『旅に心を求めて・不条理編』(上)と(下)の梗概

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『旅に心を求めて・不条理編』(上)と(下)の梗概

★関心のある方は、拙著公式ホームページに、この本の見本を掲載しているのでご覧いただきたい。ホームページアドレスと同ホームページの見本箇所のアドレスは以下である。

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/custom35.html

【概要】
私の商売は授業屋・プレゼンテーション屋である。だが、教科書等は毒饅頭(まんじゅう)でしかない。だから、旅を材料として商品である授業をつくることにした。その背景には、私自身の長期に亘(わた)る不条理の中での、もがき苦しみが存在していた。教壇という場で、大学紛争という美名下の戦争で。人は、傷ついた時、本能的に、その病に有効な物を自然と求める。同様に、不条理という病を癒(いや)す物として、本能が私に旅を強いた。千を超える旅から、今回は不条理に関する物を特集した。各章は、テーマを追求する大きな旅と、その旅と対比される地への旅で、最初の旅のテーマを振り返る形で構成している。

 

第一章の野麦の旅では、本当の勉学とは、英数理社国等ではなく、兄弟等の絆を構築することの難しさ等を学ぶことを強調した。野麦峠の旅で実感した兄妹愛を天武・持統・天智天皇を巡る旅と対比することで。

 

第二章は、広島に「原爆と子の像」を訪ねて行き、「教師と子の碑」と出会った旅である。この碑の前で教師と生徒の対立、戦争、原爆投下を巡る不条理について深く考えた。特に、「原爆投下により世界中の多くの人の命を助けた」という米国型論理への返答という課題を負った。米国での原爆展中止運動に直面し、米国人の大半が納得をする返答を考えに考え続けた。そして、幾つもの義民の碑巡りで一つの回答を得た。

 

第三章は、水俣(みなまた)への旅である。水俣病を巡る、チッソ社長・社員・水俣市民・水俣病患者……における不条理の塊を、どのようにプレゼンすれば、この世から公害を撲滅できるかを模索した旅である。完全なる回答は得られなかったが、スミスの「写真集・水俣」との出会いで一つのヒントは得た。水俣への旅と対比する小さな旅は故郷の地である。故郷の過去・現在・未来を水俣と重ね合わせて、水俣における不条理に想いを馳(は)せた。
不条理に対する最大公約数型回答として、「命の重み」に辿(たど)り着いた。それを多くの人々と共有するには、野麦峠に見られた「美」というものを媒介することである、と考えるようになった。如何に悲惨に訴えても、その時は人の心をうっても、長期に亘(わた)り人の心に残ることはない。美ならば……。私のプレゼンの目的は、人類が生きる上での最大公約数〝命の重み〟の実現であると考えている。
今回の上巻は第一章と第二章である。第三章は下巻で発売する。

 

最後にこの原稿の目的を記す。

第一章では、今日の毒饅頭(まんじゅう)を食わす学校教育を、生徒達が自然と手を繋(つな)ぎ登校するようになる教育へと転換させること。
第二章は、当面米国で原爆展開催を公に大規模に行うことを可能とすること。
第三章は水俣病を巡る対立の完全決着を一~二年内にも実現させること。第三章は、表現が生ぬるいと思うであろうが、この原稿が世に出た時の結果をみれば分かるかもしれない。

私の旅は、求める旅であるが、同時にささやかでも、人間社会の―時には世界の―絆(きずな)を強めるための旅でもある。

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