教育問題を語る(毒饅頭教育批判)・第八回「偏差値のイドラを斬る」(第4話・偏差値固定化の欺瞞)

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◇4―人間を見るときの偏差値固定化の欺瞞(ぎまん)

 

どの大学がよいか。それは、大学が教育サービスという商品を売る場とすれば、アイスクリーム屋さんと同様です。安くて美味(おい)しいアイスクリームを売っている店が良いとなります。大学も同様であり、良い教育サービスを安い値段(授業料など)で売っている学校が良いはずです。しかし、何度も書きましたように、どこで良い教育サービスを売っているのか誰も分からないのです。
そこで、取り敢(あ)えず、入手しにくい大学がよいだろうとなったわけです。即(すなわ)ち、行列のできる食堂がよいだろう、と同じ発想だということを前回まで書きました。大学が販売している教育サービスを入手しにくい数値が偏差値でした。

しかし、他の店と大学は違う点が三点あるのです。

一つは、ラーメン屋さんならば、もし、その味が落ちれば評価は下がり、行列は解消されます。あるいはその店が看板としていた△△ラーメンの味が落ちれば△△ラーメンの売上げは下がります。さらに、同じ味でも、競争相手がより美味(おい)しいラーメンをつくり、値段も下げれば、行列のできるラーメン屋さんは行列ができなくなります。ところが、学校は偏差値が高い大学をでればいつまでも優秀な学生と評価され続けることが多々あります。その大学の偏差値が高い限り、いつまでも、その大学をでたことだけにより学力を世間から評価されるという狂った発想を生み出しています。これが今回のテーマです。

 

二つ目は偏差値の高い大学の評価が異種格闘技戦での勝者と事実上なっている問題です美空ひばりと、三島由紀夫と、大鵬ではどの人が(人間的ではなく)社会的に一番すぐれているか。分かるはずがありません。でも、学校は特別扱いされる場合があります。ひどいときには、プロ野球ですら、京大・東大卒ならばいっときは関心の的となります。プロ野球の場合は実力主義ですから、徐々に正しい評価へとなります。しかし、一般社会では、もの凄(すご)いラーメンをつくるラーメン屋さんよりも、もの凄く美味しい芋をつくるお百姓さんよりも、ただ単に東大を卒業した人を優秀とか、頭がよいんですね、と錯覚した解釈がなされています。もっとも極端なのは、役場(特に官僚)を例にとれば、市民や国民に親切な職員と、横柄でも東大法学部を卒業した人間とでは後者を優秀として出世が決まるケースが多々あります。この問題は次回の第五話で解説します。

 

 三つ目は、偏差値が入手できる難易度を示す指標としても、その指標の土台である、試験用紙に問題があればどうなるか、ということです。簡単に言えば、認知症の検査をする試験問題が適切でなかったならばどうなるか、という問題です。認知症の判定はできません。偏差値をはじく模擬テストなども同様です。模試作成の現場にいた人間としてその問題点を指摘します。要するに、偏差値は何から何まで出鱈目(でたらめ)なのです。それが、今回の偏差値のイドラの最終回・第六話となります。

 

 

昔、昔、小泉純一郎という総理大臣がいました。その頃、私はテレビを通じて総理などと対話している気分になっていたときがあります。小泉元総理とは、政策も考え方も違うけれども、ときどき気があっているような気になりました。そこで、ある日、テレビに向かって愚痴というよりも正当な怒りをぶつけたことがあります。
「(旧労働省所管の)岡山短大という職場で、専任を確約に貢ぎ労働をさせられた。しかも専任確約で15年間拘束され、最後は(この岡短で教えて15年目には)専任になれる訳はないだろうと、きた。総理にも救済依頼文書を送付した通りである。だが、考えてほしい。もし私が東大法学部卒ならば、こうした目にあっただろうか。あるいは東大大学院法学研究科修了ならばこうした目にあっただろうか。
 こうしたことが起こったのは、私が関学卒、早大大学院政治学研究科修了のためである。総理も慶応卒だろう。頭にこないか。東大卒ならば専任にしなければ大変なことになる。だが、早大や慶応卒ならばこうしたことは当たり前。つまり、『東大卒は優秀、早大・慶大卒はそこそこ』とは頭にこないか」と怒ってテレビに向かって言いました
小泉氏も顔面を赤くして怒っているように見えました。「そうだ」、と。
読者の中には、私とか小泉氏が私大出身なので、能力への逆恨みと考えている諸君がいるでしょう。では、受験勉強に限定して、次の資料を提示します。

 

私は駿台予備学校で教えていたときがあります。1982年頃は駆け出しで今一つか二つでした。しかし、授業妨害や、刑事犯罪被害を受ける前の1984年頃は勢いにのりかけていました。学校の私に対する評価もよくなっていました。あのままいけば駿台で名物教師になるのも時間の問題でした。少なくとも、あと三年くらいすれば授業も地位も不動のものとなっていたでしょう。ちなみに、私の政治経済のライバル教師の出身学歴を紹介しておきます。当時、Y先生は政経から倫社にコンバートされたことと現役のため省略します。残りの政経教師は、一人は東大法学部卒で関西文理学院と兼任講師、もう一人は京大卒、あとの一人は京大工学部卒業後、学士入学をして東大法学部卒でした。ちなみに、政経模試で東京校の政経講師と打ち合わせましたが、彼も東大卒でした。その他に、東京校には政経講師が何人もいましたが、後の人の学歴は知りません。関西地区の政経担当者の内、私以外は全員東大か京大を卒業していました。そうした職場でも、私はトップに後一息となっていました。また東大法卒の先生と京大・東大両方を卒業された先生は後に解雇された可能性が高かったようです。

 

1984年の時点に限定すれば、受験勉強を中心に偏差値を出し、それを固定化して考えれば、政治経済に関しては、私の評価は東大・京大よりも上となります。偏差値は受験勉強を中心にだしますが、それですら、受験を売り物にしている予備校で実力主義の競争ならば、東大・京大卒が常にトップではありません。英語・社会科などの教科では東大・京大卒以外で、相当目立っている教師がかなりいます。

 

なお、1985年、特に86年以降に私を知っている生徒が、当時の私の授業をあんな物で私が書いた、84年にはトップに一息が嘘と言えば、それは85年以降の罠被害や諸妨害、86年以降の授業妨害及び87年からの拉致未遂犯罪などの刑事犯罪被害で授業ができなくなっていたことを知れば、私の書いた後一歩でトップということが嘘ではないことが分かるでしょう。これらの犯罪被害は拙著『閉じた窓にも日は昇る』で、当時の教師間の競争や授業内容は『求め続けて』に記しています。妨害がなかった1984年はきっちりとこなしていました。勘違いしている諸君がいれば、これらの本を読めば分かるでしょう。場外乱闘が酷(ひど)かったのです。道で、知らぬ男に「警察官だ。ちょっと来い」と両腕をもたれ、どこかに連行されかけたことも二度あったのですから。(※脚注1)。

 

 

本題に戻します。
出身大学の偏差値で能力を評価することは間違いです。学力だけでも間違いです。受験勉強類だけでも間違いです。

みなさんの中にはこう考える人がいます。早大大学院が最終学歴でも大学院は入試がやさしい。では関学卒でみよう。すると関学の偏差値は極端には高くない。では学力は△△、と。
こうした考えの人によく出会います。これに対しては以下の事例を拙著『旅に心を求めて―不条理編・下』付録の『学校』から紹介するだけで十分でしょう。

 

《……。典型例を出そう。私は関学を卒業した後で、早大大学院政治学研究科へ進学した。そのときに、大学(関学)時代の指導教授・後藤峯雄先生が「何かあれば、早大の藤原先生に相談しなさい。彼はシカゴ大学時代の友人だから……」と言われていた。藤原保信先生は当時、早大政経学部政治学科の三枚看板(※注4)の一人と言われていた。藤原先生の学歴は、農業高校卒、早稲田大学第二政治経済学部(夜間部)である。その後で、早大大学院政治学研究科、更にシカゴ大学へと進まれた。
※注4。早大政治学三枚看板と、巷(ちまた)で言われていた三人とは、内田満・鴨武彦・藤原保信先生である。鴨氏は一九八九年から東大法学部の教授になられ、東大法学部が私学出身者を教授にしたと話題になった人物である。内田先生は私の大学院時代の指導教授である。衆議院議員選挙区画定審議会委員などを歴任されていた。自民党の顧問もされていた。大学院時代に「浜田君、自民党の議員にインタビューしてきなさい。誰でも、僕の名前を出せば喜んで会ってくれるから」とアドバイスを頂いていた。小泉純一郎氏や小沢一郎氏がまだ若手の頃である。
藤原先生については、その門下生として、姜尚中氏(カン サンジュン・聖学院大学学長[二〇一四年度まで、二〇一五年三月現在辞任する噂がながれている]、東京大学名誉教授)や早大政経学部の中心人物である飯島昇藏早大教授などがいる。藤原門下生両者は、私の大学院時代の同時期に在籍しており、私は彼らとは面識がある。
なお、私が国民主権論についてよく参照した本の著者・杉原泰雄一橋大学名誉教授は専修大学夜間、学習院大学夜間を経て、学習院大学、一橋大学大学院を修了され、一橋大学で長年教壇に立たれ、国民主権論を中心に興味深い研究をされている人物である。専修大学法学部(夜間部)の偏差値は恐らく高くないと思う。しかし、偏差値なるもので学力は測れないことは、この注に記したことを除いても、常識である。後日、私のHPの一つである安らぎ文庫ブログで偏差値批判を行う予定でいる。
東大名誉教授の安藤忠雄氏は大学・大学院両方とも進学されておらず、工業高校卒であるが、イェール・コロンビア・ハーバード各客員教授をされ、後に東大教授となられた。作家・故松本清張は最終学歴が尋常小学校卒であるが、早大・関学の教授をされてもおかしくない。両大学とも松本清張を教壇にたたせるべく努力をすべきであった。要するに、学歴とか、ましてや偏差値で学力のみか、人間性やマナーを図ることはできないことは常識である。……》浜田隆政、『学校』{浜田隆政著『旅に心を求めて―不条理編・下』(Kindle版)、2015年所収}。

 

力どころか、学力すらも、出身大学の偏差値で評価するのは間違いであることはもはや記す必要はないでしょう。しかし、これとて、本当の競争社会ならば、先の先生方が何年か怠慢な生活をすれば、先の先生方の評価は大きく下がるのです。たとえ、東大教授でしょうとも。
ところが、大学入学時の偏差値による評価は一生ついて回り、東大を卒業しただけでマスメディアは学力優秀のお墨付きを与えることがよくあります。これが偏見であり、フランシスベーコンの言うイドラ(正しい認識を妨げる偏見や先入観)なのです。彼らの能力を大学入学時において固定しているのです。その思考根拠は大学や高校は竹の筒だからです。入ったときが全てとしているのです。

 

しかし、つまらぬ入試教科に関する(受験上の)学力ですら、予備校講師の例の如く終始変化しているのです。毎年毎年変化しているのです。では、そうした狭い意味に限定して、学力の偏差値はいつが正しいのでしょうか。それは現役を退くまでは、今なのです。去年でも、来年でもなく、本年の今が学力なのです。かなり、実力主義に近い、プロ野球選手と同じと考えればよいでしょう。

 

 

プロ野球の話が分かりやすいでしょう。プロ野球の選手は入団前の高校・大学のときの成績が固定されて終始評価されることはありません。毎年、毎年評価は変わります。
高校・大学で大活躍し、ドラフトで一位指名されても、その後の成績がふるわず解雇された選手はやまほどいます。何人か例を出そうと考えましたが、失礼になるため今回例はだしません。
その逆もやまほどいます。イチロー選手は1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団しましたが、入団前の高校時代の成績で評価されることはありません。現在・ソフトバンク監督の工藤公康君は1981年 ドラフト6位で入団していますが、選手時代は選手時代の毎年の成績が評価対象となり、高校時代の成績で評価されることは当然ありません。それどころか、監督になりますと、監督として評価されます。それも毎年の成績で。 広岡達朗(ひろおかたつろう1932年2月9日~)氏は選手時代の成績は(1954~66年13年間)通算打率2割4分ですが、監督としての評価は別であり、ヤクルト監督(76~79年)で優勝1回、西武監督(82~85年)で優勝3回として評価されます。
要するに、高校時代や大学時代の成績で評価されることがないどころか、監督となれば選手時代の成績でも評価されることはなく、毎年毎年の成績・実績で評価されます。

野球選手の最終学歴時の評価は全く無関係の例として、野村克也(のむら かつや、1935年~ )氏の例を最後にあげます。
「……野村は京都府立峰山高等学校に進学した。……野球部は地方大会で1回戦負けが常という弱小チームであり、野村が在学中も2年生のときに京都府予選の2回戦まで進んだのが最高で、甲子園など夢のまた夢だった。当時は廃部も検討されており、野村も全くの無名選手だった。卒業後の進路は顧問がプロ球団の監督に手当たり次第に推薦状を送り、南海監督・鶴岡一人(当時は山本姓)だけが返事をくれた。」(ウィキペディア)。
峰山高校時代の野球実績で評価されることはありません。現役中は毎年の成績で評価されていました。そして最終的には「野村氏の通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、通算の安打、本塁打、打点、塁打数は歴代2位で、いずれもパ・リーグ記録である。球史に残る名選手であり、本人は『俺は王貞治さえいなければ三冠王だった』とぼやいている」(ウィキペディア)ことは周知の通りです。
だが、監督となればこれらは無視され、監督としての実績で評価されます。もし、野村氏が監督に復帰すれば、過去の監督としての実績ではなく、毎年の彼の実績で評価される世界に戻ることになります。これが実力主義というものです。

 

 

もし日本が実力主義の世界に本気で入る気があれば、どこの大学に入学したか・卒業したかなどは無関係としなければなりません。企業ならば入社してからの実績が全てであり、教師ならば教壇に立っているときの教え方が全てです。それも、毎年・毎年新たな形での評価となります。

だが、一部の狂ったマスコミなどは、東大卒のアナウンサーならば、その肩書きというよりもそのお飾り・化粧のみで、人は持ち上げます。本来ならばアナウンサーとしての実績が全てのはずですのに。大学へ入る偏差値ならば、予備校講師のトップクラスは出身大学にかかわらず、彼ら・彼女らよりも偏差値は高いですのに、予備校教師の出身大学が東大以外ならば劣っているとみなされるのですでは、先の東大出身ではない東大教師(鴨氏など)は自分が教えている学生よりも劣っているとなるのでしょうか。あるいは杉原氏ならば一橋大学の学生よりも劣っているとなるのでしょうか。安藤氏ならば大卒者よりも、松本清張氏ならば中学校卒業者よりも劣っているとなるのでしょうか。実に馬鹿馬鹿しい話です。

 

 

(※脚注1)駿台での犯罪被害。
大阪の街中で、大声で「みなさん、こちらを見てください」と叫びますと、私の腕をつかみ拉致しかけた二人は走って逃げていきました。本物の警察官だったならば走って逃げるでしょうか。こうした事件が相次ぐ中で授業準備不可能とさせられました。当時の生徒が、先の文献(『閉じた窓にも日は昇る』『求め続けて・第Ⅱ部』……)を読めば真相が分かるでしょう。よって、一種の罠にかかり、予備校の政経・日本史を担当し、大学で一般教養の英語を担当し、駿台模試作成、ベネッセの進研模試監修と多忙となったことが授業劣化の本質ではありませんでした。
勿論(もちろん)、こうした妨害だらけの中では、私の能力の評価は下がります。ただし、その刑事犯罪被害に駿台が協力していれば、業務妨害・営業妨害として責任は駿台に全てあります。拉致事件は駿台と無関係かもしれませんが、教室のマイク調整で喉を痛めたり……、それらも幾つかの作品の中に事実関係を記していますので、その本をだしたときに読んでいただけたらと思います。