拙著『旅に心を求めて―不条理編・上』第1章との関係で、Twitter 15-010とFacebook 及びGoogle+15-041に掲載したものを併合したものをこのBlogに掲載する。
写真は計5枚掲載していたが、このBlogでは都合で一枚のみとする。
その代わりに、本年秋頃に浜田隆政写真物語〝安らぎの間〟を立ち上げ、松代大本営跡・野麦峠・黒部ダム殉教者犠牲者慰霊碑特集を行う予定でいる。
以下、Twitterより。
(1)Twitter 15-101-1。
町村信孝氏、2015年6月1日逝去(70才)。私とは政策は異にしていたが、町村氏の訃報に接し、感慨深いものがあった。謹んで御冥福をお祈りします。
愛川欽也氏死去のときはNHKはトップニュース、他方、本年4月時点での衆議院議長・町村氏の死去に際して、NEWS番組の取扱いが小さいことに違和感を感ず。
なお、この町村氏と同じ命が、黒部ダムの建設で171名も失われた。
もし、これが飛行機ならば、確実に200名近い死者が想定されるとき、飛行機の運航は許可されるであろうか。
もし、200名近い死者が確実に想定されるとき、ビルの建設は許可されるであろうか。
科学と人間を問い、1989年黒部ダムに行く。真っ先に殉教者慰霊碑を訪れた。
(下の写真は1989年撮影→ここでは略)。
今回も同様であった。
だが、全くどこか分からなかった。
それもそのはず立ち入禁止の緑の柵があり、この柵のさらに十メートルほど先に慰霊碑があった。
慰霊碑も柵に覆われていた。
171名の近い犠牲者をだしてまでダムが必要であったかどうかは、今の私には即答できない。しかし、今、黒部ダムは観光客で潤っていることは事実である。その影に200名近い犠牲者がいた。
現場の人は、必死にこの祈念碑を守っていることは想像できる。
このダムの経営者も同様であろうか。そうあってほしい。
気になることがある。次の写真をみてほしい。像の台座に亀裂が入っているのではなかろうか。十メートル離れての望遠撮影のため不明である。(写真は→ここでは略)。
経営者に願う。像を大事にしてほしい、と。
田舎で墓・神社を守るは至難の業。ときには生きている人間が優先される。だが、黒部ダムは膨大な観光客で潤っており、事情が違うはず。
修復の必要性があれば修復を。
緑の金網にレンズを突っ込んで望遠で必死に写す。右膝を地面にたたきつけて。
この緑色は金網の色。十メートル離れたところから必死に約70枚撮影した。私とは比較にならぬほど、経営者は犠牲者を悼んでほしい。
(下の写真参照)。
(2)Facebook及びGoogle+でTwitterと異なる部分は以下の書き出し部分のみ。
FG書込№15-040-01.
黒部ダムで、大勢の台湾か中国本土の人に出会った。そこで、黒部ダムについて以下のことをしってもらいたい。私のFacebookやGoogle+を台湾か中国の人がよく見てくれているようなので、このサイトにも記すことにした。
昨日、町村信孝前衆議院議長が逝去された。その町村氏と同じ命が、黒部ダムの建設で171名も失われた……(以下、Twitterと同一)