《🚧公式Blog準備中🔚》駿台真相編8-2・催眠活用と駿台事件、そして🛵おじょう(西山、🛵、🎬):

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《🚧公式Blog準備中🔚》駿台真相編8-2・催眠活用と駿台事件、そして🛵おじょう(西山、🛵、🎬):

【表紙写真】(📷表紙の写真:

 


【更新履歴】

2025/05/08から下書き開始:4/25から安らぎ文庫へ下書き掲載(非公開);

2025/05/11 から修正作業開始

2025/06/04 11:48から再開

2025/06/07 21:17大幅追加 2025/06/08 作業継続中 明日正式公開検討中→公開後は公式HPのみ修正。こちらは当面そのまま保存

公式Blog :https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=50939


 


「駿台真相編」構成⇒クリックで拡大、二度クリックで巨大

駿台真相編雛形-copy

 

【今回の構成】(今回も一万文字を目処も…どうも2万7千字余り。)

《◇―序》今回の内容全体を貫く柱(永久の世の映画説本質論)。
《◇―1・西山に絡められると、被害が何故40年以上続くのかという謎》
《◇―2》🤡我が家の住所番地を70年使い続けたZ3と駿台事件との謎。
《◇―3》☠(謎のXグループ)とは何か。👮警察官関与と利権?

上記は前回:下記が今回

【公開済み】
7-A群:1987年前半の刑事犯罪
7-B群・差別文書問題
7-C群・刑事犯罪の大がかりな仕掛けと状況
7-D群・駿台交渉資料編

【駿台真相編-8】
8-1:駿台時代を今振り返っても解けぬ謎(西山、Z3、👮)

8-2:催眠活用と駿台事件、そして🛵おじょう((西山、🛵、🌈)→今回の箇所
8-2:駿台時代の解けぬ謎と政治家介入、そして駿台辞職直後の世界



《🚧準備中》駿台真相編8-2・催眠活用と駿台事件、そして🛵おじょう(西山、🛵、🎬):

99-010-14-f

 

 



【今回の構成】(今回も一万文字を目処も…どうも2万9千字余り。)

《◇―序》今回の内容全体を貫く柱(永久の世の映画説本質論)。
《◇―1・西山に絡められると、被害が何故40年以上続くのかという謎》
《◇―2》🤡我が家の住所番地を70年使い続けたZ3と駿台事件との謎。
《◇―3》☠(謎のXグループ)とは何か。👮警察官関与と利権?

上記は前回:下記が今回、その下は次回

《後半の◇―序》

《◇―4》催眠類が多数使用と生活不可能問題。
《◇―5》🛵おじょうの涙と行動の謎とその後の世界(急遽追加項目)
《◇―6》政治家(安倍晋三等)絡みと、催眠強制・強制労働と彼らの利権疑惑

以降は次回

《◇―7》永久の世の映画説と現世の論理矛盾
《◇―8》駿台辞職直後の世界「閉じた窓にも日は昇る(文藝春秋用原稿から抜粋)」
《◇―9》「ポリテクカレッジ岡山時代に受けた危害」へのバトンタッチ論。


《◇―後半の序》

本日(2025/06/04)コンクリートミキサー車が多数走る。11:50 時点で90台を超えたであろうか。12:27時点では百台を超えたように思われる。

以前、コンクリートミキサー車が走ったとき、Z3の死亡、安倍晋三銃撃事件、(意味不明であるが)エリザベス女王の死去と続いた。死者以外のときには、住所二軒問題の本質に迫る原稿が多かった。何も起こらなかったことは過去には前例がなかったことを強調しておく。

本日、X.com等に記載した文書を掲載しておく。

☆☆☆(X.com)☆☆☆

浜田隆政@Takamasa_Hamada

25-155-1【🚛】10:11
既に、コンクリートミキサー車が我が家前を40台以上通る。
2022/7/8→下記を掲載すると同時に #安倍晋三銃撃事件 が起こる。👺#安倍晋三🤥
🤡生存している限り #山上徹也 最高裁判決は不可能が常識

https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545235485085552640?s=20&t=ELn_cds0IHSAn36zWWtJBw

2022/7/8のTwitter


■Retweet
https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545235485085552640

浜田隆政@Takamasa_Hamada
22-189-1【🥴催眠】
①昨日188-1~188-4は就寝中の🥴催眠で調べに従う。
実名及び💻画面はキャプチャー済み

②後に国際情勢について🥴語る。
🤡方針→本年年末迄は一切🤐に反する。

③本日もコンクリート ミキサー車が何台か。
→🤡は本日すべきことが山積で🥴独り言等🆖
掃除もしたい
✒11:35掲載
午前11:37 · 2022年7月8日

☆☆☆(X.com)☆☆☆

(2025/06/04の全体アドレス)https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1930070102223008065

(ReTweet部分)

安倍銃撃事件前

☆☆☆(X.com)☆☆☆

浜田隆政@Takamasa_Hamada

25-155-3【🚛】10:32
既に、コンクリートミキサー車が我が家前を既に60台以上通ったか

※コンクリート=権威=浜田稔(東大名誉教授)=Z3の父と同姓同名
Z家→我が家の住所番地70年使用。別住所も併行使用
ミキ→🧜お嬢の名の一部

https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545253782409203713?s=20&t=ELn_cds0IHSAn36zWWtJBw

2022/7/8のTwitter:襲撃直後

■ReTweet
https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1545253782409203713?s=20&t=ELn_cds0IHSAn36zWWtJBw

浜田隆政@Takamasa_Hamada
22-189-2【#安倍晋三】氏。
午前11:40頃、安倍氏銃撃され、#心肺停止 。
私とは…腐れ縁というか…がある。
しかし、斯様な犯罪は民主主義の危機。

安倍晋三氏の奇跡的快復を祈る。
✎12:48記載

安倍元首相 銃で撃たれ心肺停止か 40代の男を逮捕【速報中】 | NHK

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220708/k10013707601000.html
午後0:49 · 2022年7月8日

☆☆☆(X.com)☆☆☆

 

(2025/06/04の全体アドレス)https://x.com/Takamasa_Hamada/status/1930076072978330051

(ReTweet部分)

安倍銃撃事件後

 


《◇―4》催眠類が多数使用と生活不可能問題。

四つ目は、催眠類が多数使用されており、これでは生活は実質的に不可能な状態になっている問題がある。ここでは、催眠加害者群候補と催眠類のパターンを一部掲載しておく。

A催眠加害者

①催眠類をかける人間群で確定は、私の父・長姉及び🎬映画説グループ。

②最近では、近所の親戚類の疑惑もある。

③別に他グループによる催眠類もあるとしか分析できない理由は、Aという催眠類がかけられ、その通りに行動させられると、後に眠くなり、仮眠するとAを否定する催眠があり、「即座にAの取り消しをしておけ」という指示があった経験が何度もあるからである

前者の中には政府関係者、警察官、☠(謎のXグループ)のいずれか、あるいは複数がいるとしか思えない。

B:催眠の形態

催眠類の型の主なものとして以下がある。後日精緻化して、催眠からの防衛に活用したい。

Ⅰ:強引型

Ⅱ:説得及び自然型

Ⅲ:暴力及び催眠自体が拷問型

Ⅳ:全く自然とおもわさせる型などである

Ⅰ:強引型(抵抗不可能型)

更に細かく分けると3つのタイプがある。

a:催眠とは思わず、強力な形で意思をそのものを大きく変更させられる場合である。

例:高校時代に柔道部から部落問題研究部への転身。

異性問題で言えば、高校時代ならば、部落研究部ミズシマ熱やフナダ熱。それも前者から後者へは数十分で転換させられる。これは岡山の予備校でも行われたタキザワ熱やヨシダ熱でもある。

b:催眠類とか奇妙であると分かっていても、抵抗不可能型。

例:2000年以降の村の川付近の鯉のぼり撮影。撮影前も撮りたくないと延々と抗議と抵抗した。撮影中も「なぜ、私に撮らせるのか。撮りたい人が自分で撮れ」とぼやき回ってとっていた。撮影後も怒り心頭であった。

特に、あの頃はフィルム式カメラのため膨大な費用がかかるし、写真は商売道具であり、原稿に挿入するかCM用でしか撮らないと言ってたにもかかわらず。

類似例が駿台の西山美千代熱である

私は生き方が違うのでNo、更に性格は不明でNo、容姿も私好みではないのでNo(あの頃は西山と1984年1月頃に火花を散らした高校生コースの子などが好みの容姿であった)。

相当(約半年ほど)抵抗したが、最後はⅠのa型催眠に以降させられた。ちなみに、休み中などに、私は西山に会いたいとか顔を見たいと思ったことは一度も記憶にはない。催眠がとけた(1986年春)後は思い出すことはないが、無理矢理催眠で思い出さされ、常に無茶苦茶をやったと怒り心頭である。なお、西山らしき人物に1996年か97年頃にホテル関西の前で出会った可能性がある。そのときに「あなたの顔を二度とみたくないので出てきてほしくない」ときっぱりと言っている。

ただし、人間違いをおそれ、大きな声では言っていない。

c型:突発型催眠

思いもしないことを突発的に言わされたり、行動をとらさりたりした催眠である。

典型例は1997年岡山県英田郡美作町巨勢下倉敷の交通事故である。

徐行をめざして、遠方の後ろの車にも全て抜かせ、15~30キロで走行予定でいた。ところが、大型トラックのセンターラインを見て、怒り心頭となり、アクセルをふまされた。踏み間違いではない。

一瞬脳裏に「トラックに対して、このやろうぶっ殺してやる」に近い心情でアクセルを踏んだからである。だが、トラックは対向車であり、トラック目当てならばUターンしてそう思わねばならない。Uターンをしていない場合には前方には善良な歩行者が飛び出す危険のある急カーブである。

あの頃、私は手記で「善良な人の命は私の命にかえても守る」と何度も車の中で復唱したり、各種記録に書き続けていた頃である。

女性への類例では、大学のときにお花さんにデートを申込み、相手は快諾。その後で、「友人のMも行く」と言わされ、相手は失望かつそれが遠因ともなり破局した。この時の余分な一言のときには長姉はおかしさをこらえられず、押し殺せずに漏れ笑いをしていた。(長姉の家から電話したため)

●参考Blog

ちなみに、友人Mにはその趣旨の相談は一切していなかった。そこで慌ててMに電話をしたが、「今、忙しいので無理だ」と言ってくれと願って電話をすると、「お、よし、一緒に行ってやる」であった。この段階になると長姉はもうバレてもよいといわんばかりにケラケラ笑っていた。長姉が絡んでの催眠類であったのであろう。

目的は「男はつらいよ」型と、私の伴侶としては🧜お嬢がいるとの既定路線があったのであろう。

同様の突拍子もない突如の言動が1985年夏前の駿台講師室係女性・横家への「待っていてほしい」言動である。

言った私には何のことか意味が全く不明であった。言う予定も、その種の計画も、それどころか横家が講師パーティの受付にきていることすら知らなかったのだから。完璧な催眠の証拠は、1985年一学期に駿台の岡田課長との間で、私が駿台職員女性とつきあいたいと思った場合には必ず岡田課長経由で行うと確約をしていたからからである。

岡田課長が念押しで「絶対に自分からは言わないでください。僕が代わりに相手に意思を聞くので絶対に僕を通してください」で確約をした直後だったからである。しかも、(駿台京都校二号館講師室係女性)横家は岡田課長(駿台京都校二号館の責任者)の直属の部下でもあった


Ⅱ:説得及び自然型

a型説得型催眠
予算上から2017年東京に行く予定はなかった。ところが2016年終わり頃から、「東京に行け」という催眠が頻発する。私は予算上、もう無理であると断り続けた。すると、催眠が「起業から手を引くといっても、母校の一つ早大にいかずに手を引くのは怠慢である。学生・教職員数6万人以上、同窓生百万人、家族をいれればその数倍…の市場での営業活動抜きで、起業を諦めるのは怠慢である」という連続催眠で、本格的なインタネット活動を縮小する前に早大に行かないのは怠慢と考えさせられ、東京行きが決定した経緯がある。


類例とすれば、2014年春萩市と光市、2015年黒部ダムと長野、松代(野麦峠には行くが、黒部…等は予算の関係で行く予定は当初は全くなかった)。2016年の長崎行きも同様である。

1985年の西山好きな振り詐欺第4段も同様であった。私は無視を原則としたが、既に書いた如く催眠が「このままでは授業がやりにくいだkではなく、何が何やら分からないであろう。ともかくOffSet (相殺)というよりも、初期化(元に戻す)しておけ。…で一言複数会談申込みとなった」。


b型:自然発生・自己意思と思わせる型
今月の歌・世界の歌などは、恐らく催眠での拡大であろう。私は音楽は知らないし、余り興味はなかったからである。もっとも、これは説得があったためa型とも言える。

更に、執筆業は1988年頃から主たる目標としたが、私が一番苦手が音楽・絵画等の芸術、次が国語等の語学である。更に、嶋坂先生がポリテクカレッジ岡山で私と袂を分かつ前に松本清張そっくりの唇をして、私の将来を示唆した疑いがある。すると、執筆業も私の本来の意思ではなかったかもしれない。

Ⅲ脅迫型及び拷問型催眠

a:拷問型催眠

何でも良いので、催眠独り言を強要し、私の肉体へのダメージを図る催眠である。この代表例では二つの事例があり、両方とも安倍晋三絡みの疑惑がある。

一つは、私がFieldWork先で何かを言うと、世界から膨大なスパイ網がいるため、困る。その典型例が2013年中国上海での演説である。それを阻止するため、先に催眠類をかけておき、延々と無駄なこと、無意味なこと・同じ事の繰り返しをさせる。こうして、エネルギーを奪い、他の政経関連などの独り言を遮断するやり方である。その典型例が『日本のフィクサーME・Part3』第4章で登場する野麦峠への旅などである。

もう一つは『日本のフィクサーME・Part4』該当の伊勢志摩サミットの箇所でかいたように、G7に併せて『今月の歌・日本(さくらさくらと荒城の月)』を準備していたが、約束が守られていないためことにした。すると、それでは困ると言わんばかりに、予定通りにやるという迄、徹夜でオウム返しで言わされ、体がもたなくなった。すると特高の拷問の如く、多少体が回復するまでインターバルをとり、再度、徹夜拷問である。これでは体がもたぬということで、見切り発車で2016年5月と6月の「今月の歌・日本」特集をしたことがある。

b:脅迫型催眠

現在を例にとろう。村の訳の分からぬ仕掛けやトラブルがある。事実的事項のみ羅列し、後は完全に無視しようと考えた。すると、催眠が「🎬映画説の話題提供ができなくなる。それならば、話題提供は大病との闘病生活とするか。丁度、1990~94年の如くに。」と、脅してきた。「闘病生活よりは村人への対応の方がよかろうが」、と確かに、大吐血数回や救急車での搬送、長期入院の繰り返しよりは、マシと言えばマシである。

自家用車類も同様である。「また乗れば、1997年の美作市巨勢下倉敷同様のことが起こるぞ」という脅しであるその結果、岡山市等での予備校・塾等のバイトは不可能とさせられた。

(Ⅳ)催眠かどうか判断不可能な事項


例えば、私は高校の頃から学校の教師を目指した。それは本当に私の意思であろうか。過去のバイトで最適かつ褒められたのは力仕事オンリーの仕事であった。
学校に該当する塾などでは生徒が懐きすぎるというよりも、友達感覚でじゃれまわり参った。他方、鉄パイプや庭の増築ア行などの力仕事では褒められ通しであった。またそうした仕事が好きでもあった。


私はスポーツ音痴であるが、柔道だけはちがっていたように思えた。腕力はあるし、体もつくられつつあった。今より痩せていた頃でも胸囲は105㎝あったときもある。体は柔軟であり、ブリッジなどは好きな練習であった。腕立ても、今思えば楽しい、当時も家に帰れば楽しかった。

柔道とか力仕事を止(や)め、教師業や執筆業に走ったことを、私は「道を間違えた」とよく言うことがある。


大学類も本来はどうでも良かった。教師と植え付けられたので教員資格のための大学進学である。大学も、何度も書いたように、「田舎の六流大学で、番傘をさし、タオルを首にまき、下駄を履いてあるくという学生生活を夢見たこともある」。何故、六流大学がよいか。お山の大将でおれる。同時に、訳の分からぬ学園紛争等もない。偏差値類とも無縁である。学生も素朴であろう、と。


肉体労働のバイトをして、帰りに友と一杯と言いたいが、私は生涯にわたり、アルコールは飲まない予定でいた。父や叔父が酒に弱いので私も層だろうし、おいしくもない。金もいる。そこで、ギャンブルやアルコールは一切しない方針でいた。


両方とも長姉の誘導で壊される。パチンコは私が中学か高校の頃から大阪に行けば姉夫妻が「隆政、パチンコに行こう」と。姉の子(甥と姪)には「これから小父さんと🏥病院に行ってくる」などの嘘を姉がついた後でパチンコ屋に行っていた。その癖で大学時代はパチンコに凝ったときがあった。金は。ノートを几帳面にとるか、出る台を暗記しておくと、年間を通せばプラスマイナスではマイナスにはなっていない。僅かなプラスの可能性すらある。今と異なり、コンピューター導入前である。


酒類も同様であった。姉夫妻のところで義兄によく飲まされた。もっとも、これは祖母も関与していた。

小学校の頃から祖母が「隆政、ウメシュ」だ。

私が「酒は飲んだらいけないのでは」
祖母が「これは酒ではない。ウメシュだ」と。


因みに、通常の焼酎はアルコールの度数は25%(25度)である。家庭でつくる梅酒用の焼酎は35%であった。少し割っても、日本酒とビールの中間程度のアルコールの強さとなる。ときには日本酒程度であろう。ちなみに、祖母は死ぬまでウメシュを酒ではないと信じていた。


祖母にとっては「梅酒」ではなく「ウメシュ」か、多少英語を知っていれば「Umeshu」であり続けた。参考(ウィスキーが大体41度・%である。ビールは当時は3%、今は5%が主流である。日本酒とワインは一般に15~16度(%)である。ウォッカが48%であろうか。

家庭でつくるウメシュは8倍に薄めてもビール並である。私の祖母が悪いのではない。その頃に車で親戚に行ってもウメシュを出す家が何軒もあった。姉などは一杯飲んだだけで真っ赤な顔をして気分が悪いと暫く車に乗れなかった。運転車は私であった。もう時効であるが、飲酒運転に関する老人・特に老婆教育は重要であったのだが。ブランデー入りのチョコボンでも、菓子類ではなく、含まれているアルコールの度数(%)と量、即ち数値だけが重要なのである。形態ではない。



要するに、田舎の牧歌的な大学ならば英語や漢字を間違っても、楽しい笑いでしかない。更に、立地は一般的に牧歌的な場所が多い。

だから、今の私の道は私の意思か催眠で誘導されたものか不明である。


駿台では、上記の幾つものタイプの催眠類が多数使用されていた同時に、それらを組み合わせれば、幾らでも契約外労働・貢ぎ労働・奴隷労働は可能となる。駿台でもやられたが、それを本格的に実践したのが労働省の職場・ポリテクカレッジ岡山であった。

(Ⅴ)催眠と女性

デカルトは全てを疑い、「我(われ)、思う故に、我あり」と言った。他方、私は催眠類で動かされているため、「我、思わぬのに、我あり」となっている。

そして、1952年以来の人生を振り返ると、話題提供至上主義と、目的は成就できぬ運命におかれている。更に、多大な時間をロスさせられ、《◇―7》《◇―8》で記す、永久の世の世界では時間という概念がないため、時間という概念をたたき込もうとされているようである。

来世には恐らく、物質が存在しないため、個(individual)という概念もなかろう。そこで、男性とか女性とかは存在しないと思われる。だが、それは来世の世界であり、この世では全てが物々交換の世界である。何度も記すように物を得るには物々交換となる。ただし、💰を媒介として。食品=💰(お金)。私の労働力商品=💰(お金)。食品=💰(お金)=私の労働力商品の価格という方程式である

そこで、駿台の如く、契約外労働、強制労働、賃金不払い労働をさせられると餓死する。賃金は支払っているは嘘である。女性ドタバタ劇に強制参加させた代価は一切支払われず、逆に、賃金対象の授業は駿台自身が妨害をした。その図式の延長が(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(能開大)であった。

さて、この話は後でするとして、ここではもう一つの要素、女性(異性)というものについて記す。

私は伴侶をMy better halfと記す即ち、伴侶がいなければ、私は半分しか存在できない。性は食事や排便と同様の生理現象であり、My better halfとは必ずしも関係がないときもある。ただし、一般には(現在は)統合され、同時に双方に嫉妬という概念が存在し、それを約束(契約)で固め、その契約を守る義務が生じるだけである。ともかく、私はMy better halfを求めて結婚を願っていたのである。

ところが、そのMy better half探しにおいても、随所で催眠が使用され、私の意思を離れて女性を好きになることが余りに多いというよりもほぼ全部そうであった。

これへの対策はない。催眠は全てであるから

ただし、催眠を暴露し、それを記録に残すことは可能かもしれない。催眠の暴露は、私の基本的指針を長期書き続け、何度みても、これで間違いないという指針類をたてることである。それに反していれば全て催眠としてガラス張り公開するしか手はない。

写真などは「仕事以外は撮影しない」を随所で破られたため、今は基本指針を記し、催眠撮影時には催眠暴露を早急にやることとしている。

女性についても、早急に指針をたてた方がよかろうどういう女性を望んでいるか、どういう結婚生活をしたいか…という指針である。それに反した女性熱は全て催眠として記録しておく。予防にはならなくても、それしか手はない。

催眠の存在を知らない頃から、そうした発想はあった。しかし、私は福山雅治型ではない。すると、私に好意をもつ女性は少ない。更に、金はない。容姿は見ての通りである。その私に興味を持つ女性ならば、問題はなかろう。そこで、興味をもつ女性の中から、伴侶を選ぶという方式であった。友人のエミ君が大昔、「僕は浜田を好きになるような女性が良い」と言ってくれたことがある。お世辞もあろうが、私に好感を持つ女性は少なく、簡単に伴侶を選べるはずであった。

ところが映画説…で嘘で好感をもったという振りをする女性が登場し、ちぐはぐとなった更に、今日の貧困生活は大昔からの既定路線(シナリオ上)のため、これでは結婚して子供でもできると、この世ではさすがに、問題が大きいということで、独身を強いられたのであろう。

大昔の私の指針は「私を好きになってくれる女性」なら間違いが少ないため、更に人数もほとんどいないため、簡単に決まるであろう、であった

ところが、駿台予備学校で、好きな振り詐欺の集団が登場してきた。こうして、先の指針はガタガタになり、おまけに、Z3との人間違いから、Z3に怨念をもつグループが関与したようである。



また、一定の時期から、指針をつくる必要性がなくなったこともある。

即ち、私が伴侶をえることが可能ならば、🧜お嬢であると先に結論があると、何度も、様々な所で聞かされている。明確に聞いたのは1994年頃か1999年頃であろう。


だが、漠然と臭わされたのは今から考えれば、18歳(1969年)頃のようである。決まっていたのは更に早く、私が中学校か高校の頃の可能性が高い。それが原因で関学という大学に行かされたようである。関学に行って知り合ったのではなく、その逆である。

この女性は「奥様は🧙魔女」型であり、🧜お嬢1号、2号…として様々な所で登場したようである。私は🧜お嬢はよく知らないが、お嬢1号、2号…は感じ良かったので、それならばそれで良いということで、女性に関する指針はつくるのを止(や)めた経緯がある
どうせ、🧜お嬢できまりということで。


だが、🧜お嬢は関学ではアイドル(マドンナ)型の人気女性であった。そこで、私を口説けば、すぐに決まる。それでは面白くないということで遊んでいたそうである。
要するに、この世で万一結婚するならばお嬢類で決まりと結論がでていて、私も異存はないということが全てである。
ただし、誰がお嬢群か不明のため、私の方は待ちの一手となる。

なお、寝ているときの解説では、嘘か本当か知らぬが、叔父(私の父の弟)がどこかで見つけてきたそうである。再度言うが全く当てにはならない。

そして、次に《◇―5》で記す、🛵おじょう(🌈)は、親友に言わせれば、🧜お嬢だそうである。
私は言いたい。いい加減にしてくれ、と。


ただし、例外が一つある。🧜お嬢がご破算となる可能性が一つある。

西山ファームの西山美千代社長の箇所で、「山﨑も悪い」という書き込みと、「あんたの奥さん」という書き込みがあった。前者は駿台の山﨑春之氏(当時の理事長)を指していると思われる。
後者は、随所で一人二役が強調されたため、簡単に言えば、駿台講師室係女性・西山美千代も、🛵おじょう(タナカ)も🧜お嬢(ミキ)の一人二役だという説である。
もし、それが事実ならば、🧜お嬢で決まりで待ちは中止となり、🧜お嬢とは縁切りとなる西山美千代という女性は、かなり悪質な行為を故意にやった女性である。私は、彼女の行動に耐えうることは不可能である。

これが事実ならば、長期に亘り、🧜お嬢で決まりと言う路線は破棄されることになる。西山という女性の駿台での私に対する行動は、私の性格では耐えうるものではない。この心情は1988年以降一貫している。1986年と87年はそれ以上に西山という女性の存在すら忘却していた。それが催眠というものである。


当初《◇―5》を書くのは時間のむだと考えていた。何故ならば、🧜お嬢の遊びだからである。まともに解説すべき事項ではないと考えていたからである。それを起床するや、強制催眠で延々と書かされたものである。映画説グループのエゴ丸出しの強制であった。
もはや、人生の時間がないため結論を記す。🧜お嬢=🛵おじょうである。


先に上記を書いておけば、《◇―5》の長い文書は書かずに済んだかもしれなかった。
ただし、再度言えば、加害者・西山美千代、被害者🛵おじょうで本当は一人二役という図式には人道上、ついていけないため、その場合は「お嬢類できまり」という図式はご破算となるであろう西山という女性の行為にはそのくらい頭にきているのを逆の印象操作をするとは卑怯千万である。

西山美千代という女性が人間性を維持できる唯一の道は、彼女がターゲットとしたのが浜田隆政ではなくZ3であり、更にそこに誰が考えても納得できる理由があったときのみである。その場合には一人二役はありえないともなる。🧜お嬢が人間違いをするはずがないからである。

懐かしいと思っていた人間・🛵おじょうが仇討ちだと猿芝居をし、40年ほど頭にき続けていた女性(西山)に私が長期熱…という出鱈目なシチュエーションシナリオに付き合う人生の時間はない。西山熱は催眠であげさせられた1984年1月から1986年3月の深見係長の電話までである。このときの受話器を置く也一瞬にして脳裏から消えた。それが催眠である。それが証拠に岡山でタキザワ・ヨシダが登場してくる。

私の心変わりが早いか。それは嘘である。遅い

🛵おじょうは1995年春まで、若しくは西田ひかるが打ち砕くまで、復縁の可能性は2001年頃までであり、長い。🎎お嬢はもはや中性となったが、未だに付き合いがある。もう54年目となる。🧜お嬢と出会ってからは55年目となる。🎃オジョウとは本年で26年目となる

いつまでも出鱈目なシナリオに付き合う必要はない。しかも全部イコールならば55年連続で切れ目なしとなる。ただし、西山だけはイコールの場合には、一生独身でも、終わりとすべきと考えている。


《◇―5》🛵おじょうの涙と行動の謎とその後の世界(急遽追加項目)

2025年6月2日未明に四つの音声吹き込みをした。そのときに、奇妙なことに気がついた。

2025年6月2日-01:47伊藤詩織と東京教え子

2025年6月2日-02:04伊藤詩織と東京教え子2

2025年6月2日-02:16🛵おじょう(タナカ)

2025年6月2日03:38-平野真理氏は犯罪に関与したか否か

以下は思いつくままの下書きであり、後で、大幅に修正をする。

上記の4つは全て、おじょうの涙に関する内容である。

疑問点から記す。

🛵おじょうと事実上決別になる際のおじょうの涙である。疑問点を過剰書きしてから解説を行う。

①人間の涙はあれほど大量にでるのであろうか。人間の物理的問題である。

②何故、あれだけ泣けるのであろうか(まだ付き合って4ヶ月目であり、🤡私の顔は福山雅治ではない)

③過去の女性が虚構の泣き方を事前に示していた。(🎎お嬢・カマタの涙は一滴もでない嘘泣きであった。東京の教え子は、既に記した如く、鼻をつまんでの物理的な涙であった。

④🛵おじょうは、後に私が傷つかぬように事前に用意周到に準備をしていた疑惑ある

⑤🛵おじょうとの決別は、彼女を含む🎬映画説グループの既定路線であった疑惑。さもなければ横家・後藤は登場できない。その場合には西山に幾ら振り回されても、人は私に同情するだけとなる

🛵おじょうとの決別場所を京都に操作した理由。(実際にはその3日前に大阪で別れていた可能性が高かった

⑦🛵おじょうの涙は私にではなく、別人に見せる目的の涙であった疑惑。(私が気になったのは、おじょうの涙よりも、側にいた男の子がおじょうの涙を凝視していた姿であった。)この点について、昨夜、平野真理氏関連に見せる目的での計画か罠であったと催眠が解説をした。真偽は不明である。もし、事実ならば、平野氏は🎬映画説グループの罠にかかったとなる。催眠解説をそのまま、後で記載する。

⑧🛵おじょうの復讐の欺瞞(おじょうへの最終手紙は1987年後半か88年前半である。2000年の覚書では1986年に復縁を求めたと記載があった。だが返答はなかった。同時に、復縁は🛵おじょう次第では2001年まで可能であったし、私もそれを望んでいた。

⑨私への催眠と西田ひかるの役割。

⑩🛵おじょうと私。そして、今後の…。

①~⑩の順番を無視して、思うがままに記す。必要時には後で整理する。

🛵おじょうとの別れと思わされたのは、1985年2月末か3月初頭である場所は京都である本当はその3日前に大阪で決別となっていた可能性が高かった。

その話は後で記す。ともかく、深刻な亀裂となったとき、🛵おじょうの目から大量の涙が流れ続けた。当時も不思議であったが、物理的に、生理的にそのような大量の水分が目から出るのであろうか、と当時驚き、今は疑問に思っている。

というのも、各種事項は🎬(映画)説の関係で全て予告されていた京都女子大卒の女性の好きな振り詐欺が予告されていたことは既に記した。倉敷市で労基法違犯に遭うことは1981年の倉敷英数学館の労基法違犯で予告されていた。ちなみに、後者で嶋坂先生に出会う。彼が後にポリテクカレッジ岡山の教壇に私をたたせた人物である。

女性の涙についても事前に予告をされていた。

関学時代のお花さん(ハナオカ)さんが泣いたのは松田聖子型であった。勿論、私が女性を泣かすことはない。多忙さに苦しんだことによる彼女の涙であるが、水は余りでていなかったように見受けられた。次が、同じく関学時代の🎎お嬢(カマタ)である。こちらに至っては、見てる私が恥ずかしくなるような出鱈目な嘘なきである。涙どころか、泣く演技も無茶苦茶。当時ですら「●●さん、よくやるな」と声をかけたかったが、「いいじゃない。わたしが面白いんだから」とふてくされるのを警戒して、見ていた。「ようやるな」と呆れかえって見学をしていた。何故泣いたのかは、当時も、今も不明である。いな、誰が見ても分かる嘘泣きであった。

東京で教えた教え子の涙も後を暗示していたかもしれない。これは既に下記等で紹介した。

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(参考Blogアドレス掲載)●

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私が伊藤詩織氏と後に対談したときに、彼女が「バリバリ」と奇妙なことを言っていた彼女はブラックボックスという本を書いたが、この女の子の涙のブラックボックスを解説しよう。要するに、鼻をつまんで息を思い切りだし、物理的に涙を出す方式である。何故、そのようなことをしたかも後に記そう。私の長姉が絡んでいたことは間違いないこの女の子の母親も協力して、家を留守にし、窓のブランドを閉めて出て行かれた。妹もどこかに疎開させて。

そして、彼女が私を怒らせる。腹は立たないが一応小言を言う。すると、彼女が泣こうとするが涙がでない。「ちょっとまって」と言って、鼻をつまんで息を思い切り吹き、目から水分を出そうと試みる。本の少しでてくると、「じゃあ、続きをはじめようか」である。当時はあきれたが、かわいらしいとも後に思った。

これを映画にしよう。🎬彼女が私が親しくしてくる(小学校5年、6年といっても小学校4年生程度の体格である)→🎬🙅私を怒らせる(ここは放映しない)→🎬母親が窓のブラインドを閉め、先生「ちょっと出かけてきます。1時間程度で戻ります」の場面を写す。→🎬窓のブラインドと密室を強調して長々と写す→🎬👩(女の子)の涙から再度家の中を写す。するとブラックボックスの中身は鼻つまみであった。これが伊藤詩織が私にふってきたバリバリ事件である。

この子のお母さんはときどき、笑いを我慢していたフシが随所にあった。何故斯様なことを。🎬映画説グループの長姉に頼まれたのであろう

ちなみに、👧この女の子と週二度教えていたが一度はこの子ともう一人の子カマタサヤカさんとを同時に一対二で教えていた。彼女(カマタ)さんは、後に中村メイコ番組「パパいってらっしゃい」(NHK)で一時間番組に二度登場している1984年春のことである。この後で西山✉事件が勃発する。なお、カマタさんが📺(テレビ)に登場したときに、🎎お嬢は岡山に引っ越ししてきて一軒屋をかりていた。そこで、🎎お嬢に、「教え子が📺にでているので見てくれ」と電話をしたことを覚えている。ちなみに、お嬢の今の名字もカマタである。

これらの黒幕の一人が私の長姉である長姉が死亡したときに、👩(女の子)の母親が「ご愁傷様です」と言いながら、クスクス笑っていた謎もとけよう。

同時に、カマタさんが登場したのは中村メイコ番組である。姪子である。こうしたダジャレが随所に散りばめられ、私は後には喜劇のドタバタ劇にしか思えなかった。👩(女の子)に思い切り、私の手を噛ますことを指導したのは私の長姉であろう。通常は思いつかない。この発想は、長姉の長男が幼少の頃、私に戯れてやっていた遊びである。私の長姉の指導であろう。

本来ならば結婚となっていたかもしれないお花💐さん★(※)との関係を潰したのは私の長姉である。催眠悪用であった。関学に押し込んだ人間の一人も長姉である。理由は後に述べる、この世で私が結婚するならば🧜お嬢(Miki)ときまっていたそうだからである。この🧜お嬢は、結論から言えば、信じようとまいと変身をとげる。ここも一つのポイントとなる。ササヤマ在住の友人は「🧜お嬢→🐬(水俣で出会った女性)→🛵おじょう(タナカ)」は同一人物と終始言い切っていた。

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(参考Blogアドレス掲載)●

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話を元に戻そう。

いいですか。私が🛵おじょうと知り合ったのは1984年11月頃だ。彼女との言い合いが1985年2月末前後だ。しかも、同棲をしている訳でもない。頻繁にデートをしたといっても、8回~15回程度だろうか。もっと少ないだろうか。肉体的関係の深さは無関係であるが関連づけても、⛸の橋本聖子と高橋大輔類と…布袋と安倍昭恵の中間程度と言いたいが、前者に近い。それでも出会ってすぐではない。


すると、万一、物理的手段ではなく、感情から泣くということがあるだろうか。私は木村拓哉や福山雅治とは違うのだ。顔が違うのだ。ただし、彼らが上とは書いていないが。

出会って4ヶ月未満、恋人雰囲気になって1月余り…で、万一、別離となっても、あれだけの涙がでるだろうか。
彼女の性格ならば、他の男性などは簡単に見つけられるであろう。
実際に、仲人さんは、人気№1の子だと言って、私に紹介をしてきたのだよ。


私に代わる男性などは簡単にいるだろう。
再度言えば、どちらが上かは言わないが、福山雅治や木村拓哉とは顔のカテゴリーが相違している。
イーロンマスクの如く金があるかと言えば、私は非正規労働者である。
授業などで生き甲斐を求めている…と言っても彼女は教師ではないし、第一、私の授業を聞いたことがない。そして、🛵おじょうは男性にも結構人気がある
付き合いの期間は上記である。短い。
何のための涙だろうか。
ただし、感情移入で泣くとすれば、🧜お嬢(Miki)=🛵おじょう(タナカ)のときだけである。ところで🧜お嬢(Miki)はモテモテであり、何故、私に…の謎は最後で検討しよう。


それでは、私の言動で悲しみが…は違う。実際ならば別れる寸前はその数日前の大阪ナンバだったのだから。その話も後で記そう。何故、彼女が私と別れる必要があったのかは、今ならば、簡単に説明できる。結論を言えば、🛵おじょうにとって事前に別れる時期は決まっていたのだから。


当時の流れを見れば一目瞭然となる。

(2025年6月4日 17:57から再開)

当時の流れ
🛵おじょうとは、1984年末から頻繁にデートをするようになっていった。
私にとっては事実上の初デートとも言えた。

私が多くの女性とデートをしていたと後に知ったが、🎎お嬢が典型例の如く、今から考えれば片側通行のデートであった。
相手が私に寄り添うときには必ず言う。
これが「(付き合っている)●●さんだったらいいのに」と。
単純な私は友人でもある●●さんを意識すると同時に、これは私に恋心を持って寄り添っているのではない、と考えた。

要するに、誰も相手をしてくれなくてふて腐れている犬が、知らぬ人を見て喜びはしゃぎ回るのと同様である、と。そこで、絶対に何かやましいことを考えてはならない、と。
女性にもたれかかられても、これは恋とか異性とかではない、と。
相手がそう考えていなくてもである(相手は甘えて楽しむ、私は女性とみてはならないと耐える。これをもってして、サゾ女性と言わずに何と言おうか)。


あるいは、結婚する意思を持てない女性に誘われてどこかに行く時も、同様である。これは、付き合いでの食事であり、デートではない、と。
そこで、結婚を前提にして付き合う女性と様々な所に行ったのは初めてであった。
1985年前後に行ったのは鳥取・小浜、那岐山近くの菩提寺、私の言いつけの場所・大芦高原(第二次安倍政権で安倍昭恵が真っ先に来た地)…と。更に駿台の授業が終わる度に、可能な限り食事を共にした。

1985年1月に🛵おじょうを我が家の両親にあわせ、同じく彼女の両親にも会った。そのときに彼女の父親が「うちの子とどういうつもりでつきあっているのか」と聞かれたので、私は「結婚前提でつきあっております。私は早く結婚した方が良いと言っていますが、彼女が何かしたいことがあるので最低でも一年間はできないと言っています…」{2000年の覚書を読むと一年ではなく三年となっていた。少し長すぎると思うが…}。
すると、父親が「うちの子がそう言っているのならば仕方がない」であった。



彼女との付き合いは1985年2月がピークだったかもしれない。
2月4日は彼女の誕生日でデートをしてバラを贈る。
次に京都の愛宕山に登る。
バレンタインデーには返礼で手作りのものをもらう。
この頃、旅行に行く(泊まりでの)約束もしていたと思う。
早ければ3月の上旬にでも海の見える所に泊まりで行く予定でいた。
駿台の藤村先生(国語担当:映画狂の先生)が「先生、もう、彼女ととまりがけで旅行にいきましたか」と何度も聞いていた。


こうして、彼女と3月頃に海の見えるところに泊まりがけで旅行して、後は結婚へと進むはずであった。
だが、それではその後どうなるのか。


いつも書く話である。
私の夢。
授業が生き甲斐であり、授業に没頭したい。
同時に体も鍛えたい。
毎朝早く起きて情報収集と教材研究、昼から授業、帰りに温水プールで泳ぎ、できる限り自転車で通勤する。最低でもプールには自転車で行く。
時間がもったいないので、一気に四種類の泳ぎ方で200メートル泳ぎ、インターバルは柔軟体操と腕立・腹筋の繰り返し、そして柔軟体操。
また同上で200メートル泳ぐ。
もう一度同じことをして、200メートル泳ぎ、即帰る。予定は30~40分を目処とする。

家に帰るや教材研究のみ。これが33歳(1985年)頃~80歳近くまで続くことになる。80歳からは畑や庭、そして温水プール、その後は読書とビデオ等を視聴し、各種原稿を記す。


これでは🎬映画説ならば御陀仏である。視聴者が飽きる。

浮気類はしない。その前に他の女性とは一対一で会う場所をなくす。
全く面白くないドラマとなろう。
しかも、大学校にしても予備校にしても、金八型ではなく、授業という演出を行うだけである

授業という演出(Presentation)でも、生徒や一般の人を飽きさせないことはできる。ただし、それは毎年違う人を教えることを前提としてである。
契約上は毎年違う生徒を教えるのであるから問題は一切起こらない。

だが、🎬映画説グループならば同じ観客のため致命傷となる。🏢駿台も正規の授業ではCM効果が低い契約外労働を幾つもさせて、面白おかしくし、視聴率を取らないとマイナーな政経・現代社会という教科では駿台CMは不十分となる


そこで、駿台大CMと🎬映画説グループは上記の形で🛵おじょうと私が結婚をすんなりすると御陀仏となる。更に、駿台に入ったときから長い脚本があり、予定が狂う。
授業苦闘→駿台女性ドタバタ劇→多教科持ちでの苦闘→刑事犯罪被害の中での授業模索という大きく言って四パターンで駿台講師時代6年間を持たすという脚本が事前にあったとしか分析出来ない。


その脚本に従えば、私と🛵おじょうが結婚すれば御陀仏となる。

更には西山、横家、後藤を雇った意味がない。横家と後藤の出番は百パーセントなくなる。西山にしても、この二人(横家・後藤)がいないと、万一、催眠で何度も西山熱を起こしても、私への同情が強まるだけである。千歩譲っても、101回目のプロポーズでしかない。人は私に対して気の毒と思うか、私を物笑いの対象にするだけである。
🛵おじょうがいるといっても、彼女は駿台の職員ではないため、その存在は分からない。結婚した後も西山熱を起こすのは人道に反するし、離婚という大騒動と詐欺という大犯罪となる。
駿台の職員女性と付き合うということは結婚前提でしか不可能であると当時は思っていたし、今も思っている。

催眠による離婚、更には離婚をさせた上で西山に断らせるという選択肢まではなかったようである。


更に、🎬映画説グループにすれば、駿台講師時代以降のプランもある。こうして婚前旅行前に破局という結論はでていた具体的には1986年駿台大阪校、88年駿台辞職…というシナリオは既にあったと想像される。
🛵おじょうはどうなるのか。
いや、この方が🛵おじょうにもよい。どうせ、駿台女性とは上手くいかないという結論がある以上、おじょう1号、おじょう2号、おじょう3号…として、おじょう群はフル活動できるのだから、万一、🛵おじょうが私に関心があっても「おもしろいことはあっても」困ることはない。
こうして、1985年婚前旅行前の破局は既定路線となっていた。その証拠はこれから記す流れを見れば一目瞭然である


🛵おじょうによる破滅策動の開始。

まず、🛵おじょうは、破滅させた後で私が悔やまないようにする戦術をうってきた。

具体的には、(京都の)愛宕山に登ったときなどは行きも・帰りも、彼女が随所で手を上げると、遠方の男性が手を振って応えていた。えらく知り合いが多いと不思議に思ったが、山登りの関係で出会った人だろうと思った。
だが、食堂に入っても、食事中に、おじょうが右手をあげると、遠方の男性が右手をあげて合図をしていた。何でだろうと不思議に思ったが、不思議なままでおわった。

ほとんど随所であった。

次に、彼女がプレゼンとしてきたバレンタインの贈り物の中に「私が彷徨うことを暗示」した文書か何かがあった。

同時に、駿台の映画狂藤村先生がしきりに、私と🛵おじょうのことをきいてきた。「先生、まだ彼女と泊まりの旅行に行っていないのですか」と。
こうして、🛵おじょうは何等かの集団(藤村氏が絡んだ以上🎬映画説のグループ)との係わりを強調し続けた。
更に、奇妙なことを言っていた。
簡単に言えば、私と🛵おじょうが肉体関係を持った後でも、私に好きな人ができれば去っても文句を言わないというような趣旨のことを言ったような気もする。
この意味は不明である。

最後のセンテンス抜きで、私はこの頃はお嬢と会うのを楽しみとしており、同時に、婚前旅行を具体的に考え始めていた。



そうした矢先に、🛵おじょうが破局戦術をうってきた。
場所は大阪の確かナンバである。
人が見れば幼稚であるが、幼稚であるが故に私は怒る。いや、私でなくても、ホストクラブのホストやプレイボーイでない限り、誰でも怒ることをしてきた。
大変、単純な戦術であるが、効果覿面(てきめん)の戦術である。学校の教師が長かった私から言えば、学校でフォークダンスのときなどに、これをやれば大問題となるであろう。

※※※2025/06/08 追記※※※

追記:上記の事例の社会一般の解釈調査。

 上記のケースでの社会一般の解釈を調べたが、該当事例は一切なかった。

男性に手を繋がれたり、腕を組まれて嫌がった女性の事例は多数あったが、最初の腕組みか手つなぎであり、その場合には拒否があっても当然である。1987年の最後にユアサという女性とデートをしたが、もし、手を繋ごうとすれば雰囲気から分析すれば拒否された可能性が高い。だが、それはその人の人格若しくは私への感情として尊重している。

 こうした日常化している状態での、突如の、腕組み拒否の事例はインタネットでは皆無であり、類例からの解釈は不可能であった。

なお、私の場合は通常は最初は事前に許可をとってから行う。類似行為も催眠ない限り、全て口頭で許可をとることを原則としている。だが催眠三昧であり、特に1984~85年は催眠が酷(ひど)かったため、🛵おじょうだけは口頭でなく、動作で許可をとっていたかもしれないが、ともかく、この頃は手つなぎか・腕組みが日常化していた頃の話である。

ちなみに、私の場合には私の側から手つなぎ・腕組み行為は🛵おじょうで二例目でしかない。後は全て女性の側か、相手が酔っ払ったので安全確保のためでしかない。後者は交通事故対策などで、無事に帰らすことで頭が一杯であり、当時の私にはそれ以外のことは考えるゆとりはなかった。該当者は複数以上であるが、全員別れ際は正気であり唖然(あぜん)とした。いろいろと意味を考えたのは全て10年か20年以上経ってからである。

なお、私の側からの🛵おじょう以前の腕組みは大学院時代の一例のみである。アルコールが何故かまわり、二回程度しか会っていない女性に「腕を組ませて」と頼んだならば、相手が「私は構いませんけれども、浜田さんの方が酔いが覚めた後で(絶対に)後悔しないでくださいね。私は本当に構いませんから」と二度ほど強調された奇妙なことがあった。彼女は懸命な女性であった。酔いが覚めて失礼だったか等と、本当に気にした。なお、後に彼女は名古屋大学大学院法学研究科に進学をしたため、その後は縁がなくなり会っていない。

女性からの腕組みは10例ほどあったかもしれないが、先の教え子が腕を組み、結婚行進曲を歌い、母親が笑っていたことがあったが、面白半分だろうとしか考えていなかった。

早大大学院政治学研究科にも就職課があったことを知ったのはゼミ恩師・内田満先生がなくなられた2007年(私が55歳頃)であった。早大大学院内田ゼミの先輩・寺島実郎氏(政治学修士:現・多摩大学学長)が三井物産に就職されていたので、「民間企業に就職」と気になり調べると早大大学院政治学研究科にも就職課があったのを初めて知った。大学教員公募の掲示はあったが、大学院の文系で民間企業への就職斡旋があるとは夢にも思わなかった。女性の側からの腕組みはそれと同様である。今、分析しても意味はないので分析はしない、

【結論】日常的に腕組み・手つなぎの習慣ができていた場合に突如拒否することは、インタネットでもそうした事例は皆無であり、今でも、理解不可能である。要するに、社会科学的には、何等かの別目的があったとしか分析できない。

※※※2025/06/08 追記※※※


数日前にマクロン大統領がマクロン夫人につきとばされるような映像が流れた。あれである。それも何度も。
マクロンの場合には思い当たる節があったかもしれないし、結婚してから長い月日が経ってもいる。

わたしの場合は付き合いの期間は3ヶ月余りである。
だが、一定の時期からは🛵オジョウとは手を繋ぐか、腕を組んで歩くことが習慣化していた。ところが、大阪(確か難波)では、手を繋ごうとすると手をたたかれるか払いのけられる。腕を組もうとすれば突き放される。その繰り返しであった。
理由を聞いたが、理解可能な理由は何一つ言わない。
そこで切れた。
あと、一回やられるか、あるいはこうした雰囲気が続くならば、啖呵(たんか)をきり、この場で即座に別れることにした。簡単に言えば「人を馬鹿にしているのか」と怒った
記憶は定かではないが、私は通常は最初に腕をくんだり、手をつないだりするときには必ず相手の許可をとっている。それが習慣化してからは許可はとらないが。


こうして、あと一回何かおかしなことをしたり、言ったりすれば、次のことを言い、難波で別れることにしていた。
「私はあなたが何を考えているのか分からない。人を馬鹿にしているとしか思えない。あなたとの付き合いはここまでとさせてもらいます。私は先にここで別れて帰ります」と。
私は家に監禁されるまでは、女性は夜には必ずもよりの駅か家まで送るという習慣をもっていたが、この日は夜ではなく昼だったので、難波で啖呵(たんか)をきり、その場で別行動をとり、もう付き合いは破談とするつもりでいた。
ましてや、付き合いだして4ヶ月程度であるため、訳の分からぬ人とは別れるならば傷は浅い方が良いという思いもあった。

考えてというよりも、怒り、俗にいう切れてしまった。
我が友・岡山県人がみていたならば言うであろう。
「よく言った。それでこそ男だ。婚前旅行の約束をしていても、馬鹿にされてまで付き合うな。岡山県人\(~o~)/」と。
私の親友でも、高倉健でも全員が同じ事を言うであろう。


すると、私の顔色を見て何かを考えたのか、彼女が「もう分かった。機嫌は直った」と言った。そこで難波(大阪)での破局は延期された。
ただし、不信感はかなり残った。
今、分析すれば、ここで別れたとなれば、余りにもみっともないし、後の物語が続かないと思ったように思える。

即ち、別れるとしても、もう少し高尚な形としたい。同時に、別れる場所は大阪ではなく、京都で、それも彼女が知っている店と決まっていたようである。
こうして、単細胞人間MEに充分不信感を植え付け、京都で食事中に、気になるような言動をして京都で破局にする計画がなされる。


その言動は言い方次第では余り問題にならないし、言い方次第ではかなり気になるし、言い方次第ではその中間となる。
後にササヤマにいる友人が「どうしてそんなことを言ったのだろうか(そういう言い方をしたのだろうか)」と言った。
恰(あたか)も、彼女が敢(あ)えて、一番堪(こた)える形で言ったことを暗に示唆していた。


この後、トリプルでダメージが来て三日ほど食事が一切できなかった。
トリプルとは一番目にナンバでの不信感の植え付け、二番目が言い方(これは文書にしても仕方がない。言動のみならず雰囲気など総合問題がある)、三番目が催眠によるオクターブの高さである。 催眠も加えられた根拠は次に出会ったときに証明されることになる。同じ言動でも、言い方・雰囲気でダメージは異なることを最悪のやり方でやったとなる。腕を組む、手を繋ぐのを拒否するのでもやり方・雰囲気で全く違う意味を持つのと同様である。


彼女を擁護すれば確信犯である。敢えて別れるためにやったのである。
別れる理由は、横家と後藤を登場させるためである。更に西山の策動で本来被害者の私を加害者に変更させるためである。また、駿台事件が終了した後でおじょう群でさえ尾を引かすためである。


ただし、彼女は別れる理由を難波での低次元の話ではなく、高次元に変える目的と、最後の言い合いを大阪・難波ではなく、京都にしたかったようである。


その三日後くらいにあった場所は彼女が指定した店と思う。私は京都ではスナック類以外は通常の大衆食堂の一軒程度しか知らないため、彼女が食堂は決めていた。スパゲティ関連の店が多かったような気がする。


本日の就寝中(2025/06/04)の催眠解説では、彼女はその場所で私と彼女の会話を誰かに見せるために、選んだ場所だというのである。まさかと思うが、催眠が言うには駿台講師の平野真理氏関連の誰かに見せるために、その場所を選んだそうである
私の母がよくやる手である。


母は私に喧嘩を売り、怒らせ、そして、特定場所へ誘導して怒鳴らせるという手口を行ったことがある。
具体的には、金がないときにうしろの写真を催眠強制で撮らせられたが処理できないので、最低限度の処理する金の一部負担を相談すると、通常の人では耐えがたい暴言をはいた。


大まかに言えば「金もないのに写真を撮り、お金を少し出してくれとはお母ちゃんに死ねというのか。このアホ。お前は誰のおかげで御飯を食べて行けていると思っているのか」
これを怒鳴りながら言う。しかも、明白に催眠強要で撮らされたことは絶対に間違いがないときにである。

母は「(催眠で撮らせたのが明白なときに)お前はお金もないのに写真を撮って、誰のおかげで生きてこられたのか。お前はお母ちゃんに死ねというのか 」とヒステリックに叫び、そして私に反論は一切させずに、裏に出る
当然、私は催眠強制が明白なため怒り、母を追いかけ、催眠問題だけではなく、母がうしろの家を撮ってあげたらと言ったので撮らされたため…)も出し言い返そうと裏に行く。


母はヤッタと言わんばかりに今度は口答えをせず、私に怒らせ言い続けさせる
その翌日頃、後ろの小母さんが「タカちゃん、お年玉をあげる」といって一万円入ったお年玉袋をもってこられたようである
私は受けとるとややこしいため、返そうと思ったが、写真代金ではなくお年玉と書かれており、更に、近所でもうしろの家にのみに近く写真を渡す羽目となっていたため、近所への口実(お年玉をもらったのでやむなく、うしろの家だけ写真を渡したと言う口実)に使えという催眠で受けとらされる。

後に20年に亘りこの一万円で風評被害に遭う。

(ちなみに使用した金額はその数倍であるが、うしろの小母さんが足りたかと聞いたときには、『足りた、足りた、余って弱ったので🍦(アイスクリーム)を買うと食い過ぎた』と返答した。すると小母さんは『良かった、良かった』と喜んでいた。

ただし、何故か小母さんの娘さんに風評被害を飛ばされた疑惑があった。この話は訪中の際でも人は知っていた
なお、小母さんの息子は『本家のはそんな人ではない。お袋はかわいい。妹は…』と言っていた。


母に何度もやられた特定場所へ誘導するというやり方である。
そして、🛵おじょうの選んだ店で、①催眠・②難波から続く不信感・③更に幾つかの事項についての彼女の言い方から、私はかなりきついことを言わされたようである。
そのときに、彼女の目から大筋の涙が何度もこぼれ落ちていた。
当時も不思議であったが、今でも、あんなに涙がでるものなのであろうか、と不思議に思うことがある。

※※※2025/06/05 0:02追記(場所はどこにいれるか不明)※※※

🛵おじょうについては、1985年に別れてから長期懐かしんでいた。最低でも1995年までは熱がまだ残っていた。復縁の可能性は2001年まであった。だが、それから24年が経ち、彼女を美化しすぎていたかもしれない。昔の記録を見ると次のメモがあった。〈 〉のみ今回挿入。

☆☆☆☆☆☆

尚、駿台女性は無茶苦茶であった。

また田中さんの〈こと〉も今考えると私が彼女に振り回されていた。

三年は仕事云々はじゃれ事である。通常は結婚して良いとなれば即結婚し結婚した後で双方仕事したければすれば良いとなる(結婚して仕事の足手まといは子供の存在のみである。他は大学院生の結婚の如く子供さえいなければ結婚せずにつき合うよりは結婚した方がプラス面の方が多い。食費も安くつく。住居費も一定そうである。その他の無駄もなくなる)。

彼女の言動は駿台の女性につぐか対等並〈の〉いい加減さが他にもいくつもある。

浜田さんの事は今は好きではない。しかし将来好きになる可能性はある(orない事はないかもしれない)〈等〉は言う必要性が全くない。面と向かって一定恋人的付き合いを〈一定〉した後で言う〈こと〉は人を馬鹿にしている発言である。

あるいは「三年間は結婚できない。その間に浜田さんに好きな人ができて浜田さんが去っても文句は言わない。(当然その逆もしかりである的発言)」。

こんな馬鹿な言動が他にもいくつもある………。もう面と向かって他に好きな人がいれば私がいてもアタックして良いとの変なお墨付きである。こんなの〈は〉寛容とは言わず〈、〉双方に隙ができ〈、〉いずれ潰れるのは時間の問題である。前の彼…も電話等でいきなり言う必要はない。今考えたら振り回されている。但し、駿台の女性よりも田中さんを評価したのは実際に本格デート他でつき合ってくれたからである。


結婚する気〈が〉あればさっと結婚すべきであり、少し迷う部分があっても、「結婚前提で絶対に双方別れる迄〈は〉他の異性とは(仕事外では)接しない事他双方きっちり付き合い、一定合意したら即結婚しましょうが結論である」。

通常は本格的につき合って3カ月目で客観的には大半が当たる。特に見合い形式の場合には。統計〈を〉調べねば不明も見合いして3カ月で結婚した場合と見合いして3年して結婚した場合の離婚率は同じはずである。見合いして結婚までの期間が不必要に長ければまず結婚迄行かないケースが大半である。結婚と仕事は両立するか〈どうか〉は子供の問題さえなければ理論上は同じはずであり、経済的には結婚した方が規模の経済が働き生活は楽になる。勿論デート代も相当浮く。大学院生他大半〈が〉そうである。院生が結婚せずに本格的につき合っていたら経済的にもの凄い負担である。

以上記述終了:2000年7月20日15時40分。

☆☆☆☆☆☆

上記の色文字(浜田さんのことは今は好きではない)を読むと、尚更、大粒の涙の意味は不明となっている。一部省略したが、やはり、故意かどうかは不明であるが、怒らせる言動となっていた。

要するに、②ナンバでの奇妙な態度③…を(明白に)故意に苛立たせるか怒らせる形で言っていた記録が残っていた(今回は彼女の今の生活を守るため省略。同一の内容でも言い方次第では誰も怒らないものを故意に怒らせる形としか分析できなかった)、①私への催眠でのオクターブの高さである。

ここからの結論は、🛵おじょうが横家・後藤登場させるために自分で潰したとしか分析できない

※※※2025/06/05 追記終了(場所はどこにいれるか不明)※※※


しかし、私の印象に残ったのは、彼女の涙ではなく、やや離れた所から食い入るように見つめ続けていた少年というよりも幼い男の子の姿であった。異常なほど🛵おじょうの涙を見続けていた。

このときの幼い男の子が平野真理氏のお子さんではないかと催眠は言うのである。だが、平野氏は1982年に産休のため、お子さんは1985年だとまだ3歳であるが、5歳以上に見えた子供であった。
ともかく、催眠解説では、🛵おじょうが誰かに私が怒っている姿を見せるために、この店を選んだそうである


なお、私は暴力ではないが、このときに彼女の頭を軽く揺さぶっている。私はこれは絶対にしない(=催眠断定)。私は神田正輝同様に女性には一切暴力及びその匂いはさせない。ましてや、付き合い出して4ヶ月目程度である。そのような不信感があるのならば、未練があっても黙って分かれる道を選ぶであろう。結婚して20年目の奥さんではない。
結婚して20年目の奥さんにでもしないかもしれない。
トルドー(カナダ前首相)が、催眠類で女性に暴力とかその匂いがする行為をとらされると彼はショックを受けるであろう。私もこうした行為をさせられ、ショックを受けた。それは私の行動ではない、と

妹の如く形の12歳下の姪にもそうした行為は絶対にする訳がない。弟に近い10歳下の甥に至っては幼い頃にじゃれて思い切り噛みつかれても、一度もたたいていない(少なくとも本格的には)。せいぜい、長姉を呼び、長姉が物差しをもってきてたたいてい引き離しただけである。
よって、私の性格に反する行為をとらされていた。丁度、1997年の岡山県英田郡美作町巨勢下倉敷の交通事故と同様であった


その後、彼女とはもう一回あった。1985年4月上旬頃ではなかろうか。もう、冷え込んだ雰囲気で、彼女は長かった髪を短く切っていた。これで終わりと思わされた。


だが、ここで二つ書いておく。
彼女は男性には人気のあるタイプであり、私の代わりは簡単に見つけられるであろう。同時に、彼女が大泣きをするほどの長い付き合いではない。3か月余りである。そして、私は福山雅治や木村拓哉の如く、女性が憧れるタイプではない。また、私の最大の長所であるプレゼンテーション類は彼女は見たことがない。
通常は大泣きをするよりは簡単に対応済ませて、別の彼氏をさがすと想像される。
要するに、彼女は横家・後藤登場のために、身を引き、同時にその涙を流す場を誰かに見せるために、シチュエーションを設定したという仮説である。


二つ目は、彼女との終わりはここではない。
本当の最後は1987年末か1988年初頭(2000年の覚書には復縁依頼の手紙は1986年となっている)の復縁依頼の手紙を無視されたときであり、彼女との復縁の可能性がなくなったのは、これから述べるように2001年頃である。要するに🎃オジョウ登場と🎃オジョウと話が弾みかけてからである。

当面(ここで)の結論から言えば、🛵おじょうの涙が誰か(例:平野氏)を罠にかけることが目的でなかったならば、付き合って3ヶ月の私に涙を流すことはありえないとなる。
だが、本当の涙が少しでも混ざっているならば解答はササヤマの先輩が言った「🛵おじょう(タナカ)は🧜お嬢(ミキ)だ」となる。

参考までに記せば、🎃オジョウと合うときには、何故か、近所の🛵おじょうとファーストネームが一緒の人が「タカマサちゃんどこへ行くの」と声をかけてくることが多かった。

本当の結論を読めば誰もが私に同情するであろう

本当の結論への道はこの後で記す。

私の記憶では、(岡山も含めて)🚺女性催眠関連全体の催眠が解除された(ただし、駿台女性関連の催眠解除は1986年3月である)後の1988年前後に、🛵おじょうに復縁の手紙をだしたが、返事がなかった。そこで彼女の意向を尊重して、彼女のアパートなどには一切いかずに諦めるべきだと考えていた。大筋は当たっていたが、本日、過去の覚書(2000年)を調べると、復縁の打診をしたのが1986年となっていた。そこで1988年前後の復縁依頼の手紙は1986年の間違いかもしれない。

駿台女性に関する催眠が解除されたのが1986年の春である。深見係長からの大阪行き打診の電話を了承し、受話器を置いた途端に一気に催眠は解除された。上記の覚書が事実ならば解除されて即、復縁のお願いをしていることになる

ともかく、🛵おじょうに対して復縁を申込み、返答がなかったため、彼女の新しい彼氏などの問題も考慮し、静観しか方法はなくなっていた。

その後、記録と論理では🛵おじょうへの思いは1995年3月までは確実にあった。1989年のグリーンフィールドの歌は🛵おじょうを思い出しながら翻訳した記憶がある。また、1995年3月にタイに行った時に「北上夜曲」を歌ったときには🛵おじょうに思いを馳せてうたっていたからである。

こうして、🛵おじょうへの思いは続いていた。だが映画説であろうが、🛵おじょうの復讐という形の筋書きか何かを誰かが面白半分に脚本にいれたかったようである。

記録上は、1996年頃、最低でも同年夏にベネッセの田中由紀子という担当者がいた。彼女からの暑中見舞いの文字は🛵おじょうと似た字であった。

そして、田中由紀子氏により、ベネッセでも徐々にぬるま湯型労基法違犯がおこなわれていく。即ち、代価が一緒でする仕事項目を増やされた。恰も、🛵おじょうの復讐と言わんばかりであった。ベネッセを除いても、そうした復讐劇でも悪用を考えたようである。恐らく犯人は🎬映画説グループと思う。

だが、私には🛵おじょうへの未練というか思い出だけが残っていた。それでは迫力がないということでその思い出や、彼女への思いを打ち切る必要がでてきたようである。その役割をテレビアイドルの西田ひかるが行うことになる。西田ひかるのような性格やタイプは嫌いではないが、所詮テレビの中の人間であり、熱を上げることは絶対にない。ましてや、当時やテレビとの対談などを思っていなかった頃である。

だが、西山美千代同様の催眠熱で、西田ひかる熱がピークに達していく。日程一覧では西田ひかる関連の覚書が1996年夏頃に登場している。ときを同じくして、ベネッセの進研模試担当者の一人が田中由紀子氏であり、彼女の筆跡は🛵おじょうとよく似ていた。

なお、西田ひかるは途中で🛵おじょうの真似を開始した。えくぼをだしてみたり、「田中の目がね」CMに出たり、…と。まだ、下記YouTubeにあった。これを見れば分かろう。(眼鏡のミキではトラブルに遭い…)

☆☆☆☆☆

だが、西田ひかるはテレビの中の人間のため、🛵おじょうと出会えば復縁の申込みをしていたであろう。要するに、西田ひかる熱を催眠で起こされるが、🛵おじょうとの復縁は2001年頃までは偶然出会えばあり得た。それも確実に近くあり得た。

私の方からは最後の手紙で返事が来ていないため、動けない状態にはあった。

🛵おじょうとの復縁を完全に遮断したのは、1999年12月登場の🎃オジョウである。2000年後半頃から、この女性と👰結婚を真面目に考え出していく。2001年頃にはその意思は確定していた。「気が向けば我が家にどうぞ」と声をかけ、我が家の現住所を渡そうとしたがはぐらかされた。帰りは、嵐となり、家に戻ると当時80歳前頃の母が「お前はアホだ」と笑いまくっていた。

🎃オジョウは途中で名前を変えたが、2022年後半までは付き合いは続いている。今、消息不明であるが消息がわかればまた会うことになる。すると、出会ってから26年の付き合いとなる。もっとも彼女は過去にも一度行方をくらましたが名前を変えて、二~三年おいて戻ってきた。今度はどうなるかは不明である。

🛵おじょうとの🎃オジョウの違いは、🎃オジョウは、はっきりと嫉妬をしてくれるところである。有り難いと思うときもあるが、怖いときもある。

こうして、🎃オジョウ登場と共に🛵おじょうは脳裏から消えた。

なお、🛵おじょうと西田ひかると🎃オジョウは性格が似たところがある。同時に、西田ひかるは🛵おじょうのえくぼを強調して彼女の真似をしたり、🛵おじょうの名にちなんだ「田中のめがね」のCMにでたりしていた。🎃オジョウと会いにいくときには、既に述べたように、🛵おじょうとファーストネームが同一の近所の人が「タカマサちゃんどこに行くの」と声をかけることが多かった。

※西田ひかるは、今、西宮市美作町の近くで、私の二番目の姉の娘(私の姪)の家の近くにいるようである。我が家が岡山県美作市(昔は岡山県英田郡美作町)である。彼女の出身地は神奈川県である。逆に、🧜お嬢は神奈川県に嫁いだという噂を聞いたこともある。真偽不明である。また、ハマダという姓になったという噂も聞いたが、これは嘘としか思えないのであるが。

ササヤマにいる先輩は「🧜お嬢と🐬(水俣で出会った女性)と🛵おじょうは同一だ」と言っている。なお、🛵おじょうについての過去の覚書を見ると、やはり、私と彼女の仲を一端潰して、駿台女性横家・後藤の出番を作ろうとしていたとしか分析できない。

本日、覚書を見ていて🛵おじょう以外でも各種挑発(🍻ビール等)に対して簡単に反論できるが、相手の旦那や🧒お子さん・お孫さんなどを考えると幸福追求権の関係から反論はためらうであろう。

そこで、私が言った如く、異性間の話では被害者がいない限り、他人が立ちいってはならないということを強く感じた

どうしても聞きたいことは裁判所を通して聞けが正論である。最低でも、私の場合ならば立会人を通じて文書で聞けとなる。立会人と相談して回答する必要度と他人の幸福追求権を天秤にかけて返答を検討する何度も主張してきたこのやり方が一番紳士的であり、人権と民主主義に一番ふさわしい対応の仕方であることを、昔の覚書を見て再度確認した。同時に再度明白に主張しておく。

2025/06/05 1:27感想:昨日予定外に起床するや書かされたが、今回の《◇―6》を書いて何か意味があったのであろうか。🎃オジョウの件は写真をとっていないため、文書で記録を残すであろう。そういう意味では🛵おじょうについても同様であるが、🛵おじょうの件は何度か書いているため、今回書く意味があったのであろうか。

■下記以降は次回掲載。


《◇―6》政治家(安倍晋三等)絡みと、催眠強制・強制労働と彼らの利権疑惑



2025年6月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA