十二月の歌・英国(蛍の光とアメイジンググレイス)解説(1)

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十二月の歌・解説(1)→蛍の光の箇所は2016年12月31日23時30掲載(理由は気が向けば戯言に)


The song of this month, November. UK.
“Hand in hand” from England to the world.
(英国より、手に手を―人の絆―を世界へ)

――

今月の歌・イギリス→http://takahama-chan.sakura.ne.jp/song/menu33.html



【構成】
(一)今月の歌と私の主張
(二)今月の歌選択に当たって――曲とコンテンツの選定。
(三)歌の紹介→安らぎ文庫Blog解説(2)
(四)今月の歌に収録歌手の紹介→安らぎ文庫Blog解説(2)
(五)今月の歌に収録歌詞の紹介→蛍の光=安らぎ文庫Blog解説(2)
(六)イギリス特集(公式HP・現代社会)と英国の民話→掲載時期未定(理由パソコンが不安定で作業ができないため)
(七)十二月の歌の解説⇒安らぎ文庫Blog=ここから続く一連の解説。(このページと次のページなど)
→解説(1)は本日17時公開予定→各論(二)の蛍の光の部分は2016年12月31日21時から追加掲載
→解説(2)は1月1日午前1時までに解説予定
→付録・英国にすむMariちゃんへの手紙→1月2日午前零時公開予定。安らぎ文庫Blog解説(3)



(一)今月の歌と私の主張

2016年11月の歌の一つ、アメージンググレースの箇所で、「十一月の歌で、人間の光と影、人間の不条理への問題を問いかけ、それへの回答を各歌手のアメイジング・グレイスの中に求めていきたいと考えている。イギリス編アメイジング・グレイスの最後までに、その解答が見つかれば幸いである」という問題提起をした。

一つだけ解答らしきものが見つかった。それはアメイジンググレイスではないが、今回の英国特集の一つ「蛍の光(Auld Lang Syne)」である。この歌は、お目出度いときに歌われるようである。特に年始、披露宴、誕生日などである。Auld Lang Syneとはジーニアス英和辞典によれば、なつかしい昔というような意味である。
別のHPには「old long since」と書いてあったため、なおさらそうした意味である。
歌詞からも合わせて解釈すると、旧友と再会し、昔を懐かしみ、そして互いに手を取り、また会おう的な意味である。


人間の幸福とは、絶対的貧困を除けば、主観の問題である。食事などですら同様である。
たとえば、感じの悪いレストランで、いやな人間との商談をしながら、高級な食事を食べてもおいしいと感じることはまずない。だが、家族の仲が良く、全員でハイキングに行き、粗食でも、きれいな風景を見ながら、遊んだ後でおなかがすいた状態で、全員で食べれば限りなくおいしいと感じるものである。

昔、ある将軍がいて、何を食べてもおいしくない。なぜならば美食は食い飽(あ)きているからである。だが、おいしいものを食べたい。そこで、おいしいものを食わせた人間に褒美(ほうび)を出すと言ったことがある。すると、某(ぼう)人間が将軍においしいものを食べさすと約束した。その代わりに、私の言うことを聞いてほしいと申し出た。

彼は、将軍に薪(まき)割りから始めあらゆる仕事をさせた。将軍は当然空腹になった。その後で、某人間は将軍に庶民が食べる秋刀魚(さんま)を焼いてだした。将軍は言った。「こんなにおいしいものを食べたことがない」、と。

更にすごい例を出そう。私が真夏に自転車で往復160キロの地に行ったとき(1988年)のことである。拙著データベース「旅行管理」から以下引用する。

☆☆(引用開始)☆☆

「自転車での旅。日本最古の家と聞き訪ねる。最初に飲んだ飲物が強烈に印象に残る。
……

TVで千年家が日本最古ということをふとしたはずみで聞く。そのときから、この地には自転車で行こうと決心する。この年の暑い夏、自転車で安富を目指す。
1985年のときの自転車旅行は快調にとばしたにもかかわらず、このときは…の辺りで早くもばてる。暑さのためか。夏と春では随分違うと後悔する。
喉(のど)が渇き持参してきた熱いお茶を飲むと余計に熱さでふらふらする。しばらく自転車で進み、限界に達し、自動販売機で冷たいジュースを飲む。最初の一口で生き返る。冷たいものが喉を順に下った、このときの感情は表現できない。このときほど飲物のおいしさというか、それ以上のものを感じたのは後にも先にもない。その後、缶を頭の上に載せる。それから、飲物をとりつつ、安富~千年家~我が家へと自転車をこぎ続ける。途中日焼けで肌がひりひりする。…」

このときは脱水作用を起こしており、缶ジュースを飲むと、のどから足の先までジュースが走る如(ごと)く、一種の快感を味わった。これほどおいしい飲み物は飲んだことがない。
とは言っても、通常はおいしくなく、余り飲まない缶ジュースである。要するにおいしいとは脳が感じることである。

☆☆(引用終了)☆☆

話を元に戻せば、人間の幸福は脳が感じることである。絶対的貧困を除けば、幸福か否かは脳が感じるものである。
拙著「求め続けて」で取り上げたマザーテレサの仲間たちは、粗食の生活をしながらも、「今、大変幸せである」と述べていたインタビューを昔見たことがある。

そして、幼い頃は、通常の場合は、青年になったときよりも、わずかなことで幸せを感じた人も多い。しかも、その頃の友人などは駆け引きがないため、良き思い出となっていることが多い。

その懐かしき友人たちと再会したとき、人は心を和ませ、そして、自然に対しても優しい感情を持てることが多い。それを、私は「蛍の光」{「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne }に感じたのである。

幸せとは主観的なものであり、それは、駆け引きのない旧友と出会い、再会の誓いをしたときなどに生じてくることが多い。それは、不条理の世界から逃れられる回答の一つ(あくまで一つ)であると思う。


拙著『旅に心を求めて―不条理編(上)』(Kindle版100円)第1章の中から一部抜粋する。

☆☆引用開始☆☆
私は言いたい。数学で百点を取ることは、多少難しいかもしれないが、さほど難しくはない。だが、兄弟姉妹が全員生涯に亘(わた)り、仲良くし続けることは大変なことである。歴史は、それを物語っている。我々は歴史の中から、それを、学ばなければならない。学問とは、本来、そうしたものである。

……数学で満点を取ることよりも、英語で高得点を取ることよりも、もし、あなた方の子供たちが互いに仲良くしていたならば、それにまさる教育はない兄弟姉妹でなくても、小さな子供たちが、友達同士で手をつないで歩いている姿を見たとき、私は道の上で宝石を見た想いがするときがある。

……野麦の美、それをどのようにして実現できるか、それが本来の学問である。不条理の柵(しがらみ)に苦悶(くもん)した私には、それが、殊更(ことさら)に意識されるのである。

私たちは、この複雑な社会の中でどこへ行こうとしているのか。ある人は貧困の中で、ある人は孤独の中で、ある人は多忙の中で、あるいは日常生活に埋没し、どこへ行くあてもなく、昨日を生き、今日を生き、明日を生きようとしている。一人一人の行く道が集まり大きな流れとなり、時には予期せぬ悲劇を生み出すこともある。私たちは立ち止まり、私たちがどこへ行こうとしているのかを考えなければならない。私たちは「どこへ行くのか」を問う前に、「どこから来たのか」を問わなければならない。

☆☆(引用終了)☆☆


だから、シュバイツァーの「14才の心」の如く、あの頃はお互いに純粋で、自然・大地にふれあい、小鳥、子鳥、子ウサギ、子犬などに心を奪われていた。そして、友よ、あの頃を思い出し、友情の「手と手」で再会を誓おう。そして、大地を愛したあの頃の心に戻ろう。それこそハッピー、ハッピーである、と。



(二)今月の歌選択に当たって――曲とコンテンツの選定。(蛍の光の箇所④~⑦は2016年12月31日21時頃から公開予定)

 

 総論。
蛍の光は良い歌と何度も記述したが、これほど良いコンテンツが多いとは思わなかった。今日の、日本の音楽教育というよりも、学校教育が人々から本当に良い歌を疎遠(そえん)にしているのであろう。同時に、日本の歌手がこうした歌に本格的に取り組まないのもそのせいであろう。海外のプロミュージシャンでは考えられないことである。

①一番目はアンドレ・リューの予定でいる。彼は素晴らしい演奏者のみならず演出家である。
今回もきっちり決めている。アメイジンググレイスでも蛍の光も同様である。
ただ、今月の歌のトップは天才・アンドレでいくか、イギリスの素晴らしい歌手、Katherine Jenkinsで驚かすかで迷った。今月の歌全体の流れに沿った形ということで、今月の歌のトップはアンドレとする可能性が高い。なお、本年こそはアンドレの母国・オランダ特集をしたい。それも可能ならばアンドレ中心で。
なお、アンドレは、今週の歌でも、今回は「蛍の光」「アメイジンググレイス」の両方で活躍をしてもらうこととなる。

②イギリスのキャサリン・ジェンキンス(Katherine Jenkins)
天性の才能と努力、そして英国の英語。歌唱力、口の開け方、魅せる術、すべて決まっている。彼女の英語の発音を聞いていると、(アメリカに買収される前の)昔のレディーバード英語を思い出した。英語の発音はAlice in wonderlandのAliceの如(ごと)くであった
私が全く知らなかった素晴らしい歌手に、英国でも、出会った。
最初はこの曲をトップで人を驚かす予定でいたのだが、アンドレがトップの曲型で決めてきたため二番目とした。

③アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli) を中心とする曲。
平和と人類の安寧(あんねい)、心の安らぎを祈願しているが如(ごと)く、ローマ法王の姿が印象深い。また、手に手を取りで、今回のテーマ「Hand in Hand」(手に手を)でもある。


④ここは、この歌の申し子・シセル(Sissel)である
これは昨年、安らぎ英語で使用したが、今月の歌では使用していないため、再度の使用となる。このコンテンツはマスターピース(傑作)である。
シセルは歌唱力のみならず、性格からもこの歌の申し子に思われる。彼女を見ていると、自然保護などの視点からはうってつけに思われる。Pure-minded person(純粋な心の人)ではなかろうか。私は似ていても、Simple-minded person(単細胞人間)である。少し違う。なお、シセルとの出会いも良い思い出となった。

⑤耳の不自由と思われる人の参加型コンテンツである
あらゆる人、あらゆる人類の共存共栄の必要性を訴えるためばかりではなく、作品として優れているため使用した。また、今回のテーマ・「Hand in hand」でもある。なお、③のAndrea Bocelliも目が不自由に思われるが、歌手に限定して優れている。
ベートーベンは、耳が不自由でもあそこまでの曲を作ったとはいわない。ただ単に、ベートーベンはあそこまで優れた曲を作ったである。晩年にリューマチで苦しんだルノアール然(しか)りである。Andrea Bocelliも同様である。形容詞はいらない。ただ、単に優れている。このコンテンツも同様に、ただ単に優れている。

⑥ここは迷った。大勢のHand in handのコンテンツで決まりと考えていたが、優れたコンテンツが多く選択に迷った。
優れた演奏もあった。だが、今回の映画に採用されている歌が余りにも見事であったため、こちらとした。
本来はテーマからHand in hand を強調すべきであったかもしれない。それらは、今回同時に公開する、公式HPの今週の歌で紹介することにした。今月の歌後半の蛍の光は、今週の歌・公式HP(蛍の光中心)と安らぎ文庫HP(1月1日のみは蛍の光中心、次回からアメイジンググレイス中心)両方合わせて、蛍の光・約十曲を1月1日の零時から一時間以内に一気に公開する。すべて見応えがあった。

本番前の実験プレビューを行うと、この動画はYouTubeでしか見えぬ設定がされていた当初予定は「哀愁  (1940) ミッチ・ミラー合唱団  アニー・ローリー ~ 蛍の光」である。代替を探したが、映画の場面が同一では違う人が歌っており、ミラー合唱団のものは場面が悪いのみか、すべてYouTube経由でとなっていた。これがだめなときに備えての準候補はすでに公式HPにはっており、動かすと列車のダイヤの如く、1月末までガタガタとなるため、現時点で暗礁に乗り上げている。零時までに早急に検討予定でいる。2016年12月31日23:26記述

⑦最後は今回のテーマ「Hand in hand」から始まり最後はエリザベス女王登場で打切りとなる

★一月附属・今週の歌は通常は公式HPが「蛍の光」であり、安らぎ文庫HPが「アメージンググレース」であるが、1月1日からの一週間だけはすべて、「蛍の光」である。安らぎ文庫HPの「蛍の光」が生命への畏敬(いけい:Reverence for Life)型で動物と風景中心、公式HPがHand in handも含め「正月」中心である。今週の歌は「気が向けば戯言(たわごと)」に一部記載している。


(途中で順番を変更するかもしれないが現在の予定は以下の通りである)。
①Andre Rieu Amazing Grace
②Katherine Jenkins – Amazing Grace
③Andrea Bocelli conmueve al Papa Francisco al cantar Amazing Grace

④HAPPY NEW YEAR – Auld Lang Syne by Sissel
⑤AULD LANG SYNE. Dir.: Andrés Salado. Narrador: Juan Carlos Arnanz. Coro Colegio Ponce de León”
⑥哀愁  (1940) ミッチ・ミラー合唱団  アニー・ローリー ~ 蛍の光
の予定であったが、HPで閲覧できぬとのことで下記に変更。
Cen’est qu’un au revoir -Andre Rieu-Concert-Auld Lang Syn
⑦Happy New Year – Auld Lang Syne