不可思議な出来事(2009年頃)―№001・お寺割り等15000円事件

不可思議な出来事(2009年頃)―№001・お寺割り等15000円事件


2020/03/29 0:31 公開

同上 0:51 1:06 1:23微修正

 


(2020/03/28 23:37)不可思議な出来事を、資金源が枯渇すれば、インタネット活動も中止となるため、それまでに参考までに記録する。



A家(小母さんB、娘C=大阪在住、孫D=広島在住)
我が家=世襲型檀家総代(我が家母E、私)
お寺
隣人G家
※A家はもはや他人が買取り、今は存在していない。

A家→我が家・母E→お寺へ(お寺割りとお布施合計1万5千円)渡すとなる。
A家のB小母さんは我が家と親しい人。私も大変かわいがられた。
所がA家のB小母さんは長期入院更に、どうもケア施設で何年もおられることになったよう。
お寺総代を2008年頃母から私に無理矢理押しつけられる。(私は党派中立・宗派中立で無神論者)

2008年末支払いのお寺割りの後始末



(2009年頃の話:何年かは詳細な記録をみれば特定できるが、超多忙のため2009年頃とする。)
母Eが私に「A家から金をもらってこい。A家の1万5千円は私が立て替えてお寺に払ったが、まだA家からもらっていない」

私→(A家の孫と言っても40才くらいの)D君にその趣旨を言う。
D君「僕はGさんに預けた」


私はそれではとGさんに聞く。


Gさん「私は知らない」(2013年のメモやお寺宛手紙では預かっていないと記載があるが、知らないかもしれないため、より表現の優しい方を記述)

再度、D君。「僕は預けたので、もう払わない。知らない」

母「A家から貰ってこい」

上記の繰り返し。

やがて、A家の(娘)Cさん登場。
Cさんが私に「Dを信じるかのか、Gを信じるのか…」


もうややこしくなり、母と話し合い、A家のB小母さんとは大変親しいので、もう我が家で立て替えたのならばA家には催促せず、我が家の立て替え(1万5千円)のままとすることにした。

なお、この頃、
台所付近にあった財布に1万5千円が入っていたのを見た。
⑥私「この金はA家のお寺割りではないのか」
母「違う。別の目的で置いている」
⑧私は姉に問合せ。姉「何も聞いていない。お寺割りの金では」
⑨私は母に再度問合せ。再度母は⑦を明白に言う。なお、A家のお寺割りは(B小母さんが長期不在、子供と孫は遠方のため)母が立て替えて支払ったているとのこと。

⑩その後、(A家の娘)Cさんがお寺割りを持参してきたが、ややこしいため、また風評被害をおそれて一切受け取らなかった。Cさんが「折半にしようか」と言ったが、母に絶対に受け取るなと指示。
※風評被害の危険のみならず、15000円の半分7500円を受け取り、どう(お寺が作成の)領収書を書くのか。7500円と書けば、お寺割りなどを満額払っていないという逆の証明となる。即ち、A家は完全に支払っていないという証明となる。
Gさんも母と親しいのみか、A家のB小母さんと母は相当親しく、私も幼少の頃からかわいがって貰っており、家族ぐるみで大変仲がよかった。そこで、この話はなしとした。我が家が立て替え支払ったまま、即ち、我が家がA家の分を支払っている。
ちなみに、ビジネスでいう、領収書・預かり所の類(たぐい)は、私はきっちりとしているが、Cさん、D君は…である。
ともかく、この話はそれで終わりであるが、何が何か分からぬ事件である。

特に訳が分からぬとは母もGさんも、A家の人間も金のやりとりで嘘を言うとは思えないからである。しかも、私が檀家総代になる前の話であり、「ちんぷんかんぷん」な話である。

なお、Gさん、Cさん、D君は現時点では生存している。私がきいても上記の通りであり、意味不明である。しかし、誰かがGさんなどの生存中に聞けば、何かあれば何か分かるかもしれない。別の事実が分かれば、是非、私にも教えて貰いたい。(大昔から、「(お金のことなどで)浜田さんは堅いのではなく堅すぎる」と言われていただけに尚更である。)
ただし、現時点まではA家からは、私はその時の「お寺割り等の15000円」は一切貰っていないため、我が家は如何なる形でも、搾取とは逆でしかない。万一、事実の交通整理ができ、A家が支払っていないことが事実としても、ややこしいため、更に年数も経っているため、またA家のB小母さんには幼少の頃からかわいがって貰ったため、もはや我が家への支払いの必要性はない。
支払いはもうよいが、それでもお金の問題は不確かなことははっきりさせた方が誰にとってもよいと思う。(特に長期的には。)また推測ではなく、Gさんなどにはっきりと聞かれることが重要である。私も助かる。



ちなみに、私はCさんは余り知らない。物心がつく頃にもう大阪に行かれていた。D君は広島生まれ広島育ち。だがA家の主Bさん(生存していれば百才くらい)には幼少の頃から大変かわいがられた思い出がある。
なお、A家はBさんの名義であり、1998年まではBさんが実質管理をしていた。その後は息子さんが。やがて息子さんがなくなられ…で、遠方の二人が管理となる。

⑪その後、他の件もあり、M中央病院で母に認知症の検査をうけさす。有名な認知症検査では認知症の症状(例:今日は何日ですか。はい5月10日の如く即答でデタラメ。通常は考えてから言うが即答で間違えた回答で、故意としか思えず)。所が、余り知られていない認知症の検査では全く認知症の症状はなかった。医師は「見ての通り」と言った。認知症とは一言も言わなかった。

私が知っていることは上記のみである。


以上のみ。

こうした意味不明のことが続く。
尚、写真との絡みを臭わす人がいたが、お寺割りは写真とは無関係である。同時に、写真の件は別の箇所で記そう。
今度は回りくどいことではなく、簡潔に記載する。もう面倒である。
ただし、私はCさん、D君に写真は一枚も渡していない以上、Cさん・D君からお金ももらう訳がないし、もらってもいない。Cさんが写真…とは長期意味不明であった。
幼少の頃からかわいがって貰っていたA家のB小母さん…写真…はここで詳細を記載すると公私混同のみならず、家が特定されるため、上記と切り離し別箇所で記載する(人物の特定化を回避するため)。

もう人生の後がないため、本年は理屈やコメント抜きに数値のみ記載した方が良いとも思う。
この件を記すと死んだA家のB小母さんが嘆くであろう。それが書きたくない最大の理由であった。
Bさんは、父か誰かの従兄弟会にも特別ゲストで参加したという噂も聞き、死んだ我が家の祖先とBさんが嘆くであろう。
ちなみに、A家は今は売却され、存在していない。

2020年3月29日