「フィールドワークにいけば冠婚葬祭に穴があこう」…型のデマと視察旅への長年の心理妨害について

「フィールドワークにいけば冠婚葬祭に穴があこう」…型のデマと視察旅への長年の心理妨害について。


2020/10/28 今公開開始

 



今回の原稿は公式ブログ(政経関連など)、安らぎブログ(教育・芸術)、少なくとも一言ブログに掲載すべきであるが、他原稿が進行中のため、私的ブログに掲載する。後日、誤字脱字などを直して、別ブログにも併行保存予定でいる。



【デマ―1と反論】


国内ではフィールドワークをしても葬祭には原則穴があかない。
2016年頃近所の方がなくなった。午前中亡くなられ、仮通夜を飛ばして、同一日の夜お通夜、翌朝葬儀。これでも穴が開かないか。

全くあかない。

実証しよう。
私→我が家に☎電話。
留守電にメッセージがあれば、国内どこからでも、キャッチできる。
正午頃我が家へ☎電話をすれば、もし上記ならば、折り返しで帰宅する。例えば、姫路で正午頃に我が家へ電話。
何かあれば、12時20分発の特急を利用し、最寄りの駅に13時55分、我が家にはタクシーならば14時5分頃、自転車ならば我が家には14時半につく。
よって、お通夜には完璧に間に合う。

昼を越えてなくなった場合には一般にその日にお通夜はできない。会場がとれない。
私は最低でも夕方頃に、我が家へ電話をしている。
東京でも、水俣でも、留守電にメッセージがあれば翌朝5時35分には我が家へ帰宅が可能である。
具体的には以下の通りである。

岡山駅から津山駅の終電が岡山発23時20分、津山駅0時43分着である。
我が家方面への津山駅始発汽車は4時54分津山駅発である。
これに乗れば、午前5時過ぎに我が家最寄りの駅につき、ここから自転車で我が家には午前5時35分頃つく。
だが、大抵は、お通夜は夜である。そこで我が家で時間を持て余すことになる。

なお、先のケースでは津山駅で4時間まつだけである。万一、極端に寒かったり、駅が迷惑と言ったりすればすぐ近くにホテルがある。
相当身近な人ならば、タクシーがあればタクシーで津山駅から我が家へという手もある。この場合は我が家着午前1時30分頃である。勿論、姉などが送迎すれば簡単であるが、そこまでする必要はない。翌朝4時台に我が家方面行きの始発があるのだから。

万一、昼に留守電確認しわすれても、葬儀には完璧に間に合う。
だが、一般には仮通夜、通夜、葬儀のため、通夜も葬儀も間に合う。

万一を抜けば、上記の事例でも、通夜も葬儀も完全に間に合う。
ちなみに、これが東京や水俣でも同様である。
東京や水俣から岡山駅の先の電車への接続は
東京19:51発~岡山駅23:11分着である。
新水俣20時5分発~岡山駅22時47分着である。
新大阪駅22時2分発~岡山駅22時51分着

岡山駅発23時20分から津山駅0:43着:我が家方面は津山4:54発~我が家:5:35帰宅。

だが、朝昼夜確認時はかようなことをしなくても、通常の時間帯の列車で仮通夜・お通夜・葬式全部間に合うのであるが。留守確認電対応は母生存時やこの所は従兄弟の大病関連で上記以上の回数を行っている。母死亡後の超多忙時ですら夕方には電話をいれているため上記対応は最低でも可能である。
もはやフィールドワーク費用問題から外出は不明であるが、朝昼晩対応をする予定でいる。そこで、上記を利用する必要もない。要するに穴はあかないのである。

(朝昼晩対応できないような)超多忙時ですら、留守電確認を18時過ぎしていたため、もう翌朝5時35分に我が家に私はいるとなる。
穴は開かない。出発当日は岡山駅辺りで昼頃にも電話をしておけば、万一、その日ならばおり返しですぐに帰られる。夕方どころか15時には家に帰っている。
何もなければ後は夜だけでよい。
如何(いか)なる形でも穴があかない以上、仕事での外出でも、本来は村人には言う必要がない。ただし、組合長には我が家へ何かあれば電話をといっておくだけでよい。
そしてそうしている。
穴が開かないものについては本来仕事か否かを他人に言う必要はない。

野麦峠なども同様である。
逆に自転車で数時間(車ならば1時間余り)の箇所にいったときには日帰りでも、先のケースではお通夜には穴があく。逆である。それどころか、津山市の病院にいって待ち時間が長くてすら、お通夜には穴があくこともある。それは私以外の人でも同様である。
大阪は元より、水俣・東京はまず穴があくことはない。
岩国、広島は記す必要もない。

母生前中は一日数度、朝、昼、夜、+αと我が家へ電話をいれていた。
母病気してからは、何時に寝ても、早朝6時前に起きて我が家に電話をしていた。
大阪ならばホテルは可能な限り、我が家方面の高速バス乗り場のすぐ前(新阪急ホテルや同アネックスホテル)を中心としていた。
村の皆様には一切迷惑かからない体勢をとっていた。
同時に、姉か私のどちらかが田舎に必ずいるようにスケジュール調整をしていた。
姉が遠方にいくときは、私は決してどこにも行かなかった。

今はそこまではしないが。
それでも、上記の例ならば、現在国内で行ったフィールドワークではすべて穴があかないのである。


【デマ―2】私が黙って外出する。嘘(うそ)である。逆である。


私は2012年頃までは、一泊二日の外出ですら、必ず姉と近所の従兄弟(いとこ)に連絡をしていた。そして、先の如(ごと)く、姉がどこかにいくときは一切外出をしない方針をとっていた。
これに対して姉は言った。
「隆政、一泊二日程度の外出ではお互いに連絡をやめようよ…」と。
従兄弟(いとこ)の奥さんは言った。
「隆政ちゃん、もう、外出のときに連絡するのをやめない(若しくはやめてくれない)…」と。両者ともに覚えていよう。

従兄弟(いとこ)のところには外出のたびに、郵便受けにその趣旨を書いていたが、近所の一人暮らし老人の家に、むすこさんが戻られた頃から、従兄弟には連絡を止めた。若(も)しくは、従兄弟の奥さんからの哀願で中止したかもしれないが、多分、前者である。

※※【注群】※※※
我が家留守電遠方確認…の仕組みと通達は、お寺の檀家(だんか)の関係で先の近所の老婆などにもしていた。そこで、2010年12月に我が家から高松、神戸、大阪のフィールドワークの際には、先の老婆から我が家への留守電メッセージがあり、その家には都合の良い時間を見計らい電話返答(多分食事時間を待ってであろう、当時の日記を詳細に読めば分かるが、字が汚いので詳細内容は今回読まなかった)をしている。即座にする必要がない内容なので都合の良い時間まで待っただけであろう。要するに、この仕組みは少なからずの人が知っている私の葬祭対応策であった。なおこの老婆に折り返しの電話した日は日記では2010年12月7日となっている。

なお、このフィールドワークが拙著『日本のフィクサーME(上巻)』{Kindle、KOBO各百円($1)で発売中}「第三章・小泉純一郎登場」箇所の「第一節・光る海」と「第二章・盧武鉉大統領への伝言」箇所の「第四節・徒然草」を書くための旅であった。ただし、前者は日付を他の旅と合同とし、2011年2月13日としている。後者は居酒屋徒然草のモデルとした▽▽という食堂で撮影と観察をするためであった。詳細は同上書参照のこと。要するに(印税などを前提とした)原稿を記すための旅であり、冠婚葬祭対策で留守電活用とその方法は何人かには文書などで伝えていた証しである。
※※※※※

姉には母が死亡した2012年11月末から連絡するのを止(や)めた。
何故(なぜ)、止めたか、国内では私がいくところでは穴があかないからである。
ただし、組合長だけには長期のフィールドワークの際には連絡をしていた。
同時に、一泊でも我が家には留守電確認の電話は終始している。これのみで穴はあかないのである。

穴が開かないもので近所全部に回覧版を回す必要はあるまい。
毎回穴が開かないように注意しているが、先の終電の仕組みは、2015年にこの目で見て間違いないのを確認している。これ以外にも、幾つもの形で穴があかないよう計画をしていた。
斯様(かよう)なときに一々、村人全員に何も言う必要は本来はない。せいぜい、誰かに何かあれば我が家へ電話を。万一留守ならば留守電をで十分である。

ただし、事実は、一々外出で言われたならば困るので、「もう、連絡を止(や)めてくれ」が姉や従兄弟の奥さんの嘆願であった。聞けば分かる。
ただし、一定の時期から、私が○○に行くと言えば、金魚の糞(ふん)の如(ごと)く尾行、あるいは本当にスパイ類がうようよ、更に現地での異変…から、機密を原則としている。詳細は拙著「日本のフィクサーME」シリーズを書いていけば分かろう。

警備問題もあるようである。


【デマ―3】仕事を遊びと勘違いしているか、その振りの問題。


フィールドワークは起業のための手段であった。
一つは著述業の「旅に心を求めて」シリーズのため、もう一つは営業のためである。『旅に心を求めて―不条理編』(Kindl、KOBO各百円)を読めば、仕事であることが分かろう。旅をテーマの原稿は旅をしないと書けない。松尾芭蕉も「奥の細道は」旅をしないと書けないのと同様である。これ以上の詳細は妨害が多いため書けない。
ただし、トラックの運ちゃんが、遠方に泊まりでいくのは旅行とは言わないのと同様の仕事である。

逆に言えば、私の起業活動を妨害するため、村人の何人かをXがだましたのであろう。
各種妨害の詳細は私的ブログではない箇所に、後日、正式に記述をする。

それでも、海外は穴があこう。
あきます。
しかし、いかねば私の老後はない。
少なくとも、2013年から起業を目指していた以上、こちらも決死である。
なお、当初は「旅に心を求めて」シリーズを中心に計画していたが、2013年6月以降は「日本のフィクサーME」関連の原稿に中心が変化している。
何故(なぜ)、海外かは、間もなく公開する「真相2013年」若しくは「日本のフィクサーME・パート2」以降を読めば分かろう。

それでは村人に迷惑が…。
二点記す。
一点は、昔の埋葬時代ならば確かに迷惑がかかる。だが、今は火葬のみか、葬儀は業者がする。いてもするのは、受付程度である。後は何もない。
昔は葬儀は「不幸があった家の人は動かさず、全て組合がする」であった。今は逆である。業者がほぼ全部するが、それ以外は「組合の皆様に迷惑をかけては…と、全部、不幸があった家の人がしている」。

不幸があった家の人は村の組合の人への接待を忘れたらと神経を使うだけである。今は村がない方が葬儀は楽なのが実態である。香典類は後日持参しても、お礼は言われても、怒る家などある訳がない。郵送でも問題はない場合が多い。

二点目は、火葬になっても、多少村の人の力がいるときがあった。多分、2005年前半頃までであろうか。
だから、私が母に代わり村の付き合いをしだした2002年から2013年までは海外には一切行っていない。正確には1995年から2012年までは海外には一切いっていない。東京に行くよりも、韓国や中国に行く方が安くてもいっていない。

大学(関学)時代の恩師が、「浜田君、僕と一緒にアメリカにいかないか。君がいけば面白いことがおこるかもしれないよ。案内も通訳も全部僕がしてあげるから君は心配しなくてもよい」と2000年代前半に言われたが断っている。
恩師はシカゴ大学でPHD・博士号をとられ、ハーバード大学でも教壇にたったと言われていた。英語の方が日本語よりも楽なようである。ちなみに恩師は中国語も堪能である。

母が行ってこいといったが断っている。勿論、金もない。ただし、田舎で写真を撮る写真代金よりは韓国や中国に行く方が費用は安いことは当時は絶対的事実であった。

だが、母死亡後、2013年から起業のため仕事で行かざるを得ず、他方、村での冠婚葬祭などは昔と異なり、村人がいても若干助かっても、お荷物とも感じるのが事実でもある。こちらは老後破綻、かつ老後を守るため起業で行っていたのである。詳細に言えないのはものすごい妨害があるからである。

しかし、国内は、先の如(ごと)く、全て穴が開かない以上、穴の開かないものは仕事かどうかを一々他人に言う必要性がない。▽▽さんが、正月やお盆に奥さんの実家にいくときに、村人全部に「これは遊びではありません…」と全家に伝える必要がないのと同様である。特に穴が開かないときは尚更そうである。穴があかないときに、トラックの運ちゃんが遠方にいくけれどもこれは遊びではありませんと、村人全員に言ったり、回覧版を回したりする必要がないのと同様である。

なお、写真を撮りに行っているのではない。写真はいった所の記録その他のために使用する商売道具でしかない。よって、原稿と無関係の地の写真を撮るようなゆとりは今の私には一切ない。


なお、海外には今後も行く必要がでてくる可能性は高い。例えば、(国名は出さないが)■国と▼国の首脳が会談するときに、私が無言でも、その国に行っていれば有益な場合もあろう。しかもそれが国際平和に繋(つな)がるときもある。勿論(もちろん)、それ以外に原稿の関係もある。しかし、もはや予算がない。幾ら起業でも、成功する確率が以前と異なり、大きくない限り、いや、確実に収入に繋(つな)がらない限り、行くことはもはや不可能であろう。海外は2015年訪米で打ちきりとなっている。
国内でも安価な地を優先することになる。遠方か否かではなく、安価な地である。近くが安いは錯覚である。具体的な数値だけが意味を持つ。同時に、原稿に確実に繋(つな)がる地でなければならない。

印象操作か何かで、相当、フィールドワーク妨害をされたため、いつか記そうと思ったが、超多忙かつ催眠ストップで書くのを遮断された事項である。


【デマ―4】楽しい?


一度、一人旅で、しかも青春18使用で鈍行旅をしてみれば分かる。特に、かなりの期間、フィールドワーク先でもアルコール禁止としていた。酒も飲まず、一人旅をすれば分かる。数泊となると耐えられるかどうかまずやれば分かる。

金がかかる。かからない。
青春18では一日乗り放題で、どこまで行っても2000円程度である。我が家から宮島まで日帰り往復ならば、交通費は全部で約2000円である(船もJRならば青春18使用時は無料である・)。弁当でも持参すれば食事代もゼロ円である。

うらやましいと思うならば、今すぐ自分で行けばよい。
更にいまならば宿泊してもGo to トラベルのため、相当安価である。村旅行(親睦旅行)の金があれば、3泊4日でもできよう。

実行することを勧める。私はいつも言いたい。青春18でまず行け、と。勿論、青春18は鈍行利用のため、学生の通学・帰宅時間に出会うと長時間立ちっぱなしとなるが、牢屋(ろうや)の如(ごと)くに思えるホテルに一人監禁よりはましであろう。

それですら私よりはましである。
私の場合には別に、催眠類でホテルで徹夜で喋らされたり、外でも各種妨害があったり(訪米の際にはトイレ攻撃…)、そうしたことは他の人ではあるまい。さらにビートルズの如(ごと)く、ホテル外出禁止政策も採られることが多々ある。だが、かようなことがなくても、一人旅、鈍行旅…ホテルでの一人監禁時間…がどのようなものか分かろう。

同時に、他人の脚を引っ張ると、自分自身を檻(おり)に閉じ込め、自分自身がしんどいだけでもある。その前に、老後破綻を前に、起業開始時には、人の顔色をうかがうゆとりがない。遺産がつきたあとは国民年金のみの生活が待つ。否(いな)、生活は不可能である。後、数年…のあがきである。


【※―5】一貫した営業妨害として、Xが上記のデマと、村人の勘違い構造を仕組んだことを徐々に記していこう。


昨年からは、留守電確認は朝昼晩対応に戻している。安物のスマホで音声が悪いため公衆電話利用を中心とするが、再度実行している。その場合には通常の時間帯に通常で帰っても穴は開かない。


母死亡後の超多忙時でスマホ購入前は一日一回としたときがあったが、それでも上記の岡山駅から津山駅最終便時間を参照すれば分かろう。この時ですら、通常はお通夜、葬式ともに穴があかない。通常以外の緊急お通夜で、葬儀は早朝ですら葬儀の方は百パーセント穴があかない。しかし、母生前時類似の朝昼晩対応時は、如何なる形(死亡した日にお通夜、翌朝午前8時葬儀)でも、水俣にいてすら、お通夜・葬儀ともに穴があくことはない。
母生前時で母が老いたときはこんな比ではない対策を採っていた。

間もなく公開開始する「真相2013年」を読めば私の旅の目的が分かろう。更に『旅に心を求めて』シリーズ公開に入れば、それへの妨害はトラックの長距離運転手を不届きと村八分にするということと同様と言うことも分かろう。

2020年10月28日