ウェルカム・サミット―5・イタリア・レンツィ(Renzi)首相(五月・六月の歌連動)
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【構成】
(1)レンツィ首相
(2)私のHPでの大統領関連
(3)イタリアの桜(祭り)
(4)イタリア人が歌う・奏でる「さくらさくら」の歌
(5)イタリア人が演奏する「荒城の月」
(6)レンツィ首相への、私の一言
(7)(参考保存文書)「レンツィ首相への一言から日本政府への要望へ」(日本政府宛文書に途中で変質)
※写真はイタリア首相府公式サイトより拝借。
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(1)レンツィ首相
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①レンツィ首相関連情報→外務省HPより
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000091941.pdf
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②イタリア共和国基礎データ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/italy/data.html
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(2)私のHPでの大統領関連
公式HP>お勧め情報>世界の首脳→
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/custom29.html
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(3)イタリアの桜(祭り)
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Hanami Festa dei Ciliegi
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ROMA ….sakura, ciliegi in fiore
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(予備) Hanami 2.0 – Lago dell’EUR Roma 2016
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(4)イタリア人が歌う・奏でる「さくらさくら」の歌
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①Giuni Russo “Sakura” 桜
【YouTube 記載】2010/02/12 にアップロード
Sakura 桜 (sotto il ciliegio)
Canto tradizionale giapponese, esecuzione contenuta nel cd “Signorina Romeo Live” (2002).
Alcune immagini di questo video sono tratte dal Dvd “Unusual” (2006).
http://www.facebook.com/GiuniRusso.Of…
http://www.facebook.com/GiuniRussoOff…
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②Sakura
【YouTube 記載】2015/02/13 に公開
Provided to YouTube by YouTube CSV2DDEX
Sakura · Giuni Russo
Napoli che canta
℗ 2012 GiuniRussoArte under license to Pirames International Srl
Released on: 2012-04-02
Auto-generated by YouTube.
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③Voci dal Mondo – Sakura Sakura 桜 桜
【YouTube 記載】2011/01/21 にアップロード
Esecuzione per il Concerto di Natale 2010.
Titolo: 桜 桜 (Hir. さくら さくら)
Compositore: 佐藤敏直 (Rom. Toshinao Sato)
Paese: Giappone
Anno: Periodo Edo (1603-1868
Giuni Russo の「Sakura」 (iTunes)
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(5)イタリア人が演奏する「荒城の月」
目下調査中。
「荒城の月」・「Kojo no Tsuki」
「Moon over the ruined cstle」
「La luna sul castello diroccato 」
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(6)レンツィ首相への、私の一言(2016年5月24日文章を変更)
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Benvenuto a Giappone! (Welcome to Japan. 日本へようこそ)
L’albero ciliegio e Sakura Sakura dell’Italia (Cherry blossom and Sakura Sakura in Italy. イタリアの桜の花と「さくらさくら」)
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下記、(7)に書きましたように、日本を西洋に最初に紹介した国がイタリアでした。マルコポーロです。また、Japanという語が創造されるきっかけになったのも、イタリアです。
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そうした長いつきあいのある国、イタリアに1998年1月に行く予定でしたが、諸事情で行けませんでした。いつか、イタリアにいくことを夢見ています。
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また、私のHPの「今月の歌」特集で、できれば本年はイタリアの歌を取り上げられたならばと考えています。
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レンツィ首相{H.E.Mr. Matteo RENZI, President of the Council of Ministers of the Italian Republic)}の来日を心より願っています。
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追伸
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以下、(7)は、こうした長いつきあいがあるイタリアに対して、日本が桜の苗木を贈るなどの親睦活動で他の国に対してより相対的に熱心ではなかったのかと恥じ入り、日本政府などへ苦情を記した文章です。
レンツィ首相への一言を書くための資料集めをしている内に、上記の疑問が湧き、レンツィ首相宛への文章が日本政府宛への文章に変質したものです。サミット寸前ということと、超多忙のため、下記文章は変更はできませんが、レンツィ首相への一言を(7)「レンツィ首相への一言から日本政府への要望へ」に題目を変えて保存しておきます。
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(7)(参考保存文書)「レンツィ首相への一言から日本政府への要望へ」(日本政府宛文書に途中で変質)
(昨日寝起きに記した文書のため、一部不適切な表現がありますが修正時間がないため、参考保存をしているだけです。)
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Benvenuto a Giappone!
L’albero ciliegio e Sakura Sakura dell’Italia
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(Welcome to Japan. 日本へようこそ)
(Cherry blossom and Sakura Sakura in Italy. イタリアの桜の花と「さくらさくら」)
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最初に、失礼なことを書きます。
驚きました。桜や歌・「さくらさくら」、そして日本の文化などがイタリアの情報として余りに少ないことに。勿論、怒るわけがありません。驚いたのです。その理由は後で書きます。
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でも、日本の外務省や政府には怒っています。
「日本政府は、日伊親睦ために、長年何をやってきたんだ。日本の先人が笑うであろう」、と。
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思い出してください。
西洋に日本を伝えたのは、誰でしょうか。
言うまでもなく、イタリア人・マルコポーロです。(Marco Polo、1254年9月15日 – 1324年1月9日)。それから、800年の月日が流れます。
再度、書きます。
「日本政府は長年何をやっていたんだ!」
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思い出してください。
西洋が日本を「Japan」という単語を中心に呼び出したのはいつだったかを。
イタリア人・マルコポーロのおかげです。彼が『東方見聞録』の中で、日本を『ジパング(Zipangu)』と書いたのがきっかけです。ジャパン(英米のJapan)、ハポン{スペイン語:Japón(ハポン)、タガログ語:Hapon(ハポン)}、ヤパン(Japanのドイツ語読み、……すべてこれが語源です。もっとも、現在のイタリア語では日本のことを「Giappone(ジャポン)」と言います。
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にも拘(かか)わらず、日本のシンボルの花・さくらが余りに少ないことに驚きました。再度、書きます。イタリアのせいではありません。日本の努力不足と熱意不足です。
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私的ホームページだから好きなことが書けます。以下、日本政府、外務省向け文書です。
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〈日本の外務省は何をやっていたんだ!、
岸田君(外務大臣)でてこい((`へ´))。
でてきたら、私は何も言いません。私は臆病なのです<(_ _)>。
が!君づけは、彼が早大法学部時代に、早大政治学研究科にいた私が、時期からいって、彼の試験監督をアルバイトでやっていたとなるため、君づけです。野田佳彦君[前総理]の方は間違いなく早大の前期・後期試験監督を私がやっています。(^0^)
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まず、政府が「さくら」をイタリアに贈る前に、イタリアの花・ デージー (Bellis perennis)を日本に普及させませんか。
イタリアレストランを始め、イタリアの文化は日本にかなり紹介されていますが、更に、普及させましょう。〉
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だから、私は、既に作ってしまったカレーを食べ終えたならば、次の献立はスパゲッティとしました。数日間はスパゲッティ(spaghetti)ばかりを食べることにしました。
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上記の文章は、主として、日本向けに書きました。誤解なきようお願いします。
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最後にイタリア訪問未遂事件を記させていただきます。
イタリアに1997年か98年頃行くことを1996年末頃から検討していました。当時、教壇に立っていた大学校で、教材「『ローマの休日』から一日の重み」という教材・作品作成の関係で、本当ならば1997年12月頃か1998年1月頃にイタリアに行っていました。資金は出世払い型借金で調達済みでした。
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私が「ローマの休日」の教材化・作品化などのため、イタリアに行かなければと思い始めると、待ってましたとばかり、信じられない超格安ツアーがまいこみました。
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ローマ・パリ・ロンドン周遊、往復の飛行機代、現地の移動費全額込み、ホテル全部(確か八泊か九泊)の代金、全食事代金込みで十万円丁度くらいでした。八日~十日間の長期ツアーでした。
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当時は燃料チャージがなかった時代です。その他の出費は保険に加入すれば保険代と一人部屋追加料金だけでした。今から考えれば、信じられない値段で、1997年前半頃は完全に行く準備をしていました。
ところが、勤務先の短期大学校での不法行為などの連続で体調悪化して、行くのを断念した経緯があります。当初は1997年に即行くつもりでしたが、フィールドワークのための準備期間と考えて一年延長して、1997年12月頃か1998年1月頃としたのが裏目にでました。
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しかし、今回記述した文書を誤解されないためにも、もし機会がくれば、今度こそイタリアを始め、イギリス・フランス・ドイツ……などに行いたいと強く願っています。
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レンツィ首相{H.E.Mr. Matteo RENZI, President of the Council of Ministers of the Italian Republic)}の来日を心より願っています。
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追記。
「荒城の月」がなく。何日も調査。ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)が生きていれば、「荒城の月(The moon over the ruined castle:La luna sul castello diroccato)を歌って」と嘆願するのであるが。
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欧州で活躍していた三人組(ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス)は素晴らしかった。残念である。
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(※注1)表記。日本について。
7世紀は倭の国と言っていたようである。遣隋使の頃に、小野妹子が「日出ずる処の天子」という例の書簡(607年・聖徳太子時代)をもっていき、やがて大宝律令(701年)に「日本」という語が成立する。
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中国との関係で言えば、この「日本」を標準の中国語で表記すればジツホンとなる。(現在は北京語ではジーペンというそうである)。このジツホンなる発音をマルコポーロが『ジパング(Zipangu)』という形で記述を行い、そこで西洋に各国の発音表記から、ジャッパン、ジヤーパン、ハポン……となったようである。
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なお、マルコポーロは実際には渡航していなかったという噂(うわさ)もあるが、日本を西洋に紹介したのは事実であろう。
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(※注2)岸田外務大臣について。
私は早大には1977年から1980年春まで在籍(修士号取得)。しかし事実上は1981年春まで在籍し、図書館通いと早大法学研究科の諸君の一部と研究会をしていた。もっとも、岸田氏の試験監督をしたなどは何の功績にもならない。読者に世の狭さを知らせるため書いただけである。市川房枝氏(当時、青年であった菅直人氏が選挙参謀)始め著名人には何人も実際に出会い、会談をしている。裏の世界では……である。読者が読みやすいように記しただけである。
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この(※注2)のつまらぬ解説は止(や)めて、私らしく書こう。(※注2)の関係で、良いことがあれば私に感謝してほしい。悪いことがあれば早大に文句を言ってほしい。(*^_^*)。これが(※注2)のすべてである。
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野田佳彦前総理はこうした関係をいやがるよりも歓迎していた。人それぞれであるが、一市民がホームページなどの活力を高めるため、この種の事実を面白く書いても問題はないであろう。
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★5月と6月の歌⇒日本「荒城の月」と「さくらさくら」
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/song/menu5.html