人間は良いもの、厄介なもの

人間は良いもの、厄介(やっかい)なもの


2020/09/16 14:22下書開始

2020/09/16 21:18《◇―4》を下書記述。

2020/09/16 21:51 《◇―7》下書記述。また《◇―4》を《◇―6》の後へ移動。

2020/09/16 23:07 一番上の見だし

2020/09/19 15:49清書化作業の一部

2020/09/19 16:18 清書作業の大半と一部追加。 18:03 お寺割り事件

2020/09/20 11時頃から一部の清書作業開始: 15:03ほぼ清書終了。明日、正式公開予定。15:40微修正。15:50追記。

2020/09/21 9:59 一番下にデマの拡散形式を追加。11:35レイアウト変更

 


今回は #駿台 女性陣は登場しないが、いずれ結合するであろう。駿台時代の犯人Xが、駿台で刑事犯罪 次にポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)、そして、ここ二十年我が村で暗躍した疑惑がある。今回は我が村の話である。いずれ全て結合する可能性が大である。原因は、駿台講師時代に 犯人Xが私とZとを人間違いした。Zと思い、意地になり、1983年頃から(駿台を含む)女性などに何かを依頼して…そして人間違いのまま引継ミスで…ここ20年間は我が村で…暗躍。その暗躍との絡みで写真残酷物語が…。

出発点での人間違い(多分、遅くとも1983年頃か?)

《◇―1》花と写真の話。
この二十年余り、花と写真に関する挑発が多かった。
花は綺麗(きれい)である。
いや、花も綺麗である。
だが、私は花の名前はほとんど知らない。
そこで、死亡した長姉がいつも、私に花の名前を聞いて、私が花の名前をあまりどころか全く知らないので面白がっていた。笑いまくっていたことを覚えている。

しかし、花がどうしたのだろうか。
何のことか分からないが、二十年余り花の挑発が気になっていた。
一、二年前にやっと気づいた。
特に、今回掲載した村の記録(村アルバムに挿入文書)の一部をHPに掲載してようやく分かった。


《◇―2・村アルバムと花》
既に、「村の記録」に掲載した理由で、1994年頃から1999年にかけて、村アルバムを作成していた。
そのとき、ID村の中でもNT組合の家をどう記録に残すか思案した。
その結果、次のような結論をだした。

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また、各家・花・花と家でNT組合は構成したが、花などを□□家がこちらがよいと言わんばかりに植え替える度(たび)に、私も何度も撮り直すと、私が花撮影が趣味と勘違いされ…で🤷、ということもあった。ただし、□□家は1999年以降は撮影していない。1998年以前の話である。勿論(もちろん)、予算問題もある。
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ふるさとの記録―2・拙著『フォットエッセイ・ふるさと』(村のアルバム記載文書から)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=21887

ふるさとの記録―2・拙著『フォットエッセイ・ふるさと』(村のアルバム記載文書から)から

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要するに、各「家」、次に「各家を代表する花」、そして「花とその家」という三枚組写真を考えた。
そこで、凝(こ)り性の私は、その三つにこだわった。
ただ、それだけである。
そして、このアルバムは1999年頃にビデオ公開をしている(場所は我が家の作業場)。アルバム自体も公開した可能性もある。

公開に当たって、解説を記し、もしミスがあれば指摘してほしいと記していると、その解説文に幾つか訂正の文字が加えられていた。だから、何人かが見たと思う。
ビデオの方は何人からは見たと直に聞いた。

村アルバムの関係で、花の写真を撮ったのである。
斯様(かよう)な話はどうでもよい。本来は話題にもならない話である。
だが、長期に亘(わた)り、誰かがデマを飛ばし続けたのであろう。
そのデマは、一つは駿台講師時代から尾を引いていると思わされている不可思議な人物群Xであり、もう一つは私の身内(後に記す、狸と狐など)であろう。後者は、私に将来良かれと思い、故意に嘘(うそ)をついた可能性が高い(正しい意味での確信犯という)。
だが、そのデマに騙(だま)された人がさらにデマを飛ばしたのであろう。

岡山短大講師辞任の経緯から、まさかと思うが官僚諸君が加わった可能性も否定できない。
だが、こうしたつまらぬ話よりも、今回は思い出を記そう。


《◇―3『賢者の贈物』が狂ったのが我が村の話》

オーヘンリー( O. Henry、1862年9月11日 – 1910年6月5日 )の作品に『賢者の贈り物』 (  The Gift of the Magi.  )がある。
短いストリーなので内容は読んでほしい。9月下旬から10月上旬に私のHPで特集している時事更新で日本語版と英語版を掲載しよう。

「写真残酷物語№15」で書いた小母(おば)さんは、私が幼小の頃から随分かわいがってくれた。

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そういえば、岡山短大を辞めた頃、村で冷たくあしらわれそうになったときがある。この小母さんがかけつけ「あんたらは…」と怒っていた。


大変、子ども好きな小母さんであった。
私が小学校の頃、学校の帰路、自転車でであうと、私を呼びとめ、イカの菓子か何かを貰(もら)ったことも何度かあった。

また、この家には盆柿があり、熟れたときには、「タカちゃん、食べにおいで」とほぼ毎年声をかけてもらった。
そのほか、この家は蚕(かいこ)を飼っており、蚕が食べる実(桑イチゴの実)をたべさせて貰ったりしていた。
おばさんと私は約35才ほど離れていた。
私の小学校後半頃に、おばさんは40代後半だったであろうか。
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徒然(つれづれ)なるままに№15・写真残酷物語・第一話裏(ウシロ)のオバチャン(1)
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http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21357

徒然(つれづれ)なるままに№15・写真残酷物語・第一話裏(後ろ)のオバチャン(1)

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さて、村アルバムの話に戻そう。
凝り性の私は、家のみか、各家にある「花」撮影にも随分こだわった。
今、HPで掲載中の「世界の歌シリーズ」をみてもこだわり方が分かろう。だが、世界の歌シリーズと異なり、写真は私の作品であり、著作権も私にある。
そう書けば更に分かろう。

村の衆というよりも人には二つの考えがある。
相手への思いとしても二つの逆の考えがある。


各家の花撮影で一応決まった写真が撮れる。すると、一人はこう考える。

「写真代金も馬鹿にならない。それに隆政ちゃんの労力も大変だ。だから、もう花はしばらく植えまい。そうでないと隆(たか)ちゃんがかわいそうだ」という思いやりである。
(*^-^*)ありがとうございます。
これを善意という


だが、もう一つの善意もある。
先の小母さんはこう考えたと思う。


隆政ちゃんに良い写真を撮らせてあげよう。
では花を植えよう

だが、これで十分だろうか。
もし不満足な物や、今一つならば、世間に隆政ちゃんが笑われる。
若しくはタカちゃんの才能はそんなものかと思われる。

それでは、今度は違う花を植えよう。

それでも、タカちゃんの顔が今一つである。
それではもう一度植えよう。

今度は決まったと思う。
それでも、念には念をいれよう。
もう一度植えよう。

これも善意。
(*^-^*)ありがとうございます。


他方、私はこう考えた。
小母さんが一生懸命「花」を植えられている。
確かに一回目は光線具合で失敗だったかもしれない。
それでは撮り直そう。
今度は、もうよかろう。

だが、小母さんが、また花を植えられた。
かわいがって貰(もら)った小母さんが頑張って植えられたのだから、一つ気合をいれてもう一度撮るか。
ハーハーハーハーハー、と。

もう良かろう。
……
見ると、また別の花が…

ここは、私も根性…とか。少しオーバーか。


要するに、善意と善意が誤解から…である。
私の本職は著述業・教育産業関連であり、カメラや写真は本やプリントなどに掲載する物を撮る商売道具でしかないのであり、趣味では一切なかったのであるが、村アルバム作成過程で誤解をされたのであろう。

勿論(もちろん)、催眠類も合った疑惑もある。
母がよく言っていた。
「お前は■■家(隣の家)の花を撮るのが好きだな。我が家にも同じ花があるのに。我が家のを撮らずによその花を撮るとは」と隣家の小母と仲の良かった母はいつも笑っていた。


今は懐かしい思い出のため催眠部分は除こう。
要するに、善意と善意だったのである。

簡単に言えば、花とは、それだけの話である。
なお、『日本のフィクサーME』で登場するユリの話を書けばさらに分かろう。


なお、もし、小母さんが生きていて、例のお年玉で誰かともめていたならば言うであろう。
「私のお年玉、誰も口だしするな。タカちゃんと私の話でしょう。もうお前らはいい加減にせい。タカちゃんはそんな人ではない。もういい加減にして」と、ときには怒るであろう。特に事情が分かれば。事情が分からなくても、懸命(けんめい)に私をかばうであろう。

私の方も言うであろう。
「小母ちゃん、お金足りた。足りた足りた。アイスクリームを食い過ぎて弱った」、と。
本来、他人が入る話ではなかったのである。
オバさんと私の人間関係が全てである。

《◇―4:狸婆(私の母)の謀略》(2020/09/16 21:50 場所を最後の方へ移動)

母を狸婆(たぬきばばあ)と書いたのは狸婆(人をだました婆)だからである。
狸婆の話は都合で《◇―6》の後に回した。後で位置を考える。理由は《◇―7》で我が愛すべき狐(きつね)達が登場するため、狸と狐は同じ場所がよかろうというだけのことである。



《◇―5:人間は良いもの、厄介(やっかい)なもの》

ところが、人間関係は相続が難しい。
だから、「兄弟は他人の始まり」という諺(ことわざ)すらある。
厄介とは、▽▽が厄介という意味ではない。
人間関係そのものが厄介な仕組みとなっているのである。
そして、それが蔓延(まんえん)するのは、学校教育などで「人間学」なる授業がないからである。その弊害は、貧困者のみならず、権力者・大金持ちを問わずに、社会に蔓延(まんえん)する。
ここだけは平等に蔓延する。

《◇―6:デマが舞い散る》

この家に無断で私が何度も行っているというデマが飛んだ気配がある。真っ赤な嘘(うそ)である。
この家には、1998年撮影後は三度しか行っていない。
22年間中三度である。
ただし、村やお寺関連の配り物を郵便受けに入れる作業を除く。

村アルバム撮影期間(この家の割り当ては1994~98年前半のおばさんの許可をとった上での畑や庭撮影)を除けばそれ以前も同様の状態である。小母さんから招待をうけたときは除く。第一、行く理由がない。

1998年以降の、三度とはいずれも、葬儀関連(小母さんのお孫さん、おこさん、小母さん自身の葬儀類の三度)である。
小母さんの娘さんが大阪で、(途中で亡くなられた)長男のお孫さんが広島ならば、…。
行かねば、小母さん自身がなくなられたときに、小母さんなどの遺体を庭に置くのかとなる
(死亡されたときでも)お子さんも、お孫さんも近くにいないのだから。(何百㌔離れた地なのだから。)
仕方が有るまい。
これ以外は、庭も含めて入ったことは全くないのですよ。(下の【資料―1】参照)
要するに、感謝されても、その逆は通常ない
お礼を言われる所を誰かがデマを飛ばしたのであろう

村アルバム撮影期間以外は上記である。それ以前も同様である。
村アルバムは当然、小母さん(当時、家にいた唯一の人、かつ管理権者かつ、所有者)の許可は当然とっている。


この家やこの家の花関連の写真は小母(オバ)さんにしか渡していない。
だから、この写真を●●さん(小母さんのお子さん)が所有しているようなことを誰かが言っても、数年どころか相当長期間に亘(わた)り意味が分からなかった。
小母さんに渡すきっかけは、先の如く形で撮影をし、その後で我が家の台所や、作業場で母とその写真を見ているときに、おばさんが突如何度か入ってこられたので、それをお見せした関係だろうと思う。

「オバチャン」ちょっとハイルで…と突如入ってこられたことがよくあった。我が家や台所に入ってこられた後で「入るで」なので、写真をしまう暇もない。それだけ親しかったということである。この小母さんは私の母こと狸婆を(親しみを込めて)「オバチャン」と呼んでいた。
全家には渡す金が当時はなかった。されど、一軒のみはやはり問題が大きい。だが、当時、見ている現場に突如ほいとこられると、条件反射で…となったのかもしれない。詳細は後日記すかもしれない。


もう小母さんも亡くなられたので書けるが、可能ならば、●●さんから、私が撮影した写真で●●さんの手元にある写真を全部を(お年玉と同額の)1万円で、買い取れれば本当に私もうれしい。(買い取るなどの意味は下記《4’》を参照。)

誰にとってもよい。

私も😊。近所の人も気持ちよい。

所有している人も捨てるくらいならば売った方がよかろう(いとこの話では順次捨てている…と…)。

すると、私が全てを購入(?枚のキング、?枚にわたるRP2L、?枚の4W…の全てを購入)すれば誰にとってもよい。
私も駆け引き抜きで本当にうれしい。\(^O^)/である。
本当に助かる。

捨てる…抜きでも助かる。

勿論、プライバシー権確保上、私個人は一切使用することはない。だが気持ちがよい。

この家のお寺割り(どうも、お年玉一万円事件との絡み…の疑いが強いが…)で我が家が1万5千円立替たまま…のようであるが、ややこしいため、もうその件はよい。お寺割り事件と…は無関係(【資料―2】参照)に、お寺割り事件もうどうでも良いので、お寺割り事件の件はもう永久にそのまま放置し、それとは別に一万円で売って頂きたいと心底思う。
これを何度言ったであろうか。


小母さんではなく、(小母さんの娘さん・)●●さんにお金を返すことはできない。
何故ならば●●さんからは一円ももらっていないのだから。
写真も●●さんには一枚も渡していないのだから当たり前である。
●●さんが写真を所有していることすら長期知らなかった。
勿論、小母さんに渡したものを小母さんがどうするかは自由である。

今、病気をしている従兄弟(いとこ)が回復すれば、労をとってもらい、売却交渉(価格はお年玉の件もあり一万円)をすることを考えている。

(従兄弟が病気をする前から考えていたり、独り言を言ったりしていたが、「しこり」問題から慎重になっていたら、従兄弟が病気をして延期となった。)

従兄弟をいれる理由は「しこり」を残さぬためである。

だが、人が言っているのが本当ならば誰もが喜ぶ話である。

●●さんは私が撮った写真を《邪魔か何かで》廃棄していると従兄弟が言った。それならば、捨てる手間がはぶける上に一万円が入る。そこで\(^O^)/となる。

私も他家・他の親戚の手前、平等原則上助かる。なにぶん、何枚ものRP2L,キング、RP4Wやネガ4W…と一軒に家に渡しすぎており、他家への平等上、いつも肩身が狭い思いをし続けていたのだから。\(^O^)/となる。

これで平等だ。\(^O^)/。😊嬉(うれ)しい、嬉しい、と。

近所・親戚の人も気分がよかろう👏👏👏。

となると、本当に可能な限り早い内に、実行にうつしたいと常に思っている。

当てつけではなく、本当に、誰にとっても良いとなる。まして聞いた話が嘘ではなければ…を前提としてであるが。


小母さんが生きている内に小母さんにお年玉1万円を返したら。
「小母さんが泣く」、で。
「少なくとも長期、色々考えたり、気にしたりする」、で。


いいですか。
私は私の母のことをお母さんと書かずに、狸婆(たぬきばばあ)と表記していることにも注意していただきたい。いずれ分かろう(今回の《4’》を参照)。しかし、狸婆以外に、デマを何人かが飛ばしたとしか分析できない。

●●さんは、私をかわいがってくれた小母さんのお子さんである。それが即座に、先のことを言えなかった理由である。小母さんが泣くで。
ちなみに、この話・「花と写真の話」は今から22年前の1998年の話である。何でそんな古い話が未だに飛び交うのであろうか。Xか、別の人間のデマか、誰の策動であろうか。

今回の件に関連文書

《資料―1》

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第11回私文書公開:営農関連―村アルバム等での誤解や📷誤解防止兼用(2019年8月26日記述/同日投函:大幅追記解説して公開10月6日)
☆☆☆☆☆
http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/activity/362/

第11回私文書公開:営農関連―村アルバム等での誤解や📷誤解防止兼用(2019年8月26日記述/同日投函:大幅追記解説して公開10月6日)

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《資料―2》
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お寺割りの話。(まだ公開していない場合には、犯人Xをあぶり出すため公開する。簡単な公開は以下にあった)
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不可思議な出来事(2009年頃)―№001・お寺割り等15000円事件
http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/service/366/

不可思議な出来事(2009年頃)―№001・お寺割り等15000円事件

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《◇―4’:狸婆(私の母)の謀略》(2020/09/16 21:16 記述 21:48 構成上、最後にまわした)

母を狸婆(たぬきばばあ)と書いたのは狸婆(人をだました婆)だからである。
カメラや写真は、私の本職を支える諸道具の中の一つでしかない。
ところがトラブルが絶えない。
写真に関して、私の方針と言動は以下の二つのみである。

(A)一つは、カメラ・写真は商売道具なので、プライベートでは使用したくない。
(B)もう一つは、やむを得ず、撮ったり、贈呈したりした場合でも、親戚・近所・知人類からは御礼(おんれい)は決して受け取らない。例外は母と姉のみである。その他は出版関係で原稿料とか、賃金とか、印税とかそうした類のみである。

二番目の項目(御礼不必要)は、この小母(おば)さんにも、きっちりと小母さんの庭で話していた(1995年か96年頃である)。
やむを得ず、撮ったり、渡したりした他家でも、くどいくらいに、謝礼は絶対に不必要を言っている。

ところが、トラブルが絶えない。
しかし、そのトラブル類は、まず母と仲の良い人である。例えば、母の姉妹、それも一番仲の良い姉妹群である(母の兄弟姉妹が8人ほどいる)。

例えば、(兵庫県の方の)峰山峠越え原稿関係で(中国山地の方の)峰山峠や生野銀山に行くときに、母と母の姉の一人が一緒に、生野のちかくの親戚まで同乗された(本来の目的は親戚に行くのではなく、『旅に心を求めて―雨の中、自転車で峰山峠を越える』関連の資料集めが目的であったのが、…で全く不可能となった話である。)

その帰りに奇妙なことを言われる。
「タカちゃん目を覚(さ)ませ。…」と。{詳細は、公式ブログ「徒然なるままに№22」。下記にアドレスなどを掲載している。}
私はちんぷんかんぷんというよりも、右の耳から左の耳であった。ちんぷんかんぷんを超えて、意味不明であった。この伯母は母とは大層仲が良かった。
簡単に言えば狸婆が何らかの嘘(うそ)をこの伯母(おば)に言ったのであろう。
それは、もう一人の伯母が死亡したときに漸(ようや)くわかりかけた。

後に、別の従兄弟(いとこ)も、母のもう一人の姉(私の伯母で兵庫県北部に在住)が死亡のときに同様のことを言った。
「タカマサ目を覚ませ…」と。
私「はあ~」。

(兵庫県北部の方の)伯母の49日のときに昼ご飯前に帰ると、従兄弟がお膳代なるものを用意しかけたので、堅く遠慮した。
するともう一人の従兄弟が、「では何故、昔、…を貰(もら)ったのだろうか」。
私「はぁ~」。
……
後に、ある程度意味が分かった。
狸婆が何か出鱈目(でたらめ)の嘘(うそ)を、伯母などに言ったのであろう。
母にすれば自分の姉達である。

それも仲の良い母の姉達である。
調子に乗り、嘘を言ったのであろう。
嘘の目的は後に分かろう。現時点ではまだ完全に目的が分からない。


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徒然なるままに№22・写真残酷物語第六話・「私は頭が良い人はすかん」、では言おう「私は美人はすかん」(完成・公開版)
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http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=22028

徒然なるままに№22・写真残酷物語第六話・「私は頭が良い人はすかん」、では言おう「私は美人はすかん」(完成・公開版)

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この狸婆は、実の娘(私の二番目の姉)にも、嘘を言った疑いがある。
狸婆とはいえ、長年一緒に生活した。
それでは多少トラブルを覚悟で、狸婆の孫の結婚式を一人だけ撮ろうかと言ったことがある。まだ、狸婆の意識があるときである。
当然、狸婆への、人生最後の贈物であり、姉にも姪(めい)にも関係がない。
勿論(もちろん)、狸婆は、その作品を姪に渡す可能性が高いが、それは婆(ばあ)さんの勝手であり、私とは無関係である。

当然、婆さん宛への人生最後の贈物であるから、姉や姪が私にお礼をする必要はない。(予算は、当初母死亡後に渡すと言われていた、貯金類[当時は2~3百万円]と言っており、母死亡するや私の全財産はその額となり、一刻も早く我が家をでる必要があった。死亡後には聞いていた額よりはかなり多かったが、国民年金支給額をいれても70才か70才前半で尽きる額である。だが、当初聞いていたのは母死亡するや即でないと1年半程度で餓死するような額であった。その中の解約可能な通帳を撮影代金に姪撮影には前倒しで回している。)


ところが、姉が妙に、(母死亡前で、姪の結婚式の案内か案内状を渡されたとき・多分2012年夏頃に)その代価を意識しかけて…「あの子(私の二番目の姉の子、即ち姪)はバイトが大変で、時給もしれており…」と訳の分からぬことを言うため、不思議に思ったことがある。

狸婆さんが、意識があるときに、姉まで騙(だま)したのであろうか。
狸とは人を騙す動物である。英語ではRaccoon dogと言う。

もっとも、次姉は私とも小さい頃から知っているため、私が母を狸婆と書けば、この文字のみで全貌(ぜんぼう)が分かろう。

(2020/09/20 15:48 追記。いや、狸婆以外に、二番目の姉などに誰かが別に嘘をいってもいる。恐らく、後に記す狐の一人かもしれないし、他者の陰謀かもしれない。たとえば、母死亡後の墓掃除…で、私が蜂や蟻やムカデで参ったときに、当初それを信じていない気配があった。他にもいくつか奇妙なこともある。母=狸、狐=身内の数人以外に、また犯人Xとも異なる慢性的にデマ拡散者がいるかもしれない。例えば蟻・アリが強調されるが、官僚類を意味しているならば、坊ちゃん育ち・温室育ちの彼らが幾つもの判断ミスから生じた解釈による見解を信じるなどである。)


そして、母ことこの狸婆と、今回登場する(先の隣の)小母さんは大変仲が良かった。そこで、この狸婆は、何かを企(たくら)んだのであろう。


私は凝り性である
村アルバム関連でも凝る。しかも、カメラ・写真は商売道具として、これから本格的に活用しようと考えていた頃のため、更に凝る。

村アルバムも、同様であった。その一貫で隣家を撮影したことは既述の通りである。

こうして、隣の家も撮影していた。
ところで、この家に写真贈呈の経緯は《◇―6》に書いた通りである。
なお、作品としての写真サイズは、撮られた写真が決定する。大きい方が良い写真、中くらいが良い写真、小さい方がよい写真。それらは撮られた写真が物を言う。
「私(作品)のサイズをこのくらいにしてくれ」、と。作品自体が言うのである。
棟方志功ならば分かるであろう。

そして、この家には先の関係で何枚(RPの2Lやネガの4W…も何枚)も渡していたが、この家に渡す最後の締めくくりの写真は、RPのLや2Lサイズで確認すると(ピントの精度・被写界深度…より)、写真サイズで贈呈ときには4W(RPプリント仕上げ)が良いと思われた。その費用問題で母と言い合いになる。今思うと催眠であろう。
母は私を挑発し、私が激怒すると、にっこりと笑った。
やった、と。
そして、裏に私を誘導した。
裏からは先の小母さんの家が見える。
ここで予算問題を言わされた。

狸婆は、恐らく腹の中で笑いまくっていたであろう。
やがて、この小母さんが、お年玉と言われて、一万円を持参された。
詳細は下記参照。


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徒然なるままに№16・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(2)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21431

徒然なるままに№16・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(2)

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このお年玉を使用して、類似写真検討と何枚もの試し刷りRPプリント依頼の後で、最後に締めくくりの一枚(RPの4W)をプリントして、贈呈したという話である(この写真はややこしい気配を感じたので村アルバムへの収録はしないことにした。)

狸婆は、ケラケラと笑っていたであろう。
それだけ、母とこの小母さんが仲がよかったということでもある。
母の姉(私の伯母)を騙(だま)して何かをしたように。
当然、後に、息子(私)が苦境に陥るのも計算し尽(つ)くしていたのであろう。
理由は現時点ではまだ完全解明していない。

ちなみに、その頃は、私は完全経済破綻前のみか、精神が疲弊して、躁鬱(そううつ)病の躁(そう)状態が大変激しい時期でもあった。だが、まず後の催眠類を疑う。

ところで、躁鬱(そううつ)病になる前には、福武書店(ベネッセ)創始者・福武哲彦氏(後に知ったが、私の父の知人)に飲みに連れて行かれたり、駿台予備学校でも接待ずくめであったり、…。また、ベネッセ・駿台模試の仲人役が私の可能性がある。駿台時代にベネッセ模試の監修をしていた関係で1980年代に何度か、駿台文庫の人から接待され、ベネッセ模試の件でいろいろ聞かれたりしていたからである。大学院時代ですら、市川房枝氏と一対一で長時間話をしたり…であった。
若い頃の私が上記にもかかわらず、1988年中頃の青年期後半から壮年期には家に監禁され、正に、「男はつらいよ」の寅次郎の世界、その中でも「小さな小さな社会」「小さな小さなもめ事のオンパレード」に陥れられる。

その私が何でこうした小さな世界に閉じ込められるのであろうか。
さらに、2000年頃からは、一方では世界の要人の相手をし、他方では貧弱なタカちゃん像がつくられる。
表と裏では、正にスーパーマンの世界であった。クラークケント(Clark Kent)とスーパーマン(Superman)以上の違いである。私はそれをもじって、「コッペパンマン」と時々書いている。コッペパンマンが日本のフィクサーME(私)である。その話は後にしよう。
ともかく、写真トラブルの一部は狸婆の仕業(しわざ)である。狸婆という語一つで、何人かは、もはや意味が分かったであろう。
内容を詳細に説明するよりは、狸婆の語一つで、次姉などは全貌(ぜんぼう)が分かろう。それも即座に。


もし冥土で、母と私と次姉が再会すれば母こと狸婆は次姉に言うであろう。
「お前、弟のことを知らないのか。知っているだろう。お前の頭はその程度か」と。
次姉は言うだろう。
「途中で気がついたけれども、私もお母ちゃんにあわせてあげたの」、と。
そばで聞いている長姉は笑いこげるであろう。
だから、映画説ならば、筋書きのないどたばた劇と考えて、数十年間のトラブルが、話題提供のトラブルと考えていた。
ところが、最近は、映画説でも筋書きがあろうとなり、母以外のトラブルは、(犯人)Xが恨みのあるZと私との人間違いが原因で長期のトラブルが起こっているを想起させられている。
駿台の箇所、日本のフィクサーMEの箇所、私的ブログ「近所・親戚」のトラブルの箇所、トラブルブログで今後該当項目を書いていけば一定の結論はでるであろう。


結論として、(近所の)この小母さんと母は仲が大変良かったそこで母の姉(私の伯母)に何かデマを言ったのと類似のことをした、である。
母を狸婆と書いた理由が分かろう。
目的はまだ完全解明していない。
そして、この小母さんと私も仲が良かったことだけを強調しておく。近くの村に住んでいた母の姉・伯母さん(母と同じ年に仲良く亡くなった伯母)も同様である。


なお、この小母さんが仕事をしていた旅館(若しくはその近くの類似旅館)に、安倍昭恵氏が2014年に行き、記念撮影をしている。こうして、この物語の一部は日本のフィクサーMEへと繋(つな)がる。ただし、この写真トラブルは第二次安倍政権前からである。安倍昭恵氏の話は事実である。この話との関係は不明、若しくは無関係と現時点では思っている。
また、安倍晋三氏の辞任が体調問題のため、安倍晋三氏の名前は暫(しばら)くださない方針でもいる。ただ言えることは全体を貫く犯人Xは安倍氏ではない。何故(なぜ)ならば、犯罪被害の始まりは1986年頃であり、策略が開始されたのが遅くても1983年夏頃のため、安倍氏がまだ議員にすらなる前のことだからである。
原因は、現時点では犯人XがZと私を人間違いした確率が高い。そして、その後で犯人Xの後継者への引継ぎミスでずっと被害が続いている可能性が高い。
ただし、この小母さんの件は狸婆が何かを企(たくら)み…であろう。もしXが絡んでいれば、我が母・狸婆に騙(だま)されたとなる。それが母の狙いだったかもしれない。

《◇―7・結論への道》


(2020/09/16 21:43追記)
後日記す、写真残酷物語「アナログからデジタルへ」も、狸婆(たぬきばばあ)が絡んでいる。この一言で、全てが分からねば話にならない。
また、本格的な写真作品を作るとは、大変な所ではない。家を一軒つくるのと同様である。
それは解説ではなく、作品を作るときの日記を掲載するため、それを読めば分かろう。作品一つ=家一軒である。
篠山紀信氏や三好和義氏に聞けば分かろう。


なぜそこまでかは、凝り性のみならず、私は(日本のフィクサー)MEである。現実問題でも、起業か再就職をしない限り生きられない状態におかれており、作った物で仕事が決まる状況(いわば、どの作品でも私の労働力商品の価格が決まる状況、受験生のテストに近い状況)におかれていたしかも、今(2020年)と異なり、当時は若い。再起の真っ最中である。

 その上に、世界のハマダであり、世界中が注目をしている。他方、親戚・近所は田舎のタカちゃんしかしらない。そのギャップが生んだ悲劇である。だが、御礼(おんれい)一切不必要を常に口頭及び文書で明記しているのだが、その謎は狸婆と、その仲間である、我が愛すべき親戚の一部の狐(きつね)たちが知っている。キツネの一人は分かりかけた。


簡単に言えば狐(きつね)の存在もある。

しかし、その狐と私も仲がよい。狐も狸同様に何か考えがあるのであろう。狐の猿芝居か大根芝居も…何か、深い意味がある確信犯であろう。
もう一度記す。一人の狐の猿芝居と、もう一人の狐の大根芝居、幼い時からの付き合いがあるならば、これで分からねば話にならないのだが。結果として、私によかれ…の大芝居である。これを正式な国語では確信犯という。

次回から、作品関連の日記を紹介する。
その後で写真残酷物語結論編を書いた方が分かり易(やす)い。
もっと分かり易(やす)いのは、私が写真をつかってつくった作品を紹介した方がわかりやすい。解説抜きで全貌(ぜんぼう)が分かろう。

(2020/09/19 16:11追伸)

村アルバムの作成費は一切記していないし、公開もしない。その前に計算もしない。

請求しないのだから当然である。

同様に、無料で贈呈した写真は単価計算は原則しない。今回の話も、価格が少しでも分かる内容は避けたかった。だが、お年玉の一万円にからめたX類のデマの気配からやむなしで昨年頃少し書いた。約20年以上、デマが飛び交(か)っている疑惑がある。風評被害対策上、やむをえなかったのである。本来ならば費用はブラックボックスとして、小母さんが生きていれば「お年玉でアイスクリームを食い過ぎて弱った」を繰り返したであろう。それを言ったときの、当時の小母さんの反応は、「タカちゃん、よかったな」と全身笑みであった。大変嬉(うれ)しそうに見えた。

渡した人間と渡された人間が双方満足している事項に、部外者が口を挟むものではない。

ただし、私は近所・親戚への平等原則問題から、参っていた(一軒だけ例外扱いした話は上記の《◇―4》より理解されよう。条件反射…で。)。そこで、この小母さんの娘さんが写真を捨てている話(従兄弟の言明)が本当ならば、まだ捨てていないのを売っていただければ、本当に、心底より\(^O^)/(万歳)ができる。お年玉はこの小母さんと私の話であり、返却はできない。また写真もこの小母さんのお子さん(娘さんなど)に一枚も渡していない以上、返却依頼もできない。残る手段は購入のみである。物事の筋上(お年玉と同額の)一万円での交渉となる。

ともかく、厄介(やっかい)なものは白紙にもどすことが一番である。そうすれば今回の如く文書も不必要となる。写真よりも文書の方が商売としてより重要であり、こんな文書を何度も書くと著述業者とすれば死活問題である。撮影費用どころではない。

ただし、小母さんが生きていれば、風評被害がとんでも、もうもらったお年玉は返さないと言い切ったであろう。そうすれば小母さんも喜ぶからである。

勿論、撮影費用類は一言も触れないし、隠し通したであろう。

 小母さんのお子さん(娘さんが)が捨てているときいたならば、「余分なものは捨てるのが一番」と上手く言ったかもしれない。せいぜい、近所・親戚の手前全部すててくれたら嬉しいを(口頭よりも)表情で現(あらわ)したであろう。風評被害以外でも、他家の手前、気が楽になりますよ。🙌

2020/09/21 9:56 追記

以上から分析すれば、デマの拡散形式は以下となる

20-275-1【#デマ】形態

🤶①母=狸婆

🧙🧙‍♀️②身内の一部=狐

以上、確信犯型

🧟‍♂️🧟‍♀️➌Xグループ

→私に悪質な危害型☜原因:人間違い:#駿台

🧛‍➍官僚🐜か何か+α

#能開大 被害からか

📣⑤上記に騙された人が拡張型デマ

⇒上記5つが相互作用し、デマが蔓延。

🎦更に⑥映画説脚本型策動…

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1307845376594989056?s=20