教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4⑦・駿台、更に謎の差別文書の謎―⑦(=その7・大阪校時代・不可思議な女性出現の謎):💁正式公開

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教育・女性をめぐる各種デマへの反論―4⑦・駿台、更に謎の差別文書の謎―⑦(=その7・大阪校時代・不可思議な女性出現の謎。007の世界):💁正式公開


【更新履歴】

2021/08/31 19:21 大幅に構成・内容変更して下書掲載:以前の下書は前頁の下を参照。

2021/09/02 4:37貼り付けで準正式公開(就寝後に誤字脱字の修正程度はします。)

2021/09/02 15:47から19:13まで修正作業を行い19:13に正式公開

 


以下の構成で記述をする。構成は2021/09/01大幅変更した。この箇所には2021/09/02 3:54から貼り付け作業をしている。また同日15:47から修正作業を行った
2022/08/31以前のメモの記述日程は整理上ここでは記さない。最初のメモ等は前ページにメモ・下書き段階で保存しているので必要があればそれを参照願いたい。

【構成】
(A)駿台大阪校講師時代―女性回想・序(1986年)
(B)駿台大阪校講師時代―女性回想1・女性YZ、山城で私を待ち伏せの謎(1987年)
(C)駿台大阪校講師時代―女性回想2・女性HNと人物入れ替わり疑惑事件(1987年)
(D)私の女性観と人間観
(E)犯人の仮説・X説・映画説・CM説…
(F)今後



(A)駿台大阪校講師時代―女性回想・序(1986年)

駿台大阪校に移動してからの女性登場は1986年については前回記した駿台と相似形で起こった岡山の予備校の事件、そして1987年の(HNとYZ)二件のみである。ただし、1984年秋から1987年夏まで、わずか3年間で、突如25名程度の(以前は15名以上の女性が登場と記述したが正確には約25名)の女性が登場し、私に好感か好意をもつ演技をする。2か月に1.5人の割合である。

こうしたことは1952年生誕から1984年秋までの32年間はほとんど皆無であり、1987年夏から2021年4月迄(34年間)も皆無である。バーチャルの世界でのオジョウ(正確にはオジョウ類→類が重要)だけである

女性の登場は、駿台職員のみか、岡山の予備校の女性職員も、その後や隙間(すきま)を狙い、山頂、食堂、…どんどん突如登場の謎。まさに至る所でであり、現実離れしていた。
だが、これらは蜃気楼(しんきろう)であり、女性回想には彼女らは一切登場しない。当然である。

駿台女性職員NMやYKなどについては、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)の労基法違反被害同様の犯罪被害としてしか登場予定は現時点ではない。それが客観的判断である。
その前に、実体もない。あの程度の会話ならば、関学時代の婦人問題研究部の女性仲間を思い出した方がはるかによい。若しくは高校・大学時代の民主主義活動の仲間の女性たちを。それが正当な話であり、本来の正当な記憶である。ところが、高校や大学時代の彼女らについては相当忘却しており、写真か記録に残しておけばよかったと後悔している。逆に、駿台の件は大半忘却が自然であるにもかかわらず、何度も催眠でリピートや独り言などで言わされ続けて、記憶の忘却が行われていない。


しかし、大阪校時代には少し実体のある女性が1987年に2人登場してくる(👧HNと🚺YZ)。正確には1986年の女性一人を入れると3人かもしれない。
1986年の👧女性とは実体はあるのだが、覚えていないのであり、実体の存在が不明である。
この👧女性は当時高校生で医学部コースか東大コースに所属しており、何かに付けて私のところに話にきていた。ちょうど駿台京都校時代の医学部コースの女子生徒の模倣の如(ごと)くであった。容姿はテレビのアイドルの型の美形であったと思う。

だが何か違和感・芝居観を感じると同時に意味不明でもあった。無理をして私に接近をしている感じを受けた。この女子生徒とは実体があるかどうかは記憶にない。実体とは外で一緒に食事をしたか・否かである。よい・悪いは別にして、どちらにせよ指一本触れていない。
この生徒は、当時駿台大阪校に在籍していると言っていたが、私の授業は受けておらず、ただ単に何かに付けて話にきていただけである。超多忙のため、その会話若しくは質問に対応する時間を倹約するため、外で軽食を食べながら答えた記憶もあるが、全く外で会っていなかったという気もする。要するに外であったか・どうかすら本当に全く覚えていないのである。ただそれだけのため、何らかの実体があるとはいえまい。後に記す、恰(あたか)も「007」の世界に関連して念のための記載でしかない。

この女性徒は、駿台京都校時代の高校生コースで医学部を志願している女生徒を模倣して登場したのであろう。後者は本当に私になついている感じがしていた。ただし、授業などへの憧れとおもい、それを尊重するため駿台外では一切あっていないし、駿台内でも人前でしか会話していない。後者は美形というよりも、榊原郁恵型のかわいいという女生徒であった。演技があったとしても、演技以外の部分でも、なついてくれていた。あのなつき型は演技のみでは無理であろう。
もし、彼女とデートできたらどうするか。動物園である。「はい、あれが🐼パンダさん」「こちらが🐒お猿さん」、「🐶ワンちゃんもいるよ」であろうか。医学部志願の高校生と言っても、小学校か中学生を連想するタイプであった。当時の私の好みは、女性として自立心の高く、人権感覚も鋭い、スーパーウーマン型と、父性本能をくすぐる型の天真爛漫(てんしんらんまん)な無邪気型の子であり、後者であった。

京都校の女生徒の件を進行させる形で、大阪校でも医学部志望かそれとも東大志望と言っていたか忘れたが、アイドル系の女生徒が登場した。だが、何か芝居くさく、その上、心底なついているようには思えず、外食を一緒にしたか・どうかすら全く覚えていないくらいである。ともかく、本格的デートなどする予定も当時ですら全くなかったが念のための参考記述である。


しかし、1987年にはデートなどの実体がある女性が二人登場してくる。
教え子で当時大学生となっていたHNさんと駿台外の女性YZさんである。両者ともに、今考えると映画「007」の世界であった。
順番では女性HNさん、女性YZさんであるが、論理の関係で先にYZさんの件を記し、後でHNさんの話を記す。これを持ち、我が人生での女性の話は打切りである。1988年から2021年までは🧚‍♀️魔女や🧜‍♀️・オジョウ類しかいないからである。
簡単に言えば、現世ではここで女性の話は打切りとなる。



(B)駿台大阪校時代―女性回想1・女性YZが山城で私を待ち伏せの謎(1987年)

駿台で、全く知らぬ日本史も担当し、その授業準備をかねてフィールドワークを開始していた。岡山ならば犬養木堂・犬養毅記念館、栄西修行の寺、法然誕生の寺、雪舟修行の寺、備中松山城、鬼ノ城、備中国分寺、作山古墳、月輪古墳、百姓一揆記念碑、朝日茂さん関連、片山潜記念館、吉備真備関連、和気清麻呂関連…である。

その一貫として、日本一高い山城・備中松山城(所在高梁市)にも何度か行っていた。そこで、女性と出会うのである。後に考えると、私を待ち伏せしていたようである。
この女性の話は下記に既に記しているが、今回は別視覚(映画・007の世界)から記述する。

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気が向けば一言【徒然・私事】№138:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(4)。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1118/
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上記から一部抜粋しよう。

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(日本一高い山城)備中松山城へフィールドワーク。女性が山城に一人。コンパクトカメラのシャッターを押してほしいと言われたか、見かねてか忘れたが押した。駐車場に車がなかったため、どうやって登ったか聞くと、高梁駅から歩いて登ったという。
相当な距離である。
こうした状況では、誰でも帰りは車で駅まで送りましょうと言わざるをえない。
後日お礼にベルトと言われ食事(夏前か)。8月28日に小浜への約束。
待ち合わせ場所は枚方市○○○。
岡山から車で枚方市に迎えに行き、小浜へという段取りとなった。
だが、私は相当方向音痴である。行ったことのない枚方などでは必ず迷子となる。今考えると、穴をあける危険があった。

突如、大阪から教え子が二人、8月26日か27日に来る。27日に先の山城に案内。翌日の枚方の件を話すと、教え子の二人の内一人が、「先生、僕も家は枚方、案内します」で車で案内してくれた。こうして迷子にならなかった。良い悪い別にして、できすぎた話である。
簡単に言えば、誰かが計画していたとなる。そうとしか思えない。この種の偶然がこのときの3年間は多すぎた。

④の女性が歩いて登ったとのことであるが以下注意。
標高430メートルの臥牛山(がぎゅうざん)山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある
駅から松山城登山口まで2キロメートル弱。坂は急勾配の箇所がある。

だが、次の問題がある。
1987年9月頃、姪(長姉の子)が間もなく結婚するという友人女性を連れて、私のアパート(2DK)に一週間ほど居候(いそうろう)したことがある。このときに、この山城へ連れて行った。ただし、城途中の途中まで車である。あとは少し歩く。

ところが、頂上の天守閣にたどり着くと、姪と女性などが騒ぎ出した。
「すぐ降りる」「絶対にすぐ降りる」、と。私は天守閣受付で入場料を払い、天守閣内とそこからの遠望を見せる予定でいたため、呆気(あっけ)にとられた。

🐒猿である。
……
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(2021/09/02 16:12修正:追記項目は紫字で記載)姪(亡き長子の子)が女友達を連れて私のアパートに一週間近く居候したのは、後に調べると1987年4月頃か5月頃のようである。カメラ開始前であり、コンパクトカメラとしても面倒なので、姪と姪の友達の写真を当時撮っていなかった。後に関連写真か文書から9月ではなく、ゴールデンウィーク頃ではないかと分かった。詳細は覚えていない。山城に行けば🐒猿をみて、山城に入らず、一目散でとんずら・下山し、薬草風呂につれていけば薬草を見て風呂が濁っていると文句を言い、たるだけ大飯を食って帰った、正確には漸く一週間目くらいに帰ってくれたことだけを覚えている。私には授業準備があり…であった。


不可思議さをまとめれば以下となる。
1)🐒猿が出没する山城に、遠方の女性が一人で登ることは考えにくい。
2)私が到着した時点で私を待っていましたと言わんばかりであった。
3)当時の女性頻発出現問題からの分析。
4)この後で述べる女性HNとの交際が中断に追い込まれた後で、この女性と小浜までデートをした(1987年8月28日)。しかし、待ち合わせ場所が、私が行ったことのない枚方市である。私の方向音痴は有名であり、私が岡山市から枚方の知りもしない指定された場所に行くことは不可能である。すると、すぐに駿台大阪校の教え子2人(両方男性)がその予定の前日に私を訪ねてきて、そして枚方の指定地まで車で案内したという不可思議さがある

5)この5)は意味のない参考記述である。
この女性はデパートに勤めていた。もう退職していると推定されるためデパート名を書いておこう。確か阪神デパートと言っていた。阪神デパートは、私がポリテクカレッジ岡山を辞職してしばらくして、関学時代の同期生が社長となった。更に、西田ひかるが、その後で「デパート物語」で登場してくる。


なお、この女性には一つだけ関心することがあった。ただし、当たり前と言えば当たり前のことである。
「女性と男性はどの程度まで進行がゆるされるのかをどうやって判断するのか。」デートをする、腕を組む、手をつなぐ、…のグレード問題である。朝日新聞であったかかような愚問を記事にしていた。私は高校時代などは理科系にいた関係でストレートに口頭で相手に直(じか)に聞くことが多い。催眠でもない限り。若(も)しくは(「アラバマ物語(原作名はTo kill a mochkingbird)」で登場する)トムロビンソン型でない限り。

だが、その前に予備調査をすることもある。このときも予備調査をかねて実験をしてみた。彼女が物騒なところにいたときに、軽く落とす不利をして脅す真似(まね)をした。「ホイッ」と。ちなみに、彼女と会ったのがこのときが三回目であった。
子供ならば「あ~あ、怖い」と笑うところである。

「ローマの休日」型である。

だが、彼女の行動は毅然(きぜん)としていた。

「先にいってください」と、並んで歩くのも拒否された。
当たり前と言えば当たり前であるが、私はこういう対応も評価するのである。
そこで、彼女には絶対に指一本ふれないし、手をつなぐどころか、腕を組んでよいかなども聞くことはやめた。

そして、各種の許可を取ることを一切やめ、絶対に指一本触れずに、彼女を無事に家まで連れて帰ると決めた。そして実行した。当初は手でもつなげたらと思ったがそれも聞くのは止めた。


なぜ評価するか。
私は当時は結婚を焦っており、好きでもないのに好きな振りなどをされると後で大変たかくつくからである。すなわち、その女性とつきあっている期間は見合いも、ほかでの恋愛もできない。好きでもないのに好きな振りをされると、本当の恋愛の機会を逃し、同時に結婚を意識した見合いすらできなくなるからである。私は二股行為には嫌悪感を感じる人間であったし、今もそうである。

もっとも、小学校や中学校などで何人かの女性と人前で楽しく会話することは二股とは無縁の話である。駿台京都校などでは無理矢理のこじつけがあったため念のため記しておく。


しかし、まだ彼女の性格は知らぬため、同時に断られたわけでもないため、見合いの続きのレベルで彼女と会う予定でいた。ところが、後に記すHN同様に態度が突然変わったとしか思えなかった。そこで、当時は駿台で授業妨害をしている人間が彼女に嘘(うそ)かデマを言ったと思い、卑劣な行為に怒ったことがある。
しかし、彼女のトーンが変わったため、彼女とはもう会うことはなかった。いずれわかろうが、とにかく、情けないのであるが、私は押しが極めて弱い、その方面では、ある意味では情けないの典型とも言えるタイプであった。

もっとも、1987年9月以降は授業妨害のみならず、各種刑事犯罪被害に遭遇しつづけ、もはや生活そのものが成り立たなくなっており、伴侶探しやそのための努力をすることは不可能となっていた。


三度会い、そのうち一度は丸一日デートをしたが、その程度でもどんな女性かは未(いま)だにわからない。ましてや、駿台時代の講師室係女性など駿台在籍中に合計6年間で一人あたり6年合計10分程度の会話ではさらにわかる訳がない。それでは、なぜ、駿台女性に熱か。容姿か。写真を全部撮っていれば解説は必要なかったのだが。「百万本のバラ」型ではなかった。容姿のみでは私好みもいたかもしれないが、それらの女性は私には一切近づいてこなかった。
要するに駿台女性の件は催眠と謀略に始まり、催眠がとけて終わったであり、実体は何もない蜃気楼(しんきろう)であった。だが、この女性とは確実にデートはしている。それでも三回では何もわからなかった。


●(C)駿台大阪校時代―女性回想2・女性HNと人物入れ替わり疑惑事件(1987年)

私の人生の中で虹(🌈)・スクーター(🛵)女性(『日本のフィクサーME』では「おじょう」として登場)よりもほんの少し進展しかける奇跡があった。だが、無残な結果を強いられるという運命付きであった。

1986年度に岡山の予備校で教えた女子生徒(浪人生)がいた。1987年度にはめでたく大学に入学した。20歳の女子学生誕生である。
この女生徒(彼女は大学進学したため、女子学生)が私のアパートにきたことがある。そのときに車で送って帰ることにした。だが、彼女が車の安全ベルトをつけていないのでつけるように言ったが、つけかたがわからないようにも見えたのでつけてあげようとすると、びくっとした。
私は心の中で、大丈夫です、私は教え子などの生徒は大切にしているので、何もしませんよ、と心の中で苦笑していた。1987年の春であろうか。

当時眼鏡をかけていた。とにかく、私に質問に来たり、遊びに来たりする教え子はかわいい物である。また寛容にもなれる。

彼女が遠方の大学に行った後で、また私のアパートを訪ねてくることがあった。二回目は眼鏡をはずしており、雰囲気が違うようにも思えた。だが、これは眼鏡のせいであり、当時は偽者云々(うんぬん)などは夢にも思わないのでさほど気にとめなかった。

しかし、後に考えると容姿以上に、雰囲気が違っていた。先のとき(安全ベルトのとき)は「ビクッとする」である。ところがところが…。詳細はプライバシーであり、書くまい。
ただし、次の三点のみを書いておく。

一点目は、彼女は伴侶として考えるのに十分な女子学生であった。当然、私は結婚まで進むことをを理想・願いとしていた。
二点目は、私の方からの「押し」は、随所に記した如く、極端に無理なタイプである。私の方からの押しは、人が馬鹿にするほど無理な性格をしていた。これ以上のプライバシー問題は最後に述べるように記述することはできない。
三点目には彼女にはきっちりと幾つかの約束をしており、彼女との連絡が事実上遮断されるまでそれを実行していた。当初は駿台でのトラブル関係者によりつぶされたと怒りまくっていた。後には映画・007の如く、奇怪な謎を感じて、身動きがとれなくなっていた。要するに人物入れ替わり・偽者疑惑である。もし、後者が事実ならば、私の人生を破壊した大変な犯罪である。

偽者が確定すれば、(アラバマ物語の中の登場人物)トムロビンソンなる語を使用する場合があるかもしれない


私の女性とのつきあい方針は以下である。

a)非暴力主義である
ただし、小学校時代に同性相手には、偶発時にのみ許可される正当防衛権に類似することはしている。中学以降はそれも含めて、完璧な非暴力主義となっている。私はかなり腕力が強かったことおよび性格上からも、女性に対しては正当防衛でも実力行使は無理である。もっとも、相手が刃物などの凶器をもっていたり、プロレスラーの如くならば別であろうが。
b)恋愛も含めて、契約・約束を守ること
c)恋愛も含めて、詐欺をしないこと。結婚詐欺はもとより、好きでもないのに好きな振りやその種の言動をする恋愛詐欺もふくめて、そうした詐欺行為はしないこと。

映画説の催眠危害下でも以上のことは妨害されなかったようである。詳細は次回記述を検討中である。


この女子学生には二回目か三回目のデートの際には上記を明確に伝えている。そして実行していた。更に、年が違うことを彼女が強調したことがあったため(当時彼女は20歳、私は31歳で、その年の終わりには32歳になろうとしていた)、拘束できないため、「私の方からは逃げることは絶対にない。しかし、年の問題などを気にして、あなたの方から去る場合には私の方からは苦情を言うことができない」と言ってしまった。これが後にきいてくる。要するに「あなたの方から去る分には私は引き留めできない」の部分である。当時彼女が「これだけ年が違うと…」などと年を強調したため、それを気にして言った言葉である。

ただし、一対一で会った一回目には、「(安全ベルトの)ビク」の件があり、女性とみずに教え子と教師として接することを心がける予定でいたため、上記の話などは一回目にはしていない。異性としてつきあうことは、相手の意思もあり、一回目は考えていなかった。指一本触れずに無事送り届けることしか考えていなかった。上記を伝えたのは二回目以降である。


この女子学生は一回目と二回目・三回目は全く雰囲気が違っていた。だが、それは後に思ったことである。容姿も一回目は眼鏡をかけており、二回目と三回目は眼鏡をかけていないので違うように思えたのかと当時は思っていた。

私の人生では、完全ではないが、少し進行するという奇跡を体験した。かなり高価な分厚い英語辞書か英英辞書もプレゼントしたこともある。また、帰る際には、岡山市から彼女が簡単に無事帰られるように、片道200キロの距離を車で送ったこともある(下宿ではなく、某駅までである)。

ところが、三回目のデート(多分1987年の5月頃ではなかろうか)の後で、彼女に次回いつ会えるかの確認電話をする・もしくは彼女の方から電話があったときに聞くと、たいそう不機嫌となっていた。{彼女は電話はもっていないので大家・管理人経由での電話か、逆に彼女の方から私のアパートに電話をかけてきたのかは現時点では忘却している。}
とにかく、情けないのであるが、不機嫌な女性相手は苦手であり、その上元来押しが弱い。しかし、あきらめきれないのでどうしたらよいかと考えていた。
しかもややこしい。というのは当時、彼女が不機嫌になった理由は、駿台での業務妨害などを行っている人間が彼女に嘘(うそ)を言い、怒らせたと分析した。しかし、どういう嘘(うそ)か全くわからない。往復400キロ以上の地に会いに行くのは構わないが、会ってくれそうにもない。けんもほろろにであった。
その上、彼女には「私の方からは逃げることは絶対にない。しかし、年の問題などを気にして、あなたの方から去る場合には私の方からは苦情を言うことができない」と言ってしまったこともある。参った。私はもうこれで結婚までいける確率が高いと考えていたからである。


思案に暮れていると、ある日、就寝中に奇妙な催眠があった。まだ当時は催眠なるものを自覚していない頃であった。
結論から言えば、寝ているときに次の問答があった。
一回目と二回目・三回目の人物は違うのではないのか、と。
二回目以降に彼女がなぜ、駿台政経講師の前田先生の名をだしたのだ。
さらに、容姿も違っていただろう。
それ以上に雰囲気や性格も違っていなかったか、と。
もし、それが事実ならば、私は一回目の女性と結婚するのか、二回目・三回目の方なのか。ここで動きが止まってしまった。さらに、駿台から開始されたデマ疑惑攻撃問題もあった。
同時に、その後の彼女からの連絡は梨の礫(なしのつぶて)である。
私は当時、岡山市庭瀬に電話をとっていたが、彼女は下宿か何かで電話を持っていなかった。更に連絡手段問題もあった。住所は聞いていたか定かではない。今(2021/9/2に)調べると聞いていたようである。すると、まず、手紙を出していると思う。しかし、返答はなかったと分析される。返答があれば再度会っていたであろう。電話を彼女がもっていない以上、会話で何があったのかを聞くことはできない。待ちの状態となる。実家の住所は知っているが実家には戻っていない。遠方の地である。

