2016年2月の歌・南アフリカ共和国の歌特集にあたって。

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2016年2月の歌・南アフリカ共和国の歌特集にあたって。
 
(一)マンデラの思い出
 1987年・映画 『遠い夜明け』(Cry Freedom)が制作・公開された。くしくも、同年末頃、私は刑事犯罪被害の連続で、超大手予備校の職場から放逐され、田舎に事実上監禁された。
 この映画は1990~93年の、私の意識が後退しているときに見た覚えがある。この映画が制作された頃、南アフリカ共和国はアパルトヘイト時代であった。アパルトヘイトについて、ウィキペディアは次のように書いている。
「……小アパルトヘイト
 ……隔離施設留保法……レストラン、ホテル、列車、バス、公園に映画館、公衆トイレまで公共施設はすべて白人用と白人以外に区別された。バスは黒人用のバスと停留所、白人用のバスと停留所に別れ、病院も施設の整った白人用と不十分な施設しかない黒人用に分けられた。白人専用の公園などの場所に立ち入った黒人はすぐに逮捕された。
 雑婚禁止法……人種の違う男女が結婚することを禁止された。
 背徳法……異なる人種の異性が恋愛関係になるだけで罰せられる法。
 パス法……黒人に身分証明書の携帯を義務付けた法。有効なパスを持たないものは不法移民とされ、逮捕されホームランドなどへの強制送還が実施された。
 …… この政策で、南アフリカにとって大きな貿易相手でもある日本人は「名誉白人(Honorary Whites)http://h-takamasa.com/Blog/wp-admin/index.php」として制度上の差別待遇を免ぜられた。……有色人種でも経済力のある者に対しては白人扱いするために、とも捉えられる。」(ウィキペデイアから引用)
 私自身も、1983年~87年の大手予備校の教壇で、アパルトヘイト問題を取り上げた。その私が、1988年から逆に監禁の憂(う)き目に遭(あ)う。事実上の、自宅監禁下で、金大中、マンデラ、アウンサンスーチーに思いを馳(は)せた。彼ら・彼女らが自由になる頃には、私も自由になれるだろう、と。金大中は事実上1987年に自由になり、マンデラは1990年に自由になり、アウンサンスーチー女史も、2010年から自由になった。しかし、私にはまだ自由は来ない。友人が十五年前頃、「明けない夜はない」と、不可思議なメールを送ってきた。しかし、三十年以上、自由は来ない
 私も、六十三才となり、いつ死んでもおかしくない年齢に入った。そこで、差別に対して、人類の一人として闘いを挑むことにした。それもあり、2016年最初の「今月の歌」は、南アフリカ共和国とした。
 なお、今月は南アフリカ共和国・マンデラ特集を以下の形で組んでいる。(二)参照。
 ※マンデラ氏については、「夢か現(うつつか)―2。TVでの対話2・マンデラ」と題して、私の公式Blogに収録している。http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=818
(二)マンデラ特集の御案内。{(A)以外は現在準備中}。
A)今月の歌(2016年2月の歌)→マンデラをたたえる歌と南アフリカ共和国の歌特集
(B)公式HPの時事英語と現代社会特集
①国連広報センターのマンデラ特集(2月5日~ )⇒世界動画NEWS>お勧め情報>公式HP
②マンデラの歩み(動画)(2月15日頃~3月中旬頃)⇒世界と日本の出来事>お勧め情報>公式HP
 
(C)安らぎ英語(2月15日頃~3月中旬頃)
 アニメ英語で学ぶ「マンデラ伝記」→懐かしき英語学習>安らぎ英語>安らぎ文庫HP
(D)公式HP(2月5日頃)と安らぎ文庫HPトップ(2月5日頃)
 
 ⇒約2週間ごとに南アフリカ共和国の歌などを変更して動画で流す。(今月の歌と一部重複と別の場合あり)
(三)今月の歌の解説。
(1)『ライオンは寝ている』
 → 《「ライオンは寝ている」(英:The Lion Sleeps Tonight)(「Wimoweh(ウィモウェ)」、「Mbube(ンブゥベ)」としても知られる)は、ソロモン・リンダが書いた曲で、主にトーケンズのヒット曲として知られている》。「ウィキペデイア」より引用。
 南アフリカ共和国クワズール・ナタール州生まれのソロモンリンダが書いたということで、南アフリカ共和国の歌に編入した。
 《「Mbube」(ズールー語でライオンの意味)は、1939年にソロモン・リンダによって書かれ、彼のグループ Evening Birds によって演奏された。「Mbube」は南アフリカで1940年代に10万枚売れるヒットとなった。この曲の名前は、後にアフリカのア・カペラの音楽スタイル「ムブーベ」(その後さらにイシカタミアへ進化した)の元となった 。……
 アラン・ロマックスが、フォーク・ミュージック・グループのウィーヴァーズのピート・シーガーにこの曲を紹介した。1年以上彼ら(ウィーヴァーズ)がこの曲をコンサートで演奏した後の1951年11月、原曲のコーラス「uyimbube」(ズールー語で「あなたはライオン」の意味)を聞き違えて曲名を「Wimoweh」としたバージョンをレコーディングした。このバージョンは、全米チャートでトップ20を記録し、キングストン・トリオなどの有名グループにもカバーされた》「ウィキペデイア」より引用
(2)『マライカ Malaika』
 →「好きな女性と結婚したいがお金がないと嘆く男性の心境が描かれている」そうである。タンザニアかケニア発祥の歌と言われているが、南アフリカ出身のミリアム・マケバ(Zenzile Miriam Makeba/1932–2008:ママ・アフリカと呼ばれている、グラミー賞受賞の女性歌手)で有名になったため、南アフリカに今回は分類している。
  ※(2016年2月5日追記)「差別との闘い」と記すと、私への悪戯(いたずら)類が多発した。「差別との闘い」=民主主義の促進及び実現か、それに近い意味である。だが、民主主義の実現とか促進と記すと、一層、私への嫌がらせがあるかもしれない。民主主義=democracy。democracyの語源がDemos Kratiaであったか。民主主義とは極めてラジカルな言葉である。