👐(下書きのまま保存)写芸楽―№8・母の日が語る「価格ドットコム」関連4月投稿事件の落とし前―これが催眠だ

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(👐下書きのまま保存)写芸楽―№8・母の日が語る「価格ドットコム」関連4月投稿事件の落とし前―これが催眠だ。

清書・正式公開は別ページで行っている。


【更新履歴】

2024/05/13 11:45から12:12まで記述。昼ご飯休憩。本題はまだ書いていない。

2024/05/13 13:00 当初(4月2日)記述予定内容と大幅に内容を変更させられていることに気づく。現時点(13:00)までに書いた内容は当初書く予定ではない文であり、その箇所は写(写真)芸(芸術)楽(楽しい)―№9に移動をする。13:02から書く内容が当時の内容である。

2024/05/13 13:19 本文記述中に、車のブーブー音が激しい。恐らく、本日の主題の文章を妨害するように、誰かが就寝中に催眠をかけたのであろう。汚いことこの上ない。同時に、その被害は数十年に及んでいる。

~16:37:徐々に最初作業中(なお、終了すると同時にアドレス変更):私の背景にいる人間が視聴率稼ぎに難癖をつけ書かせている疑惑あり。Z家ではなかろう。

17:48 清書進行中

2024/05/13 19:27 №8と№9を分離して、両方とも別ページで正式公開。ただし、このページは数ヶ月は証拠保全として残しておく。20:18 各種追記や修正は新ページのみで行っている。


 

(表紙の写真):母の日(姉が持参の花の前で):花はカーネーションと思うが、私は花の名前をほとんど知らない。写真の解説は最後にしている。

97-015-23-f-Ami-copy1
(1997年撮影)
撮影時間は2時間以上に及んだ。
撮影枚数もフィルム2本となった。
なお、露出をはかるため、事前に母抜きで4時間かけて実験撮影もしていた。
レタッチ加工している方。
レタッチ加工していない方は一番下に掲載。
露光が数秒、かつ暗いレンズのため、被写体ブレ、手ぶれ抜きは難しい。薄暗い部屋でもある。双方息をとめての撮影であった。
詳細解説は写芸楽№9に掲載。



本題に入ろう。

 本題は、下記、写真の如(ごと)く高尚な話ではない。他方、国際問題にまで波及する話である。正に大風呂敷な話である。

昼ご飯食べてから掲載

2024年4月から6月は、部屋の整理、パソコンファイルの整理、書類の整理、…更には次の世界の歌準備などに充てるため、Blog類は原則として掲載しない方針でいた。その趣旨は読者にも伝えていた。

ところが、面白いことがあり、それだけは忘却せぬうちに書こうと考えた。それが母の話である。
しかも、短い話でもあった。特にジョークラバー(Joke Lover:冗談愛好家)の私にはこれは書かねば仕方ないかと思っていた。

それを4月上旬頃に書こうとするや、催眠で一太郎関連を書けと、価格ドットコムに誘導された。だが、価格ドットコムを見るとカメラレンズサイトに誘導され、4月2日に全く違う内容を掲載する羽目となる。その訂正を4月29日に強要され、更に、4月30日には本題は一太郎・Justsystem関連だろう、とまた書かされた。

いずれも違う。
実際は母の話であった。

当時、新一言Blogに、簡単に書く予定だったのは次の内容である。

(2024年)3月であったか、美作中央病院歯科に行った。ここでは治療の際にはスリッパは脱ぐとなっていた。そこで、スリッパを脱ぐと、靴下が裏表が逆となっていた。
慌てて足を隠した。その瞬間に2月に青山医院に行ったときのことを思い出した。


姉さんは親孝行である。
カーネーションも毎回、母の日に贈ってきた。
だが、母は貧乏な私が気まずい思いをしてはならぬと私にときどき言っていた。
「花など食えるか。家の外には我が家の花がある」。
実に息子おもいな母であった。