 (2021/9/2 17:08追記)2021/09/02確認すると、住所録に彼女の電話番号は収録されていなかった。実家の住所も記載がなかったが、岡山の予備校で確認すれば、予備校職員が教えてくれればわかるだろうという意味で実家の件は記している。もっとも教えてくれるかどうかは不明である。

 そして、その内に、偽者疑惑が頭をよぎり、実際に会わないことには何が何やら不明状態となったが、彼女からの電話連絡がない以上どうしようもなくなっていた。手紙も三回目のデートの後ではきていないと思う。三回目のデートでは最後まで双方友好的だったため、原因不明であった。駿台の誰かのデマか、若しくは、それ以上に問題なのは偽者入れ替わりか…と。


そして、就寝のたびに次の問答があった。
1986年岡山の予備校卒業生・HNが、1987年には突如別人に入れ替わった疑惑である
「HNの会話を思い出せ。このHNは、何故(なぜ)か駿台の政経講師前田先生{別名森先生や杜先生…、幾つも名前を持つ謎の先生で現在は亡くなられと聞いている}の名をだしていたのか。それも一度ではなく、何度も出しただろう」、と。
「彼女は岡山の予備校の教え子であり、駿台とは全く無関係のはずであろうが。
万一、駿台で講習を受けるとしても、お前も駿台で政経講師をしているので、政経ではお前の授業を受けるだろう。お前のライバル講師の授業を受けるはずがなかろう」と。
※前田先生とは、表四郎なるニックネームの人がインタネットで何か書かれていた教師である。

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https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1422025094499426305?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1422025094499426305?s=20

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第一、彼女は夏期講習も岡山の予備校でうけていたような記憶もある。岡山の予備校と駿台予備校は当時は全く無関係であった。
私が会話していたHNを別人に入れ替えるという詐欺犯罪被害に遭った疑惑である
馬鹿な人間が「少し進展してよかっただろう」、と。
元来理科系の私はそうした愚問には以下のように数値的な返答をしよう。
「2回ほど少し進展するのと、50年とか60年以上、少しではなく完全に進展するのとどちらがよいか」、と。こうした理科系的発想は違和感があろうが、先の愚問(ぐもん)には一番適切な回答かもしれない。
だが、かような進展以上に、精神面の進展問題がある。異性や家族は本来は精神を安定させ、ストレス発散その他の効用がある。だから、私は伴侶をWifeとも、Partnerとも書かず、英語では「My better half」と記す。

こうして重要な結婚の機会を潰されたことだけが事実である。なお、HNとの関係修復が不可能と判断した後で、YZさんとは1987年8月28日に小浜に行っている。二股と誤解される行動は一切とっていない。YZさんは1987年春に備中松山城で偶然出会い(実際にはYZさんが待ち伏せをしていた疑惑が高い)、二回目はその返礼でベルトを贈呈したいと言われたので食事をしながら受け取っただけであり、デートの「デ」の字とも無関係な形でしか会っていなかった。
HN偽物疑惑が浮上しても、念のため約束(私の公約)はキッチリ履行(りこう)していた。


ともかく、1987年枚方出身女性YZと備中松山城(岡山県高梁市)で出会った不可思議な話もある。後者は被害はうけていないと思うが精査せねば不明である。私の方が女性や他人に危害をあたえるはずがなかろう。
HNの件は結婚云々(うんぬん)もあった可能性があったものを別人を使われれば無茶苦茶となる。これもいずれ調査依頼予定でいる。私が生存中にXか誰かは何をやったのか、裁判所か国会で明白にすることを願っている。

同時に、私は斯様(かよう)な攻撃を受ける心当たりは全くない。すると、人間違い以外の回答はない。女性絡みが多いため、女性に関する被害者が私を誰かと間違えたとしか現時点での回答はない。私は女性に恨まれる覚えはない。女性が好んでからかう対象のタイプの人間でしかない。真逆(まぎゃく)である。

なぜか意味不明な差別問題が駿台大阪校講師時代の後半・1987年11月頃から登場してくる。全く意味不明であったが、差別問題に関しては更に真逆(まぎゃく)である。私の自伝類を記せば完璧に明白になろう。高校時代の部落問題研究部活動から始まり、…差別反対主義者の最先端の一人であることがわかろう。

人間違いと真逆の組合せとなると、被害はいつまでも不明となり、「ちんぷんかんぷん」状態が長期(ときには数十年)続く。現時点で38年程度続いている。
危害の内、余りにも真逆(マギャク)が多すぎるので、途中から故意に真逆をやっている疑惑もある。要するに、ビルゲイツに貧乏人と言っても彼はちんぷんかんぷんである。逆に、非正規の中でもどん底生活の人に、「大金持ちの馬鹿野郎」と言ってもちんぷんかんぷんである。室伏広治君に、「お前のように腕力のない人はみたことがない」と言っても、ちんぷんかんぷんであろう。この手をつかっての被害を長期受けている疑惑が随所にある。戸籍、女性問題、U家に無断で入った(既述の如く真逆、能動態ではなく受動態である)、…小学生など相手が苦手で、塾などの引き留めを振り切り、塾講師を辞めた経緯…。

女性の恨みが一部絡んでいるように思われることが多いが、真逆(まぎゃく)でしかない。私は女性に痛い目に遭(あ)わされても、その逆はない。もっとも私が痛い目といっても、駿台以前は単にからかわれ対象…であろう。どうも人間違い、それも性格が私とは全く逆の人物との人間違いと分析結果はなっている。
真逆(まぎゃく)。

駿台講師時代の罠(わな)ゲーム、すなわち、女性たちの「好きな振り詐欺ゴッコ」に巻き込まれるまで、私はもっとも敵の少ない人物であった。私と真逆の性格の人と人間違いをされた疑惑が大である。



(D)私の女性観と人間観

私の女性観については、伴侶を「Wife」とか「Partner」と書かずに、一般に「My better half」と記すと書けば、この一語ですべてを言い表しているであろう。

なお、私は差別反対主義者・差別嫌悪主義者でもある。
異性も同性もすべて出自は私は一切気にしないし、調べないため、彼女らの出自などは当然知らない。同時に知る必要もない。更に、他人の戸籍を調べることは犯罪であると認識している。
出自などは全く無関係派・無関心派であるが、私は自分が長期苦労する中で、どのような形にせよ、いろいろ苦労した人は味があるとプラス評価する場合の多くなっていった。伴侶候補としても同様である。もっとも昔から苦労人に親近感を抱いていた。それも駿台講師室係女性NM(私が催眠熱で手紙を1984年秋に渡した女性)を1983年夏に門前払いした理由の一つであった。

私は「若い内の苦労は買ってでもせよ」とよく言うが、私の如く大学・大学院…のみか、18才から27才までのみか、後の31才頃から現時点での68才(まもなく69才)までの苦労となると、苦労の価値を見せる場もなく、死ぬ時期がくるであろう。私までとなると行き過ぎである。

なお、人間違いと絡めて、ここ数年戸籍強調の謎がある。戸籍は差別に繋(つな)がるため、戸籍主義の廃止と、多重国籍を主張しているのが私の考えである。よって、この間の挑発は真逆(まぎゃく)である。


異性問題に関する結論を明白に書こう。
被害者がいない事項はプライバシーであり、他人が関与することは大犯罪である。プライバシーは権利のみならず、守る義務もある。ちょうど、外を全裸であるいてはいけないのと同様である。その上、各種犯罪に巻き込まれる危険もある。
そして、もし、私自身が被害者と名乗りでない限り、被害者はいないと断言しておく。被害者問題に関しては私の一存にかかっているだけである。

次に催眠問題がある。それは次回記す、満月の女性の話で明確になろう。
この件を今保留して、その他の異性問題も含む長期の催眠が絡む項目に関しては、はっきりと言えば、催眠が事実である限り、私自身が被害者と言わぬ限り、被害者はいない。それが本当の事実である。

また、私は、『アラバマ物語』(「To kill a mockingbird」)で言えば、ジョーブラッドリーでよいと思っているのであるが、ときどき、無理矢理トムロビンソンにされそうに…である。
☎☎☎
も実は真逆。
裁判所かどこかで言いたくてうずうずしている。

☆☆☆☆☆
(参考:公式HP主張)女性に望むもの―「万国の女性よ、自立せよ」

http://takahama-chan.sakura.ne.jp/p-essay/custom7.html

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(E)犯人の仮説・X説・映画説・CM説…

1988年1月駿台辞職と同時に私の前に現れる女性が全て姿を消す。同時に、私を慕う教え子も原則として全て姿を消す。前者についてはやれやれである。だが、未(いま)だに結婚もできずに参ってもいる。
こうした状況が続き、はや34年目となる。勿論、1952年~1984年夏までの32年間も同様である。1984年夏から1987年夏の三年間だけが突如…で凄(すご)かった。一体何だったのであろうか。
更に、1988年1月を持ち、事実上授業屋稼業は完璧に打ち止めとされた。もっとも、1984年の終わりから授業の妨害などで本業・プレゼンテーション稼業も後退に入る。

なお、1996年か97年にホテル関西で駿台講師室係🚺女性NMにそっくりというよりも本物に出会ったのではないかと思う。怒り心頭であったが、大人げないため無視し、遠方で怒り狂った。
ただし、顔をじっくり見るのも気分が悪く、丁寧(ていねい)に本人かどうかのチェックはしていない。犯罪者に対しては当然の心理である。

犯人に関する仮説は記述自体に意味がない。意味あることは、裁判所・国会などで真相を究明し、私の人権回復のみである。同時に、適切な賠償である。
しかし、犯人に関する仮説を過去書いていたため、誤字脱字のみ修正し、当時記載のまま掲載する。


結論に入る前に、過去の職場全体での不可思議な事項を記す。
西宮市教育委員会、真備高校、駿台などの職場に行くや、揉(も)めて面白おかしくするための小細工を最初にやられたからである。

西宮市教育委員会時代→T中学での悪戯電話の件の不可解さ(拙著『求め続けて』1章や下記ブログ参照)
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教育・女性をめぐる各種デマへの反論(回想録兼用)―2・西宮市教育委員会時代―悪戯電話と当時の教え子回想

http://h-takamasa.com/Blog/?p=25648

教育・女性をめぐる各種デマへの反論(回想録兼用)―2・西宮市教育委員会時代―悪戯電話と当時の教え子回想

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教育・女性をめぐる各種デマへの反論(回想録兼用)―3・西宮市教育委員会時代と松本龍氏(💁正式公開)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=25654

教育・女性をめぐる各種デマへの反論(回想録兼用)―3・西宮市教育委員会時代と松本龍氏(💁正式公開)

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真備高校講師時代→女生徒の一部などに、私に無断で、T先生が私の件で叱った謎(拙著『求め続けて』1~4章参照)。


駿台予備学校講師時代
駿台では女性陣の「好きな振りごっこ」ゲームに巻き込まれた。私は玩具(おもちゃ)なのか、と怒る。なお、映画狂の駿台国語かFJ先生がこの頃登場してくる。同時に関学時代に映画サークルに該当するものをしていた関学先輩にも会ったのもこの頃と思う。
ここまで揃(そろ)うと、駿台の幹部も計画を知っていた疑惑がある。若(も)しくは、…理事長…は、上記ゲーム公認疑惑も…。後に、西山ファーム事件で同社社長・西山美千代の詐欺よりも、指示は山崎…という、岡山の西山ファーム事件での暗示があった。要するに駿台幹部は全てを、私よりも先に知っていたという外部からの指摘である。

Twitterの下記を参照
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https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1422027102778392580?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1422027102778392580?s=20

西山美千代ファーム事件-8

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駿台職員女性NMやYK…は単に業務妨害、好きな振り詐欺犯罪者としての認識しかない。同時に異性関連等の実態は何もない。誰かの指示により動いたのであろう。
指示した候補は三組ある。この三組と三組の組み合わせに関する、既にメモに掲載していた仮説を一応紹介しておく。

一つがXグループ。

Xグループは印象操作では幾つか候補が浮かんでいるが、厳密には謎のグループである。

二つ目が映画説による制作者グループである。

これには私の亡き長姉などが絡んでいる疑惑がある。長姉が死んだのは嘘(うそ)で、今でも生きていると感じることが多いし、実際に姉の声を聞いたこともある。即ち、単純な映画説グループである。

三つ目が駿台幹部の一部である。

(印象操作では理事長を…も…の)三つ目は一番か二番目のどちらか、若しくは両方から依頼された可能性が高い。動機は、私の裏の知名度を利用してのCMである。特に全国展開をする前であり、東京以外では駿台の知名度が低かった頃でもあった。


一番目のグループは二番目のグループの罠(わな)にかかった可能性が高い。勿論、私は三者全部の被害者でしかない。現時点での感想は、第一グループは後に述べる「人間違い」からの危害が原因としても、第二グループの術中にはまったようである。
一番目のグループの動機は、現時点では人間違いから私に関与してきたようである。二番目のグループはそれを知っていた可能性が高い。

登場人物は、現時点では一番目のグループ、二番目のグループ、三番目のグループに別々に指示された者と、一番と三番目のグループの両方に指示された者と、二番目と三番目のグループの両方に指示されたものなどがいたようである。

これらの絡み合いのヒントは1980年代にも幾つかあった。その一例として、駿台講師室係女性🚺NMの怯(おび)えゲーム(完璧な業務妨害)の種明かしを最初にしたと思われるのが、二番目か三番目のグループに依頼された可能性のある駿台女性?(1984年か85年入社人物で名前も知らぬし、会話もしたことが一切ない女性で、1985年は駿台京都校2号館受付にいた人物)等が、NMの演技を暴露していたようである。今、考えると、?女性は駿台講師室係女性NMの見事な真似(まね)をしていた。

二番目のグループは随所で一番目のグループの手口の種明かしをしていたようである。
総論として、現時点での解釈は第一グループは人間違いから各種工作をし、私に多大な危害を加えた。第二グループは随所でその種明かしをしながら、第一グループを逆に罠にかけた可能性がある。いずれも、私には加害者達でしかない。ただし、私は第一グループに恨まれる心当たりは全くない。

なお、第一グループについては世界の指導者の相当数が彼らが何をやったかを知っているようである。また、第二グループは、第一グループが人間違いをして、私にやろうとしていることを、事前に知っていたようで、先に見本をみせていた。それが(序)に書いたことなどである。
現在、世界の指導者などであろうが、随所で、駿台講師室係女性🚺NMや🚺YKに関する情報を、巧みな形で、私に流してもいる。
彼らの多くは電話帳とか携帯電話を強調していた。一部の指導者は相当前から偽者、防犯、火災、コンクリートも強調していた。それと詐欺もである。人間違い、家間違いは膨大な国の指導者が指摘をしていた。世界は全てを知っている。

上記の一部は最近の流されたヒントのため、まだ完全分析前であるが、駿台職員女性NMへの指揮は第三グループを臭わせる内容もある。私も最初はまさかと思った。第一グループから第三グループなのか、第二グループから第三グループなのかは現時点では不明である。

私は、現時点(2022/08/31)まで、駿台には賠償請求していないし、駿台に戻る気もないため、無視していたが、世界の指導者の偽者注意により、再度駿台の件を2019年から吟味しだした次第である。



私は第二の仮説・上記映画説が本質的ストーリーであり、その映画は筋書きのないドタバタ劇と考え、人生を完全にあきらめていた。しかし、「映画説でも映画にはシナリオがあろう」と就寝中に連続催眠で諭されたやがて、世界のリーダーなどが、各種情報を提供してくれた。その趣旨の言動は、2000年頃から知人・友人が、「それはひと間違いが原因」と暗示してもいた。

 そして、彼らの言うには、映画説若しくは永久の世の映画説としても、現世における人間違いによる被害部分があり、その解決を促してきた。

ただし、第一グループも含めて、無駄な争いは双方時間の無駄だけであり、全貌(ぜんぼう)を明らかにし、正当な形でのケリをつけることが望ましい。一番良いのは(労働省・厚労省所管)ポリテクカレッジでの大労基法違反被害が絡んだ以上、国会であるが、その次が裁判であろう。これら抜きでは、私には解決は考えられない。

Xグループ(第一グループ)のことは世界の相当数が私の被害を見て知るようになってきている。このままでは、いずれ、Xグループの内、大手企業に該当する所は消費者が判定を下すであろう。
なお、暴力団でも人間違い危害をすると平身低頭であるが、第一グループはそうではないようである。

もはや、駿台の件は完璧に記述も打ちきりたいといつも思っているが、諸トラブルがあると、なぜか、駿台の件に振り向かされる謎がある。
なお、駿台の(真面目そうな職員であった)石原氏か誰かに、正式な形で調査依頼だけは最近検討している。もっとも、1987年末には内容証明で大滝部長と堀江部長に調査を要求したが無視されているため、効果はないかもしれない。だが、当時と異なり、今は裏では世界的な知名度と影響力を持ってもいるため、どうなるかは不明である。


まとめれば、全体の仮説はX(第一グループ)がZに恨みを持ち、人間違いをして私に危害を加えた。さらに、映画説グループが別の形で加わり、また駿台…が駿台のCM目的で参加…。
🚺女性に熱をあげて物語が進行したのではなく、私を破壊するために、🚺女性群・🚺女性陣が各種工作を開始したである。Xについては世界の首脳は知っている。
駿台CMに…の部分は私は一月前まで全く知らず、一月前に世界の指導者か誰かが私にSNSを通じて種明かしをしたものである。同時に、関与した人物が何故か肺癌での死亡が多い。肺癌も強調されている。

現時点では、簡単な以下の謎も解明できていない。
まず電話帳の強調の謎がある。私と同姓同名で漢字まで同一人物も後に(2015年)に登場した(私の最初の本の出版日2015年1月30日にその人物も本を出版した)。更に、我が家と同一番地の家が電話帳の関係かで長期二軒存在した謎もある。…。

最後に、「戸籍」強調に気づいた時点で、人間違いも百パーセント確定した。私は戸籍主義反対論者、戸籍主義廃止論者である。戸籍は差別に繋(つな)がるため、私は人の戸籍を一度も調べたことはない。完璧な人間違いである。また、私は結婚・恋愛に関して、一度も、差別に関与したことはない。苦労した人はその分だけ、伴侶対象者としても評価することはあってもその逆はない。これは簡単に百パーセント証明できる事項である。私は差別反対の闘士である。高校時代の部落解放運動をしていた仲間の多くが知っている話でもある。

(2021/07/04 11:18)コンクリートに絡む人名は我が村には複数存在しており、またもの人間違い危害を某店屋の人はしていたようである。



(F)今後

友人は「明けない夜はない」と2000年前半にメッセージを送ってきた。

他方、亡き母は笑いながら言った。
「時効になったか」
その時点では一部時効になっていなかったため、私がその趣旨を返答した。
すると母が、「それではまだ無理だ」であった。
要するに、解決は時期が来ないとおこらないそうである。
即ち、民法での消滅時効か関係者が死ぬまでは無理だが、母の言動と思われた。

甥(長子の子)も言っていた。
私が「お前の子が結婚するころまで長引くかもしれない…」か何かを言ったとき
甥「(長引くだろうが)そこまではかからない」
即ち、関係者の多くは時効まで長引かすつもりでいたようである。つまり、時効か関係者の一部が死亡するころまで長引かす…であったようである。

事情を知らないはずの従兄弟(いとこ)の一人が言っていた。
「なるようになると思うしか方法はない」、と。
ビートたけしも似たようなことを言っていたことがあった。
「好きなことをすればよいではないか」か「好きなことだけをしていればよいではないか」と。
従兄弟の言動はともかく、ビートたけしの言動は無理である。
催眠類でしたくないことばかりをさせられているからである。したいことは逆に挑発でストップか、最後は奥の手で催眠類で金縛り型ストップにあっている。ひどいケースでは私の好みではないタイプの女性に無理矢理催眠で熱まであげさせられた始末である。


私が感じている現況は以下である。
テレビ外で見る世界は事実上1988年1月を持ち完全終了した。後は駿台辞職するや、即、女優西田ひかるがデビューし、催眠熱の種明かしに入ると同時にテレビの世界に徐々に巻き込まれていく。
川端康成の(私の嫌いな小説の一つであるが)『雪国』の中のトンネルの外の如(ごと)くである。トンネルのこちら側は現実の世界、トンネルの外側はユートピアの世界、と。

具体的には、労基法違反被害の救済依頼を首相及び政府関係者や議員に送付すると、トンネルの外へと誘導されていった。それが『日本のフィクサーME』の世界である。こうして、トンネルの外の『日本のフィクサーME』シリーズの全盛期へとなっていく。

政治の世界では第二次安倍内閣が開始されるや徐々に、トンネルの中にと戻されていった。時折、トンネルをこえれば、日本のフィクサーMEの世界が見え、時折トンネルから戻りかけると、親戚・近隣のトラブルが待ち受ける状況である。

異性の件は、それよりも少し早く、西田ひかるは、現実とバーチャルの世界の中間となる、「日本のフィクサーME」シリーズのオジョウとバトンタッチをした。女優西田ひかるにより徐々に、トンネルの外へと誘導されたが、オジョウがそれをトンネルの中へと引き戻した。

