教育問題を語る(毒饅頭教育批判)・第六回「偏差値のイドラを斬る」(第2話)

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◇―2偏差値操作の手口(大学サクラ商法・前編)

 

商品の話でアイスクリームの話をした。美味しくて、安いアイスクリーム、それが良い。大学も商品であるため当然同様である。今回はアイスクリームではなく、クッキーの話もしたかったのであるが、時間がなく調べられなかった。残念である。
{ちなみに、私のフルネームはForgetful Takamasa, Cookie, Hamadaである。ForgetfulはMr, Dr, Ms……と同様の敬称。書かなくても学校で習いましたね(勿論、冗談)。。Takamasa=Given name【名前】, Hamada=Family name【名字・苗字】, Cookieはmiddle name【ミドルネーム】、middleとはお腹の辺りを指す}
第1話で記したように、教育サービスも商品であり、当然教育サービスと価格(授業料)を天秤にして商品を人は買う。家庭教師を雇ったとき、成績が上がらねば親は言う。「教師が悪い」、「教師を替えよう」と。塾でも、親は価格のみか、どこの塾が良いか知人などに聞きまくる。そして、成績が上がらねば「この塾はよくない」という。自分の子のせいにはしない。だが、正常な消費者意識を持っているとも言える。
ところが、同じ教育サービスでも〝学校〟と名がつけば事情は異なる。成績が悪いと親は子に言う。「お前はどうしてそんなに馬鹿なの!」、と。子どもはこたえる。「お母さんに似ただけじゃないの」、と。お母さんは塾や家庭教師のときは教師が悪いと思うにも拘(かか)わらず、学校となると先生が悪いとは決して思わない。せいぜい、最後は「じゃ、お父さんが悪いんだ」で母子で意見が一致をする。こうして学校は消費者意識から解放され、王様(裸の王様)で居続けられることになる。

 

同時に、学校と名がつくと中はブラックボックスとなり、教育サービスの質は分からない。中学校や高校では学校で元気のよい生徒がいるか・どうかまでは分かるが教育サービスは今一つ分からない。それが大学となると、元気の良い学生がいるか・どうかすら分からない。それどころか、ヘルメットをかぶり、火炎瓶を持っているような学生がいると、親は言う。「インテリの多い大学だわ」、と。ちょっとまってくれ、となる。高校や中学で、他の生徒に危害を加える凶器を持ち登校している生徒がいるとなると大問題としているのに。
学校、その中でも大学は王様なのである。即ち、裸の王様なのである。

ようするに、大学となると、商品の質に関する情報はない。私に言わせれば一番の商品が教師にあるとすれば、百人教師がいて、まともなのは一人程度でしかない(※注1)。今日の大学の授業に価値はない。その原因は別の原稿で論じる。

こうして、とにかく大学にやろう。だが、どこの大学が良いか分からない。そこで、前回話をした難しい大学=偏差値の高い大学が良いと思い込んでしまう。即ち、行列のできる店が良いだろう、と。
だが、他の商品ではそう思うだろうか!例えば、ニコンの同一のレンズが上がったときがあった。品質がよくなったからではない。タイのアユタヤ工場で大洪水が起こり、供給不足が原因であった。当然、品不足になれば物は入手しにくくなる。受験で言えば偏差値は上がる。戦後の闇市時代を思い出せばよい。商品の質が向上したのではなく、物不足になったにすぎない。

 

学校関係者は考えた。馬鹿な親たちは「教育改革よりも、授業料よりも、入手しにくいものが良いと考えている」。では一つ、授業料も下げず、教育改革もせずに、入手しにくくしてやろう

 

どうやれば入手しにくくなるか。授業の研究はしない学者もこういう計算は強いのである。知恵が働く。悪知恵が。
入手しにくくするには、入口を狭める(定員を減らす)、他方において志願者を増やす。この二つを行えば良い。そうすれば本当に優秀な学生が集まる。そうでないと、大学や高校は竹の中身と同一のため、大学は潰れる。竹の中身とは、大学も高校も、原則として入ったときが全てであり、後は何もせずに出るだけなのである。そこで、良い学生を社会に送り出すためには、最初から良い学生を獲得しなければならない。良い学生とは何かは難しい。多分、偏差値が高い学生だろう、と彼らは考える(私は当然そうは考えないが)。それを獲得すれば良い。偏差値が高い学生を獲得するには、自分の大学の教育サービスが入手しにくいようにすればよい(=偏差値をあげればよい)。

 

大学の偏差値のあげ方を理論化すれば次の二つがある。
【α型循環】良い教育サービス提供→勉学に真摯な学生が集まる→実質的企業就職の良さ→その大学の偏差値向上。
【β型循環偏】(秘伝X)→偏差値向上→偏差値の高い学生が集まる→企業も偏差値の高い大学が良いとすれば手っ取り早いと考え、この学生を採る→そこで、あの大学は良いと世間は思う。→その大学の偏差値向上。

 

現在の日本は、β型循環が主流となっている。
教育サービスを向上させなくても、授業料を下げなくても、秘伝Xを使えば良いのである。サクラ商法もその一つである。その手口を紹介しよう。

 

「成績優秀かつ入学意思のない学生を有償で募り受験させる。これによって合格者名簿が入学意図のない学生で埋めるが出来、偏差値が上昇する。不足する合格者は推薦入試の入学者数で補う。この手口は大阪産業大学で行われていることが報道されている」(ウィキペディアより抜粋。ウィキペディア 内で「偏差値操作」で検索。引用中の〝が出来〟は意味不明であるが原文のまま引用。また、大阪産業大学の問題は朝日新聞に報道されていたとのことである。)

 

まさにサクラ商法である。ウィキペディアからの引用である。もう、この大学はこうしたこととは無縁かもしれないので、この大学を色眼鏡でみないように。大抵の大学が幾つも類似行為をやっているのだから。

基礎理論からいきますよ。
偏差値を上げるにはα)入口を狭める。β)受験者を増やす。γ)いかさまをやる(例・受験産業を買収し嘘の偏差値を作らせる)。受験産業への賄賂類は不明のため、取り敢えず、今の所聞いた事はないとしておこう。だがいかさまは先の通り幾つもある。

 

α)入口を狭める。これは、資金のある大学では正々堂々とやっている。勿論、合法だし、倫理的にも問題ない。上智やICUなどがそうではないだろうか。
問題は入口は狭めるけれども、授業料の問題があるため学生は減らしたくないという両方を満たすやり方だ。

 

一番簡単なのは定員百名のところを推薦入試で80名確保する。すると定員は20名へ減少する。一般入試の受験者数が同一ならば、競争率は5倍に上昇する。偏差値は大きく上昇する。推薦入試は一般に、偏差値計算から除外されるか、場合によれば模擬会社に個人情報保護の観点から公表を中止させればよい。もしくは、最初から推薦ならば模試を受けねばよい。附属高校、系列高校、指定高校などの場合は模試を受けねば良い。
その変形が、AO入試、一芸入試等々である。また、幼稚園・小学校から生徒を確保しておけば、当然大学入学時の定員は事実上その分だけ減る。これで偏差値は一般に上がる
AO入試や一芸入試が悪いとは言っていないが、偏差値は数学的計算上は上がることに繋がる。偏差値計算を一般入試だけにしておけばよい。ただ、私の知っている某大学校では推薦という名の下に推薦の方は事実上無条件入学に近い学校もあった。この大学校に関しては模試会社の偏差値は一般入試だけで統計は取られていたと推測された。
商品が入手しにくくなった=大学に合格しにくくなった→偏差値が上がる。

 

さらに、ウィキペディアによれば「正規の合格者を減らし、補欠合格者で定員を埋める。正規合格者を絞り込み上位層のみを正規合格とすることで、倍率を高めることができ、偏差値も向上する。正規合格者が入学辞退することで定員が充足できない場合に備え、大量の補欠合格者を出しておく。補欠合格者は偏差値算定時に考慮されないため、定員を確保しながら、見かけ上の偏差値を上げることができるのである」という手口も紹介されている。

長くなるので、今回はここまでとする。次回は、もっと驚くαの手口の事例とβの方も紹介しよう。それとγの一部も。

受験生諸君、偏差値をあげるために、勉学にはげみたまえ(勿論、皮肉ですよ)。再度、記すが、諸君らが熱心に受けていた模試の幾つかは私が作成していたのだ。
それでも、教育ママなどが、私の原稿を見て、これは子どもに見せたならば駄目と18禁としないように、本当の勉学と学校・大学のあるべき姿も最後には触れるので、子どもさんにも読ませていただきたい。

 

  

【大学の教育サービスで重要な優秀な教師とは何か】
私は以下の教師が多くいる大学を薦める。こうした教師がどこにいるかと言う前に、こうした教師が百人に一人もいないのが今の日本の大学の現状である。

 

①授業が芸術の域のごとく、素晴らしい授業ができる教師。
②野球の名コーチの如く、学生の教育・研究指導がずば抜けている教師。
③研究能力が大変素晴らしく、社会的に大きな貢献をしている教師。
④上記、三つの才能を平均的に所有している教師。若しくは①~③でどれか一つがずば抜けている場合。
⑤すべてに共通するが、真に社会・学生のことを真剣に考え、大変熱心である教師。