(🚧準備中)写芸楽№9・母のに当たって―東洋の母(An oriental mother)解説。
(2024/05/13 13:02記述)以下は当初書く予定ではなかった内容である。恐らく、当時の構想を就寝中に調べられて、書く内容の本質を変えられたのであろう。良い・悪いは別にして、危険なため、下記以下は別ページ・写芸楽№9母のに当たっての箇所に後で移動する。いつも寝ている間に、構想を変化させられる。その最たるものが駿台事件であった。
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まともに撮った写真(写真タイトル「東洋の母(A oriental mother)」)、もっとも姉は良くないというのだが。
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この写真は哲学的意味を持っていたが、やはり芸術ではなかったか。
哲学
Ⓐ「忍」という文字→:この文字は法然誕生の誕生寺で購入したか。武道家ならば分かろう。
Ⓑ「だるま」の絵→私の父・浜田耕治が描いた掛け軸。だるまの意味も分かろう。
Ⓒ私の姉が母に贈った花→花はカーネーションと思うが。カーネーションの意味は。
Ⓓ「火をけす」…道具は→同じく、誕生寺で購入のもの
Ⓔポスターは「弥勒菩薩」(別名・救世観音像)→広隆寺で購入と思う→この仏像を見てヤスパースかキルケゴールが絶賛したという。
弥勒菩薩の意味は
Ⓕ後ろは仏壇
父・母・姉・光・弥勒菩薩…と続く。忍が写真の本質であった。少し演出に拘りすぎたか、姉の知能が私についてこられなかったのか。
完全に、哲学的意味を持つ写真であった。芸術ではなく哲学である。
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手ぶれ防止のない暗いレンズで、暗い部屋で、ISO100(確かAsita 100 Fか)のポジフィルムで撮影。
母に言ったことば「5秒間息をせずにじっとしとけ」と。
被写体ブレを防ぐため。
カメラはF5とF90Xと思うが調べないと不明。
露光は数秒。
撮影時間は2時間を超えた。
私も撮影後に、ぐったりきて昼寝をしたのを覚えている。
だが、モデルの問題もあり、事前に、母抜きで数時間かけて露光チェックなどをしてもいた。
当時はデジタルではないので、実験結果が分かるまで、かなりの時間がかかった。
撮影→①ラボ(写真店)→②津山へ移送(フィルムの種類が違えば、大阪に移送)→③現像→④津山から美作のラボへ→⑤私が現像をとりにゆき、ライトボックスでチェック
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次にプリントLサイズプリント:同じく①~⑤の繰り返し
Lサイズプリントを見て+05.EV明るくとか暗くの指示を出して
再度プリントのし直しで①~⑤
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その後で今度はLサイズの見本をつけて2Lサイズプリント依頼で①~⑤の繰り返し
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2Lサイズの露出などが違えば再度①~⑤
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さらに4Wなどにする場合には、再度①~⑤
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これはフィルム時代(ポジフィルム・リバーサルフィルム)での常識であった。
嘘と思えば、近くの写真店で聞いてみるがよい。
たった一枚を撮るのにかかる時間である。お金もかかる。
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本質、私はカメラマンや写真家では一切ない。
演出家(プレゼンテーション屋)であり、平和の商人(あきんど)を目的としている。
そして、その演出上、写真は重要な材料の一部のため、著作権対策上自分で撮影しているにすぎない。
私の芸術作品は著作などの書物である。
そこで、写真もその一貫として撮影しており、写真芸術面からの価値を狙っていない。
東洋の母も、写真芸術よりも、哲学を意識した写真である。
言葉で解説をして、始めて意味を持つ写真である。
「This is the American」(アメリカ人というものは本来はこうしたものなのだ)も同様である。
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