写真残酷物語・真相編。
2020/10/22 19:51から下書で掲載。完全清書化後は公式ブログにも併行保存予定。20:33追記。
22:30 追記。
2020/10/24 1:37 写真プリントアウト時データ表PDF追記
2020/11/07 17:38 清書化作業: 20:33 一休止 22:44微修正
2020/11/08 17:45 正式公開 (誤字・脱字類は後で直す場合もあり)。今、微修正 18:19微修正。 19:44微修正
写真残酷物語を今回は別角度から掲載する。今回は、過去の科学の限界下での苦闘編である。科学史の記録を意図している。ただし、今回だけは文章が煩雑や罠類への解説文といういつもの形になっており、後日整理予定でいる。
【構成】
(1)近所・親戚の隆(たか)ちゃんと世界のミスター・ハマダのギャップが生んだ悲劇。
(2)写真請求額無料(ゼロ円)表示をしても揉(も)めた謎。
(3)写真(アナログ、デジタル転換)作成の技術的難易度。
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(1)近所・親戚の隆(タカ)ちゃんと世界のミスター・ハマダのギャップが生んだ悲劇。
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まず、(1)の問題を明確にしなければならない。
私が日本・世界を動かした部分がある。
同時に、政治家のみならず、各方面から諮問もある。
そして、それらがバーチャルの世界かと言えば、海外に行けば、軍隊が警備に当たったり、交通規制がほぼ全てで行われたりした。中国でも、アメリカでも、韓国でも、タイでも…である。よって、気のせいではあるまい。詳細は日本のフィクサーMEシリーズを参照してもらいたい。
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他方、我が家や親戚では、タカちゃん, meek and humbleである。温和な素朴なタカちゃんとでもしておこう。
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撮影、写真でも同様であり、親戚類は「よく撮れた…」である。だが、他方で、私の写真をも含む作品には全世界が注目をしている。
しかも、上記のための名誉問題のみか、長期無収入・無職のため、私をどこかで売るための採用試験の如(ごと)くと感ずることも多い。
すると、写真も含めておかしな物をつくると、私の商品価値が下がる。
その上、凝(こ)り性でもある。
絶対的事実として、写真、音楽ともに、さほどでもない私が世界に影響を与えたことも事実である。音楽は私が良いものを選ぶだけではなく、私が要望したものが一定の時期に登場することもある。カメラ・レンズ制作もときには同様である。
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また、プライベート写真は撮らぬという方針を1994年か95年から出していた。
しかし、催眠で撮らされるとどうしようもない。
撮った以上は、先のため、大変な労力を必要とされる。
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その上に、特殊事情がある。科学の発達の限界問題である。
その限界問題があっても、世界のミスター・ハマダの名から、ときには前人未踏(みとう)の技を生み出し、対応しなければならない。
そうした、次元は通常のカメラ屋さんとか写真屋さんでは未知の領域であり、誰も分からない。全員分からないかと言えば、そうではない三好和義氏ならば分かる。だから、彼に聞けといっても、どこかで通常の人に聞いて…で参る。私の言った通りにすること。
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この点は(3)で機種・スペック、撮影状況・レタッチ状況を記載しているため、三好和義氏ならば分かる。(アナログカメラでニコンにも詳しい、レンズにも詳しい、フィルムスキャナーにも詳しい、パソコンにも詳しい、レタッチソフトにも詳しい、エプソンのプリンター及びエプソンプリンター顔料の発達史にも詳しい、顔料インク黎明(れいめい)期の限界との闘い、色の知識も詳しい…。場合によれば用紙にも詳しいかもしれないが、用紙は奥が深いため不明である)。
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ISO 100のポジで極端なアンダーをデジタル救済する話…それもスマホのパワー以下のパワー不足のPCで、おまけに肌色がでなかったころの顔料プリンターで印刷をする。これを可能とするだけの知識は通常の人は持っていない。カメラ屋・写真屋さんはアナログ―アナログかデジタル―デジタルである。更に顔料プリンターの発達史を知らない。
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後に記す(3)を三好和義氏に聞けば即座に全貌(ぜんぼう)が分かる。だから、三好氏に聞けといっても無視し、どこかで…の知識を仕入れ…。
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そこで、(1)と(3)の問題から、ややこしいため一切しないか、万一するならば途方もない時間と労力をとられる。場合によれば家一軒をつくるが如(ごと)しである。これは、実際に処理したときの日記を公開しよう。それを読めばわかろう。
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よって、アナログ―デジタル仕上げなどは単価は通常の人はびっくりする。それも科学が未発達の中で、写真一枚48MB~62MB Tiffを、2005年当時のパソコンで処理するとなると大変なことである。今(2020年)の先端スマホの十分の一以下のパワーPC(RAM64~128MB時代の増設758MB)である。具体的スペックを後で記す。
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当然、私はそのようなことをする意思はない。
しかし、かなりの回数にわたり、罠(わな)や催眠でやらされた。それでも、金はトラブルになるため一切とれない。そこで、毎回、請求額はゼロ円と法的拘束力を持つ文書で明示をしている。
請求額ゼロ円のときには、当然、領収書・レシートは相手に渡さない。
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2005年撮影(2006年仕上げ)のときにも何度も請求額はゼロ円と表示(契約)をしている。2010年も同様である。ゼロ円表示をしている。
では何故(なぜ)、お礼どころか相手がいかるのか。常識的には、誰かのデマや印象操作に騙(だま)された以外には思いつかない。
だが、私は誰かではないため、何のことか分かるわけがない。簡単に言えばこれが全てである。
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(2)写真請求額無料(ゼロ円)表示をしても揉(も)めた謎。
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それでも、誰かのデマや印象操作について、幾つかの事例を記そう。デマを拡散している人間群は三群と想像している。悪質な首謀者X群、我が親愛なる狐(きつね)・狸(たぬき)群、そして、これらを真に受けて拡散している人物群である。
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私が記した正式な、法的効力がある無料(請求ゼロ円表示)を受け取った人が、関係者に見せなかった疑惑である。主な例は以下である。
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①2006年🚺従兄弟(いとこ)のお子さん宛文書で「無料」と明示(プロパティなどでは2006年2月上旬記述開始、3月1日清書の文書、手渡しは2006年4月8日神戸で🚺従兄弟に。2006年3月2日以降の修正・追記はプロパティチェックでは「なし」の文書)。ところが😡
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②2010年1月2日の🚹従兄弟の件も口頭と文書で「無料」と通達している。これらは法的効力をもつ内容である。請求額ゼロ円に該当する法的効力のある契約書である。ところが奥さんが😡。
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③(類似例)2010年1月3日の神社掃除。
私が当然行かなければならないが、母(当時、90才こえて、脳梗塞、心不全、認知症、骨粗鬆症を患っている母)の件で、該当日に行くのは不可能であった。だが、次期組合長が勘違いしていかぬように、我が家から何度も「私は行けないが、●●さんも行く必要がない。何故(なぜ)ならば私が当番だから。しかも、私は一回程度休んでも問題ない回数の神社掃除に行っている」と言い続けた。
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我が家の言動を聞いた振りをしている人が多いため、この言動も聞こえただろうと思った。しかし、念のために口頭でも伝言に行こうと2009年末に思った。そのときに、●●さんの奥さんらしい人が自動販売機で飲物を買っていた。
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我が家から窓に向かい、大きな声で同上をいった。すると相手(奥さん?=遠方のため顔の確認は厳密にはできていない)は分かったと言わんばかりに車のホーンを二度ならした。通じたと思ったので敢(あ)えて連絡に行かなかった。すると旦那が😡。
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もっとも③は「だろう」でありノーカウントであるが、①と②は契約書・請求書に該当するものへの明記である。(ワープロ文であっても私が否定しない限り)法的効力をもつ絶対的文書である。そして、私は一度も否定していない。その逆のみである。既に請求ゼロと書いただろうと、何度言ったことか。
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なお、このときに伝えなかったのはXグループではない。下記の狐(きつね)類である。
だが、この狐(きつね)類の確信犯的事項をXグループが勘違いをし、デマを拡散したようである。また、①については我が母・狸(たぬき)婆(ばばあ)が絡んでいる。
狸と狐…でも法的効力を持つ文書が全て(自筆ではないが、私が否定しない限り法的効力は持つ。相手にはきっちりと事前に渡している。)要するに、無料と明示をした法的効力のある文書をつけて写真を贈呈しても、相手の中の誰かが怒っているのである。
さらに、参考までに言えば、▽▽は私の妹ではなく姉である。経済的問題も踏まえてどちらが強い立場にあるか…考えればわかろうに。狐の一人である。
▽
○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1307845376594989056?s=20
https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1307845376594989056?s=20
○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1317794625273253891?s=20
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以下、当時の契約書該当のコピー添付する。
①事例―1・2005年撮影(2006年4月頃添付文)
恐らく、🚺♀従兄弟(いとこ)経由で従兄弟のお子さん(結婚式撮影時の新郎)が所有と思う。その中の文書に無料と明示した法的効力のある文書がある。文書の最初に明記(法的効力をもつ)。
この文書は2006年春頃🚺従兄弟手渡し文書(従兄弟が所有していないならば従兄弟の子が今でも持っていると思う。)今からでも、息子さんにきかれれば、息子さんが保存されていると思うので確認できるであろう。該当箇所のみ今回添付しておく。
▽
勿論、この件では他でも請求は一切していない。写真代金も一円ももらってもいない。
🚺従兄弟にも、それ以前にも手紙で無料の明示をしていたと思うが、当時の手紙をまだ調べていない(今、簡単に見た範囲では見当たらないが、詳細は不明。)。しかし、2006年4月に(まず、2006年4月8日だと思う。神戸で)渡した文書が全てでもある。🚺従兄弟に手渡している。保存は従兄弟の長男と想像する。
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(クリックで拡大)
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文書の最後に再度記述(法的効力を持つ:自筆ではないが、私が否定せぬ限り効力あり)
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事例―2・(2009年撮影:2010年1月2日手渡し)は男性(🚹)従兄弟に「無料」と口頭と文書で渡したが、その妻にみせなかった可能性が高い。
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2010年1月2日に従兄弟(🚹男性)に文書手渡しと口頭の両方で伝える。
なお、この文書(赤字は右の理由で2010年1月9日。その他の文書は2010年1月1日記述し、1月2日に従兄弟に手渡し)を従兄弟の奥さんがみていない感じがしたため、姉などに送付。同時に赤字の部分をつけて我が家の階段に2010年1月9日から数年間、常時掲示していた。
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2009年組合長と村の集会所の管理をした。前者は丁寧に出納簿(すいとうぼ)のみか、領収書、納品書、レシートをとった。後者は一切しなかった。理由は前者は組合の収入で支出をする(一部の自腹を除けば)。後者は、面倒なので、全て自腹と決めていた。そこで集会所のノートには、「支出なし」のみ明記し、領収書、レシート類は添付していない。(もっとも大きな修理となれば別であるが)。同様に、村アルバムも誰にも請求しないため経費が幾らかを詳細に記載していないし、人にも見せていない。
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同様に、これらの写真代も、請求額ゼロのため領収書、レシートはつけることはできない。
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なお、母や姉は別であるため、1997年姉に請求するときですら、詳細な明細、更には私の方でレシート、領収書、納品書はとっている。だが、姉のため、レシート・納品書はつけずに、詳細な項目別出費明細のみで請求書をだしている。他の人ならば請求時には見積もり、請求書、組合ノートと同様にレシート・納品書・領収書添付(最低でもそのコピーの添付)となる。だが請求ゼロのため、領収書やレシートはつけない。そこをついて策動されたのであろう。
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だが、これらの文書は私が書いたことを私が否定しない限り、ワープロ文でも法的効力のある文書である。私は一切下記文書の否定はしていない。その逆であり、請求ゼロと書いたはずと何度も言っている。
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想像では第一の事例では、🚺(女性)従兄弟の子がいとこにみせなかったのかもしれない。第二の事例では🚹(男性)従兄弟の夫がその妻にみせなかったのかもしれない。
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だが、それは両家庭の問題であり、私は無料と何度も言っているし、文書で正式に写真贈呈時に渡している。いずれも、私が否定しない限り、法的効力を持つ。そして、私は否定は一度もしていない。
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(3)写真(アナログ、デジタル転換)作成の技術的難易度。
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この(3)では詳細器財・スペック、撮影状況、使用フィルム、処理データ、顔料インク限界で全て(オートファインではなく)マニュアル設定、PCのパワー問題から四枚組ならば浮世絵方式仕上げ(四枚一度印刷は不可能でマージン問題)、…(結婚式で三脚ストロボなし・手振れ防止なし・暗いレンズ…)Astia 100等の超アンダーをデジタル救済試みでもカラーバランス乱れの処理技法問題…を今回はデータ面の数値中心に記そう。
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今回は、ともかく、データのみを記載し、後は、パソコンが今のスマホ以下のパワーのときに、アナログからデジタルを処理した日記のみ掲載しよう。「私的ブログ」ではなく「安らぎブログ」掲載は、科学の流れを見る歴史の記録としてである。そこで、安らぎ文庫では、苦情類や愚痴類は書くまい
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ここでの目的は科学限界と発達史の歴史の記録としたい。今と異なり、2005年頃のアナログからデジタル、それも写真一枚48MB~62 MB (8bit Tiff)と顔料プリンター黎明(れいめい)期印刷の作業は凄(すさ)まじかったことが分かろう。今の先端スマホ十分の一のパワーのパソコン作業である。それもポジISO 100完全アンダーを蘇(よみがえ)らせる作業である。ここだけを今回は強調する文書に後日する。後は、請求書でゼロである以上、コメントは本来不必要であった。目がねの話は本題をそらす罠(わな)だったのであろう。請求書、領収書が全てである。
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なお、他の人が何故(なぜ)か。既に記述の如(ごと)く、我が母は狸(たぬき)婆(ばばあ)、信用できる親戚の悪戯(いたずら)?類は確信犯であり、私は彼ら・彼女らを狐(きつね)と記載しているはずである。いずれも、多分、確信犯であろう。目的は現時点では不明である。
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以下、2005年の撮影状況とデータを記載。
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(撮影状況)披露宴で暗いが、通常の場所よりは少し明るいが当然暗い。遠方からの一部のみ、ストロボキャップなどで(diffuseer は使用したかどうかは覚えていない。2009年からか)など何かの工夫をして、ごく例外的にストロボ使用。原則ストロボ無し。腕を机などで固定しての撮影など。ケーキ入刀などは全てストロボ未使用。三脚なし。
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(1)カメラ:ニコン F5、F90X、F401Xで、SB-28を持参も原則としてストロボ使用せず。三脚使用は使用せず→撮影予定なかったため三脚は持参せず。
(2) フィルムはAsita 100(RAP F) とProvia 100 F (RDP Ⅲ) 中心。別に保険撮影でプロ400N(ネガ)。合計4~5本。
(3) レンズ ニコンAf 18-35 (f3.5-4.5)、Af28-35 (f3.5-4.5)、ED (f4-5.6) 、タムロンマクロ90(f2.8) いずれも手振れ防止なし。
(4) スキャナーNikon Coolscan Ⅴ ED
(5) プリンター エプソン PX-G920 (肌色が弱い顔料、PX-G系インク):プリントはオートファインではなく、全てモニターに一切反映されないマニュアル設定でのプリント。
試し刷り超多数となる。
(6) PC (2002年12月7日購入)
①OS= Windows XP HOME EDITION
②CPU= Pen4 2.53GHz
③RAM= DDR SDRAM 256MB +512MB増設=合計768MB(256MBが1万円)
④HDD= 120GB (5400rpm)
⑤CD= DVD+RW/+R
⑥TVチューナー→ハード対応:+DVD編集キット
⑦その他→光オーディオ端子、TV出力端子、USB2×4、PCIスロット等
⑧モニター= 17型液晶(SXGA)=オプション(62000円)
⑨4年本体保証+ピックアップサービス(オプション)=9000円
⑩その他備品= キーボードカバー、USBケーブル
●合計 233800円+送料3000円+消費税11,840円=248640円
ビデオメモリー(V-Ram)はなし。
デジタル転換。様子見が8MB (Tiff)、本格が48-62MB (Tiff):各8bit仕上げ(PCの限界から16bit仕上げは無理)。
(撮影結果)相当なアンダーでアナログアナログ仕上げでは無理なものが多数。
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デジタル変換時→Degital ICE以外に、極端なアンダーに対して、Degital RockとDegital Gemを効かせ、古いフィルム復元型で処理。
当然、カラーバランス問題があり、レタッチで誤魔化(ごまか)す。Digital Gem, Digtal Rock未使用粒状性時はレタッチの後各種線入れ実験。
プリントはメモリー不足からA4で4枚プリントならば用紙を四回入れての浮世絵型で仕上げ。当然マージンミスが続発。写真二枚でもメモリ不足から同時のプリントは不可能。
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(7) レタッチソフトはAdobe photoshop element他3~4種使用。
デジタル化、プリント化に及び、業者RPプリントとネガレーザープリントを主な物は依頼し、それを参考に自分でデジタル及びレタッチとプリント。
RPではアンダー過ぎ無理なものがかなりあり。無理に明るくしてもカラーバランスの乱れが相当でる。要するにアナログ仕上げでは無理な露出写真がかなりあった。
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何度ものレイアウトではPM-3300Cを使用し、色調整ではPM930Cを使用して肌色などをだし、それを参考にしてPX=G920で再度印刷仕上げをはかる。
PX-G920はオートファインは一切使用せず(使用しても肌色などで無理があり、)全てマニュアル設定で使用のためモニターには変化は反映されず。数値と私の脳でのシミュレーションのみで調整を行う。勿論、試し刷りは超多数となる。
周知の如く2005年頃の染料インクでは耐オゾン性のみか、光に弱い。水にも弱い。しかし、PX-G920では肌色はむずかしい。
{ドライバ側もPX-G930から変化、色構成はPX-G5300からの変化である。後者は発売前。前者はPX-G920購入一月後くらいに出たため購入は不可能}
(8)その他の機材
GT9800F、Pm-930c、PM3300C
写真以外のスキャニングはGT-9800F使用。
上記を解説した後で、当時の作品作製の日記を紹介しよう。
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(9)用紙
PM写真用紙(光沢)、PM絹目用紙、クリスピア用紙。PMマット紙。(ファイナーとベルビットなどは当時はA3での発売かつ未知数のため使用断念。)
用紙変化はPX-G920では肌色等で苦労したため、用紙の側で色調整を検討したためである。また、裏技も使用。例:設定はPM写真用紙で実際にはクリスピア用紙とするとか、その逆など。
エプソンのフィルム用紙は色は良いが色変化(色転び)が激しいため未使用。PM用紙以外のエプソン写真用紙も染料での過去実験で色あせ問題から使用せず。
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(10)設定
プリンタ側の設定値はマージンのみか、マニュアル設定で全写真で全て項目を変えているため、後日、一覧表全部か一部を添付。
明度、コントラスト、彩度、C、M、Y、自然な色合い、エプソン基準色全て写真ごとに違う数値。(当時はガンマかしきい値もあった記憶があるが定かではない。)
また、マージンも写真ごとに変化あり。特にA4での組合せ写真は一枚ごとに何度も組合せ方式となるためマージンが難しかった(パソコンのメモリ限界からである)。
プリントアウト時のデータ(PX-G920限定)。下記赤字をクリック。
PDF=写真プリントアウトデータ表PDF
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(11)器財限界の露呈。
CPU、RAM、マザーボード限界か、更には電源ユニット限界からか。
上記作業中、パソコンが二度故障し、エプソンダイレクトに二度修理へ。(こちらはエプソンダイレクトに記録が残っているはずである。)
外付けHDDも壊れてなおらなくなる。(こちらはエプソンとは無関係のため修理は無理である。)
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(12)労力
失敗した写真も見られるようにするため、一日13時間作業が約数ヶ月続く。合計70枚程度を見られるようにした。
日記を見れば思い出すが、確か、プリントアウトだけで一日2~3枚程度しかできなかった記憶がある。
ただし、プリント設定だけでは駄目なときは、加工していない原本に戻りレタッチし直し、更に無理なときはスキャなードライバの設定値を変えるためにスキャングのやり直しに戻り…である。
現像、見本用RPプリント、全体の一連のスキャニングやレタッチを除いての話である。
アナログのデジタル変換仕上げで、PC、プリンターが科学の限界下であったことによる。
総論として、医学の臨床実験の如(ごと)しであった。今とは全く事情が異なる。もっとも、2005年の10年前ならば、フィルム写真をデジタル48MBから62MBのTiff変換とレタッチ、更には顔料仕上げなどは一億円以上のスーパーコンピュターでしか作業は無理であったであろう。だが、2005年も時期尚早(しょうそう)であった。実用性というよりも実験の繰り返しであった。詳細は制作日誌参照。
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(2020/10/24 1:43)
データは以下四種類からなる。
1)撮影時のデータ(絞り、スピード、ISO、焦点距離、レンズ種類、三脚・ストロボ有無…)→F5、F90Xは自動データ保存されるが、それを引き出すソフトが高額のため、我が家では手動で記録をつける。ただし、上記、撮影場面ではシャッターチャンスの関係でつけられない。
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2)スキャナー入力時のデータ(これは一部手動でつけているときがあり。今回のは面倒なため探していない。もはや、OSの関係でフィルムスキャナーは動かないためデータの意味がない。)
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3)レタッチ時→これはデータはつけていない。
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4)プリントアウト時
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今回、公開するのはこの4)だけである。家で撮るときは一定の時期までは1)、2)、4)のデータを手動でつけている。特に1)と2)を重視していた。4)はプリンタの機種がかわれば露出や色関連のデータは無意味となる。また、昔はプリタドライバのアップデートのみで色が変わった時期もある。2005年頃もその危険が強かった。
そこで、今回のデータ通りに印刷しても、もはや理想の色とはならない。インク構成も違っている。4)のデータの有効期間は同一プリンタで同一のプリタドライバ時のみである。
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4)のデータは下記のPDFで見られる。今回掲載用に簡単にPDF化しため、見にくい箇所がある。
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プリントアウト時のデータ(PX-G920限定)。下記赤字をクリック。
PDF=写真プリントアウトデータ表PDF
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上記の意味が完全に分かるのは三好和義氏。エプソンではニコンが分からず、ニコンではエプソンが分からない。
(分かりたい人はこの人に聞け。町の写真屋さんなどは、上記のような商売をしていないため、ちんぷんかんぷんでしかない。彼ならば全てが分かる。また、私のこれから当時のまま掲載する日記を見ても多少わかろう。彼のメールも収録されているので、彼に聞け。それ以外の人の見解は私は受け付けない。)
三好和義氏official HP
http://rakuen344.jp/
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(2020/11/08 17:00追記)
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①第一の事例に関しては、従兄弟(いとこ:🚺女性)に正式文書を渡している(2006年4月上旬)。多分、その文書は従兄弟の長男が保存していると思われる。そこに、明白に赤字で文書の最初と最後に無料と明記している。誰が見ても法的効力を持つことは明白な形で記述している(上記のコピー箇所)。まず、その文書を確認すること。
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この文書:清書がプロパティで調べると2006年3月1日、21:39:30となっている。断片では2006年2月11日等もでてくる。手渡したのが2006年4月8日である。
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②さらに、その文書の中に、親戚平等原則の箇所があり、そこにも無料としか解釈できない箇所があり、その箇所は2006年か2007年の親戚の一部に年賀か何かで郵送している可能性が高い。ただし、第一の事例について無料が分かる箇所は男性従兄弟のところには、叔母の喪中(2006年度年賀)で送付はしていないと思われる。それが事例二に繋(つな)がる。だしておけば、第二の事例は防げたであろう。
同上①の中の「Ⅲ:冠婚葬祭などにおける親戚・身内とのつき合い条件。-今回の件との平等原則について-」の箇所。後日、個人名を消してHP掲載予定。
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2020/11/08確認すると、2006年3月3日付けの姉宛手紙にも同封しているようである。
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③また、①文書には2005年の終わり頃には「無料」と口頭で従兄弟にも言っている趣旨の言動がある。
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④また実際に、上記写真代金は誰からも貰(もら)っていない。
母経由の金も、念のため支出まで姉に報告していた時期があったが、姉がしきりに「信用しているからもう、そういうことは止めよう」と言っていた。2006年頃も同様だったかもしれない。特に、私の生活費関連は何に幾ら使用するので、幾らを用意しほしいと(使途を)明記(報告)していたころの可能性が高い。そこに写真代金はでてこない。写真残酷物語に記載した目がね代金の転用である。
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女性(従兄弟の)息子さんも多分、この間何が起こっているか…も知っている可能性もある。知っていれば確信犯であろう。姉や男性従兄弟は言うまでもない。狐(きつね)が姉や男性従兄弟である。母は狸婆(たぬきばばあ)である。
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単価計算は請求ゼロ円、実際一円も写真代金は誰からももらっていないため、時間ロスでしかない。さらに技術問題で難しい。だが、三好和義氏(日本を代表する写真芸術家)ならば分かるはずである。
裏の(世界の)ミスター・ハマダでなくても、表の浜田隆政でも、ニコンに行き、岡山の浜田隆政さんが○○と言っていますといえば、(3)に記載の三好氏を紹介してくれる可能性が高い。ニコンには昔は職員のみか、社長にも💌を出していたこともある。
だが、理由を告げれば、浜田隆政抜きでも、三好氏に直(じか)にメールで問いあわせても回答してくれるであろう。(社会通念上のお礼は自分ですること。)
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私は人生後さほどない上に、国内外からの各種オファーや膨大な諮問類、また逆に老後破綻対策で手一杯であり、家族・親戚類の斯様(かよう)な問題で脚を引っ張られることは、これ以上は不可能である。後は、過去書いた文書をそのまま公開していくだけとしたい。
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【参考】
第一の事例関連文書(ただし全て無料で、更に、解説まで無料でさせられ餓死するため、馬鹿馬鹿しく清書はしていない。)
▼正式公開前→下書き以前のメモ:徒然なるままに№18・写真残酷物語第二話アナログとデジタルの話①(脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)
○http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21823
▼正式公開前→下書き以前のメモ:徒然なるままに№19・写真残酷物語第三話アナログからデジタル転換の壁(脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21845
第二の事例関連文書(ただし全て無料で、更に、解説まで無料でさせられ餓死するため、馬鹿馬鹿しく清書はしていない。)
▼正式公開前→下書き以前のメモ:徒然なるままに№21・写真残酷物語第五話アナログとデジタルの話・デジタルからデジタルへ(脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21849
(2020/10/22記載)付録(我が家来訪者問題)
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最近は、我が家来訪拒否型デマとばされた疑惑がある。私は我が家来訪者は本人から私に事前に直(じか)に連絡をくれと言ったのみである。
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理由は以下の通りである。
2000年前半は来客者時は姉に連絡し、姉が事前にきて我が家の清掃などで特に問題はなかった。
2000年中頃になると、姉に連絡しても姉は事前に来ず、家の中は母、外は私で徐々に大変となる。
2006年か2007年頃からは、我が家の掃除類は全て私が行う。
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しかし、無収入で、母死亡後は数度にわけた合計約300万円弱の通帳しかないと思っていたため、母が死亡するやそれが私の全財産となる。しかも年金は皆無の頃である。
そして母が88才から92才の頃は母は脳梗塞、心不全等の持病を持ち、母が死亡するや私は即家を出ねば餓死状態にあった。
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そして下の如(ごと)く就職活動に邁進(まいしん)していたが、親戚類が姉経由のみで突然こられ、就職活動に大変支障をきたしたため、事前に私にも直(じか)に連絡をといったのであり、来るなとは言っていない。
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デマもほどほどに。
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なお、母が「明日、▼▼が来る。」
私「(就職のかかった)原稿の締切りなどで対応は無理。掃除も無理…」。
母「それでは、私がこれから山の墓掃除に行ってくる。心臓が痛い…」(90才で入退院の老人が山の上の墓掃除など行けるわけがないが猿芝居でわめく…)。当然、原稿の締め切り…があっても私が行く羽目となる。(なお、下記の2009年1月の鳥取大採用試験用原稿も、これは来訪者ではないが、諸妨害で断念した経緯がある。)
家などの掃除でも「それでは私(母)が掃除をする。頭が痛い、頭が割れるようだ…」とわめきまくり、結局、原稿締切り前などでも、私が墓掃除、家の前の掃除、家の中の掃除…で大変であったので下記を掲示していた。
しかし、それでも一回か二回の例外を除き、全員姉に連絡をし、私には連絡がなく弱ったため、下記を掲載している(今も掲載中である)。
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私も何か仕事を決めねば、母が死亡するともう即終わりの状況にあった。万一、都会に出るとしても、権利金、敷金、礼金、家賃、交通費、引っ越し費用がいるがない。
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なお、母死亡(2012年)後に、思ったよりも遺産は多かったが、とてもではないが、70代前半までしか持たぬ額であった。ちなみに60才から65才までは、国民年金もなく無収入で遺産はつきる一方であった。その頃のフィールドワークをしていたのは仕事であり、それらは、これから公開する「2013年の真相」などを読めばわかろう。
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そして、2013年から起業を目指す…が営業妨害三昧(ざんまい)。営業妨害については今後じっくり記す。
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なお、下記文書は、2007年頃から我が家に常時掲示している。下はA3用紙で。今でも当時から常時掲示中である。
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(以下、クリックで拡大)
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(2020/11/07 22:39追記)1月9日の鳥取大学公募は、諸雑務その他で応募が不可能となった。また、既に応募している大学などの合否判定は2009年3月末頃でなかったかと思う。決まれば即座に対応予定でいた。勿論、母の問題もあり、姉などと相談の上で。
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▼この後は作製日記の紹介予定。
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(2020/11/08 17:27追記)
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数日前(2020年10月30日)に、人(中学・高校の親友)と口をきいた。人とまともに口をきいたのは、多分5年ぶりである。
ところで、2019年2月23日(土曜日)に奇妙なことがあった。当時のTwitterに以下記載している。
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19-054-4【私事】
本日、何か慌ただしい。
友人→私がお母さんのお悔やみに行った件での挨拶。これは丁寧。部屋散乱で外での立ち話で失礼した。
従兄弟から電話。
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以下は悪戯。
本日→インタネット類の悪戯。推定→本日2百回以上。
悪戯電話→15時頃と20時半。
昨日も類似状況
今週の歌準備が
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○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1099324149883760641
19-054-4【私事】
本日、何か慌ただしい。
友人→私がお母さんのお悔やみに行った件での挨拶。これは丁寧。部屋散乱で外での立ち話で失礼した。
従兄弟から電話。
▽
以下は悪戯。
本日→インタネット類の悪戯。推定→本日2百回以上。
悪戯電話→15時頃と20時半。
昨日も類似状況
今週の歌準備が— 浜田隆政 (Takamasa) (@Takamasa_Hamada) February 23, 2019