今月の歌から世界の歌へ(4)――2015年9月の歌。オーストラリアで、二人の優れた歌手と出会い、歌は国のシンボルと知る。
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①豪州:Waltzing MatildaとI am Australian:今月の歌:2015年9月(2017年3月19日微修正再公開)
http://h-takamasa.com/worldsong/?p=307
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②豪州:今週の歌:2015年9月掲載:ウォルシング・マチルダ(2017年3月19日微修正再公開)
http://h-takamasa.com/worldsong/?post_type=item&p=335
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③豪州:今週の歌:2015年9月掲載:I am Australian(2017年3月19日微修正再公開)
http://h-takamasa.com/worldsong/?post_type=item&p=337
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2015年9月の今月の歌はオーストラリア特集であった。
ここから、路線が変わった。
歌と国が一体となっていたからである。
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オーストラリアと言えば、ウォルシング・マチルダかと考え、軽く流そうと思い、探すと全然違っていた。
オーストラリアのシンボルがウォルシング・マチルダとなっており、この歌で国民が一つとなっていた。
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歌というものはこんなに凄(すご)い力があるのかと驚いた。
そして、この9月のオーストラリア特集から、各国の国旗を今月の歌に掲載することになった。
同時に、その国の紹介を開始した。
また、歌の路線も、しばらくはその国の代名詞となっている歌とすることにした。
(例えば、韓国ならアリランというように。)
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そして、そして、この歌の代名詞・スリム・ダスティと出会った。
彼はこの歌の申し子というよりも、アンクル・オーストラリア(オーストラリア小父さん)であった。
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私は加山雄三さんを「日本の兄貴(あにき)」と呼ぶことがある。
同様にスリム・ダスティは「オーストラリア小父さん」なのである。
日本で言えば、美空ひばりの如く、オーストラリアの歌のシンボルとなっていた。
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また、日本ではウォルシング・マチルダは合唱曲というイメージがあったが全然違っていた。カントリーソングなのである。昔のアメリカの西部を連想する感じであった。
カチューシャや蛍の光もそうであったが、ウォルシング・マチルダでも、日本の音楽教育は歌の世界ではマイナスではないかと感じた。
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学校の音楽教育が音楽を駄目にしているのではないか、と。
そして、スリム・ダスティ(Slim Dusty: 1927~2003)が日本で全然紹介されていないことにも驚いた。
彼は残念ながら、2003年に亡くなったが、今日でさえ、日本語版ウィキペディアには掲載されていない。
日本の音楽教育のみならず、日本の音楽専門誌はどうなっているのか、とつくづく思った。
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こうして、日本ではほとんどか全然紹介されていない、各国が誇る、「日本の美空ひばり」の如く、その国を代表する歌と歌手との出会いの楽しみがでてきた。
それは、このオーストラリア特集からであった。
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なお、このウォルシング・マチルダを特集しているときに、すばらしい女性歌手とグループにもであった。
この歌手・ジュデーズ・ダーラム(Judith Mavis Durham:1943~)とThe Seekersである。
そして、このグループが歌っていた「I am Australian」とい歌と出会う。
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この歌もオーストラリアという国と一体化していた。
The seekersもすばらしいグループであった。
嘘(うそ)と思えば聞いてもらえば分かる。
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だが、このグループも日本ではほとんど紹介されていなかった。
このグループも、今日でさえ、日本語版ウィキペディアには掲載されていない。
しかし、このグループは今もときどき歌っているのに。
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そして、このグループの女性歌手は現在74才であるが、今なお、すばらしい美声を維持していた。
お世辞ではない。
今なお、本物である。
2015年の今月の歌や今週の歌には、最近のThe Seekersの歌は収録していなかったが、今回、収録しているので味わっていただきたい。
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私は再度言う。
歌の世界で「欧米だけに注目していたならば、人生をロスする」、と。
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このオーストラリア特集から、今月の歌附属今週の歌の芽が出始めてもいた。
あくまでも芽であり、まだ、今週の歌は本格化してはいなかった。
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ともかく、このオーストラリア特集から、「今月の歌」は更に肥大化した。
もし、2015年の「今月の歌」の内容をほぼ全部覚えている人は、今回収録した「今週の歌」の方も御覧いただきたい。
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「今月の歌から世界への歌」特集は3月末には終了し、4月から「世界の歌」へ入る予定でいた。
しかし、昨年のパソコン故障から全てに遅延をきたし、さらに、前回、今週の歌特集をしていなかった時期でも今週の歌に該当する特集を組み込んだため、作業は少し難航し、「世界の歌」に入るのは6月か7月になりそうである。
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その代わり、読者は、今月の歌以外に、今週の歌及び特別編の歌、さらには前回収録していなかった歌にも出会えるであろう。
そして、この特集期間の間に、やがて始まる「世界の歌」候補が、私の構想の中で幾つか芽吹き始めている。
読者は、新しいシリーズ・「世界の歌」で、まだ見たこともない・きいたこともない、各国が誇る国民的歌手、日本で言う「美空ひばり」に出あうことになるであろう。
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そして、私と同一のことを思うであろう。
「欧米の歌や日本の歌だけを聴いていたならば人生のロスである」、と。
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(二人の歌手紹介):英語版Wikipediaから抜粋
※スリムダスティ
Slim Dusty AO MBE (born David Gordon Kirkpatrick; 13 June 1927 – 19 September 2003) was an Australian country music singer-songwriter, guitarist and producer, who was an Australian cultural icon and one of the country’s most awarded stars, with a career spanning nearly seven decades, the archetypical “Father of Country Music”. He was known to record songs in the legacy of Australian bush poets Henry Lawson and Banjo Paterson that represented the Australian bush lifestyle, coined the bush ballad, a style first made popular by Buddy Williams, the first artist to perform the genre in Australia, and also for his many trucking songs.
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※ジュデーズ・ダーラム
Judith Mavis Durham AO (born Judith Mavis Cock; 3 July 1943) is an Australian singer and musician who became the lead singer for the Australian popular folk music group The Seekers in 1963. The group subsequently became the first Australian pop music group to achieve major chart and sales success in the United Kingdom and the United States, and have sold over 50 million records worldwide. Durham left the group in mid-1968 to pursue her solo career. In 1993, Durham began to make sporadic recordings and performances with The Seekers, though she remains primarily a solo performer. On 1 July 2015, she was named Victorian of the Year for her services to music and a range of charities.