教育問題を語る(毒饅頭教育批判)・第二回『零点が何だ』 このプリントを配付するにいたった経緯。

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教育問題を語る・第二回 このプリントを配付するにいたった経緯。

 

先のプリントを配付するにいたった経過を、拙著『日本のフィクサー〝ME〟』第4章第2節より抜粋する。

 

 

 

「じゃあサー、政治家とのコンタクトは二〇〇〇年四月からかもしれないけど、ボンちゃんがそれに気づいて映画・TVでの双方向けで対話が可能となったのは二〇〇四年だ。要するに、ボンちゃんがサー、拒否を一定緩和した二〇〇四年以降から本格化したってことになる。ところでサー、李登輝氏のことって何なの」

そこで、私は李登輝の件の解説をする羽目となった。この件について解説するには、少し回りくどくなるが、大学での授業の話からしなければならない。

 

中倉大学で授業をしていたときに、英語コンプレックスを抱いていた学生が結構いた。あるとき零(れい)点を取った学生がふてくされた顔をしていたことがあった。そこで、私はその場で学生に言った。

「英語の試験で零点を取ったからといって、君らの人格や能力が評価されることはない。人格の評価とは全く無関係な問題だ。世の中には学ばなければならないことは山ほどある。数学、理科(物理・化学・地学・生物)、社会(政経・倫社・日本史・世界史・地理)、語学、芸術、健康、……それに自分が職業とする分野の勉強……と。更にはマザーテレサの言うが如く、この世に如何なる苦しみがあるかを学ぶことも重要な勉強だ。

 

米作りの勉学と英語の勉学において上下はない。野球の勉強も車の構造の勉強も同様である。ただ、どのくらい熱心に対象に向かい勉強するかであり、消費者等に真摯(しんし)であるかということであり、その熱意と注(つ)ぎ込む時間によってのみ優劣は決まる。第一、お前らが、タイでタイ語やフィリピンでタガログ語で会話をしていて、ミスをしたり間違ったりしても笑っているのだろ。ならば英語でも同じだ。英語でミスしたら劣等生、タガログ語やタイ語やその他の言語でミスしても和気(わき)藹々(あいあい)の笑い、これは何だ。だから、英語で零点を取っても堂々としておけ!第一、堂々としていれば、他人はこの人は英語で良い点を取ったと誤解するだけだ。

 

但(ただ)し、英語を担当している以上、私は採点基準と要件を満たしたかどうかのみで点数はつける。しかし、君らが零点を取っても単に試験要件を満たしていないというだけであり、君らの人格や性格の判断は一切していない。それとこれとは別である。だから試験は試験、人格は人格、依(よ)って零点をとっても堂々としておけ」、と学生に説教をした。

 

ただ、不味(まず)いことをしてしまった。感情的になったので、つい零点を取った学生の方を向いて訓示した。だから、全員にその学生が零点を取ったのがバレる結果となった。尤も、零点を取った学生は、私が言ってから笑顔でクスクス笑っていた。こうした愚かなミスをしたために、この際に英語学習の神髄を叩(たた)き込んでおこうと思い、『言語帝国主義と真の語学学習の精神』という学習の手引をプリント配付する。

 

 

 

 『日本のフィクサーME』はフィクションである。一応。少なくとも5%余りは嘘である。どこが嘘かは他の関係している人物の機密保全のため不明としておく。この中で登場する李登輝氏の来日の件と私が関わっているなどとは全く知らなかった。やしきたかじんが司会する「そこまで言って委員会」に、森元総理が登場して、TVから「(李登輝氏の件では)君に世話になった」と言ったため、気づいたのである(2000年代後半のことである)。私の本意は下記の通りである。なお、中倉大学のモデルは(倉敷市にあった)岡短である。   ただし、学生がふてくされた件は事実である。そうでなければプリントは配付しない。

 

 台湾と中国の問題は中国自身の問題であり、私は完全にノータッチである。日本の戦国時代が如何に悲惨であろうとも、外国は干渉してはならない。その原則を貫きたい。私は中国よりでもなければ台湾よりでもない。党派中立を宣言している。ただ、強いて言うならば、中国と台湾の問題は両当事国が力ではなく、話し合いで解決することを願っている。それ以外に関しては、私はノーコメントを貫く。
 例外は世界連邦ができ、各国が加盟した後か、国際連合が大きく変革され、世界の政治を動かす中心組織となり、各国が領土問題を平和裏に解決するための具体的な国際条約を締結した後の場合のみである(その条約の試案は『日本のフィクサーPart2』で記したいと思っている)。勿論、前提として、中国・台湾もその条約に批准しての話である。
 なお、鑑真和上の母国・中国への訪問はかなった。もっとも鑑真和上修行の地・揚州訪問という課題を背負っているが。同様に、いつか、金銭が許せば台湾を訪問することを切に願っている。

 

 

  ※第一回のプリントの続きは、次回、掲載する。李登輝氏来訪の件は次々回掲載となる。