【政経】№108・日本のフィクサーME・パート2付録編⑤・2013年訪中の経緯―3

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気が向けば一言【政治】№108・日本のフィクサーME・パート2付録編⑤・2013年訪中の経緯―3


(登場人物)菅直人、胡錦濤、温家宝、オバマ、習近平、野田佳彦、安倍晋三 朴槿恵 張成沢 関学 早稲田 大橋太朗 角和夫 森下洋一 宮内義彦 辻晴雄 二胡演奏 賽馬 草原情歌 在那遥遠的地方 高青山 茉莉花 康定情歌 千住観音 麻生太郎


2018/10/26 一番下に当時の岸田外務大臣の件を2:10に追記。

今回の一連の原稿は「気が向けば一言」に書き、少し寝かせ、内容を点検した後で、公式ブログに掲載予定でいる。なお、本日、気が向けば一言に二つ目の投稿であるが、本来はこの原稿を本日投稿予定であり、先の№107は投稿予定ではなかったが、朝起きると、催眠型で強要され、突如予定外に投稿したものである。


本題に入る。
私が海外に行ったときの旅行代金を簡単に記載しよう。

中国が6泊7日(2013年5月8日~)。
飛行機代金を含む往復旅費+宿泊費(一応一流ホテル)+全食事付き+現地の移動費(上海~蘇州~杭州~上海)+世界遺産や各観光名所への入場料込みで二万九千九百円

韓国が2泊3日(2013年12月9日~)。
飛行機代金を含む往復旅費+宿泊費+現地の移動費で当初七千八百円
後に、村の集いとの関係で13800円の日に、更に、ホテルをソウル駅近くにしたため、15800円となった。

アメリカ3泊5日(2015年2月28日~)。
大阪空港~成田空港~バンクーバー空港~ラスベガスまでの往復飛行機代+ホテル三日分の宿泊料金+現地移動費用(ラスベガスからグランドキャニオンからペイジ=往復約1400キロ:運転手さんごと大型貸切りバスをチャーター)+食事が何食かついて5万6千1百円
しかも、添乗員は大阪空港からつき、関西空港で別れるまでつきっきりであった。おまけに、アメリカでは別に現地案内人とお抱え運転手がついた。

ただし、燃料チャージ、一人部屋追加料金、保険代金などは別費用であった。書類は大半自分で作成した。
確かに安い。

では何故やすいのだろうか。大きく考えれば四つからなる
①現地政府(中国・韓国・アメリカ)か現地の観光協会からの援助
日本政府(ただし、訪中の件は胡錦濤国家主席・温家宝首相と菅直人総理の間に入ったのを契機に、尖閣国有化での日中関係悪化回避目的もあり、野田佳彦民主党政権のときに決まっているため、日本政府と言っても民主党政権を指す。出発は母の死亡により2013年(習近平政権時)にずれた。訪韓と訪米は不明も以下の如く②とは考えにくい。)
③旅行会社にとってもメリットがあるため、旅行会社(阪急交通公社)が費用負担をした。
④その他


私は当初は①説と考えていた。
例えば、訪中どころか、訪米ですら中国に行ったときに、訪米条件を三つだした。訪米が突如決まったのはその三条件が満たされたからであった。よって、訪米などは相手国の政府が絡んでいると考えた。

現日本政府(安倍政権)は、訪中の際には訪中直前に、既に述べたように、麻生太郎氏の靖国参拝という贈物つきである。訪韓後は安倍晋三総理の靖国参拝というおまけもあった。更に、訪中後の一連の攻撃被害、訪韓の際の諸トラブルなどもあった。よって、日本政府による援助とは通常は考えられなかった。勿論、日本政府とは何の契約もしていない。

この①説の現地政府もかなり意識していたため、帰国後に次のように対応している。
中国に対しては、私がHPを開始し、今月の歌特集・2015年7月の歌中国・台湾{二胡演奏「賽馬」。 ②草原情歌(在那遥遠的地方)}と8月に侵略戦争被害(松花江上)、2016年G20中国と併行で九月の歌・中国{高青山 (台湾民謡)、茉莉花と康定情歌、:特別編(千住観音と杭州G20連動企画)}を行うなどした。更に2015年9月に中国 「抗日戦争勝利70年」を公式ブログに掲載した。
日本政府からの要請ではないし、作成に当たって内容を考えても恩恵を受けたとも思えない。

韓国に対しては当時は朴槿恵政権のため、盧武鉉元大統領を心の友と称していても、彼女が大統領の職を辞するまでは、批判は一切したことがない。
私は古いタイプの人間で、情を常に重視するタイプである。


だが、③説(旅行会社説)の可能生もある。

2015年訪米時は、阪急交通社社長は私の二~三年後輩、そして阪急阪神ホールディンググループトップの角和夫氏は早大政経学部先輩。多分、私の大学院仲間に角氏と同級生か後輩がいたであろう。
なお、大橋太朗(1939年8月31日 – )氏は阪急電鉄社長を退いた後で関学の同窓会会長をされた時期もあった。さらに、阪急交通社で決める前には近畿クラブツーリズムで行くことにしており、お金も送付済みであったが、この近畿クラブツーリズムも関学と縁のある企業である。

そこで、阪急グループからのWinWinも頭にあり、アメリカ旅行時に撮影した写真はA4サイズで仕上げ何枚も(多分数十枚を)無料で阪急交通社に送付した。添乗員に贈呈という形で。
阪急グループとも腐れ縁はあるようだが、双方合意のWinWinは問題ないが、借りは作らぬためのケジメもあった。


②説については次の通りである。
もし阪急グループでないならば、2013年のフィールドワークは民主党政権時(2012年)の取決めかの関係で、中国政府・韓国政府からの助成としか思えない。当初は2012年11月の終わりか12月頃行く予定でいたが姪の結婚式、更に母の死亡で2013年に延期した経緯がある。また、現政府(安倍政権)には妨害はされてもその逆はなかったとしか思えなかったからである。
訪中直前の麻生氏の靖国参拝、訪韓直後には安倍晋三氏の靖国参拝。更に、動機としても、野田政権時代には尖閣国有化問題があり、その後始末があった。2013年頃の安部政権は中国との関係は無視し、しきりに尖閣や竹島を強調してもいた。

ただし、私は今回の安倍氏の訪中(2018/10/25から)の妨害はしないし、日中の歩み寄りについての妨害もしない。

もっとも、これらの旅はいずれにせよ、訳あり旅であった。特に訪米は5日間合計で5時間しか睡眠時間はとれず、更にトイレ問題その他から、誰かが支援したのであろうが、その代価分以上の被害もあった。
訪韓でも同様であった。その一つが訪韓前にカメラ器財をやられたことである。
それが今回のテーマ「カメラ残酷物語・政経編」の内容でもある。


おまけに、この訪中の際にいくつかの誤情報を流されたようである。それが、日本のフィクサーMEなどに掲載した張成沢(チャン・ソンテク: 장성택、1946年2月6日 – 2013年12月12日)氏と絡められた件などである。
帰国すると更なる問題が待ち受けていた。それらが連続した後での2013年末に訪韓となる。カメラ器財の不調のまま韓国滞在となる。また韓国滞在中の車からの転倒?…と。




《★参考資料》

松田誠司氏(まつだ・せいじ):1977年関西学院大経卒、阪急交通社入社。2007年執行役員、2009年取締役執行役員、2012年取締役常務執行役員。2014年阪急交通社社長。京都府出身。59歳

高橋秀夫 :1963年関西学院大文学部卒。2000年近畿日本ツーリスト株式会社代表取締役社長。2004年クラブツーリズム株式会社代表取締役会長。2005年特定非営利活動法人「世界遺産アカデミー」理事長。2006年クラブツーリズム株式会社取締役名誉会長

また、阪急交通公社のみならず、阪急とも多少なりとも因縁があるかもしれない。このホテルグループで大学一年のときにアルバイトをしたことがある。
更に、私は昔、大阪で何度も倒産した安い某ホテルを常宿としていた。だが、関学の先輩であるI氏が新阪急ホテルに宿をとり、私を招待したことがあった。
その後、パナソニック元社長森下洋一氏(元・関学理事長)、オリックス会長・宮内義彦氏、シャープ元社長・辻晴雄(第三代社長)など関学出身者が、このホテルで時々私的会合をしたことがあるという情報をインタネットで得たため、このホテルに興味を持ち、この新阪急ホテル群を定宿としだした経緯がある。(安倍政権になってから突如、常宿が変更されるように導かれたため、尚更、先の海外旅行は安倍現政権とは無縁と思っていたし・思っている。)

学閥等はどうでもよいが、阪急は出身学校でも縁がある会社である。阪急は慶応閥と考えていたが、阪急グループでは関学出身者が社長となる時がよくある。例えば、新田信昭(一九七〇・経卒)阪急百貨店代表取締役社長、大橋太朗(一九六二・経)阪急電鉄代表取締役会長、阪神も阪急と合併したので記せば、西川秀郎(一九七五・経)阪神百貨店代表取締役社長等々である。現時点で彼らがどういう役職についているかは不明である。
更に 阪急阪神ホールディングス代表取締役社長の角和夫氏は早大政経学部卒業であり、私の二番目の大学(早大)出身者である。学閥などはどうでも良いのであるが、私の卒業大学(関学)、修了大学院(早大政治学研究科)の二つとの絡みで、訳ありを臭わされたことを強調しただけである。

(追記:2018/10/26 1:50)
岸田文雄(外務大臣在任期間2012年12月26日 – 2017年8月3日)氏の毎日新聞記事を見て思い出した。
2015年3月上旬、訪米の帰路に、バンクーバー空港に立ち寄った際に大立周りをした話は何度か書いた。そのときに勢い余って「外務大臣は誰か。岸田か…」とつい言った覚えがある。ところが、後に岸田氏がテレビに出た姿を見ると、何故、私(浜田隆政)が自分の名前を出したのかちんぷんかんぷんの用であった。まだ、彼は私について余り知らない様子であった。外務大臣すらこの様子ということは、やはり、私の訪米にすら日本政府が裏で金を出した可能生はないとしか思えない。

ましてや2013年の訪中などは岸田氏の下記文書の状態にあった。そして、私の訪中直前に麻生氏の靖国参拝である。これでは関与は関与でも、逆(訪中の後押しではなく、訪中妨害)の関与としか思えない。訪韓の際には更なる妨害の疑惑すら感じた。
私の海外へのフィールドワークに政府助成金問題は徹底的に調査したらよい。少し暇ができたならば、私を国会へ呼べという文書を全政党に送ることにしよう。海外へのフィールドのみならず、私への人権侵害を辞めさせたり、独立行政法人・雇用能力開発機構の大学校講師時代に受けた各種被害への救済も求めたりするためにも。

なお、岸田氏が私についてある程度のことを知ったのは、ケリー国務長官(当時)か誰かが岸田氏に私のことを伝えてからであろう。2016年5月頃と思う。小泉政権下では岸田氏は大臣ではなかったため、このときまで余り私について知らなかったのであろう。逆に言えば、海外の件は外務大臣岸田氏が知らぬということは、旅行費用類は政府関係が裏で助成などは考えられぬ。勿論、契約もしていないし、聴いてもいない。もっとも訪中や訪韓は妨害だけはあったとしか思えなかった。だが、国会へ行くことは私の方が望むことである。
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岸田氏「首相訪中、夢のよう」13年は“開戦前夜”
毎日新聞2018年10月25日 22時18分(最終更新 10月25日 22時18分)
https://mainichi.jp/articles/20181026/k00/00m/010/190000c
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自民党の岸田文雄政調会長は25日の自派会合で、2013年当時の日中関係を「開戦前夜」だったと振り返りつつ、日本の首相として7年ぶりの安倍晋三首相の中国公式訪問を「夢のような思いがする」と歓迎した。

 岸田氏は、尖閣諸島国有化(12年)直後の外相就任当初の日中関係について「中国艦船による自衛艦への(射撃用レーダー)照射事件(13年)もあり、ボタン一つで開戦するギリギリのところまで来ていた」と指摘。「当時は首脳会談どころか外相会談すら開けず、先方の宿舎に押しかけて会談を迫ったこともあった」と明かした。また、「せっかく会談に引っ張り出しても、冒頭発言はなくお互いにらみ合い、マスコミが出た後から発言が始まる状況だった」とも語った。【浜中慎哉】
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なお、中国へは2012年11月か12月に、近畿日本ツーリストで行く計画をしていた。母が死亡で延期し、2013年4月に同ツアーを近畿日本ツーリストに申し込み、手続も終え行く日をまっていたならば、突如催行中止と連絡があった。そこで、既に申込みを締め切っていた類似の阪急交通社のツアーへ申し込むとOKとなり、同社への変更となった。その後の訪韓、訪米も阪急交通社となる。

(2018/10/26 17:12追記)

2010年 #尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件 で #菅直人 氏と #温家宝 氏の間に入り、…関係やや改善、そして2011年末 #野田佳彦 氏訪中…ところが、2012年9月11日 #尖閣国有化 で日中関係最悪となり… 同年12月前後 私の訪中予定…所が母が死亡で 延期。

そして、政権が変わり、2013年5月に訪中。

その直前に #麻生太郎 氏の #靖国参拝 で、訪中当初は、中国国民の一部から厳しい視線😤を向けられ…だが帰国前頃は温かいまなざしに😊…。

今思えば懐かしい旅である。

菅直人さん、野田佳彦君当時のことを忘れないでよ!尚、私は党派中立・宗派中立主義者。本日、安倍晋三総理が訪中は、当時の岸田外務大臣が書いた如く、2013年当時なら信じられない。巷では、トランプ政権のおかげという人もいるが、別にも、今回に至るまでに影で苦労した人がいたのであろう。二階のパソコン部屋で記した。

2013年の訪中・訪韓で私は大変な目に遭った。同時に、本日 #野田佳彦 氏の2012年頃を振り返る記事を読み…更に当時を思い出す。