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コラム

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💁【語学】世界の歌掲載にあたり英語教育と言語に想う―幼児映像と一部猥褻ともとれる歌詞のミスマッチ(正式公開)

【語学】世界の歌掲載にあたり英語教育と言語に想う―幼児映像と一部猥褻ともとれる歌詞のミスマッチ(💁正式公開)


更新履歴:1/30 に1/23掲載の世界の歌解説部分を添付{(Ⅱ)該当}

1/31~2/1一部資料添付

2024/02/02 16:23 (Ⅰ)掲載中に、洗濯物干しにでると、またも●●ガレージに絡めての印象操作で🥴催眠状態で妨害を受ける。2019年世界の歌・スペイン妨害時ほどではないが、類似妨害と分析。

2024/02/02 16:26清書作業中(途中で布団や洗濯物入れるが終始継続予定):●師●ガレージか何かに催眠で絡まれ中断も17:51 再開。18:07大枠まで終了。18:55=Ⅰまでほぼ清書終了。19:24一応チェック終了。多少の誤字脱字はあるが、見切り公開する。理由は該当箇所のビデオ掲載期間が1月23日~2月4日までであることから、読者がどのように掲載しているかの確認ができるようにするためである。

 


 

【構成】
(Ⅰ)言語教育―学習初期に対象物と該当用語のミスマッチは危険
(Ⅱ)Lil Dicky さんの「 Earth (Official Music Video) 」への🤡修正案
(Ⅲ)付録:🤡(私)がやった「粗茶」の大恥話


(Ⅰ)言語教育―学習初期に対象物と該当用語のミスマッチは危険

 

(A)言葉を思い間違えた幼少の頃の私。

私は昔、苦いお茶のことを「粗茶」と言うと思っていた
幼き頃、冠婚葬祭でお茶をだされた。得意がって、私はこのお茶は「煎茶ではない。緑茶でもない。ほうじ茶でもない…」。周りの衆は幼き天才(天才と言うのは冗談)に注目をした。そこで、私は言った。「これは粗茶である」、と。
周りの人は葬儀類にもかかわらず…😁。詳細は一番下にそのときの模様を掲載している。この話自体は冗談ではなく、実話である。

本題に戻そう。第14回US:第五部(Part-5)№26の第三会場・総合案内所の②番Lil Dicky の Earth (Official Music Video)を掲載した。
後で歌詞を見ると頭を抱えた。わいせつとも思える語句が入っていたからではない。
映像と歌詞がマッチしていないのである。すると、上記の私の如(ごと)く現象が随所で起こる危険があった。そこで、長い解説をつけると同時に、歌詞と映像をマッチさせることを勧めた。
歌詞を変えないならば、映像に一部裸の女性の写真などを入れて映像の方を歌詞にマッチさせるか、それとも映像はそのままとして歌詞を変更するかである。後者の例を当時即興で浜田隆政案として掲載した。

(B)日本の歴史における英語の確定ミス―昔の英日辞書に犬はComeと掲載されていた。

何故、このようなことを長く言うのか。
それは英語は自然言語である。
そこで、幼児などが言葉を覚えるときには、文法からではなく、映像や各種情報と言葉を試行錯誤でマッチさせながら覚えるからである。
これについて幾つかの実際に起こった事例を紹介する。

日本では昔、英語の辞書などはなかった。その結果、覚え方は映像を含む各種情報と聞いた言語をマッチさせながら言葉を確定していくことになる。
そこで江戸の末期か明治の初期の頃には「犬🐶」を「 Come 」として辞書をつくる際には紹介していた。
何故ならば、英米人が🐶(犬)をよぶときに「 Come 」とよぶからである。それを見ていた日本人は「犬」は英語では「Come(カム)」と言う物と思い、初期の辞書にはそう掲載した。
(※注B)参照。