だが、親孝行な姉は私よりもシビアな所もある。母の衣服を昨年(2023年)整理をすることにした。

私は🚺女性ではないので、全部捨てればよいのであるが、なかなかそうはいかなかった。
これは母が昔よく着ていた服だから、記念においておこうか…など迷った。
姉はその点では、私よりも割り切りが良い可能性がある。
また、綺麗(きれい)な服の場合にも、捨ててよいのかと迷った。

だが、日本人、特に、私には知恵がある。Michelle🆚浜田論争と同じことを思いついた。
ミッシェル🆚浜田論争とは以下の話である。

ミッシェル夫人は「🍪クッキーなどを食べるばかりではなく、野菜をたべよう」と言った。
そこで、私は言った。「クッキー、🍪、くっきー、Cookie…」と。
ミッシェル夫人は机をバタンとたたき「オーNo」と言った。

時間が経(た)ち、私はここは親睦をしようと考えた。
賢明な私はミッシェル夫人を驚かす奇策を考えた。
「そう、野菜だけでつくったCookieを食べよう」
これでどうだ。

岡山県人のミー(ME=私)には知恵がある。
ところが、それも察知され、例の歯痛事件が「Cookieを食べるDay」(国際親善を目指して野菜Cookieを食う決行日)に起こることになる。
当時の模様で分かり易(やす)いのは下記である。

☆☆☆☆☆
政治の狭間(はざま)で―1・ミシェル夫人2019年誕生日の話
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=27604
☆☆☆☆☆

話を元に戻そう。
賢明な私は母の件でも同様のアイデアが浮かんだ。
母の衣服の一部を防寒対策に利用したならばどうか。
しかも、姉が拾ってきたような衣服ももう穴があいたり、あきかけたりしていた。
冬服は高いとくる。

しかし、93歳の婆(ばあ)さんの服を着て外にでるのは、幾ら何でも恥ずかしい。
そこで、こう考えた。

ズボンならば、寝るときやパソコン室での作業時には、母のズボンをはき、その上に私のズボン(トレーニングウェアのズボン)などをはけば暖かい(二重ズボン着用)。それに、配達業者などが途中で来ても、上側は私のズボンなどでバレない。
そして、外出のときには正規のズボンに履き替えるので困ることもない。
暖房対策である。

これならば一石二鳥ではないか。
私を美化して言えば、マザーテレサでも同様のことをするかもしれない。


姉にしても、母の形見などを見たければ、私のはいているズボンを一枚脱げば母のズボンがでてくる。
姉も喜ぶであろう。
と、姉思いの弟・MEは考えたのである。


そして、実行した。
ところが、面倒くさがりの私は、更に超多忙な私は寝るときも昼間と同じ状況で寝ていた。
これならば、真冬の、台所などは氷が張り詰める環境でもアンカー一つでも寝られる。電気代の節約にもなる。

日本人には知恵がある。いや、日本の政治家(悪知恵のみの政治家)を思い出し訂正しよう。
日本人の中でも、私には知恵がある、と。自画自賛をしよう。

ところが、ある日、2月にも拘(かか)わらず、結構暖かい日があった。
それとも風呂から出てきた後なのでそう思ったのかもしれない。
そこで、母のズボンだけをはき、その上に私のズボンをはかずに寝た。
起床後は青山医院に通院の日であった。

寝る時間が遅いため、起床時間が大きくずれた。
青山医院には正午までにつかねばならない。
起きるや慌てて自転車で、8キロ先の青山医院目指してまっしぐらである。
自転車道中で、我に返った。

「オーマイガット(Oh my god!)」
No。
日本男児はそうは言わない。
「Oh my Buddha!」と言う。

知恵のある私はいつも、「Oh my Buddha!」と言う。
だが、私は無神論者である。

さて、ここで迷った。家まで戻り、履き直して行くか。
それでもギリギリ正午に着くか、それとも12:05頃になるか。
さらに、上手(うま)く間に合ったとしても、「焦る心は事故のもと」である。
やはり交通安全を重視しようということで、そのまま青山医院に行った。
待合室にいるときに、受付の女性が怪訝(けげん)な目で私を見た。
何しろ、女性のズボン。それも93歳の婆(ばあ)さんが日常履いていたズボンである。


だが、賢明な私はこう考えた。
ここで慌てた顔をすると、双方気まず悪くなる。
更に考えた。
ここは何もなかったという平然な顔をしよう、と。

そうすれば、相手の女性はこう考えるかもしれない。
「これは、新しいファッションなのか」と。
一か八(ばち)かで、私は平然とした顔をし続けた。

なお、病院の職員が怪訝(けげん)な顔をしていたように見えたのは別の要因かもしれない。今となっては不明である。何しろ、各人が、誰かの思惑で様々な実験などをするため、今となっては不明である。ただし、実験にせよ、心当たりがないときは、誰でも別のことが原因と考える。



以上が当初書く内容であった。催眠や挑発類があったため、背景を記述して、工作者の汚い手を実証しておこう。



ともかく、書くか・書かないか迷っていた。

上記のような馬鹿な話を冗談好きの私は、整理月間でBlog類は書かないとしていたが、忘れぬ内に書こうかと思ったのである。

しかし、3か月HP活動は原則として休むと告知していたが、何かのBlogを掲載すればなし崩しで再び、Blog類を書き続ける危険や罠(わな)を警戒した。
実際に4月から催眠悪用でその罠のど真ん中にいる。通常の月以上の数のBlog類を書きまくらされている。催眠や挑発で。恰も、新聞社かテレビ局がバックにおり、予定に穴があき困ると言わんばかりである。だが、私は報酬は一円も得ていない。}

参考
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2024年4月の主要掲載物と4月のまとめ(2024年5月5日正式公開)
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=43426
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ともかく、書くか・書かないか迷っていた。

その迷いの隙(ひま)をつき、一太郎・Justsystem関連の情報集めで「価格ドットコム」に誘導される。
そして、価格ドットコムにたどり着くと、カメラレンズ部門を見さされ、全く書く予定もないし、書く気もなかった(安らぎBlog)写芸楽―№5を書かされる羽目となる。

さらに、このときに写真掲載は面倒でしないとしていた。
ところが、写真を掲載しろと執拗(しつよう)な催眠があった。
だが、写真は原本がD800ならば8bit現像で約120MBであり、16Bit現像ならば約240MBとなる。
通常の圧縮(Jpeg)だけでは無理で、縮小してからの圧縮となる。おまけに、著作権対策で、私の印鑑と名前をつけている写真しか使えない。

カメラマンではないが、写真も商品の一部である。常識である。
すると、そうした写真ならば神戸ルミナリエがあろう…と催眠誘導でこの写真を掲載させられる。

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写芸楽―№5・写真と芸術を語る(催眠で予定外に強制された作業)(催眠強制による予定外の文章である)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=32696
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おかしいとは思ったが面倒で放置しておいた。
何か、「神戸ルミナリエ」🆚「This is the American」のもめ事を連想した。
前者は正治君の家の結婚祝い用メッセージに使用し、後者は浜田運送関連の娘さんのメッセージに使用した。

同じものにしたら良かったのに。
それが可能ならば、私は🙌(\(^o^)/)、万歳である。
手間が大きく省ける。

ところが、後者のときにも催眠で、同じ写真は芸がないとか神戸ルミナリエは慰霊関係のため、縁起が悪い…で「This is the American」を同封させられていた。
ただし、どちらもお気に入り写真である。

なお、重要なことは私はカメラマンでは一切ない。
私は強いて言えば、演出家(プレゼンテーション屋)である。
その一貫として、著作権問題上、やむなく、自分で写真を撮っているだけである。

演出上は当然、「This is the American」の方が高い。
実際にアメリカで、私の写真のテーマから大きな「This is America」論争が起こっている。
簡単に言えば、グラミー賞の歌などである。
☆☆☆☆
私の作品・「This is the AMERICAN」の意味とアメリカ社会への影響―「This is America」🆚(対)「THIS IS THE AMERICAN
http://h-takamasa.com/Blog/?p=32195
☆☆☆☆

私に干渉しているのは謎の☠(謎のXグループ)と👺(安倍様、お犬様将軍、即(すなわ)ち安倍晋三氏を連想するグループ)である。
両者に共通はしつこい。

やはり、神戸ルミナリエがよく、「This is the American」は良くなかったのであろう。故意にやったのであろう」型を臭わす催眠であった。
逆に言えば、🚛浜田運送…の結婚を祝福するメッセージのときも、最初からトラブルを計画して、催眠でメッセージ用写真を変えられたのであろう。
そして、村で論争させる。更にあわよくば「冠婚葬祭」で村のトラブルを拡張するのを狙ったのでであろう。恐らく、村人の何にかも、事情を知っていたと分析される。

俗に言う、罠(わな)・工作である。何か駿台事件を連想させられた。
しつこい、ごり押し、催眠悪用…と。(ただし、駿台講師時代はおかしいとは何度も思ったが催眠なる存在を知らなかった)

その件(写真の件)はケリがついており、更にアメリカの「This is America」という歌と南米の「This is not America」という歌などでケリがついているだろう。
彼ら(👺or☠)は嘘(うそ)でも本当にするまでちょっかいをかけてくる。そこで、念のため、また価格ドットコムに書けと。
これは価格ドットコムからのE-mailを契機に起こった催眠である。

そうした暗示から、今度は、神戸ルミナリエ…掲載の経緯などを含めて価格ドットコムに4月29日に再度掲載させられた。

私は4~6月はBlog類は掲載せず、各種整理や掃除をすると宣言していたはずである。

何も書きたくないが私の意思であった。ただし、冗談愛好家の私は先の話だけは簡単に書いておくか、その隙(すき)を狙っての催眠であった。

☆☆☆☆☆
写芸楽―№6:「№5・写真と芸術を語る(催眠強制…)」に続き本日も催眠強要・村トラブルと連動疑惑。
http://h-takamasa.com/Blog/?p=32881
☆☆☆☆☆


ところが、翌日、再度、催眠があり、当初書く予定は一太郎・Justsystem関連だろう、と。
そして、無理矢理、今度は「Justsystem」関連で価格ドットコムに掲載を強いられた。4月30日のことである。

☆☆☆☆☆
写芸楽―№7・一太郎・ジャストシステム…と一連のトラブルは関連があるか。
http://h-takamasa.com/Blog/?p=32917
☆☆☆☆☆



その後「価格ドットコム」からメールが来て、掲載写真は削除するときた。
(催眠というものを知らなかった)以前ならば、写真の文字は著作権対策だ…云々(うんぬん)の論争や、匿名ではなく実名表記とすべきであるという論争などをさせられたかもしれない。

あるいは、またもや、「神戸ルミナリエ」🆚「This is the American」論争を引き置こうそうとしたのかもしれない。と言うのも、2024年2月などは「This is the American」という写真を中心に政経面(公式Blog)、写真面(写真物語館・絆の間)、語学面(安らぎBlog)と書きまくっていたからである。

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日本のフィクサーME・Part 3・第3章「開業・企業を目指して訪米」・第6節光るラスベガス―1:THIS IS THE AMERICAN
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=42206
☆☆☆☆☆

そこで、まだしつこく、「神戸ルミナリエ」🆚「This is the American」論争で、何かを企(たくら)んでいたのかもしれない。
ともかく、しつこい、更には過保護の団体・組織・個人を連想する。
自分の思うようにならないと気が済まないという、幼児教育の失敗のツケがでた輩(やから)である。
ときには、中国の(四人組の一人で毛沢東夫人)江青を連想することもある。

だが、幸い、催眠なる語に気づき、話題を変更されることは防げた。
手口は駿台事件と同一であった。

《駿台事件》
1983年度入社の駿台京都校講師室係女性四人組の件はB路線である。
A路線は、駿台講師となったときは赤(革新)からオレンジか桃色に変化している時期である。
真っ白(無色)になるのは1984年以降であろうか。無職以前に無色となっている。

要するに、私は部落問題研究部、婦人問題研究部、自治会、各種ボランティア活動をしている女性しか知らない。
伴侶もそうした中から選ぶであり、駿台講師室係女性は範疇(はんちゅう)外であった。
東京から岡山に戻る1981年度までは普通の女性は知らない。
高校時代でもクラスは理科系で47人中で女性は7人しかいなかった。後は部落問題研究部の後輩女性などである。クラスメイト女性も社会派女性もおり、完全に無色でもなかった。
岡山に1981年度に戻ってきたからも、真備高校講師時代は、教育などに関心を持つ女性教師も多かった。
要するに、普通の女性は知らないし、興味もなかった。それを催眠で徐々に崩されていく。


それが駿台が、1983年度に京都校四人組を雇い、既にシナリオがあるので、無理矢理、B路線に巻き込まれただけである。
B路線の中での議論よりも、B路線そのものを無視して、A路線を論じた方が早い。
同時に、駿台講師時代の事件は、女性問題では一切なく、業務妨害、詐欺、各種刑事犯罪被害である。(特に大阪校時代は業務妨害と刑事犯罪被害はひどかった。)
【駿台事件のまとめ】

駿台女性まとめ


話題を変えてはならない。
B路線は、駿台大CMと「人間違い」危害を前提として作られたものだそうである。

なお、徐々に桃色から白紙(無色)になっていたが、それでも1983年当時は、社会・人権・教育に関心があり、私は何となく波瀾万丈になりそうなので、共稼ぎ志向、「万国の女性よ自立せよ」型女性を志向していた。

なお、2017年から突如「赤(共産党)」攻撃が開始するが、もし、本気で(私が当時や今でも共産党関係…と)そう思うならば、私の理想は共産党員女性となる。それでは当時の彼女らは共産党員だったのだろうか。私は、駿台講師時代は既に日本共産党とは無関係となっており、駿台の中にかなりいたと思われる日本共産党員の人は誰かは全く未(いま)だに知らない。

駿台は当時は関西では京都校中心であり、京都は日本共産党のメッカのような地である。
当然、駿台京都校の中にも、日本共産党員は山ほどいたと思われるが、私は全く誰が該当するのかは知らない。
私が当時もまだ革新のど真ん中というならば、1983年駿台講師室係女性四人組が日本共産党員ならば大きなプラス点となったであろう。逆に言えば、赤攻撃と駿台女性四人組が日本共産党員でないとすれば、この両者を併行して出すことは論理矛盾でもある。
私は長期に亘り(もはや40年近く)、無色の正義愛好家・人権主義者でしかない。プロ野球のお気に入りチームの如く形で政党や組織を見ることはないことも付け加えておく。


もっとも、駿台時代にはもはや党派中立・宗派中立となっていたとはいえ、民主主義・人権・社会・教育に関心をもっていれば、プラス点となったであろう。万一、部落解放運動などに彼女らが絡んでいれば、催眠抜きでも、それを告白すれば、プラス点となり、瓢箪から駒(ひょうたんからこま)となったであろう。若(も)しくは嘘から出た実(まこと)となったであろう。
私が大きく評価するのは出自ではなく、実際に各種民主主義活動をしているか・どうかである。出自は調べないし、私は興味は一切ない。私にとってはどうでもよい話であり、論外である。
実際の行動だけが重要である。

現在は更に白紙(無色)となり、情操教育上、それが優れた女性が良いとなっている。
その前に、現在の私に関心を持つ女性ならば、多くの条件を満たしている可能性がある。友人の一人が大昔に言ってくれたが「浜田隆政を好きになるような女性が、僕は良い」と。
それが全てである。

金目当てでは私に近づいてはこないであろうし、容姿目当てでもくることはないし…ということである。ましてや、72歳を目前の私に対して…となれば尚更(なおさら)である。

B路線から離れ、A路線の話をし、その上で、駿台事件の本質は業務妨害・刑事犯罪被害・各種詐欺被害、催眠などの傷害罪及びそれへの共犯という刑事犯罪被害、(催眠悪用での、したくもない駿台ドタバタ劇に参加させられた)強制労働(への共犯)被害、即ち人権蹂躙(じんけんじゅうりん)事件でしかない。これが全てである。

再度言えば、駿台事件で本来書きたかったのは上の部分(赤字)のみである。

そこに無理矢理B路線をおしつけられ、催眠や挑発続きである(今回の文書の上側の青緑色とその後の文書を比較すれば良い)。これでは生存はできない。だが、加害者も私と同様の状況になる義務はある。即ち、人生の破綻、長期の貧困と苦悩、業務妨害の連続、催眠危害、風評被害、そして老後破綻におびえる長期の日々の羽目になることである。
私にとっての人生の落とし前をつけたい。

金が一定はいれば、インタネット回線かプロバイダをもう一つもち、現在入っている悪戯(いたずら)・脅迫・業務妨害Mailを全てソースを含めてガラス張り公開して、世界に加害者を割り出してもらったり、サイバー攻撃部隊に刑事告発をしたりして相手を特定し、海外資産凍結、助成金打切、税制面優遇措置打切、入札・指名業者停止、…と各種消費者運動及び有権者に協力を呼びかけることになる。
私も人生はあと僅かである。人生の落とし前はつけたい。


ところで、今回と同じ被害にあったのが下記(2021年の事件)である。
私はジョークを書こうと思っていたならば、バイデン大統領と文在寅大統領の食事の話を催眠で延々とさせられ、国際協調に水をさす、役割を演じさせられそうになった事件である。
催眠とはこうした全く別内容の言動を強いたり、ときには書かしたりする物である。

駿台講師時代に催眠なるものを知っていれば、最初に手紙を渡した女性に言ったであろう。
「すみません。信じようと・信じまいと、あれは催眠で書かされたものです。今もまだ催眠熱は続いていますが、催眠がとけない限り、駿台女性とは距離を置きたいと思います」と明白に言ったであろう。当時も催眠を知らなかったが、おかしい・おかしいと抵抗した話などは駿台真相編で記そう。証拠もある。

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【🇺🇸🇰🇷米韓首脳会談でのMEへの謀略疑惑】5月26日長福寺にて、食事に絡らむコメント当初予定と催眠後(🇺🇸米韓首脳会談食事)の変化
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=32297
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間もなく、駿台事件真相編掲載開始予定でいる。
🎃(オジョウ)は「書いても無駄よ。小渕総理のときと同じよ」と言って、後に姿を消した。
小渕総理と同じとは死んだか・死んだことにしたか、で幕切れを意味している。
実際に、駿台理事長山﨑春之氏に本格的調査依頼を出そうとすると死亡した。


なお、本日起床するや、催眠で一部書かされ、話題をそらされそうになった箇所があった。その箇所は、「写芸楽№9母のに当たって―写真タイトル・オリエンタルマザー(東洋の母)」の箇所に回すことにした。次のページである。

下書き段階で公開しているが、正式公開は、日本のフィクサーME・米国帰路や、駿台真相編―1などとの兼ね合わせで正式公開日は未定である。なお、写芸楽№8の部分も別ページで正式公開し、修正や訂正を加えることにする。

ただし、このページは、全体の流れを示すため、数ヶ月併行保存し、その後で消去予定でいる。



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(🚧準備中)写芸楽№9・母のに当たって―東洋の母(An oriental mother)解説。
http://h-takamasa.com/Blog/?p=33069
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写芸楽―№8・母の日が語る「価格ドットコム」関連4月投稿事件の落とし前―これが催眠だ

http://h-takamasa.com/Blog/?p=33083

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№8には写真を一枚追加予定。

 

 

 



(2024/05/13 13:02記述)以下は当初書く予定ではなかった内容である。恐らく、当時の構想を就寝中に調べられて、書く内容の本質を変えられたのであろう。良い・悪いは別にして、危険なため、下記以下は別ページ・写芸楽№9母のに当たっての箇所に後で移動する。いつも寝ている間に、構想を変化させられる。その最たるものが駿台事件であった。

 

01-031-34-f:(2001年撮影:「母に笑えと言ったら」こんな顔。ME「違う、やり直し」の繰り返し

01-010-37-Cf:2001年撮影(今、私が望む笑い顔と違うもこの辺で良いか。笑い顔は泣き顔よりも難しい。それが人生でもある。)

 


まともに撮った写真(写真タイトル「東洋の母(A oriental mother)」)、もっとも姉は良くないというのだが。

97-015-02-f-1(1997年撮影:撮影時間は2時間を超えた。母も私もクタクタ。更に、露出の実験などでこの数日前に母抜きで4時間をかけてもいた。)

この写真は哲学的意味を持っていたが、やはり芸術ではなかったか。

哲学

Ⓐ「忍」という文字→:この文字は法然誕生の誕生寺で購入したか。武道家ならば分かろう。

Ⓑ「だるま」の絵→私の父・浜田耕治が描いた掛け軸。だるまの意味も分かろう。

Ⓒ私の姉が母に贈った花→花はカーネーションと思うが。カーネーションの意味は。

Ⓓ「火をけす」…道具は→同じく、誕生寺で購入のもの

Ⓔポスターは「弥勒菩薩」(別名・救世観音像)→広隆寺で購入と思う→この仏像を見てヤスパースかキルケゴールが絶賛したという。

弥勒菩薩の意味は

 

Ⓕ後ろは仏壇

父・母・姉・光・弥勒菩薩…と続く。忍が写真の本質であった。少し演出に拘りすぎたか、姉の知能が私についてこられなかったのか。

完全に、哲学的意味を持つ写真であった。芸術ではなく哲学である。

手ぶれ防止のない暗いレンズで、暗い部屋で、ISO100(確かAsita 100 Fか)のポジフィルムで撮影。

母に言ったことば「5秒間息をせずにじっとしとけ」と。

被写体ブレを防ぐため。

カメラはF5とF90Xと思うが調べないと不明。

露光は数秒。

撮影時間は2時間を超えた。

私も撮影後に、ぐったりきて昼寝をしたのを覚えている。

だが、モデルの問題もあり、事前に、母抜きで数時間かけて露光チェックなどをしてもいた。

当時はデジタルではないので、実験結果が分かるまで、かなりの時間がかかった。

撮影→①ラボ(写真店)→②津山へ移送(フィルムの種類が違えば、大阪に移送)→③現像→④津山から美作のラボへ→⑤私が現像をとりにゆき、ライトボックスでチェック

次にプリントLサイズプリント:同じく①~⑤の繰り返し

Lサイズプリントを見て+05.EV明るくとか暗くの指示を出して

再度プリントのし直しで①~⑤

その後で今度はLサイズの見本をつけて2Lサイズプリント依頼で①~⑤の繰り返し

2Lサイズの露出などが違えば再度①~⑤

さらに4Wなどにする場合には、再度①~⑤

これはフィルム時代(ポジフィルム・リバーサルフィルム)での常識であった。

嘘と思えば、近くの写真店で聞いてみるがよい。

たった一枚を撮るのにかかる時間である。お金もかかる。

本質、私はカメラマンや写真家では一切ない。

演出家(プレゼンテーション屋)であり、平和の商人(あきんど)を目的としている。

そして、その演出上、写真は重要な材料の一部のため、著作権対策上自分で撮影しているにすぎない。

私の芸術作品は著作などの書物である。

そこで、写真もその一貫として撮影しており、写真芸術面からの価値を狙っていない。

東洋の母も、写真芸術よりも、哲学を意識した写真である。

言葉で解説をして、始めて意味を持つ写真である。

「This is the American」(アメリカ人というものは本来はこうしたものなのだ)も同様である。

 

 

 

 

 

2024年5月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA