8月の歌・ A原爆特集とB世界で迫害された人の歌掲載に当たって(上)。

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《◇―2・8月の歌掲載に当たって》

 

(1)第二章広島への旅―……命に想う。
一九九四年、勤務先の大学校と予備校の教材を作成するため、「原爆の子の像」を求めて、広島へ行く。そこで「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に出会う。
この碑の前で、女子高校教師時代が脳裏をよぎった。私は純粋に生徒に勉学を必死に教えたいと願っていた。他方、生徒は本当の勉学に飢え、同時に教師への潜在的愛着を持っていた。もし、この両者がどこかで出会えば良き友・学友・学兄妹となれたであろう。だが教壇・学校という場で出会えば対立が起こることが多々あった。この碑の前で次の一文を記した。

 

「特にすぐれてもおらず、子供にも好かれているわけでもない教師がいる。
そして、優秀でもなく、特に教師に好かれてもいない生徒がいる。
それが、原爆の瞬間には 自然とその子供を抱いている教師の姿である。
この像の意図は私の想いとは無関係であろう。だが、ふとそう考えたのである。
どの教師も、(すべての教師が無意識に持つ)何かへの思いを持って教師にならんとする。
どの生徒も本質的には 何かを学ばんとして学校に来る。
それが、今日のように不協和音をたてるのは何故(なぜ)だろうか。
同様に、幼い子は本能的に善なるものを求め、親も子にそれを求める。
だが、一人の親は原爆をつくり、
一人の親はそれを使用し、
一人の親はそれを使用するように指示すらした。
そして、原爆に苦しんだ人達、今も苦しんでいる人達がいる。
その像が、想いがここ広島平和公園にはいくつも存在する。」
(九四年七月一九日・浜田記す)。

 

 

(2)この文章を記した後で、次の問題への回答を迫られた。原爆投下により、日本の植民地被害に遭(あ)った国の人々や、米国軍人数百万人もの命を救ったのだ、と。だから、あなた(私)の文章はおかしい、と。
更に、この原稿を最初に教材化した、まさにその年・一九九五年スミソニアン航空宇宙博物館で企画された、エノラ・ゲイを中心とする原爆展が議会や軍人会の圧力で中止に追い込まれた。そこで、なおさら、この問題(原爆犠牲者と日本の侵略戦争被害者との命の天秤問題)への回答・解答を求められた。そして、解答を求め幾多の旅をすることになる。
その道中、大学時代の学園紛争が脳裏をよぎった。私は非暴力・不服従派(ガンジー・キング牧師派)である。だが、ふとしたことで大学紛争に巻き込まれたことがあった。そしてあるとき、混紡(こんぼう)を持たされ、ヘルメットをかぶった学生と対峙(たいじ)していた。そして衝突……。
もし、このときに、相手が私の下になれば、私は混紡でその人間を殴ったのであろうか。ムカデさえ当時は殺さなかった私が。この経験が、現在まで三十年以上党派中立・宗派中立の土台となった。これらの不条理への解答も迫られた。
ベトナム戦争の頃、モハメッド・アリが徴兵を拒否して懲役五年罰金一万ドルの刑を受けた(一九七〇年最高裁は無罪判決)。彼は言った。「ベトコンはオレを『ニガー』と呼ばない。 彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない…… いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない……何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由はオレにはない」。そして、彼は、ライセンス剥奪、試合禁止等、全米のすべての州でボクシングをすることを禁止され、WBA・WBC統一世界チャンピオンベルトを取り上げられる。その上、パスポートまで没収されてしまい、海外で現役を続ける道も閉ざされる。
何の恨みもない人間を、なぜ殺しに行かなければならないのか。民主主義を守るため。だが先の私の例を見てほしい。そう、戦争という不条理への解答も迫られた。
すなわち、教師と生徒、原爆犠牲者と植民地被害者、恨みもない人間同士の戦(いくさ)という不条理への回答・解答を迫られた。

 

そして、日本の百姓一揆(いっき)巡りの旅で回答・解答への一つのヒントを得た。詳細は拙著『旅に心を求めて―不条理編』を読んでいただきたい。

 

 

(3) 《原爆投下不条理への回答への道・命の重み》
……日本の侵略に苦しんだ国々やアメリカで、「原爆投下が米国軍人百万人を救った」とか、「南京大虐殺(ぎゃくさつ)などが引き続き行われることを阻止した」という論調が根強くあるため、ここで、原爆投下を非難し続けても水掛(みずかけ)論となる。そこで、当面は軍国主義・日本の息の根を止めるために、原爆投下がやむを得なかったという前提・仮定で話を進めるしかない。
……
逆に、原爆による現実から、〝命の重み〟を学ぶなら、世界全体で戦争を起こさないための、国家レベル・草の根レベルでの、日常的な粘り強い努力を呼び起こす。同時に、その過程は、米国内での殺人事件等の減少、更には、交通事故の減少にも繋がる。何故(なぜ)ならば、〝命の重み〟を学び、それを尊重する運動を起こしたのだから。
日本が行(おこな)った残虐(ざんぎゃく)行為は別の原稿で作品化する予定である。ただ、それだけでは命の重さが人の心を打つことはできない。だから、原爆で死亡した人の命の重さ、南京大虐殺で死亡した人の命の重さ、連合軍の死亡した人の命の重さ、旧日本兵の命の重さ……、これら全ての命の重さを、野麦峠でのミネと辰次郎型で掘り下げていかなければならない。原爆投下の是非を棚上げして論じても、原爆の怖さについて学ぶことは不可欠である。これが私の唯一の回答である。これだけが、世界の最大公約数的解答である。
【上記の解説】
①(1)は安らぎBlog浜田隆政著『旅に心を求めて・不条理編(上)』梗概から抜粋。
②(2)も同上。
③拙著『旅に心を求めて―不条理編・上』から抜粋。
④次頁の(4)で、今回、侵略に苦しんだ人の歌も並行で掲載したかの理由。
⑤可能ならば、このページの最後に2015年8月6日撮影の写真を掲載願望