(C) 更に発音の聞き間違いから、犬はカメに。

更に、問題があった。
耳から聞く英語と文字から判断する英語は違う。
例えば、神戸にメリケン波止場がある。「メリケン」とは何か。これは「 American 」という語を聞くと、アクセントの関係で「あめりかん」ではなく「メリケン」に聞こえるために起こった現象である。メリケン粉もそうかもしれない。
同様に、「カム( Come )」は「カメ」に聞こえたため、手書き辞書には🐶(犬)は「カメ」と表記された。

こうして誤解が更に蔓延する。
後に間違えて覚えた日本人がアメリカに行き、別の英語で亀が 「 Tortoise、Turtle 」ならば犬は亀の一種と考えるかもしれない。

すると🐶犬はカメ=亀=🐢( tortoise、turtle )となる。(※注)下記参照
https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-30/
https://www.eiken.or.jp/eiken-junior/enjoy/welcome/detail05/detail_09.html
また注群の(※注C)参照。

(D)語学学習は帰納法―多数の事例から自然と覚えたり学ぶものである。

私は大昔に駿台予備学校の教壇に立っていたことがある。1981年の駿台甲府高校の採用試験(教科は社会科の政治経済)を受けて合格し、高校の教壇に立つと思っていたならば駿台予備学校京都校の教壇に立たされた。この採用試験では、(受験英語で有名な)福崎伍郎君も受けていたそうである。ただし、彼は個人的事情で、駿台京都校の教壇に立ったのは1983年度からだそうである。
私の駿台事件の刺客女性四人組が入社したのも四人全員とも1983年度である。


福崎君のYouTubeを数ヶ月前に拝見した。彼は「英語は演繹( Deduction )ではなく、帰納( Induction )だと思う」と言っていた。私も幼児や海外の人間がいきなり英米に行き英語をマスターするときには帰納法だと思う。
哲学用語や認識論の解説をする暇はないので簡単に言えば、膨大な具体的な事象からある言葉と結びつけていく作業が英語学習の原則である。
そうした形での学習教材の最適版として、「セサミストリート( SesameStreet )」があった。要するに語学の基本は「 Practice makes perfect .」(習うよりも慣れろ)である。

(※注)群参照

(E)結論に入る。
幼児や英語圏以外の人が、初めて言語に接するときには映像や各種材料と合わせて、言葉を覚えていくのである。そこで、Lil Dicky さんの「 Earth (Official Music Video) 」のかわいらしいアニメ動画をみながら、次の言葉(例:Don’t you love to cum when you have sex? や様々な所で登場する「 Dick 」)などを聞くと私の粗茶の如く、勘違いして言語を覚える危険があると指摘したのである。
「Dick」という語句などは、Lil氏の動画でかわいらしい🐣(ひよこ)や子犬( Puppy )を指す言葉と勘違いをすると、公衆の前で🐣(ひよこ)や子猫( Kitten)や子犬( Puppy )をみると、間違えて覚えた子供が「あれは Dick (= Penis )だ」という事態が生じる危険がある。まさに Dick (ぺてん=Fraud )である。
私の粗茶の例でわかろう。
※注群参照。

下記等はその延長型の事例とも言える。
当時阪急ブレーブスに在籍していたロベルト・バルボンはテレビで力道山の試合を見て、チームメイトに「こういう素晴らしい試合のことを日本では八百長と言うのだ」と嘘の知識を教えられ、バルボンは報道陣のいる前で「リキ、八百長」と言った。後日、これを伝え聞いた力道山本人が怒鳴り込んできたため、バルボンは謝罪し、事の顛末を聞いた力道山はバルボンと和解している」(Wikipedia 力道山から抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E9%81%93%E5%B1%B1

要するに、英語の使い方を慣れた人がLil Dicky さんの「 Earth (Official Music Video) 」を見れば問題はない。しかし、映像は幼児などが好んでみる映像となっているため、言葉の使い方を知らない人が多数見ると思われる。
すると、私やロベルト・バルボン、あるいは英語が浸透する以前の悲劇が待っていることを指摘しただけである。
私のアドバイスは、歌詞が中心ならば映像にマッチするような場面(裸の男女など)を入れるか、映像が中心ならば歌詞を一部変えるか(即興で浜田隆政思案を掲載時に載せたなどの対策)、若しくは幼児などが興味を持たない映像とするか、である。
要するに、幼児などが見る映像を使用する場合には、映像を含む情報と言語を統一させる方が良いであった。若しくは幼児向きではない映像とするかである。


(※各種注群)
各種逸話を書きたかったが、時間切れで書けない。

(注C)耳からの語学の危険。
日本( NIPPON )→中国では読み方を変えて(ジッポン)と発音した。(多分1500年か2000年前)→英米ではそれを文字表現でJapanと記した→ドイツでは読み方はヤパンとなる:ラテン系ではジャポン:スペイン語圏では確かハポンとなると思う。

(注B)これは歴史全集から得た情報と思う。

1988年~89年を中心に日本史全集を数種約100冊、世界史全集50冊、歴史書百冊、政経関連数百冊…などから重要箇所をパソコンのデータベースソフトに打ち込み作業をしたのであるが、該当箇所がでてこない。当時のソフトは今では動かず、Access に移動したがその際のミスかもしれない。

勿論、2年間でそれほどの読書はできない。過去読んだものが相当あった関係でその程度を一日16時間、二年間かけて打ち込み作業を行った。もっとも、一日16時間とはパソコンの打ち込み作業のみならず、ノート整理や英語などの学習の時間も含めてであるが、文字通り缶詰状態で行った。そのときに英語関連でも面白い資料に幾つも出くわした。

一例が《『訓練教書』の誤訳例→『まなこ右』(かしら右の誤訳)→「中隊長が『まなこ右』と号令をかけると隊員は全員目玉を右に寄せて、流し目で通っていく…」{『世界と日本の歴史・11』(大月書店)、113頁、126頁、127頁》などである。その他、政経の大問題を引き起こした誤訳の話もどこかに記したはずである。

(注D)
演繹( Deduction )と帰納( Induction )については、拙著『親方日の丸』(Kindle、KOBO上下各百円)の第一部が 帰納( Induction )法で雇用能力開発機構を分析し、第二部が演繹( Deduction )法で社会保険庁を分析している。この本を認識論の視点から読めば両分析方法が理解できよう。
なお、両分析は見事に的中して、この書物の改訂版途中で社会保険庁が年金問題で炎上し、やがて廃止となり、現在の日本年金機構となる。
また、この改訂版をペーパー版でかきあげて、政府・主要国会議員に送付すると、雇用能力開発機構が解体となった歴史的書物ともいえる

だが、この文献を含めて膨大な文献で大学教授公募に応募しても、採用官の頭脳がついてこられなければどうしようもない(最低でも、この書物が年金問題の引き金となったことの背景を知らなければどうしようもない)。採用官は大半が私の教え子世代である。馬鹿馬鹿しい。社会科学系の大学教師ほど役に立たない物はない。日本の大学批判以上に大学教員問題を書き上げた原稿もあるため、今後紹介していこう。

その他
読者諸君が興味を持つ話は言語関係の話も含めて、山ほど持っているがそれを披露する場がない。HPやBlogでといっても、近所や親戚をつかって、山がどうだ、柿がどうだ、玉葱がどうだ、芋がどうだ、写真がどうだ、五円玉がどうだ、回覧版がどうだ…無理矢理付き合わされ、書く時間もない。
少しだけ今かけば次の問題もある。
ペリー( Matthew Calbraith Perry、 1794年4月10日 – 1858年3月4日)が浦賀に来たのは1853年である。
学校の授業では「黒船来航(くろふねらいこう)は、嘉永6年(1853年)」としてならう。そして、対応関係は今風に書いている。
だが、「ようく考えよ」。
ペリーが浦賀に来たときに日本人はどうやって対応したか。
英語などできる訳がない。
漂流か何かでアメリカにたどりついた関係で英語が少しはできる人がいたかもしれないが、その人物を浦賀に連れてくるには日数がかかる。飛行機も新幹線もない。
そのときの対応の実話などもいつか語ろう。

私は政経の講師であるが、日本史や世界史も全集で、それも数種類で読むように学生に何度もアドバイスをしていた。
ペリーが浦賀に来たのが1853年、Lincolnの奴隷解放宣言が1963年、南北戦争の開始が1861年である。当時のアメリカ情勢との関連抜きでは明治維新などの科学的分析はできないであろう。その話もいつか書こう。

人が ― 特に学生、生徒諸君、更には教師諸君が ― 興味を持つ話を山ほど勉学しているが、披露する前に、柿がどうだ、鍵が、五円玉がどうだ…と無視しても、我が家まで押しかけてくればどうしようもない。ひどい場合には私が独り言でも言ったことがない、●●ガレージがどうだ…に振り回されて、これではこうした知識も披露もできない、それどころか開業も仕事もできずに、国民年金のみでは老後破綻まっしぐらである。
こうして開業も起業への激しい妨害に遭っている。妨害がなければ最悪の場合には家でも塾などを開業して簡単に食って行けた。


(Ⅱ)Lil Dicky さんの「 Earth (Official Music Video) 」への🤡修正案

14-USA-No26-3Venue-2-

(1)この動画公開の前に動画の真上に記した注意書き。


(幼児が見る場合の注意)性教育ではなく、言語教育上、言葉の使用をまだ知らない
幼児などがこの動画を見る場合には先に父兄が見て判断をすることを推奨する。
父兄等がこのビデオを見せた後で言語の使用の仕方を教える自信があれば問題はない

動画の解説は長いため、新一言にでも収録するかもしれない。

大変良くできている。
しかし、映像は幼児や児童から対応しているが、歌詞はそうではないことからのトラブルが予想された。
幼児や児童が視聴して、親等に質問すると聞かれた人間が困る歌詞・箇所が幾つかあった。
幼児が見る場合の該当問題箇所と修正若しくは解説用浜田隆政案を早急に掲載。
まだ正式掲載か否か決めていないため、全体掲載終了後に再検討。

  • Lil Dicky – Earth (Official Music Video)

 

(2)この動画の日本語訳

上記の日本語訳付きビデオは下記をクリック
https://www.youtube.com/watch?v=n4-HhTUwLTU

Paper版での訳

https://ta-1106-2-complex39.hatenablog.com/entry/2019/04/19/161101

(3)言葉と画像の統一を(世界の歌掲載直前に記した浜田隆政即興修正案)

(言葉の使用の仕方を知らない幼児が見ることを前提で作製の場合は以下参照。それ以外は🆗か)
①dick=隠語・俗語でPenisを意味する。
浜田隆政案:👶赤ちゃん用造語”Dickie”に置き換え推奨。
幼児語、dog→doggie(ワンちゃん)、horsie(お馬さん)同様に「Dickie」を作る。
日本語にすれば「おちんちん」に該当する。
それでも子供がしつこく聞けば、この小父さん・Dickyさんのことと洒落で解説を数年おくらす。最後は冗談。

②Don’t you love to cum when you have sex?
代替案:Don’t you love to see Heaven (or Angels)when you have sex?
(セックスのときに…天国[or 天使]をみたくないかい)

③ Women orgasms are better than a dick’s.
代替案→Women pleasures (enjoyment, joys … ) are better than a “Dickie’s”.
(おかあちゃんの喜びは「おちんちん」さんよりも大きいのだ)程度の英語に。

④What the fuck? (他人の翻訳では)「まじかよ」でOKか?
浜田隆政案:Curiouser and curiouserとする。
ただし、Alice in wonderland同様にmore curiousとはしない。

⑤We love the Chinese. We forgive you, Germany.
…でドイツに対してのみ「love」ではなく「forgive」となっているため、
We are now friends with Germany.
(もう、俺たちはドイツの人とも友達なのだ)程度に変更が良いか。
Remember Pearl Harborは社会科の教科書のみに留(とど)めよう。

若(も)しくは⑤以外は言語はそのままで映像を男女の(なまめかしい)全裸画像を含む大人向け画像に変更する

(注意)

性教育ではなく、言語教育上、言葉の使用をまだ知らない幼児などが見る場合には先に父兄が見て判断をすることを推奨する。
勿論、父兄などがこのビデオを見せた後で言語の使用の仕方を教える自信があれば問題はない。それができない場合には、言葉を覚えかけの幼児などが、言葉の使い方を間違えて、歌詞の中の一部の語句を外で使用して大恥をかく危険性があることを警告しておく。
掲載した画像は変更しないという原則を持っているが、検討する時間ができた時点で、私自身が作製するYouTubeと置き換える場合もある。今回、検討する時間を奪われ、現時点では判断ができない。詳細は解説の箇所を参照。

このコンテンツ掲載の是非は、諸妨害で時間を奪われ、現時点ではできない。
(言葉の使い方を知らない)幼児・児童の場合には、まず、父兄が見た後で判断すること。私が気になっているのはミスマッチのみである。
歌詞自体は問題ない。映像自体も問題ない。比喩で言えば以下と同様である
アダルト雑誌は問題ない。幼稚園の存在も問題ない。だが幼稚園にはアダルト雑誌は置かない方がよい。
要するに、映像は(言葉をまだ十分に覚えていない)幼児・児童が好む映像である。他方、歌詞は言葉の使用の仕方を知った世代が見る言葉となっている。このミスマッチのみを言語教育の視点から気にしている。映像が幼児が好む動画でなければ良かったのであるが…、そうはなっていない。

即ち、幼児でも言語の使い方を知っていれば見ることは問題ない。だが、言語の使い方を知る前に、この動画を見ると、使い方を間違えて覚えて、幼児が店や病院などで、意味や雰囲気を間違えて使いトラブルにならないか、ということである。
性教育ではなく、言語教育問題を気にしているだけである

それでは、私が使用しなければ良いか。それを検討する時間を諸妨害で奪われ、判断する時間がない。如何に妨害されたかは私のX.comか日々日程表をみれば分かる。
現時点で考えていることは、今回掲載予定の一コンテンツを諸妨害で掲載できなかった。
そこでそのコンテンツと一定の時期に置き換えを検討する。
掲載できなかった一コンテンツは、私の写真と某音楽を組み合わせた、浜田隆政作製のYouTube版であった。そのため一朝一夕にはできない。

上記の(Ⅱ)は2024年1月23日~2月4日の間は下記にも収録。

第14回世界の歌・🇺🇸USA―第五部(Part 5)№26所収【第三会場】総合案内所

http://yasuragiblog.h-takamasa.com/

動画抜きでの解説では下記に常時保存している

【🎼世界の歌】🇺🇸US Part-5 №26解説。

http://h-takamasa.com/Blog/?service=32173

 


(Ⅲ)付録:🤡(私)がやった「粗茶」の大恥話

 

《◇6―3・拙著『日本のフィクサーME』より、国語音痴のボンちゃん(私)の話》

実話であるが、人名などが相違しているし、二人を一人に合成したりしている。
例えば、高倉君は親友の◎◎君(柔道と空手の有段者)と親友になりたかった▽▽君(剣道の有段者・国語が私と同様に苦手で某国立大進学者)の合成である。
これを読めば、私の語学苦手の土台は分かろう。


☆☆☆☆☆

☆☆☆☆☆
勉学面でも二律背反(はいはん)の性格をしていた。小学校時代は、家での勉強時間は本当に零(ぜろ)分であった。而(しか)も授業中もまともに授業を聞くような性格ではなかった。
そんなある日、小学校の算数の授業中に、教師が難問を出すが、これが解けたならば通知表で五(当時は五段階評価で五が最高)を出すと言ったことがある。こういうときだけは授業を熱心に聞く。そして解いた。正解であった。だが、授業態度は良くないし、家でも勉強はしない。教師は私に五を出すには抵抗があったようである。そこで教師は前言を翻(ひるがえ)し、もう一度問題を出す。今度こそ解ければ本当に五を出すと言った。私は解いた。

こうして結局五を貰(もら)ったことがある。だから、勉強は家でも学校でもする必要はないと考えていた。そこで、友人と遊ぶため、時には遊びのはしごをし、一日に何軒もの家で友人と遊びまくっていた。

当然中学校に入り成績は下がった。家や学校で勉強しないと成績が下がることを初めて知った。中学一年の終わり頃か二年初頭の頃である。それまでは、勉強などは学校に行きさえすれば点数は取れると錯覚(さっかく)をしていた。
他方、私の小学校高学年頃の愛読書の一つが『朝日年鑑』『読売年鑑』などであった。ほとんど隅(すみ)から隅まで読んでいた。しかし、『少年朝日年鑑』などは学校の授業に役立つが、『朝日年鑑』では小学校五年や六年の試験問題とは全く無関係なレベルのことしか書いていないため、授業用勉強はゼロとみなされた。

なお、ボンちゃんは国語、特に漢字が苦手であった。これには深い訳がある。否(いな)、単純な理由があった。我が家の近くで初盆の法事か何かがあった。そのときにお茶を出された。私はそのときに得意げに言った。

「僕はこのお茶の種類が分かる」
すると、周りの人がその回答を聞きたがった。そこで、私は得意げに言った。
「緑茶ではない」
「そう」と誰かが答える。
「これはほうじ茶でもない」
かしこい子という雰囲気がその場を覆(おお)う。
「番茶でもない。煎茶(せんちゃ)でもない。玄米茶でもない」
それでは何茶と言うか、周りの小母(おば)さん連中は興味津々(しんしん)となった。そうした周りの注目の中で私は言った。
「これは粗茶(そちゃ)である」

その場に居合わせた一部の人は笑い、他(ほか)の人は私の母親に遠慮し笑いを必死に抑えた。尤(もっと)も、これは母親が悪く、私が粗茶の意味を聞いたときに、面倒臭がって、「苦いお茶のことを粗茶という」と教えられたことに由来する。余りに受けたため、ブリキの勲章(くんしょう)に倣(なら)って、漢字の間違いをそのままとし、自らの勲章にするため、高校時代に私も漢字苦手組にいた。

我が高校は進学校であったが、〝田舎(いなか)の〟進学校という、形容詞〝田舎(いなか)の〟が必ずつく高校であった。この田舎の進学校では、何故(なぜ)か漢字の苦手な生徒が多く、比較的数学のできる生徒が多いという奇妙な学校でもあった。依(よ)って、我が高校ではas easy as pie(とてもたやすい)とかa piece of cake(楽な仕事だよ)という代わりに、易しい事柄はas easy as mathematicと言っていた。
例えば「Playing baseball is as easy as mathematic (野球をするなんて朝飯前だよ)」という具合に。逆に漢字は「A Chinese character is all Greek to me.(漢字はチンプンカンプンだよ)」と言っていた。

こうして、この奇妙な高校では、誰かが授業中に漢字を読み間違えると大受けをしていた。否(いな)、みんな心待ちにしていた。馬鹿にするのではない。田舎では授業の下手な教師が教材研究を全くせずに授業するため、みんな授業が退屈で仕方なかったのである。
そうしたときに当てられた人間が、漢字を読み間違えると息抜きとなり、みんなで大笑いをした。特に眠いときはそうであった。嘲笑(ちょうしょう)や馬鹿にするのではなく、親近感からの笑いであった。ここで、私は更に漢字は可能な限り覚えまいと決意を新(あら)たにした。

これは我が友・高倉君も同様であった。彼のときは特に期待が大きかった。毎回必ず間違うのである 。「……は御立腹(ごりっぷく)なさいまして……」を、「……はゴタチハラなさいまして……」と読むなどは日常茶飯事であった。そう言えば、彼とは中学も同じ学校であった。

彼は中学校の修学旅行で引率(いんそつ)の教師を真っ青にさせたことがあった。京都か奈良であったかは忘れたが、著名なお寺へ行ったときのことである。彼は何を思ったのか、有名な寺の境内の大きな木の枝に飛びつきぶら下がろうとした。
彼は「よいしょ」と掛(か)け声を掛けて跳(と)び上がったが、幸いに木の枝に届かなかった。もし木の枝にぶら下がれば、有名な寺の木の枝が折れていたかもしれなかった。教師は怒る前に驚き真っ青となり、やがてほっとしたようであった。教師も彼の性格を知っているため注意のみで叱ることもなかった。

なお、高倉君は浪人はしたものの、香川大学(国立大学)へ進学した。私も、遠方の田舎の地方国立大学にでも引っ掛かればよいと考えていた。別に国立大学でなくてもよいが、家に金がないため授業料が安い大学が良いである。
もし、地方の私立大学が授業料完全免除かつ生活費該当の奨学金をくれれば、それでもよい。田舎の地方大学には――失礼な言い方をすれば田舎の地方六流大学には――ロマンがある。番傘(ばんがさ)をさし、下駄(げた)をはいて学校をのんびり登校しようかと。

実際、関学に進学後、大学一年から二年にかけて学内を歩けたときは、首にタオルをかけ、下駄を常用して歩いていた。お嬢などは、「二メートル離れて歩いてとは言わないけど、一メートルだけ離れて歩いて」と良く言っていた。

因(ちな)みに、高倉君は、真面目(まじめ)で素直で、私の好きな性格の人物であった。彼は剣道と柔道と空手の有段者でもあった。とは言っても、全て初段であった。ところで、漢字を間違えたときの、この種の親しみの笑いは〝高校時代のみ〟と限定がついた。それは大学に進学してから知ったことである。

だが、他方でボンちゃんこと私は、高校時代から社会問題関係の文献を読むのみか、高校三年の夏ですら自衛隊の実地見学をするなど社会問題関連の勉学では優等生であった。これまた二面的性格を持っていた。勿論、これらは当時は学業の評価対象とは全くならなかった。

その結果、大学入試において、国語のない大学を探すという前代未聞(みもん)のことをすることになった。そんな大学なんてある訳(わけ)がないと思っていたら、一九六八年《2023/10/30訂正:一九七一年》入試では関西学院(かんせいがくいん)大学(関学)が該当していた。
そこで、私が高校三年中頃まで、名前も知らなかった関学を受験することになった。私が受験した年の同大学入学試験は、選択の仕方次第で、(国語抜きで)英語、数Ⅰ・Ⅱ、社会一科目の合計三教科で受験できた日本で唯一の大学だったからである。

英語のみ必須(ひっす)で、後は社会、数Ⅰ・Ⅱと国語の中から二科目選択というユニークな入試であった。これならば、数学で満点をとり、社会科で八十パーセントもあれば、英語では何点でもまず合格となる。苦手な国語はない。こうして関学に進む。
……
要するに、ボンちゃんこと私は、一本気で単細胞型のあっさりした天真(てんしん)爛漫(らんまん)な性格であるが、格闘技など一部の方面では勝ち気な性格をしている。頭の方は義務教育時代は全く勉強をせず、逆に大学に入ってからは本の虫に近い人間となる。

☆☆☆☆☆

拙著『日本のフィクサーME・上巻』(Kindle、KOBO各百円 or $1 )第2章・盧武鉉(ノムヒョン)大統領への伝言――日本の領土問題:第一節・ボンちゃん
☆☆☆☆☆

同上の引用部分のみは下記にも収録。

『求め続けて』第3部補章―3「岡短」での授業破壊活動被害と各種工作事件―

(6)・語学論と私の歩み―…日本語・英語大恥連続と早大院時代の修論(正式公開)

http://h-takamasa.com/Blog/?p=31307

『求め続けて』第3部補章―3・各種工作事件― (6)・語学論と私の歩み―…日本語・英語大恥連続と早大院時代の修論(正式公開)


資料類:今回清書しない部品の一部

1:内容。
2:応募者の当初の様子ーpp113-114。
3:『訓練教書』の誤訳例→『まなこ右』(かしら右の誤訳)→中隊長が『まなこ右』と号令をかけ
ると隊員は全員目玉を右に寄せて、流し目で通っていくーpp126-127。
文献『世界と日本の歴史・11』(大月)p113-、p126- 『世界と日本の歴史・11』(大月)p113-、p126-

□安保条約の実施を決めた行政

1953年芦田均→吉田首相に国会で論戦「米国にたいして、保安隊を『アーミー』という字をつかい、海上警備隊を『ネービー』という字を書いて、文書この交換をしておるが、日本国民にたいしては軍備ではない、自衛力だといって今日までごまかしてきた。」ー(p151)。

解体新書

明治時代には犬を「カメ」と呼ぶことがあった、というのは本当ですか。

回答

本当です。例えば、明治3年~9年に刊行された仮名垣魯文かながきろぶん西洋道中膝栗毛せいようどうちゅうひざくりげ』に次のように現れます。

当時海岸通りじやア、おれが面を見りやア、異人館の洋犬カメまでが尻尾しっぽをさげる

「カメ」の起源には諸説ありますが、有力なのは石井研堂いしいけんどう『明治事物起原』(明治41年刊)の記述です。これは明治時代の日本の様子がわかる代表的な文献で、「カメ」という名称について次のように述べています。

邦人、洋犬を呼びてカメとなすは、洋人の、犬を呼ぶに来れ〳〵カム カムといへるを聞きて、犬のことゝなし転訛して終に其の名となしゝなりといふ。

(日本人が西洋の犬を「カメ」と呼ぶのは、西洋人が犬を呼ぶ ときに「come、come(来い、来い)」と言っているのを聞いて犬のことと思い、音がなまって、ついには西洋犬を指す名前になったという。)

西洋人が犬に向かって「カム、カム」と話しかけるのを聞いて、西洋の犬は「カメ」というのだと当時の日本人たちが勘違いしたという説です。つまり、聞き間違いから発生したことばとなります。また、洋犬(西洋の犬)を「カメヤ」と呼んだ例もあります。

●https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-30/

ことばの疑問

少し大きめの国語辞典で「カメ」を引くと「西洋犬のこと」と記され、その語源について「明治初期、西洋人が飼い犬を呼ぶのに『Come here!』と言うのを『カメヤ』と聞き、『カメ』を犬の意、『ヤ』を呼びかけの意の『や』ととったことによる」との情報を与えたものもあります(『大辞泉』)。これは幕末・明治初期に横浜などの開港地を訪れ、そこで西洋人の暮らしぶりを見た人が、愛犬を呼ぶときの表現からその犬の名が「カメ」であると勘違いしたことから生じたものです。日本では、犬を呼ぶときに「ポチや、ポチや」と言うためにその類推から「カメ」を犬の名と分析したわけです。

 

ただ、ここで発音上の注記を加えれば、“Come here.” の “here” は強くは読まれませんので、 “have” や “her” と同様に頭のhが落ちてしまい、また、残る /iə/ も日本人の耳には「イァ」とも「エァ」とも聞こえますので、“Come here.” が「カメァ」と聞かれる可能性は十分にあります。

こうして、犬を呼ぶときの日本の習慣と発音上の問題とが重なり、しかも日本語で「亀」と呼ぶ動物が身近に存在することから、このような誤解が生じたというわけです。

ただし、このように分析すると、上掲国語辞典中の「『カメ』を犬の意」という部分は「『カメ』を犬の名」と改めないと論理的整合性に欠けることになります。

 

日本人が英語やその他の西洋語、さらに西洋文化と直接に接し始めた幕末・明治初期にはこのような誤解がさまざまな形で生じました。開港地の中でも特ににぎやかであった横浜には、日本語と英語とが妙な形で混じり合ったYokohama dialectと呼ばれる一種のピジン英語が行われていました。

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2024年2月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA