第17回私文書(Z家に住所二軒対応依頼手紙)公開とその解説:2012年1月2日の手紙文(◇―2の箇所)
【更新履歴】
2021/11/01 23:37 下書掲載。 2021/11/02でも正式公開予定。
2021/11/02 19:26レイアウト修正と一部追記をして、正式公開。19:38 少し追加。20:00少し追加
《◇―1・【私文書公開の解説】同一住所・番地が二軒問題の経緯》:解説は2021/11/01記述
同一住所・番地二軒存在の件は、未だに、私にはよく分からない。死ぬまでにわかるかどうかは不明であるが、現時点で感想抜きで起こったことをそのまま掲載する。
60年ほど前から(Z1氏の言動では昭和29年=1954年から)、Z家が我が家の住所を使用している問題がある。
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(A)同一住所・番地二軒問題を中学校(1965~68年3月)か高校(1968年4月~1970年3月)頃に母に聞いた話。
理由は、我が家の方では不明である。
母に、中学校か高校(ひょとすると大学)のときに言ったことがある。
「Z家が我が家の住所を使用すると、トラブルに巻き込まれる危険があるし、郵便物で困る。Z家に我が家の住所を使用しないようにいってもらいたい」
母は以下のように言った。
「行政がミスをして同一の家を二軒つくったのだから仕方がなかろう」
私「どちらが先に、ID●4●(我が家の登記上の住所)を使用したのか」
母「我が家である。」
私「それではZ家と話し合い、住所を変えてもらえ。」
母「私も、Z家のZ1氏の母にも、我が家と同一の住所・番地を使用しないように言った。
するとZ1氏の母は、我が家(浜田隆政家)の方が番地を変えろ。
Z家がこの番地を使用する、と言ったのでどうしようもなかろう」
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なお、私は母の言動をそのまま表記したのであり、母も詳しい事情を知らずに勘違いをしたのか、それとも丁寧(ていねい)に説明しにくいので上記のように言ったのか、あるいは、本当に行政がミスをしたのかは不明であった(【念押し箇所:紫色文字のみ2021/11/02 19:28追記】再度記せば、私は母の言動をそのまま表記したのにすぎない。母の勘違いなどがあり、それが事実ならば、修正を追記するので、真相を知っている人は教えてほしい。なお、Z家側からの同一番地二軒の解説は、2013年当時に言われたまま・解説されたままの状態で明日掲載する)。
ともかく、これ以上言えば、Z家とのトラブルが起こると感じた。そこで、この問題の解決は長期諦(あきら)めていた。
ともかく、地図や電話帳には同一住所・同一番地の家が二軒、長期に亘(わた)り存在していた。
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こうして、同一住所・同一番地二軒が存在していたと思われる。とは言っても、我が家の側は我が家の登記簿上の住所しか使用していない。
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(B)催眠類で村の組合12軒の住所録をつくらされた話(2009年)。
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月日がたち、1988年に私は家(古里)に戻ってきたが、病の連続でそのことは忘却していた。しかし、時々、Z家の荷物や郵便物が来て、その都度、母が言った「行政がミスをして…二軒同一住所・番地の家がある…」と間違えてきた人に解説をしていた。
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2007年に、母が「我が家の家屋・土地の名義を浜田隆政にするので、その準備をせよ」と言われて、法務局で登記簿をとり、役場でも住民票や岡山県美作市の地図などをコピーしてもらった。
我が家が売却したという土地(地価はしれている)に、我が家が固定資産税を支払い続けていてびっくりし、その後始末に市役所などにも脚を運んでいた。
こうして、後は司法書士に頼むだけで良いとなり、翌日、司法書士のところにいくことになっていた。ところが、翌日に司法書士のところに行く段階で、母が「その話ややめた」ときた。理由は不明である。(2021/11/02 19:38と20:00 紫文字のみ追加)ただし、意味ありげに、ニタット笑っていたような記憶もあるが定かではない。ただし、Z家との関係ではなかろうと思う。何故ならば、Z家関連には母もイライラしていたため、笑みなどはみせるはずがないからである。
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登記簿や美作市の地図では我が家の住所と田畑しかみていない。Z家の住所などはみていなかった。
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さらに、月日が経(た)ち、村の組合長となる。
2009年のことである。
このときに、催眠類で、組合の住所録をつくるようにマインドコントロールされた。何故、催眠類かは不可思議な興奮{躁鬱(そううつ)病の躁状態}の出来事が続き、また組合のゴミ置き場などに絡めて不可思議なことが幾つもあった。
また、2009年1月9日迄に鳥取大学教員公募への応募書類を送付しなければならないため、村の住所録などをつくる暇はないのにつくったという謎がある。
鳥取大学の後も、各種、再就職を目指して、原稿や書類を送る所が山積していた。当然、余興で組合の住所録をつくる暇はない。また、作る必要もない。組合長の仕事ではないからである。
この関係で、鳥取大学の教員公募には応募できなくなる。
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なお、催眠類の時期も2012年同様に、大晦日から元旦にかけてである。また2009年1月2日にはZ家の小母さんが賦役を休む際の老人取扱い問題で来られ…からも、2011年末から2012年正月とアナロジーをなしてもいる。
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個人情報に配慮して、住所録は原則として、電話帳をみて作成した。理由は電話帳に掲載されている住所や電話番号はCM(店屋・会社などの電話番号や住所は大き目に印刷されていることからもCM掲載と分かろう)と解釈され、個人情報とはならないからである。
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そこで、電話帳の通りにZ家の住所も記載した。
さらに、上記の流れより、ここで我が家とZ家の同一住所・同一番地の話をしても、Z家の小母(おば)さんと揉(も)めるだけである。
しかし、作成後に、Z家の小母さんに、「ミスはないか」を事前に確認した。しかし、小母さんは何も言わなかった。こうして、我が家とZ家を含めて、(我が家界隈(かいわい)の)11軒の家に配布した。我が家とZ家を除けば9軒である。
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(C)催眠でZ家と我が家の住所・番地は本当は違っていることを暗示され…調べると…(2012年)。
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2011年末、Z家の三男Z3氏が家(古里)に戻ってこられた。2011年の大晦日(おおみそか)から2012年1月1日にかけて、2009年の件と全く同様の形で、再度催眠類があり、寝ているときに「Z家の住所は我が家とは違っていただろう。登記簿や美作市の地図をみていないのか」と催眠問答があった。(2021/11/02 19:37紫文字を追加)2009年の住所録作成時と同様の催眠指示である。しかも、大晦日から元旦にかけてと、日付まで同一であった。
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起床後に、登記簿と美作市の地図を見ると、Z家の住所と番地は我が家とは違っていた。
それまでは、母の「{戦争の空襲最中の如(ごと)くに}行政がミス…」を真(ま)に受けていたため、登記簿や美作市の地図でZ家の確認をしていなかった。誰でも、登記簿をとったときには自分の家の住所・番地の確認のみで、隣家の住所・番地は見ないものである。
私は喜んだ。これで問題は解決した、と。
Z家も困っているだろうから、これを教えればZ家も喜ぶだろうと思った。
これで問題は解決だ、と。
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2012年1月1日は、元旦のため、避けて、1月2日Z家のZ3氏(三男)に次の手紙を持って、会いに行った。同時に、我が家の住所・番地使用を止めてもらう話に行った。
それが《◇―2》下記手紙である。
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《◇―2・【私文書公開】Z家に2012年1月2日に持参した手紙。地名・番地・名前だけ記号として後は当時のままの文章である。》
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前略。
昨年末等に、我が家へZ3氏宛の宅配便が来たため、何故同一住所が美作市に二軒存在しているのか、気になり調べました。2012年1月1日に分かったのは以下の通りです。
①岡山地方法務局美作支局登記簿
浜田□□(私の父の名)家該当=ID●4●
浜田△△(Z3氏の父の名)該当=ID●4■―▼
②美作市発行地図(美作市役所にてコピーしたもの)
浜田□□該当=ID ●4●
浜田△△家(Z家)該当= ID●4■―▼
以上です。①と②関連の地図のコピーを同封しております。但し、③電話帳には様々な記載がありました。