教育問題を語る(毒饅頭教育批判)・第九回「偏差値のイドラを斬る」(第5話・実力を阻害する偏差値)

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教育問題を語る(毒饅頭教育批判)・第九回「偏差値のイドラを斬る」(第5話・実力を阻害する偏差値)

 

私は、安くてお美味しいアイスクリームが食べたいです。
何度も書きます。何故ならば、こんな単純なことが理解できない人が多いのです。その典型が学校・教育です。
学校はアイスクリームではありませんが、教育サービスを売っています。でも、どの大学がどのような教育サービスを売っているかは大抵の人が分からないのです。そこで、偏差値(入手の難易度)の高い学校が良いでしょうと、錯覚をしたのです。手に入れにくいアイスクリームが良いのではなく、良いアイスクリームが良いのです。それを錯覚したことから幾つもの弊害が生まれてきました。

 

 

【偏差値が将来の切磋琢磨を妨害する】
昔、私が高校の教師になろうと思い、高校が教員公募をしていようといまいと無関係に私立高校回りをしたことがあります。「私をつかってほしい」と。そのときに某学校の某教師が「一応履歴書は預かっておきます。でもうちは今は良い教師志願者が多いので……」。このときの良い教師志願者とは単なる有名大学(多分、旧帝大などであろう)出身者をさしていたようです。どうして、東大・京大を始め旧帝大出身者が良い教師志願者なのでしょうか。正確には、出身者・卒業者ではなく、旧帝大入学者です。大学は既に述べた如く竹の筒にすぎません。つまり、自分で切磋琢磨(せっさたくま)して卒業したことではなく、入学したことだけを評価される場なのです。ところが、有名大学に入学したことで有頂天になり、切磋琢磨をせずに、逆に自分の価値を後退させることがよくあります。
(※注1)公募の有無にかかわらず、おしかけをしましたが、結構、返事がきました。白陵高校(兵庫県)の創設者は交通費なども支給の上で会ってくださり、創設者と30分から1時間近く一対一で会談をしました。

 

NHKのニュース番組アナウンサーで東大卒をしきりに強調する人がいたような気がします。だが、NHKのアナウンサーは、プロ野球の選手と同様に、本来アナウンサーとしての能力で評価されるものなのです。それも毎年の。東大時代に、どのくらい、基礎能力を鍛えられたか、次にアナウンサーとして、どのくらいその能力を毎年磨いたかがすべてなのです。
だが、手に入れにくいものを手にいれたため、ブランド志向感覚となり、東大入学で有頂天となり、大学時代はおろか現役のアナウンサーになっても、逆に努力を怠るときが多々あるようにみうけられます。これが偏差値のイドラの落とし穴なのです。
手に入れにくいアイスクリームがありました。二晩徹夜で並んで漸(ようや)く入手しました。だが、かなり溶けていました。しかし、十万人に一人しか買えないアイスを手にしたのですから、溶けて美味(おい)しくないアイスても食べて大満足をしているのと同様です。しかも、そのアイスは溶ける前から美味しくなかったかもしれません。入手しにくいもの、他人も買い求めているものを購入できたことによる優越感にすぎません。ところが、これがアイスではなく、学校・教育となると先のアナウンサーの如く、東大をでたことが逆効果となることがよくあります。

NHKの戦後を代表するアナウンサーと言えば、宮田輝と高橋圭三でしょう。宮田輝(みやたてる、1921年~1990年)は明治大学出身であり、高橋圭三(たかはし けいぞう、1918~ 2002年)は高千穂高等商業学校(現:高千穂大学)出身です。
それ以外にNHKを代表したアナウンサーと言えば、鈴木 健二(すずき けんじ、1929年~ )東北大学卒、 磯村尚徳(いそむら ひさのり1929年~)学習院大学卒などでしょうか。また、異色のアナウンサーとして黒柳徹子(くろやなぎ てつこ、1933年~ )などもいました。彼女は東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業です。
彼ら・彼女らが、自分の出身大学で自分を評価してもらおうとしたでしょうか。当然、現在の自分のアナウンサーとしての実力で勝負をしようとしていました
しかし、現在では偏差値なるものが、彼ら・彼女らの切磋琢磨を阻(はば)む、人間の能力の進化を阻む存在として今日君臨しています。

NHKの看板番組は紅白歌合戦でもなければ、大河ドラマでもありません。NHKの看板、そして他局も注目するのが各種ニュース報道です。私は  籾井勝人(もみいかつと、1943年~)NHK会長に願うのは、NHKニュースウオッチ9のキャスターを毎日違う人物にして競争させてもらいたいのです。月曜から金曜までメインキャスターとサブキャスターを全員違う人物として、メイン5人、サブ10人程度を競争させ、次年度はその内上位二人を残し、新たに三人を追加し再度競争させ、……の繰り返しを毎年してほしいのです。そのときに、大学はこうした能力を進化させる訓練の土台を提供していたかどうか(=教育サービスの内容だけが)問われることになるでしょう。今の如く、竹の筒(入ったときがすべてで後は竹の出口まで自動で滑り落ちる)では通用しなくなるでしょう。

 

これは、NHK以外でも同様です。私はかつて『旅に心を求めて・懐かしきの心を訪ねての旅』第2章の中で桂三枝{六代桂文枝(かつら ぶんし、1943年~ )}さんを批判したことがあります。以下、『同上書』から関連部分を引用します。

 

《……桂三枝という落語家がいますが、彼の犯した罪は重い。彼はかつてパンチDEデートや、ヤングオーオー、新婚さんいらっしゃい等々の番組中に、登場者の学歴が東大・京大・阪大となれば「オ~」と感嘆の声をあげ、学歴が関大・近大などならば「オヨヨヨ~」と多少小馬鹿にした表情をしていた。超有名タレントのこうした仕草が、多くの青少年に与えた影響は強い。こうして彼は、東大は優秀であるが、私立大学は早慶を除けば優秀ではないイメージを蔓延させた。どこの大学を出たか、大学を出たかどうかで優秀さは決まらない。社会にでての実績が全てであることを世間から忘却させる大CMを行っていた。
ちなみに、徐々に実力主義になりつつあり、建築家・安藤忠雄氏は最終学歴は高校卒であり大学はでていないが、東大・コロンビア・ハーバード・イェール・南カルフォルニア大学などの教授を歴任している。小学校しか出ていなかった松本清張が早大教授や東大教授となっても本来おかしくなかった。社会にでてからの実績が全てであり、学歴とか偏差値という色眼鏡で人を見ることは大きな間違いである。
桂三枝を説得させるには次の事を記せばよい。松下幸之助が興したパナソニック(旧・松下電器産業)という会社をみればよい。第三大社長から創業家以外となっているので、第三代社長以降の社長の学歴を記しておく。第三代社長・山下俊彦(としひこ)(高卒)、第四代社長・谷井昭雄(あきお)(神戸大卒)、第五代社長・森下洋一(関学卒)、第六代社長・中村邦夫(阪大卒)、第七代社長・大坪文雄(関大卒)、第八代社長・津賀一宏(阪大卒)である。関大卒の桂三枝が関大や早慶外の私大卒ならば「オヨヨ~」で、阪大・京大卒ならば「オ~」と言っていた頃、彼と同一大学・関大卒で京大・東大卒と競っていた大坪氏は言っていたかもしれない。「この馬鹿が」、と。「私は彼らに負けはしない。巫山戯(ふざけ)るな」、と。
ただ、桂三枝を少し擁護しておこう。松本清張は小学校卒である。デザインの関係で朝日新聞社に入社したが、彼の著書『半生の記』によれば、酒の席などでかなり差別待遇を受けたそうである{松本清張『半生の記』(新潮社)、一九七〇年、七六頁。他にも学歴差別として三四頁などを読むがよい}。勿論、彼が朝日新聞社員であった頃、朝日新聞に掲載する記事などを書かせてもらえなかった。だが、後に彼が朝日新聞を辞め、四十代後半頃から有名になると、朝日新聞は「松本先生……」と松本清張に原稿を依頼するようになる。実力を見ずに肩書ばかりみるから、こうしたことになるのである。こうして、芸能人やマスコミを通じて、民間企業が適当につくった偏差値なるものに、国民は踊らされ、教育(高校・大学)という商品を購入する時、商品内容(設備・授業料・教育サービス内容)を忘却し、まさに戦前の如く操作されることになる。その結果、最高学府に行きどうなったかは、先に引用した大学生・大学の不祥事のオンパレードであった。……》

 

 

要するに、偏差値なるものが一人歩きをして、本当に優秀な人材確保上の大きなミスを生み出す原因となるばかりか、公務員社会や親方日の丸に準ずる組織(NHKや各種学校……)では、偏差値によるイドラのため、本人能力向上も含めて職場の進化を阻む要因となっているのです。私は、これらに関して、拙著『学校』というエッセイに次のようなことを書きました。

 

《……個人的なことを言えば、まともな勉強は十八歳~七十歳までに一番するのではなかろうか。すると、我が母校の教師は高校時代は優等生かもしれないが、それは勉学をしたこととは無関係である。高校時代の勉学などは実質的には一生涯の勉学中で二十分の一にも満たない。人生を三年間にたとえれば一箇月程度でしかない。しかも、質の悪い勉学である。このわずかな期間のみ勉強したからと言って、自己を優秀と錯覚し、そして教材研究をまともにせずに授業するならば、授業はやはり存在していない。授業があるというのは幻想にほかならない。恐ろしいことに、高校時代だけ、そして一応大学時代だけ勉強したからといって、その後の数十年間に必死に勉強もせずに、自分は優等生に属すると錯覚(さっかく)しているのである。落ちこぼれどころの騒ぎではないのは教師の方である。全国の九割以上の教師にあてはまるであろう。ましてや、生徒にとって、先生が過去勉強したことは本来どうでも良いのである。教えている今(いま)、勉強して、その成果を還元してもらわなければならない。……》{浜田隆政『学校』(浜田隆政『旅に心を求めて―不条理編・下』Kindle版・Kobo版、2015年所収)}
【実力を阻害する偏差値】
さらに、大学の偏差値は一人歩きをして、麻薬の如く力で多くの人の才能を犠牲にしてきたのです。野球の江川卓選手は慶応大学受験をしたことは有名です。ウィキペディアには次の記述があります。

 

《……1973年秋のドラフト会議にて阪急ブレーブスから1位指名を受けるが入団を拒否します。慶應義塾大学法学部政治学科を受験するも不合格だったため、法政大学法学部二部法律学科に進んだ(後に一部へ転籍)。江川が慶大受験に失敗した事実はニュース速報として報じられ大きな話題になりました。江川は不合格について「日本史で、過去の出題傾向から明治以降を完全に捨ててかかったら、その年に限って近代史の問題が多く出題された」と分析しています。一方で「江川を入学させると裏口入学だと騒がれる」という思惑から「例年なら野球部セレクションによる加点があるはずが、この年に限って加点が行われなかった」という説もあり、実際この年は堀場英孝・中尾孝義など慶大志望の他の有力選手の中にも不合格者が相次ぎました。……》

ところで、江川卓氏に関して、インタネットに次の書き込みがありました。弟さんとは江川卓氏の弟さんのことです。
《一橋大学を卒業した3歳下の弟さんが言うには、「兄の中学校の成績はオール5で、自分よりはるかに成績が良かった」そうです。……》

 

そう言えば、親愛なる王貞治さんのお兄さんは慶応医学部をでています。では、王さんも野球をせずに、受験勉強だけをしていたならば、通常の国公立大学医学部進学は可能だったでしょう。そして江川氏の東大進学もありえたかもしれません。その代わり、今日の〝世界の王〟は存在しなかったでしょう。私は大リーガーで大活躍した選手で、ノーベル物理学賞を受賞し、ピカソ並の絵を描いた選手は知りません。その三つの才能を持っていても、三つ全部で大成するのは不可能だと思うのです。
ところで、人間が人間としてい生きる上で学ぶべきものは一万を超えています。特に重要なものだけでも十以上はあります。それを大学入試の科目だけに限定して人間の頭の善し悪しを決めるのはいかさまでしかありませんもし、それに引きずられるならば、世界に名を残した彼ら・彼女らは存在しなかった人が多くいるでしょう。
もし、若貴兄弟が東大に行っていたならば……後の若貴兄弟は存在しなかったでしょう。ところが、偏差値のイドラに落ち込んで、かなり多くの人が才能を犠牲にしてきました。大阪大学医学部を卒業した手塚治虫が医師の道をたち、漫画家になったのは英断であったと思います。そう言えば、大阪にある適塾跡地にいった際に、緒方ビルを訪れましたが、そこには手塚治虫の絵が飾ってありました。というのも、手塚治虫の曽祖父・手塚良仙は適塾に学んだ蘭方医だったからです。(※2)
差値のイドラに陥ってどのくらいの人が、天が与えた才能を犠牲にしたでしょうか。しかも、この偏差値は、既に述べた如くいかさまの対象となったばかりではなく、次の節で記す如く、算出する問題自体が出鱈目(でたらめ)なのです

(※2)《また手塚の学生時代の恩師からは授業中もずっと漫画を描いている手塚に対して「手塚君、君は、このまま医者をつづけても、ろくな医者にはなれん。必ず患者を五、六人は殺すだろう。世の中のためにならんから医者をあきらめて漫画家になりたまえ」と言われている。手塚はインターン時代に患者の顔を見るとどうしてもカルテに似顔絵を描いてしまうとも語っている。息子の眞によれば、手塚は血を見るのが嫌いで道を断念したとも言う》ウィキペディアより抜粋