こうして、私は今は大半トンネルの真ん中にいる。

トンネルの外は『日本のフィクサーME』と魔女の世界であり、トンネルよりもこちら側は現実の世界であり、老後破綻前の私が存在しているだけである。だが、余りにも長くトンネルの中にいる。このトンネルの長さは恐らく世界最長であろう。どちらに出るのかは全く不明である。

最後に、日野原重明氏(関学中等部から京大医学部)が生前、私に語ったことを記しておこう。「終わりよければすべてよし(All’s well that ends well.)」であったが、終わりは一向に見えない。第一、加害者グループ・Xが誰なのかサッパリ未だに分からない。何故ならば、被害を受ける心当たりが全く無いのだから。そして、「ちんぷんかんぷん」状態が間もなく40年になろうとしている。

異性の件では被害者のいない事項はプライベート事項である。そして、私が私自身が被害者といわない限り被害者がいないと思われる。それは次回の最終回を読めばさらにはっきりとするであろう。


■今回記述は以上まで。



今回記述略

同様に、その前後くらいに、岡山の予備校の職員も言っていた。
「先生、次から次へと女性がでてきますね。(不思議ですね)」と。
更に、岡山の女性職員が言っていた。
「先生、今の女性は、もっと打算的というか現実的ですよ。先生のようなタイプの人に、女性がどんどん関心をもつとは思えませんけれどね」と。
私も全くそう思う。ただし、最後の女性のアドバイスは1984年秋以降であったかもしれない。岡山でも、S予備校の件をぼやきまくっていたため。
尚、拙著『日本のフィクサーME』登場のお嬢のモデルは1974年から75年にかけて良く言っていた。
「お兄ちゃんは変わっているから、私以外でお兄ちゃんのことを理解できる人はいないわよ」という、彼女の言葉を繰り返し聞かされた。

拙著『閉じた窓にも日は昇る(上)』(Kindle、百円、2016年)第二部・求め続けて、第一一章・駿台予備学校辞職と一七年ぶりの故郷(ふるさと)へ

※二〇一六年二月二二日追記
二〇一六年二月一五日に郵便局で内容証明の受け取り方を聞く(公式Blogの同日にメモを記載し公表している)。書留と同一だそうである。この日まで、内容証明の受け取り方は知らなかった。万一、一九八八年に大家からの内容証明を受け取ったのを忘却していたとしてすら、(1)の②の問題がある。さらに、アパートを出たのは(万一内容証明を受け取っていたとしてすら、完全忘却ということは)それが原因ではないということである。
なお、母の生前(二〇一二年死亡)にこの大家の件を聞くと、「もう、アパート侵入類犯罪は時効か」に近いことを逆に聞いてきたため、私が「まだ民事では(時効は二十年のため)時効ではない」と返答した。すると、母が「ではまだ真相は無理だ」に近い発言をした。勿(もち)論(ろん)、バトンタッチ型犯罪の場合には、時効はさらに延(の)びる。
だが、こうした些(さ)細(さい)なことを書かなくても、付録編に記載のごとく、私の人間性は世界の首脳及び世界の大半の人が知っているはずである。私が被害者であったことは、もはや解説の必要性はないと思われる。第1編から第4編の流れのみでも回答は既にでてもいる。
同時に、私にはすべきことが山積しており、もはやこの問題に構(かま)う暇はなくなっていることもある。

なお、西田ひかる熱は催眠であったが、実に7年以上続いた。よって、NM熱などが1年余り続くのは催眠類では朝飯前であろう。しかも、NM熱は駿台出講のときだけであり、夏休み・冬休み・春休み中はほとんど熱はなかった。更に大阪校異動と同時に催眠解除で、もはや何一つ思うことはなくなった。催眠類とはそういうものである。一、二の三で消える。

岡映氏の件は既に記述済み。SSのママさんの「教育相談相手としての紹介」で食事友達にすぎない。

被害者のいない事項はプライベートである。そして、私が私自身が被害者といわない限り被害者がいないと思われる。




◇―5・満月の🚺KGさんの謎。

🚺KGさん関連挑発も最近再度あるかもしれない。
彼女が遊びにきたのが、私が駿台教壇以前か以降かがポイントとなるかもしれない。
高柳のアパートである。

私の催眠被害を彼女が知っていれば全てを彼女に任せたほうがよい。
知らねば、彼女が知る必要があるならば公開してもよいが、筋は本人に直にきくことが望ましい。その後がよい。
ただし、彼女が「私が悪い…」と最後に言っていたので催眠の件は知っていると私は思っていたし、思っている。
だが、万一、駿台以降で、KGさんの偽者ならば全貌を記した方がよい。映画説では一部しかながしていない可能性がある。全てを流せば誰もが全てが分かる。
来てから去る時全部を。私が寝ている時も全時間を。

以下、2021/06/16 6:58追記

この件は一切書かない予定でいたが、吉永小百合さんが徹子の部屋で、吉永さんの父親の死亡の仕方を言っていたときに、私の父の死亡を思い出した。そして父が亡くなった場所の関係でこの件を思い出した。吉永さんが何か暗示するならば、書いた方がよいかと思い出した。私自身は、全て書けば大変助かるが、相手が本の少しでも不愉快な思いをしたら…である。とは言っても、橋本聖子氏の件がたいしたことがないならば、…(天の声はそれならばたいしたことではない…、と。詳細は後で)。後日丁寧に記そう。だが、握手一つでも、(催眠類ない限り)私は原則として許可を取ることが多い性格である(訪米の際にも、添乗員の人と最後の握手などは許可をとっている。「最後は…日本式の会釈としましょうか、それとも握手としましょうか…」と。「握手」と言われたので握手である)。ハグなどは…であり、問題ないというならば…。ハグの事実上の強要が大した問題でないというならば、…。また、単位認定権という権力をもつ学校講師時代では、「質問は歓迎するが、女子学生は必ず複数で質問にくるように」と何度か釘をさしている。私は、(卒業資格を左右することができる単位認定権を持っていた)女子高校、及び大学校では、女生徒、女学生とは一対一で会ったことが一切ない。

特に1994年以降ではポリテクカレッジ岡山では「必ず複数で…」と何度も言っているので、当時の女子学生の一部が覚えていよう。権力を伴う場合には…。スポーツなどの協会会長などは学校教師以上に権力を伴う。総理や国会議員も同様に権力を持っていることを忘却してはならない。

しかし、被害者がいない場合には、他人の幸福追求権やプライバシー権を尊重し、沈黙が一番正しい選択肢である。だが、吉永小百合さんが…と臭わすならば、それでは…解説しようかとなった次第である。

ちなみに、拙著『日本のフィクサーME』でのお嬢の話では、実体はない。同時に被害者はいないと私は言っている。お嬢も同様のことを言うはずである。それを、権力や税金類をつかって…は、政治家ならば辞職が不可欠(懲罰による失職が不可欠、同時に私などへの慰謝料と賠償義務も生じる)と思う。ものすごいしつこい挑発、それも7年以上もの、さらに催眠での何十時間に及ぶ拷問問い。

私は何度も言っている。実体はないし、被害者はいない、と。お嬢は複数の🚺の合成であるが、該当複数の🚺も全員が同様のことを言った場合に、どう責任を取るのか。30年以上、複数のどちらとも会っていないし、☎など一切していないが、必要があれば紹介しよう。余りにしつこいので、この件もブログで丁寧に解説をした。ところが、数日前にまた…であり、呆れかえった。さらに、そのため催眠類で多大な時間を損失させられた。

プライバシーに該当することを、特に意味があろうがなかろうがペラペラ喋ることは、人前に全裸で出るのと同様である。人前に全裸ででることは犯罪である。同様に、被害者のいない事項で、私以外の人も絡んでいる事項では特にプライバシー類を話すことは本当は犯罪に該当する。強いる人間は更なる犯罪である。個人情報以上のものである。個人情報の保護を唱えながら…。万一、政治家や公務員が絡んでいたならば、懲戒免職が妥当となる。メディア関連も同様である。私を国会へ呼びと何度も言っているのだが。他人の戸籍を勝手に調べ、さらに言いふらすのと同様の犯罪である。

(これ以降は実名のため次回名前を記号に置き換えるまで下書はOne Drive保存。)

2021/05/29 21:48独り言でKGさんの件を(多分催眠で)喋ってしまったので、その通りに記述。
橋本聖子と高橋大輔のキス事件がたいしたことが無いのならば、私とKGさんの件もたいしたことはない。
しかし、橋本聖子、浅田真央、安倍晋三の件がたいしたことがある問題ならば、私の件もたいしたことがある。もし、浅田真央が本心からいやがっていることを、会長の橋本聖子の関係でしたならば、これはパワハラであり、大問題である。同様に、私の行動も大問題である。私は相手が嫌がっていたならばハグどころか握手も強要しないし、絶対にしない性格と方針でいる。

それでは後者の場合に何故、したのか。していない。催眠でさせられた。
私は寝る前に絶対に指一本触れないと決定して就寝した。ところが途中で目覚めさせられ、違う行動をとっている。どのような行動かは、高橋大輔と橋本聖子レベル…である。
そして、その件は私の人格とプライドを大変傷つけている。女性の方からアパートに一人で来てすら、それを(それだけを)理由に…は私はしない方針であり…、実行している。
…不可思議な1987年?…話がそれるので別の箇所で予定通りに記述…。
よって例外がないともいえる。

アパート・下宿にはNN、お嬢のモデルの一人(🎎)、TM、HN(日本のフィクサーMEでは「おはな」)さん…と多数一人できているが、全員に指一本ふれていない。クラブ先輩女性KNさんも同様である。過去前例は皆無である。

過去の前例は握手ですら相手の許可をとる。
アメリカ行きでは、添乗員に世話になり、別れの際に直に訪ねた。「長い間お世話になりましたが、お別れの際には日本式会釈としましょうか、それとも握手としましょうか」と。すると相手が「握手をしてください」と言ったので握手とした。
おじょう「🛵」のときも、小さいことですら…云々は相手の許可をとり、…
催眠がないときは、原則として、握手ですら相手の許可をとる方針でいる(例外は儀式としての握手、例えばスポーツで対戦相手と握手するという儀式などである)。
相手が嫌がる行為は握手やハグですらしてはならない、少なくとも「事実上の強要をしてはならない」が私の考えである。

KGさんの件は忘却していたが、伊藤詩織の「駄目と言ったら本当に駄目」とうい言動で思い出した話である。
あれは百パーセントの催眠であった。寝る前に指一本ふれないと決定して寝た(明白な意思決定をして就寝した)のだから。触れぬ理由は「KGさんから結婚…の話があり、私はその時点では結婚の意思はない」と返答したため、指一本でも触れることはよくないと考えたからである。
要するに結果はレベルとして、高橋大輔と橋本聖子と類似であるが、浅間真央が本心は嫌なのを事実上強要していれば大問題と同様に、私のプライドと人格は後にガタガタとなった。人にバレなくてもそうなった事件である。

KGさんが別れ際に「私が(全部)悪いのですから」{「全部」をつけたは記憶間違いの可能性もあるが}に近い言動をしたので、催眠の件もしっているのかと思い沈黙をしていた。実際に寝ている間の催眠ならば彼女もしっていよう。だが、会う前にその趣旨の催眠がかかっていれば彼女は催眠の件を知らないであろう。あるいは、随所で登場しだした偽者ならば…書いた方がよいかもしれない…と思い…。

ちなみに、途中目覚めたが目覚まし時計をかけてもいないし、今と異なり年齢も若く、途中目覚めなどはほとんど考えられないという不可思議な話である。レベル…は無関係であろうが、良識的と思った著名人ですら週刊誌的なゲスの勘ぐり挑発{ a deliberately bad interpretation 《on somebody’s actions》}類がSNSで多いため、一応レベルはで著名な橋本聖子五輪組織委員会会長(森氏の女性蔑視発言を受けて、セクハラ・パワハラと無縁と…現在、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任した)の例をだした。橋本聖子、高橋大輔レベル…が問題ないならば私も同様である。いな、私は税金から給料をもらっていない上に、権力も持っていないという違いがある。さらに大きな違いは、私の場合は催眠であり、催眠ないときにその逆の決定をしていた。

自称・浜田隆政チルドレンの一人・浅田真央…安倍晋三ハグの件も橋本聖子の存在が気になるが、話題がそれるため今回は書かない。

★ちなみに、駿台女性🚺NMとは生き方が違うので「私はノー」と1983年夏頃に明確な意思決定をした🚺である。ところが、催眠と工作で…駿台事件が起こる(駿台事件は女性問題では一切ない。勿論、デートもせず、人のいない所では会話すらせず、指一本触れていない。不可思議な業務妨害…などの犯罪被害事件であった)

ただし、随所に記載の如くKGさんは大変信用と信頼ができる人物である。本来、彼女に全てを任すのが筋と考えていたが、吉永小百合さんを徹子の部屋(2021/5/20を録画し後に見た)で見て…である。
(人名略号と一部追記のみ2021/06/17 13:08)

(2021/06/18 16:45)

本日 橋本聖子氏が突如テレビで催眠状態となり…Twitter 21-169参照。

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21-169-3【🥴催眠】#橋本聖子 #五輪 #大会組織委員会会長 昼のテレビで突如登場。
同時に🤡催眠状態で「…について #バッハ 世界の指導者 に問う」発言強制される。
これは🥴催眠。🤡言動無効。

🤡まだ #セクハラ でなく #パワハラ 調査前。
彼女は #日本スケート連盟会長 という権力を保持

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1405776348346347531?s=20

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21-169-4【#権力】
🤡は塾等と単位認定権持つ学校は使い分け。
後者は権力が。
後者🚺生徒は質問などは一人で来ないよう念押し。
多数の生徒来たが全て後者は複数。
権力を持つ者は常に慎重に。
⛸#橋本聖子 会長。#パワハラ
⛸#高木美帆 ⛸#高橋大輔 ⛸#浅田真央 調査前。

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1393437953800687617

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1405779039097286656?s=20

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🚺KG…については私の行動問題は橋本聖子の件レベルで問題がないではなく、問題があると書いているのである。

これがハグでも問題はある。相手の心からの許可が必要である。許可ではなく、心からの許可である。

しかし、私の場合には後に証明する催眠で…。

そして、催眠の実体が判明するまで、私の人格とプライドはガタガタとなったと書いている。

このとき催眠がないならば、私の行動は問題があるであり、問題がないではない。

 

上記は下書の一部であるが、

2021年9月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA