(1)偏差値のイドラのおさらい。
偏差値のイドラをまとめれば以下となります。
第一話【偏差値とは何か】では、偏差値とは商品の善(よ)し悪(あ)しではなく、単に入手しにくい物でしかないことを解説しました。
第二話【大学サクラ商法】では、手にいれにくくするため、入口を小さくみせる小細工の事例を紹介しました。
第三話【学校は竹の筒】では、手に入れにくくするため、今度は多くの人が欲しがる小細工を紹介しました。これにより、大学は教育サービスで価値を上げずに、竹の筒のままで入学したがる人を増やすことができました。
第四話【偏差値固定化の欺瞞(ぎまん)】でも、いかさま数値の偏差値ですら固定してみることはできません。大学の偏差値も時代とともに変化しますが、人間の方も変化します。某有名教授は専修大学夜間→学習院大学夜間→学習院大学→一橋大学大学院です。私も、オバマも幾つか大学を変わっています。内舘牧子氏は1970年武蔵野美大卒ですが、2006年に東北大大学院を修了しています。安藤東大名誉教授は大学・大学院をでていません。固定して見ることは不可能です。強いて固定すれば〝今〟です。
第五話【実力を阻害する偏差値】では、偏差値が実力向上を阻害することを紹介しました。東大卒で公立高校ならばもう何もしなくても優秀・出世コースとなり、死にものぐるいでの努力から疎外(そがい)されます。その逆に、八流大学があるとすれば、その大学ならば、幾ら能力があっても評価されずに、社会の損失となることがあります。尋常小学校卒の松本清張はあと一歩でそうなる運命にありました。
今回の最終回では、偏差値をはじくための指標自体が出鱈目がテーマです。認知症の検査のテスト自体に有効性がなかった場合に該当します。
(2)偏差値をつくる人。
偏差値は一般に模試を土台としてつくります。模試はどのようにしてできるのでしょうか。模試作成で、私は駿台で6年、ベネッセで20年現場をみてきました。河合塾は半年(鬱病期のため除外)、代々木ゼミなどは友人が講師でいました。
模試作成者は多忙です。しかも他に、講義や出版などで良い金になる仕事をもっています。これで、丁寧に、模試がつくれます?何も書きますまい。
ただ、駿台・ベネッセ以外で見た模試作成現場で、某作成者は多忙なため、パーティの席上かその待合室かでせっせと書いていました。資料にも当たらずに。ときには酒を飲みながら作成するものもいたりして(最後のは見間違えで訂正としておきましょう。)
どのくらい酷(ひど)かったかは後日、政経・現社の模試の具体例を示して紹介しましょうか。(他の講師の作成過程のコピーを保存しているのですから。企業秘密になる部分は配慮して見せられないかもしれませんが。)私など何度唖然(あぜん)としたことでしょうか。
偏差値をつくる上での土台となっている、試験問題自体が出鱈目(でたらめ)なのです。認知症の検査をするときの、検査表が出鱈目で本当に診断ができないのと同様に、あの検査表(模試)では学生の受験に限定しても能力は分かりません。
(3)偏差値の土台の模試の癖について。
大学ごとに入試問題には癖があり、同一模試では他大学との比較はできません。例えば、大昔は慶応大学経済学部の英語試験問題は長文英語を日本語に直す読解一本槍に近いときがあったと思います。他方、早大文学部などの英語入試は( ){括弧方式}クイズ型の問題が多かったです。これでは長文読解一本槍で受験勉強をしている生徒は早大文学部には通らないでしょう。
もし仮に、立命館大学法学部が早大型問題とすれば、長文読解型入試問題を中心にしていた生徒は慶応大学経済学部や法学部は合格、立命館大学法学部は不合格となります。偏差値は慶応の方が高くてもこれは起こります。
英語に限らず、日本史ならば近代史はまずださない大学とか。その逆もあります。その他書けばきりがありません。
関関同立模試なるものが昔ありました。大学ごとに入試の癖は当時違っていました。しかし、模試の問題は同一でした。受験産業は作成にあたり経営を重視します。当然です。作成者なども、模試作成代金と授業をするときの講義料では後者が上ならば、後者を重視します。また一部の某受験産業では現役の学校講師に依頼したときがありました。学校教師は生活指導、進路指導…で超多忙なときには酷(ひど)いものです。何故ならば、彼らは模擬関連を解雇されても自分の学校があるのでなんともないからです。隠れてやっていた人がいたかもしれません。おまけに政経・現社に限定すれば大変知識がありません。私が没にした問題を公表できればすぐ分かります。
ようするに、模試作成者は賃金に応じて、模試問題を作成していることを忘れてはなりません。だから、A君が難関大学に合格して、そうでない大学に不合格という場合は偶然ではないのです。
こうして、偏差値をはじくための試験紙すら出鱈目なのです。何から何まで出鱈目なのです。更に、いっときは以下の問題もありました。
私は関西学院大学を受験したときには、入試教科は①英語、②数学ⅠとⅡ・③社会(日本史若しくは世界史)・④国語かの中から二科目選択の合計三科目でした。私の①を仮に50点、②を100点、③を80点、④を30点としましょう。このときに、英国社で受験しますと、私の合計点は160点で不合格です。偏差値は仮に40~50としましょう。だが、①英語、②数学、③世界史の三教科としますと、合計230以上となりトップクラスで合格となります。偏差値は仮に70としましょう。これは例であり、実際の数値ではありませんが、私の実例に近い話です。
私の偏差値は40なのでしょうか、70なのでしょうか。
なお、関学などの数学入試は三題程度出題であり、自分の苦手な箇所が一題でれば終わり、その逆も然りです。しかも入試の癖もあります。まさに運任せであり、模試でははかれません。
早大大学院政治学研究科の入試問題などはさらに癖があり、通常の大学院模試などがあっても、合否判定はできないでしょう。
大学入試センター試験に至るまで共通一次型入試が主流といっても、その問題自体に三重の問題があります。一つは悪問がかなりあること、二つ目は鎌倉幕府の成立などは1192年説や1185年説があり、解答のでない問題があること、三つ目が論語読みの論語知らず型あるいは、人によれば全く意味不明のお経文句暗記型になっている問題などです。
(4)では模試ではなく、入試問題は適切でしょうか。
私も年をとりました。私の教え子が岡大・神戸大・法政大…などで教授になっています。彼ら・彼女らは真面目なので問題ないでしょう。だが、私の大学・大学院時代やその他研究会で一緒に学んだ人達が教授とか名誉教授になっています。(知人類が現在・過去教授となっていた学校→岩手大・千葉大・広島大・岡大・名古屋大・東大・早大・慶応大・上智大・関学・関大・同志社大・福山大・名城大・拓殖大・ICU……)「彼らが入試問題を作成……」。もう何も書きますまい。受験産業の講師の話と重複するだけですので。「あ~あ!」ため息が出ます。{勿論、真面目な人もいましたよ。△△君や□□君などは大変見事でした。でもね他が……}
面白い話があります。出題の元になった本を書いた人が、彼の本から入試問題が出題されました。だが、書いた本人は満点を取れなかったという本当の話があります。図示すれば下記となります。
著作を書いたA→大学教授Bがそのごく一部を抜粋し入試に→受験産業の講師Cがそれを模試に出題して解答をつくります。Bはそれは 解答とは言えないといいます。それどころかAはそんなつもりで 書いたのではない、といいます。ここまでは実話です。
(※注1)ここは夢か現(うつつ)かという妄想を参考までに記します。私と某世界のリーダー三人がαを決める→大学教師はαの研究をしてKという本を書きます。それを引用して、受験産業の人がLという形で解釈をします。私はそれは全然解釈が違っているだろうと何度も家で独り言で言います。
(※注1)は妄想であり、その妄想を拙著『日本のフィクサー〝ME〟』に記しています。こんな妄想からはおさらばしたいです。一円もならず、危害のみ多いです。よって、『日本のフィクサー〝ME〟』はパート2かパート3で打ち切り、後は紀行文・旅行記・エッセイなどを書いて生活の糧をえたいです。(※注1)の部分は妄想とかフィクション(5%程度嘘をいれたフィクション)ですが、(※注1)以外の部分は事実だから始末が悪いです。
(5)本道への道。
では、何を目安に勉強したら良いのでしょうか。
本道に戻ったらどうですか。
福祉政策について知るときには外国の事例や日本の制度史を研究しなければならないといいます。だが、福祉の必要性とか、具体的なニードを知らなかったならばどうなるか、ということです。
以下、拙著、『親方日の丸―第二部親方日の丸と日本経済』(安らぎ文庫・Kindle版・2015年8月頃発売)から引用します。
……
「米国では、障害を理由に学生、生徒を普通教育から排除することが、二十年前、禁止された。耳の聞こえない学生には手話通訳、目の見えない学生には朗読者が用意される。手の不自由な人に代わってノートをとる人が配置される。障害が重くても学習の機会は平等に、との理念からだ。……日本を訪れる福祉の専門家が養護学校の卒業生や福祉施設の入所者が駅で切符を買う訓練や、店で買い物をする練習の風景を見せられ、こんな感想をもらしているのを聞くことが、しばしばあります。『幼稚園や小学校のころから一緒に育っていれば、ごく当り前に身につくことなのに』『同じ学校で過ごせば、クラスの誰かが建築家になったとき、車いすの友達のことを思い浮かべながら建物を設計する。政治家になったら、障害のある友人を念頭におくだろうに』」(「朝日新聞」1993年12月9日社説)
……
障害を持った教師が少ないことも実に不自然なことである。
一概には言えぬが、障害を持つ人は社会の多くの苦しみを他の人より知っている可能性がある。国家の仕事にはいろいろあるが、世の苦しみをなくすことは大きな仕事の一つである。勿論(もちろん)、障害を持つ人以上に、障害全体に強い関心を持つ健常者はいるであろう。しかし、今日の日本のような隔離(かくり)教育社会ではそれのみでは不十分である。
よって、経済学などの知識も重要であるが、人間の苦しみを知るという経験も国家の官僚になるには不可欠な資質である。「この世にどのような苦しみがあるか」、それを知ること自体も英数国理社などに勝(まさ)るとも劣らぬ重要な学問である。……。
『福祉のまち』として知られる東京・町田市役所にこの人ありと慕われた近藤秀夫さん。……二歳で母を、十二歳で父を失う。敗戦直後のことで、かっぱらいで飢えをしのぎ、野宿同然の生活をした。だから、最終学歴は『小学校卒』である。十五歳のとき、炭坑の雑役についたが、一年たらずで事故にあい下半身まひに。……生活保護を受ける身にもなるなどして流転のはて、この近藤さんの人格と体験を高く買う市長が現れた。町田市長の大下勝正さんだ。三十九歳で市役所入りした近藤さんがまっさきに手がけたのが『福祉環境整備要綱』だ。……松葉づえや車いすの人も使えるようにしようと、建築主とひざを突き合わせ、要綱の意味を説明し、改善を説得した。……三年前からは生活保護の窓口に座った。「訪ねてきた市民のだれもが『この人は味方なんだ』と近藤さんには信頼を寄せるんです。入れ墨のオニイサンも一目をおくんですよ」と同僚はいう。「生活保護を受けた体験」と「車いすの体験」で福祉行政に命を吹き込んだこの名物公務員が、六十歳の定年を迎えた。……(「朝日新聞」1995年3月31日)
大学・高校改革だけではなく、国・地方を問わず、公務員の選択の仕方に関しても大改革が必要である。極論すれば、高校・大学改革の前に文部科学省などの役人の選抜方法・評価方法の大改革が不可欠である。勿論、公務員試験問題も一新すべきである。この世にどのような苦しみがあるかを肌で知ることは公務員に不可欠な学問であり資質である。
……公務員選抜の方法と研修でも、親方日の丸主義から脱却し、真(しん)に社会的使命に基づき、責任を持ち創意・工夫する公務員を育成しなければならない。同時にこうした真摯(しんし)な姿勢を持ちだしたときには、役人を政治家・官僚の幹部から守るための制度をつくることも不可欠である。教育改革のためには官僚・政治家の人間性改革が不可欠であり、官僚・政治家改革のためには真の教育改革が不可欠である。》{拙著『親方日の丸―第二部・親方日の丸と日本経済』から引用終了。}
(6)最後に。ではどうすべきでしょうか。
私は、本来、高校・大学・大学院などの入試はどうでもよいと思っています。来たい人は全部いれればよい、と。入ってから鍛え、切磋琢磨し、それにこたえた人だけが卒業できればよいと考えています。何度も書いたように、今の学校は竹の筒です。入ったら終わり。入った時点での評価がすべてであり、中は何もありません。入る迄が大変という点のみ、行列のできるラーメン屋さんと同様ですが、ラーメン屋と異なり学校は美味しくないのが現実です。
私は入ってからが大変と逆にすることを提言しています。新日本プロレスが全盛時代に、入門希望者が山ほどいましたが、トレーニングが大変で大半夜逃げをしてほとんど残らなかったそうです。大学も同様とすべきであるが持論です。
第一、それほど厳しければ噂をきき、試験がなくても誰でも彼でもがはいってくることはなくなるでしょう。更に、入ってからの厳しさで何人もの人が、自分の専攻した学問が自分のふさわしい道ではないと悟れば去っていくでしょう。これが本来のあるべき道と考えています。
そして、学ぶことも意味がなければなりません。福祉政策を学ぶときに、教師が制度史を記して、その板書したものを写すだけなどの馬鹿な実態は意味がありません。まず、この世にどのような苦しみがあるかを学び、そこからの脱却の道と、制度の研究をしなければなりません。だが、今日の毒饅頭教育では、制度史の暗記はでても、人間の苦しみを理解できているかどうかの素質はとわれることがありません。その結果が今の社会です。
こうしたことを実践できる大学が「美味しいアイスクリーム」なのです。現在、日本には美味しいアイスクリームに該当する大学がないのです。
「安くて美味しいアイスクリーム」の話から入りました。そして、誰も「安くても美味しいアイスクリーム」がどこにあるか分かりませんので、偏差値なるものに頼り、行列のできる「アイスクリーム」屋がよいだろう、となったことを強調しました。しかし、実は、そのアイスクリーム屋さんは倒産して、今はないのです。倒産したアイスクリーム屋さんは適々斎塾(適塾)などであったかもしれません。
再度言います。今はないのです。ない以上、どこの大学に行っても同じです。そうした教育機関が存在するまで、独学しかないのです。
そこに、私が適々斎塾や松下村塾を調べている理由があります。
もし、林竹二氏が生きていたならば、私の書いたことに少しは同調してくれたかもしれません。
本来、研究とは癌の特効薬を見つけるものです。癌だけではなく、社会には人類の生存のために不可欠な課題が山積しています。それらの特効薬をみつけなければなりません。それが学問です。その能力を向上させるためのトレーニングを行う場が高等教育のはずです。
しかし、実際には高等教育は竹の筒に近い状態なのです。どれもよくありませんので、選びようがありません。そこで、手に入れにくい物が良い物だと判断しているだけなのです。それでも手にいれにくい物は、評判が良いからだけではなく、流通経路に問題があったり、機械の故障があったりで入手しにくい場合もあります。それらは具体例で紹介した通りです。
勿論、入手しにくいと言った人自体が、手抜きで分析せずに、適当に言う場合もあります。テに入れにくいものが良いと信じて後悔した人もいるでしょう(特に絵画)。偏差値はそれです。ただ、何度も言うように、大学はどこもよくありませんので、また消費者も何かを身につけるためではなく、「ルイビトンをもっているわよ」というが如くに、見栄志向でいくため問題が不鮮明となっているだけです。
再度記しますが、偏差値という欺瞞的なものが、学校評価の土台となる根源には、真の教育不在と親方日の丸主義がはびこっています。肩書き志向も親方日の丸主義の要素の一つです。即ち、形式主義といいます。教育そのものを問わねば問題の本質は取り除けないでしょう。
松本清張の最終学歴は尋常小学校卒です。松尾芭蕉は大学の文学部を卒業しておりません。中宮寺・広隆寺の弥勒菩薩を上回る彫刻を東京芸術大学の学生はつくることは未だにできません。人口、僅か、五百万人もいなかった頃にどんどん作れた物を。それも、大学も大学院も無かったころに。何のための大学でしょうか。建築家・安藤忠雄氏は、高校卒にも拘わらず、東大教授になりました。しかし、日本各地に埋もれている安藤忠雄氏や松尾芭蕉などが数多くいます。実力主義を唱道しながら、事実上肩書き主義(形式主義)が蔓延(はびこ)っている社会では当然のことです。これを助長しているのが高校・大学、そして今日の教育なのです。よって、偏差値批判の前に、教育批判をしなければなりません。教育批判を完璧に行えば、ゆがんだ教育の上に存在する偏差値批判はもはや必要なくなるでしょう。零に何をかけても零です。
原点に戻り、良い学校をつくることから始めましょう。それ抜きでは、現在の大学は偏差値に拘わらず、どの大学にいっても同じです。身につく物は独学によるものだからです。教育の世界を見てきた私の回答は、今の大学ならば、どの大学にいってもほとんど大差がないが回答です。企業も、本当に実力主義に徹するのならば、どの大学から学生を採るかではなく、(学校と無関係に)どの学生を採るかです。企業は横着ですので、大学の偏差値で手を打っているだけです。プロ野球・サッカー、芸術の世界では通用しません。横着な企業は一人一人の学生の能力分析が面倒なのでさいころ感覚で偏差値に頼っているだけです。勿論、学生は固定してみるのではなく、変化するものです。そこで、今一番よいのを選ぶべきです。今が全てです。
「安くても美味しいアイスクリーム」を食べましょう。でも、それがないのです。昔はありましたのに。ならば、「安くて美味しいアイスクリーム」をつくるようよびかけましょう。そして、大義に立っている人は「安くて美味しいアイスクリーム」をつくる店をつくりましょう。それが今望まれている大学を始めとする高等教育機関です。
【追記】今回は、思うがままに記しただけであり、同時に連載形式のため、全体の整合性が一部不十分となっています。「です・ます」調と「である」調の不統一すらあります。この原稿を数年寝かせて、相当手直しをし、場合によれば書籍にしたいと考えています。そのときには、適塾・松下村塾vs東大・京大比較論なども含めて、適塾や松下村塾などの調査も加える予定です。
毒饅頭教育批判・「現代のイドラ・偏差値を斬る」終了。2015年9月1日。