十一月の歌・アメリカ(解説2)―「人間の光と影、そして永久(とわ)の愛」・曲と歌手紹介

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十一月の歌・アメリカ(解説2)――「人間の光と影、そして永久(とわ)の愛」曲と歌手紹介

(三)歌の紹介―「聖者の行進」と「アメイジング・グレイス」

(1)聖者の行進

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「聖者の行進」(せいじゃのこうしん、When The Saints Go Marching In)は、黒人霊歌の一つ。ディキシーランド・ジャズのナンバーでもある。「聖者が街にやってくる」の日本語題でも知られる。……元々は、アメリカ合衆国の黒人の葬儀の際に演奏された曲である。ニューオーリンズでは、埋葬に行くときには静かな調子で、埋葬の時は悲しげに。埋葬が終わると、この曲でパレードをして帰っていく(詳しくは、セカンド・ラインの項を参照)。……
以上、日本語版ウィキペディア「聖者の行進」より抜粋(抜粋日時2016年11月1日)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A1%8C%E9%80%B2


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“When the Saints Go Marching In”, often referred to as “The Saints”, is an American gospel hymn. Though it originated as a Christian hymn, it is often played by jazz bands. This song was famously recorded on May 13, 1938 by Louis Armstrong and his Orchestra.……
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以上、英語版「Wikipedia 」より抜粋(抜粋日時2016年11月1日)
https://en.wikipedia.org/wiki/When_the_Saints_Go_Marching_In


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「……黒人霊歌です。作詞作曲者は不明。この曲はアフリカから連行されてきてアメリカで強制労働させられていた黒人の人たちが白人の教会から流れてくる美しい調べに心を洗われ、自分たちの固有のリズムに乗せて、自然発生的に生まれたものと言われています。歌詞はものすごくバリエーションがあります。この曲は黒人の人たちのお葬式の時に死者を賑やかに送ってあげるのにも使用されます。……」
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以上、下記のアドレスのブログより抜粋。(抜粋日時2016年11月1日。ブログ名が記載されていないためアドレスしか記載できず)
http://www.ffortune.net/calen/xmas/songs/saintsgo.htm


 (2)アメイジング・グレイス

☆☆☆《日本語版ウィキペディアより抜粋》☆☆☆
作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)。作曲者は不詳。アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。

ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。

当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。

ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。

1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。

この曲のほかにも、彼はいくつかの賛美歌を遺している。

☆☆☆《日本語版ウィキペディアより抜粋終了:抜粋日時2016年11月2日》☆☆☆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9


(四)今月の歌に収録歌手の紹介

エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aron Presley, 1935年1月8日 – 1977年8月16日)は、アメリカのミュージシャン、映画俳優。

ウィーヴァーズ活動停止: 1964年
出身地: アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク グリニッジ・ヴィレッジ 。

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The Weavers were an American folk music quartet based in the Greenwich Village area of New York City. They sang traditional folk songs from around the world, as well as blues, gospel music, children’s songs, labor songs, and American ballads, and sold millions of records at the height of their popularity. Their style inspired the commercial “folk boom” that followed them in the 1950s and 1960s, including such performers as The Kingston Trio, Peter, Paul, and Mary, The Rooftop Singers, and Bob Dylan.
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以上、英文はアメリカ版wikpedia2016年11月2日閲覧
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Weavers

ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901年8月4日[1] – 1971年7月6日)は、アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャン。サッチモ (Satchmo) という愛称でも知られ、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの一人である。

モルモンタバナクル合唱団
モルモンタバナクルがっしょうだん
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モルモンタバナクル合唱団とは、末日聖徒イエス・キリスト教会が1847年に設立し、現在も同教会がスポンサーとなっている合唱団。アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティのタバナクル公会堂を拠点にしていることからそう呼ばれている。 ウィキペディア経由、Googl検索サイトより抜粋。
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※360 voice ensemble based in Salt Lake City. (Official HPより抜粋)


⑤チェロキー族(チェロキー語: ᏣᎳᎩ ;ラテン翻字: tsa-la-gi (英語: Cherokee)

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……はインディアン部族。……

16世紀、ヨーロッパ人が入植しはじめた頃には、北米大陸の東部から南東部にかけ、ミシシッピ川流域に住んでいた。
18世紀のチェロキー族は、イギリスやアメリカとの間に、自分達の土地を守るための戦いの連続であった(チカマウガ戦争を参照)。1794年にアメリカ合衆国との間に休戦条約を結んだ後は、文明化の道を歩んだ。
彼らは、チカソー族、ムスコギー部族連合、チョクトー族、セミノール族と5大部族連合を結成し、白人の文明を受け入れ、白人社会の仕組み等を採り入れ、「文明化五部族」と呼ばれた。
1821年にはシクウォイア(セコイヤ、シクォイヤ)によってチェロキー文字が発明された。85の音節文字からなる使いやすく覚えやすい文字で、すぐに習得できるため急速に普及した。彼らは白人の生活様式を好んで採り入れたため、周辺白人との混血も進むこととなった。
1830年代、ジョージア州で起きたゴールドラッシュにより、白人が彼らの土地に乱入してきた。アンドリュー・ジャクソン大統領らは彼らを西部のインディアン準州へ強制移住させる方針を決め、武力でこれを強要した。チェロキー族らはこれに対して抵抗戦を行い、「セミノール戦争」など「インディアン戦争」を戦った。
1838年、アメリカ陸軍の軍事力に屈服を余儀なくされたチェロキー族をはじめ6万人の「5大部族」はミシシッピ川の西のインディアン準州(現オクラホマ州)に強制移住を余儀なくされる。この移住強制は徒歩で行われ、涙の旅路と呼ばれた。当時の記録では「墓に入るかと思える老婆でさえ、重い荷物を背負わされて歩かされていた」と記述されており、この苛烈な強制行路では、チェロキー族だけで2〜8千人の犠牲を出した。

東部チェロキーの旗
ノースカロライナ州をはじめ、東部から南東部のチェロキー族の一部は、インディアンの境遇に同情的な白人の助けを借り、また山深く隠れて強制移住を免れ、現在の東部チェロキー族(en)(人口約1万人)の祖となった。チェロキー族が表面上いなくなったジョージア州など南部の広大な土地は、後に一大綿花産地に変貌する。こうして、チェロキー族は大きく西部と東部に分断されることとなってしまった。
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 日本語版ウィキペディア「チェロキー族」で検索(2016年11月1日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%82%AD%E3%83%BC


⑥ブルックリン・タバナクル教会  
Jason Douglas Crabb (born March 3, 1977) is a Christian music singer and musician. He has been the lead vocalist for the group The Crabb Family.(英文は英語版Wikipediaより、2016年11月2日検索)

⑦⑧セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン(仏: Céline Marie Claudette Dion:、1968年3月30日 – )は、カナダ人女性歌手である