新一言№18:同一住所同一番地が二軒解決のため、我が家の祖先を調べる:12/30実名に変更

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《◇―1・我が家の祖先・系譜》

【更新履歴】2022/12/09 3:34 下書公開。4:02微修正。

4:53通貨問題と住所二軒問題の関係分析を記載。

2022/12/09 16:54かなり修正して📢正式公開 17:19微修正.

2023/12/30 15:29~ 実数と実名に置き換え中(人命問題から緊急措置)


浜田武蔵(?~1784年天明 4):天明四辰年死亡とあり:我が家の平均寿命から推測すると元禄[1688~1703]から享保[1716-1735]にかけて生まれたのでは?


○?○


浜田重蔵(1768年[江戸・明和 5]?~1844年[天保15年])76才


浜田磯吉(1804年[江戸・享和4or文化元年]~1894年[明治27年])90才


浜田長蔵(1828[江戸・文政11]?~1906[明治39])78才

裏の家・U家の墓の名義は浜田長蔵となっている。我が家の墓の名義も同様である。
するとU家は浜田長蔵か磯吉、場合によれば重蔵の子供の子孫と思われる。亀吉以降ではない。
Z家はU家と同じ頃に分離した家である。亀吉以降では一切ない。

(曾祖父)浜田亀吉(1858[江戸・安政5]?~1939[昭和14年])81才

三人の娘と二人の息子を持つ。
亀吉の長男が私の祖父である。
ここからが、岡山県美作市位田●4●(→646)番地である。
次男の家をM家としよう。
M家若しくはM家の跡取りは、枝番号を打ち、位田●4●ー1(→646-1)としている。
なお、1985年に県道拡充の際に我が家の土地の一部を岡山県に売ったが、その番地の一つが位田●4●ー2(→646-2)である(のちにZ家が一度だけ電話帳に掲載した住所である)。

(祖父)浜田良一(1886[明治19]?~1967[昭和42年])81才

三人の息子と一人の娘をもつ。
良一の長男が私の父である。
娘が長姉であり、私の伯母に当たる。
訳あって長期に亘(わた)り、我が家の一部に住まわれていた。
(Z家も同様の形をとられていた)

祖父


(父)浜田耕治(1912[大正元年]?~1993[平成5年])81才

三人の娘と一人の息子をもつ。
浜田耕治の息子が私である。尚、娘三人はいずれも私の姉であるが、一人は幼くして死亡、一人は私が大学院時代に死亡となっている。しかし、大学院時代に死亡したとなっている姉は実は生きているのではないかと思うことがこの20年間多々ある。

父母と姉2人と私:写真はいずれもクリックで拡大

(私)浜田隆政(1952年[昭和27年]~)

 

私=2016年



《◇―2:Z家と我が家が同一住所・番地の謎》

 

裏の家・U家の墓の名義は浜田長蔵となっている。我が家の墓の名義も同様である。
するとU家は浜田長蔵か磯吉、場合によれば重蔵の子供の子孫と思われる。亀吉以降ではない。
Z家はU家と同じ頃に分離した家である。
少なくとも 浜田亀吉(1858[江戸・安政5]?~1939[昭和14年])以降の家では全くない。
ちなみに、U家は位田●4●(→646)とは全く無縁の番地となっている。最初の●(→6という百番目に該当する数値は5であり、5●1となっており数字全体)自体が違っている。するとZ家も全く違う番地のはずと推測される。
なお、我が組合12軒の内、最低でも8軒までが我が家から分離した家である。Z家(→浜田稔・正典家)以外は曾祖父の子の分家1軒が枝番号、残りの家の番地は枝番号ではなく、我が家と全く違う数値となっている。Z家(浜田稔・正典・千代子)は曾祖父より前の頃(まず江戸時代)に我が家の一部であったようである。
ここからもZ家は位田●4●(→646)とは全く違う番地と推測される。

Z家の跡取り(2022年6月死亡と一応なっている法律の専門家)Z3氏(→浜田正典氏)が言うには、昭和29年(1954年)に、Z3氏の母(→浜田千代子)が役場かどこかに戸籍を位田●4●(→646)で届けたそうである。
役場の方も、「その家は別に存在しますが、間違いないですか」などの確認をする義務があったのではなかろうか。
そこで、私の母は「役場のミスで同一住所が二軒できた」と私に解説をしていた。
それでは、1953年までのZ家(浜田稔・正典・千代子)の番地はどうなっていたのであろうか。
Z3氏(正典氏)の解説では「思ったよりも根が深い」のみであり、私にはちんぷんかんぷんである。
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第18回私文書公開:Z家側から我が家の番地を使用した理由の解説・2013年9月28日のメモ:
http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/activity/450/
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他の分家との関連から分析すると、どうも同一住所からの分離で番地を枝番号にしなかったという次元の問題では全くないと現時点では推測される。第一、壬申戸籍までは数字の番地などはないはずである。
現時点(2022/12/09 1:40)で、私に分かるのはそこまでである。
また、戸籍と現住所は同一にする必要はなく、何故、Z家が位田●4●(→646)を状況次第で使用するのかは全く不明である。

状況次第とは、Z家(→浜田稔・正典・千代子)の使用している住所表記を指す。
【位田●4■―5→648-5】
登記簿では位田●4■ー5である。
Z氏が家で司法書士をするときの住所も同様の位田●4■ー5→648-5)である。
美作市役所の2007年の地図に掲載されている住所も同様の位田●4■ー5(→648-5)である。
【位田●4●―2→646-2】
ところが2012年頃の電話帳には位田●4●ー2(→646-2)となっている。昔は紙の電話帳で確認したが、本日(2022/12/09)は電話帳ではなく「ネットの電話帳」で再確認したため、間違いはない。ただし、「浜田」の「浜」を「濱」とされているが同じことである。私の名字は正式には「濵田」であるが、活字のフォントにない時期があり、似た字として行政などは「濱田」とかつてに表記した時があった。略字が「浜田」である。いずれも同一である。実際にZ家も、それ以前(たとえば2007年)の電話帳などには浜田と記されている(本日確認)。

【位田●4●→646】(我が家の住所・番地)
更に、手紙などでは我が家の住所位田●4●(→646)を使用されているようである。
というのは何度かその住所でZ家あての郵便物・宅配・…がきたからである。また、Z3氏(→浜田正典)が死亡した(本当に死亡かどうかは不明)時には葬儀屋や霊柩(れいきゅう)車は我が家にきたからである。
葬儀屋には死亡届は位田●4●→646(我が家の住所・番地)でだしていたとのことであった

私は何が何か未だにさっぱり分からない。
美作市役所は同一住所からの分離のためそうなったを臭わせていたが、江戸時代の頃の話であり、そのころは番地はない。同時に、その頃の分家は、現在は枝番号ではなく、我が家の位田●4●→646とは全く違う数値の番地と現在はなっている。さらにZ家の小母さんが位田●4●→646で申請したというのが1954年となっている。
(→浜田千代子)これ以上のことは私には分からない。

《◇―3・Z3氏(→浜田正典氏)と私》

Z3氏(→浜田正典氏)と私は大変似ている。
年齢は一つ違い、小学校、中学校、高校は同一。大学は類似。
高校時代は身長・体重が同一。
学校のクラブも類似。
Z3氏は剣道部→テニス部。私はテニス部から柔道部。
部落問題関係だけが別である。私は併行して部落問題研究部や差別なき世のための活動をしていたが、彼は違う。そこだけが相違している。
母親も一つ違い。
共に従兄弟が同じ敷地内に住んでいた。
姫路に両者ともに従兄弟がいる。
尼崎に関係があるようであるが、私の尼崎の従兄弟の愛称とZ3氏の愛称が同一。
尼崎の従兄弟の父親の職業とZ3氏の父親の職業が同一。
Z3氏も尼崎に長期住んでいた(私は尼崎に住んだことはない)

《◇―4・Z家(→浜田稔・正典・千代子)と私・浜田隆政》

 

誰かが丁寧(ていねい)に解説するか、裁判にでもならないと、私は死ぬまで意味が分からないであろう。Z家に恨みも何もないが、元来、親しく付き合っていた時期の方が長いが、霊柩車や葬儀屋が我が家へ来たり、Z家の小母さん(→浜田千代子)が灯油を頼むと我が家に入っていたり…で参っているのである。

Z3氏が2011年末に家に戻ってからそれが激しくなり、その関係で人間関係に崩れがでたのみである。
2011年末のZ3氏(→浜田正典氏)と私の会話。
Z3氏「タカちゃん、僕、帰ってきた」
私「(田舎は人間関係が大変だぞ)正気か。よく帰ってきたな」
Z3氏「うんうん。タカちゃん、今度一緒に飲もう」であったが、住所問題でトラブル連続となりかなり関係が悪化した。

Z家のオバさん(→浜田千代子)との2008年か2007年以前の会話。
Z家の小母「隆政ちゃん、隆政ちゃん。」
私「何でしょうか」
Z小母「これから、息子(Z3氏の兄)の所に行ってきます。後をよろしく頼みます」
私「小母さん、ゆっくりしてきたら」
Z伯母「ありがとう。それでは後をお願いします。」
一番賢明な防犯活動は近所への声かけである。その意味では、この頃は健全な会話をしていたようである。特に、Z家の小父さんが死亡する2002年までは健全な関係にあったようである。もっとも、住所問題を除けばの話である。それでも2012年以降ほどのトラブルはなかったと記憶する。

《◇―5・今後》

 

このままでは、私には死ぬまで意味は分からないであろう。駿台講師時代及び以降のトラブルと同様にチンプンカンプンである。
長期(40年弱)危害に遭っているが何故斯様(かよう)な危害に遭(あ)うのか全く分からないのと同様である。
私も本年11月に古希を迎えたが、その内の半分は意味が全く不明なのである。
亡き友人は人間違いが原因と言い切ったが、誰との人間違いか、またどうして私が被害にあうのか…全く不明である。Z3氏との人間違いかどうかも全く不明である。

美作市役所に本年6月に相談したら、Z家の側から現住所変更は簡単であると聞いた。そこで我が家の住所番地で死亡届や処理をした葬儀屋にその趣旨を伝えた。しかし、Z家が住所を変えたかどうか不明のため、Z3氏(→浜田正典)の娘さんに手紙で現住所変更依頼を出そうと考えるや、トラブルが連続して起こる。

数例のみ記す。
Z3氏が死亡し彼の葬儀6/19の後で…住所問題の正常化を目指して6/20に美作市役所に相談に行ったが完全解決は無理であった。そこで、翌日(6/21)からこの問題に取り組みかけていた。具体的には以下である。
6/19=Z3氏(→浜田正典氏)の葬儀。
6/20=葬儀会館に我が家の住所番地を使用しないようにZ家に伝えるように依頼。
6/20=美作市役所に行き、住所問題の処理の相談。
6/21=雇用能力開発機構との立会人新免昌和氏(元美作町議会議員、元美作市議会議員)に住所問題の処理の相談。


ところが催眠と奇妙な挑発で動きを遮断される。
6/23=自動販売機と通貨問題に絡めての奇妙な挑発と激しい催眠が起こる。5円玉・10円玉・50円玉…という通貨問題は些細なため無視しようとしても執拗な激しい催眠で長々と独り言や文書書きで潰される。それも一日ではなく、何日にも亘る(催眠を含む)攻撃であった。同時にZ家の住所問題を脳裏から催眠などで消される。

その後も通貨問題のみならず、奇妙な挑発が続く。それも激しい形であった。催眠類を使用されると手のうちようがない勿論、刑事犯罪被害である。
安倍晋三暗殺事件に絡められ…
プリンター1台問題
🐭鼠5匹問題と🐭の押入布団へのオシッコ・糞問題で布団数十枚の日干しやシーツ洗濯、更に布団入れ購入などの作業。台所その他でもやられており、5部屋や廊下の大掃除や大量の食器洗い作業…。
その後は別のプリンター2台問題。
催眠での木を切り続ける行為…と膨大な木の後始末問題。
台所裏の自転車置き場挑発問題
義兄死亡

催眠大阪強要とトラブル連続…、で、まだ手紙をだせずにいる。
それ以上に、催眠ストップで金縛り状態にある。6/19と6/20の焦りが嘘のように動きを止(と)められている。

 

2015年に人間違い危害をふせぐため、私のHPのprofileを充実させようとするや被害連続にあったのと類似している。2019年の人間違い・住所問題対処時もそうであった。

通貨問題は住所二軒問題対策への🤡動きを止(と)めるためであったと分析された。通貨問題関係者の一部は事情を知らずに、?等に利用されただけであろう。

単細胞の私は、Z家(→浜田稔・正典・千代子家)と私が知っている情報をすべて出しあい、双方で協力して、同一住所番地二軒問題を何人かの立会人をつけて・ガラス張りで解決することが望ましいとしか思えない。
しかし、Z家ではあるまいが、あるまいと信ずるが、誰かが同一住所番地二軒問題を解決するのを妨害しているのである。何故なのかなどは、私にはさっぱり分からない。
ただし、世界が大半を見ていることだけが事実である。

この種の文書を書こうとするやZ家で…いつも何かが。だが、ガラス張り解決は我が家のみならず、長期的にはZ家にもプラスになると思うのである。

《関連資料》


明治4年(1871年)の戸籍法
明治5年(1872年)壬申戸籍
全国的な「番地」の制度としては、明治5年(1872)に始まった戸籍制度(壬申戸籍)の発足とともに発行された地券に地所特定の符号として付けられたのが最初だ。

江戸時代前期(1603年 – 1710年ごろ)
江戸時代中期 (1710年ごろ – 1790年ごろ)
江戸時代後期 (1790年ごろ – 1850年ごろ)
江戸時代末期(1850年ごろ – 1868年)

明治→1868年10月23日(明治元年9月8日)から1912年(明治45年)7月30日までの45年間
大正→1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日
昭和→1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日
平成→1989年(平成元年)1月8日から2019年(平成31年)4月30日まで。
令和→2019年(令和元年)5月1日から

宮本 武蔵(天正12年〈1584年〉? – 正保2年5月19日〈1645年6月13日)〉)

2023/12/30 15:41追記 浜田=濵田=濱田は全て同一である。

⚔人権回復:(人間違い問題解決に向けて)同一住所番地二軒問題:私(浜田隆政)とZ3氏(浜田正典)実名…での比較図https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=41102

https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=41102

2022年12月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA