写芸楽No.2・失敗は宝―1996年長崎の旅でのミスが思わぬヒントに

このエントリーをはてなブックマークに追加

写芸楽No.2・失敗は宝―1996年長崎の旅でのミスが思わぬヒントに

「人工知能は人間を凌駕(りょうが)できるか」という問いを良く聞く。
それに対して、私は「人間がミス・失敗をし続ける限り、重要な部分では凌駕されない」と記した。

より正確に記そう。
ミスはあってはならない。
怠慢から起こるミスはもってのほかである。

だが、次のことを良く聞く。
「失敗を恐れてはならない」。
それに近いが少し違う。

解説や結論を記す前に、1996年11月の「水俣から長崎の旅」で、長崎での撮影について触れる。
それが、全てを言い表しているからである。
二例あげるが、先に一例の失敗例を記してから本題に入る。
長崎で、重要な撮影をした後、ちょっとした操作ミスで、ホテルでカメラのフィルムが入っている蓋(ふた)をあけてしまったのである。
当時、真っ青となった。
ところが…。
さて、この話に入る前に、長崎でのもう一つの失敗例が作品となった話から入る。タイトル名『長崎平和祈念像・魂』が完成した瞬間である。
結論を知りたい方は最後に掲載している写真から見ていただいた方が良いかもしれない。


長崎平和祈念像と対峙(たいじ)した。
どう撮るか。
夕方、一時間ほど考えたが回答がでない。

写真でも、他の作品でも同様であるが、作品の一番重要なポイントはオリジナリティである。
思いあぐね、夜中の撮影にかけた。
というのも、広島の教師と子どもの碑や原爆の子の像撮影で、夜中撮影のアイデアをもっていた。それをここで使うことにした。
幸い、宿はセントポールホテルで、平和公園までは何度でも歩いていける。

夜をまった。
そして夜中に、長崎平和祈念像と対峙するが、なかなか頭に映像がでてこない。
当時はフィルム式カメラであるが、通常は、シャッターをきる前に映像が頭にでてくるのである。
だが、でてこない。

ともかく、三脚を使用しながら、何枚も撮影した。フィルムも二種類(ネガとポジ)を使用した。

ともかく、シャッターをきりつづけていた。
その途中で三脚が動いた。
真夜中で暗い。
レンズは金欠で当時は暗いレンズしかもっていない。
標準では開放値がf4.5かf5.6のレンズである。
フィルムはポジ中心のためISO 100である。
当然、シャッタースピードは相当遅く設定する。

記憶では何秒単位である。
このとき、露光の途中で三脚が動いた。
当然、失敗のはずであった。

ところが、現像してみると、この写真が一番面白かった。
私の作品の一つである『長崎平和祈念像・魂』(タイトル名)である。

三脚とレリーズを使用しながら、露光の途中で、三脚を動かす人はいない。
第一、手ぶれ、カメラブレを防ぐために三脚とレリーズを使用しているのである。
そこで、誰も、三脚とレリーズを使用しながら、露光の途中で三脚を動かすなどは思いつかない。
こうして、ミスというよりも、失敗から作品が生まれた。
同時に、技法の確立につながり、それ以降多重露出を重視するようにもなった。
私の得意技の一つが多重露出である。

ちなみに、当時所有のカメラはニコンF401X(中古で購入)とF90X(逆輸入で購入)の二台である。
共に多重露出機能はない。
それが、露光を長くし、三脚を動かしたことで多重露出となった。
だが、多重露出でも、こうした多重露出は誰もしない。
要するに、誰もしないことは通常は失敗から生まれるのである。
なお、私が多重露出を内蔵したカメラを購入したのは、1997年のF5が最初である。


もう一例も1996年11月長崎撮影のときである。
セントポールホテルでは、予約なしでの当日依頼にも拘(かか)わらず、大変見晴らしの良い部屋を提供してもらった。
しかも部屋も広い。

そこで、真夜中に三脚を使用しながら、部屋中から撮影した。
勿論、三脚の下には新聞紙を敷いて、部屋が汚れないよう配慮したが。

そして、撮影が終了した後で、カメラのフィルムをまき直す前に、カメラの蓋をあけてしまった。フィルムに部屋の光が当たった。
真っ青になり、即蓋をしてから、フィルムを巻き戻した。

現像してみると、部屋の光が当たった部分だけが茶色(オレンジ色)となり、面白い写真となっていた。
正確に言えば、面白い写真になりかけていた。同時に、幾つかのアイデアの土台がそこにあった。
しかも、このときは、被写体のハイライトとシャドウのダイナミックレンジは広すぎた。
簡単に言えば、ハイライト(明るい部分)を取れば、後は真っ暗となる。暗い部分を取ればハイライトは白く飛んでしまう。そこで、ポジではアンダーきみに撮影する。
当然暗すぎる。

その暗い部分の一部が茶色となり、面白い写真となったのである。
これは大昔に、島根県の石見銀山でも経験している。
そこで、相当アンダーの写真のときには、故意にカメラの蓋をあけ、フィルムを少しだけ光に当てると面白い写真となることが多々ある。

だが、当然、この技法を推奨しているカメラ雑誌は一切ない。
だから、オリジナリティは失敗から得られることが多い。
誰もしないこと、あるいは常識に反することは、通常は失敗からでしか得られないからである。

この他にも失敗から、ピンボケ活用法を思いつき、ピンボケ活用技法を編み出した。
私は、自称、ピンボケの魔術師である。
手ぶれも同様に故意にカメラをふって写す技法を確立しつつある。
流し撮りとは少し違う技法である。

現時点での人工知能は当然これらはミスであり、してはならないとする。
人間はそうではない。
そこから前人未踏のアイデアや技法、特効薬、発明…などが生まれる。

怠慢なミスはよくない。
言葉を換えよう。
必死に何かに取り組んでいるときにのみ、神の見えざる手により、人は失敗・ミスという形をとりながら、とてつもない解決策を得る。
神か仏がミス・失敗という形を取りながら、解決策やアイデアを教授したのかもしれない。
必死に取り組んでいるときの失敗は宝である
怠慢から起こるミスと区別するため、怠慢のミスを上記センテンスと置き換えよう。


実例:1996年長崎の実例

写真はいずれも、一度クリックでパソコン大画面、二度クリックで巨大拡大


A・撮影途中で三脚を動かすと…

(1)ストロボを使い撮った場合。

96-133-33-f


(2)長崎平和祈念像(夜三脚を使い通常に撮った場合)



(3)夜三脚をつかい、数秒の露光の途中で三脚を少し動かした場合。(作品・『長崎平和祈念像・魂』

96-133-24-f2


(4)上記を加工して。→上記(3)が作品、こちらは本の表紙用。現在、(3)のままで(4)の光を入れる方法を模索中。

旅に心を求めて下表紙-Ms



B・フィルム式カメラで、フィルムを入れたまま蓋をあけ、フィルムに光を当てると…。

(1)ホテルの部屋からみた長崎の夜景の通常撮影の中で一番よいもの。

96-134-02-sf


(2)同上類似写真で、カメラの蓋をあけた場合。

96-134-04-sf

上記をもう少し暗めに。

96-134-04-f


※この長崎撮影全体は、下記を参考していただきたい。
まだ、カメラを開始して、一年あまりのときのため、技術は甚(はなは)だ拙劣であることをお断りしておく。
(参考)
写真物語館・長崎原爆
授業を求めて―水俣から長崎平和公園まで(1996年11月の旅)写真99枚掲載
http://h-takamasa.com/tamashi/policy.html