(🚧準備中)写芸楽№9・母のに当たって―東洋の母(An oriental mother)解説。

(🚧準備中)写芸楽№9・母のに当たって―東洋の母(An oriental mother)解説。

 



(2024/05/13 13:02記述)以下は当初書く予定ではなかった内容である。恐らく、当時の構想を就寝中に調べられて、書く内容の本質を変えられたのであろう。良い・悪いは別にして、危険なため、下記以下は別ページ・写芸楽№9母のに当たっての箇所に後で移動する。いつも寝ている間に、構想を変化させられる。その最たるものが駿台事件であった。

まともに撮った写真(写真タイトル「東洋の母(A oriental mother)」)、もっとも姉は良くないというのだが。

97-015-02-f-1(1997年撮影:撮影時間は2時間を超えた。母も私もクタクタ。更に、露出の実験などでこの数日前に母抜きで4時間をかけてもいた。)

この写真は哲学的意味を持っていたが、やはり芸術ではなかったか。

哲学

Ⓐ「忍」という文字→:この文字は法然誕生の誕生寺で購入したか。武道家ならば分かろう。

Ⓑ「だるま」の絵→私の父・浜田耕治が描いた掛け軸。だるまの意味も分かろう。

Ⓒ私の姉が母に贈った花→花はカーネーションと思うが。カーネーションの意味は。

Ⓓ「火をけす」…道具は→同じく、誕生寺で購入のもの

Ⓔポスターは「弥勒菩薩」(別名・救世観音像)→広隆寺で購入と思う→この仏像を見てヤスパースかキルケゴールが絶賛したという。

弥勒菩薩の意味は

 

Ⓕ後ろは仏壇

父・母・姉・光・弥勒菩薩…と続く。忍が写真の本質であった。少し演出に拘りすぎたか、姉の知能が私についてこられなかったのか。

完全に、哲学的意味を持つ写真であった。芸術ではなく哲学である。

手ぶれ防止のない暗いレンズで、暗い部屋で、ISO100(確かAsita 100 Fか)のポジフィルムで撮影。

母に言ったことば「5秒間息をせずにじっとしとけ」と。

被写体ブレを防ぐため。

カメラはF5とF90Xと思うが調べないと不明。

露光は数秒。

撮影時間は2時間を超えた。

私も撮影後に、ぐったりきて昼寝をしたのを覚えている。

だが、モデルの問題もあり、事前に、母抜きで数時間かけて露光チェックなどをしてもいた。

当時はデジタルではないので、実験結果が分かるまで、かなりの時間がかかった。

撮影→①ラボ(写真店)→②津山へ移送(フィルムの種類が違えば、大阪に移送)→③現像→④津山から美作のラボへ→⑤私が現像をとりにゆき、ライトボックスでチェック

次にプリントLサイズプリント:同じく①~⑤の繰り返し

Lサイズプリントを見て+05.EV明るくとか暗くの指示を出して

再度プリントのし直しで①~⑤

その後で今度はLサイズの見本をつけて2Lサイズプリント依頼で①~⑤の繰り返し

2Lサイズの露出などが違えば再度①~⑤

さらに4Wなどにする場合には、再度①~⑤

これはフィルム時代(ポジフィルム・リバーサルフィルム)での常識であった。

嘘と思えば、近くの写真店で聞いてみるがよい。

たった一枚を撮るのにかかる時間である。お金もかかる。

本質、私はカメラマンや写真家では一切ない。

演出家(プレゼンテーション屋)であり、平和の商人(あきんど)を目的としている。

そして、その演出上、写真は重要な材料の一部のため、著作権対策上自分で撮影しているにすぎない。

私の芸術作品は著作などの書物である。

そこで、写真もその一貫として撮影しており、写真芸術面からの価値を狙っていない。

東洋の母も、写真芸術よりも、哲学を意識した写真である。

言葉で解説をして、始めて意味を持つ写真である。

「This is the American」(アメリカ人というものは本来はこうしたものなのだ)も同様である。

 

 

 

 

 

01-031-34-f:(2001年撮影:「母に笑えと言ったら」こんな顔。ME「違う、やり直し」の繰り返し

01-010-37-Cf:2001年撮影(今、私が望む笑い顔と違うもこの辺で良いか。笑い顔は泣き顔よりも難しい。それが人生でもある。)

 


 

2024年5月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA