《🚧準備中》駿台真相編8・その後(永久の世の映画説と現世の矛盾、それでも解けぬ謎)

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《🚧準備中》駿台真相編8・その後(永久の世の映画説と現世の矛盾、それでも解けぬ謎)

【表紙写真】(📷表紙の写真:

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【本題】・《🚧準備中》駿台真相編8・

 

【駿台信組編・7関連】

 

【公開済み】

7-A1・駿台と村を取り巻く謎の利権集団
7-A2・駿台刑事犯罪被害の開始シグナル―謎の女性三人登場
7-A3・姪登場、催眠と睡眠薬、ホテル群破壊と証拠隠滅工作
7-A4・山城の女、映画説強調、そして真逆攻撃
7-A5・駿台での業務妨害と刑事犯罪の激化
7-A6・犯人の仮説

【公開予定】

7-B1・差別文書問題-2025年見解
7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
7-B3・差別文書問題2007-10年見解-2
7-B4・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編
7-B5・差別文書-2019-24年分析・人間違い編
7-B6・差別文書-女性、部落問題の謎と不審死連続の謎:人間違い
7-B7・差別文書-2019-24年分析・映画説と駿台CM説融合論

7-C1・玉子事件―外部と駿台内部と外部の共謀・共犯と2016年政治家が介入(今回の箇所)
7-C2・エアコン事件-徹底した小細工動員の事例
7-C3・マイク攻撃―証拠隠滅例

7-D1・駿台交渉資料編1
7-D2・駿台交渉資料編2

8・その後・永久の世の映画説と現世の論理の矛盾、それでも解けぬ謎(今回の箇所)



【今回の構成】(今回も一万文字を目処も)

《◇―1》永久の世の映画説と現世の論理矛盾
《◇―2》ポリテクカレッジ岡山時代の例(今回省略か、最後に次回能開事件真相編の予告付録か)
《◇―3》それでも駿台事件に絡む解けぬ謎(今回の重要箇所か)
《◇―4》日本のフィクサーMEの世界へ
☆次回の予告:日本のフィクサーME・Part 3の第4章からPart 5の世界へ。

※《◇―1》「永久の世の映画…」は最初でなく、最後に回すかもしれない。


【更新履歴】

2025/05/08から下書き開始:4/25から安らぎ文庫へ下書き掲載(非公開);

2025/05/11 から修正作業開始

2025/05/13~5/15にかけて《◇―4》の本体を独立させ、別箇所へ移動。移動先がこのページである。

2025/05/22 西山との対比で、(重要)ベネッセ運営の岡山進研予備校のヨシダという女性を巡る奇妙な問題を思い出したので記載しておく。5月17日には岡山進研予備校の最後のオーナーであった福田総一郎氏をNHK プロジェクトXで見た。

同上、9:22から本日のメモは重要であるかもしれないため下書き状態のまま公開に入る。

2025/05/24 20:33 この後は。構成と内容の一部入れ替えをして、公式Blogの方で修正及び清書仕上げとなる。ただし、一番下のポリテクカレッジ岡山に関するメモは公式Blogには駿台真相編と異なるため、掲載しない予定でいる。

公式Blog :https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=50777

《準備中》駿台真相編8・その後(永久の世の映画説と現世の矛盾、それでも解けぬ謎)


《◇―1》永久の世の映画説と現世の論理矛盾

下記『永久の世の映画説』で、私が長期思っている本質を記す。

だが、それでも三点問題があることを考えてもらいたい。

一つ目は、もし、あなた方が中田組合費・位田自治会費年間24000円を支払っていても、組合長が支払っていないと言って再度とられたならば耐えられるか。大喧嘩をしても証拠がなく再度支払い、そして領収書をとった。だが、再々度請求に来て、「その領収書は偽物だ。再度支払え」と言われれば耐えられるか。私はもろにこの亜流をポリテクカレッジ岡山(厚労省所管・現能開大)で何度もやられた。駿台真相編の後でその証拠を順次掲載していく。

二つ目は現代の世の中は(お金を媒介とするが)原則として物々交換である。即ち私の労働力商品Aを売り賃金Mを受け取り、衣食住等の各種商品BをM(お金)を支払い購入する。即ちA📝(私の労働)=M💰(お金)=🍝B(商品)である。M(お金)を省略すればA(私の労働:例📝)=B(購入商品:例🍝)である。

だが、A(📃:📷)への対価(💰)が支払われなければ、私は生きていけない。当然法律違反である。そして、催眠強制労働は主として賃金不払い労働として行われる

すると貨幣社会ではB(🍝👖💻🚖📺…)が購入できなくなる。この形態が駿台講師時代の催眠女性熱でのドタバタ劇強要から慢性化し、駿台辞職後、自立した生活を完全に不可能とされた。

特に1989年から2025年は完璧にそうなっている。ただし、駿台時代は生活はできたがそれは授業部分のみであり、強制ドタバタ劇参加に該当する部分は貢ぎ労働となっている。また、授業部分も、このドタバタ劇強要で劣化させられている上に、生き甲斐も奪われていた。

 なお、駿台講師辞職以降は幾ら働いても巧妙な形、労働契約違反、更に催眠労働が主体となり、他人に寄生する以外に生活は不可能となっていた。

三つ目はこの状態が続いている限り、人間としての尊厳を奪われ、それのみか今日では各種人権(経済の自由、秘密投票を含む投票権、労働基本権、思想良心の自由、プライバシー権、幸福追求権、人身の自由…)など各種人権を剥奪されているもはや、相当昔から、自殺はしないが生きる意味は全くなく、事実上生存に値しない生活となっている。安楽死・突然死・一瞬での死亡ならば数秒後でも構わない心理が数十年続いている。

駿台辞職直後の流れを拙著『閉じた窓にも日は昇る』{原稿を文藝春秋に送付したバージョン(結局、出版されなかった原稿である。今発売中の電子書籍版とは少し相違がある}から抜粋して紹介しておく。

〈  〉内のみ2025/05/11~の間につける

☆☆☆「閉じた窓にも日は昇る(文藝春秋用原稿から抜粋)」☆☆☆

第五編・帰結

『閉じた窓にも日は昇る』は、第四編で打ち切りとしていた。だが、この原稿を某出版社(未公刊かつ著作権・版権契約はしていない。闇に葬られているのみ)へ送付すると、事実かどうか、あるいは賠償のためのパッチングテストを装って被害が増加してきた。そこで、第五編として、私が考えている全体仮説の結論と二編~四編への解説を付け加えた。


実は、犯人はとっくの昔に、分かっていた。では、何故犯人を記さなかったかは、それを記すと私の精神が正常ではないと思われ、「機構」問題などで、政府・諸政党に門前払いされる事を懸念したからである。……


だが、先に記した理由で、犯人を明白にしておかねば、被害・挑発は止まない。同時に、「前書き」に記した、どうして、私が日本のもう一人のフィクサー、否(いな)、時には世界のもう一人のフィクサーとなったかが理解されないため、五編を追加した。
この五編は、二~四編の真相(幕)からなる。

序幕・犯人Xは首謀者であったが、首謀者ではない。

第一幕・駿台時代の女性NM(刺客―1)の謎と真相、

第二幕・岡短時代の学生Sの真相と今後の「機構」問題、

第三幕岡短辞職後の真相、

第四幕・日本のもう一人のフィクサー・〝ME(私)〟への道。

最後に、備考として、差別文書の件の追記である。

序幕・犯人Xは、首謀者であったが、真の首謀者ではない

犯人Xについては、相当前から心当たりがあった。確実に分かったのは、九五年、九六年頃からである。だが、漠然と分かりかけたのは、駿台辞職後、一九八八年四月頃から徐々にである。結論を序幕で記す。結論を記してはミステリーにならないではないか。結論を記しても、下山事件同様にミステリーであるから問題はない。

(1)犯人Xの仮説を記す。


駿台辞職後、一九八八年四月に岡山の予備校に行くと、政経は前年の生徒が大半であった日本史は、駿台時代に数年に亘り、よく質問に来ていた女生徒そっくりな子がいた。そして、岡短は既に記したように一気に変化が起こった。更に、旅に出ると、その日に限り、空が雲ではなく灰色に変化することがしばしばあった。同時に、その頃、岡短時代の同僚S講師(私の相棒で、私を岡短へ招聘した人〈嶋坂先生〉)は、唇を膨らませ、まさに「松本清張」の顔の真似をしていた。


こうして、八八年から、徐々に回答を知り始めた。ただし、九〇年から九三年末の大吐血ショックまでは脳が機能せず、こうした事すら考える余地はなくなっていた。意識が回復した九四年から再度、映画説を思い出した。特に九五年後半頃の西田ひかる妄想の頃から、以前以上にそう考え出した。なお、第一幕で述べる逆転法則は、九五年~九六年頃分かった事である。九三年以前、ましてや、八八年三月以前に、そんな事は考えた事は微塵もない。


九八年岡短辞職後は、あからさまに、誰が犯人かは毎日、教えられ続けていた。だが、『恐るべき労基法違反』(一九九九年)、『恐るべき労基法違反・二〇〇四年版』を政府関係などに送付するや、パッチングテストにみせかけた挑発が増加してきた。更に、『閉じた窓にも日は昇る』を自己プリンター印刷したものを、知人・出版社へ数部送付した。その後、では犯人は仮説―一~三の誰かという挑発が激化した。もはや、分かりきっていたが、数例を出した後で結論を記す。

今回は当たり障りのない、軽い話のみ数例記す。
北京オリンピックの頃、TVで明石家さんまが巫山戯(ふざけ)るので、彼に「福原愛に、私の方に向かってVサインをせよと伝えておいてくれ」と言った。サンマは笑っていた。そして、ある番組で福原愛がVサインをしないため、私がTVの福原愛に向かいVサインをすると、彼女は急に笑い出した。その翌日頃、今度は福原愛がNHKのTVの中でVサインをした。私が笑うと、TVのアナウンサーも吹き出していた


今度は一、二箇月前の事である。『情報7days ニュースキャスター』という番組の中で、ビートたけしが「(彼の番組での相棒)安住紳一郎は今や(女性)人気度のナンバー1」とか言った。つられて、私がTVに向かい言った。「ブラッシーがいたので、力道山があった。ブッチャーがいたので馬場がありえた。タイガージエットシンがいたので猪木が光った」と。すると、(引き立て役、悪役にされたと思った)ビートたけしが、TVに向かい身を乗り出しそうになった。偶然であろう。


何が偶然か?TVを見ている時は全てそうなのである。一日のみで、TVの中の俳優などのリアクションが数十~数百ある。極論すればTVを365日×10年みれば百万回以上そうである。勘違いの確率を超えている。


特に、反応が激しいのが、信じられないがNHKである。私が原稿内で主要なテーマと離れるため解説抜きで記した箇所を、通常の人が理解し辛(づら)いため、私の原稿のフォローや解説として行われた事が多い。NHKの場合には、原則として、私の原稿への反論や賛成ではなく、語句・人名・事件・思想などの丁寧な解説である。私の本の語句解説集の如く形で。


二〇一〇年四月一八日、新聞を見て〝またか〟と思った。この日のTVで、(過労で一部見損ねたが)NHK二一時放送「NHKスペシャル、日本と朝鮮半島第1回、『韓国併合への道』」の中で、「伊藤博文暗殺と安重根」の特集が組まれていた。私が『旅に心を求めて――不条理編』という原稿を、本年(二〇一〇年)一月~四月三日にかけ執筆し、某出版社へ送付した。(四月五日、かつ控えあり。)その後書きに、解説抜きで「伊藤博文暗殺と安重根(アン・ジュングン)を訪ねての旅」が今後の課題と記した。するとNHKで、即特集である。

同様に、同原稿の第三章水俣への旅の中で、「最大多数の最大幸福」の語句を解説抜きで記していた。すると、NHK教育放送で「ハーバード白熱教室」シリーズ(一回目・二〇一〇年四月四日と二回目・四月一一日)で、「最大多数の最大幸福」という功利主義論の解説が行われ出した。原稿送付前から、執筆段階で幾つものTVで、原稿の内容が挑発的に語られていた最中である。


二〇〇一年九・一一事件の後二〇〇二年前後に、東京法律事務所から、何かの署名をお願いされた時に、私は九・一一事件は、政治学者として分析すれば「トンキン湾型(架空事件)か真珠湾型(やらせ疑惑事件)か、それとも限りなく、盧溝橋(ろこうきょう)事件型(不可思議な事件)と同様の疑惑がある」と記述して返送した。すると、NHKが、その直後に盧溝橋事件の解説を急にし出したことがある。解説をしたのは、松平定知(さだとも)アナウンサーであったと思う。{二〇〇三年七月二日(水)放送 『その時歴史が動いた』第一四一回「盧溝橋事件・運命の4日間~中国派兵への重大決意~」参照。}なお、盧溝橋事件は謎・不明の点が多すぎ、自作自演劇の例として、柳条湖事件(一九三一年)の方を記すべきであった。


また、この『閉じた窓にも日は昇る』を二〇〇七年から執筆を開始したが、この原稿の第一三章(二〇〇七年記述時は第一二章)で福沢諭吉、緒方洪庵、適塾について簡単に触れるや、NHKで緒方洪庵特集がなされた。{二〇〇七年一一月二八日放送、『その時歴史が動いた』第三〇七回「 緒方洪庵・天然痘との闘い」。} これらも偶然か。


あるいは、国民年金問題で安倍政権がもめた時は、私が当時記していた原稿『親方日の丸』及びその他のメモ書きと、同時並行で私との問答型で、事態は推移していった。年金問題などの詳細は次年度記述予定の原稿を見ればよい。


この種のTVでの反応説を全て書けば、原稿用紙で、四〇〇字で数万枚になるかもしれない。ならば、私の人生は奇妙な偶然だらけとなる。私がAと言い、その直後に、TVで急にAを解説する確率が90%以上となれば、偶然の確率は逆に10%未満である。この中で日本及び世界の政治経済に影響を与える物のみを選び、『日本のもう一人のフィクサー・〝ME(私)〟』にて次年度記す予定である。
要するに、犯人は仮説―三・映画・TV説である。


二〇一〇年四月上旬に、TVで加山雄三を見て思い出したが、こうした現象は岡短辞職前の九五~九七年の間にもあった。私が、TVを見ながら文書を記していると、しきりにTV内の加山雄三が相槌をうったり、様々な反応をしたりしていたのを思い出した。この期間中も、多くの歌手・俳優がTV内から私に様々な反応を示していた。

ただ、この頃は政治・経済分野の首脳とは、TVを通じて何のコンタクトもなかったと思う。よって、私の政府宛の文書後からの双方向けTVではなく、最初からの映画・TV説と思われる。

(2)犯人Xでは解けない〝謎〟。


だが、問題はまだ解けていない。当初はX、X1、X2、X3……と続くが、X(映画指揮者)が首謀者と考えていた。しかし、Xは首謀者であり、首謀者ではないかもしれない。即ち、あれだけ残虐な拷問(第一六章参照)、あるいは催眠術のような物で私を動かせるということは、映画説であって、映画説ではない(少なくとも単純な映画説ではない)かもしれない。


コダワリ派・黒沢明ですら、それは不可能である。即逮捕される。職業選択自由剥奪・監禁・蛸(たこ)部屋労働・傷害罪……で。しかも、二〇年以上、一九八四年から数えると二六年〈2025年5月21日現在41年〉と半世紀を超える人権侵害などは、単なる映画では不可能である。だが、映画説若しくはTV説である。


すると、どうなるか。現在出しうる唯一の回答は、第四編の最後に記した、仮説―四で追加した、〝永久の世〟の映画説である。現時点での回答はこれしかない。

 最低でも九五年頃から、その回答は一貫していた。即ち、映画説の首謀者はXかもしれない。場合によればX=私の父かもしれない。だが、父をも支配する、更に大きなXを超える存在(若しくは存在でもない、現代の世では表現不可能な〝?〟)がいるかもしれない。要するに、永久の世は見た事がないため、Xを超える存在は〝?〟であり、記号ですら表されない。それが論理である。

(3)第一命題と第二命題――永久の世の映画説と現実の世のケジメ問題。


だが、考えて頂きたい。永久の世である。ならば、私がパソコンを購入しても店員さんに言えばよい。
「永久の世だから、支払いは不要であろう」、と。
車に乗車している時に、赤信号を無視し、警察に捕まったとしよう。
「お巡りさんも変わった人ですね。永久の世の映画説でしょ。なら、誰も死ぬ訳がなく、赤信号・青信号は関係ないでしょう」、と。
道を歩いている若い女性を見つけ、その女性のスカートをめくり、相手が怒る。
「永久の世でしょう。羞恥心など存在しないでしょう。非常識なのはあなたの方。こんなことで怒るなんて、あなたはどうかしてますよ」、と。
これで通用するか。当然、しない。


同時に、永久の世、若(も)しくは永久の世の映画・TV説でも、即永久の世に移行しないならば、次の二つを前提としなければ存在しえない。


α・[第一命題]現世において、現行法規に関する事項は、現行法規・社会通念に従う。違反した場合は現行法規に従い処理するものとする


β・[第二命題]現行法規に規定されていない、不可思議な事のみは、永久の世の映画説として、現世においても、天賦人権を侵害しない限り存在の余地はある。

永久の世としか思われぬ出来事と現世の出来事、この二つが前後し、私の前に現れ、(八四年頃は夢にも映画説などは思っていなかった)物語が進行していった。


第一命題に関しては、誰とて理解できるであろう。


では、第二命題とは何か。

第二命題を分かりやすく言えば、『不思議の国のアリス』というよりは、『クリスマスキャロル』の世界である。

 より具体的には、私の場合には、第一幕で述べる逆転法則の箇所で、K子という女性を出した。ところが、このK子が、狐の如く適当に変身し、A子、B子、C子、D子、……として、私に接してくる。全く顔も背丈も違う形で。これを現行法で裁けるかとなる。まして、害を与えぬ時には現行法規でこれは裁けない

 こうして、[第一命題]に規定がない部門のみ、[第二命題]は可能な場合もある。これが私の解釈である。

※※※(追記開始)※※※

(2025/05/21 追記)まもなく、「風俗論三部作」を掲載予定でいる。「風俗論―悲劇編」(1987年迄)、「風俗論―悲愴編」(1995~20xx年)、「風俗論―喜劇編」(20xx年から)である。「喜劇編」を読めば第二命題は明白になろう。だが、「悲劇編」と「悲壮悲愴編」を読めば第一命題と第二命題の軋轢(あつれき)や矛盾が明白となろう。

※※※(追記終了)※※※


ただ、先の作品と私の場合との違いは、現実と架空の世界との間のトンネルが存在していないことである。

 『OZの魔法使い』や『スノーマン』以上に、トンネルは存在していない。川端康成『雪国』冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」にあるトンネルも存在していなかった。『雪国』ではトンネルを越えれば、いつでも、現世と恰(あたか)も夢の世界を行き来できるが、私の場合には永久の世(未知の世界)と現実の世界が境界線を無視して交互に現れてきた。


しかも、仕事も含めて第二命題の事を入れながらも、第一命題に該当することで一部被害を受けた疑惑もある。

ともかく、この世のルール(商品の代価は支払わねばならない、道交法ルール等は守らねばならない、刑事犯罪を行ってはならない)違反と、この世であり得ない事項(K子が、様々な女性に変身し、私の前に現れる)などが交互に、私の前で展開された。


そして私は、現世においては、経済学で言えば、労働力商品でもある。

この労働力商品を、購入した以上、購入時の約束を果たしてもらわねばならない。永久の世に移行する迄は、物を食べねば餓死する。食べるためには金がいる。A・労働力商品代価=B・労働力商品の維持・再生産費用(即ち、衣食住購入費用及び娯楽など精神維持費)である。「Bは支払わなくてよい。永久の世だろう」とは、右記方程式の如くAが存在しなくなるため論理矛盾が起こる。Bが支払われなければ、現在の世では生存できない。

 α・[第一命題]より現代のルールに基づき逮捕・処罰されなければならない。


同時に、労働力商品Aを購入し、AはCという仕事だけしてくれといえばCの代価のみ支払えばよい。だが、AにDやE以上をさせれば(双方で合意した)追加代金を支払わなければならない。また社会通念上の(教材研究や、学校ならばもめ事等の後始末を含む)労働時間を越えた場合には、支払総額はBを越えなければならない。

労基法第1条(労働条件の原則)労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない(憲法・第25条・第27条)。}

それを、怠った場合には、賠償と慰謝料を支払い、時には更にこの世のルールに従い処罰されなければならない。即ち、永久の世に至るまでは、この世にいる人は、この世のルールに従わなければならないという第一命題が支配する。


そこで、「駿台」、「岡短」・「機構」ともケリをつけねばならない。〈労働力商品をも含む〉十万円の商品を買えば、その代価を支払わなければならない事も、この世の重要なルールである。

(4)「永久の世」説を「現実の世」に戻す論理。

この二つの命題の論理から、永久の世説であろうとも、私のすべきことは現実の世ですべきことと同一の帰結が生じた。そして、現実の世で、戦うためには永久の世の論理から現実の世の論理に転換すれば良いだけの事である。これは、至極簡単な事である。


ずばり、言おう。マザーテレサを見るがよい。彼女は永久の世を信じていた。だが、彼女は頭が可笑(おか)しいとは言われなかった。あるいはキング牧師が死ぬ前日に行ったメンフィスの演説{「I’ve Been to the Mountain Top」 (「私は山の頂に登ってきた」)}の如く、あの世(天国)を見た。{コレッタ・スコット・キング編(梶原寿・石井美恵子訳『キング牧師の言葉』(日本基督教団出版局)、一九九三年、一〇七頁参照。[原文]Coretta Scott King, The Words of Martin Luther King, Fount, 1984, p93.


両者ともに、現実の世においては、私が言う[第一命題]に従っていた。同時に第一命題において正義を目指した。キング牧師は、仲間の黒人達に「来世があるのだから、この世では奴隷に甘んじよう」とは言わなかった。私も同様である。こうして、私の唐突な話は唐突ではなくなった。


私は[第二命題]が支配する分野にも遭遇していた。依って、第一命題の支配する分野での後始末のみならず、第二命題が支配する分野においても、他人からどう思われようとも記さなければならない。

 ただし、第一命題が支配する分野で、本当に催眠など利用されていれば、現行法規の傷害罪などで犯人は逮捕されなければならない。他の犯罪も同様である。再度、犯人X、X1、X2……において、犯人捜しを手助けして頂きたい。勿論、双方向けTVを利用した以上、彼らは現実の世の映画説をも併用していたとなる。


第二命題が全てを支配し、第一命題が無となるのは、来世においてのみである。敬虔なクリスチャン・仏教徒に聞くがよい。
第二編から第四編で起こった事実を、現実の世の映画説、永久の世の映画説の視点から、第一幕から第三幕にかけて、私に起こった不可思議な事の種明かしを行う。現実の世の映画説の場合を読めば、事実の解釈が異なってくる(逆転してくる)ため驚くであろう。特に第一の刺客・NM〈西山美千代〉と、刺客―8の一人・体当たり学生S〈の名を語った人物〉は逆転する。後者は映画説でなくてもこの逆転はありうる。

☆☆☆「閉じた窓にも日は昇る(文藝春秋用原稿から抜粋終了)」☆☆☆


《◇―3》でなく《◇―2》それでも駿台事件に絡む解けぬ謎

最初に移動か?

以上が結論であるが、問題が五点残っている。

(1)一つは西山美千代という🚺(女性)に催眠で熱をあげさせられると、何故、危害が40年以上も続く理屈が成り立つのであろうかそれも、私の方が断られての話である。

その上、西山には駿台外であったこともなく、指一本触れたこともなく、会話も全て人前で6年合計で約10分未満である。ただし、タケウチと私と西山での、「普通にして」会談(駿台の吉田部長の許可を取り会議室で行う)の約10分を除いての話である。

(ここから2025/05/22記載:重要な新事実):2025/05/17福武総一郎氏をテレビでみた。

 また、どうして、私が西山美千代という女性に熱をあげさせられる必要があったのであろうか。容姿は私好みではない。生き方は違うとしか思えない。性格は当時は全く不明。付き合う手段はない(誰かに依頼しての見合いを除く。)

 私の当時女性観は「万国の女性よ自立せよ」型(※1)のため、駿台の女性は全て対象外としていた。ところが、1982年度に催眠か・否かは不明もやや関心をもてる可能性がある女性がいた。私が聞きもしないのに、吉田課長が「…彼女は同志社卒で、お茶くみ等の仕事はできませんと言って辞めた」と私にいっていた女性である。私が聞きもしないのに、言ったのは恐らく催眠であったかもしれない。多分、サクラだったのであろう。

 完全に対象外と思っていた駿台の女性には目もくれなかったが、上記の女性の関係で、駿台講師室係女性とは何を考えているのか(差別用語になれば訂正するが、「どんな生き物」かの)観察を兼ねて、西山には1983年夏前に挨拶に毛のはえた程度会話したことがある。大学以降、私が知っていた女性は各種人権活動家、研究者志向一本やり女性のみであった。当然、二号館にいた講師室係女性とは会話はしていないか、名前も顔も全く覚えていない。誰がいたのかすら全く覚えていない。

 好みとは全く異なるため、熱を上げる危険は全くないので、西山美千代と会話したのであろう。結果はやはり生き方が違うとしか思えないので、駿台講師室係女性とは仕事以外で口をきくのは時間の無駄と思ったことをはっきりと覚えている。1983年夏以後は毛の生えた会話すらしていないと思う。逆に1983年夏からは西山は👶赤ちゃんをあやしたり…と何か、私の気を引こうとしているようにも見えた。だが、面倒で会話などは一切していない。ところが、1984年1月に突如の西山熱である。完璧な催眠であった。その証拠は下記である。

 駿台予備学校女性と全く相似形で1986年ベネッセ運営の進研予備校で吉田という女性に熱をあげさせられる。その前に1985年度頃に、😘男性職員が、(岡山)進研予備校の宴会の席で吉田さんのほおに軽いキスをしたことがあった。しかも、その前に「浜田、こちらを見ろ」と言ってからキスをしている。😘

彼は通常は浜田先生というのだが「浜田」と呼び捨てたと思う。更に、彼は硬派で宴会の席で斯様(かよう)なことをする人物では絶対にない。吉田さんが入社して間もなくの頃であり、彼と吉田さんは親しくない。一つ間違えばセクハラ騒動となる行為であった。

 なお、肝心の吉田さんは、その間(抱きつかれ😘キスをされている間中)、キスには全く無関心・無反応でじっと私を凝視し続けていた謎がある。彼が私を呼んだので見えたが、彼が私に声をかけなかったならば見なかったであろう。興味がないので。私が呆気にとられているのを見て(覚えているのは「あっそう」的な無関心の感情のみであるが)、吉田さんが私の反応を充分に確認してから「気持ちが悪い」と言って頬を拭いていた。だが、それまでは彼の行為を一切気にせず(喜びもせず・嫌がりもせず)ずっと、私の顔ばかりを見ていた謎がある謎というよりも、西山・駿台事件のヒントがある。

 この男性は後に岡山進研予備校が他の予備校で合併した後で校長となった人物である。彼と私は未だに年賀状のやりとりをしているが、彼は私以上の硬派である。通常はそうした場面を見ると、相手が教師でもはっきりと抗議する性格の人間である。

 ともかく吉田さんには「熱を上げることなどは絶対にありえない」と思っていた女性である。ところが会話は後にも無に等しいにも拘わらず、1986年度に急に女性熱をあげる。完璧な催眠であった。それも、タキザワという女性に1986年度初頭頃から熱を上げさせられるが、タキザワさんに朝まで熱をあげていたら、何の理由もなく、同日の昼からは突如吉田熱が起こっている。もはや、無茶苦茶であり、私は単なる操り人形・ロボットでしかない。(書いてはならぬこと、岸田君・岸田総理のような物である👺🤥

 恐らく、🎬映画説グループの「西山熱」の解説をするのがこの女性・吉田の使命であったのであろう。なお、容姿は本田実奈子に似ていたかもしれない。写真は「駿台真相編-6-2」に掲載している(※注2)。

 ともかく、駿台女性の件は福武書店(現・ベネッセ)運営の予備校で解説をされていた。勿論、吉田熱は1987年度には解除されている。西山に関しては1986年度(正確には1986年4月か5月頃から)怒りのみである。西山は(1985年春に360度回転して逃げた)🚺Nazo以上に無茶苦茶な攻撃をやり過ぎていた

 駿台女性への催眠熱の解除は、深見係長が1985年度春に「大阪校異動」の打診を電話でしてきたが、「異動了承」と言って受話器を置いた途端に解除された。「す~」と何かがぬける如くに催眠熱は解除された。

 再度言う。何故、駿台で熱をあげるのが西山美千代でなければならなかったのであろうか。容姿のみならば西山以上の女性は別にいたのに。どうせ、成就しないというシナリオがあるならば、それならば前年度の「サクラ」役をした女性を引き留めてやらせれば良いのに。いや、それならば催眠に気づかなかったであろう。西山ならば確実に「催眠熱」に気づくからだったのであろうか。

 だが、まだ西山の件で謎が二つある。

一つは何故、西山に熱をあげると被害が44年以上続くのであろうか。

もう一つは岡山進研予備校との比較から言って私が西山に熱を上げる前から、駿台職員の一部は「私が西山に熱をあげる」ことを事前に知っていたと分析される。知らぬは私だけということはなかろうが(=私以外は全員が知っていたということはなかろうが。駿台教職員の一部だけと思うのであるが、私以外の全員が事前に知っていたということすらあり得ても不思議ではない)。もっとも別視角から言えば、西山などはそれを条件で採用されたといって間違いなかろう。

岡山進研予備校女性ドタバタ劇は2016年度開始であるが、開始のシグナルとして、2016年4月に創始者・福武哲彦氏がなくなっている。また、今回の原稿で岡山進研予備校の箇所は2025年5月22日記述したが、その直前(2025年5月17日)に、NHKテレビで(福武哲彦氏の息子)福武総一郎氏を見て興奮している。駿台の方は、最終的な調査依頼を2010年に山﨑春之氏自身に依頼しようと思った頃に、山﨑春之氏が死亡している

(※注1)第1回:万国の女性よ自立せよ (2014/11/10)
https://takahama-chan.sakura.ne.jp/p-essay/ :公式HP>主義主張>フォットエッセイ

(※注2)駿台事件真相編―🆕6―(2)・駿台CM作戦・大阪校編―女性問題から超多忙生活工作へ
―相似形であった駿台女性事件🆚岡山予備校女性事件の比較
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=47331 参照 公式Blog 2024年11月19日
上記の中の《◇―3・ダメ押し的に、岡山の予備校職員女性を絡められ、教材研究妨害をやられる》箇所参照。

※1985年度前後の吉田😘という奇妙な頃に、🤡催眠😘…疑問符が起こっている可能性が高い。(ただし、フィリピン友人マリーサのは人前で、誰がみても不自然ではない海外型礼儀・儀礼に沿った…であり、それも私が受け身でもある)。それらをもじって、2015年度に安倍昭恵😘布袋キス事件が起こる。

 なお、この催眠には幾つもの訳がある。

一つだけわかっているのは初代🎎お嬢に絡めた遊びから、🎬視聴率稼ぎのために起こっている。そうしないと、大学時代からの流れがでてこないのだそうである。そして🎎は😸、😁、😂だそうである。🎃オジョウは🤣だそうである。

安倍昭恵氏 布袋寅泰とのキス騒動に「主人は笑ってました」
https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150915/enn1509151140008-n1.htm?view=pc 参照 ZakZak 2015年9月15日

(以下は2025/05/22以前の下書き状態)2025/05/22から追記も、ここもまだ謎はとけていない。

(2)二つ目は、Z3との人間違いが原因と随所で示唆されている。

結論型で疑問を箇条書き的に記載する。この問題の解明は村真相編で分かるかもしれない。

(我が家の住所番地を70年使用していた)Z3と間違えると何故被害を受けるのであろうか。

もし、私が親友のI君と間違われても、被害を受けることはない。だが、Z3と人間違いされると危害が40年も続くのであろうか

②人間違いはいつからであろうか。駿台事件からか、それ以前からか。

③Z3の母(Z家の老婆👵)は、私が人間違いをとくのを必死で妨害をしていた。(『日本のフィクサーME・Part 3』4章でその模様を紹介する。『日本のフィクサー』に回す理由は政治家絡み疑惑)

村の衆などがZ家の小母(👵)を示唆する。だが、我が家と間違われて郵便物などがZ家にいけば、Z家も困るであろう。その逆の場合でも。ともかく、何故、Z家は我が家の住所番地使用にこだわったのであろうか。

④Z家の小母(👵)が私に敵意を持っているのだろうか。もし、敵意を持っていないならばZ家小母👵は…?

Z家の小母(👵)が2013年度以降に私に会いにくるときは全身笑みであった。それ以前は笑みまでではないが、私に会いにきたがっていた節(フシ)があった。当初は私の母が目当てであったが、母が入退院などを繰り返すと、私を目当てにきていた感じがした。

2013年も、2014年は、はしゃぎ回ってきていた。2013年、14年などは頭のてっぺんからつま先まで…の喜び型とも見えた。

もっとも、それ以前でも玄関をドンドンたたき、「タカマサちゃん」「タカマサちゃん」と大喜びで来ていたときもあった。一体全体なんだろうか。

勿論、私とZ家の小母が仲が良いわけではない。まともな会話も2005年に母が病気をしてから徐々にしたのでしかない。

 ちなみに、村で親戚関連の🚺女性が全部で3人が私に絡んだが、彼女らも、私と何とか接触をしたい節がみえた。(現在はいない)裏の住人も用事ができるとまってましたとばかりに飛んでくるときがあった。(親戚のボスは「隆政、あんまりくると、村の仕事をさせるぞといっておけ、そしたら来なくなるぞ」と言ったことがあった。)だが、彼女も方々で、私に関するデマをいいふらしている疑惑があった。

⑤Z家に恨みを抱いてたのは誰だろうか。Z家で恨みを買っていたのは誰だろうか。

多くの人はZ3の父を暗示している。旧美作町(現・美作市)で「火災」が異状に強調されていた。火災の権威は浜田稔東大名誉教授である。Z3の父と同姓同名である。ということは、旧美作町の一部、もしくは大勢の人が人間違い原因としてZ3の父を示唆していたことになる。

また、善良そうに思えたZ小父さんが原因ならば、小父さんの息子3人に被害が平等に及ぶはずであるが、Z3のみに限定されているように思える。理由は全く不明である。

⑥Z家敷地内にあったミナギさんが強調される謎がある。

それも駿台講師時代からの疑惑がある。何故なのかはさっぱり分からない。

大昔、Z家小母👵とミナギ家で確執(後には事件)があったと聞いているがZ家👵小母が皆木さんの娘さんの件で何を言ったのか一字一句正確に調べてもらいたい。

⑦Z家の次男・Z2が、私が西宮市教育委員会時代に住居を構えていた西宮市櫨塚町に移動したのは偶然であろうか。

また、後には近所(位田中田組合)の人(⛸秋田犬と似た名)が、その頃、私が務めていた場所に移動されたのは偶然であろうか。

その人が亡くなったとき香典を送付したが、ルートを追跡すると、湯郷郵便局(我が家の近く、安倍昭恵が2014年来訪の地)→津山郵便局Z3が2011年に故郷に戻ってから事務所を構えていた場所:Z家小母👵の実家がある場所)→尼崎郵便局(Z3が所帯を持っていた頃に住んでいた地:同時に津山にあった法務事務所と全く同名の法務事務所をZ3が尼崎にもおいていた地)→西宮郵便局(私が住んでいた西宮市枦塚町のすぐ近く:現在はZ3の兄・Z2が住んでいる地)となっていた。

香典を受け取った🚺は歩いてか自転車で、私の教え子が多数いる住宅から、西宮市枦塚町(櫨塚町:はぜづか)を通って西宮郵便局(阪神西宮駅の北側)に行くことになる

⑧2000年5月に(Z家の敷地内にあった)皆木家跡地の前に姫路40の🚖が止まってから、(私に対して)部落問題・女性問題・交通問題が強調されるが、何故であろうか

今、考えてもさっぱりわからない。

⑨人間違いがあったというのはZ3と私のみであろうか。

☠―Z3→間違えて🤡(ME=私)攻撃という直線ラインだろうか。それとも、☠→❓→Z3→🤡だろうか。

⑩我が家の住所番地の謎

我が家の所有地(位田646等)は父・浜田耕治と祖父・浜田良一名義の両方となっていた。

 646の家ですら敷地は良一、建物は耕治であった。私は家をつぐ意思はなかったので、登記簿変更は急いでいなかった。自由の身になれば、人間関係のややこしさや封建遺制の問題で相続放棄すら考えいたこともある。尤も、姉一人に全てを負わす気はなかったが。その他の問題(登記簿変更手続きの際に、関連親戚への手続き時の交通費・宿代問題等がないこと)もあり、名義変更にはうごいていなかった。

ところが、2020年頃、Z3(司法書士が仕事)から姉宛に営業か何かの電話で、登記簿変更をもちかけられた。Z3と私との悪化した関係で松本司法書士事務所経由で変更という話であったそうである。ややこしい経緯は省いて、結果のみを記す。

1)姉からZ3の話を聞くと同時に当希望変更関連書類が送付されてくる。

2)上記の趣旨を相続関連者に手紙での解説文を記す。書き終わると、即、中田組合長が我が家へ来て、親戚のボス(満伸:祖父の弟の家でその孫=満伸氏)が死亡したと連絡がある。2021年9月のことである。

3)同上解説文と書類を近所の従兄弟🚹明家の郵便うけに入れる(上記の翌日)。戻ってくると、即、姉から電話があり、🚹従兄弟A(明)が死亡したという。

4)何故か、登記簿変更終了の通知が来る。どうも、登記簿は私名義になったようである。すると、6月のある日コンクリートミキサー車多数我が家前で何かを暗示した。即、Z3(正典:住所は同一場所でも位田646、位田646-2、位田648-5を三つ使い分けていた家)が死亡した。翌日に組合長から連絡があったが、死亡日は暗示があった日であった。2022年6月のことである。

5)2022年7月8日。Z3のときに起こったの同様にコンクリートミキサー車多数我が家前で何かを暗示した。そこで、即、X.com (Twitter)にその趣旨を書いて投稿した。すると全く同じ時間安倍晋三銃撃事件が起こった。

これ以上のことは現時点では不明である。

【Z家と我が家の住所問題関連資料】

Z家の祖先は🤡(我が家の)祖先・浜田長蔵(1828?~1906)頃かそれ以前に我が家から分離

新一言№18:同一住所同一番地が二軒解決のため、我が家の祖先を調べる
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/2022/12/09/2103/

裏の家も同じ頃我が家からでているが全く別番地である。Z家・正典家のみが我が家の住所番地を使い続けた謎。
世界の首脳が→
⚔人権回復:(人間違い問題解決に向けて)同一住所番地二軒問題:私とZ3氏実名…での比較図
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=41102

⑪大物政治家と☠が絡んだ謎

上記⑩の5)は今回の(5)で少し触れるが、詳細は、拙著『日本のフィクサーME』関連で記すことになる。

⑪駿台事件の真相は村真相編と密接に結びついている。ただし、書いても無駄が🎃オジョウの最後の言葉。

村問題の中でも、もっとも大きな問題は我が家の住所番地問題である。同時に、駿台真相編の大きなポイントであるZ家問題は、村真相編を書かねば不明問題がある。何故、今、分からぬかは想像のみで情報が不十分だからである。村真相編に入れば、世界の首脳などや、🎬映画説グループ…などから多数の情報がはいるからである。それらの情報抜きではこれ以上は書いても無駄である。

だが、🎃オジョウは、それすら書いても無駄という。何度も書いた会話である。

🎃「小渕総理に書留送ってどうなった」

🤡「小渕総理が死亡した」

🎃「同じことよ」とのことであった。

私も🎃オジョウの言うことが事実と思うことがあるが、何もしなければ老後破綻を逃れることはできないことも事実である。だが、しても無駄な可能性が高いという矛盾に置かれている。

 

 

(3)三つ目が、☠(映画説グループ以外の謎のXグループ)が絡んだと思わされているが、事実であろうか。

また☠(謎のXグループ)とは何であろうか。

更に、☠Xグループと👮警察の関係はどうなっているのであろうか。

昨日(2025/04/16)も、歯科から帰路、裏側の道を通り、マルイ商店側に行こうとすると、🚓パトカーの光が見えて、ややこしいこと(例:誕生寺行きがけに意味不明の尋問をされたこと、👮さんが2018年深夜23時半頃に大した用事もなく我が家の玄関をドアをあげるまで叩き回る…、2000年も同様である…)を言われても面倒なため、別の道を通った。すると、😹猫の死骸(死骸か生きているかは不明も、死んだような猫が)が道のど真ん中にあった。

駿台の辞職を余儀なくされる直前にも、道におびただしい猫や犬の死骸が放置されていた(駿台真相編7-D2で記載予定)、

なお、猫が強調されるときがあるが、猫とは一体なんであろうか。我が家でも近所でも猫を飼っている家はいなかったはずである。

だが、いっときは、少しでもドアをあけると猫が飛び込み弱ったときがあった。

今でも、猫の鳴き声や、姿をみることがある。だが、我が家界隈で猫を飼っている家はないはずである。

猫については特に意味はないのかもしれない。

ただし、謎のXグループが絡んでいるとしか思えない状態に長期置かれている。

謎のXグループの正体は未だに不明である。

同時に、謎のXグループと警察の関係も不明である。

駿台事件での駿台外での刑事犯罪事件の前には警察官が強調された謎がある。警察が絡んでいるようなのは事実としか思えないが、動機がさっぱりわからない。

真相解明は裁判所か国会審議を通じてしか不可能というのが私の一環した考えである。

 

現時点では警察官の関与は、映画説への協力を疑っている。


2025年5月17日、福武総一郎氏をテレビで見たことは既に記した。
すると、5月20日に湯郷派出所の回覧板が回ってくると同時に、近隣の🚺の声を契機に催眠状態となり(経緯は下記注のX.com参照)、私がチェックしていたベネッセ模試担当職員を調べさせられる。

(※注:X.com)
浜田隆政@Takamasa_Hamada
25-140-7【🥴催眠】本日、湯郷派出所回覧板と裏🚺の声を契機に、予定を無視され下記調査と記述を強要された。抗議する
2001/7/4 人をからかった電話を70分し続けたのは #ベネッセ 石井富彦である。
私に危害を加える指示した集団の調査を依頼
本格的な経緯や人名は #駿台 真相編等の後。割り込むな
午後10:26 · 2025年5月20日

https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1924819135797846385

その際に、過去の年賀状類を全部チェックすることになる。
すると、1997年8月27日付けの「同和火災海上保安株式会社」からの「支払通知書」があった。
1997年1月の交通事故のときのものである。
そこに記載されていた金額は「52,330…ヒロセ…、17,050 フクイヤスオ 5,500 イ)ホウカイ ハライン」であった。
結論から記す。
1987年岡山市庭瀬の大家の内容証明と正に類似形態のため、本物か、それともまたも、私の部屋に忍び込み改竄(かいざん)されたのかと1997年事故も同様の形態となっている。
次に、両方とも警察絡みであったことから、一連の事件と警察の関係が気になっている。
ありのまま記す。

この用紙について、記録、記憶、論理、駿台事件との比較からのデータのみを記す。
【記録確認】
重要事項は必ず記載している「日程一覧」にはこの葉書のデータの記載はない。
【記憶確認】私はこの用紙を見た覚えがない。
【論理照合】
私は、交通事故の後頃からずっと彼が保険金詐欺でもしたのかと今日まで一環して思っていたため、この用紙の件を知らなかったのは随分前からとなる。多分、交通事故直後からである。

理由は、私はヒロセ氏が携帯電話に夢中で、交通事故当時に車が当たったのにも気づかず、車をカーブに止めた状態のままであり、玉突き衝突を警戒して、彼のドアをノックし、車移動を呼びかけ漸く彼が車の接触事故に気づいた状態であった。
それにも拘わらず、事故からかなりしてから、むち打ち症状がでたと本人から電話があったことなどからである。これが保険金詐欺疑惑を持った理由であった。
なお、彼の会社が破産宣言をしたころ、インタネットで偽装破産と引くと、真っ先に広瀬…という人の該当本がでたため、尚更、世界の首脳か誰かが情報提供かと思ったくらいである。

だが、上記金額となると、これは常識の範囲内の金額となっている。もし、この用紙を見ていたならば、彼を保険金詐欺と思うことは一切なかったからである。
そこで、当時の記憶と上記データとの論理矛盾が起こっている。

【比較分析】
駿台事件と能開事件は駿台事件に10(年)を足した形で起こっていることは既に記した。
1987年末に大家がアパートを出てくれで、言い合いとなっていた。他方、1987年末は各種刑事犯罪被害に見舞われ、私が駿台に内容証明を送付した年である。体重は55kgまでになっていた。

ポリテクカレッジ岡山の方も、1997年に森脇課長の契約違反疑惑、専任詐欺発覚事件、体当たり学生登場(実際には部外者の人間による不法侵入、業務妨害事件)が起こり…ドクターストップがかかり辞職に追い込まれていく。そのときの体重は55kgであった。
ちなみに、本日の体重が68.5kgである。

次に駿台事件をまとめていたときに、催眠指示で当時の資料を見ていると、見たことがない大家の内容証明がでてきた。私がこの文書は改竄された疑惑を持っている根拠を前回の駿台真相編07-D2で記している。
今回も先の如く、催眠でベネッセ関係を調べていると「同和火災」の上記通知書問題がでてきた。改竄か、誰かが最近いれたのかと、駿台時の大家の内容証明同様に、私が疑っている。

安倍晋三氏がトランプ大統領のノーベル賞推薦状が事実か否かと問われて、彼が「事実ではないとは言っていない」と言ったように、私もこの両方の書類が「事実ではないとは言っていない」という記述をしておく。ただし、両方とも相似形となっている。時期も、調べよ型催眠も同様である。

更に、両方とも警察絡みを臭わされてもいる。
大家の方は、翌1988年に兵庫県の千年家から自転車で戻っている途中で絡まれたときの警察官に見えた人物の横の女性の声が大家そっくりであったことも前回記した。真偽はともかく、庭瀬アパート不法侵入事件、庭瀬アパート天井からの薬落とし時間などで、警察官が臭わされていた。更に、駿台での刑事犯罪被害は、1987年夏頃に、二階の住人の部屋に泥棒が入ったとパトカーが来た直後から開始してもいる。

広瀬健二氏は1997年1月13日の交通事故の相手である。事件模様は下記Blog参照(※注3)。
この事故の直後にポリテクカレッジ岡山に出講した。
そのときに事故のはなしをした。相手は早大先輩の足守先生と鎌田先生であった。
このときの会話模様は随所で紹介したが、再度、再現しておく。
私「今日、無茶苦茶な事故に遭遇させられた。カーブに車が三台駐車しており、徐行目的で走っていた私が加害者にされた。それもおかしなことがあった。ブレーキをかけるととまる位置がずれすぎている。事故のときも、学校にくるときも。それでも、確実に車はぶつかる前に止まったと思った。しかし、止まった車が自動操縦されているが如くに動いてコツンと当たった」

足守先生(笑いながら)「そうだろう。そうだろう。そういうことなんだ」
蒲田先生(笑いながら)「先生、水俣へいかれたでしょう。そのとき天草で財布をなくされたでしょう。どなたが見つけましたか」
私「お巡りさんです」
蒲田先生(笑いながら)「同じことですがな。その内訂正がきます」ときっぱりと言い切った謎があった。
蒲田先生は、恰も、警察官が催眠や各種工作に加担した事故を臭わされた。ちなみに、蒲田先生は家裁調査官でもあった。


駿台事件のピークも、大阪の迄、警察官の服を着た二人組にいきなり両腕をつかまれ、どこかに連れ去られようとした事件が駿台に内容証明を送る決めてとなっていた。そのときに、無事だったのは、私が大声で「みなさん、こちらをみてください。この二人が理由もなく、私を拉致しかけています。(警察を呼んでくださいと言ったかもしれない)」と叫んだ。大阪の中津駅から歩いて梅田に行く途中であったため、人が遠方に何人かいた。彼らが振り向くと、この二人は走って逃げた。
このときの、私の大声と同じ声で、ほぼ同じ内容を1988年に兵庫の千年家から戻る途中で大家そっくりの女性が叫んだのである。


両書類の真偽はともかく、余りにも、駿台事件と相似形となっていることを強調しておく。そして、両者ともに警察官が絡んでいた。


警察官との絡みは後日、『日本のフィクサーME』で記すであろう。妨害や催眠がなければ、私の救済依頼で今度は国会議員や政府関係者に直に会う予定でいる。もし、そのときに私の全体的被害が取り上げられれば、警察関係者のおかしな問題も、国会や裁判所で公になることを願っている。


警察官絡みの事件の羅列だけをしておく。
1987年庭瀬アパートに警察官が泥棒がきたといってくる。直後から私のアパートでの刑事犯罪被害が開始する。

1987年末警察官の服を着た人間に白昼拉致されかける

1994年車への悪戯と警察官への届け時の異常(88年1月前後の車アンテナ盗難との対比)

1997年交通事故(蒲田先生などが暗に警察官の犯行と臭わされた)

1997年その後歩行者専用道路で単車にぶつけられたり、自転車にぶつけられる事件が相次ぐ。その延長で、6月6日歩行者専用道路をジグザグ運転していた単車を撮影。
写真を撮ったが処理が面倒なので、届出をしない予定でいた。
ところが、届けるまで狙ってやるの如く、自転車に徹底的に狙われる。記憶では一日で10回狙われている。全て女性であり、私には婦人警官に見えて仕方がなかった。
その結果、やむなく、1997年7月30日に岡山東署へ(西署に行けと言われ)、7月31日に啓発を兼ねた文書とともに岡山西署に届けさせられている。
その直後から、歩行者専用道路で自転車に狙われることはなくなった。

岡山で自転車に狙われたときの模様は年度は違うが、確か、東京法律事務所宛に暑中見舞いか年賀状で書いたことがあると思う。

同時に、1997年6月6日に撮影した写真を見ると危険運転をしている単車の付近の人の一部はクスクス笑っているように見える写真が入っていた。恰もヤラセの如くに。

なお、無理矢理交通問題関連に巻き込まれかけたがの1990年代前半である。その頃は第二次交通戦争と言われ、交通事故死者数は1万人を遙かに超えていた。私が差交通問題関連の催眠や挑発から解除された頃は交通事故の死者数は3千人台程度になっていた。
はっきり言えば偶然ではなかろう。世界遺産、ノーベル賞、東京五輪誘致賛成(石原慎太郎氏が神風が吹いた。即、五輪決定)…と。

 

四つ目は、さ催眠類が多数使用されており、これでは生活は実質的に不可能な状態になっている問題がある。

 

 

五つ目には安倍晋三氏など政治家が絡んできた疑惑である。特に、催眠類に関与し、私を悪用して各種利権を得ている疑惑が随時している。

この件は、『日本のフィクサーMEの世界』で取り上げることになる。そこで、駿台真相編では省略をする。

駿台真相編は今回で打ちきり、この続きは「日本のフィクサーME・Part 3」の第4章からPart 5の世界で記すことになる。

というのも、2013年から安倍晋三氏が村に絡んできたとしかおもえない。そして、何故か安倍晋三氏が、駿台事件をZ3を通して蒸し返してきたのである。

また、「部落問題」の印象操作がなされている気配があるがさっぱり意味不明である。気のせいではないように思えるが、何が何かさっぱりわからない。

総論として、私が良く言う言葉がある。

「もし、アインシュタインが生きていて、私の立場ならば、何故危害を受けるかは彼とて解けぬ難問であろう。」

同時に「このままでは死ぬまで、何が何やらさっぱり分からないであろう」である。

映画説としてすら、私が何度も言った「筋書きのないドタバタ劇以外の映画説はなりたたない」である。ところが、山田洋次監督が「どんな映画やドラマにも筋書きがある」と言う。だが、40年経っても一切筋書きはわからない。

山田洋次氏の言葉よりも、友人とも親友とも言える神田高弁護士が1998年に言った言葉の方がはるかに妥当性がある。

「浜田さんさー、何が何やらさっぱりわからないでしょう。ハハハハハハ」である。正に然りである。

さっぱり意味がわからない。現況では死ぬまで絶対に意味は分からないであろう。

東洋ホテルの温度問題よりも、被害を受ける原因は更に謎である。糸口すらみつからない。


《◇―4》日本のフィクサーMEの世界へ


※(2025/04/17)😹もっとも、「ねこやなぎ」は猫ではなく花である。先日、ふとこの花を調べると「こわくない花」が強調されていた。ところが、本日調べると、その解説はほとんどなくなっていた。それでも、やや近い解説として以下があった。

※※※※※※

ネコヤナギの花言葉には、「自由」「思いのまま」「開放的」「率直」「自由な心」「気まま」「親切」「努力が報われる」などがあります。…

ネコヤナギの花言葉には怖い意味がある?

ネコヤナギの花言葉には、一般的に怖い意味はありません。むしろ、「自由」や「開放的」といった前向きで明るい意味合いの言葉が多いです。……

Green Snap STORE 2024/7/9

【ネコヤナギの花言葉】怖い意味はある?花の特徴や由来は?https://greensnap.co.jp/columns/pussy_willow_language

※※※※※

はっきりと記せば、「ネコヤナギ」は私と🎃オジョウしかしらない、暗号の意味をもっている花である。1122、次に1212、同時に、「怖くない…」はオジョウと私しか知らない暗号であった。この問題はもう少し様子を見てからしるすことにする。

以上が、まだ解明されていない三点である。

ただしX(ラージX)をx(スモールx) に置き換えることまでは可能である。

Xの筋書きでx(多分、Z3)との人間違いがあった。だが、私はZ3ではなく、Z3が何も解説しないため、xも解は出るわけがない。

Z3が何をしたのか、Z3に恨みを持つ人間がいるならば犯行声明を出せと何度いっても無期である。

理解が困難な形の手段での被害よりも、何故被害を受けるのかの方が大問題であると同時に、全く被害を受ける原因が分からないという段階のまま月日はどんどん流れている。このままで死を待つ家で死ぬだけであろう。何が何やらさっぱり分からないままで。

ともかく、駿台外との刑事犯罪とペア(共犯)で駿台内でも行った以上、駿台管理職には管理責任がある。さらに、後に述べる資料編でも、…理事長自身の関与…という印象操作か、情報提供がある。また、駿台講師室係🚺NMの犯罪の可能性があり、その犯罪は駿台校舎内でおこなわれた以上、大滝部長が言う「自分で警察に…」は無責任すぎる。管理責任の放棄でしかない。さらに、駿台講師室係🚺YKも犯罪に絡んでいた告発型情報提供がある。真偽不明であるが、この両者は明白に犯罪に関与していた疑惑が高い。駿台職員…により、駿台校舎内で、駿台の勤務時間中である以上、駿台に最低でも管理責任上調査義務がある。おまけに、駿台内での授業・営業妨害を意図してなされた疑惑が高いこともある。再度、駿台に調査を依頼する予定でいる。

勿論、裁判所や国会で正々堂々と行うことは更に望ましい。

 

2021/06/16 6:25 記述

駿台講師時代の結論は🚺女性問題から各種🚺女性が参入したのではなく、Xか?に依頼された🚺女性陣が各種工作をし、刑事犯罪被害に加担したである。
そして🚺女性陣が加担する際には大義名分があったと推定されるが、その大義名分の相手は私ではなく、某人物であり、人間違いとなる。
私のprofile類を今後整理すれば、人間違いが明確になろう。

私は筋書のないドタバタ劇と考え、人生を諦めたが、世界の指導者が筋書のないドラマではなく筋書があり、人間違いというならば、一応、書いておこうかでしかない。私には他にすべきことが山積している。

何故、無理矢理、私に駿台講師室係🚺NMに熱をあげさせたのか、また、🚺NMに手紙を一度だせば、そして私の方が断られたならば、どうして40年近く被害に遭い続けるのか、サッパリ分からない。40年考えても何一つ分からない。このままでは死ぬまでわからないであろう。だが、このままでは🚺NMに絡められて老後破綻へまっしぐらである


この後の中心は「ポリテクカレッジ岡山時代に受けた危害」である。

第二幕・岡短時代の学生Sの真相と今後の「機構」問題(第三編)文藝春秋

(1)九七年無法学生Rと体当たり学生Sは、実は、学生ではなく教師であった。     (通常説若しくは現実の世の映画説)
九七年体当たり学生SとR事件を、映画説から振り返り解説をする。
第三編で、登場した体当たり学生Sは何者か。これも映画説では全く信じられない人物となる。私の仮説では、体当たり学生Sは、実は学生ではなく、教師だったとなる。即ち、現場で学生に手を焼いていた教師が、私(浜田先生)ならば、そうした学生をどう裁くかを、私から学ぶために敢えてやった芝居だと分析している。若しくは、教師でないとすれば、教師志望の大学生か大学院生である。
その根拠は、一九八八年に東京に相談に行った時に、弁護士の神田君がふと漏らした話である。「浜田さんさ~、最近では大学院生でも、教師に体当たりする人がいるんだって」、と。次に、私と学生Sが言い合っているのを、第三編に記した如く、事務室の奥の会議室に類似した部屋で、何人もの人(当時ですら多分教師と想像した人達)が見学していた気配があったからである。この学生Sの前の、Rも同様である。Rも、高校か中学校で生徒に手を焼いており、生徒にどのように対応したらよいかのヒントをえるため、被害者教師が生徒にされたことを逆に私に実験したとなる。そうした実験は随所に見られた。授業中に帽子をかぶったらどうなるか、どうしたらよいか。こうした実験が、特に九七年は集中した。これが映画説から見た回答である。
なお、この前後に当時中学校校長をしていたITさんが、私に、「兵庫県で面白い仕事があるぞ。ただ現場の中学校などに出向き、各教師の授業などを見学しコメントするだけで良い」という話を雑談風にした事がある。即ち、学生ではなく教師を教える、若しくは指導する仕事を、と。よって、この仮説にたてば、現場の中学生・高校性を岡短に山ほどいれると同時に、その学校に関係した教師を何人か岡短に放り込んだとなる。そして、私に突っかかってきた学生R、Sは、実は逆で、現場で生徒に手を焼いている教師の方であったとなる。自分が生徒にやられたのと同様なことを私にしたのではないか、と、辞職一~二年目から疑っている。
だが、その種の仕事を私がする場合には、正当な労働契約の下で、大学の教育学部などに籍を置き正々堂々と、学生(若しくは若い教師)に、正当な賃金などの報酬を前提にするものである。依って、数年前から、筋を通させるため、幾つかの大学の教育学部教授・准教授の公募に応募している。卑怯な手でやられると、こちらは永久に金が入らない。

(2)九七年無法学生RとSは両方とも私の友人教師であった(永久の世の映画説)。
永久の世の映画説の視点からは、別の回答もでる。学生Rは私の大学時代の先輩SNさんである。雰囲気が似ていたのみか、この後、ITさんによれば先輩SNさんは死亡したと言っていた。
学生Sの方は先輩かつ友人IT氏である。Sの名字とITさんの実家の字(あざ)名が全く同一であり、SとITさんの雰囲気が少し似ていた。おまけにITさんも訳の分からぬことを私に言いだし、私と現在疎遠となっている。
訳の分からぬこととは、食堂で彼の奢(おご)りで海老(えび)の唐揚げか天麩羅を頼むと、急に「お前はかしわ(鶏肉)を頼んだ」と急に怒り出した。何度も、鶏ではなく海老であると言っても通用しない。手の打ちようがなかった。幸い、店員さんが伝票を見て、「海老」と言ったので問題は解決した。彼とは四〇年のつきあいであるが、過去そんな態度は一度もなかった。勿論、昔は、万一海老と鶏肉を間違えて頼んで、彼も私も食べられなくても、愚痴は言っても怒りはしない。両者とも金が余りなかった頃でさえ。ましてや、この頃は某小学校の校長で年収が一千万円近くあったのだから(おまけに奥さんの年収も同程度あり、大きな家と多数の田畑も持っているのだから。)
要するに、体当たり学生Sと同様に無茶苦茶を言ったということである。恰も、学生Sは私(ITさん)が化けていたのだ、と。「このように、無茶苦茶を岡短でも、ワシがやったのだ」、と。「見本を見せたので、これで分かったか」、と。
そしてMK課長は、東京時代の友人(自称東大法卒・現在弁護士の)TK氏となる。神田君(相談した弁護士)が暗に臭わしてもいた。岡短の相談に行った時に、やたらとTKさんの名前を出していた。そう言えば、MK課長登場の前年頃に、TK氏が私と袂(たもと)を分かつため、疎遠な振りを急にしてきだしたこともある。平均して二~三年に一度会っていたのが、MK課長登場の一九九七年以降一度も会っていない。
人物変身説のみは、第二命題の世界のため、第一命題では裁けない。だが、MK課長、学生RやSが、私の友人らと同一かどうかとは無関係に、学内で不法行為をすれば、第一命題により、その裁きを受けなければならない。その場合には、学校が現実の世の映画説に関与したとしての、あるいは、映画説抜きで現実の世としての私への責任問題が生じてくる。永久の世の映画説でも、現実の世のルールに反することは、序幕で記したように、第一命題において処理されなければならない。
岡短学生の代わりに、他大学の学生や(例えば現役)生徒を私に無断で入れ替える等も、当然契約違反をしたことになる。労働強化などによる、私への被害として、「機構」は私に償いをしなければならない。
岡短で受けた被害は、第一命題の分野のため、第一命題のルールに従い、後始末が不可欠である。よって、「岡短」・「機構」に損害賠償を求めたのである。そして、(3)の如く、必ず、決着はつくとしか分析できない。

(3)倉敷市での労基法違反予告(映画説)。
映画説ならば、大半以降の流れは予告されていた。岡短問題も、実は、一九八一年に暗示(予告)されていた。一九八一年に、東京から岡山へ帰って一年目に、倉敷英数学館という予備校でバイトをしていたが、労基法違反で苦しめられた。そこで、倉敷労働基準監督署に救済を求めると、被害にあった私の方が逆に叱られたような感じとなった。つまり、倉敷英数学館問題は、後に大変な労基法違反に見舞われ、かつ倉敷労働基準監督署にみられたように、簡単には解決しないぞという予告であった。若しくは、労働基準監督署に関係した所で労基法違反を受けるという予告だったのかもしれない。この予備校と倉敷労働基準監督署が、今考えると、後の(旧労働省所管の)岡短の労基法違反を〝正に〟暗示(予告)していた。実際、岡短と倉敷英数学館の労基法違反は同一にみえて仕方がない。因みに、岡短の所在地も倉敷市である。なお、私が一九九七年一月に不可思議な自動車事故にあった場所は、倉敷市とは無関係な実家近くであるが、地名は下倉敷である。そして一九九七年度に同校の辞職となる。更に、九七年末に、母が我が家の蔵(=倉)を壊してもいる。そこで、これから述べる同館の話は、岡短問題の本質を知る上で良く覚えておいてほしい。では、岡短問題の参考までに、『恐るべき労基法・二〇〇四年版』から、倉敷英数学館の労基法違反の事例を引用する。(一部誤字脱字等訂正・修正。)

……類似例は、場所も同じ倉敷にあった1981年度に勤務した倉敷英数学館という予備校で……。この予備校は最初の数箇月のみ賃金は決まった日に全額支払われていた。その後、賃金は遅延若しくは催促するまで支払われなくなった。
私が「△△月の賃金はいつでるのですか」
館長「もう一週間待ってください」
一週間後、私が「では賃金を支払ってください」
館長「もう一週間だけ待ってください」
その翌週、私「では賃金を支払ってください」
館長「先生、当面幾らおいりなのか言ってください」
そこで最初は本当の必要最低限だけを申告していた。だが、これを何箇月も繰り返されると、故意に嘘を言った。
数箇月後、
私「先月の賃金やそれ以前の賃金の残りと、今月の賃金を支払ってください」
館長「先生、とにかく今は最低必要な金額だけを言ってください」
私、「友人に借金をして困っているので○○円をください」
この時に、故意に友人に借金をして困っているなどの嘘を言った。本来は嘘を言わずに「私の必要な額ではなく、労基法24条に基づき契約した額を、契約した支払日に、毎回きっちり支払ってください」と言えば良かったのであるが、それでは全く通用しない予備校だったのである。(幾つかの点でポリテクカレッジ岡山と相当類似していた。)この頃は東京から岡山に戻った一年目であり、駿台予備学校に勤務する以前のため、金がなくて困っていた時である。と言っても、ポリテクカレッジ岡山時代に比べれば金はあったとなる。ポリテクカレッジ岡山の方が更に異常という事である。
ちなみに、友人のAD教師は頭に来て「金がないならば館長の奥さんの指輪をくれ」と主張して、持って帰ったと言っていた。事実かどうかは知らないが、本人が私にそう言ったことがある。なお、この件で倉敷労働基準監督署に電話をすると、横柄な態度で門前払いをされた。
監督署「では、賃金支給明細書などを持参してから来てください」
私「賃金支払明細書はでておりません」
監督署「では、他に何かないの!未払いを証明するものないの……」
とにかく、口調も横柄で頭に来て、電話を切ったことがある。万一映画説ならば、労基法違反が後にあっても、救いを求めても無駄という念押しをされた。若しくは労働基準監督署の敷居がもの凄く高く、官尊民卑の典型と威嚇された。要するに、相談した私が叱られたような雰囲気であった。
他の講師は当然辞めていった。館長は逆に助かっていた。講師の求人募集等は、新聞ですれば、幾らでも応募者がくる。そこで同様の事をする。すると大体一年でどんどん辞めてゆく。通常辞める時には、面倒なため訴訟までおこさず、賃金未払いのままで辞めてゆく。こうして人件費は浮く。しかも、教師志願者過剰時代で、教師側の供給量は多く困ることはない。この繰り返しで操業していた。1981年に、きっちりと倉敷労働基準監督署にこの予備校の件を相談したものの、逆に私を門前払いしたが、1981年以降にこの予備校で被害にあった人間とこの予備校のその後について調べてほしい。
被害の責任は、この予備校のみならず、少なくとも1981年以降は私が通報していた以上、倉敷労働基準監督署の職員にある。倉敷という土地は労基法違反のメッカである。これは偶然かもしれないが、(厚生)労働省の労働行政に関しては間違いなく弱者泣かせかつ怠慢だらけであることは、1981年度も、労働省所管のポリテクカレッジ岡山でも15年に亘り肌に染みこんだ事実である。
{拙著『恐るべき労基法違反・二〇〇四年版』(未公刊)より。}

だが、この予備校ですら、倒産後に債権者会議で、この世のルールに従い、最終的には精算というより清算をしている。「岡短」・「機構」もケリがつく可能性があるとなり、否、必ず同様以上に精算・清算をしてもらわなければならない。因みに、この予備校の八一年度の時給は三千円を超え、採点料や交通費は別途支給であった。岡短は、八三年度の時給が二二〇〇円で、交通費などは無支給であった。そして労基法違反の酷さは、この予備校以上であった。労働省所管で、「機構」(私が在職中は全て理事長は労働省事務次官の天下りのはず)運営の岡短で、このような事があるとは、現実なのだろうか。だが、第一命題の世界のため現実のルールでケリをつけなければならない。大変である。

 

 

 

 

2025年5月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA