《🔚公式Blog》駿台真相編7C-3・(証拠隠滅)マイク攻撃から拉致未遂被害
【表紙写真】(今回の事件を想起させる📷ファーム無線攻撃事件)
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【更新履歴】
2025/04/23から下書き開始
2025/04/28 メモから大量貼り付け中:2025/04/29も同様
正式公開後からの微修正等は公式Blogのみで行う。
明日の昼頃、正式公開予定。2025/04/30 公式Blogで公開中
(公式Blog)https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=50525
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【本題】・《🚧準備中》駿台真相編7C-3・(証拠隠滅例)マイク攻撃から拉致未遂被害
【駿台信組編・7関連】
【公開済み】
7-A1・駿台と村を取り巻く謎の利権集団
7-A2・駿台刑事犯罪被害の開始シグナル―謎の女性三人登場
7-A3・姪登場、催眠と睡眠薬、ホテル群破壊と証拠隠滅工作
7-A4・山城の女、映画説強調、そして真逆攻撃
7-A5・駿台での業務妨害と刑事犯罪の激化
7-A6・犯人の仮説
【公開予定】
7-B1・差別文書問題-2025年見解
7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
7-B3・差別文書問題2007-10年見解-2
7-B4・差別文書-2019-24年分析チンプンカンプン編
7-B5・差別文書-2019-24年分析・人間違い編
7-B6・差別文書-女性、部落問題の謎と不審死連続の謎:人間違い
7-B7・差別文書-2019-24年分析・映画説と駿台CM説融合論
7-C1・玉子事件―外部と駿台内部と外部の共謀・共犯と2016年政治家が介入(今回の箇所)
7-C2・エアコン事件-徹底した小細工動員の事例
7-C3・マイク攻撃―証拠隠滅例(今回の箇所)
7-D1・駿台交渉資料編1
7-D2・駿台交渉資料編2
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【今回の構想】(今回は一万文字を目処)
《◇―1》ケジメ問題と裁判
《◇―2》駿台マイク事件と我が家内に忍び込まれ証拠テープ消去被害。
《◇―3》その他の証拠隠滅の事例―駿台内での事例
《◇―4》その他の証拠隠滅の事例―駿台をにおわした駿台外での事例
《◇―5》―駿台内外での実証困難な問題とその解決に向けて。
《◇―6》資料→字数の関係で次回へ回す
【付録―1】1996年の「駿台復職願い」の手紙文
→長期連続して復職打診をしていたが、これが最後の復職願いの手紙文である。掲載の意味があるか・否か不明であるが、現時点では掲載検討中である。
【付録―1】1996年の「駿台復職願い」の手紙文
→長期連続して復職打診をしていたが、これが最後の復職願いの手紙文である。掲載の意味があるか・否か不明であるが、現時点では掲載検討中である。
【付録―2】1984年度生徒の声(1985年駿台パンフから抜粋)
《◇―1》ケジメ問題と裁判
駿台問題は書いていて全く面白くない。同時に、残り少ない人生で私がしなければならないことが山積している。
更に、駿台事件よりは社会的意義が大きいポリテクカレッジ岡山(現・能開大)での労基法違犯問題がある。しかも、後者は簡単に言えば、労働省による信じられないほどの労基法違犯被害である。だが、ポリテクカレッジ岡山との賠償交渉をしようとすると、何故か、駿台事件に転送される。
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なお、私自身の人生では三つの大トラブルがあった。一つは駿台事件、次が、ポリテクカレッジ岡山事件、三番目が村の出来事(特に、同一住所番地二軒問題)である。
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最 後の問題は、私の偽者を暗示し、放置できなくなった。そこで、住所問題に取り組んだ。最初は妨害ばかりであった。恰(あたか)も、(我が家の住所番地を70年使用しつづけていた)Z3とその母親(👴)は、私がZ3を替え玉にしたような印象操作をし出す始末であった。特に、第二次安倍政権からは、大きなバックがついた如く形で、事態を逆にする策動・工作がなされていく。
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ともかく、住所二軒問題を探求し続けると、2018年頃からZ3は何故か駿台を示唆し続けた。私は何のことか不明であったが、駿台事件を思い起こさせるようになる。そして、2019年に、世界の首脳から一斉に、同一住所番地二軒問題に取り組むように指示がなされた。2019年4月のことである。
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2019年4月には様々なことが起こる。
まず、2019年3月の日程表の記録が奇妙な形で消される。偶々、HPに掲載済みの箇所が多かったためほとんど復元できた。(だが、これは後の証拠隠滅を示唆していたかもしれない)。二つ目が先の世界の首脳からの指示である。三つ目が、カード詐欺にひっかかったことが判明した日に、一連の事件の本質は「人間違い」であることを示唆し、暗に糖尿病を強調した友が死亡したと連絡があった。糖尿と言えばZ家の小父さんが糖尿病であった。
同時に、この月に西山ファーム事件が飛び込んできた。カード詐欺事件であった。社長名は西山美千代といった。、
駿台講師室係女性で、催眠で私が手紙をわたさせられた女性と同姓同名であった。
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最後が、駿台事件を遠見と記述強要する催眠のオンパレードで参る。
私は駿台事件は今更書いても仕方がないと思い、書く気は余りなかった。🎃オジョウに相談したならば、彼女も「書いても無駄よ」という意味合いの言動をした。「小渕恵三総理のときと同じよ」と。
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だが、催眠強要で2019年4月頃から書かされ続けた。
どうせ書くならば、賠償交渉に使えるように書くという条件で渋々記述を開始した。賠償交渉に使用するためには、きっちりとした証拠が必要である。同時に、裁判が不可欠でもあった。
ところが、駿台事件の記述に入ると、証拠隠滅が図られていく。その典型例の一つが今回のマイク事件である。
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《◇―2》駿台マイク事件。
(2020/09/27 0:06追記)二点追記をする。
(1)駿台予備学校・大阪校と京都校の幹部は当時、競争意識が過熱し、多少ギクシャクしていたように見受けた。
その駿台予備学校・大阪校のトップが堀江部長であった。その下に教師担当の課長がいたが、名前を忘却した。この人物は私のライバルの政経教師と仲が良いようであった。
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(2)マイク攻撃か何かで、喉(のど)をやられたときの診断書が下記である。
日記や記録がないが、診断書は通常は保険申請か、他病院への紹介状か、それとも刑事犯罪被害での証拠としてしかとらない。何故ならば、私自身のためならば、診断書は必要ないからである。保険申請や他病院に移動していない以上、もう1987年6月か7月にもマイク攻撃があったと思われる。当時の生徒が覚えているであろう。(必要時には聞き取り調査が一番である。)
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マイク事件について以下のように記している。
拙著、『閉じた窓にも日は昇る(上巻)』(Kindle、上・下各百円、$1)から以下抜粋する。
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①駿台教室内のマイク不調問題(一九八七年)。
九月一九日(ピーピー音)→証拠としてテープ録音保存。
二二日=マイクをつけたり消したり(証人確約学生NK君・YM君)。
二四日=二時限チャイムが鳴らず、マイクもほとんど入らず。
一〇月九日=マイクの音がでず。
一四日=マイク調整が悪く、その調整を依頼すると、今度はマイクの音がでず。
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二三日=教室マイク午後二時半~三時半にかけて音がでず。声が完全に潰(つぶ)れる(喉(のど)の被害証人=AH氏)。マイク調整で職員とのやりとりのテープ録音あり。授業にならぬため、マイク使用が可能なサンヨーの大型ラジカセを自費購入し、駿台に持参する羽目となるが、十分使用できず諦(あきら)める。その姿を見た生徒は何人もおり、記憶している者もいるはずである。
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②無関係生徒の乱入。授業妨害になる形で出てゆく。主として日本史=九月八日、一八日……政経も一部あり。一度は、私のクラスの生徒が怒り、無関係生徒を追い出す(その生徒名はMN君である)。一一月一五日には生徒の移動あり。
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③同一生徒が履修(りしゅう)している科目重複の続発。かなりの政経受講生から(K講師の)化学の補講と重複して困っていると相談を受ける。
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こうした不法行為の結果、喉を痛める。そこで主治医から診断書を書いていたいだ。時期は下記の如く、1987年7月6日である。まだ、マイク攻撃が軽度の上に、夏休みに入る直前のため授業も多くない時期であった。
夏休みが過ぎても、こうしたマイク攻撃は毎回続く。
喉はガラガラに枯れる。友人宛に電話などをしていたため、早大大学院時代の友人が知っているであろう。
生徒もかなり気がついているであろう。
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最初は悪い意味での「雨垂れ石を穿つ(Drops of water wear away the stone)」と思っていたが、当時のテープを聴くとかなり悪質と感じた。そこで、そのテープを公開しようと考えた。ただし、超多忙のため、少し暇になってからと考えた。そして、いよいよカセットテープをパソコンに転送しようと考えると、そのテープが紛失していた。諦めていると、そのテープがでてきた。しかし、そのテープ全体を聞いても、駿台職員とマイク問題でやり合った箇所は消されていた。下記の復元箇所はその時の内容ではない。下記はその時のテープと当時を思い出して再現したものである。
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もし、テープがありそうした危害を告発し、次に下記診断書を掲載したならばどうなったであろうか。尖閣衝突事件は、ビデオが流出してから本格的に炎上した。そこで、私の方も何等かの証拠があれば…と思ったが、先手を打ってけされていた。同様の手口は随所で見られた。
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【当時の状況の一部復元】
授業を開始する。
「さあ、行きます。
今日の内容は…1…」
(マイクが)ピーピーピー
「マイクがおかしいですね」
ややまともになったので
「それでは、もう一度言います。今日の授業内容は、横に掲示しているように、最初が○○、次が」
(マイクの音が突如しなくなる)
(教室からだったと思うが、事務へ連絡)
「マイクの音がおかしいのですが…」
(確か、女性の担当者が来て調整かマイク交換)
「それでは、今度こそいきます。一番は○○、二番は○○…」
再度、マイクの音がでない。
再度、事務に連絡をする。教室から事務に直にの場合には数度おこなった。
だが、上記の繰り返しのため、再度担当者に来てもらう。
「どうして、大阪校では、1987年度になってこうしたことが頻繁に起こるのですか…おかしいではないですか」
女性担当者が「……」
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このときに、女性担当者の氏名も聞いたと思うが、録音したテープを消されているため定かではない。
「みなさん、もう、今日はマイクなしでいきます」
(駿台の当時の教師は京都校は収容者数は250名程度の教室である。大阪校もそれよりも少しすくないかという大きさであった)
声を大きくはりあげ、授業を行うがリズムが乱れて仕方がなかった。私に言わせれば授業はリズムである。
こうしたことを何度か繰り返すと、喉がかれた。
そこで当時の主治医に診断書をかいてもらった。
だが、この頃はまだ軽度であった。
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当時の模様をTwitterに次のように書いている。
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浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-164-4【#駿台】
20-163-3添付の喉痛め 医師の診断書は1987年7月6日。
駿台での営業妨害被害は #駿台大阪校 に移動した1986年4月から徐々に。
1987年6月頃も被害を受けていた…が、記録付けは9月8日から10月初め頃迄。
喉炎症は10月前後が最悪。最悪以前の診断書
個人情報伏せ字後に掲載予定。
12:41 – 2020年6月12日
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⑥
浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-164-5【#駿台】
現時点でマイク関連のみ日付掲載。
当時の #駿台大阪校 職員で既に退職し、駿台👺人間と無関係人に直に調査🙏
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当時 #朝日新聞 登場のIH部長と同姓京大卒人物も大阪校職員の下っ端。彼は無関係と想像も #経団連 の一部等の支援抜きでは真相は困難?#米倉弘昌 氏が生きてたら
12:52 – 2020年6月12日
※
当時、大阪校にいた事務員で、朝日新聞からの紹介と思えた人物は「石原賢一」氏である。Twitter (現Xcom)では「石原賢一@kenichiishihara」である。X.comのアドレスは以下である。
https://x.com/kenichiishihara
彼には当時の駿台大阪校内部の裏の事情を聞きたいと思っている。同時に、最低でも、駿台大阪校責任者堀江部長のフルネームと、彼の直属にいた課長の氏名を聞きたいと思っている。朝日、毎日、読売新聞などが、相手の人格を尊重した上で聞き取り調査をしてくれれば助かるのだが。
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☆☆☆☆☆
浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada
20-166-1【#駿台⚔️】真相解明を。
生徒授業料支払上
生活上🤡
授業妨害妨害絶対禁止.所が
#駿台大阪校 で…1986-87年
▼
#駿台京都校
Xが?と私を人間違いし放逐目的で🏫🚺NM等に?依頼?
1983年秋頃?開始…最後は催眠。
1983年度医学部志望高校生
大変良い子が何か話してくれるかも
聞き取りを
午後4:13 · 2020年6月14日
☆☆☆☆☆
☟
https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1272064632111288320
▼
▼
こうした授業妨害(業務妨害)の結果は以下のと通りである。
☆☆☆☆☆
1985年度からは訳の分からぬ女性の登場で振り回され、授業は一定後退した。
1986年度~87年度は授業妨害だらけとなった。教室のマイクを何度も故障させられ、生徒が受講しなければならない別の授業と私の授業を同一にされたり、教室の冷暖房を無茶苦茶され寒くて授業に支障を来したり、無関係生徒が授業中に乱入してきたり、プリントの印字を悪くさせられたり、駿台斡旋(あっせん)のホテルでは夜中に部屋の温度を寒くされたり・扇風機のような形で夜通し風を当てられたり・逆に暑くされたりで夜寝られなかったり……である。大半証拠があり、証言を確約してくれた生徒もいる。
▽
(C)駿台内部でマイク調整がおかしく喉を痛め、岡山から重たいアンプなどを持参の羽目に。
問題は大きいが→私の賠償交渉労力の方が大きく一切賠償請求していない
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(駿台外で)
a)二度、理由も告げず、腕をつかまれ拉致される事件に遭遇(大変危険)=大犯罪
b)私の通る道にトラックの大行列(これは問題なし)、そこで道をそれると道に猫や犬の死体がおかれていた(既に弾かれていたと思うが…)。一匹ずつではない…おびただしい数という記憶あり。
c)アパート部屋の天井から薬を落とされたり(何度も)、アパート内の風呂に入っている間や留守中に部屋の荷物を移動されたり、膨大にこの種の被害に遭う=大犯罪
d)車のラジオアンテナを盗まれ、被害届け、実家付近の警察では「管轄外で岡山市へ…と」と言われたので、翌日、被害届けに行こうとするとアンテナが車に再度取り付けられていた。(住居不法侵入、器物損壊罪)……
その他膨大な被害があるが、催眠で駿台の話をするときに、催眠で女性の話に限定させられ、被害類の話は常に完全ストップで喋らさせられない。……
☆☆☆☆☆
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《◇―3》その他の証拠隠滅の事例―駿台内での事例
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①室内温度問題→室内温度測定値の隠蔽工作=駿台真相編7C-2で記述済み。
駿台真相編7C-2・冷暖房攻撃―大がかりな仕掛けと犯人像
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=50398 参照公式Blog 2025年4月22日公開)
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②駿台内と駿台外の共謀で犯人像の隠蔽(いんぺい)
駿台真相編7C-1・玉子事件―駿台内部と外部の共謀・共犯―2016年大物政治家が再現
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=49145 参照公式Blog 2025年4月12日公開)
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③差別文書の改竄
差別文書の改竄(かいざん)でまだ残っていると思われるものは下記等である。
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☆☆☆☆☆☆
(北山一先生からの贈り物として渡された差別文書)お前らのような奴は存在すること自体許さない。……▲【精か清か、誤字か判読不可】算をしてやる。アドバイス☆先生がされていることと、俺のことが関係あるかどうか、についてはどう思うか。手紙をそえて、これを返して下さい(来週の火曜日)。
☟
(浜田隆政解説箇所の一部)
(私のコメント)当初渡されたコピーでは「清算」となっていた記憶がある。この場合には殺人を連想する危険があり刑法に触れる可能性もある。ところが我が家に忍び込みコピー文書が返られ「精算」と読めるようになっていた。「精算」の場合には刑法に触れないと思う。こうした漢字に詳しいのは国語の専門家がついていた可能性がある。映画狂の国語の先生を連想した。即ち、映画説グループがついていた。我が家に忍び込み、その上コピーを入れ替えるなどとは。更に国語の語彙力…(漢字の知識)から。
☆☆☆☆☆☆
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駿台真相編7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=49141 参照 2025年2月19日)
↓
差別文書の改竄(かいざん)自体は、我が家への住居不法侵入及び窃盗罪などに該当する犯罪となる。この意味不明の差別文書は、脅迫罪の一部に該当するか・否かであり、この文書だけを取り上げても、現行法では大きな罪とならない可能性もある。善し悪しは別として、単なる素人の法解釈である。
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④既に記した、テキストの改竄と後に元に戻される事件もあった。業務妨害及び窃盗罪該当であろうか。
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⑤三年間は政経のみで生活保障確約違反の駿台責任を逃れる手口もあった。これらの被害は、裁判を前提に、どのように取り扱うかは弁護士と相談してみないと不明である。
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☆☆☆☆☆
【1983年晩秋か冬】政経(若しくは政経と現社の倫社部門を除く)一本で三年(1985~87年度の)生活保障確約
→【85年末か(場合によれば84年末だった可能性もある)】トイレで他の教師に分からぬように破棄と生活苦の脅し
→【84年末か85年初頭】私の方から日本史担当を申し出させる
→【85年初頭か】駿台はそれを受諾する
→【85年1から2月】私は岡山進研予備校でも同一の方が良かろうと思い、(ベネッセ系列)同予備校にも日本史担当を申し出る→同予備校も受諾。
→【85年3月】駿台から86年度の授業予定の連絡が来る=聞くと政経・現社のみで11齣程度と待ち時間がかなりある(待ち時間は正規時間の半額の賃金)ためギリギリ生活可能か、一応最低限度の約束を守った形をとる。
ただし、正確には政経・(倫社を除く)現代社会のみで15齣以上の遵守が不可欠であったが、別に日本史が四齣あったように思う。
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打診してきた深見正明(駿台京都校)係長が「もし、日本史を降りられるならば、(今ならば)早くいっていただければ可能です」と言う
→【同日か翌日慌てて岡山の進研究予備校】で日本史担当を断りに行く→【岡山の予備校到着】私がその件を切り出す前に、事務員のカタオカ氏が先手を打つが如くに「先生、もうカリキュラムは組んだので日本史は降りられませんよ」と言う。
★まだ、私が相談をする前である。どうして、日本史をおりたいということを知っていたのであろうか。福武書店(現・ベネッセ)経営の岡山の予備校と駿台予備校で経営陣同士の打ち合わせがあったとしか分析できない。
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駿台事件真相編―🆕6―(4)・駿台CM作戦・各職場連携Ⅱ:⑤能開大・駿台契約確認、⑥駿台他校利用契約違反:犯人仮説への道追加
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=47584
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⑥1988年1月上旬頃の関西地区最高責任者・大滝満夫部長による「三年後の駿台復帰約束」(これが訴訟断念の決定打であった):次回掲載予定でいる。これも同上同様に「三」を強調した約束違反である。約三年後の駿台訪問(1990年春頃)や手紙で問いあわせ(94~96年頃まで連続)、駿台トラブル問題に関する大滝部長の約束内容を言っても無視であった。
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1990年3月頃に駿台京都校を訪問し、深見係長に復帰打診の申し出をしたときには、「3年後に門戸を大きくあけて待っているので、先生がその気になればもどってきてください」という大滝部長の話はしているはずである。ただし、1996年の最後の手紙(1996年9月20日送付)では、9年の月日が経ち、駿台職員や管理職も入れ替わっている可能性があるため、丁寧な「復職お願い」型の下手(したで)からでた文書となっている。この頃はポリテクカレッジ岡山の労基法違犯攻撃により、監禁された強制連行被害者の足抜けのごときお願い文となっている。
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この手紙を送付した直後頃、三つの奇怪な事件が起こった。
一番目が、大阪のホテル関西の前で、西山美千代自身と思われる女性を見たが、人間違いを恐れ、やや遠方から「あなたには二度と私の目の前には出てきてもらいたくない」と言ったのを覚えている。
あと二つ奇怪な事件があった。
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二番目が、この9月20日に駿台大阪校に手紙を送付すると、1996年9月23日に大阪に催眠で行かされ、そして、帰路に頭痛・悪寒・吐き気・一時動けない状態が起こっている。確か、記憶では30度を超える部屋でも悪寒がした。田尻病院に行き検査を受け、一日入院をしている。検査では白血球は12000を超えていた。田尻病院の件は記憶のみならず、記録もある。担当しは窪田政寬先生である。また、この件は現在の主治医・青山医師にも伝えている。何となく気になるのが、昼間、カレーライスを食べたが、そのときの店員さんが🛵おじょう(タナカさん)に似ていたような気がした程度である。
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三番目が、本日(2025/04/29)起床後に、駿台大阪校付近の寿司屋で受けた解説箇所{「大滝部長は関東で中心的活躍をしており、関西では堀江部長が最高責任者となった」などを聞いたとき}の記録を見たが、今(2025/04/29 11:00~12:09捜した)時点では検索でも出てこなくなっている。このときの模様を簡単に言えば、催眠類で大阪へ行かされ、駿台京都校二号館にいた後藤さんに似た人物に出会う。
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その後、バス停留所の方向を間違え、高速バスに紙一重で乗り遅れた。そこで、地下鉄を利用すればバスよりもはやく、バス停留所「千里ニュータウン」に着くと思い北大阪南北線で「桃山台」駅を目指した。ところが、ここでも紙一重でバスに乗り遅れた。そこで、大阪に泊まらざるを得なくなった。それならば、「桃山台」の一駅大阪よりが「服部緑地公園」駅のため、そのすぐ側にある駿台大阪校を久々にみようと「緑地公園」駅に戻った。そして、駿台大阪校のすぐ近くにあった、一度前田師(別名・杜氏)共々接待された寿司屋に行った。
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その寿司屋では待っていたとばかりに、「大滝部長は関東地区の責任者となり、関西地区の最高責任者には堀江部長がなった…」と店員さんが説明をしてきた。えらく詳しいできすぎた話であった。その日時を今朝日程一覧で見たのだが、再度見ようとすると一時間以上さがしても出てこなくなっている。
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後に、この記録の謎の突如の紛失を気にさせられているが、今の私が時間をかけて調査する次元の話かどうかは不明である。例えば、1997年9月7日には「マザーテレサ死去」の記載がある。丁度、この1~2年前に、マザーテレサがNHK教育から、凄まじい様相で私に何かを訴えていた。当時はテレビ対談など思いもしなかったが、それでも私・浜田隆政に何かを訴えている感じがしていた。その後のグレゴリーペック死去の前の対話…などから言って、気のせいではなかった可能性が高い。それでは、その内容を思い出した方が重要度が高いのではないかと思っている。
例外は、後藤さんに似た人物が本物であったときか、あるいはその件で訴訟などが可能となる場合のみである。
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夢か―1。TVとの対話?―№1。マザーテレサ。
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=676 参照 公式Blog 2014年3月21日公開)
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(2025/04/30 追記)
結局、催眠で数時間かけて調査をさせられた。その結果を記しておく。私個人にとって少し興味がある点は、このとき(日記を調べると1996年9月7日)に出会った女性は、後藤さんそっくりではなく、後藤さんに似た女性であった。日記にも「後藤さんに似た女性」とのメモがあった。ところが、日付が特定できないのであるが、その後で別の所で今度は後藤さんと同一としか思えないくらいそっくりの人物に出会っている。この日付がわからない。日程一覧には記載がないため、手書きの全日程表を見るのは興味では見る訳にはいかない。また全日程表に記載があるか・どうかも不明である。
後者のときには、全くの同一人物の如(ごと)しであった。私が「あなたは、私が昔、職場で見た…」と言いかけると、「言わなくても分かっています」と相手はきっぱりと言った。
どうみても後藤さんと全く同一であったが、当時は後に記す『永久の世の映画説』(駿台真相編7D-3付録で掲載予定)に陥り、クローン人間(クローン人形)かと思い、まともな会話はしていない。横家、西山と異なり、大きな危害を加えられていないため、本人ならばいろいろ会話や、駿台の真相を聞けばよかったと、今(2025/04/30)思っているが、後の祭りである。後の内容は記憶と記録は一致していた。
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する必要がなかったとしか思えない調査の結果、判明したことは以下の通りである。
1996年9月7日の日程表→「その後バスに乗り遅れ。駿台大阪校前のすし屋にて駿台の情報を聞く。大滝氏→東京、作本氏→京都、松本氏→福岡など」
一月以内にまとめたと思われる日程一覧には「9月7日→①連続催眠と策略で駿台大阪校近くの寿司屋へ、ここで駿台人事につ いて知る。 ②夜、西田ひかる写真みて催眠で頭麻痺する」「9月20日→駿台/堀江&大滝部長へ手紙送付」(日程表もほぼ同一)
上記を記録にそってまとめると「関西地区最高責任者(京都校)・堀江部長」と「東京校・大滝部長」宛てに手紙を送付したとなる。あくまで記録上からの解釈である。
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なお、記憶では上記の寿司屋で「堀江部長が関西地区最高責任者になった」と聞いた覚えがあるが、大雑把に見た記録には記載はない。尚、「作本」という人物が大阪校の堀江部長の下にいた課長であろうか?松本課長は駿台大阪校で映画説で言えば、やや私の味方役を演じた人物である。
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尚、1990年3月に私の駿台大阪校訪問、1991年頃~94年には毎年深見係長に復職打診をしていたと解釈される文面が幾つもあった。
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次回から、資料として、大滝部長などに送付したものも、全部掲載を検討している。
1996年の大滝部長宛手紙を一番下に【資料】として次回に掲載を検討中である。(今回は字数の関係で掲載しない)
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《◇―4》その他の証拠隠滅の事例―駿台をにおわした駿台外での事例
①証拠隠滅の事例:車のアンテナ盗難被害。
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車のラジオアンテナを盗まれ、被害届け、実家付近の警察では「管轄外で岡山市へ…と」と言われたので、翌日、被害届けに行こうとするとアンテナが車に再度取り付けられていた。(住居不法侵入、器物損壊罪)……
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【状況】
上記の警察署は勝英警察署(現:美作警察署):1988年は岡山市へ行けと追い返される。1994年は瀬戸署に行けと追い返される。
(被害時期1987年末~88年初頭)当時の岡山市の住まい岡山市庭瀬(京都校時代週2泊3日程度:大阪校時代週3泊4日程度):
1994年被害場現場=我が家の実家(宿泊も兼ねて頻繁に戻っていた)
駿台京都校時代はニュー京都ホテルが多いときは月曜~金曜日まで4泊5日(大阪校時代は東洋ホテルが週3泊4日程度=大阪校時代=被害時期)。
(1994年車のライトへの悪戯)1994年以降は現住所等全て実家(我が家のみ=岡山県英田郡美作町位田)のみ。被害場所の周匝は我が家から12キロほど離れた場所の地(岡山県赤磐郡吉井町周匝:現在は岡山県赤磐市周匝)
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勝英警察署では上記の1988年1月頃と1994年9月では真逆の指示をされる。
1994年に車のドアの鍵をかけずに、赤磐市周匝で弁当を購入しているときに、車に戻ると、ライトに悪戯をされていた。当時は岡山県英田郡美作町に住んでいた。そこで、勝英警察署に被害届に行くと、美作町に住んでいても、被害現場が周匝ならば瀬戸署に行けと言われた。瀬戸署には1994年9月21日に行った。そのときにはひろがった奇妙な部屋で担当の警察官が一人のみ奇妙な態度をとっていた。必要時には時間なども特定できるため、該当警察官などに聞き取り調査は可能と思われる。
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だが、1988年1月前後のときには被害場所が岡山県英田郡美作町(実家)でも、住んでいる場所が岡山市庭瀬ならば、岡山市の警察に行けといわれ門前払いされている。そして、翌日岡山市の警察に行こうとするや、車にアンテナがつけられていた。こうして明白な犯罪のときには被害届を阻止されていた。
当時は、何故か不明であるが、確実に一連の犯罪に警察官が絡んでいた。
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②岡山市庭瀬のアパートでの薬落とし事件:証拠をとるのが困難な事件(犯罪関係者、協力者の証言を望んでいる)
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……部屋の不法侵入を裏付けるさらなる事件……天井から薬のカプセルが幾つも落ちてきた。天井を確認したが穴はない。翌日も、更に翌日も、約三~四日続く。窓は閉めており風で落ちてきたのではない。天井から真下に落ちてきた。
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なお、天井を手で触り調べても原因は分からず、箒などで軽くチェックしたのはこの頃である。二階に誰かいて悪戯かとか。同時にその前に二階の板をドンドン踏みならされた事もあり、二階からの悪戯と通常は思う。
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これのみでも、誰かが庭瀬の私のアパートに度々(たびたび)侵入した事は明白な事実であった。被害届を出しにくいやり方の上に、この頃は警察から既にシャットアウトされてもいた。……懐中電灯などで天井をチェックしても穴はなし。箒、時には木刀で天井を軽く叩いたのは天井構造のチェックが主目的……。なお、考えられる事は、干渉者・首謀者Xが天井にそうした仕組みをするのを二階の住人が協力したか、私の部屋にそうした細工をするのに大屋が協力(許可)したか、それとも部外者が不法侵入して二階側からか、私の部屋側からか天井にそうした仕組みをしたかである。水漏れはない。だが薬のカプセルが一つや二つではなく時間をおいてどんどん落ちてくる。……
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再度、天井を懐中電灯や、手で隈(くま)無く調べても異状なし。だが翌日も落ちてくる。落ちて来た薬は、私が大昔(八二年~八四年頃)服用した薬と同一と思われる薬で……(ほとんど)消却していたか、全て飲み終えてなくなっていた……よって犯罪者が病院か薬局で私が昔服用したのと同一の薬を新たに購入した薬と推定される。病歴等も全て調べたという脅しも兼用していたと思われる。
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ただし、天井を見続けて位置確認を狙うが、その間のみ落ちてこず。疲れて下を向くと時には即ポタリと、時には下の物へ当たる音も聞いている。例えば新聞紙の上にポトンと。勿論、落ちてくる瞬間は何度も見ている。畳や絨毯(じゆうたん)から三〇~五〇センチ程度上から下へ落ちる間まで。眼の高さから下に落ちる所も何十回と見ている。……、一〇〇%不法侵入は存在していた。……脅迫目的は駿台から手を引けという脅しと当時は考えていた……」
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以上、拙著『閉じた窓にも日は昇る』(文藝春秋へ原稿送付版){電子書籍版とは一部異なる。結局、文藝春秋版は出版されていないため、Blogでの公開は可能である}第2章「求め続けて」より。
※(2025/04/28 21:21 追記)最近疑っているのは病歴を調べた以上に、この時の病自体が駿台斡旋のホテル(ニュー京都ホテル)で宿泊中に、誰かが忍び込み、私の人体に病原菌を添付した疑惑である。というのも、それ以降も、731部隊型で細菌や病気攻撃を受けた疑惑があるからである。同時に、そのときの病気のなり方も不自然であった。更に、駿台講師の一部や岡山の予備校の教職員の一部がそのときの病や状況を知っていた疑惑を当時感じていたからである。
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③拉致被害事件:日程を絞り込み、当時の目撃者探しが重要となっている。
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次に、拉致されそうになった事件に関して、もう少し丁寧に記す。八七年末警察官の服(若しくは警察官の服装そっくりの服)を着た二人組に、理由も告げられず、いきなり私の腕を掴まれ、どこかに連れて行かれようとした。場所は東洋ホテルから梅田に行く繁華街とは異なる通常の道路であり、私は酒類は一切飲んでおらず、娯楽も中止中で連行される心当たりは全くない。身の危険を感じたため、大声で助けを呼ぶと、この二人組は走って逃げていった。
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もし、私がこの時に大声で他の通行人目掛けて助けを呼ばなかったならば、どこへ連れ去られ、何をされたのであろうか。単なる暴行であろうか、殺人であろうか。連行して、「はい、さようなら」は通常は考えられない。いきなり理由も告げられず、腕を掴まれ、どこかへ連れて行かれようとしたのであるから。事件の起こった日は八七年一一月六日~一二月の駿台冬休み前の駿台出講日である。必要時には厳密分析で日時は相当絞り込みは可能である。
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同様のもう一件の事件は、島根県で友人の結婚式に参加した翌日の八八年三月一四日に起こった。ジーパン姿の学生風の男二人が、警察と称して警察手帳らしきものを見せ、理由も告げず卑劣な挑発をし、私が激怒すると近くに国道九号線もあることから、相手はやばいと感じたのか逃げるように去った事件である。この時には急いで車に戻り、後を追って車中からカメラを出し写真を撮ったため車の一部は写っている。時間と場所は、当時写した全写真を島根県の友人に見せ、私の全走行ルートと照合したり、太陽の角度などから計算したりすれば推測可能と思われる。時間と場所も特定できれば、警察記録から本物か偽物警察かは特定できるはずである。
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ただし、本物の警察官が、私が通行人に助けを呼んだならば、逃げるように去るであろうか。大阪は文字通り慌てて、島根の時には巫山戯(ふざけ)ながら逃げた。後者の時には、この後直(す)ぐにこの件で父に電話をしている。また、この件は私の記録文の一つである「Field管理」に、当時記した次のメモが残っていた。
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[関連地]①松江~②荒神谷遺跡~浜田→③山陰海岸→④石見銀山。[日程]八八年三月一二~一四日……一九八八年記述……三月一二日=松江に向かう。高速で新見に出て米子へ、そしてまず荒神谷へ、その後ホテルへ。……一三日=TKさんの結婚式(NT君受付)。……一四日浜田市へ向かう。どこまで行ってもきりがないので、ここで玉海荘の写真を撮り引き返す。海岸に出て海を見ていて、偽警官に理由もなく連行されそうになり、頭に来た後石見銀山の標識を見て大森へ行く。その後、雷と雨の中を急ぎ家へ。友人STが林野(はやしの)に来ており待たしていたため。」
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拉致事件を甘く見てはならない。後に述べる映画説や駿台関係者ではないかもしれず、本当に殺されるかもしれない。不法侵入も同様である。その場合には被害は私のみならず、他の人も同様に犯罪被害に巻き込まれる危険性は大である。ともかく、あなた方がいきなり二人組に腕を掴まれ、どこかに連れ去られようとする被害にあったならば、どう感じるか。それも二度も。びっくりするというようなものではない。万一、駿台の誰かが関係しているとしてすら、どこかへ連行して「冗談です」で離すとは思えない状況にあった。
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もし、私が助けを大声で呼ばなかったならばどうなっていたか。少なくとも通常の人ならば、これ一つで外出時の恐怖は起こる。特に女性ならば。更に警察も動かねば社会生活は不可能である。方法は一つしかなく、米国の如く、自分を守るために拳銃でも密輸して所有するしかない。全く顔も知らぬ人間による拉致未遂事件は大犯罪である。尤(もっと)も、顔を知っていても同様である。また、刑事事件の加害者が、本当に駿台関係者でないならば、では誰なのかという大問題も残ってくる。冗談ごとではない
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以上、拙著『同上書』2章より。
人名は友人ST=サイトウ、TKさん=タカハシさん、NT君=ナタくん。
【写真】このときに慌てて写した写真を添付
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《◇―5》―駿台内外での実証困難な問題とその解決に向けて。
(最大焦点)催眠危害の実証について―これ抜きでは強制労働・貢ぎ労働・奴隷状態からの解放はない。
催眠危害そのものを全面・前面に出しての裁判をどのようにしてすべきか検討中である。催眠を使用されれば、幾らでも無料強制労働が可能となる。
駿台の事例で言えば、私は駿台には授業をするという契約で教壇に立ったのであるにも拘わらず、女性を絡めるドタバタ劇に無理矢理絡められる被害を受けた。
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駿台講師採用試験の最後の面接の際に、矢田部長に明白に言った。
「私は授業に専念したいのです。授業を求めて駿台講師に応募しました。…」
矢田部長
「それで結構です。駿台の方も授業だけに専念してもらいたいのです。」
これが双方の契約内容であった。
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ところが、既に、記述のごとく、催眠を使用されて西山熱を起こさせられる。そして、背後に当時の理事長などが臭わされており、結論から言えば、既に述べた如く、駿台CMのために強制的にドタバタ劇に参加させられたとしか分析できない。これにより、生き甲斐の喪失、ストレスの蓄積で大きな損失を被る。勿論、これらにより振り回された時間のロスは多大となる。私はこうした契約は一切していない。
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この無料・強制労働自体を正面からとりあげて、裁判を望んでいる。大変難しい裁判となろうが、人生の最後に嘘はつけない。難しいが、多くの場所で催眠が使用されているため、加担者の誰か一人が私が催眠類にかけられ・操られている状態を知った上で協力したことを言ってくれれば裁判は可能となると思っている。
駿台の西山、横家など。更には催眠状態やシナリオを知っている管理職や職員がいればその人の証言である。同じことが岡山の予備校にも言える。女性ではタキザワ、ヨシダ、そして管理職や職員の一部で事情を知っている人の証言である。
村でも各種催眠が使用されており、誰か一人が、それを証言してくれれば、芋づる式に駿台、ポリテクカレッジ岡山等々での強制労働、貢ぎ労働、奴隷労働が明白となるであろう。
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催眠問題を明白にしない限り、1997年の交通事故問題は解決をしない。催眠による被害者の私が加害者扱いされ、私の車の修理費用などの弁償もされていない。ただし、1997年1月の交通事故の本質は道交法よりも、(私への傷害罪、殺人未遂罪か業務上過失致死未遂罪、業務妨害罪、器物損壊罪等の)刑事犯罪被害の方である。運転手に睡眠薬を飲ませたのと同様な刑事犯罪被害である。なお、ここで催眠が実証されても、芋づる式に駿台予備学校での催眠によるドタバタ劇強制は明白となると考えている。
当然、賠償ではすまず、刑事犯罪のため、懲役を含む判決となると考えている。日本にはないが、可能ならば、刑事取引に該当する方法で、事実をいってくれた人には刑事犯罪をかなり減免できる形で対応したいと考えている。完全無罪での取引(刑事取引)は日本の法律にもあれば検討をする。
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この種の被害を絶たぬ限り、強制労働・貢ぎ労働、奴隷状態は未だに続いている。ただし、一つは催眠であり、もう一つは計画的な業務妨害にある。本来ならば催眠攻撃の中でも、インタネットを中心とする起業でも国民年金と併せて生きていけた。
勿論、本来ならば駿台のCMエゴがなければ駿台講師として29歳から80歳までは活躍していた。あるいはポリテクカレッジ岡山が選任確約を守れば、独立行政法人職員(能開大専任講師)として生きて行けた。勿論、1998年専任招聘があった明誠学院高校…その他膨大な職場でも生きていけた。
ただし、催眠がある限り、正規労働以外の無料労働を強いられ、また催眠がある限り、各種暴走は起こされていた。ともかく、催眠と業務妨害がある限り、人間としての尊厳ある生活は不可能である。
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この危害がはげしくなった駿台講師時代での催眠による強制労働の問題をまとめる。
催眠による女性熱の発症形態と実証は以下を参照。
駿台真相編―具体的展開解説05-3・駿台登場と京都校一号館女性㊤(A前半)
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=45675 参照 2024年8月21日)
この単元を含めて駿台真相編05で催眠などによる、駿台講師熱を実証している。
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なお、その本質についても記している。法的問題は以下にある。(引用は同上箇所から)
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①本質は、🏢駿台グループの大CMと🎬映画説グループの視聴率稼ぎにあった。
しかし、斯様(かよう)な犯罪(好きな振り詐欺と業務妨害、後の刑事犯罪被害への導火線役)をするには通常は心が痛む。私ならば一億円つまれてもしない。ナンパ師でもない限り、かなりの人間がそういう側面をもっている。そこで、そうした信条を払拭するために、人間違いが利用・悪用された疑惑が高い。
「あいつ(浜田)は●●をしたので、この程度の被害は当たり前だというような」危害への正当性を付与した疑惑が高い。しかし、「あいつ(浜田)」は浜田隆政ではなかった。現時点での分析では、我が家の住所番地を約70年使用していた浜田正典氏との人間違いの可能性が高い。ほぼ決まりといってよい。
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ⓐ駿台は、契約違反をして、私を強制労働・賃金不払い(女性ドタバタ劇)労働を強いた。
ⓑ私には下記に述べる如く落ち度は一切ない。
©人間違いが起こった原因についての、私の過失は一切ない。
ⓓ駿台は、このドタバタ劇と🤡(私)の悪用で、私を採用してから、辞めた後もその効果で20年余り、私を悪用しない場合に比べて、大きな各種利益を得ているが、私にはその見返りはない。その前に契約もせずに、行われた力尽くでの強制労働問題がある。
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なお、このドタバタ劇への強制と、各種謀略・工作の主たるものは自作自演劇と各種こじつけ工作にあった。そして、これは駿台講師時代から特に火を噴くと同時に、駿台が駿台と絡めて幾つもの職場と連携をして行った疑惑がある。以下を参照。
駿台事件真相編―🆕6―(4)・駿台CM作戦・各職場連携Ⅱ:⑤能開大・駿台契約確認、⑥駿台他校利用契約違反:犯人仮説への道追加
(https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=47584 参照 公式Blog 2024年11月30日公開)
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【メモ】(悪質な一連の自作自演劇ゲーム)
岡山中学・高校桐山校長の件は、駿台事件の下記と同一手口であった。論理的には同一グループがシナリオを書いたと分析される。
①1984年春に岡山中学・高校に私を招聘した桐山公雄先生が岡山進研予備校校長となり、私が同校を断る前に、「君には悪いことをした…」と逆さまにした話。
②1985年4月頃の🚺Nazoという女性の件(360度回転して私の進路方向へと走って逃げた)→下記㊟参照
③1985年5月頃の西山の好きな振り詐欺第三段→下記㊟参照
④1985年6月頃の横家への待ってて事件→下記㊟参照
⑤駿台で(政経一本で三年生活保障があるにも拘わらず)1986年3月の日本史担当の経緯
⑥1987年晩秋に、差別文書を手渡された件
⑦1997年岡山県美作市巨勢での交通事故もこのタイプの亜流とも言える。
⑧2024年11月22日・上記の種明かし型・村での車の話。
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㊟1985年4月頃に私が駿台京都校一号館から二号館に授業に遅れないようにするために走っていた。すると名前も知らない女性謎が待ち伏せて、二号館から一号館に歩いて来ていたが、私が走っているのを見て、360度回転して私の走っている方角に走って逃げた。
その後学校内で私を見て怯えまくる真似をした。
いずれ人は私がその女性にストーカー行為か何かをしたと思うようになるであろう。
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㊟1985年5月頃に西山等に「普通にしてくれ」と言うと、女性たちがひっかかったと大喜びをした。人はそのはしゃぎ方を見て、私が彼女にアタックしたと思うであろう。
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㊟1985年6月頃には催眠で横家に「待っててくれ」と言わされた。言った私には意味不明であった。横家はその言動を得るために待ち伏せをしていたと思われる。そして、その後彼女のつきあっていた彼氏と婚約をした。男性諸君が私を見て先生がかわいそうだというオーバーな演技をした。すると私は横家に振られたと人は思うであろう。
それらはどうでもよいが、要するに、駿台で多数みられたワンパターンの自作自演ゲームである。
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㊟⑥番の差別文書の話は駿台真相編06-(5)及び駿台真相編07の最後で行う。
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