三章四節で、「かつて、私(浜田)は戦争へ行った」と書いた。疑問に思う人もいるかもしれないが、客観的に考えて事実である。大学時代に、自治会再建運動に参加したことがある。中学、高校でも生徒会はある。大学でも当然そうしたものは必要と考えた。その運動は暴力を否定し、平和と民主主義の実現を目指し、「学問のために」をスローガンとしていた。
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しかし、あるとき、「自治会を守るために」という名の下(もと)に、私達は何をしたか。私は何をさせられたか。自分の学部とは無関係の他学部の自治会選挙のときに、自治会室とは無関係のグラウンドの片隅(かたすみ)に棍棒(こんぼう)と石を持ち並んでいた。俗に言う新左翼学生は間違いなく襲ってくることはきいていたが、私達の集合場所に多量の投石用の石や混紡があるなどは教えられていなかった。
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ヘルメットは用意すると聞いていたが、逆に身を守るヘルメットは準備されていなかった。こうした中で、我々を襲撃(しゅうげき)してくる相手は鉄パイプと火炎瓶(これは後に報道で知った)を用意していた。そして衝突するわけである。これはある意味で戦争である。銃こそないが火炎瓶などは竹槍(やり)程度の役割は果たす。百パーセントの確率で怪我(けが)人はでる。死者がでても何一つ不思議ではない。実際に、日本の各地で、その当時はほぼ毎年死者が出ていた。その衝突が起こると分析されていた前日には、私自身の死についても、特に怪我をすることについては覚悟していた。というよりも、ほぼ同数の、相当数の人間(集団)が混紡や鉄パイプで殴り合いをし、怪我をしない方が不思議である。
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当日、学校へ行くと、大学内の中央芝生上で、ヘルメットをかぶった学生が武闘訓練をしていた。もはや、私の運命は決まった。そして、約束の時間に関西(かんせい)学院大学(以下、関学[かんがく]と略す)学生会館前で混紡と石が山積みされている前に立っていると、ヘルメットをかぶった学生達が予想通りに襲ってきた。ただ衝突の直前に、私達の指揮者の「逃げろ」という声で正面衝突は避けられた。
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しかし、逃げ遅れた人が鉄パイプで殴られ入院した。みんな逃げるのに夢中で見殺しにした。ちなみに、逃げるルートは関学附属中学校の方角であり、グラウンドで体育の授業の真っ最中であった中学生たちも驚いて、「逃げろ」と叫んで必死に逃げていた。万一、中学生が巻き込まれていたならば、どうなっていたか。
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また、既述(きじゅつ)の如く、相手の集団は、朝から学校の(正門を入った所の)中央芝生で、ヘルメットをかぶり武闘訓練(長い棒で剣道の如くに殴り方の訓練)をしていた。学校の教職員が良く見える所で。正門の前には交番もあったような記憶がある。だが、誰も止(と)めなかった。
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この夜、ラジオでこの事件は報道された。私は聞いた。夕刊か朝刊か忘れたが新聞にも報道された事件であった。私が大学一年のとき(一九七一~七二年)のことである。こんな馬鹿な学校があるだろうか。しかもキリスト教を重視している大学で。宗教とは一体何なのか、と言いたくなる。
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振り返ってみると、ただ「平和」「民主主義」「学問」と「みんなの自治会」の名の下に、あらゆることを十分知らされもせず、気がつけば棍棒を持たされていた。今考えると、人間は自分の生死を賭(か)ける(※注六)瞬間ですら、よく分からずに、そうなるということを経験した。だから、戦争というものも、人が自分の生命を賭けるから慎重になるというものではなく、自分の本当の意思を離れ、戦場に赴(おもむ)き人を殺すということを身を持って体験した。だが、この文章を読んで、「民主主義」のためにやむを得ないと思う人がいるかもしれない。それは、「祖国」「学問」とか「平和」「民主主義」という言葉に惑(まど)わされているのである。実態をよく見てほしい。
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このときの運動は正しかったのであろうか。自治会運動とは、自分達の仲間を自治会選挙で役員に通すことにあるのではなく、学生全体が心から自治会に参加するように努力することであり、学生全体で「平和と民主主義」のために「学問」を捧(ささ)げることを目指すものでなければならない。当然△△系自治会などという称号がつけば、その時点で機能不全となっている可能性が高い。
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このときの実態を振り返ってみよう。私達は自分達の仲間が自治会選挙で勝つことにのみ固執(こしつ)しただけであり、肝心(かんじん)の学生の大半はこの自治会に実質的どころか形式的にも十分に参加していなかった。私達は、自治会の重要性を、単なるビラ配布ではなく、他の学生との日常的な粘(ねば)り強い繋(つな)がりの中で、我々の姿を通して、学生全体に呼びかけ続けなければならなかった。
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しかし、そうした長期の努力などは、命懸けどころかまともな形ですら存在していなかった。命を賭けた衝突を考えるならば、命を懸けた自治会の必要性を、全学生に自覚させる長期の地道な努力の方が必要だったはずである。そうした命懸け所かまともな努力すらなく、部外者に頼り、殴り合いで勝てば自治会ができるという発想が暴力を否定し民主主義を実現する運動であろうか。
その種の民主主義は、アルバイトの護衛等を雇えば簡単に守れる。(勿論、相手も同様にするであろう。だから今の戦争と同じだったのである。)しかも、このような形での衝突は相手の死を持って完成することを意味している。うまく相手を適度に痛めるなど、都合の良いことが常に起こるという発想は身勝手すぎる。これは殺しあいの事態であった。
……
私達の目指した自治会運動とは、私達の知り合いが委員長に選ばれることにあるのではなかったはずである。学生全体が自治会に心から参加し、大学の自治の一翼を担うことにあり、そして憲法の精神に基づいて自治会が運営されることにあったはずである。その理念が守られている限り、誰が自治会長になるかは問題外のはずであった。
だから学生の心からの参加がなく、その努力もない以上、万一暴力で我々が勝ったとしても問題は何も解決していなかったのである。「星条旗よ永遠なれ」という名の下に、ジョニーは戦争に行き何を見たかを思い出してほしい(※注八)。私も、ジョニー同様に、人間がいとも簡単に戦争に行く心理がこのときに分かった。「民主主義」「自由」「平和」「祖国」、こうしたスローガンは極めて人を戦争に導きやすい言葉であることを実感した。
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当時から一定の時期まで、こうした疑問を感じていたが、仲間の大半は善良な人であったため、正面から批判することも、〝正当防衛論〟(今考えれば、詭弁[きべん]であり、似非[えせ]正当防衛でしかなかったが)という名の理論を批判することもできなかった。生活費を稼ぐためのバイト三昧(ざんまい)の学生生活でもあったため、深く考えられる状態ではなかったこともある。
だが、大学・大学院を修了し、駿台講師時代に、江戸時代の百姓一揆(いっき)に関する諸著作に出会い、私の当時の素朴な疑問は正しかった、と再認識した。大学時代のあの武力衝突事件は誤りであったと考えるようになった。
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江戸時代の一揆について簡単に紹介する。命を〝かけた〟百姓一揆は、命を懸けざるを得ないほどの追い込まれた状況があり、そして命を懸けた越訴(おつそ)(誓願)等の(今日ではごく当たり前の)平和的手段を考えたり、実施したりした上で、それでも解決しない場合に始めて一揆となる。しかも、一揆に当たっては徹底した全会一致に至るまでの討議が存在していた。追い込まれ、命を懸けた平和的手段の後での一揆である。その上、第3節で記すように、相手の命ではなく、自分の命を〝かけて〟いたのである。
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それに比べれば、私たちのしたことは「命のもて遊び」にほかならない。もしあのとき、衝突が起こっていたならば、そして相手が私の下敷きになっていたならば、私はその相手を棍棒で殴っていたのであろうか。現在、百足(むかで)さえ殺さない私がどのようなことをしていたのであろうか。(泥棒に襲われたのとは全く違う。)この百姓一揆について知った後で、当時の大学紛争(※注九)を再度振り返るようになった。
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上記の一部修正をしておく。2020年頃から、百足(ムカデ)はやむをえず、水につけてしまっている。溺れ死んでいるかもしれない。「Reverence for Life(生命への畏敬)」と言っても、シュバイツアーと異なり、私は百足や蚊は殺すこともありうると変化してしまったが、それでも人間に対しての組織的暴力には抵抗があり、組織には属したくない。粘り強い裁判や国会への道や、そこでの闘争が当面の理性と考えている。
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「七人の侍」型発想は、もはや、今日の社会とは相容れないが、その相容れない実態が世界に未だに蔓延している。それが、私が世界連邦の必要性を訴えている理由である。マファイアに対して村の自治会で自衛団をつくって守るのではなく、粘り強く、国家を動かし、マファイア対策部隊で処理するのが今日のやり方であると考えている。(世界も同様である。強力な常備軍を持ち、具体的に機能できる世界の全ての国を網羅した世界連邦樹立しか世界の未来はない。)
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ところが、今日の世界どころか、先進国日本ですら、結構、組織に所属している限り自衛団的発想が飛びだし、ときには冒険主義的発想と結びつくことが余りに多い。政党ではなく、ときには村の組織ですらその危険性はある。
我が村・位田でも、マファイアが常時存在し、警察が十分に動かねば、自衛団型行動をとる危険はある。嫌でも村の付き合いとか、…を見殺しにできない…という人情で。そのときには、相手のマファイアの一個人には恨みはなくても、村の付き合いで武器を持ち攻撃を必ずするようになることを言い切っておく。マファイアを❓に置き換えても同様である。それが私が見た組織である。黒澤明の映画「生きる」ではなく「七人の侍」の世界が組織である。
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それでは自治会は…。それらを調べて回るのがField Work(視察旅行)であるが、妨害と催眠で目的変更され、調査などは長期不可能とされてきた。
ごもかく、現代社会で望まれている自治会論や防災論は別の機会で記すが、今存在している日本の村落で自治会と名のつくものは戦前の隣組制度(住民自治よりも団体自治の傾向)の様相をかぎりなく帯びているため、危険な側面は余りにも多い。だから、GHQは戦後、即座に、村のそうした集団と消防団に解散命令をだしたのである。朝鮮戦争後にそれが再度復活した経緯がある。当然、党派中立・宗派中立である以上、自治会でも少しでも組織性を帯びれば、脱会したい意思は常時ある。2009年に「村ぐるみ選挙」の危険があった時等は特にそうであった。
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私だけではなく、大勢の人が「組織と人間」という課題にぶつかり、ドイツでは「良心的兵役拒否」なる発想が生まれたのも類似の視点からであろう。全体に言えることは高等教育よりも幼児教育の欠如が土台にある可能性が高いが、本論を外れるため、自治会論も含めて別原稿で記す。
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1971年末か1972年上旬頃、上記の如く形で組織に属することへの疑問が生じた。党派中立の萌芽である。1981年から、昔の多くの仲間と離れ、上記の考えが政経の授業をする中で固まり、党派中立・宗派中立となる。1985年頃にその宣言もしている。萌芽は1971年●か1972年上旬からあったが、多くの、仲間・友達に囲まれ、アルバイト三昧と学問への没頭の両立という生活の中で考える暇を奪われていただけであった。同時に多くの友と別れたくないし、見殺しにもできない、と。
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だが、多くの友と別れた1981年から党派中立・宗派中立となる。そして、駿台の授業の中でそれが確固とした心情となる。要するに、組織にいることは自分の意にはんすることを強いられることがあるという信念が生まれた。
組織に属していると自己の意思に反する行為を強要される危険を感じたことから、組織には属さないとした。
それは国家でも同じであるかもしれない。だから、私は国家からも自由になりたいという意思を込めて、
私は常時Cosmopolitan(世界市民)になりたいと主張してもいる。
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更に、駿台事件で先の弁護士等を通じて心情的にも党派中立・宗派中立となる(救済を求めても助けてくれるどころか、逆に罠にはまったという心情である)。
それを更に強固にしたのが、1988年から1997年のポリテクカレッジ岡山(能開大中国)での労基法違犯攻撃被害で救済依頼をしても無視された件である。
その前に、ナチ収容所の如く場所で救済依頼を出すと逆にその場所に閉じ込められ、その一ヶ月後から意識の後退(うつ病を激しくした状態)に陥れられ、生きる屍となる。これが約4年間続く。この模様は『駿台真相編』の後で拙著『恐るべき労基法違犯』を全部実名に戻し公開する中で分かろう。
全て、共産党に救済依頼を求めた直後に無視され、そして間もなく起こっていた。山田洋次型映画説に共産党が協力しているが如くに。これが心情的党派中立が加わる過程である。
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2000年以降は、これに契約的党派中立・宗派中立も加わる。
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【第四段階・契約的党派中立】(第三と第四は逆にしてもよい)
更に、救済依頼を主要政党全部に送付したため、契約的党派中立と考えている。契約とはどの政党でも、思想・信条とは無関係に私の救済への努力をしてほしい。同時にそれは政党の義務でもある。私の方も、世の役に立つことには、どの政党であろうとも、可能な範囲で協力をするという契約である。
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浜田隆政回想録―1・1982~2020年:党派中立への道
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=29431 参照公式Blog 2020年11月4日)
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なお、新免昌和(美作市元共産党市議)に立会人を依頼したが、契約的党派中立を伝えてそれを守ると言う条件で特別の契約の下で立会人を依頼している。
新免氏との契約は以下である。
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なお、立会人及びその後の窓口的役割への便宜(べんぎ)に対しては、謝礼も便益(べんえき)も一切提供していない。新免議員には「完全にケリがついたならば、新免議員が私のために汗を流した時間だけ、(政治関連ではなく)引っ越しの手伝いとか、そうした類(たぐい)の手伝いをすることにより相殺(そうさい)したい」と明確に伝えている。
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新免議員の側からは「私に対する個人的な礼は不要である。美作町(現美作市)全体若(も)しくは他政党・無党派も含めて全議員にとって町政(市政)の参考になるような形で礼はしてくれれば良い」とのことであった。
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尚(なお)、旧美作町議会議員には知り合いのH議員(公明党)もおられたが、我が家の親戚かつ近隣のため除外した。何故(なぜ)ならば、親戚・近隣(きんりん)の場合には、どうしても少しは私の有利にという感情が働き、平等性が失われる危険性を懸念(けねん)したためである。極論すれば、「機構」などから賠償を取る場合でも、H議員よりは新免議員の方が安い額になる可能性は高い。安い額を望んでいるのではないが、平等・客観的な対応が望ましいため親戚類は除外した。
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『閉じた窓にも日は昇る(下)』(Kindle、百円、1ドル)第四編・閉じた窓にも日は昇る、第二二章・闘争の開始
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それでは何故、危機時に共産党に救いをもとめるのか。
二重の意味で違う。
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一つ目は県や市や病院等により無茶なことをされたり、危機を起こされたりしたときに、行政や警察に救済依頼しても逆効果を見せつけられると、長期自宅監禁では新しい知人がとまっている以上、大昔の友・知人に救済を求めるしか方法はない用に追い込まれているにすぎない。
もしくは、その友人・知人が関連している病院や機関である。知人・友人が見ているので、他の機関と異なり無茶はできないだろうとの発想からである。逆に言えば、拙著『恐るべき労基法違犯』で公開するように、他で無茶苦茶をやられすぎたからである。
こうして、大昔の知人や友人関連がいる所に相談に行くように、❓により仕組まれているのにすぎない。ところが、駿台や謎のH病院等で救済を求めたときには逆となった。それでも、他でも無茶をやられ、頼る所がなくなると同じとなり、その繰り返しをさせられているだけである。
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二つ目は契約的党派中立を宣言しているため、私の方は共産党以外でも多くの相談や応援をしている。だが、彼らはTakeのみでGiveをしないだけである。小泉純一郎氏のときも、官直人氏のときも同様に私の方はGiveをしている。例:温家宝・官直人会談。だが、彼らが具体的なGive(例:国会で浜田隆政の名をだし、審議をする等)をしないため、人が勘違いをしただけである。
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誰にでもGiveをした典型例は、2016年の安倍晋三氏の件である。彼からは幾つかの依頼を受け、ほぼ全部を引き受けている。最初の大きな依頼は、G7伊勢志摩サミットにあわせての「今月の歌」共催であった。これは条件付きで心から引き受けた。
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条件とは、私がOKを出せるコンテンツを集めることである。
具体的には黒澤明映画の中での、笠木しづこ氏のジャングルブギである。
笠木さんの歌唱力とバイタリティのある踊り、黒澤明氏が一番勢いがあった頃の映像の組み合わせである。この場面は、確か、『酔いどれ天使』の中の一場面である。
それ以外にも良質なコンテンツの提供であった。
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ところが、それを満たさないため、怒りではなく、「ない袖はふれない」となり、今月の歌・日本をやめることにした。
ところが、下記に記したように、(徹也ではなく)徹夜での拷問三昧であった。そこでやむなく、無理矢理やらされたという経緯がある。(山上徹也とは「徹夜」の洒落であろうか)
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その上、安倍氏は何を考えたのかは不明であるが、「そんなことをされると僕の面子がないではないか」という猿芝居を行った。その経緯は下記に記している。
ともかく、最初は私も心から進んで共催を引き受けていた。これが契約的党派中立の証拠でもある。
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日本のフィクサーME・続編メモ:(二)・党派中立宣言と伊勢志摩サミット協賛の裏話―1
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=14976 参照 2017年8月18日)
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安倍晋三氏の猿芝居とは『日本のフィクサーME・Part3』第4章で記すが、この共催により、安倍氏はその後11ヶ月連続でNHKの世論調査でも一度も支持率は50%を割らなかった。51~59%で推移した。
安倍氏が私に接近する前年の2015年には支持率が30%台を何度かつけていたのが、接近後はこの状態となる。支持率をあげてもらって怒る総理とか大統領がいるであろうか。
G7のときの安倍氏の対応は完全に猿芝居であった。
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その上、2017年途中から、安倍氏が豹変して、私への攻撃を開始した。そこでやむなく、2017年5月頃から降りかかる火の粉を払いにかかった。その後、安倍氏は3年以上に亘り、辞任表明までNHKの世論調査では一度も50%を超えることはなかった。
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ただし、安倍氏は今月の歌共催を2016年1月頃から正面から申し込んできたが、これ以外は催眠や工作で無理矢理、私を無料でこきつかった疑惑がある。現在の奴隷制度を行った疑惑がある。
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党派中立・宗派中立について体系だって記したBlogには上記以外に下記がある。
気がむけば一言【党派中立】№213 駿台事件から党派中立第2段階(心情的党派中立)へ、更に第3段階へ
(http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1413/ 参照 新一言2020年11月3日)
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だが、党派中立宣言の流れが一番分かりやすいのは浜田隆政回想録―1かもしれない。
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駿台真相編で何故か、赤が強調されるため、1994年頃から授業のプリントで公開し続け、2015年から電子書籍でも書いていたが、今回も党派中立・宗派中立の経緯を書いておいた。
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(2025/05/15 追記)
2016年頃から、安倍晋三氏(当時の総理)が何故か、志位和夫氏(当時の日本共産党委員長)と私の対面をセッティングしたようである。私は志位氏の本や原稿は読んだことがなかった。📺(テレビ)対談もしたことがなかった。謂わば、安倍晋三氏の何等かの思惑でNHKで何度か志位氏を見ることになる。下記も参照。
日本のフィクサーME・パート6・2022年8月(その1)安倍晋三氏の謎の行動
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=34921 参照 公式Blog 2022年8月26日)
特に《◇―2・志位和夫氏(日本共産党委員長)と私の関係》以下参照
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日本のフィクサーME・Part3:第2章6節・政治に翻弄されたボン―安倍晋三氏から志位和夫氏まで(ME: Part4と5の一部にも該当):正式公開
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=39570 参照 公式Blog 2023年6月19日)
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同年には同じく、安倍晋三氏からプーチン大統領とのテレビ対面か対談をセッティングされる。
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プーチン大統領との対談は下記参照。
政経を語るNo.15・プーチン大統領来日のときの私の発言(北方領土問題等)を公開
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=11509 参照公式Blog 2022年2月16日)
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政治経済を語るNo.16・プーチン大統領来日のときの私の発言(北方領土問題等)公開(続編)。
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=11691 参照公式Blog 2017年2月20日)
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政治経済を語るNo.17・プーチン大統領来日のときの私の発言公開(付録編)
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=11790 参照 公式Blog 2017年2月27日)
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知人や知り合いは多い方が良いので特に問題はないのであるが、参考記述である。ただし、その安倍氏が何故かレッドパージのまねごとを2019年(萌芽は2017年夏頃)から突如開始した謎がある。だが、これらが駿台真相編と何の関係があるのだろうか。
同様に、党派中立・宗派中立問題が駿台事件と何の関係があるのだろうか。催眠誘導で書かされ、この後で、「これは一体何だ」と目が覚める。
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