【その他】№158・駿台と能開大の件、更に岡映・小渕恵三・小泉純一郎・菅直人…まで。

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気が向けば一言【その他】№158・駿台と能開大の件、更に岡映・小渕恵三・小泉純一郎・菅直人…まで。


(更新記録)

公開前 2019/11/02 13:59下書きで保存(外部から見える形で閲覧可能保存)

公開2019/11/02 21:28 (微修正する場合あり、またこの内容のCMは明日未明予定でいる)

2019/11/03の1:50微修正

2019/11/03 23:56追記→一番下の方の紫字の箇所


(登場語句)


岡映(岡 映(おか あきら 1912年7月10日 – 2006年4月13日))氏の名を出した場所と経緯を記す。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%98%A0クリックでウィキペディア「岡映」にリンク)
私が岡映氏の名を駿台とポリテクカレッジ岡山の件で二度だしたと思わされている節があるが、事実と全く異なる。
駿台には当時(1982年駿台講師になった時)から現在(2019/11/02)まで岡映氏の名を一切だしていない。

《◇―1・岡映氏と駿台の件》
まず、駿台のときから語ろう。
駿台のときの駿台内での授業妨害及びその印象操作策動、駿台斡旋(あっせん)のホテルでのトラブル連続、駿台外での刑事犯罪被害…が1987年後半から終始起こる。


☆☆☆☆☆☆
(参考記述)
上記の大阪のホテルは私が少しこの件を記し出すと2004年頃から身売に入り、更に『閉じた窓にも日は昇る(上)』にまとめかけると因果関係は不明であるが廃業した。駿台辞職後、何故か「4」という数字が強調されるが、このホテルの大手ホテルグループへの売却が決まったのが2004年、営業をうち切ったのが開業以来44年目だそうである。特に意味はないが参考までに記載しておく。
ただし、廃業は2013年で、廃業理由は関係者は某ブログに「…現在の客室稼働率は約8割まで回復したが、建物の改装や建て替えに多額の投資が必要になるので経営を断念することにしたとなっています。しかしこれが本当の理由なのかというと、元々ホテルで働いていた私の個人的には?です…」と?と記している。
さらに「…ということは、回転率が悪くないのに辞めるとかはありえないと思いますし建築法に違反するほど老朽化しているとは思えないので今のまま続けていてもそんなに問題がないと思います。それを「年内で」ってはっきり見切りをつけれてしまうということは実態は想像以上に困窮しているとかかなりやむにやまれない理由があると思うのが正解ではないでしょうか」(2013-06-26 15:15:15)と記載している。
※私が駿台大阪校時代に宿泊していたホテルを買い取ったホテルグループは存在しているため実名を略した。というのも、私が被害を受けた頃は身売り前のためこのホテルグループは無縁だからである。
☆☆☆☆☆☆


そこで(岡山市にある弁護士事務所の)弁護士に相談した。ところが、弁護士の対応が不自然であった。この弁護士事務所は、当時、岡山市にあった本屋・(名称は多分)「平和書房」か、1985年頃から1988年1月まで(先の本屋で広島原爆大会のCMを受け、教材研究も兼ねて参加し、名前を記帳した関係で新聞の勧誘を後に受け購読することになった)赤旗日曜版を購読していたが、その新聞にCMがあったかで相談に行った弁護士事務所である。

ところが、この弁護士事務所の弁護士の対応が不自然に思えたので、「真面目に相談にのってくれ」という意味で、岡映氏の名をこの弁護士事務所内で始めてだした。というのも、岡映氏も日本共産党候補として衆議院選挙に出馬されたことがあった。また、この弁護士事務所を知ったのは上記からである。
そこで、この弁護士事務所も日本共産党系ならば、岡映氏の名をだせば、私を信用して相談にきっちり乗ってくれると思ったからにすぎない。

駿台ではなく、日本共産党関係者?に岡映氏の名をだしたのである。駿台内や駿台関係者には当時どころか、現時点(2019/11/02)まで岡映氏の名をだしたことは一切ない。

ちなみに、弁護士に何を相談したかったのか。目的は損害賠償ではない。原状回復である。駿台予備学校京都校時代の環境に戻すことを目的としていた。簡単に言えば、授業への妨害及び妨害印象操作をふせぐことを目的としていた。
なお、駿台予備学校には当時から現在(2019/11/02)まで、損害賠償も慰謝料も一円も請求していない。その種の交渉も一度もしていない。これは完全な事実である。

特に1987年後半の刑事犯罪被害を駿台と思い込まされる策動があった。そこで、弁護士を通じてその種の授業支障をなくすために弁護士への相談であった。2019年頃にレスリングの伊調馨がパワハラ告発をしたが、彼女の目的は賠償ではなく、レスリングをする環境を求めてであった。私も当時は伊調馨と同様の目的での弁護士相談であり、弁護士などが不可思議な対応したと感じたので、まともに対応してもらうために岡映氏の名を(日本共産党関係者向けに)だしただけである。

2000年を過ぎ、ポリテクカレッジ岡山との交渉立会人になっていただいた新免昌和議員(日本共産党)から、当時の弁護士はやはり日本共産党系と聞いた。そこで調べると、岡映氏の前に衆議院議員選挙に立候補しており、また岡映氏とこの弁護士は知り合いと知った。岡映氏でなくても、日本共産党系の大物を知っていれば、日本共産党系の弁護士に信用してもらうための、名刺的存在として名を出すというだけの話であった。
駿台の件では、最初から現在までの40年近く、岡映氏に駿台の話をしたこともなければ、駿台内で岡氏の名も一度も出したことはない。出す理由もない。それが全てである。

《◇―2・岡映氏と能開大及び雇用促進事業団・雇用能力開発機構について。》
労働省所管、雇用促進事業団(後の雇用能力開発機構、現在はその財産は「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構」が受け継いでいる)運営のポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)の解説に入る。
ポリテクカレッジ岡山及び雇用能力開発機構とは賠償交渉を行っている。というのは、各種違法行為をうけたからである。1997年ではパワハラ的被害を当時のMK課長から受けた。しかし、過去10年以上の労基法違反被害はそうした比ではなかった。
後に、拙著『恐るべき労基法違反』(PDF無料配布中)に記載した理由でポリテクカレッジ岡山辞職へと追い込まれる。

『恐るべき労基法違反』(無料配付ページ。呼びかけ文だけでも御覧を)http://www.h-takamasa.com/rensai/custom.html

辞職前に、ポリテクカレッジ岡山の最高責任者(学校長)と当時のMK課長問題も含めて相談のアポイントメントをとった。そして指定された時間に指定された場所へいくと、学校長ではなく、パワハラ該当者のMK課長自身がでてきた。そして…辞職…となる。

辞職後に、ポリテクカレッジ岡山では明確な労基法違反を幾つも受けており、被害救済の交渉を考えた。正確には(友人の)労働基準監督官などのすすめで開始した。

そこで岡映氏の名か。全く違う。
最初は雇用促進事業団本部に救済依頼をした。辞職前には直(じか)に行こうとしたが幾つかの形で潰された。ポリテクカレッジ岡山に最初に出した名は①雇用促進事業団本部である。

辞職後は、先の友人・労働基準監督官に相談すると「お前、この世にそんな職場があるのか。すぐ労働省に手紙をだせ」に従い、②労働省に救済依頼文書をだした。だが梨(なし)の礫(つぶて)でであった。やがて、①にも再度手紙をだした関係かで、ポリテクカレッジ岡山・雇用促進事業団との交渉が開始する。だが、後者の窓口は先のパワハラ該当者・MK課長自身であった。何から何まで無茶苦茶(むちゃくちゃ)であった。

そこで、③交渉の立会人として(高校時代の恩師)内田喬先生、岡映氏を考えた。ところが前者は癌(がん)で、後者は足が悪いということで断られた(岡映氏には私を紹介した食堂のママさんを通して打診し、食堂のママさんを通して断られた。直接の依頼はしていない)。その結果、岡山県には知り合いがほとんどいない関係もあり、新免昌和町議会議員に立会人を依頼した。③の流れは1998年だと思う。なお、ポリテクカレッジ岡山・雇用促進事業団との交渉では、全て全面録音し、聴きたい人がいれば全面公開予定でいた。

ところが、立会人・新免氏がだまって録音するのはよくないので、相手の許可を取った方がよいというアドバイスをされた。そこで、交渉前に録音を申し出た。即座に断られた。録音禁止と。お金の絡む交渉は全面録音し、必要に応じて、希望者がいれば全面開示を私はモットーとしている。録音されて困ることがあるのだろうか。確かに、あの交渉でポリテクカレッジ岡山には困ることは山ほどあった。これが労働省の職場なのであろうか。

だが、交渉が進まないので、その次に名をだしたのが、早大大学院政治学研究科先輩である④小渕恵三総理である。③の最後の交渉の約13か月後である。小渕恵三総理に2000年4月3日朝書留で救済依頼文書を送付すると、まさにその日の夜、「小渕恵三緊急入院」の臨時ニュースが流れた。

その後は、諸挑発で動けず、次に名をだしたのが⑤小泉純一郎氏(当時の総理大臣)である。これが2004年である。なお、④⑤(後に述べる⑥)に至っては、当時の現職総理のため、不当な圧力と思われることを警戒し、全政党の代表者及び準代表者に同一文書を全て書留で送付している。
それでも効果がないので、2010年には⑥菅直人総理・伸子夫人に同一の救済依頼文書を送付している。

要するに、ポリテクカレッジ岡山との交渉では名は①~⑥とだしており、③の中の更にその三分の一である岡映氏の名は微段階でごくわずか登場しかしていない。しかも、岡映氏と小渕恵三氏の名をだしたのはわずか一年程度の差であり、事実上同一時期である。しかも、出した回数などは後者の方が多い。ところが、何故(なぜ)か、岡氏ばかりが強調されるという奇妙な状態になっている。
駿台にいたっては、何十回と記載しているように、岡映氏の名はただの一度もだしていない。

またポリテクカレッジ岡山の件は所管が労働省であり、運営権者のトップは労働省事務次官の天下りである。ならば、本来は最低でも②段階でケリがついているはずであり、その場合には③~⑥は一切登場しなかったはずである。もっともまともな職場ならば①段階でケリはついていたはずである。否(いな)、まともな職場ならば、既に公開している『恐るべき労基法違反』状態は起こっていなかったであろう。

友人の労働基準監督官に簡単に事情を話すと「お前、そんな職場がこの世にあるのか。すぐ労働省へ手紙を出せ…」であった。まだ岡氏の名や、新免氏に相談する前の話だと思う。

《◇―3・岡氏の件での駿台とポリテクカレッジ岡山の比較》
駿台とポリテクカレッジ岡山を対比という出鱈目(でたらめ)策動があるが、駿台では岡映氏の名は一度もだしていないし、岡氏に駿台の件は相談も一切していない。岡氏が死ぬまで駿台の件は岡氏は知らない。岡映氏の名は、援軍になってほしいと思った共産党系の弁護士などが不可思議な対応をしたので、「真面目に相談にのってほしい」と日本共産党系と思われる弁護士事務所の中でだしただけであるが効果はなかった。

ポリテクカレッジ岡山では既述の通りであり、①~⑥まで六つの名をだしているが、岡映氏はその中の③で、それも③の中の三分の一以下でしかない。

圧力云々(うんぬん)の印象操作ならば、ほぼ同時期に名をだした小渕恵三氏であろう。早大大学院政治学研究科先輩のみか、大学院時代のゼミ恩師・内田満先生と小渕恵三氏は顔見知りである。内田先生は当時は自民党の顧問であり、また、小選挙区制導入時には選挙制度審議会の中心メンバーで、事実上、内田先生が小選挙区制の案を作ったのに等しい。学部と異なり、大学院時代には内田ゼミは一学年4人である。(小渕恵三氏の頃はもっと少ないため、ほぼ全員が顔見知り時代である。)

岡映氏は人間的には立派である。しかし、知名度は①~⑥の中では全くない。誰も知らないに等しい。ウィキペディアにも名は長期掲載されていなかった。私が何度か原稿を記載したときに、岡映氏に絡む印象操作疑惑を感じたため、その点の誤解などをとくため記載をしたら、やがてウィキペディアに岡氏の名がでだしたのである。
ウィキペディアにも名がある岡映氏ではなく、(裏の世界のミスター・ハマダ=)私が名を書いている岡氏なので、ウィキペディアに名が乗り出したのである。

有名な岡映氏ではなく、(裏の世界で有名なミスター・ハマダ=)私が名を出したことがある岡映氏とは誰かで、ウィキペディアに掲載されだしたとしか思えない。アンケートをとり、岡映氏の名を知っている人を調べれば分かる。今や誰も知らない。当時でも、岡山県の教育関係者以外は誰も名前は知らない。

なお、岡氏は、既に何度も記載のごとく、ガラス張り行政を主張され、糾弾闘争などは(大昔の歴史の一時を除き、当時などは)否定されている人である。
駿台辞職前に、奇妙な差別文書を手渡されたが、あの文書の内容では「意味不明」ということで動かれない。また、あの意味不明の文書では動かれても弁護士紹介に留(とど)まられる。岡氏には、親友の「岡氏は部落解放運動分裂問題でそれどころではないので、余分な時間をとらせてはならない」というアドバイスもあり、(意味不明の)「差別文書」?の件も含めて駿台の「ス」の字も言っていない。岡氏が亡くなる迄(まで)。

これが岡映氏の件に関する、本当の事実経過である。
ちなみに、今、世界の友人・指導者達は「ミスター・ハマダ」が名をだした岡映氏とは誰か調べるのに苦労しているであろう。CIA、KGB、KCIA…でもノーマークであり、誰も知らないのだから。私(浜田隆政)のことは詳細に知っているのに。これが本当の本当の話である。

《◇―4・(労働省所管)ポリテクカレッジ岡山への専任確約招聘はCM利用目的だけの詐欺だったのか》
ところで、この職場には専任確約で招聘(しょうへい)されたが、私を能開大グループ(当時約28校と別に総合大一つなど)全体のCMに使用目的で最初から専任にする気がないのに、同校に閉じ込めた詐欺ではないかとかなり前から疑っている雇用促進事業団がいこいの村やレジャー産業から教育産業へ軸足を移すために利用されたのではないかと疑っている。いわば、この大学校グループには雇用促進事業団の命運がかかっていた可能性がある。

1998年1月の辞職前後は、特殊法人・雇用促進事業団は職員五千人以上、予算は国連の一般会計以上、理事長は労働省事務次官の天下り先であった。
なお、ポリテクカレッジ岡山を去る半年ほど前に再度専任の件を聞くと、MK課長は「専任、そんなものなれる訳ないだろう」(1997年)であった。
1993年か94年頃までは、「私の件の専任確約などはテープにとって金庫(か何か)に保存しているので安心しろ」と私を招聘(しょうへい)したSM先生(京大で博士号、湯川秀樹博士にもならっていた人物)が言っていた。招聘時(1982年)から長期に亘り、当時の副校長などが毎回「是非専任に…」と言っていたのに。私の専任の件は招聘(しょうへい)時などは周知事項であった。これでは労働行政は無秩序が支配するであろう。

大義のない駿台の件を書く暇があれば、ポリテクカレッジ岡山などの現能開大グループ、独立行政法人、厚生労働省の問題を書くのが常識であった。ところが、駿台(問題)が割り込んできて、それを一生懸命妨害したという結果となっている。本末転倒である。


なお、駿台の件を記述すると、「写真残酷物語」ほどではないが、私のHP読者は激減をする。読者が知りたいのはこの件ではないのだから。世界の歌であり、世界の指導者の話であり、私が提唱している「新しい社会(New Society)」理論…なのであるから。私のトラブル類も「写真残酷物語」同様に読者減となる。
ということで、駿台関連やトラブル関連などを一番書きたくないのが私なのである。ビルゲイツやFacebookのCEOも「駿台」、駿台とは何なのか。ミスターハマダが書いたので一応調べておこうでしかない。ミスター・オバマなどは笑うか苦笑しているであろう。

英語など不必要と思っている私が英語、更にはドイツ語・その他の言語でも掲載しているのは世界の読者を抱えているからである。彼ら・彼女らには上記などの話はちんぷんかんぷんであり、私のHP読者は減る(数か月となれば激減する。「写真残酷物語」のときは参った)。国内でも親戚及び近所と上記トラブル関係者は私の読者の(PPMとは言わないが)?%(微分の勉強をしていればもう少し詳しく示唆できるのであるが)であり、私のダメージは大きい。

読者が興味を持っている先の内容でなくても、最低でも労働行政上大義のある能開大、雇用促進事業団・「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構」…旧労働省・現・厚生労働省の問題は大義上一部書かざるを得まいが、大義もないのに何で駿台のことなどを延々と書かされるのか、独り言で言わされるのかと毎回怒り狂っている。要するに、駿台の件を書かされるたびに、大義ある労働行政などは一切書くのを妨害されてもいる。

もう、幾ら何でも、駿台の件はここまでとしたい。付き合うのも馬鹿馬鹿しい。タイトルは「気が向けば一言【その他】№158・駿台と能開大の件、更に岡映・小渕恵三・小泉純一郎・菅直人…まで」ではなく、本当は「気が向けば一言【その他】№158・駿台と能開大の件、更に岡映・小渕恵三・小泉純一郎・菅直人…オバマまで」である。

だから、今回のような記述をしていると、世界の首脳が全員困る。「岡映…って誰」と調べるのに。もう本当にこの件は書かない。最低でも書きたくない。読者も激減するし、私の読者の圧倒数が関心がないのだから。私も書いていて面白くない。不愉快なだけである。

《◆―5・結論》

①駿台関連に絡められている限り、厚生労働省・独立行政法人問題は時間がなくなり書けず、旧労働省、厚生労働省、雇用能力開発機構(その財産を受け継ぎ賠償責任を負った)「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構」及び能開大は喜ぶであろう。

②駿台関連に絡められている限り、新しい社会に向けた新しいTheory(理論)が書けず、多くの良識人は悲しむであろう。

③駿台の件は書いても、もはや意味がなく、書かされたり・独り言強要は無意味かつ不愉快極まりない
駿台講師時代から30年以上立ち、駿台講師諸君とは住む世界が違っており、そのギャップの大きさに何故気づかないのか不思議以上のものである。同時に、無に近い駿台時代に絡められ、もはや35年の月日を犠牲にしたことも不可思議である。
尚、駿台の件は賠償請求をしていない以上、当方は記述は時間の無駄でしかない。同時に、催眠下での行動とはいえ、駿台女性職員に指一本触れず、デートどころか人前でしか会っておらず、パワハラ・セクハラ類も一切ない以上、記述義務も一切ない。時間の無駄でしかない。

更に、駿台講師時代のことが何故長引くのかは、現況では一億回考えても分からない。即(すなわ)ち理解不可能である。本年春頃に、「人間違い(ひとまちがい)」説が再度登場したが、今考えられる回答はそれしか思いつかない。誰が私と誰とを間違えたのかは私には分からないため、またどの時点で間違えたか不明のため、これ以上の記述は無意味である。
私の読者諸君が私から離れていくだけである。

ただ、雇用能力開発機構やポリテクカレッジ岡山(現能開大中国)講師時代の件に関わっていれば、これらの団体は衆議院・参議院で運営が決められる団体での被害となる以上、国会で正面から真相解明にむけて、正々堂々とその場に出頭されることを願う。

悪質なことに関与していた場合には、そうした正々堂々と対応しない限り、私の世界での浸透度から、世界の消費者の良心層などが…。

(2019/11/03 23:55追記)

(本日・2019/11/03寝ている間に種明かし的に次の項目を思い出さされる)
尚、駿台時代、 関与への印象操作人物A氏は1984年1月頃から何か知っていた模様。この頃、私がまだ職員女性NMさんに手紙を渡す7ヶ月前。 もしくは、NMさんに突如催眠熱を上げる前後。
また、K講師からと言っててわたされた差別文書?に関連して、課長に誘われK講師と酒の席を共にしたのも、多分、NMさんに手紙を渡す相当前。


(資料)岡映氏と私との関係は以下など参照。
徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5666

徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)


徒然なるままに№3・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5702

徒然なるままに№3・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)


気が向けば一言 【徒然・私事】№134:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う。
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1099/

【徒然・私事】№134:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う。

2019年11月2日