写真残酷物語・真相編-2―2006年作成過程日記№1

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写真残酷物語・真相編-2―2006年作成過程日記№1


2020/11/24 3:16 下書の一部を徐々に添付中

2020/11/25 2:45 下書の一部を追加。3:05タイトル少し変化。 23:44誤字脱字微修正。

2020/11/26 0:32 2020年追記文を記載。 2020/11/26 12:26追記

2020/11/27 00:01 完全公開予定。(2020/11/26 12:29~10分公開状態にして、後は2020/11/27 00:01予約にセットし、それまで封鎖する。内容は変化ない予定。万一変化時はその箇所を明示)

2020/11/27 14:21追記 14:48追記  14:54追記 17:17 誤字類修正

 


(2020/11/24 前書き記述):微修正

今回、2006年4月8日従兄弟(いとこ)に神戸の従兄弟に手渡した文書と、その文書の中の(Ⅳ)遅延理由に作成過程の概略を載せていたが、今回は手渡していないと思う作成過程の全文を掲載する。
手渡した本文の方は一定の時期から現在まで従兄弟の子が所有していると思う。ひょっとすると作成過程全文も手渡したかもしれないが、多分、概略のみの方を渡していると思う。
当時、作成の都度記していた文書を、今回、レイアウトと誤字脱字の修正のみ行い、本文は当時書いたままで掲載する。追記箇所は日付をつけて追記と明記している。
公開に当たって、私以外の人名は略号に置き換えた。

なお、アナログからデジタル転換での作品作成過程は以下の通りである。

(1)撮影準備と撮影。
(2)アナログフィルムを業者でアナログプリントをしてもらう。
(アナログをデジタル転換するときに見本として必要だからである。特に、ネガはプリントしないと場面が分からない。
(3)上記を見ながら、アナログをフィルムスキャナーでデジタル転換(手動でスキャナードライバの調整作業)。
(4)パソコンのソフトでレタッチ作業。
(5)プリンタドライバをマニュアル操作でのプリントアウトのため、プリントアウト作業が大変困難となる。

なお、(1)と(2)は2005年中に終了しており、(3)と(4)もほぼ終了していた。そこで、2006年の下記経過は(5)の作業である。しかし、プリントアウトしても、思うようにならない場合には再度(4)のレタッチのやり直し、それでも無理な場合には再度フィルムスキャナーでの取り込みのやり直しからとなるため、スキャナーやレタッチ関連が登場する場合にはやり直しのときである。
簡単に言えば、2006年は(5)の作業のみである。(1)から(4)は2005年に終了していた。

プリンタ(エプソン)はオートファインではなく、マニュアルでのプリントは当時のエプソン機種(2017年頃でも同様であったが今は不明)ではモニターには一切画像が反映されないため、シアン幾ら、yellow(黄色)幾ら、マゼンダ幾ら、ガンマ、明暗、コントラの数値幾ら…ならばどうなるか…頭の中で全てシミュレーションすることになる。数値を幾ら変えてもモニターには一切反映されない。

 オートファイン類は全てモニターに反映されるため、シミュレーションは余り必要ではない。しかしマニュアル設定時はそうではない。そこで、試し刷り枚数を減らすため、シミュレーションが大変疲れる作業であった。

 将棋をうつ時の如く、数値から頭の中で再現が倹約上必要となった。勿論、それでも試し刷りは膨大となる。現在のオートファインで適切な色がでる上に、モニターで設定値の変化が分かる顔料プリンターや染料プリンターではない。

今回掲載する文書は以下二つからなる。
(A)手渡した本文。
(B)作業経過日記(多分概略のみ渡し、全文は渡していないと思う。分量は長く、週一回のペースでも2か月程度かかるであろう)。
今回は作成過程を思い出すため、(B)から先に公開する。(B)の公開が終了した後で(A)の公開になる。読者諸君は科学の発達段階の生きた資料として読んでいただきたい。




以下、2006年の作業の都度記した作業日記から抜粋する:《 》内での挿入、横ルビ、強調の色付けは2020年、明確な誤字は注抜きで2020年修正している。



【作業経過】

この記録は催眠的に記述強要された。ただし、闘争において何かに役立つかと思い適切な時間内ならば記しても良いかもしれぬ。長時間記述は被害が大きすぎ御免被るが。なお、MYOさんにも送付するかもしれないが、それは闘争関連に役立つ場合には第三者に送付しておいた方が証拠として有効だからにすぎない。この件以外も通常、第三者に文書を1998年以降はするようにしている。

また、この文書自体、若しくは文書の一部がいつか自費出版ではなく正式ルートで販売されれば、印税が入るときが来るかもしれぬ?
そこで、この文書を読み、MSO君に絡(から)め何かを思う必要はない。またプロセスを強調することにより相手に感動してもらいたいとも思わぬ。作品は結果がすべてであり、駿台時代からそうである。ただ、身内のため失敗した物の掲載をしている場合には、何故(なぜ)ゴミ箱ゆき写真を掲載するのかについての女々しい弁解を記述することをお許しを願うためである。(この前書き→2006/1/18)

■[以下(2006年)1/17記述]

9~11月→8 MB入力作業とPM930Cと出力作業。続いて重要写真48MBで再入力作業

12月→プリンタ事情で作製中断とMYO氏にその趣旨連絡(手紙)
ただし、構想固めのため幾つかのレイアウトでプリント(本格レイアウトは新プリンタを待たねば、全部やり直しとなる。プリンタごとに色の再現性、画質、色の癖が全く違うため。)

2006年1月→プリンタ新型及び価格下落読んでいたためもうしばらく待ちがtheory

2006年1月4日頃MSO君からの年賀状
→機材関連より、待ちがtheoryなれど、この賀状により理論分析に反するが(機材関連で諸問題、場合によれば後にやり直しになるのも覚悟で)作製開始決定。

1月5日→MSO君関連写真の全体像の詳細なスケッチを行う。


1月7日→PX-G920注文。同時にMSO君関係写真のPM3300Cで全体像を出力。
PX-G920購入には二点問題あり。
一点→PX-G系インクはシャドー部の階調処理が苦手、色再現性の問題、PX-PKインクはこの二点は一定克服するが光沢感の問題とvelvet系専用用紙が2種とも20枚で1万円超過というコスト問題。
よって私の能力発揮できるプリンタは、エプソンが2005年10月に当初構想していたと推定されるプリンタ発売を見送ったため、現在ない。そこで本来必要不可欠なA3ノビ用プリンタ《PX-G5000》は中途半端な開発状況のため中止しA4《PX-G920》機購入とした。

もう一点の問題は価格が発売14か月目から高騰していたため、私の予測では1月下旬、早ければ中旬から下落、2~4月には大幅下落がPX-G5000等で起こると分析していたため、購入するとしてもせめて後1か月が私のビジネス感覚であったが、もはや致し方なし。

尚、デジタル関係の大激動若しくは準大激動は06年後半から07年にかけてくると分析。PCの大激変は言うに及ばず、プリンタを含むデジタル関連の写真関連にも波及する。タイムラグがあっても1年程度の遅れのみ。根拠はいつか誰かに手紙でも送付するときに記す。


1月9日。PX-G920到着。作成作業本格開始。


1月10~16日→写真作業1日15時間に及ぶ日も多し。

新聞データベース化ほかその他の作業と合計すると1日17~18時間の日もでてくる。

MHO叔母の葬儀から微軽度(胸焼け)と下痢状態が頻発し、時に軽度の胸焼けや微々たる吐き気に似た症状もあり。インフルエンザの注射はこの年は断腸(1回で3000円、2回ならば6000円、通常の医療費と通院日を入れると後者ならば13000円のため断腸)の思いで実施。よってインフルエンザ類にはあらず。

1月17日時点では自律神経の再度の軽度段階での失調の可能性が極めて高い。この症状はここ数日さらに悪化し、また基礎運動などが怠慢になってもいた。
基礎運動は、親が死んでも基礎運動と決め毎日実施していたが最近乱れが生ずる。
なぜ基礎運動か。安楽死するには健康が不可欠という私の仮説から。1989~1993年末の切腹時の介錯(かいしゃく)を願うごとく苦痛で苦しみながら死ぬのは嫌なため、安楽死のためには健康不可欠という信念から実施している。

1月17日にもこの症状がでて、健康守るためにも、MSO君関係作業が雑にならぬためにも、当初の計画通りのペースで毎日実施することを厳守するとした。
予定のペースで毎日行うと写真関連の修正を抜けば準完成状態は2月4日、手直し、差し替え、順番と表紙作製などで完成は2月16日。簡単なコメント類(エッセイ類型作品型文章ではないため簡単な附属文書)は2月17日から。終了期間は未定も恐らく2月内には終了するであろう。

尚、1日15時間とか10時間ペースで仕上げても1月中には仕上げは不可能のみか、ミスが続発しやり直しで多大の時間ロスと費用ロスとしかならないという過去の経験からの分析もあり、尚更(なおさら)一定ペースが望ましい。

アイデアや構想は忘れぬうちに一気にという場合もあるが、それらはすべて原則として昨年私の頭の中に入っていることであり、その段階に非(あら)ず。清書の段階であるため尚更一定の計画的ペースが望ましい。

十分な機材があり、十分な準備をし、思う存分撮影していれば、プリント及び編集時間は今回の数分の一どころか十分の一になったであろう。消耗費に限定すれば予算も同様である。その上で、万一、プロラボの機材を私自身が使用できれば、構想時間を除き、時には一週間とか、今回並みの出来ならば数日でできたであろう(文章抜きならばさらに早くできることすらあり得たであろう)。大きな田畑を耕耘(こううん)機で耕すのと、石器の鍬(くわ)で耕すのと同一のことである。今日の狭い枠への約17年間の監禁は多大な時間ロスと我が才能の本来の育成及び発揮妨害と障害だらけであった。

ちなみに、さらに準備し枚数も十分撮れば決まった写真がある確率が高く、決まった写真が1枚あれば今回の文章を書く必要性は一切なく、同時にレタッチも一場面で一枚のみ(最良の場合にはレタッチ抜き・試し刷りも1枚のみのストレートプリント)で十分となり、時間も経費も安くつくというのが私の考えである。
私のレベルとなると失敗写真のみしかなければ、その相手のみ軽視しているとみなされるため1枚も撮らぬか、撮るならば本格的に撮るしかもはや道はない状況に今日ある。


失敗作のみで十分というならば、私ではなく他の人(通常の人は全員カメラを持っているため)誰かが撮れば良いとなる(私はそうした適当で良いのでちょっと撮ってくれという要請ははっきり御免被る)。
MNH家の通夜は撮ったが、葬儀の日は「プロが撮るので撮らなくて良い」と言われたため、何一つ思うことなくMNH家の葬儀のときは一枚も撮らなかったし、誰にとってもそれで良いのでは…。以上の如(ごと)く私自身の考えは非常にはっきりしている上に随所で明言もしてもいる。

[以上《2006/》1/17記述、以下原則として日程日と記述日同一、例外時は別途記述日明記]


(上記文章を読んでの2020/11/26追加コメント)


(2020/11/26)

2006年1月4日頃MSO君→このときに、このときの写真関連の最低でも二度目の催眠。理論上、プリンタは新プリンター待ちであったが、突如、既に発売されている顔料PX-G920(肌色がでないと言われており、人間の顔では使用無理とおもわれるプリンタ)注文とプリント開始を決定させられる。

(2020/11/27追記)もう一つ明白な催眠は撮影である。我が家をでるときには結婚式の撮影はしないという方針でいた(理由は当時の文書を順次公開していけば誰とて納得するであろう)。ただし、どこに行くにもカメラ器財の軽武装はしていた{重武装は、約七キロの三脚、約三キロのカメラ大型バック、1.5キロ程度の超望遠レンズやテレコンの追加、乾電池を相当数、フィルムもポジ(Velvia 50、Velvia 100 F、Velvia 100、プロビア 100F、プロビア400か1600類似物、Asitia 100、…)、ネガ(プロ400N、リアラエース…、)等からセレクトし、一泊二日程度なら合計十本以上、より長い時は数十本持参、膨大な各種フィルターとアダプター、…}となる。このときは、ついでに、奈良や大阪等で必要が出た場合に備えての念のための軽装備であり、原稿関連地で何かあれば撮ることもあろう程度である。カメラ器財は後に記すが原稿のための仕事道具である。

(2020/11/26 0:19 1:05追記)

安らぎブログの下に現在(2020/11/26)掲載中の大写真は石舞台古墳と桜の写真である。この写真はアナログからのデジタル転換である。撮影は2006年の春、即ち、上記写真を従兄弟の家に持参した頃である。当時の器財は今のスマホ以下の何分の一かというCPUとRAMである。その器財で、下記の写真をフィルムスキャナー入力とレタッチをしている。特に、48MBクラスは至難の業(わざ)であった。

【2020/11/27 13:59追記・紫文字】現時点(2020/11/27)下記に掲載している「🌸桜と石舞台古墳」は原本を大きく縮小し、かつ圧縮している、わずか349KBの写真である。完全に処理された実物ではない。縮小以上に圧縮は画質が劣化する。なお実物は商品の一部であり、無料での掲載はできない。(今回の如くでの掲載でも当初は断腸の思いであった。)それ以上に重くて、掲載は不可能である。Wordpress等でも許容範囲を超え、現時点では掲載不可能、FacebookやTwitterでも同様である。

デジタル時代のためアナログのことを知らない人用に、デジタルカメラで言えば分かるであろう。 Nikon D800では16bit時は写真一枚240MB以上(8bitでその半分)のため、現在の科学では現物の閲覧はインタネットでは不可能であろう。(購入資金がないため購入していない)D850ではこの1.5倍程度であろうか

当時、Tiff仕上げで、アナログからデジタル入力とレタッチをインタネットで引受け商売をすれば、起業ができたかもしれない。もっとも、パソコンやHDDの故障などがあいついだであろうし、科学の限界上かかる時間を考えると、採算も合わないであろう。どの程度の仕上げかを知ってもらうため今回追記しただけである。ただし、プリンタは当時の顔料は限界以下であり、本格的なプリントは次のPX-G5100でドライバ側の修正でかなり向上していたが、本格的にはその次のPX-G5300登場までまたなければならなかった。もっとも原本は2005~2006年と大半同一である。ただし、従兄弟結婚式はその限界下のプリンターPX-G5000のA4器型PX-G920で行うことになる。科学の限界である。後は日記をかなり長期掲載するため、それをみればわかろう。

なお、結婚式撮影をしない予定のため三脚を持参しておらず、意図しない撮影は催眠によるものであった。そのため暗い中で(ポジの)アンダー過ぎる写真は通常のラボでは救済は不可能であり、その面からもアナログをデジタル転換し、自分で裏技使用で救済するしかなかった。なお、三脚を持っている人がみえた記憶があるが借りていない(多分ビデオ用三脚であろう)。何故ならば、当時のメインカメラ F5はレンズ抜きで1.5キロであり、軽い三脚ならば三脚ブレするからである。当時、私が常用していた三脚は雲台を入れて7キロ弱である。手振れかアンダーかどちらをとるかという判断も終始していた。

ストロボを極力さけた理由は今回から順次掲載する文をよめば、その時に分かろう。

今思うことは抑制し、当時、作業と同時進行形で書いたメモと日記掲載の方が真実がわかろう。私自身の勘違いがあれば、それも分かろう。

(2020/11/27 14:46)些細な追記。インフルエンザ注射は年2回必要と聞いていたが、一回ですんだ。助かった。それでも高かった。15年前当時は助成はなかったと記憶する。