「フィールドワーク・東京」(2017年12月1日)の記録―6

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「フィールドワーク・東京」(2017年12月1日)の記録―6

(見出し)①何故、東京へ行ったか、②早大にて、③今回のフィールドワーク・東京への妨害と皇居訪問について、④道中の不可思議なこと―勘違いゲームの連続と2016年の長崎・水俣の旅の再現、⑤帰宅後も勘違い、誤解…は続く、⑥その他:日本のフィクサーME続編メモ等に続く内容》――下記は、他原稿の内容関連であり、あくまで参考までに掲載

 

《2017/11/30》
難波23:30~0:00前尼崎

《2017/12/01》
午前2時頃就寝

午前9時頃起床
9:50~尼崎平和像
10:09頃の汽車、途中で駅を間違え下車。
11:00大阪城世界連邦平和像
11:17頃まで
大阪城へ
11:28~11:56
12:25~播磨新宮14:26
若しくは12:45~播磨新宮14:57

播磨新宮15:30
最寄りの駅につき自転車で我が家へ(6キロ)
17:10頃帰宅。

《2017/12/01》
9:50~尼崎平和像

写真は一度クリックでパソコン大、二度クリックで巨大。

尼崎世界平和連邦像:2017/12/1: 9:54

10:09頃の汽車、途中で駅を間違え下車。
11:00大阪城世界連邦平和像

大阪城内世界連邦平和像:2017/12/1: 11:07

11:17頃まで
大阪城へ

大阪城公園内:2017/12/1: 11:38

11:28~11:56
12:25~播磨新宮14:26
若しくは12:45~播磨新宮14:57

播磨新宮15:30
最寄りの駅につき自転車で我が家へ(6キロ)
17:10頃帰宅。

今回のフィールドワーク・東京を振り返って。

《◇―1・何故、東京へ行ったか》
今回の東京行きは、半年以上に亘(わた)る、催眠?で説得されたものによる。
東京には行きたいというよりも行かねばならないという気持ちは終始あった。
駿台前半時代は年に二度か三度行っていたときもある。ところが、今は経済封鎖されており、予算がない。何度も書いたように、東京に行くとは、長崎や水俣に行くよりも高くつく。ソウルなどは東京に行くよりは完全に安い。中国も、上海などは同様である。もっとも、私の場合に限定かもしれないし、誰でもそうかもしれない。


ともかく、予算上、東京に行くとは大旅行となり躊躇(ちゅうちょ)していた。ところが、半年以上に(多分一年以上に)亘(わた)り説得をされ続けた。

起業を目指しているのであろう。電子書籍などで生きていくことを目指しているのであろう。

しかも、親の遺産には限りがある。先日(2018/01/25)催眠で一部言わされたため、簡単に言えば、兵庫県で教師をしている友人夫妻の年収一年分程度の額である。もっとも、この友人が教頭をしていた頃の額であるが。奥さんも教師である。この夫婦一年分の年収以下である。(それも遺産は2012年末か2013年初頭頃にかけての一度のみである)

それ以前の貯金類は拙著『恐るべき労基法違反』に詳細に記述している。しかも、この本は無料公開、無料でPDFをダウンロードできるようにしている。それを読めば、人は驚くであろう。正に生き地獄と。
(参考)『恐るべき労基法違反』ダウンロードページ=http://www.h-takamasa.com/rensai/custom.html


実際に、生き地獄であった。
奴隷労働というよりも、貢ぎ労働強要であった。労基法違反というよりも、刑事犯罪に幾つも抵触している可能性が高い。

そこで、「有り金問題などから、投資が相当厳しい状況に間もなくなるならば、最後の賭けと考えて東京に行ったならばどうか」、と。確かに、電子書籍類やインタネット類で金を稼ごうと思うならば、顧客は学生・大学院生・教職員が最適であることは事実であろう。

「関学もよい。しかし、早大は教職員、学生・大学院生合計で六万人を超えている。さらに、同窓生は百万人を超えているであろう。その上、その家族もいる。最後の賭けならば、早大抜きでどうするか」、ときた。

私はどうせならば海外の方に未練があった。と言うのもソウルは中途半端な形となっており、ベトナムも中止となっているし、鑑真の足跡を追う中国も途中やめとなっている。
全部は無理でも、一箇所でもという未練もある。しかも、費用はソウルなどの方が安い。ウォンも残っている。中国は場所次第である。
最後になるかもしれないフィールドワークならば…。


寝ている間に説得が続く。
「生きるか死ぬかの瀬戸際だろう」、と。
「ともかく、仕事オンリーで行かねば生活保護の道」、と。
また、東京には世話になった人もいる。行って会いたいが手ぶらでは、…と躊躇(ためら)った。

再度、寝ている間に催眠が指示をする。
「もう、年齢より後はないぞ。近所と揉(も)めようと、その他のフィールドワークを犠牲にしようと、販路開拓の最後の賭(か)けは早大だ」、と。
私の「住んでいる市の人口二倍以上の教職員と学生のみか、住んでいる市と異なり、層が全員インタネット活用商売上の良質な顧客となりうる層である。簡単に言えば神戸市を制するよりも意味がある。実質的には、大阪府全体に該当するような市場である」、と。

「最後の賭(か)けだ」、と。これを半年から一年繰り返され、刷り込み現象型でやられ、東京に行くことは2017年夏頃には決心した。
なお、「もういつ死んでもおかしくない年だ」、と。これも効(き)いた。

こうして東京行きが決まった。(ちなみに、後に記すようにフィールドワークの大半が催眠誘導であった。)



《◇―2・早大にて》


実際に早大大学院生当時何度かあった人の消息を見ていると、ウィキペディアの記事をみて驚いた。
☆☆☆☆☆
☆☆☆(ウィキペディアより抜粋)☆☆
飯島昇藏(いいじま しょうぞう、1951年9月20日 -2017年3月17日 )は、日本の政治学者、早稲田大学政治経済学術院教授。早稲田大学政治経済学部学部長(2006年-2010年)を経て早稲田大学図書館館長、日本政治学会理事。専門は、政治哲学、国際政治思想史。
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆
飯島昇藏氏が亡くなっていた。
飯島氏は、私の大学院時代にゼミは違うが、清水望先生の授業二つで一緒であった。政治学独書講読(ドイツ語講読)と比較政治学であったと思う。(比較政治学は違っていたかもしれない。)

授業と言っても、大学院の授業は全員で十人程度であり、大学学部のゼミよりも人数は少ない。ほぼ全部の授業が、大学のゼミよりも少ない人数で行われる。それも大半が大学院生自体の発表形式であり、ゼミと同一である。

私的会話は交(か)わしたことはないが、衝撃はあった。
先日、清水望先生の追悼文を書いたと思ったならば、今度は当時の学友に該当する人物の死去である。清水先生は1924年生まれであり、生存されていれば今94才か95才であるが、飯島氏は私よりも一つ年が大きいだけである。


よって、私自身もいつ死んでもおかしくない年となっている。

 ★飯島昇藏氏の御冥福を心よりお祈り申し上げます。


だが、妨害が予想された。実際に幾つも妨害があった。



《◇―3・今回のフィールドワーク・東京への妨害と皇居訪問について》

妨害は、主として、内面的なもの中心であった。人が信じようと信じまいと、事実だけを書けば、催眠というか・リモートコントロール型で、意味のない独り言を、徹夜を含む長時間言わされ多大な時間や(資料1や資料2にごく一部記述)、原稿などを書く意思のない日に書かされ(資料3)、多大な時間を失い、東京行き延期を強いられる。

ただし、それらの引き金となったのが、前回記した(私宛ではない)人権擁護委員協議会・法務局の封筒を我が家のポストへいれられた件(2017年11月10日)からであった。この文書関連での問い合わせとして、電話のみかE-mail送付、手紙送付と、この件での処理にも時間をとられている。
また、歯の詰め物をとられたか何かされた疑惑があり、虫歯の進行…などもあり、心理的には、証拠を残さぬ形でかなり妨害された感じを受けた。

具体的な日々日程から抜粋するが、桃色字だけをみれば大体のことは分かるであろう。(抜粋が長いのは私自身の資料とするためである。尚、抜粋のため誤字脱字は原則修正していない。)

 

(資料1)こうしたことが何度も続き、準備不足で11月19日からの東京行きは延期へ。(Memo-3は、東京行きを焦るは事故の原因となるため、延期する。いや昔交通法規を遵守すると、それを逆手に取られ事故にあったので迷いが。しかし、やはり赤信号渡ってはいけないと同様に東京行きは焦るは禁止という内容。そして延期)

☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
本日回覧版運搬後から催眠型独り言が開始し23時45分頃まで続く。本日は誰にも会わず、誰の声も聞かず、誰も見ず。催眠契機は回覧版が疑わしいが厳密には不明。
Memo-3・フィールドワーク→トラブル予想されるも原則は下記。
①赤信号は渡らない。
②カーブはスピードを落とす。
③急ぐ心が事故の元。要するに、罠をかけられてもやはり③を中心にルールを守りが原則。原則に基づき、日程を検討。
Memo-4・本日すべきこと山積→①今週の歌変更、②洗い物、③公式ブログをデータベース保存を…というと、③が不調、次に②で水が。
盗み聞きの真似は邪道。原則ガラス張りで重要なことはすべてHPかSNSで公開しているか、公開しつつある。
多忙な中でも情報公開、ガラス張りをしているため、盗み聞きは意味を持たず、ただ、デマなどの温床や脅しでしかない
11月18日
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=17036
☆☆☆☆☆☆
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(資料2)ここで長崎と同様に東京でも催眠型独り言で相当時間ロスすると暗示あり

 

☆☆☆☆☆☆
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午後4時頃か?眼鏡のZから電話。電話後即催眠状態で独り言が約4時間続く。
電話内容は単に祝いの内容。尚、PCで中国関連でるや即電話鳴る。
Memo-2・因みに、長崎で食堂で出会った人が私に「チャイニーズ」と言い、やや絡み調子は既述の通り。この時に生卵問題あり。翌日眼鏡フレームか何かで催眠状態となり、数時間ロスしたことも記述済み。
ただし、その人物に出会った日は11月23日。
後に、事実か否か不明も、寝ている時にあの人はZ店のSさんだと暗示あり。人物に関しては真偽不明。
11月22日
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=17061
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(※資料3・日本のフィクサーME続編メモを、東京行き準備及び計画を無視し書かされたときに、メモした内容)

 

☆☆☆☆☆☆
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本日記述不可能理由
①フィールドワーク準備に支障
②物理的に不可。諸作業終了し、原稿開始が本日午前5時前。この時間から書ける訳なし。この原稿は寝かさず即あげねばならぬ原稿。
③原稿の全体像把握し分割もその作業をしていない。
④構想抜きで記述は雑になる。質の劣化。
⑤掲載間隔→下記では見る方も読む方も大変
10日(金曜)気が向けば一言
11日(土曜)トラブルブログ→
12日(日曜)1)今週の歌公式HPと安らぎHP、2)世界の歌ブログ
13日(月曜)日本のフィクサーME・続編メモ・訪中と支持率関連の二つ掲載→
14日(火曜)時事更新→15日
15日(水曜)=なし
16日(木曜)写真ブログ
17日(金曜)本日の原稿=日本のフィクサーME・続編メモ・訪中

⑥寝る時間と起きる時間正常化中に本日から再度逆で困る(午前8時頃就寝午後15時半)
⑦使用できる食器なく、洗い物などで困る
⑧HPアクセス数=今月は諸事情で減少やむなし方針(理由は後日)のため数値問題で焦ることは、最低でも今月はない。
アクセス数・訪問者数は非公表で記述しない
⑨原稿の最中睡魔が激しく、書ける状況に非ず。
⑩その他、本日焦って掲載する理由なし。
Memo-2・記述強要の理由推測
本日突如書かされた理由。
①催眠若しくはリモートコントロール。
②実際に、寝て起きた15時半から一気に膨大な追記。とても本日内に書ける訳なく中止し、ごく一部のみ本文に追加。なお、寝る前に追記予定なし。誤字脱字とレイアウトチェックのみ予定で寝ていたはず。
③突如書かされた理由の推測
1)Fieldwork妨害か、誰かの都合の良い日におき替えさせる目的か
2)私のHPを、新聞社かTV局が中継でもしており、視聴率問題からの強制か
3)その他。
Memo-3・ゴミ出しを行うとしても午前4時半から洗い物、書類整理(同窓会返事・年金手続きなど)してだしに行けば午前6時のため、上記原稿書く必要ない。
2017年11月17日
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?news=16948
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆

 



11月19日~23日のフィールドワークは、先の人権擁護協議会封筒対応問題、催眠での長時間独り言強要危害、催眠による突如の原稿書きなどで、当初(11月15日)は一日延期、更に11月17日からはひとまず全面延期、11月18日には11月26日~11月30日の方向で再調整をした。
しかし、引き続き妨害が予想された。

そうしたときに、今上天皇が登場。
私の行くコースであった、井の頭公園に登場された。それも11月22日である。例の11・22である。ミスター・オバマが登場し、11・22の長崎行き妨害は村などでは減った。他ではあったが。同様に、天皇家が私のフィールドワーク妨害への防波堤になっていただいたと解釈した。
そこで、お礼を兼ねて、最初の日に皇居へ向かった
妨害がなければ、当然、11月19日(日曜)~11月23日の予定通りとなっていたであろう。実際にその方が費用は安かった。

帰りならば、11月23日のバスは6500円で更にクーポンが500~1000円のため5500円程度、更にポイントをかなり利用していたので千円から2千円程度となっていたと思う。新幹線だと15000円以上である。ホテル代金の合計もあがっていた。おまけにバスのキャンセル料1300円を支払う羽目になった。

しかし、まだ妨害はやみそうになかった。
そこで、今上天皇登場となったのかと思った。それは小泉総理時代などに女性・女系天皇問題などで相談をうけたと思われた関係で{『日本のフィクサーME・下巻』(Kindle・Kobo各百円)に記述済み}、フィールドワーク妨害への防波堤となっていただいたと通常は誰でもそう思うし、今もそう思っている。


しかし、それでは何故帰宅した後でも妨害が続くのであろうか。

なお、田中正造関連も、昨年の夏以前に東京のコースにいれており、その記録は2017年9月20日三四郎ファイルにある。しかし、田中正造関係を考えたのは、多分2017年初頭と思われる。少なくとも記述を2017年9月20日にしている以上、当然計画はばれており、それへの防波堤になっていただいたとも解釈した。

重ねて言えば、フィールドワーク・東京行き妨害への防波堤になっていただいたことへの御礼(おんれい)、これが初日に皇居へ向かった理由である。

天皇制問題は別の箇所で論じるが、私は護憲であり、護憲と言うことは憲法1条もそのまま守るとなり、象徴天皇制が一番機能しやすい方法を考えるという立場である。ただし、今回のフィールドワークとは無関係なため別の箇所で論じる。

尚、皇室、天皇関連への言動を中止した理由は既に何かで公開したと思うが、櫻井よし子氏が報道ステーションSUNDAYという番組で、「皇室関連の問題についての発言は遠慮してほしい」と余りに丁寧にいわれたことを契機とする。それから相当期間皇室問題への言動は中止した経緯がある。

やや再開しかけたのが、昨年3月頃の愛子氏替え玉云々(うんぬん)という記事を見たことを契機として、昨年中頃か後半頃からではなかろうか。もう一つ皇室関連言動をしなかった理由は小泉内閣のときの如(ごと)く、総理自身等から相談をうけていないからである。

※{その間に、何の資料も与えられずに、挑発類を受け条件反射で言った言葉は全て無効である。何度か記したように、クシャミをした瞬間に「風邪かな」と独り言を言ったのと同様である。じっくり考えれば花粉症かもしれず、胡椒(こしょう)類がとんだのかもしれない。全く違う結論になることもある。代表的な例は、特例法問題などである。「退位が早いならば、(半年後=2017年初頭など)ならば、取りあえず…で、後でゆっくりと皇室典範改正…を」などである。今回の如き、2019年退位ならば、何故特例法にしたのかは、今の私には分からないとしか言えない。

また女性宮家問題などは一切発言していない。法的には女性宮家問題で皇室典範改正は簡単である。私自身は、「関係者から意見を聞かない限り何も言えない」としか言っていない。万一、皇室関係で私の言動と言われる物があったならば、全てデマである。もしくは先のクシャミと同様な条件反射であり、正式見解ではない。正式見解類は拙著『日本のフィクサーME』などで公開している。

 愛子さん替え玉説云々などは、アもイも言っていない。

 それに絡めて天皇替え玉説云々(うんぬん)挑発があった。何のことか分からなかった。そのときの経緯は拙著『日本のフィクサーME続編メモ』に記載している。

(参考)

四・1・日本のフィクサーME・続編メモ・皇室問題・A愛子さん替え玉説と2010年登校問題等

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=13980

 

四・2・日本のフィクサーME・続編メモ・伊藤博文が孝明天皇を暗殺し、安重根はその(天皇の)仇を討ったて、本当。

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=14119

日本のフィクサーME・続編メモ:四・3・孝明天皇は病死か暗殺か。明治天皇替え玉説って?そして、歴史とは何か。

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=14270

 



今回の天皇家関連記述や皇居訪問類は、フィールドワーク妨害が起こりかけていたことを阻止する防波堤になっていただいたと解釈したお礼でしかない。

なお、皇室関連への公式な言動は未(いま)だに保留に近い。
ただし、今回のフィールドワークで、お世話になったことが事実ならば、更に何らかの諮問を、信用できる人から求められたならば、そのときに検討することになる。

この問題は、これ以上は別原稿で記すことにする。



《◇―4・道中の不可思議なこと》

不可思議なことは、字数の関係で箇条書にとどめる。
(1)勘違いゲームの連続であったこと。
①館林と佐野市の勘違い
②佐野市駅と佐野駅の勘違い下車
③大昔世話になった食堂兼飲み屋を間違え隣に入ったこと
④大阪に戻ってからも、大阪城内にある世界連邦平和像に行きがけ、阪神梅田駅と野田阪神駅か福島駅を間違えて下車したこと。
まだあったと思うが、今、即座に思い出すのが上記である。

⑤さらに、私が皇居へ行った意味などを誰かが勘違いしている疑惑もあった。
⑥同時に、私の一連の不可解なことの始まりは、誰かが私と誰かを勘違いしたという暗示がある。私が泊まったホテル付近がその勘違い…の…職場でもあった。
なお、岡山短大時代にも、人間違いを装ったダブルクロス(二重契約)による労基法違反の大被害をうけてもいる。管理職が私と契約をした後で、ダブルクロスか何かで契約を連絡なしにやぶったこと(一年間被害額推定50万円×4年間)である。それも、再度、同様なことをやられかけ真っ青になった。


次が2016年の長崎・水俣の旅の再現という暗示があり、実際に、ホテルなどで何もないのに独り言が突如始まり、貴重な時間を失い行動に支障を来した。その暗示は、既述の如く2017年11・22への電話の件から始まっていた。


《◇―5・帰宅後も勘違い、誤解…は続く》

帰宅後も勘違い、誤解ゲーム、いな、勘違い・誤解危害は続く。
こうした誤解ゲームが、短大を辞めてからだけで二十年近く続いている。しかし、実際には、1984年頃からであり、もう三十三年の憂き目にあっている。
だが、私の人生の問題の本質は、こうした誤解ゲームや幼稚な挑発、ドタバタ劇類ではなく、職業選択の自由剥奪、人身の自由剥奪、経済の自由剥奪にある。
そして、それらの解決は、他力本願でしかない

今後、どうなるかは不明であり、考えても仕方ないことは考えても時間の無駄である。ただ、日々運動だけはしたいと思うが、それもいつか記す形で妨害され続けている。

今後、フィールドワークは過去のフィールドワークの整理類で、かなり長期無理である。写真の整理などは2016年の長崎の当たりで止まっている。部屋、パソコンのファイルもあれ放題である。これらだけで一年以上かかる作業である。勿論、予算問題もある。
しかし、昨年のフィールドワークの大半か、ほぼ全てが、誘導とか催眠説得で行かされたためどうなることやらである。

ただし、星野仙一記念館(倉敷)だけは本年行かねばならないと思っているが、その他は運動はしたいが、出歩きたくないがここ一年余りの心情である。
書いても無駄なことはこれ以上書かない。

フィールドワーク・東京は最後の賭けということで説得され行った。それ以上の意味があるのか・ないのかは、私には分からない。本当に言えることは、この意味が何かあるかどうかは、私だけには分からない、ということだけである。私自身が分かるようになるには数年かかるかもしれない。
あるいは、本当に、意味がなかったのかもしれない。起業関連の(最後に近い)賭けで行けという説得に従って行ったことだけが事実である。

フィールドワーク・東京の後半は様々な世の出来事があった。11月29日北朝鮮ミサイル発射、同日オバマ・習近平氏会談、11月30日李首相とロシア首脳会談、12月1日「天皇陛下、19年4月退位 改元は5月1日 皇室会議で意見一致」(朝日新聞デジタル・https://www.asahi.com/articles/DA3S13254786.html)となる。これらの事項が偶然か、偶然ではないのかは、私は現時点では全く知らない。




《◇―6・その他:日本のフィクサーME続編メモ等に続く内容》――下記は、他原稿の内容関連であり、あくまで参考までに掲載

私自身に関しては、表の世界と裏の世界の統一が課題である。
私の人生に関する仮説を拙著『閉じた窓にも日は昇る』(上)と『同書』(下)の中で三つ書いた。一番目が偶然の出来事が重なる奇異な人生、二番目が黒幕Xによる一連の危害説、三番目が永久の世か何かの映画類説である。

結論を書いている、拙著『閉じた窓にも日は昇る』(付録編)の下書きを整理して昨年出版予定でいた。超多忙で、『同書』(付録編)をまだ発売できないため、ここで結論を記せば購読者数は減るが、妨害が多いため記す。三番目である。

催眠誘導的な物の端緒が、高校時代にあった。スポーツは得意ではないが、柔道部に入り、柔道にのめり込みつつあった。体は柔らかいし、腕力は強いし、格闘技は好きだし…で。もし、本格的な練習形式や試合に出始めていたならば、おそらく病みつきになったであろう。すると、人生は現在と違うものとなっていた。

そんな、高校時代のある日、寝ている間に延々と諭された。
「受験があるだろう。教師になりたいならば大学に行かねばならない。金が家にないならば、国公立大学しか行けないだろう。柔道との両立は不可能だ」、と。
そこで、柔道部をやめることになった。確かに、半年ほど受験勉強に没頭し、成績もあがった。高校二年の前半の頃であろうか。このままいけば第一志望の岡大理学部数学科も大丈夫と当時の担任(2000年前半頃に死亡)が言っていた。

ところが、最初は民主主義活動として「友の会」なる同好会をつくり、各地の部落研集会などに参加するようになった。並行して、高校三年生の頃には部落問題研究部に入部することになる。それ自体は問題ない。

ただ言えることは、柔道にのめり込んでいたならば、体育系中心の日々となり、今日のストーリーらしきものはご破算となっていたであろう。
これ以上の解説は『日本のフィクサーME』と『閉じた窓にも日は昇る』(付録編)で記す。

尚、『閉じた窓にも日は昇る』(付録編)に書く予定でいたが、駿台予備学校での女性職員との問題も全て催眠であった。下書きに幾つもの証拠を掲載している。催眠で熱を上げさせられ…である。駿台の女性には指一本触れていないが、こうして、催眠で無理矢理、熱を上げさせられ、手紙を書かされ…である。バカバカいしいことこの上ない。

同時に、つまらぬ人生であることこの上ない。どうせ馬鹿馬鹿しいならば、芸術類中心の方が面白い。ということで、起業の中心を政経ではなく、芸術におこうとしたのである。

それ以上に、政治経済よりも、芸術・紀行文中心にしなければならない深刻な理由があった。
それは前者の作品は賞味期限・消費期限が短いからである。例えば、今いる政治家の大半は二十年後には誰ももう興味を持たない。そして、現在の状況では、私の作品が現世で売れるのはかなり先と予想されている。すると、売れ出した頃に、現在の政治経済中心に作品作成していたならば、そのときには昔話となり、商品価値が相当下がっている。
かと言って、その最中に記せば妨害だらけで疲れる。しかも、現時点では売れぬ仕組みとなっている
作品の選択肢は、賞味期限の長い芸術・紀行文しかないとなる。
芸術・紀行文は賞味期限が長いため、2017年1月21日(オバマ大統領退任)から芸術・紀行文中心に作品作成に専念すると宣言したのであるが。

※(参考)1998年頃は(私の受けた)労基法違反を社会告発し、労働者の生きる権利を盛り込んだ法作成を実現した上で、その過程を本にする予定でいた。だが、もはや人生のスパンから考えると芸術・紀行文の方にシフトせざるを得ない。また、2012年終わり頃から、戦争なき世・世界統一軍などの実現に向けて動き、その過程を本にする予定でいたが、暗礁に乗り上げている。霞(かすみ)を食っていきてはいけないため、オバマ大統領退任と同時に、作品作成は芸術・紀行文などにシフトする予定でいた。


ともかく、私は現政権云々(うんぬん)とは無縁としたいが、裏の映画説ではどうなっているのかは、私は知らない。何かあるのか、ないのかは、私は知らない。